私は、2016年1月に 『解毒』 (角川書店) を出版しました。


このブログでは、


カルトからの解毒体験を通して見つけた「女の生き方と幸せ」について書いています。


当ブログは、拙著 『解毒』 がベースになっています。


『解毒』 をお読みになっていると、


私の「気づきポイント」がより心に入ってくるかもしれません。

  • 29 Mar
    • 夫による洗脳 ② 彼女が逃げられなかった本当の理由とは?

        私が故郷に戻って1人暮らしをしていた26歳のとき   君江さんは56歳でした。   DV防止法が登場してから2年が経過していたとはいえ   当時のDV防止法には 「精神的暴力」 についての規定が含まれていない時代です。   「配偶者を殴ることは犯罪です!」 というポスターを街で見るようになった。   そんな記憶をお持ちの方もおられることでしょう。   もちろん、「精神的暴力」 の被害者も民間では支援対象になっていましたが   行政側としては 「それは法律違反です」 と言える根拠を持ちあわせていなかったのです。   DV防止法が施行された2001年時点でDV被害者支援に携わっていた少数の人たちは   「DVとは何か?」 ということを理解していましたが   行政の関係者を含め   一般の人たちにDVについての正しい知識が浸透しているとは言い難い状況でした。   行政の相談窓口では   被害者を支援することについて 「指導」 という間違った用語を用いていましたが   その間違いに気づく人もほとんどいませんでした。           私が君江さんと友だちになった当時   私は 「支援者養成講座」 の講師を務めていたのですが   その時の知識が皮肉にも私を苦しめる結果となります。   大好きな君江さんは モラルハラスメントの被害を受けていましたが   ご本人は洗脳されているため、被害者という意識が全くありません。   何かあるたびに、夫からチクチクと嫌味を言われ   「どうしてこんな程度のことで?」 と思うような言動について   「何してるの、ダメじゃない!」 と叱られるのです。   テーブルにあるしょう油さしを倒してしまったとか   「それはミスなの? 注意されるようなことなの?」 ということでも   その場にいる人たちの前で夫から怒られるのです。   「君江さんて、ホントにおっちょこちょいよねぇ」   本来、君江さんの味方になってくれそうな女性陣も   君江さんの夫に同調して彼女に 「ダメな妻」 のレッテルを貼り   そのレッテルに対して何の疑問も抱くことはありません。   君江さんの夫は、妻だけではなく   君江さんの友人たちも洗脳していたのです。           ( 精神的暴力の犠牲になるくらいなら   まだ殴る蹴るの暴力を受けた方がマシなのかもしれない…。   だって、体に傷ができれば心の傷よりも理解してもらいやすいから……)。   そんなことを思うようになったのは、この頃の体験があるからです。   私が29歳で再婚した時も   最終的に身体的暴力が発生したことで夫の洗脳から逃れることができました。   あのまま精神的暴力だけで、身体的暴力がなければ   果たして我に返る瞬間はあったのだろうか。   今頃、青白い顔をしながら健人の顔色をうかがっていたのではないだろうか。   そう考えると   離婚から9年経った今でも背筋が凍ります。   殴る、蹴るといった身体的暴力よりも   ジワジワと洗脳して人の尊厳をはぎ取っていく精神的暴力の方が   闇が深く、手ごわいものなのです。           あの時代のDV被害者は   逃げるためにたくさんの壁を乗り越えなくてはなりませんでした。   被害者保護のための社会制度が未発達であり   社会通念上も、被害者を責める風潮が一般的という状況だったのです。   君江さんの苦労を目にしながら   私はあることを自分の心に誓います。      

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  • 25 Mar
    • 夫による洗脳 ① なぜ彼女は狙われたのか?

      DVが夫による洗脳だということを私が確信するようになったのは   26歳という若さの時です。   その時、私はDV被害者支援に携わるようになってから   すでに2年が経過していました。   君江さんという女性との交流があったからこそ   「DVの本当の怖さ」 に気づき、それを社会にフィードバックすることができたのです。   拙著 『解毒』 の中でも、その怖さについて詳述していますが   男性の読者からの反発が多かったのは   「DVのネタばらしをされたら困る」 という心理が働くからなのでしょう。   裏を返せば、私が発信するDVについていの情報は   「女性たちを守るもの」 だということになります。   そして、それこそが君江さんが私に託したかったものなのです。         『解毒』 146ページには、君江さんがなぜ夫からDVを受けていたのかを   簡潔に説明しています。   彼女は結婚前から、ある理由で夫に狙われていました。   これは、DV被害に遭う女性に100%当てはまる法則でもあります。   気立てが良くて、愛情深くて、気遣いのできる人は   実はDV加害者から狙われやすいのです。   つまり、これは君江さんだけの問題だけではないのです。   「気立てが良くて、愛情深くて、気遣いのできる人」 という特徴は   ほとんどの女性に当てはまるものだからです。   このブログを読んでくださっている読者の方々も私も   いつ、どこで、DV加害者から狙われるか分からないのです。   そして、洗脳が始まると 「自分は洗脳されている」 と気づくのは極めて困難です。   だからこそ、私は1人でも多くの女性にこのことを伝えたいと思うのです。         君江さんは元々、私の母の「ママ友」 でした。   私が0歳から7歳の時まで、私の家族と君江さんのご家族は   「ご近所の仲良しさん」 という関係でした。   19年の時を経て、私が1人で故郷に戻った時   成長した私と君江さんは 「女友だち」 という関係になりました。   君江さんとの再会は、私にとって喜びと悲しみの入り混じったものとなります。   性格が暗くて、気の弱い夫が30年かけて君江さんを洗脳し   君江さんは、すっかり自己評価が低くなってしまったのです。   「私って、ダメなのよね…」   そんな言葉を聞くたび、私は 「そんなことない!」 と   心の中で叫んでいました。   ダメなのは夫の方だからです。   魅力的で社交的な君江さんに嫉妬し、自分のそばに置いて洗脳してきた夫のことを   私は恨むしかありませんでした。   しかし、時すでに遅しです。   君江さんの夫は、カルトの中では 「りっぱな夫」 と思われていて   「長老」 という役職にも就いていました。   君江さんの夫は、仲間の信者たちへの洗脳も上手に行っていたのです。   それは彼の戦略でもあり、その戦略は成功していました。   彼は「愚妻」 という言葉こそ使わないものの   周囲の人たちは、君江さんを 「ダメな妻」 だと信じ込まされていました。   これが、19年ぶりに自分の故郷に戻って目の当たりにした現実です。          

