責任を問われないトップと隠蔽体質は、表裏一体の日本病 | ロバ耳ブログ 

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考えなくても分かる話だな。
何か問題が起きれば、どこかに責任が問われる。

それがトップの責任であっても、現場の人員を斬って事なきを得る。トカゲの尻尾切りだな。
こんな事がまかり通れば、現場は何があっても隠すしかない。

現場の隠蔽体質をやり玉に上げるマスコミは、決して東電のトップの責任を大々的に追及はしない。
しぶしぶトピックとして取り上げる程度なのだ。

だいたい世の中が、すべておかしくなってる。最大の癌は株主。
こいつらは基本的には、株価の下落による損益などで、組織に与えた影響力に対する責任は取っているかに見える。しかし実際に持っている影響力に対して、その責任が軽すぎる。軽すぎて話にならない。

もともと軽い責任しかない株主に、このグローバル化による規制緩和が、力を与え過ぎている。
社長はすでに最高経営者ではなく、最高経営“責任”者である。
CEOなんて呼ぶようになったね。


この経営者の“責任”は、あくまで株主に対しての配当金における責任でしかなく、社員やその生活、その人生を背負う責任感を持った社長の責任感とは、まったく真逆の性質を持つものである。

このような社会のシステムが、全体に及んでいる結果、誰も責任感がないし責任を取る意味がない。
権力の構造が、ミクロマクロを通して、株主が裏で院政をしくような形態を取っているのである。

この構造を理解しなければ、どこに問題の本質があり、何をどう判断するのかを見誤る。
単純に個人を批判し、いつまでも同じ事を繰り返すだろう。


いじめ自殺もどうだ。もう何年前から繰り返されていることか。

体罰の問題も同じ。何度でも繰り返されている。

その都度、誰が責任者も分からないまま、何となく時間が経ち、人々は忘れてしまい、当事者が泣き寝入りして振り出しに戻る。

学習能力がない国民性なのかと言えば、決してそうではない。何が責任以上の影響力を行使しているのか、その構造を理解していない事に問題がある。
しかしそこが院政の院政たる所以。
隠れているのだ。

マスコミや教育を握り、自分たちは徹底的に隠れる。

イメージとしては、マンホールを開ければ、そこにはゲジゲジやらGやらがウジャウジャいるような‥、ま、誰も見たくはないわ…。

しかしその地下から、カビやら病原菌がもたらされてんだから、開けて皆で掃除しないと…。

ただ、このマンホール。簡単に開かないんだこれ。