ガラス彫刻のしらべ

ガラス工房ドットコムの店長が贈る、ぼやき・つぶやき、毒ブログです。
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$ガラス彫刻のしらべ

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実にくだらない話



ウォシュレットの水

が止まらない夢を見た。

つい先日の事だ。

止まらないので便座から立ち上がれない。
立ち上がるとトイレが噴水になる。
噴水だけならいいが、きっと水はあたりに飛び散る。

そうなると大変だ。


でも、いつまでもこんなところに座っているワケにもいかない。

どうやら自宅のトイレではないようだ。
そこんところは夢なのではっきりしない。

水が飛び散らないように
立ち上がった瞬間に、手のひらで押さえようとした。
夢の記憶はそのあたりで霧がかかるように消えていく。





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以来


トイレに座るたびにこの事を心のどこかでほんのりと意識してしまう自分がいる。

悲しいことだ。


本当にそんなことが起きてしまったらどうしよう。

ウォシュレット発売までには
メーカーはきっといろんなトラブルを想定していたのだろう。
そうして試行錯誤を繰り返し、繊細な技術で作り上げられたモノなので
そんな事気にせずに使えばいいのだろうが


絶対に起こりません。


なんて断言できることではない。


車のブレーキのように
直接的に命にかかわるような問題ではないのかもしれないが
世の中、何が起こるかわからない。


きっと
『止』ボタンを押しても止まらなかったら
かなり動揺するに違いない。

ドキリと脈打ち、冷汗が背中を伝い、カチカチカチと何度もボタンを押すだろう。
そんな間にも水は無情にも洗い続ける。
次第に体が冷えてくる。

「え~(iДi)」

と言いながら泣きたくなってくるに違いない。


便利だ快適だと喜んで使っていたが
刹那的にそんな文明を恨んでさえしまうかもしれない。


どうしようもなくなって
きっとそのまま立ち上がろうとするだろう。
ただ、立ち上がる時には
その噴水がどれほどの勢いで噴き出しているのか
ある程度の想定をするに違いない。

そのまま立ち上がって前に踏み出せば
的を失った水は、放物線を描き背中に届くのかもしれない。

しかし
実はそれほどの勢いもないのかもしれない。

でも、そんな事確かめようとも思わないし
いちいちメーカーに問い合わせようとも思わない。
大切なのはこの状況から脱することだ。



背中にかかる可能性があるから
きっと真横に逃げようとするだろう。

噴水は容赦なくトイレに水を撒き散らすが
背中を濡らすよりはいい。

そして、振り返るが早いか
きっと手のひらで噴水を押さえるだろう。

ひょっとしたら、指先で栓をするように噴水口を押さえ込むかもしれないが
そうすると管の中で余計な水圧がかかって
予想もしないところから水が噴き出してくるかもしれない。

そんな事考えている余裕があるのかどうか知らないが
明らかに緊急事態であることは間違いない。


「すいませーん!」

大声で外に助けを求めてもどうにかなる問題でもない。

「水が止まらないんです!!」

と叫んでも

「そうですか、それは大変ですね」

と切り返されるのがオチだ。


傍から見れば可笑しいほどに
狭いトイレの中でズボンも上げずにゴソゴソ動き回り
真剣に噴水と格闘しているに違いない。


そして便器の横にしゃがみ込みながら噴水を手のひらで押さえ
少し冷静さを取り戻したところで浄水槽の横にあるコンセントに目が向くのだろう。
コンセントを抜き、何もなかったかのように水は止まるに違いない。

冷静に考えれば
便座に座っている段階からコンセントを抜いてしまうことに気が付けばいいのだろうが
そんな時には、そんな単純なことが案外気づかないものなのかもしれない。