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  • 22 Mar
    • 初めて出会ったDV被害者と、私が教えられた不思議な価値観

        小学校低学年の頃、私は初めてDV被害者の女性と出会います。   その女性は母と同世代の女性で、幼子を2人連れて集会に来ていました。   その女性と私の母は、いわゆる「ママ友」 の関係でした。   由紀子さんというその若い女性のご主人は   由紀子さんがカルトの活動をすることに大反対で   集会所に押しかけて妻を連れて帰ろうとするような怖い人だったのです。   家では、由紀子さんに対して激しい暴力を振るっていました。           信者たちは、妻の信心に反対する夫たちを 「反対者」 と呼び   悪魔サタンに操られているというレッテルを貼っていました。   私も、その価値観を丸ごと受け入れ信じていました。   サタンとサタンに操られた人を心底怖いと感じ   その怖れの度合いと比例して、神様を信じる信仰心はどんどん強くなっていきます。   (サタンに操られているから暴力的になるのね……。   神様への信仰が強くなると、こんな風に妨害があるんだわ……)。   「神様 対 悪魔」 の構図で事件や問題についての答えが出るので   「DVって何だろう?」 などどいう疑問を持つことなどなかったのです。         小学校2年生の時、私は両親の別居により郊外に引っ越しをして   別の地域の集会所に通うことになります。   由紀子さんも同時期に夫と別居し、別の地域の集会所に通っていましたが   私たちと由紀子さんの家族は、その後何年も交流が続きます。   小学校高学年になると   暴力的だった由紀子さんの夫がヤクザだったことを知ります。   (由紀子さんの旦那さん、ヤクザだったんだ…。大変なんだ…。だから怖い人なのかな?)   そんな風にも思いましたが   それでも「神様 対 悪魔」 の構図に疑問を持つことはなかったのです。   しかし、私の意識がほんの少しですが変わっていく出来事が起こることになります。   ヤクザではない 「普通のご主人」 が奥さんに暴力をふるうという事例を目の当たりにするのです。   その事例は、ケーススタディとして私の記憶に累積されていきます。   『解毒』 24ページで 「夫たちの行く末」 について7つの分類を記していますが   こうした分析は多くの夫婦の現状を見てきたことで可能になりました。           中でも、信者である妻に対して夫が暴力を振るうケースは   最も心が痛む体験として脳裏に刻み込まれます。   それは、「DV防止法」 が日本に登場するより10年以上も前のことです。   公的シェルターもない時代ですので   DV被害者の女性たちは「耐えることが当然」 という時代でもありました。   私は、子どもなりの精一杯の努力でケーススタディを分析しているうちに   いろいろな疑問を持つことになります。   「夫婦って何だろう?」 「愛って何だろう?」   そんなことを内心では考えていました。      

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  • 19 Mar
    • 新しいカテゴリーに移ります

        私が生まれ育ったカルトには、大勢の若いお母さんたちがいました。   彼女たちの結婚生活は、子ども心に衝撃を受ける悲しい出来事であふれていました。   妻のことを殴る、蹴る、罵詈雑言を浴びせて人格を傷つけるなど   聞くに堪えないエピソードばかりです。   そして、成長した私は、「まさか!」 と思うような事態に遭遇します。   私が結婚した男性も 「バタラー(殴る人)」 だったのです。         私は、24歳の時に 「バタラーはなぜ妻を殴るのか」 というテーマについての研究を始めました。   当時、「DV防止法」 が施行されたばかりということもあり   母と私の取り組みは、大手メディアで次々に取り上げられます。           NHKの全国ニュースでも何度もご紹介いただきました。   それでも、解けなかった疑問の数々があり   「DV の本質」 をつかみ取ることができたのは、ここ数年のことです。   別ブログ 「作家 坂根真実のブログ」 ではそのことについての記事を書いています。   「嫉妬心」 が「破壊願望」に火をつける  というタイトルです。   http://ameblo.jp/ynm0617/entry-12173043182.html           私が子ども時代にカルトにいて   虐げられる妻たちを見てきたという体験がなければ   私はDVの本質にたどりつくことはなかったことでしょう。   彼女たちは、命を削って 「次の世代を生きる娘たち」 に希望を託してきました。   彼女たちの人生に敬意を表しつつ   「 DV とカルト」 というテーマで私の想いを綴ります。        

