北海道で働く女社長の夫の蝦夷日記

国際政治から映画・音楽・地元の温泉やラーメン紹介まで。難しい話は分かりやすく、がモットーです。

さて昭和19年7月には、戦艦「日向」と重巡「利根」をすずさんは見ていますね。

何とスケッチまでしています。

 

「この世界の片隅に」 第2巻P.6

 

戦艦「日向」に関しては

 

眠る帝国海軍の戦艦たち⑤ 「伊勢」&「日向」(2015/03/14)

 

を参照ください。この時の日向は、既に航空戦艦へと大改装された後ですね。

 

そして重巡洋艦「利根」です。

利根は「利根型」重巡洋艦1番艦として1938(昭和13)年に竣工(2番艦は筑摩)。一般に旧日本海軍の重巡洋艦は山の名、軽巡洋艦は川の名が命名される慣例があるのですが、利根型が川の名になったのは元々の計画段階では軽巡洋艦だった事によります。

 

1942年頃の撮影 Wikipedia より

 

利根の特徴はまず主砲が前方に集中配置され、第3・4番砲塔は通常、後ろ向きになっています。また後方は水上機を6機搭載出来るようになっており、偵察力を強化した航空巡洋艦となっています。

対米開戦となる真珠湾攻撃では、最初にこの利根と姉妹艦・筑摩から索敵機がハワイ上空に潜入して偵察任務を行ったうえで、主力空母艦載機の攻撃が開始されました。以降、主要海戦で利根は筑摩と共に日本海軍の眼として活躍してきましたが、1944年のレイテ沖海戦以降は燃料不足などもあって日本本土に停泊、呉空襲にて大破着底し終戦を迎えます。

 

(上)1945年7月24日の空襲 (下)大破着底した終戦時の姿 (共にWikipedia より)

 

1948年に解体完了。他の解体艦船同様、その鋼材は戦後の貴重な復興資源となりました。そして利根の解体完了をもって呉地区の沈没艦の解体が終了しています。

 

「この世界の片隅に」で、直接すずさんが艦艇を見た描写はここまでなのですが、呉ではもっと多くの艦艇が終戦を迎えています。次回はそういった軍艦なども少し紹介できればと思います。

 

 

【関連記事】

すずさんの見た帝国海軍の艦艇たち ③~駆逐艦「雪風(2017/03/03)

すずさんの見た帝国海軍の艦艇たち ②~「高雄型」重巡洋艦(2017/02/27)

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「高雄型」重巡洋艦と共にすずさんたちが見たのは駆逐艦「雪風」でした。

そして直後に巨大戦艦「大和」が視界に入ってきます。

 

 「この世界の片隅に」 第1巻P.109より

 

 

 第1巻P.111より

 

 

予告編を見る限り、映画では義理の姪・晴美が「大和が二つおる。いっこは武蔵じゃ」と言っているようですが、原作では武蔵がハッキリと登場するシーンはありません。

大和型戦艦はその存在が軍事機密として秘匿された為、一般国民には知らされませんでした。しかし軍港が丸見えで、少なくとも就役後はその姿が視野に入る呉市民は、艦名もそれとなく知っていたようですね。

ただし大和の諸元・装備は徹底的に秘匿され、1944年10月のレイテ沖海戦時においても指揮を執った栗田健男提督は「主砲口径が(世界最大の)46cmである事を知らなかった」と戦後の米軍調査団に陳述しているという、信じられない話があります。

戦艦大和に関しては既に幾つか記事にしてあるので、

 

戦艦大和  2016最新映像(2016/08/24)
2016.4.7 二つの追悼式(2016/04/13)

眠る帝国海軍の戦艦たち② 「大和(2015/03/10)

 

を参照ください。

 

さて今回紹介する雪風は1945年4月、沖縄救援に向かう大和最期の出撃に随伴し、坊ノ岬沖海戦を戦って生還した駆逐艦です。また戦史好きの方には説明する必要もないでしょうが、対米開戦時から主要な海戦に数多く参加しながらも、大きな損傷を受ける事なく終戦を迎えた武勲艦・幸運艦でもありました。

 

1939(昭和14)年12月の撮影 (Wikipediaより)

 

