人は誰も「生きる”ひな形”」を親から貰っています。

 

ツンデレ女性の大半は、本音の感情を自分の母親にも見せられずに思春期をすごしてきたせいで、大人になった今でも、スムーズに感情を表現できず、他人とのコミュニケーションや信頼関係を築くことに人知れず苦労しています。

 

ツンデレ女性たちは、同性との間でも、素顔が見せられず、自分のことを語ろうとしません。ほとんど特定の人との関係で起こる出来事に終始する傾向があるのも、無難な話題に留まろうとするからです。

 

 

痛々しくも傷を見せず、頑張ろうとしているツンデレ女性たちの苦悩を鈍感な人たちは気づきません。みんなそれぞれに自分のことに精一杯な同僚たちが気づかなくても当然なのです。

 

なので、人によっては、全く違うイメージを与えています。

 

そんなツンデレ女子が体当たりしてしまう恋愛や結婚のトラブルのいくつかのパターン。

 

そのひとつが、

 

人を信用しないはずのツンデレ女子が、知り合って間もない男性と性的な関係を持つことは不思議ですが、そのメカニズムがわかっていたら理解できます。

 

そのわけは、相手を信じていないからです。
そこが合点のいかない点ですが、彼女たちは信じられないから、身体を通して、親密な関係を築こうとするのです。
自分をうまく表現できないので、身体を大事にすることまで気がまわらないのです。安心して依存できる関係になりたくて、一体感を得ようとするのです。
とても危ないやり方です。

 

逆に信じている相手とはなかなか性的な関係に踏み込まないという矛盾が起こります。

 

ツンデレ女子にとっては「甘えられる」ことが大事なので、その願望がいびり倒してでも叶えられるなら「一体感」という点では、こちらの方が強いと思えるかもしれません。

 

ツンデレ女子がツンデレである所以なのです。

 

本当は甘えたいのです。
でも幼い頃から十分に甘えられなかったので、我慢が身について、いまさらどう甘えていいのか、わからないというのが本音です。

 

甘えを抑圧していると怒りに変形してしまい、怒りが噴出する仕組みです。

 

だからツンツンは甘えだと受け止めてあげたらいいのです。

知り合って間もないのに性的な関係を持つことを思うと、その方が安全だといえます。

 

まだ高校生なのに怒りと寂しさが嵩じてJKビジネスに足を踏み入れる危険の裏には、お金目的ではないチャホヤされる歪んだ喜びがあります。

 

額面通りに受け取らない醒めた強気の真ん中に心の空白があります。

空白を埋めたい一心で心身を大切にしない乱暴さは傷つくことはあっても、満たされることはありません。

自分の心や体を大切に思えない心理には、機能不全家庭で大事にされなかった無念が横たわっています。

 

愛のひな形はポップスからは学べません。

言葉は学べても実体は学べないのです。

 

求めているのは「本物の愛情」

 

本物の愛情とは、そこにいるだけで十分に愛されることです。

 

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私は甘えられない

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ツンデレ女子の多くは

子ども時代に愛情が満たされず、潜在的に愛情飢餓をもっています。

 

それをまぎらわせるために、過食に走ります。
しかしどうしても寂しさは埋まらないので一段と過食が進み、葛藤は終わりません

 

自分の悲しさや寂しさを、誰にも打ち明けられまま大人になりました。
彼女は、恋人がいても相手の男性に甘えることができません。

 

ツンツン女子の甘えられない一番のポイントは自信のなさです。
男性は彼女の良い点も悪い点もすでに理解していますが、彼女にはそれがわかりません。嘘をまぜながら話をするので自分でもわからないのです。

自分を受け入れてくれている好きな相手にも、

自分のすべてを見せられないことです。

 

受け入れてくれることが分かっていても、
その裏には、すべてを見せたら愛されなくなるという自信のなさが貼り付いているからです。

 

甘えたけいけど甘えられないので、
怒る、怒らせる、無視する、傷つける・・・およそ「愛情」を感じる態度を
とらないことが、「甘え」になるのです。

 

相手の男性は頭で愛することはできても、自然な感情で愛することが難しくなっていきます。

 