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  • 17 Mar
    • 運命共同体 ⑦ ついにカルト脱出を決行する

        「その時は、1人で死なないで。   私と一緒に死ぬって約束してください」   母にメールを送ると、すぐに返事がきました。   「分かりました」   私は、母との間で重要な約束を取り交わすことができたのです。   お医者さんは、患者である母の話を聞き、薬を処方する役割を果たしたわけですが   母の希死念慮に対しての策は持ち合わせていませんでした。   しかし、医師がすべての病を治療する技術を持っているわけではありませんし   日本の精神科医術という面で考えれば、それが精一杯だったのです。           私は、母に必要なのは治療ではなく   「命を張って自分に寄り添ってくれる人が必要だ」 ということも理解していました。   「死ぬ時は一緒に」 と約束したことは事実ですが   その前にできることがたくさんあるのも事実です。   私は、2011年3月からカルトの集会に行くのをやめました。   ついにカルト脱出を決行したのです。   「母と同じ船に乗っていると、母を助けることができない」 いうのが理由の1つです。   考え得ることは、どんどんチャレンジしていきます。   もちろん、すべては母を癒すための行動でした。           母との間で約束を取り交わしてから2年後に、転機は訪れます。   2013年秋、私はカウンセラーの三森真実(みつもり まこと)先生と出会い   『解毒』 249ページにある人生哲学を教わりました。   私は、「これで道が開ける!」 という確信を持つことができたのです。   三森先生から教わったことをヒントにして   母との約束を「強い絆」へと転換する方法を数ヵ月のうちに見つけるに至りました。   6章 「自立」 を読んで 「圧倒された」 とおっしゃってくださる方が多いのですが   母のために命を張ってチャレンジをしてきた私の生き様を   文章の行間から感じ取ってくださったのでしょう。   母と約束をした日から6年が経ちましたが、私のチャレンジは今も続いています。   私は、母の娘になることを選んで生まれてきました。   私が選び取った自分の役割を、今後も粛々と果たしていきたいと思います。        

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  • 13 Mar
    • 運命共同体 ⑥ 絶対に死なせない!

        当時、母は55歳でした。   こんなに早く生涯を終えるなんて絶対にあってはいけない!   何としても私が母を助ける!   その一心で、母と一緒に作り上げた支援者養成講座の内容を思い出します。   そして、私の記憶の中から、あるフレーズが飛び出します。   「自殺しようと思い詰める人は、真面目な性格の人。   その予兆に気づいたら、『自殺をしない』 という約束を交わすことが防止策となり得る」   私は、母から「自殺をしない」 という約束を取り付けることを考え始めます。         しかしながら、ただ単にそうした約束をすることが   本当に母の想いに寄り添ったものなのかどうか、という疑問もありました。   母が出版した手記の内容を思い返すと   母が自殺を選んだとしても当然だという想いに駆られます。   私は、「死にたい」という希死念慮自体を否定するのはやめることにしました。   「その時は、1人で死なないで。   私と一緒に死ぬって約束してください」   会社のお昼休みに、母にメールを送りました。           それは、母と「運命共同体」になることを決意した瞬間でした。   母が死を選ぶ時は、私も一緒に死ぬ。   私だけが生き残っても意味がない。   それが私の結論だったのです。   『解毒』 133ページにある母の宣言   そして、その後の母の自己犠牲に対して   私が恩返しできる方法だとも考えました。   今度は、私が母のために体を張って行動することになります。      

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  • 10 Mar
    • 運命共同体 ⑤ 自殺を図った女性の前で

        その若い女性のそばには、お見舞いに来ている母親がいました。   (このお母さんのことが原因で病気になったんだろうな……)   説明されなくても、雰囲気から想像がつきました。   子どもに依存する母親。   母親から逃げたくても、逃げる方法を見つけられない娘。   かつての自分を思い出して、胸が痛くなったのです。   そして何よりも、母が「精神科に入院している」 ことを意識することになります。         2011年2月下旬、母の主治医とお話しする機会がありました。   「お母さんのこと、どういう状態に見えますか?」   「そうですね…。少し落ち着いたように見えますが……」   先生の質問にそう答えると、主治医は現状について話し始めます。   「お母さんは、危ない状況です。自殺願望が強いですから」   「えっ?!」   私は言葉を失います。   そのあと、先生に対して質問はできませんでした。   母の周りに100人、200人もの「友人」がいても何もできなかったように   この先生も何もできない。   そう直感したのです。   解決策があるのであれば   ご自分の所見を患者の家族に伝えるはずだからです。           ( 解決策を考えるのは私しかいないんだ……)   私は、母の自殺を食い止めるための方法を見つけようと思い、覚悟を決めます。   脳裏に浮かんだのは、母と一緒にDV被害者支援をしていた時のことです。   延べ出席者人数470人以上を記録した講座の内容に   自殺防止について扱ったものがあったのを思い出しました。   (あの講座の中身を思い出せばヒントが見つかるはず!)   私は、必死に記憶をたどりました。      

