ほどいて、いいんだよ。

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自立が不可能な子どもの安全基地である母親はいち早く危険を察知して行動を起こすことが要求されます。

四六時中、意識が子どもに向けられている状態です。

 

健全な母子に宿る愛着の絆は言葉を超えたる「感受性」と「応答力」で成立しています。

 

子犬と母犬の関係を再現したような犬と飼い主の関係に見る信頼には驚くばかりです。犬に異変が起こると飼い主が駆けつけてくれることを信じて犬は一定範囲の中で過ごしています。お互いの間に流れているのは「感受性」と「応答力」です。

この関係は傾聴にも通じているようです。

 

傾聴とは、よく話を聞くというより、相手の心に寄り添い聴くことです。自分が気になる単語に反応するなら傾聴とは遠い聞き方だと思ってください。

 

愛着関係とは自分より相手が気になる関係、相手に寄り添う気持ちから芽生える関係だと言えます。

 

この寄り添う気持ちが不足する母親、感受性と応答力が母親に不足があると子どもは自分が守られているか不安になります。

特に幼少期、子どもは自分で生活する能力がないので、親のケアは生死の問題にかかわるので、不安はこの上なく高まります。

 

ほとんどの子どもは不安を抱えたまま成長することになります。

弱みを見せると生死の問題に直結するので平然を装い、表向きは親に迎合してなにも問題なさそうにふるまいますが、内面には、どうせ自分はかまってもらえない、いつか見捨てられると傷ついたまま、猜疑心を強くもってしまいます。この弱さをバネにした反動形成が「ツン」、その裏にある甘えたいけど甘えられない願望が顔を出すと「デレ」

 

そこにある切なさが可愛く見えるのも事実ですが、客観的にみると、砦を築いた向こうに傷ついて姿があるのがわかります。

 

「不認証環境」という言葉があります。

わかりやすい事例を出すと、学校で95点取ったらら人として認めてくれるけど、以下だったら認めてもらえない環境。成長すると育てたことに恩義を感じさせるような言い方をしてきます。

 

「ここまで大きくなれたのは、誰のお陰と思っているの?」というような。

すべてがGIVE&TAKEだと錯覚してしまいます。

愛されても見返りを求められないかと不安になるので、愛されても拒絶する。

母親自身もそうして育てられたかも知れませんが、

もしもそういった類の言葉に縛られていると気がついたら、自分から解くようにしましょう。

 

ダメな子だね。

役立たず。

なんのために学校に行ってるんだ。

どうせ化粧したって変わらないんだから。

どうせ女なんだから。

することが遅いね・・・・

 

もしも、こんな言葉に縛られていたら、

 

勝手に解いていいんです。

 

 

 

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ツンデレでなくても、
自分のことが嫌いな人は少なくないけど
自分を愛していない人は少ないと思います。

どんなにつらいことがあっても
自分を愛している人は自分を大事にできます。

好きか嫌いかわからなくても
愛していたら大事にできます。

愛していると、好きとは、それほど違います。

やってることは好きじゃないけど
愛しているから君が好き。
って、矛盾しているようでも不思議ではないのです。

もう、アイツ、腹の立つことばかりしやがって、
でも、放っておけない・・・
そういうのあるでしょ。

そんなのがあるように・・・
自分のことが嫌いだと言っていても
ほとんどの人は、自分を愛しています。

一方では
悲しいけど、その逆の人もいます。
自分を愛せない人は他人も愛せない。
犯罪の裏には愛の欠落があります。
大事なのは、愛なのです。


でも
愛は愛されることでしか身につかない。
育めないのです。
愛はワンちゃん、にゃんこ、鳥たちとも交流できます。
すごいエネルギーですね。

幼い頃、無条件の愛の交流を求めたのに、
叶わなかったり、条件付けされたので、
「自分なんか、どうせ・・・」
という期待しない考え方が習慣化してしまった。
もうこれ以上傷つきたくないと思った。


傷つかないように鎧(よろい)を着せたから、ツンデレになってしまった。

どうせ、鎧(よろい)を着せるなら・・・

「自分なんか、どうせ、愛されるんだから」
「自分なんか、どうせ、成功するんだから」

というように、着せたらどうでしょう?

「・・・どうせ、愛されるんだから、思い切り甘えてしまえ」
「・・・どうせ、成功するんだから、思い切り頑張ってみるわ」

そのように考えたら、本心に近づかない?

どうして、そんな考え方ができるのか、あり得ないと思うかもしれないけど
あり得るんですよ。
傷ついてもいいと思ったら、あり得るんです。

どんなに頑張っても、レギュラーになれなかったら、嫌だから・・・
どんなに思っても、彼が自分を思ってくれなかったら、嫌だから・・・

この嫌の正体はなんですか?

自分を愛している証拠。
でも覚悟できない状態。
抑えるからイライラする、怒りになる。

だったら、自分が本心で求めているものを
自分に贈ってあげないと自分が可哀想でしょ?

