北海道で働く女社長の夫の蝦夷日記

国際政治から映画・音楽・地元の温泉やラーメン紹介まで。難しい話は分かりやすく、がモットーです。

昨年の「新潮45」9月号にジャーナリストの大高未貴氏が、「慰安婦問題の原点・吉田清治」の長男にインタビューした記事が掲載されていました。

これ、いち月刊誌の記事として埋もれてしまうには非常に惜しい貴重な内容なので、きちんとしたブログ記事にまとめて、残しておきたいと思います。

以下、太文字は「新潮45」当該記事(大高氏の文章)、そのうち赤字はご子息の発言部分。

 

 

慰安婦問題最大の焦点は「日本軍が慰安婦を強制連行」したかどうかである。

だが日韓両政府が血眼になって記録を調べても、それを証明する公文書資料は見つかっていない。だから山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治氏の「軍の命令で朝鮮人女性を強制連行し慰安婦にした」という証言が重要だったわけだ。だがそれが虚偽であることは、朝日新聞の撤回を待たずともはっきりしていた。当の清治氏自身が、週刊新潮の取材にこう答えているのだ。

「まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もあるんですよ。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやってることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしょうがない」(平成八年五月二・九日号)

 

このように確信的に歴史を偽造した吉田清治(1913~2000)という人物を知る為に、大高氏は長男であるご子息を訪ねます。彼は1949年生まれで、職業は翻訳の仕事に従事。

誠実そうな印象の彼は大高氏にこう語り始めたそうです。

 

「父が犯した慰安婦強制連行の捏造について、吉田家の長男として、日本の皆様にたいへん申し訳なく思っております。できることなら、世界中の慰安婦像をクレーン車で撤去したい。父の過ちを糺したい、少しでも罪滅ぼしをしたい、そういう気持ちから、私の知りうることをすべてお話しします。私自身、なぜ父があんなことをしたのか知りたいのです」

 

「慰安婦狩り」をしたという山口県労務報国会下関支部について、長男はほとんど何も聞いていない。ただし、これだけは訴えたいとこう述べる。

「労務報国会の下関支部は朝鮮人男子の労務(梅之助・注:当時、日本人は殆ど軍に駆り出され、まともな労務者は残された朝鮮人らが多数だった)というか、下関市内の大工、左官、土木工事の方々を雇って日当で払う仕事の現場監督みたいなものですから、従軍慰安婦とは何の関係もない。そのことは長男としてはっきり言っておきたい」

 

ご子息の記憶では、父親は戦後仕事らしい仕事には就いた事がないそうで、そんな中、ラジオやテレビ、雑誌などによく文章を応募しており、高額入選する事もあったそうです。

特に1963年週刊朝日が「私の八月十五日」の手記を募集した際、吉田清治の文章が佳作に入選。内容は、終戦を受けて朝鮮人労務者たちが吉田清治の自宅に詰め寄り、彼が軍刀を振り回して追っ払ったというものでした。悲惨な戦争被害者という観点からの作品が入選を占める中、唯一の戦時加害者としての視点を持った作品だったそうです。

 

長男はこの投稿について少しだけ父から話を聞いていた。

「労務報国会で雇っていた朝鮮人の大半は共産党員だったそうです。終戦の八月十五日か翌日、家に集まってきた彼らに軍刀を振り回したというのは嘘だと言っていました。当時、軍人でもない父に、軍刀は支給されていなかったのです」

それなら話自体の信憑性も疑われるが、この内容を事実としてすぐに著作に取り込んだ人物がいた。朝鮮大学校で教鞭を執る歴史研究家の朴慶植氏である。強制連行文献のバイブルとされる彼の『朝鮮人強制連行の記録』に引用されるのだ。

 

実はこのご子息、高校を卒業後に何とソ連に留学したそうです(のちに彼の弟も)。

ただし強い思想理由があった訳ではなく、ソ連留学が旅費も生活費も無料(米国フルブライト留学の場合、旅費は自己負担らしい)だった為、試験を受けてみたところ受かったから、というもの。貧しい家計を考えて自らの意思だったそうです。

この留学は途中で事情があって兄弟は中途帰国する事になるのですが、しばらくしてロシア語が堪能だという事で、公安警察から兄弟そろってリクルートされる事になりました。彼は日ソ合弁の船会社に就職し、「国の為に」という思いで、通常業務の傍ら関係者の監視・情報収集をしていたそうです。

大高氏も驚いた話だったようで、兄弟を勧誘した神奈川県警の元刑事にも会い、ウラをしっかり取っています。事実でした。

その頃、吉田清治はデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』を出版(1977年)しています。

 

「もともとは自分の自叙伝を書くつもりくらいだったんじゃないでしょうか」

と語るのは長男である。

「私が本を出した(梅之助・注:彼ら兄弟がソ連から帰国した際、留学時代の軽いエッセイのような本を出版している)のを見て、それも口述で本を出せたわけですから、私より文章のうまい父は、出版社何社かを訪ねていけば簡単に出してもらえるって思っていたんじゃないでしょうか」

ただ、と長男は続ける。

「経験していないことは書けるはずがない。一冊、空想で書くことは不可能でしょう。だから誰か手助けした人がいる。でも私はその頃、過労死寸前くらいに働いてましたから、ずっと家にいた父とはほとんどかかわっていないんです」

 

吉田清治はデビュー作を出版後、次第に各出版社やメディアに自分を売り込む活動を行い始めます。

彼は後年、日本の国に大きな災難をもたらす訳ですが、その子供たちは必死に、そして文字通り日本の為に働いてくれたのですね。

 

 

続いて1983年、吉田清治は済州島で慰安婦狩りを行ったという、問題の第2作目「私の戦争犯罪」を出版します。

大高氏は同書の編集を担当した三角忠氏にも取材をしており、何と彼は今でも吉田清治の証言を事実として支持しているそうです。

 