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  • 07 Mar
    • 運命共同体 ④ 私が1番愛してる

        母の入院手続きを済ませて家に帰ると   私の心の中には、炙り出された本心が沸き上がります。   母が所属しているカルトも、その仲間たちも   母にとって何の支えにもなっていなかったということです。   母が希死念慮に襲われて任意入院するまで   その異変に気づく人は誰もいませんでした。   私だけが、母の体調の変化に気づき   第6感に促されるまま、母のために有休を取得していたのです。         とはいえ、母がカルトの仲間たちから離れるわけではありませんし   私と母との関係断絶が解消されたわけでもありません。   『解毒』 187ページにあるような事態が起きれば   一時的に家族関係が復活しても黙認されるという背景があり   母が入院した時も、悲しい理由ではありますが母に会うことはできました。   私は平日も週末も、毎日お見舞いに通います。   平日は仕事帰りにお弁当を買って病室に行き   夕食をとりながら母と話をしました。   お見舞いのお花も、新しいお花を買い足しながら毎日アレンジして   華やかに整えていたのです。         私は、母の周りにいる人たちに怒りと嫉妬を感じていました。   「母のことを1番愛してるのは私なんだから!」   心の中ではそう叫んでいました。   母からは、感謝のメールが届きます。   「ありがとうね。花を見てると愛情を感じます」   そう言ってくれたのです。   ただし、愛情だけですべてが解決したわけではありません。   母の症状の中に希死念慮があったからです。   母の向かいのベッドに寝ている若い女性は   自殺未遂によって骨折し、入院していました。   母は、ヒソヒソ声で私にこう言いました。   「彼女はね、飛び降りてケガしたんですって……」        

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  • 04 Mar
    • 運命共同体 ③ 主治医との面談で私が見たものとは?

        私は、母が出版した手記のことを思い出していました。   その本は 2006年、私と母が生き別れになる半年ほど前に出版されたものです。   カルトとは全く関係のない内容で埋め尽くされた冷静な手記で、   初めて目にする母の本音に衝撃を受けます。   マスコミからの取材依頼もあり、受けたものも、断ったものもありました。   母のインタビューは共同通信によって配信され、地方紙に写真付きで掲載されます。   私はそのことを考えながら   主治医に「心当たり」 を話し始めます。         「母にとって、2年前に亡くなった祖母は心の支えでした。   私たちが、祖母の代わりになることはできません。   祖母が亡くなってから、母はどんどん体調を崩していきましたので   そばで見ていて 『いつか倒れるんじゃないか』 と思っていました。   うつ病になるとは思っていませんでしたが   入院の知らせを聞いて『ついに倒れてしまった』 というのが直後に感じたことです。   カルトの規則で私と生き別れになったことも影響していると思います。   絶望的な気持ちを決定づけたのは、祖母の死です。   それは、間違いありません。   今日、2月17日は祖母の命日です。   私は、祖母の命日に母のそばにいたいと思って   1月の段階で有休を申請していました。   昨日母に電話して、母が入院することを知って   今日一緒にここに来ました。   母は、なるべくして うつ病になったと思います。   それくらい、祖母の死は母にとって辛い出来事でした」         私を説明を終えると、部屋は静まり返ります。   主治医が、今にも泣き出しそうな母の方を向いて言いました。   「お嬢さんは、お母さんのことをよく理解しておられますね」   母が主治医に話していた内容の「ダイジェスト版」を   私が説明することができたのだと、瞬時に察知します。   (私はお母さんのクローンだから   お母さんの考えてることは全部分かるのよ……)   心の中でそう思いました。         一方で私は、母が姉や私のことを 「家族」だと思っていないことも知っていました。   母にとって、亡くなった祖母は間違いなく 「家族」でしたが   娘たちは「家族」 として数に入っていないのです。   その事実を知っていても   私は母に全身全霊で愛情を注ぐ決意をしていました。   たとえ片想いではあっても、私のことを見てくれなくても   母は私にとって大切な人だったからです。          

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  • 01 Mar
    • 運命共同体 ② それは、脱会を決意する後押しだった!

