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アンビバレンス(両価性)

 

ある対象に対して、『「好き」と「嫌い」』『「ツン」と「デレ」』のように相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すこと。
「両価感情」や「両面価値」、「両価性」などと翻訳されることもあります。

 

夫の愛情がほしいのに得られないため、夫を怒らせてでも気にしてほしくて「キッチンドリンカー」になってふれあいを求める事例。

 

この原型がスカートめくりです。好きな女の子のスカートをめくって気をひく。こんなことをして喜ばれるはずがないのに、やってしまう男の子の事例。

 

犬を呼んでおいて、来たら知らん顔をする人の事例。

 

このように温かいふれあいができないために陰性のふれあいを求めるというのもアンビバレンスな態度といえます。「ひねくれもの」と呼ばれたりすることも多いですね。

 

アンビバレンスには強度があり、あまりにも強い場合には人間関係をこじらせるだけでなく、自己実現の妨害をしてしまいます。

 

アンビバレンスな態度をとっても通用してしまうのは、イライラなど不快に思いながらも相手が欲求を汲んで応えるからです。

 

しかしアンビバレンスな態度をとらなくても率直に伝えられるのが本来です。大切な関係であればこそアンビバレンスな態度を常習化してしまった背景には成育期に心を折られてしまった挫折と心の痛みがあります。

 

アンビバレンスに強い影響を与えている「ラケット」についてお話します。

 

幼児は無力な存在で、親、保護者の愛情と保護なしには生きていけません。
せっぱ詰まった状況に置かれた幼児は、愛情と保護を得るためには愛想笑いもします。

 

親、保護者が思う以上に彼らは不安を抱いています。

 

生きるのに無力な幼児たちが自分の欲求を満たす手段として使うのが「ラケット」という手法。

 

「もしボクが悲しそうにしていると保護する立場にある人は、考えを改めてボクのお願いを叶えてくれるかもしれない」思いで使います。

 

親たちは、「もう仕方がないねッ」とイライラしながらも欲求を満たす、代わりにやってやるなど、幼児の思いに応えます。

 

不快な表情や態度は魔法のおまじないのような役割を果たします。

 

幼児は体験でラケットの威力を学び、なかなか手放そうとしなくなります。

困らせることで、願望は実現されることを憶えます。

 

育て方に愛情がこもっていると安心感が備わり、成長するにつれ、自分の欲求を率直に伝えるようになります。

愛着が不十分で抑圧させる育て方をしていると、子どもは率直に伝えることができなくなるので、ラケットを成人しても使うようになります。

 

困らせることは、自分にとって大切な人の気を引き、支配する手段になると思い込んでしまいます。つまり甘えているのです。

 

仲のいいカップルが甘えあうのは、お互いの無邪気な気持ちによるポジティブな性質の陽性のふれあいですが、困らせて気を引く方法はネガティブな感情に支配されたマイナスの交流、陰性のふれあいです。

 

異性への不信があると、異性に対して、執拗に愛情の確証を得るために、ラケットを使い、マイナスの交流で見極めようとします。

 

相手を責めながら気を引くというやり方、引き裂かれた相反する自己が同時に表面に出る、つまりアンビバレンス(両価性)な言動が繰り返されると次第に相手は疲弊してきます。

ストレスが高じて神経症の範囲に入ることもあります。

心身の危機に直面すると相手は離別を選択するしか方法がないのです。

結局、かたちとして見捨てられることになります。

本人のアンビバレンスな状態のネガティブな面が反映されたものです。

 

このやり方には愛情の希求が潜んでいますが、「自傷行為」と同じ気の引き方です。

陰性の感情に支配された陰性のふれあいと同じです。

 

よく考えたいのは、ひとつのことに、陽性と陰性の両面が生じるのは、陽性のふれあいへの希求が強いからです。そこに本当の自分が存在しているのに、その感情や考えで抑圧するから自分も相手もどうしていいのか分からなくなるのです。そこには抑圧の習慣が身についてしまった根強い「不信」があります。

 

その不信をかなぐり捨てられるのが陽性のふれあいがぎっしりつまった愛情です。

といってもその愛情が手に入らなかったとき、失った時が怖いよね。

 

誰でも不安があるとベストな選択をさがして、アンビバレンスな状態になることはあります。冷静になれば自分の欲求を見つけて優先できます。

行動することで現実に反映できます。

 

自己実現は現実社会で実現されるべきものです。

しかし現実は白と黒というように明確ではありません。

「あの上司には好ましいところもあるけれど、好ましくないところもある。

この人にも、好ましいところがあるけれど、好ましくないところもある」というように受け入れられることが現実的だし自身の成長に役立ちます。

「うまくいく場合もあるし、そうでない場合もある。だからうまくいくように努力しょう」という考えにつながります。

 



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パパと呼ばれ「男らしさ」の代表として知られるヘミングウェーの知られざる初恋が「武器よさらば」だった。
危険を顧みない行動。四度の結婚、猟銃自殺・・・全部、無意識のワケがあった!