済州島については「私の方からヒントを出した」という。

「私がもともと済州島に非常に興味があったんですね。金石範の『火山島』を読んでいましたから。済州島蜂起の話をしたら、”あっ、そう言えば” という感じでしたね」

済州島での慰安婦狩りはこうしたきっかけで書き始められたのだ。

 

その頃、ご子息は公安の活動は辞め、翻訳会社に転職していました。給料が良かったからだそうです。

 

その長男が衝撃的な証言をする。

「父は済州島には行っていません。それは父から聞いています。それで父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙へ原稿を書いていました」

ではなぜあれほど克明に書けたのか。

「材料はなかったはずです。ですからそれは、出版社や周りにいた人たちに発言をしていただきたいんです」

 

2作目の出版以降、吉田清治は精力的に活動していきます。

1983年12月、彼は韓国忠清南道天安市を訪問し、彼本人の名前と謝罪文が刻まれた謝罪碑の前で土下座しました。その碑は私費で建てたとされています。この件は日韓両国のテレビ、新聞メディアなどで大々的に報じられました。

 

だがこれについても、長男は、

「石碑を建てたり、韓国に行ったりするお金は、うちにはありませんでした。あれはいろいろな人からの支援だと思います」

と言う。そしてこんな話を打ち明けるのだ。

「韓国から戻ってきた後、父のパスポートを見てびっくりした記憶があります。日本からの出国と帰国のスタンプはあるのですが、韓国への入国、出国のスタンプが押されていない。なぜかと聞いたら、韓国の空港につくやいなや韓国政府の人がやってきて特別室に案内され、そのままソウルの街に出たんだそうです」

 

一方、その時の謝罪の旅のTV画面を複雑な思いで見つめた人物がいました。

それは息子兄弟を公安に誘った神奈川県警の元刑事その人。彼は兄弟をリクルートした関係で、吉田家と家族ぐるみの付き合いをしていました。

彼は以前、ある出来事から吉田清治を詰問する事態になった事があり、その時に吉田は「韓国のある組織から借金をしている」とゲロしたのだそうです。吉田はそれ以上は言いませんでしたが、刑事は当時その組織をKCIAだと推測したそうです。

 

「正直なところ、可哀そうだなと思いました。本当のおやじさんの顔じゃなかった。痩せちゃっているし、怯えている姿そのものでしたよ。自業自得だな、しょうがないなとは思いましたが、最後には可哀そうになってきた。このあとKCIAに殺されなきゃいいな、とも思いました」

 

吉田清治の「慰安婦狩り」生き証人としての活動は更に加速していきます。

しかし1992年頃から彼の著作や言動に大きな疑義を投げかける人々が現れました。この頃、歴史家の秦郁彦氏は済州島現地調査で、「私の戦争犯罪」を裏付ける証言が何一つ出てこなかった事を公表しています。メディアも次第に吉田清治の証言とは距離を取り始めました。

しかし慰安婦問題自体は実名で名乗りを上げる韓国人女性たちの出現、河野談話、村山談話、アジア女性基金と、もはや後戻りできない所まで来てしまっていたのです。

 

朝日新聞もすでに平成九年三月三一日の特集記事で、吉田証言の「真偽は確認できない」としている。

担当編集者の三角忠氏が語る。

「吉田さんが一番こたえたのは、慰安婦問題に取り組んできた中央大学の吉見義明さんや関東学院大学の林博史さんなどが学術的な資料としてはちょっと使えないと言い出したことなんですよね。お二方には、そういう言い方をするとこの本の歴史的証言を貶めることになるんじゃないですかと言ったんですがね。唯一、西野瑠美子さんだけがいまもこの本を事実だと言ってくれている」

 

今も信用している人がいるのはちょっと驚きです。

 

だが、長男はまったく正反対の思いでいる。

「父は結果として大変誤った歴史を作り出してしまった。これは私が生きているうち直さなきゃいけないと思っています。軍が民間団体に軍の命令書を発行するわけがありません。労務報国会という半官半民の組織や民間組織が軍命で朝鮮人女性をトラックに載せて集めるなんてことができるわけがない。これは歴史的事実として、長男の立場から真実を定着させていかなければならない。父が暴走し始めた時に私がストッパー役になっていればと、悔やんでも悔やみきれません」

そして朝日新聞についてはこう語る。

「二年前、慰安婦報道について訂正記事を出す二、三日前に、私を訪ねてきました。取材というよりは最初から筋書き通りの形式的な質問をして三〇分ほどで引き揚げていきました。平成九年の段階でなぜ父に直接取材をしに来なかったのか。その時に真相を究明していれば少しでも慰安婦報道の歪みが正されていたのではと思います」

 

ソウル日本大使館前の慰安婦像 (Wikipediaより)

 

慰安婦問題の日韓合意を事実上破棄した、昨年末の韓国・釜山慰安婦像設立問題。

一番ショックを受けているのはこのご子息ではないでしょうか?

彼の苦悩は続きそうです。

 

 

【関連記事】

遂に吉田清治の御子息、行動す(2017/05/12)

STAP捏造と慰安婦問題捏造の「罪と罰」(2014/08/06)

韓国は軍人政権時代の方がマシ!?(2014/06/18)

AD
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(2)

梅之助さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

    PR

    ブログをはじめる

    たくさんの芸能人・有名人が
    書いているAmebaブログを
    無料で簡単にはじめることができます。

    公式トップブロガーへ応募

    多くの方にご紹介したいブログを
    執筆する方を「公式トップブロガー」
    として認定しております。

    芸能人・有名人ブログを開設

    Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
    ご希望される著名人の方/事務所様を
    随時募集しております。