        母は、聞き取れないほどの小さな声で私に言いました。   「明日、入院するの……」   「え? 明日? どこが悪いの?何科で入院するの?」   「精神科…」   「病名は?」   「うつ病…」   「分かった。明日の朝行くからね!」   私にとって、その知らせは晴天の霹靂でした。   この時、母の病名は「うつ病」 だと初めて知ったのです。   すぐに姉に電話をかけて、報告をします。   姉は、母が入院することを知りませんでした。   母は、娘たちに報告せずに1人で入院の準備を進めていたのです。         母と電話をした時は冷静さを装っていましたが   姉と電話した時には感情を抑えきれず、姉を詰問します。   「なんで真面目に信仰の道を生きてきたのに うつ病になるわけ?   お母さんはどうして幸せになれないの?   信者がうつ病になるとか、おかしいよね?」   私は、姉と話しながら泣き叫んでいました。   姉からは、私が納得できるような合理的な説明はありませんでした。         それは、『解毒』 224ページにある出来事の後に続く衝撃的な事態だったので   「母を幸せにできなかったカルト」 への想いは急速に冷めていくことになります。   直感的に、「私は母と同じ道を選んではいけない」 と感じます。   カルトの集会に行かなくなる1ヵ月ほど前の出来事でした。   カルトとの決別を後押しするほどのインパクトがありました。         翌朝、姉と私は実家に行き、母を連れて病院に向かいます。   この時はまだ、「入院すれば母の病気は治る」 と思っていましたので   自分の役割がそれほど重要なものだとは考えていませんでした。   午前中に入院のための検査を終えると   午後には主治医、母、姉、そして私の4人で面談が始まります。   主治医はこう切り出しました。   「お母さんは、『娘たちは私のことを理解していないと思う』 とおっしゃっていますが   お母さんがどうしてうつ病になったのか、心当たりはありますか?」   私は、即座に説明を始めました。   心当たりは山ほどあったからです。        

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  • 25 Feb
    • 運命共同体 ① それって、ガンの症状なのでは?

        森田療法は、私の中に人生哲学を授けるものとなり   私は精神の安定と健康な体を手に入れました。   過去を悔やんだり、将来を憂いたりするのではなく   「今、この瞬間」を味わうことを何よりも大切にするようになったのです。   『解毒』の5ページでは   森田療法をきっかけにして構築した人生哲学について詳述しています。   人生の大きなターニングポイントを迎え   新たな1歩を踏み出した私は   母を支える準備ができていました。         母が病に倒れたのは祖母が他界してから2年後、2011年のことでしたが   私は、祖母が他界してからの母の体調のことをずっと気にかけていました。   「親を亡くすっていうのは、子どもを亡くすよりも辛いことなのよ……」   母がそう言った時   私は「異常事態が起きている」と感じました。   母は子どもを亡くしたことがないのに   そのことを仮定し、親の死と同列に置いて表現していたからです。   母は、明らかにバランスを崩していました。         原因不明の胃の痛みや睡眠障害、食欲不振など   母はいくつもの症状に悩まされるようになります。   当時、母は海外に住んでいたのですが   日本に一時帰国をして病院の検査を受けていました。   私は、母がガンになったかもしれないと思い   不安な日々を過ごしていたのです。   そうしているうちに、祖母の命日である2月17日が近づいてきます。   私は、直感で「2月17日に有休を取ろう」と考え、休みを取りました。   命日の前日、私は母に電話をして   「明日、お母さんのために休みを取ったの」 と伝えます。   母の返事は、驚くべきものでした。          

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  • 21 Feb
    • 森田療法 ⑧ 月に行って帰ってきたのは誰のため?

        森田療法センターを退院してから   私は心も体も強くなりました。   アトピーが再発しないようにと   上出先生が主宰する「アトピーカフェ」に出向いて勉強したり   自分の体験を語ったりしました。   その時のことは『解毒』の222ページにも詳述しています。         「アトピーカフェ」の参加者の前で森田療法の話をすると   上出先生からは「月に行って帰ってきた人の話みたいだなぁ」と言われ   そのお言葉がとても印象に残ったのです。   今考えてみると、月に行って帰ってきたのは自分のためではあるのですが   同時に母を支えるためでもありました。           森田療法センター退院から2年後、今度は母が病に倒れます。   それは、私にとってはある程度予想の範囲内でしたが   病名に関しては予想外のことだったのです。   私は森田療法で手にした体力と精神力を最大限に活用し   母との間に「運命共同体」を作り上げていくことになります。   そのことは、続く「運命共同体」という記事の中でお話しします。      

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  • 18 Feb
    • 森田療法 ⑦ カルト脱出の突破口とは?

        森田療法センターへの入院による収穫は   アトピー性皮膚炎の寛解(ほぼ完治)だけではありませんでした。   この入院が、カルト脱出の突破口を作り   私はいよいよ自立への道を歩み始めることになるのです。   入院によってもたらされた突破口は2つありました。           1つ目は、共に生活した仲間たちと退院後に集うようになったことです。   カルトの信者以外で「友だち」と言えるような人間関係を作ることができたのは   この時が初めてでした。   カルトを除名処分になってから3年後のことです。   まだカルトへの復帰を目指して集会には行っていましたが   時々集会を休むようになります。   この流れが『解毒』 224 ページにある出来事へとつながっていくのです。   私は自分の意志で、新しい世界へ飛び立とうとしていました。         突破口の2つ目は、森田療法から学んだ人生哲学です。   生まれてから32歳までの32年間は   「宗教の中に生活がある」 という生活をしていました。   しかし、森田療法では「生活そのもの」を大事にする生き方を身に着けます。   アトピー性皮膚炎の再発や悪化を恐れた私は   ひたすらに「生活そのもの」を整えることに集中するようになります。   家が散らかっていたり、仕事が忙しかったりするのに   宗教活動に時間を割くようなことは   森田療法の精神に反するものです。   「生活そのもの」を大切にすることが、健康的に生きるために最重要なことであり   他のものはすべて「スパイス」や「薬味」でしかないのです。         一般の人にしてみれは、これらは当然の価値観かもしれませんが   私にとっては「生活の中に宗教がある」 という価値観は初めて見る世界でした。   宗教の占めるべき位置とは   「生活のすべて」ではなく「脇役」だったのです。   森田療法を退院した後に勤務した会社では   「悩みがない人に見える」 と言われるようになりました。   私には悩みがなかったわけではなく、単に悩むのをやめただけでした。   目の前にある仕事、家事、家族の世話、趣味の時間、休息を取ることなどを   感情に流されずに淡々とこなせるようになります。   私は、生まれ変わったのです。   そして、私は自分が手にした力を   ある目的のために使うことになるのです。      