坊ノ岬沖海戦で大和(後方)を護衛する雪風  奥の航跡は冬月のもの (Wikipediaより)

 

「陽炎型」駆逐艦(全19隻)の第8番艦として、1940(昭和15)年1月に雪風は竣工しています。という事は上の写真は正式に完成する直前のものになりますね。書類上では8番艦ですが、竣工そのものは同型艦の中で3番目でした。

雪風は働き者でした。大戦中は僚艦が次々に沈んでしまった関係で任務が二重三重に増え、大きな海戦の合間でも常に何かしら動き回っているような状態で、しまいには司令部も雪風の所在を把握しきれなくなったそうです。ある新兵が乗務を命じられた際、雪風を探して横須賀、シンガポール、台湾、呉と渡り歩くはめになり、とうとう呉でデング熱に倒れて療養・・・してたら雪風が寄港したので着任できた、という嘘か本当か分からないような逸話まであるそうですよ。

 

終戦後は中国国民党に引き渡され、「丹陽」と名付けられました。この時、きちんと手入れの行き届いていた雪風を見て、「これが敗戦国の軍艦か?」と国民党側は大変驚いたそうです。

1965年に退役するまで台湾の地で働き続け、その後1970年に解体処分。舵輪と錨は日本に返還され、現在広島・江田島で見る事が出来ます。

 

「宇宙戦艦ヤマト 2199」より

 

戦後の海上自衛隊でも、雪風の名称(表記はひらがな)は護衛艦に継承されました(既に退役済み)。

またアニメ「宇宙戦艦ヤマト 2199」にも、主人公・古代進の兄が乗艦する宇宙駆逐艦として名前が登場しています。因みにアニメでは「ゆきかぜ」が戦没し「ヤマト」は生還するので、史実と逆の結果になっていますね。

この作品には他にも、坊ノ岬沖海戦に出撃した艦名が多く採用されているようです。

 

天一号作戦とか菊水一号作戦の名で語られる事も多い沖縄特攻。

坊ノ岬沖海戦を戦った水上部隊は、巨大戦艦大和の他に軽巡洋艦1、駆逐艦8。護衛戦闘機もありません。そのうち何とか本土に帰還出来たのは、雪風を含め駆逐艦4。

とかく大和ばかりが注目されがちですが、親方そのものよりも、親方を守ろうと奮戦し続けた艦艇たちの方に梅之助は情が行きます。

 

 

【関連記事】

すずさんの見た帝国海軍の艦艇たち ④~重巡洋艦「利根」(2017/03/08)

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前回は作品「この世界の片隅に」そのものを象徴する重巡洋艦「青葉」を紹介しました。

今回以降は、原作にてすずさんの視界に入ったものを時系列順に取り上げてみようと思います。

昭和19年4月、すずさんが呉にお嫁に来て2~3ヶ月後の事です。

 

 

 「この世界の片隅に」 第1巻P.108より

 

 第1巻P.109より

 

すずさんが見たのは「高雄型」重巡洋艦のようですね。

高雄型は1番艦から順に「高雄」「愛宕」「鳥海」「摩耶」と4艦ほどが建造(全て1932(昭和7)年竣工)されていますが、ここでは固有名詞が出ている愛宕と摩耶を中心に紹介してみましょう。

 

 2番艦「愛宕」 1939年11月横須賀にて (Wikipediaより)

 

 4番艦「摩耶」 1944年5月フィリピンにて (Wikipediaより)

 

愛宕は「高雄型」の2番艦であるにもかかわらず、1番艦の高雄よりも少し早く完成しています。その為に、この重巡型式を「愛宕型」と呼ぶ事があるのだそうです。

高雄型の特徴は、艦隊旗艦としての役割も果たせるよう艦橋を大きくしている所にあります。

対米戦期間中はこの高雄型重巡4姉妹を中心に第二艦隊・第四戦隊が編成され、東南アジア、太平洋海域での主要作戦が展開されました。中でも愛宕は第二艦隊旗艦を数多く務め、第3次ソロモン海戦第2夜戦では戦艦「霧島」、僚艦「高雄」と共に米戦艦サウスダコタを攻撃し、大きな被害を与えています。