 

 

1918年、第一次世界大戦の終盤、アーネスト・ヘミングウェーはボランティアで赤十字に入りイタリア最前線に赴任、塹壕に物資を届ける任務を担当します。

 

両親との関係が悪く、17歳頃から頻繁に家出を繰り返しながらも、ハイスクールを卒業したアーネスト・ヘミングウェーはジャーナリストを志していました。

銃とシェイクスピア、ディケンズに惹かれていたヘミングウェーは大学進学より、戦争への参加を熱望していたのです。

 

ヘミングウェーは、イタリアに派遣される「アメリカ赤十字傷病兵輸送車部隊」の欠員募集に応募、傷病兵輸送車のドライバーとして戦場に参加します。

その仕事ぶりは、小説「武器よさらば」の冒頭でも描かれています。

 

砲撃で全身を負傷したヘミングウェーはイタリア、ミラノの赤十字病院に入院、そこで看護師、アグネス・フォン・クロウスキーに出会い恋に陥ちます。この傷とアグネスの存在がヘミングウェーの一生を決定的なものにします。

 

(アグネスとヘミングウェー)

 

ヘミングウェー19歳、アグネスは7歳年上26歳でした。

アグネスは最初7歳の年上差を気にしてためらいましたが、ヘミングウェーの積極的で屈託のない求愛に惹かれていきます。

 

子どもじみたヘミングウェーと落ち着いた気性の自立したアグネス。

手紙にアーニー、アーニー坊や、キッド、と書きました。

アグネスは自分のことをミセスキッドと記しました。

ミセスキッドには結婚への願望が込められていましたが、ミセス・ヘミングウェーと記さなかったことにアグネスの不安が潜んでいます。

 

戦争が終わり、友人の誘いでイタリア全土を旅しようとしたヘミングウェーにアグネスは不安になります。いい青年が他人のお金で旅して過ごす感覚に自立したアグネスは疑問をもったのです。

 

やがてアグネスの忠告を受け入れヘミングウェーはアメリカに帰国して働くことを決意。友人にも決意の手紙を送っています。アグネスも母親に結婚の覚悟を手紙にしています。

 

しかし、ヘミングウェーの決意は実行されず、働かず毎日ブラブラするばかり。次第にアグネスの心はヘミングウェーから離れてゆき、アグネスの気持ちは恋人から母親へ、恋人から友達へと心が揺れ動き、ついに別の相手と突然の結婚を決意します。

 

ついにアグネスは別れの手紙を送ります。

ミセスキッドはなく、友人と記されていました。

 

その手紙を読んだヘミングウェーは一週間ベッドから出なかったそうです。

 

武器よさらば

 

2年後、ヘミングウェーは、アグネスと同じく7歳年上の女性と結婚。作家をめざしパリへ。一児をもうけます。

 

一方でヘミングウェーはアグネスと共に生きていきたいと願いをこめて一通の手紙を送ります。(内容は焼失されたため不明とのです。)

 

アグネスはイタリアの思い出を大切にしていると返事しますが、ヘミングウェーの人生に戻りませんでした。

 

この恋物語をアカデミー賞を8部門受賞映画「ガンジー」を監督したリチャード・アッテンボローがサンドラ・ブロックで映画化したのが「ラブ・アンド・ウォー」です。

 

 

10年後、ヘミングウェーはアグネスとの恋に着想を得た自伝的小説「武器よさらば」を発表。小説家としての地位を不動のものとします。その後も危険を顧みず、戦場を駆け巡り、狩猟に精を出し、恋愛遍歴を重ね、4度の結婚を繰り返します。

 

そして時は流れます。

 

フロリダ、キーウェストに住んでいたヘミングウェーが家族ぐるみでつきあっていたなかにキーウェストの図書館の女性職員がいました。


ヘミングウェーが心臓発作で話題になったとき、女性職員は同僚から「アーニーにお大事にって伝えて」と聞きます。

 

図書館の女性職員はおかしいと思いました。
キーウェストでは「アーニー」と呼ぶ者は誰もいなかったからです。

ヘミングウェーを「パパ」もしくは「アーネスト・ヘミングウェーさん」と呼んでいたのです。

図書館の女性職員は、結婚して苗字こそ違うものの、もしや「あのアグネスでないか」と考えました。その同僚に問いました。彼女の勘は当たっていたました。

この同僚こそアグネスだったのです!