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  • 15 Feb
    • 森田療法 ⑥ アトピーの敵は、意外なものだった?

        森田療法センターに入院する前に   皮膚科の主治医である上出良一先生から   「皮膚と神経はつながっているからね」というお話をいただいていました。   そのことを頭と体の両方で理解し、自己変革をするためのプロセスを経験したのです。   『解毒』の190ページにある「スマイル」を拝見する機会も増えることになります。   私は、体の芯から生まれ変わろうとしていました。         退院の日、担当の看護師さんと2人きりで話をします。   「退院してからも、この状態を頑張って維持してくださいね」   そう言葉をかけられ、私は看護師さんと約束を交わすつもりで「頑張ります!」と答えました。   この時点で、アトピーの症状は医師や看護師が驚くほど改善していました。   家でもこの状態を維持していこうと、強く決意したのを今でも覚えています。   そして、退院から8年経っても   ツヤのあるお肌を維持することができています。   美容部員さんやメイクさんから美容法についての質問を受けるようにもなりました。         私がこれほどまでに元気になれたのは   「悩む」とか「考え事をする」という作業に区切りをつけることができるようになったからです。   「悩む」とか「考え事をする」というのは一定の時間で区切りをつけていかないと   「こだわり」という事象がどんどん強くなります。   この「こだわり」は、当人の行動を制限し悩む時間だけが増えるので   人生の目的が「こだわりと向き合うこと」になってしまうのです。   心身共に消耗し、生活の予定もめちゃくちゃになっていきます。   この負のサイクルから抜け出すことができたのです。   そして、うれしいご褒美もありました。   入院時に生活を共にした仲間たちと、退院後に集うようになりました。   この集いで皆と語らいながら、森田療法の復習をすることになります。          

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  • 12 Feb
    • 森田療法 ⑤ 退院2日前に訪れた最大の試練とは?

        「心も体も短期間で大改造をする」という取り組みをしている中で   私にとって最大の試練が訪れます。   それは、退院2日前の出来事でした。   森田療法センターに入院する前年まで   私は上下関係の厳しい「儒教の文化的背景」を持った人たちとの交流が   人間関係の半分以上を占めていました。   これが、私にとってある種の苦手分野を作っていたことに気づいたのが   この入院のときだったのです。         私より10歳以上年下の男性が私に言った言葉、そして話し方が   私にとっての「常識外」であったため   すぐに当直の医師に面談をしていただきました。   焦点は、退院を1日早めて明日にするか   それとも予定通り明後日にするかということになります。   「先生、私は明日退院したいんです。もう耐えられません」   私は先生にそう言って相談しました。   任意入院ですので、退院日は自由に決められますし   「軽作業期」に入ってから1週間もしないうちに離脱していく患者さんもいます。   それでも、医師は退院を予定通り2日後にするよう私にアドバイスをしたのです。         「退院を明日にするのか、明後日にするのかは   坂根さんにとって小さいことに見えるかもしれません。   でも、これから社会生活に戻った時に   『あともう少しだけ粘る』 という取り組みができるかどうかは   今日の決断にかかっているんです。   この状況から逃げて明日退院をすると   社会生活でも『逃げること』を簡単に決めてしまうことにつながります」   先生のお話は、心から同意できるものでした。   炙り出された私の弱点を克服するチャンスが訪れたのです。           私はその男性のことを   「自分が年上である」というだけの理由で簡単にジャッジしていました。   私は、この試練に際し   予定通り2日後に退院するという決断を下します。   30代後半から40代にかけて   年下の人たちと働く機会がどんどん増えていきました。   今でも、あの時の試練がたくさんの収穫をもたらしてくれたことを実感する毎日です。   私にアドバイスをくださった医師に心から感謝しています。      

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  • 09 Feb
    • 森田療法 ④ 動物や植物の世話に取り組むと、どうして良くなるのか?