愛するとは自然な感情。感情には取り扱いに注意が必要です。
間違った取り扱いをすると、一生を台無しにすることもあるので
元から断つようにしましょう。

 

しっかり頑張っているように見える女性に胸の奥にある不安。

放置しておくと「因果関係」が発展して身動きできなくなり「鬱」になることもあります。

 

ライフスキル講座

 

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ツンデレ女子は自分が必要としている人には、少なくとも言葉の上では忖度しません。忖度しないことに逆説的に想いがある証明なのです。

 

一方で、母親には忖度しまくり。それでもって母娘は大の仲良しって、なんだか奇妙でないですか?

 

ところで「"忖度するメディア"への懸念。」という表現は正しい?

 

「忖度」「忖度」と流行語のように耳にしましたが、「忖度」という言葉の意味も使い方も正しくなかったのが、混乱を引き起こしたようです。

皮肉にも、「共謀」という言葉が飛び交っていますが、「忖度」は「共謀がない」という意味を内包しているらしい。

 

 

子どもは母親のサインを読み取って、親が喜ぶようなことを言ったり、行動することがあります。娘にとって親は忖度する相手のナンバーワンかもしれません。

 

けれども、それは子どもにとって幸福な状態ではありません。

忖度は悪いことではありませんが、度が過ぎると自分を見失います。

 

忖度の動機も影響しています。

誰にでもある5つの心のひとつに「順応する従順な子どもの心」があります。

周囲に気遣いするという点で、素敵だけど、打算的な面があるからです。

 

これが強いと本来の自分である「無邪気で自由な子どもの心」を抑えてしまいます。

 

子どもの頃に親と間に「愛着の絆」を感じて育った人は、「順応する従順な子どもの心」は低い傾向にあり、逆に「無邪気で自由な子どもの心」と「保護的な優しい母の心」を強くするようです。

 

 

子どもの頃に、心の通った楽しいコミュニケーションをした経験の少なかった人は、大人になっても、母親とは楽しいコミュニケーションを知らないまま、友だちともできないままになっていることがあります。

 

他者に受けいられるように、他者の反応を見ることは悪いことではなく、世渡りに欠かせないスキルといってもいいでしょう。しかし度がすぎると自分を抑圧することでしかなく、自分で自分が何者かわからなくなってしまいます。

 

一方で、メリットもあります。

自分なんか」と思っていた人が、他者に受け入れられることで、自信ができて「自分も楽しんでいい」と思えるようになると、抑圧から解放するきっかけになるからです。

 

つまり「禁止令」の束縛から、自分を解き放つことが大事なのです。

 

禁止令から解放されだすと、皮肉にも「私が生きにくいのは、親のせいだ」というような言葉が出るようになります。

 

つまり自分の感情を整理できるようになったから出せるようになったのです。

 

そういう関係しか持てなかったのは、お互いにつらいことだけど、次に進むステップに来たという点で、とても喜ばしいことなのです。

 

自分が自由な心から、心底、忖度したくてしてあげるのは、桜咲く春の陽気のように素敵ですよね。

 

 

 

 

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出会った頃はコケティッシュで、自由で無邪気、屈託がなく甘えることにも抵抗がない。。。そう思えたのに、親密になるにつれて、ツンが激しくなり、ツンツンばかり。。。いい加減、気疲れしてしまい、面倒になってくる。。。そんな女性がいます。

 

初期のそれは気をひくのに一生懸命で、慣れ親しんだ世渡りの技術を駆使しているだけってことがありますね。つまり友達や会社の同僚との間では「道化役」で親しい関係を築く習慣を常態化しているのです。

 

なぜそんなことをする必要があるのでしょう?自分なんか受け入れられない」という思いがあるからです。別に具体的に理由があるわけではありません。

 

思い込みです。

 

思い込みの発端は、母親との間に愛着の絆が築けなかったことにあります。

愛着の絆とは「愛されてる実感」です。

 

実際がどうであったかではなく、そう感じたことが問題なのです。

 

  • 本当は、自分の感情を出すのが苦手。
    嫌われないかとオドオドしているのを隠すためにツンツンしている。
    ツンツンが感情を抑える暮らしで身につけた「甘え方」です。