 

そのことをヘミングウェーに伝えました。

ヘミングウェーは陽性の反応をしなかったといいます。

 

1961年7月2日。ヘミングウェーは猟銃で自殺しました。61歳でした。
死の前夜、アグネスに恋していた頃にイタリアで覚えた陽気な恋歌を歌っていたと言います。

 

ノーベル文学賞作家、アーネスト・ヘミングウェーの人生とはなんだったのでしょう?その偉業ほどに、彼は幸せだったのでしょうか?

 

自分の考えでは、ヘミングウェーはアグネスとの失恋で一度死んだと思います。

その後の人生は生き直し。

 

アグネスはアーネスト・ヘミングウェーとの結婚を望んでいました。

そのために我慢もしました。

初恋の顛末を聞いていると、恋が成就しないとしたら、ヘミングウェーが拒絶したときだけだと誰もが思うのではないでしょうか。
それが形の上では逆になりました。

 

でも、自分は拒絶したのは、ヘミングウェーだと思います。

究極、ヘミングウェーが望めばキーウェストで再会もできたはずです。

でもヘミングウェーは自殺してまで抑圧しました。

 

その理由は母親との関係にあります。

 

ヘミングウェーは、女の子を欲しがっていた強い母親のもとに第二子としてして生まれました。

4歳まで姉と同じ格好をさせられ女の双子に見えたといいます。

 

ある日には父親の大事にしていたものを母親が焼いてしまい、その残骸を父親が拾い集める姿を目撃しています。

ヘミングウェーが母親の愛情を十分に得ることができず、甘えられないまま怒りを内面に抱きながら成長していったことが読み取れます。

  • 男であってはいけない
  • 愛し愛されてはいけない

ヘミングウェーには禁止令が働いていたと思います。

 

禁止令とは幼児が近親者から受ける「〜するな」というメッセージで、財産家の娘であった母親の強すぎる姿を通して、人生を学んだと想像します。

なので愛していると訴えながら、アンビバレントな真逆の行動で、アグネスを苦しめました。

 

アグネスは「若いから」と耐えました。

耐えても耐えても、アグネスの愛情に応えていません。

アグネスは疲れ果て別れを決意しヘミングウェーから離れます。

二人は赴任先のイタリアで恋に陥ちたものの、互いに気にかけながら生涯会うことはありませんでした。

 

その気になれば結婚できたのに、再会もできたはずなのに、

危険を顧みない行動的なヘミングウェーに似合いません。

 

その気にさせなかったのは母からインプットされた「禁止令」です。

 

ヘミングウェーは「男らしさの代表」として世界に知られて、「パパ・ヘミングウェー」と呼ばれています。

しかし見方によれば彼の行動は自暴自棄に見えます。

 

銃弾が雨あられのように降り注ぐ戦場で平気で食事をする。

仲間は逃げ出しているにもかかわらず平気な姿に狂気を感じたといいます。

 

ライオンや牛、動物との格闘も危険極まりないものですが、自分の命も動物の命も気にかけていません。「動物の愛情なんか考えたこともない」ようなことを語っています。

 

母親から受けた「男であってはいけない」はヘミングウェーには「生きてはいけない」と伝わったようです。

 

他の女性に対しても「愛し愛されてはいけない」と実行したようです。

 

ツンデレにも「愛し愛されてはいけない」の禁止令が働いています。「女(男)であってはいけない」「幸せになってはいけない」・・・禁止令に気をつけましょう。

 

「禁止令よさらば」

 

武器よさらば「初の映画化版」

ヘミングウィーの「武器よさらば」は、アグネス・フォン・クロウスキーとの初恋を下敷きにした自伝的作品、実際の恋ではヘミングウェーは19歳でしたが、原作では成熟した男性になったおり、映画では当時最高の人気スターだったゲーリー・クーパーが演じました。

 

「小説は作るものであり、自分が作りだすものは経験に根ざしている。真の小説は、自分が知っていること、見たもの、身につけたもののすべてから書かなければならない」(『パパ・ヘミングウェイ』より)とヘミングウェーは語っています。

 

しかし本当の自分を知っていたなら猟銃自殺に至らなかったと思うのです。

 

自分はひときわ「老人と海」が好きです。

 

人が懸命に生きるとはどういうことなのでしょう。

ヘミングウェーは子どもだった時代から、可能な限り遠く離れようとして、誰より懸命に戦ったのだと思います。愛しき日々に、たくさんの愛を。

 

 

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