ちょっとした危機管理だ。
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正月らしさ

とは何だろう。

早いもので12月。

クリスマスや忘年会、年賀状の準備や大掃除。
バタバタとしているうちに今年も暮れ切るに違いない。

毎年の事だ。

このところ、街に行っても、ショッピングモールに行っても、元旦からにぎやかに営業している。

コンビニも年末年始を問わず24時間あかあかと灯りをつけて営業している。
利用する側からすれば便利には違いない。



年のせいか、ついつい昔と比較してしまう。



田舎で育ったせいなのか、時代がそうだったのか
ボクが子供の頃なんて正月に店なんか開いてなかった。

コンビニなんてもちろんなかったし
スーパーだって商店だって
玄関にしめ縄をぶら下げてどこも閉まっていた。
新年の3日や4日まで閉めている店だって珍しくなかった。


初詣をさっさと済まし
めぼしい大人たちからお年玉をもらってしまうと
正月なんて特にすることもない。


宿題や勉強なんて、するわけがない。
宿題しろ!なんて、この時ばかりは言われない。
子供心に心置きなく堂々とだらけ、実にすがすがしかった。

子供などは家でテレビ見るか、外で遊ぶかぐらいしかない。

正月定番の凧揚げやカルタ取りなんて、ひねくれて考えてみれば
これといって特にすることもなかった正月三が日を

どう過ごすか

というところで頭を悩ませ、
自然発生的に出来上がった

暇つぶしのツール

であったとしか思えない。


それが証拠に、福笑いやスゴロクなんて特に事情がなければ正月以外にやろうなんて思わない。

盆休みのクソ暑いとき
家でジ~ッとスゴロクなんてやってたらサイコロ振るたびにイライラして仕方がないだろうし
凧揚げなんてやってたら熱中症で倒れてしまいそうだ。


どうやって暇をつぶすか
正月の遊びの興りなんていうものは、まあそんなものがきっかけなんだろうと思う。

別に古くからの伝統や文化をバカにするつもりなんてない。
むしろボクはこの国の伝統や文化というものをいたく愛している。

さて

暇つぶしの話だ。

子供だけでなく、大人たちもそうだ。
新年のあいさつが終われば親族が集まって昼間から堂々と

グダグダ

になるまで酒飲んで時間をつぶす。

そんなもんなのだ。
正月なんて。

だから正月なんて究極的には親族総出の

壮大な暇つぶし

なんだと思えてしまう。


どこの店も開いてないし、遊ぶところもない。
結局、一生懸命に暇つぶしをしなければならない。



でも、正月はそれでよかったのだ。


正月には真新しいノートに初めて文字を書く時のような特別な高揚感があった。
新しい下着を着て、それなりの服装をした。

お祭りのような気分。まわりの空気が何か違った。
新しい年そのものをみんなで祝う事に意味があった。

普段は騒々しい中で、年に一回ぐらいはダラダラとしながら過ごす。
年に一回だから特別感があっていいのだ。

学問的に言う

『ハレの日』

というヤツなんだろう。


年に一回だし、店で働いてる人もみんなで祝うのだから、どこの店も開いてないのが普通だった。
電車やバスは動いていたけど店はやってない。

誰も文句を言わなかった。






ある時
資本家が商機を狙って正月に店を開けた。


モノが売れて喜ばれた。

他の資本家も負けじと正月に店を開けた。

やがて正月に店を開けることは珍しいことではなくなった。

ややもすれば、今では正月に店を閉めていることに負い目さえ感じる資本家もいる。

こんな書き入れ時に商売をしない経営者なんてダメだ!
という資本家もいる。

気が付いたら、みんな何かに追いかけられているように働いていた。
多くの人は正月ぐらい休みたいと思っているのに一生懸命に働いていた。

こういうのを

世知辛い

というのだろうか。

イヤなものだ。

と、ボクは思う。




百貨店の三越伊勢丹が元旦~2日の休業を決めたらしい。

2日と言えば世間の百貨店では初売りの日だ。
福袋なんかを用意して、大賑わいの日だ。
それでも、休業するらしい。

世間の評価が随分といいようだ。

ボクもいいことだと思う。

触ればチクチクするような
ぼんやりしていたらあっという間に置いて行かれる資本主義の法則の中で
日本人が大切にしてきた正月の

壮大な暇つぶし精神

が復権してきてもいいのかもしれない。


もちろん
仕事してたほうがマシだ
なんていう人は正月から自由に働けばいいのだが

多くの経営者や資本家が
まぁ、正月ぐらいいいじゃないか
と思うぐらいの

伸びきったパンツのゴム

のようなユルさがもっと許される世の中になればいいと思う。
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何年も前