        「第Ⅱ期 軽作業期」を終えると   退院までの18日間、「第Ⅲ期 作業期」に取り組むことになります。   森田療法の基本バージョンが3~4ヵ月の入院であることを考えると   「第Ⅲ期 作業期」の18日間の治療で何が変わるのだろう、という不安はありました。   ところが、この18日間の治療を通して   私は今の生活でも日々「森田式」を取り入れるほど多くのことを体得することになるのです。         森田療法センターに入院する前年の2008年に   私は森田療法センターと同じ敷地内にある慈恵第3の一般病棟に入院していましたが   その時は病気とは言え、のんびりと好きなことをして過ごしていました。   午前中にシャワーをして全身に薬を塗布し、まったりと雑誌を読んでくつろぎます。   昼食後は、1階に行って「世界一コーヒー」というスタバ並みに美味しいコーヒーを買い   その後もまったりと過ごします。   そんな入院のイメージが「第Ⅲ期 作業期」に崩壊するのです。         朝は7時に着替えを済ませて集合し、皆でラジオ体操をします。   日に3度の食事は、自分たちで調理センターまでワゴンを取りに行き   学校の給食のように係になった人が盛り付けや配膳をするのです。   上げ膳据え膳という生活ではありません。   朝食が終わると、敷地内のいたるところにある植木や花壇に水やりをしたり   病棟内の掃除をしたりという作業を所定の時間内にテキパキ進めます。   その後、「動物係」と「植物係」に分かれて午前も午後も作業をするのですが   この作業は専門書を調べながらの本格的なもので   趣味程度に軽いノリでできるようなものではありません。   気力も体力も使います。         午後は卓球の時間があり、もちろん全員参加です。   夕食後はミーティングや日記をつける予定もあり、大忙しです。   合間の時間には、イベントの打ち合わせや準備も行います。   各自順番にお風呂に入ると、11時には消灯になります。   すべての予定を時間通り終えるためには   細かく逆算して段取りを決めていく必要があるのです。         微熱があるくらいでは、部屋で寝ていることは許可されません。   体調が悪くても悪いなりに、その日の予定を何とかこなしていくのが治療なのです。   動物の世話も植物の世話も   「今日はお休みだけど、明日はお世話します」というわけにはいきません。   完璧ではなくても、どうにか工夫をして   動物や植物の作業をするように各自が努力します。   強迫性障害の患者も、うつ病の患者も、アトピー性皮膚炎の患者も   いつしか自分の症状を気にしている余裕などなくなってきます。   「どうやって今日1日の予定をこなしていこうか」   「11時に就寝するためには、そろそろ日記を書かないと」   「卓球のための体力を残しておかないと」   そんなことを考えて創意工夫する日々が続きます。   患者たちは皆、「入院していること」を忘れる時間の方が長いのです。   とにかく忙しくて、予定についていくのが大変で、毎日必死で生きていました。      

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  • 06 Feb
    • 森田療法 ③ 不思議な共同生活が始まる

        不安や恐怖を「あるがまま」に受け入れるための「第Ⅰ期  臥褥期(がじょくき)」を終えると   今度は「第Ⅱ期  軽作業期」に入ります。   この治療では5日間、周囲を観察し、1人で軽作業を行います。   外界と触れ合う準備をすることが目標となります。   まだ本格的な作業、例えば植物の世話や動物の世話などはしませんが   仲間たちとの食事は一緒にしますし、1日の終わりのミーティングにも参加します。   32年間生きてきた中で、自分ですべてを決定し   初対面の人しかいないコミュニティの中で生活をしていくというのは初めての体験でした。           外国に移住した移民のような心境でドキドキしながら仲間たちと話し始めます。   「お互いの病名や病気のことは患者同士で話してはいけない」というルールになっているので   どんな事情で入院しているのかはお互いに知らないまま生活に集中することになります。   何の病気でどんな症状があるのかは、患者本人と医師、看護師しか知らないのです。   これは、病気の症状にとらわれずに生活上のやるべきことに目を向けるためのルールでした。   横になって過ごす「臥褥期(がじょくき)」を含めた1ヵ月で本当にアトピーが良くなるのかは   全く予想がつきませんでしたが   この生活に飛び込むしかないという決意をしていたのです。         思い返せば、『解毒』132ページにある母の宣言を聞いた時というのは   何かを決断するのは難しいことではありませんでした。   母という師匠が全面的に私を支え、指導してくれていたからです。   今回は、私が本当の意味で自立し、人生を切り開いていかなければならないのです。   20人近い仲間たちと、1つ屋根の下で一緒に暮らすことは   私にとって生まれて初めての大きな挑戦だったのです。   その挑戦は「第Ⅲ期 作業期」 に本格的に始まることになります。      

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  • 04 Feb
    • 森田療法 ② 7日間横になっていると何が起きるのか?