贈ってあげようとする行為が大事なんですよ。

うまくいったら、評価高いよ・・・というのは他人の目

うまくいこうがいくまいが、
自分に贈ってあげようとする行為への評価は・・・自分の目

自分がどんな思いでそうしたのか、自分はわかっている
それが大切
それでも他人から評価されたい気持ちがある
自分を信頼していないから、他人の価値観が必要になる

でも、あなたが彼女のことを気にしていないように、
彼女もあなたのことを気にしていない。
あなた以上に、あなた同様に、
あなたのことを気にかけている人はいないんだからね。

他人の価値観や評価はどうでもいい。
大事なのは、自分の価値観、自分の評価。
あなたが子どもなら、自分の価値観は半熟にも達していないから
他人の、特に目上の人の価値観、評価が必要な時期もあるけど、
もう大人なら自立しないとね。

自立って、自分の価値観、自分の評価で生きていけるってことなんだから。
具体的にいうと「自分はこれでいい」って言えるということなんですよ。

「自分はこれでいい」って言えるのは、自分を愛している自覚があるから
あるいは
自分を愛していこうという覚悟があるからなんです。

つまり他人の価値観、評価を必要とするのは、「自立できない」状態
あるいは、「自立しょうとしない」状態・・・・
自分を愛してあげようという覚悟がない状態のことです。

自分になくて、彼や彼女に期待するから、ツンデレになってしまう。
嫌でも自覚させてしまおう、覚悟させてしまおうとするのが、ツンデレに捧げる真実の愛。

ツンデレに捧げる愛はこんなにも深くて強い
深くて強いのは、
せいせいするほどの「覚悟」が必要だし、あるからです。

かたつむりはツンデレ
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幸せのツンデレ、再生術

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ツンデレ




ときめかないものを捨てるのが片づけコンサルタント “こんまり”さん流の整理術。彼女がアメリカTIME誌が発表する「世界で最も影響力のある100人」2015年版に選ばれたのは、整理の枠を超えて人生を変えるレベルに達しているからだと思います。

リフォームも断捨離も、その目的は「再生」です。
壊す、捨てるのは「やり直す」ための準備。
いまの自分に合わせて心の支柱を作り直すのが再生。

人間は人の影響を受けて暮らしていますが、他者の価値観が複雑に入り込んでいます。
自分を生きるために、必要なのは「自分の価値観」です。
自分を生きるために、誰かの価値観はいらないのです。

片付けで捨てることができないのは、メリットが潜んでいるからです。
でも、そのメリットが邪魔をして「自分を生きることができない」のなら、実はデメリットです。

なにも損得で割り切れというつもりはありません。
家庭を大事にしているのに、関係ないだれかが誘惑してくれても、複雑にするだけの不要なメリットです。

「自分がなににときめいているのか」自分の本心に焦点を合わすことです。
それに関係のないメリットは全部要らないのです。

自分に金メダルをあげたい人に、オリンピックもポケモンQもSMAPも関係ないのです。
興味がないわけでなくても、自分に期待しているので関わっていられない。

他人の努力は参考になるけれど、必要なのは自分の目標を達成するために自分の可能性を最大にするための努力です。

自分の問題の原因は自分にあるので自分の責任を追求する毎日しかないのです。
自分の責任を追求しないで他を追求するのは筋違い。

自分は自分に金メダルをあげることにときめきます。
なにがなんでも金メダルを自分にあげたい。

それに一生懸命なので、その阻害要因になるものは取り除きます。
だからメダリストが自分の道具の手入れを怠らないように、自分の価値観をピカピカに磨きあげて努力します。

自分の価値観を曇らせる他人の価値観は除去します。
ツンデレの人は本当はやさしくて、感受性も豊か。
だから深く傷ついていて、もうこれ以上、傷つきたくない思いが強い。

距離の近い他人の価値観に深く傷ついているのです。
だから距離の近い人には、ガードが堅くなる。

仕方ない。無理ないですよね。
それでもいいと思います。

対策は「他人の価値観を捨てること」
具体的には「いい子をやめること」です。

自分の価値観を磨くとは嫌われても良いと覚悟すること。
一度にやらなくていい。ほんの少しずつ試せばいい。

大丈夫、嫌われないから。




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無条件の愛

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七夕

無条件の愛。そうですね。

無条件で自分を信じ愛し認めてくれる人がいることは、
大きな力や勇気を与えてくれます。

パートナー、親、きょうだい、友人…
だれかひとりでも、
そんな人がいてくれるのは幸せなこと。

誰かひとりでも。
たったひとりで良いのです。。。

しかし現代はそんな愛に出会えない人が増えています。

もし、愛したい人に出会って、
その人が不運な人だったとしたら、
ずっとずっとその人を大切にしたいですね。

命かけてでも、守ってあげたいと思うもの。
無条件で愛し抜きたいと思うもの。


真実の愛があれば。




にゃんこ

ツンデレにはツンデレの痛みがあります。それをまるごと受け入れてあげるのが愛。


愛とは相手に変わることを要求せず、 相手をありのままに受け入れることだ。

つまり人生を愛するとは、身に起こるすべての事象を、いじくり回さずに、ありのままに受け入れることです。
(カタツムリ)




もしもドロップシッピング幸せプロジェクトもお楽しみください。

かたつむりはツンデレ





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