2000年の5月のある晩


  携帯に電話がかかってきた

  

  でると知らない男の人


  「友達がなくなったので家に来てくれませんか?」と

  その人が言った。

  

  その人は友達の従妹だった。


  家に行いくと友達の両親に

 

  「娘がマンションから飛び降りて自殺しました。   

   なぜ自殺したか知りませんか?」って聞かれた


  2行だけの遺書

  理由は書いてなかった


  何が書いてあったか覚えてないけど

  

  友達は遺書で両親に謝っていた

 

  私はおじちゃんにその遺書を渡され

  

  そして何度も聞かれた


  「なぜ自殺したのかしりませんか?」

  「なぜ死なないといけなかったのか教えて下さい」って


  私は焦った


  だって私が「何故」って聞きたかったから


  

  小学校、中学校、高校とずっと一緒の学校に通い

  高校卒業してからも大学、社会人と

  約20年の付き合いだった


  

  携帯の発信数が一番多かったので

  私に連絡したんですって

  従妹のお兄さんに言われた


  それを聞いた私はさらに焦った


  えっどうしようって

  

  死んだ理由答えなあかんやんって

  勝手な思い込みで自分を追い込んでいた

  

  何度も何度も繰り返しされる同じ質問


  

  なんで娘は私たちを置いて先に死んだんですか?

  なんでっ自殺したか知りませんか?

  教えてさい!って

 

  私はほんと焦った

   

  だって知らないから

  こっちが聞きたいから


  

  なんにもしらないから

  なんにもわからないから


  

  そんなの知らない

  そんなのわからない


  

  なんで死んでしまったのか

  なんで私に相談してくれなかったのか

  なんで私は助けれなかったのか

  そればかりが私の頭をグルグル回る


  

  悲しいんだけど

  

  泣きたいんだけど


  

  なんで、どうして死んだのか

  なんで、どうして気付いてあげれなかったのかと

  考えても答えの出ない質問を

  自分で自分に何度も繰り返していた

  

  後で気付くんですけど


  結局この時も


  おもいっきり自己否定、自己卑下していた


  

  私が悪い!

  助けられなった私はダメな子!ってね

 

  なんで自殺した理由分からんの?

  長い付き合いなんでしょ?

  それで友達やったん?

  なんで助けてあげられへんかったん?

    

  なぜ友達が自殺したか今でも真実はわからい


  おじちゃんは80歳ぐらいで

  おばちゃんも70歳超えてて

  ひとりっこで、

  親戚も近くにいなかったので

  葬儀の準備手伝うために

  毎日家に出入りしてたら

  だんだん事情がわかってきた

  

  あ~これはしゃあないなって

  あ~これは私でも辛いかもって

  あ~こんなこと友達に相談せえっへんわって

  真実はわからないんだけど

  なんとなく自殺した理由がわかってきた。



  私はその年の12月に結婚する予定で

  4月に仕事辞めていて時間があったので

  もう一人の友人と一緒に

  葬儀の段取りを手伝った

 

  友人の友達に葬儀の連絡を電話した


  自殺しったって言わないでくれって

  友達の両親にいわれてね

  

  車の事故ってことで

  連絡したんだけどみんな分かってたんじゃいかな

 

  友達もおじちゃんも、おばちゃんも

  みんなもう天国にいるから

  もういいよね。言っても。

  

  自分の家に帰ると落ち込んだんだけど  

  不思議と友達の家にいると

  気分が落ち着いた。


  

  だから葬式終わって

  ホッとした時に 


  怒涛のように悲しみが、悔しさが、怒りほか

  もろもろの感情があふれ出て来て大変だった。


  

  毎日泣いて泣いて泣いて。


  どうしようもなく悲しい。


  ずっと泣いてる私は言われた


  「もうそのことを考えるな!」って

  

  そうしたら


  涙が止まった


  とても落ち着いて毎日を送れるようになった


  良かったって安心した


  そして10年間思い出しても悲しくなくなった


 

  そのときに私がしたことは


  感情と向き合うのをやめて

  見ないことにして

  無理やり感情を抑制しただけだった


  そして10年後に改めて

  その感情と向き合うことになる

  

  10年前の自分と向き合い

  

  気付いた

  何にふたをしたのか


  掴んだ

  認めるということを