一方の摩耶は第二艦隊・第四戦隊から外れた際には、アッツ島・キスカ島を巡るアリューシャンの戦いにも参加しています。

1944年10月のレイテ沖海戦時、高雄型4姉妹は揃って第二艦隊・第四戦隊を編成しており、愛宕はレイテ湾突入部隊(栗田艦隊)の旗艦という大役を担います。

 

レイテ沖海戦に向けてブルネイを出港する栗田艦隊。右より戦艦長門、武蔵、大和、摩耶、鳥海、高雄、愛宕、羽黒、妙高 (Wikipediaより)

 

しかし海戦の劈頭、パラワン水道にて愛宕、摩耶、高雄に米潜水艦の魚雷が命中し、愛宕と摩耶は相次いで沈没(大破した高雄は作戦継続不能となり、ブルネイに帰還)、4姉妹で唯一健在の鳥海も、サマール沖海戦で海底に沈む事になりました。

愛宕のこの時の戦死者は約360名、生存者は大和に移乗しています。また摩耶は沈没時の戦死者が約340名、生存者は武蔵に移乗するも翌日その武蔵も沈没するという事態に遭遇しています。鳥海に至っては生存者を救援した駆逐艦「藤波」も間もなく沈没している為、生存者なしという悲惨な結果となってしまいました。

結局4姉妹のうち終戦を迎えたのは高雄だけですが、戦後は英国に接収され、1946年にマラッカ海峡で爆沈処分されています。

 

巡洋艦というと、戦艦に比べ少しマイナーなイメージがありますが、高雄型だと定員が1000名近くにもなるので、すずさんが「大きいですねぇ」と発言したのも頷けます。

 

以下、沈没地点データは「Googleマップで見る軍事的スポット」参照。

 

愛宕 沈没地点

 

摩耶 沈没地点

 

鳥海 沈没地点

 

高雄 沈没地点

 

 

【関連記事】

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話題の映画「この世界の片隅に」。

梅之助、観ようと思っていたのですがまだ観ていません。原作漫画コミックは読んでいるので、最近はレンタル開始まで待ってもいいかなぁ~なんて思ったりもしています。
戦中の軍港・呉を舞台にしているので、その方面に関心がある人にとっても、興味深い作品ですよね。
 
これまで当ブログでは
 
眠る帝国海軍の戦艦たち① 「武蔵」(2015/03/07)からのシリーズで戦艦を、
眠る帝国海軍の空母たち① 「珊瑚海海戦」(2015/03/25)からのシリーズで航空母艦を、
眠る帝国海軍の艦艇たち① 若松港の駆逐艦たち(2015/06/03)からのシリーズでその他の艦艇を、
 
簡単に紹介してきました(対米戦争期間のものに限る)。
戦艦や空母は数が限られているのでほぼ全てを網羅したものの、その他の艦艇に関しては数が多すぎる為、沈没後の海底写真が確認出来るものを中心に記事にしています。
 
今回は少し趣向を変えて、「この世界の片隅に」の主人公「すず」さんが観たであろう艦艇を、作品中からピックアップして紹介していきたいと思います。
 
「この世界の片隅に」第3巻 P.125より
 
第一弾は重巡洋艦「青葉」。
巡洋艦の分類などについてはこちら(→眠る帝国海軍の艦艇たち⑦ ビキニ環礁に沈む軽巡洋艦「酒匂」(2016/02/29))を参照してください。
「この世界の片隅に」と「青葉」の関わりは、ここでは触れません。しかし、ポスターにも描かれているように、象徴的な意味で物語にとって重要だったりします。
 
 
「青葉」は「青葉型重巡洋艦」の1番艦として、1927(昭和2)年に竣工(2番艦は「衣笠」)。日中戦争では上海上陸作戦の支援などを行っています。
また元総理大臣の中曽根康弘氏は、対米開戦直前に海軍主計士官として「青葉」に乗艦し、猛訓練を受けたのだそうです。
以下の画像はいずれもWikipediaから。
 
 公試中の「青葉」(1927年)
 
