geneumiのブログ

【少数民族の楽園】


テーマ:

ラーン・バイ・ハート

 

合気、柔、弓、剣は「道」。

 

 

しかし、銃剣はこの境地ではない。

(突き)は剣道に収斂されるので、剣道をやれば宜しい。

 

ところで、バイクは強力なエンジンを搭載した現代版、人馬一体だが、基本、クルマも船舶も航空機も仕組みは同じ。

 

心臓がエンジン。

動作のあらましをモニタリングするメーター類が「脳」。

操作するのはもちろん人間。

 

人間も心臓がエンジン。

様々なオートマチックな機能は一義的に「脳」に集中する。

その中から、人間の行動に伴う、リアルタイムに必要な情報だけが抽出される。

行動の源はあくまでも、意志(霊)である。

 

いくら完璧な自動運転、AI仕様 になってもこれに変わりない。

 

止まっているバイクは仮死状態。

人間がまたがり、キーを入れ、エンジンをかけると司令塔のメーター類が一斉に反応する。

操縦感覚とメーター類の反応を確認しながら走行する。

道具(バイク)と、人間の感覚器官が同期して運動(人馬一体)が成立する。

 

 

寝ている時は半ば仮死状態。

目覚めて、何事か行動を起こさんと動き出すのは意志の働き。

「脳」は肉体の動きをモニタリングし、必要に応じてオートマチックに反応するが、命令の起点ではない。

 

英語で丸暗記は、Learn by heart。

ブレイン(脳)ではない。

ラーン・バイ・ハートである。

 

「道」は肉体(道具)を使いながら、心で学び(運動・操作)すること。

 

ところが偏脳主義者はハートを置き去りにして、モニタリング機能の「脳」に焦点を集める。

いくら教育勅語を暗唱(ラーン・バイ・ハート)しても、さしたる意味はない。

行動が伴わないなら「道」は開かない。

 

無理矢理行動を伴わせようとするなら、戦争惹起?

そんな輩は国家転覆罪、刑務所行きなので浮かぶ瀬はない。

 

話は飛ぶが、人類の最高の乗り物は馬でないかと思う。

当ブログ管理者は乗馬経験はないが、人間の意識と馬の意識が同調し、一体となる感覚はドーパミン噴出モノであろうことは推測できる。

その瞬間は、そのまま空へ飛び立てるのではないか、と、思えるほど高揚する。

それは馬も同じで、生きる喜びが前身にみなぎる。

現代人に、動物と人間の関係でこのような喜びを分かち合う機会はほとんどない。

 

 

日常生活で動物とふれあう機会はない。

それにはまず、居住環境から変えないといけない。

各家庭は無理でも、広い居住区の一角に公共の牧場の一つくらいあってもいいんじゃないのか?

何も乗馬ができる必要はないが、身近な動物が鎖に繋がれずに生きられるスペース。

 

随分と貧困になった日本人の平均から見たら夢のような話だが、たった100年前ならごく普通に見られた風景。

 

狭い所に密飼いしておきながら、核家族で地域のつながりは希薄。

これは家畜飼育の基本である。

まさに日本(都市部)の土地制度・・・。w

 

 

その昔、モンゴル帝国のフビライハーンは帝国各地を巡行するための乗り物として飛行機の制作を命じた。

領土が広過ぎて移動にかかる時間が半端ではない、気持ちは重々分かる。

だが、とうとうできなかった。

元の皇帝をして、できないモノはできない。

大変にガッカリしたそうだ。

 

 

騎馬民族の最速の乗り物は馬だが、いくら馬術を極めても速度に限りがある。

これが地球の如何ともしがたい制約だが、人間にはこのくらいの広がりがあって然るべきであり、それは個人がチッポケな所有概念を放棄すればいくらでも可能である。

 

またまた話は飛ぶが、フィリピン人は獲物を狩るとき、ターゲットにハートを持っていけ・・・と、言う。

練習で20メートル先の直系5センチほどの缶詰のフタのど真ん中に当てる。

何度やっても正確にど真ん中に当てる。

 

当ブログ管理者が的を外すと、不思議そうな顔をする。

 

なぜ、ハートを持っていかないのか?

なぜ、こんな簡単なことができないのか?と、不思議そうな顔をする。

 

実に悔しい思いをしたので密かに練習した。

10メートルならほぼ100発100中。

何しろ手製の弓矢の精度は悪い。

それでも、誤差を修正して的を射抜く。

 

滅多にないことだが、フィリピンの田舎では今でも狩りをする。

一番ポピュラーな獲物は、日本で言えばクイナの近種、余り飛べないプゴである。

もっとも、この鳥の習性は独特なので、遠くから狙いを定めるのではなく、至近距離まで追いつめる方に主眼がある。

 

動かない的なら30メートル離れても滅多に外さない腕の持ち主でも、生きた的はその限りに在らず。

実際、運動能力抜群の少年が5メートルまで追いつめて的を外すのは珍しくない。

プゴは逃走経路を塞がれるとテコでも動かないが、人間の想像を超えた一筋の逃げ道を見いだすと脱兎の如く走り出す。

ほとんどの場合、走り出しの瞬間にヒットチャンスが訪れる。

実際にこの目で見たが、わずか2、3秒の間に二羽のプゴを射止めた。

 

ハートを対象に持っていく訓練はコツを掴めば、誰でもできる。

しかし、偏脳主義者は目と距離感を脳内で処理して、それで良しと考える。

当ブログ管理者も最初はそうだった。

脳で照準を定めようとする習性が抜けないのである。

これでは、いくらやっても上達しない。

 

これを修正する上で「道」のつく武道は有効である。

本来、日本人の得意分野だったのだが、今では随分と劣化してしまった感がある。


幼い子が初めて乗れるようになるコツを掴む瞬間。

自転車の練習も同じ。

もちろん、脳は一連の作業のモニタリングする。

しかし、ハートが実際の司令塔。

ハートは正確に少し先の到着点に照準を合わせる。

この作業の連続で自転車に乗れるようになる。

 

ハートがターゲットからズレたら、矢は的を外す。

二輪車ならバランスを欠き転倒する。

 

ハートをターゲットに移すには「脳」をある種の「ダンマ ☞ 瞑想に近い集中」状態にしなければならない。

脳はある意味で活性化しているが主役ではない。

 

頭ではなく心臓に軸を置く。

色々な雑音が入り込んでも、余計なことは考えず、運動や操作に集中できるようになる。

 

人間と道具の関係、道具を操る行為は相手が機械でも生き物でも共通である。

人間は必要な瞬間、ある種の瞑想状態で高度で複雑な仕事に対峙する。

 

9回2アウト、2ストライク3ボール、160キロを超えるボールを正確にバットの芯に当て、正確無比なスウィングができる選手の「脳」は、その瞬間、深い瞑想状態にあって、ハートは1ミリしかアローアンスのないジャストミート・ポイントに固定される。

 

それにしても、そのような行為を促すのは何者か?

心と体にまたがって同体であり、異質であり、協調しつつ独立して在るもの。

 

それが「霊」である。

 

・・・
Mind of the Earth Batangas
【NGO : マインドオブデァース・バタンガス】
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