ローリングストーンズのコンサートを観に行った時
出てきた彼らを観て、大きなショックを受けた。

ボクのいた席からは親指ほどの大きさにしか見えなかった彼らだが
ステージに設置された巨大なスクリーンにリアルタイムに彼らの映像が映し出される。

なんと老けたこと…


老けているなんて百も承知だったが
まさかここまでとは…



ショックだった。



ミックジャガーはあの体型で元気に走り回っているからいいものの

キースリチャーズのあの腹…
トレードマークのテレキャスターをかき鳴らしながら
一応は元気に演奏しているが
もはや

『老い』

という言葉だけでは片づけられないほどの
切り刻まれたような深い皺だらけの顔と
まとまりのない髪の毛…

それが

『味』

と言えばそうなのかもしれないが
ボクには見ていて痛々しかった。


本当に大好きなバンドだっただけに、ショックは大きかった。

特にキースなんかは、1980年前後がピークで、
細い体でタバコ吸って酒飲んで
丸三日間寝てないような不健康な顔つきが魅力だった。


ある意味、ボクの中で

ストーンズは終わった

と思った。



以来、ストーンズのコンサートには行ってない。

ストーンズだけではない。


2年前に観たポールマッカートニーだって
今でも元気にコンサートやっているが、もう73歳だ。

クラプトンだって今年70歳。

ボブディランも74歳になる。


1960年代~70年代にかけて
ロックの第一線で活躍していた人たちが
どんどん老いていく。


元気で活躍してくれるのはファンにとっては有難いが
あまり無理はしないでほしいし、
ましてやコンサートやライブなどはもうやめてしまってもいいのだ。



ミュージシャンにとっては楽曲こそが彼らのアイデンティティーであり
命であることは言うまでもない。

しかし

ファンが持つ、そのミュージシャンに対する

ビジュアル的なイメージ

も大切なのだ。


見に行った側が
痛々しく感じたり
がっかりするようになってはいけないのだ。
それが

プロ

なんだと思う。




ビートルズがいまだにマッシュルームヘアでお揃いのスーツを着たイメージなのも
彼らが若くして解散し、そのまま伝説になってしまったからで
これがもし、ジョンもジョージも生きていたとして
70歳を超えた彼らが、再結成してライブなんかしたら
その、オールド・ビートルズに対するイメージ像はどうなっていただろう。。。


やはり

もう見れない

からこそいい部分もあるはずだ。


この

『偉大なるミュージシャンの老化問題』

は、ボクは20代の頃から警鐘を鳴らし続けた問題なのである。
(ボクが問題視したところでどうしようもないのだが…)




彼らの衰えぬ創作意欲は尊敬に値するが
一流ミュージシャンといえども、所詮は人間。
人間、やはり

引き際の美学

というのも考えたほうがいいのかもしれない。






この間見た光景。


細い道と、片側2車線で中央分離帯のあるのバイパス道路の交差点。

細い道で信号待ちをしていたボクの前に止まっていた古いカローラ。
高齢者ドライバーのマークが貼ってある。

右にウインカーを出している。
ボクはバイパスを横切ってまっすぐ進む。


信号が青に変わった。


反対側の細い道からの対向車もなかったので
カローラはそのまま右折を開始する。

「ん?」

曲がる場所手前すぎるぞ。


「おいおい!」(((( ;°Д°))))


気づいたときにはすでに遅く
カローラは、悠然とバイパスの手前側追い越し車線を逆行していった。

たまたま、バイパス側には走行車線しか車がいなかったので
その横の追い越し車線を普通の片側1車線の道路のように入っていったのだろう。

堂々とし
入りっぷりに
何の迷いもなかった。


たしかにこの交差点は
細い道から少し坂を昇った感じになっていて
侵入するときに交差点の様子は見やすいとは言えない。

車の逆走が起こりやすい場所で
ボクも何度か目撃している。


しかし
だからといって、それほどにややこしい交差点ではないし
これより見通しの悪い交差点なんて、普通にいくらでもある。



結局


ボクは何ができるわけでもなく
そのまま交差点を通り過ぎたので
そのカローラが、その後どうなったかは知らない。



高齢者ドライバーが悪いという訳ではない。
ボクの住んでるような田舎では
車はやはり必需品だ。

しかし、やはり、ある程度の年齢になれば
社会への影響を考えて
自主的に免許証を返納する勇気も必要なんだろうと思う。


引き際の美学


ってヤツだ。











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