      意識不明の重体などでなければ   7日間ずっと横になっているという体験はしないことでしょう。   私にとっても、それは初めての体験でしたし   歩ける状態なのに、ひたすら横になるという経験は今後もしないと思います。   これは4段階ある治療の中の最初の治療で、「臥褥期 (がじょくき)」と呼ばれています。   「寝てればいいんでしょう?」と思われる方もいるかもしれませんが   これはかなりキツイ治療です。           1日3回の食事とトイレ以外は   ベッドの上で起き上がったり、部屋の中を歩いてはいけないのです。   お風呂も7日間入れません。   (私はアトピーの治療で薬の塗布をするため   特別な許可をいただき、シャワーだけは夜にしていました。   ただし、せっけんやシャンプーは使わずにお湯のシャワーで流すだけです)。   「臥褥期 (がじょくき)」には個室で過ごすため1人きりです。   1日1回の医師の回診で先生と言葉を交わす以外に誰かと話すことはありません。   私の場合は森田療法の医師の他に皮膚科の上出先生の回診が毎日ありましたので   上出先生が病室に来てくださる時は   「普段の生活」を思い出して安心するひと時となりました。   携帯電話やパソコンなどは入院時に病棟に持ち込めませんので   気晴らしをすることは全くできないのです。   うっかりベッドから体を起こしているところを見つかると   看護師さんに怒られてしまいます。   ひたすら自分の感情や意識と向き合う時間となるのです。   生まれて初めて「自分の本心から逃げられない」 と思いました。         潜在意識の中にあるものがスローモーションの映像のように繰り返し映し出されます。   「家族」と「ハワイ」の2つが脳裏に浮かびました。   7日間ずっとです。   「臥褥期 (がじょくき)」の間ずっと、その2つが脳内に流れ続けます。   (家族とハワイ……、これが私のテーマなのかしら……)   父、母、姉を愛し、守り続けるための決意は   この時を機に揺るぎないものとなりました。   カルトの価値観を脱却する大きな転換点ともなります。   森田療法センターに入院していなかったなら   『解毒』 という本の誕生もあり得ませんでした。   私は、家族の中で「大黒柱」になるという使命に気づき始めていました。   カルトという「アディクション(嗜癖)」を抱える両親の元に生まれた私は   1人で家族の歴史を変えるという挑戦をすることを選んだのです。   苦しい7日間でしたが、収穫はたくさんありました。      

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  • 01 Feb
    • 森田療法① 病棟ってどんな感じ?

        『解毒』 の189ページの場面についてですが   この時すでに「森田療法をした方がいい」 と医師から告げられていました。   売店に行き、入院森田療法についての本を買って読み始めましたが   体の衰弱が激しかったため、本の内容をよく理解できずにいたのです。   先生としても、「体力が回復するまで待とう」というお気持ちがあったようです。   危機的状況は脱しましたが   2009年2月、祖母の死をきっかけにアトピーが悪化します。   先生のご判断は「入院森田療法を」 というものでした。         2009年5月の皮膚科の診察中に   森田療法を受けるという方向に話が進みます。   通常は3~4ヶ月の入院がスタンダードですが   経済的な理由から1ヶ月の短期入院を希望しました。   差額ベッド代が1日5000円、1ヶ月で15万円にもなります。   離婚直後の私には「差額ベッド代だけで15万円」 は大きな金額だったのです。         私が通院していた慈恵医大第三病院には   一軒家のように独立している森田療法専門の入院病棟があります。   その日、私は午前の皮膚科の診察を終えると   午後に森田療法の医師の診察を受け   入院病棟を見学させていただきました。   森田療法センターのリンクはこちらです      入院森田療法については前向きに考えることができない理由がありました。   本で読んで知ったことですが   森田療法は「禅の教え」の影響を受けています。   七夕会などの祝祭日イベントもあります。   上出先生には言えませんでしたが   入院することで自分の信仰心が揺らいでしまうのが怖いと思っていたのです。   ところが、看護師さんに案内されて病棟に行くと   私の心境は大きく変化します。   その病棟は明るい雰囲気で、とても病棟には見えませんでした。   (こんなにきれいな場所なら、がんばって治療してみよう!)   ほんの一瞬で、その決断をすることができたのです。   「上出先生の方針には従う」 という元々の姿勢も   私の決断を後押しすることになります。   すぐに入院の申し込みをして、翌月には入院しました。   今から8年前のことでした。  

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  • 29 Jan
    • 新しいカテゴリーに移ります

        『解毒』 (角川書店)には登場しないエピソードを集めた当ブログですが   2月から新しいテーマ「心の病とカルト」 に移ります。   『解毒』では私の39年間の半生を綴っていますが   この本のテーマが「女性の幸せとは何か?」というものだったため   心の病については少ししか書いていません。   そこで、このブログの「心の病とカルト」 では  私が心身症のアトピーを乗り越えるきっかけになった「森田療法」のこと  そして、母のうつ病について書いていきます。   自分の病と闘い、母の病とも向き合ってきた年月を振り返ってみて思うのは  人は誰もが、幸せになるために生まれてきたということです。  自分や家族が重い病を抱えている時は  とてもそんな風に思えないかもしれません。   でも、今になって考えると   「病」は人間に方向転換を促す役割を果たしているのだと思うようになりました。   「病」がもたらすものは、絶望や苦しみだけではないのです。   「あの方向に進めば、幸せが待っているよ」 ということを教えてくれているのです。   私たち母娘が、病から希望を見つけたいきさつについて   次のカテゴリーでご紹介できればと思います。   お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。    

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プロフィール

坂根真実

性別:
女性
自己紹介:
坂根真実 (さかね まみ) 1977年、東京生まれ。 メーカー勤務、業界紙記者を経て、作家デ...

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