対米開戦と同時にグアム島攻略戦に従事し、続くウェーク島第二次攻略戦には増援部隊として、翌年の1942(昭和17)年5月にはポートモレスビー作戦の一環として珊瑚海海戦に参加しています。
同年8月から始まるガダルカナル島の戦いでも、第一次ソロモン海戦、サヴォ島沖海戦に参加しており、特にサヴォ島沖海戦では戦闘不能に陥るほどの損傷を受けています。これは事前情報に反して現れた敵艦影を僚艦と誤認し、「ワレ、アオバ」と送信してしまった事による悲劇でした。
その後の「青葉」は、本土やトラック島で度重なる修理を受けつつ戦闘を継続するも、最終的には速力が落ちてしまい、主に輸送業務を行うことになります。1944年のレイテ沖海戦にも兵員輸送などに従事しますが、敵潜水艦の魚雷に被弾して内地の呉に帰投。そのまま防空砲台として本土空襲に応戦、そして終戦を迎えます。
 
 
上2枚の画像は終戦時の「青葉」。この頃のカラー映像が残っているので、下に紹介しておきます。映像を見るとよく分かりますが、砲身が山側に向かっていますね。そちら方面から来襲した米軍機を砲撃しながら擱座した姿は壮烈ですらあります。
1946年より解体。
 
「この世界の片隅に」第2巻 P.120より
 
 
冒頭の「青葉」のポスターにも描かれているように、「この世界の片隅に」には白サギが幾度も現れています。作中のすずさんの幼馴染が乗艦した「青葉」は、上記「ワレ、アオバ」の件もあり、正直、武勲艦とは言い切れない艦ですが、それでも幾度も死線を超えて生還した事から「ソロモンの狼」といつしか呼ばれるようになりました。
そんな「青葉」と白サギの関係が何を意味するのかを考えながら、この作品に接してみるのもいいですね。
 
 
【関連記事】
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このニュースを知ったのは約1ヶ月前の事。
7月23日から広島県呉市の「大和ミュージアム」で、海底に眠る「戦艦大和」の最新映像が8月いっぱいの予定で公開されています。公開されている映像は、呉市が5月10~27日にかけて無人潜水探査機で撮影したもの。
かつて大和は1985年と1999年に海底調査され、それぞれNHKとテレビ朝日が報道番組を制作しています。詳しくは記事末尾のリンク
眠る帝国海軍の戦艦たち②「大和」』を参照して下さい。


艦首の「菊の御紋」。1999年の調査時には残っていた金箔がほとんど剥げて、下の木肌が露わになっているのが確認出来ます。今回の調査で「菊の御紋」の大きさが、従来の定説よりも小さい事が判明したそうです。


艦尾のスクリュー。



こちらは大和型戦艦に採用された球状船首「バルバス・バウ」。ちなみに日本海軍でバルバス・バウを最初に取り入れたのは、大和よりも一足就役の早かった翔鶴型航空母艦になります。

今回の最新調査では艦央・艦尾部の火薬庫による爆発も、これまで考えられていたより大きな被害状況であった事が判明したそうです。




1944年10月24日レイテ沖海戦のシブヤン海海戦で一番砲塔に直撃弾を受ける大和 (Wikipediaより)

レイテ沖海戦のサマール島沖で戦闘する大和(10月25日)。後方は利根型重巡洋艦 (Wikipediaより)



1945年3月19日の呉空襲で米軍機からの攻撃回避行動中を取る大和 (Wikipedia より)

さて梅之助はこれまで旧日本海軍艦船の海底画像を、ネットや書籍で探しては記事にしてきました。南極観測船宗谷や戦艦三笠など特殊な例を除くと、地上・海上に現存するものが殆どないからです。
しかし海に眠る艦船たちも別に保存されている訳ではない為、時間の経過と共に朽ち果てていくのが今回の大和の映像を見て実感しました。当たり前の事ですがね。
一部に「戦艦大和・引き上げ計画」があるようですが、費用の問題、遺族・関係者の感情問題など難しいハードルも多く、梅之助もどうあるべきなのかはよく分かりません。
主砲くらいは探して引き上げた方がいいと思う一方、その存在自体が軍事上の最高機密だった訳ですから、引き上げてみて「こうだった」と色々な事実が判明してしまうよりも、「世界最大の戦艦」としての謎と伝説を残したまま、ずっと静かに眠る方がいいような気もします。



【関連記事】
2016.4.7 二つの追悼式(2016/04/13)
眠る帝国海軍の戦艦たち② 「大和」(2015/03/10)

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