 

  • あるいは「挑発」という場合もありますね、

 

  • 理性で自分の感情を抑圧することが習慣になっていると、本当に言いたい大事なことが言えなくなる。そのかわり「行動」で表現するようになります。

 

  • ハラハラドキドキの綱渡り的「緊張感」に生きている実感がするというのもあります。

 

 

それぞれが別ということではなく、混ざり合っている場合がほとんど。

 

その源流は、子ども時代に「自分の居場所:がリアルに感じられないことに原因しています。

 

子ども時代に「自分の居場所:がないとは、「ここにいていい」という実感です。

「ここにいていい」という実感がないとは、ささいな不安に揺れ動くことを意味しています。

 

人は誰でも自分の人生脚本を自分で描いています。

そのはじまりは、驚くなかれ2歳程度です。

2歳のことなんか記憶していないですね、

記憶していないから「自分が何者か」わからない厄介が生じるのです。

 

2歳の幼児が、「ここにいていい」という実感がないとは、どういうことでしょう。
愛着の絆がないことを意味します。

 

2歳の幼児が求める愛着は「母親」に他なりません。

幼児が母親から愛されることは命の保証に似ています。

 

この時期に「愛情飢餓感」がついてしまうと、

大人になってからも愛情を限りなく求めるようになるので、

注がれた愛情に対して簡単には満足できなくなります。

 

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素直に自分を表現しても傷つくことはないと安心して育った人は、他者にも安心感を与えます。隠し事がないからです。

 

ツンデレさんも、特別な人にはおなじです。しかし大事にしたい人には自分を率直に出せないので安心感を隠そうとします。見られるのが恥ずかしくなってしまうのです。

 

自分はそんなツンデレさんを愛おしく思いますが、我慢が必要になります。

 

女性たちは、ツンデレさんを見ていて「ああ見えても女性らしい面がある」とか「やさしいとこもあるよ」とか共感的ですが、狭い視野で見るから言えること。苦しんでいるのはツンデレ自身だからです。

「クールツンデレ」より「ハッピーツンデレ」が断然いいはず。

 

「幸せな人は刺激も興奮も必要としない」といいます。
ドイツ人は休日は読書をしたり、まったり過ごすそうです。
本当か間違いか「日本人は先進国でもっとも不幸な国民だ」という説もあるそうです。
たしかに「クールジャパン」より「ハッピージャパン」の方が素敵ですよね。

 

 

とてもクールとは思えない高圧的に攻める国会議員を見ていると気分が悪くなってきて、これを子どもが見たら「人をいじめていいんだ」と誤解しないかとさえ思ってしまいます。

 

もう少し言い方があるだろうと思うけれど、仕事してないですからパフォーマンスが必要なのは仕方ないですね。攻撃的な議員ほど戦争反対、人権、非正規社員だとうんざりするほど高らかにアピールする。「ワークライフバランス」「働き方改革」とは遠い存在としか思えない。

 

高圧的な態度には隠し事がある証拠だといいますが、議員だけではありません。
上司と部下、親子、夫婦、恋人・・・どんな関係にも通じることですね。
 

本当に力のある人はすごく自然に「自他肯定」を貫いているので、敵意がないから他者を否定しないものです。

敵意があって喚き散らしている人は発散してるので、ひとまずストレスは解消していますが、敵意があるのに抑圧している人はストレスに支配されやすい。
つまり「エセいい人」「エセポジティブ」もふくめて病気になりやすい被害者になりやすい人たち。
 

一時、IQよりEQ(心の知能指数)が大切だと言われましたが、普及していないのは、EQが高くても幸せになれていないからです。むしろ不幸になりやすいのは「我慢」しているからではないでしょうか。
 

劣等感を隠している口うるさい親のもとで我慢を強要されて育った子どもは「いい子」を演じることで、目に見えない敵意を内包しています。
敵意すら忘れてしまう不安に脅かされています。

 

この構図はすべての関係にあてはまります。

刺激も興奮も必要としない生き方を実践することが、大人も子どもを救う唯一の方法だと思うのです。

 

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