今年は忌中につき年始のご挨拶は欠礼させていただきますが、変わらずよろしくお願いいたします。


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昨日のエントリーで『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン 』のことを書いたので、せっかちなのと、偶然今年は時間の余裕があったので、元旦から1人でシネコンに観に行きました。

1人で映画に出かけるのは10数年ぶりのような気がします(かつてはよく名画座やレイトショーに出向いていました)。


小さなシアターでしたが、エンドロールに入ってもほとんど席を立つ方がいなくて、またあれほど静かな閉幕後の劇場を経験したのはおそらく初めてです。どなたも言葉を発せず、静かに出口に向かいました。


この映画については、すでに優れた評をされている方々が多数いらっしゃいます。

それにまだご覧になっていない方もいらっしゃるので、ここでは概略と、現代と照らし合わせてのわたしの感想に留めて書いてみます。


激しい集会は経験したことがないものですが、後になってのキャンドルを持っての静かな抗議、”No War”や貧困撲滅のプラカードが上がる集会、デモの様子などはわたしが身近に体験したきたことと重ねざるを得ません。


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まず、この映画では、為政者による言論監視の恐ろしさを身にしみて思わされます。


また、「反戦のロックスター」を監視し脅威や嫌がらせを与えるだけでなく、現実の行動に制約を与えるために、微罪で徹底的に叩きのめそうとします(過去の薬物所持 ~本人は否定し(やらせ捜査)、実際他の人はそれで締め付けられなかったところの~ を根拠に、アメリカからの国外退去命令を下しました)。


また、ジョンとヨーコのやむにやまれぬ思いと行動が、ある面では反体制派の「道具」にもされたこと、一方でニクソン政権は、ジョンを支持するのと同じ「市民」を敵に回らせて、その行動を「ナイーブ(英語圏での「ナイーブ」とは、「繊細」ではなく「愚鈍」というニュアンスです)で、非現実的で、ドラッグでどうにかなっている男(ジョンは"Not Insane"というバッジをジャケットにつけていました)のしでかしている、愛国心に反する行為」と見立て、彼らを敵視させる動きがあったこと、そんな中で、二人がずっと英雄的な勇気に満ち満ちていたわけでは当然なく、深い恐怖を味わってもいたことなどがとても強い印象として残ります。


以下、NYタイムズの映画評から引用します:

いつの時代に観てもわれわれをハッとさせる映画だが、今の時代は特にそうである。
これはひとりの男が嫌がらせを受けるというだけの物語ではない。
民主主義が損なわれる物語だ。

ニューヨーク・タイムズ


このドキュメンタリーフィルムで見られることは、現在のアメリカでも(あるいは日本でも)まさになされていることではないかと感じています。


反戦運動のメッセージが効果を見せ始めそうなことに懸念した政府は、FBIを使いジョン・レノンを監視します。

最初のほうで、ジョン・レノンをneutralize(※)しなくてはならないとニクソン(政権)は考えていたことが語られ、その傍証が機密資料とともに示されます。


反戦運動をできるだけ矮小化したり、愚行としてアピールしようとしても、合衆国憲法改正により参政権が18歳からになり、新たな有権者層には、ジョンのメッセージが有効ではないか、自政権への脅威になるのではないか、ということをニクソン政権は懸念したようでした。それらはあくまで仮説としてですが、エビデンスをもって挙げられています。


(※)neutralizeしなくてはならない、とは、字幕では「なんとかしなくてはならない」と訳されていたようでしたが、最近で言えば、"Neutralize Hamas"などとして使われる、つまり無力化、殲滅、粛清、として用いられがちな言葉です。以下のエントリーでも用例を引用したことがあります。


 ◆07/06/09
 『Order of Battleという国軍監視リスト(フィリピンの惨状)と日本のベクトルを想う


 ◆07/06/11
 『軍による市民監視は治安の連続線上にはないこと(あらためて)

ヒューマン・ライツ・ナウの報告書『フィリピン調査報告書(中間報告) 2007年5月8日 』(PDF)の引用の際に、きわめて大事なneutralize(一般には中和、無害化)という言葉の定義に関する部分を追加引用します。

これら一連の文書は、合法的な左派組織およびメンバーをターゲットとし、そのターゲットを3カ月以内に “neutralize”する、という一連の作戦を示唆するものである。
この “neutralize”という言葉は、多義的な解釈がありえるものの、過去には疑いなく、暗殺・超法規的殺害を包含するものとして使用されてきた経緯がある。
このような意味を包含する用語が公然と使用され、同文書中に “neutralize”から暗殺を除外する旨の明確な定義づけがなされていないことは重大である。
オプラン・バンタイ・ラヤ作戦のトップの計画レベルか、実行レベルかは判然としないものの、結果的に実行の段階において、 “neutralize”という方針が超法規的殺害という形態で実行に移されてきた、という可能性を指摘せざるを得ない。38
この作戦は、2007 年1 月に、オプラン・バンタイ・ラヤとして刷新され、現在も従前の方針の延長線上の作戦として、展開中と考えられる。仮に、作戦の本質- ターゲットの“neutralization”が維持されたままであるとすれば、超法規的殺害は止まらないと予測される。
軍事的に都合の悪い思想を無毒化することは時間がかかり難しいとなると、「粛清」がもっとも容易な手段になります。

そして、わかりやすい粛清を避けたい場合には、巧妙な手口で同じ結果に追いやる操作が行われかねません。

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証言のために出演するのは、ジョンの側に立つ友人の反体制派活動家や知識人、中立的な立場として著名なアンカーマンであるウォルター・クロンカイト氏 や「7月4日に生まれて 」(←注:リンク先にはあらすじがあります)の作者であるロン・コーヴィック氏など多くのジャーナリスト、さらには対極にある、政府関係者やFBIのOBも加わっています。


また、クロンカイト氏(だったでしょうか)は、ニクソンの特徴としてnastiness(底意地の悪さ、とも訳せますが、権力に反目する者への「徹底した悪意」、としてもいいかもしれません)を挙げており、nastinessとは、ブッシュにも共通するものだ、と話していました。


ジョン・レノンが銃撃で亡くなったと聞いたとき、わたしはまだ未成年で学生で、活動再開の最初のアルバム『ダブル・ファンタジー』を聴いていた矢先でした。

当時、あまりの衝撃の大きさに、悲しみ以前に途方の無さに暮れていて動けなくなっていたことを思い出しました。また、ヨーコさんの(たぶん初めての)全面広告の新聞記事を思い出します。


よく知られているように、ニクソン大統領がベトナム戦争を収束させたと見る史観もありますが、なにしろ、その戦争を「民主主義」のため、と主張している点が、今日のブッシュの戦争とそれに対する異議申し立てを喚起させます。


この映画でも、ジョンを殺したのは、3発の銃弾であり、それらがどんな背景で撃たれたものかの断定はしていません。

当局に監視されたことは事実ですが、実際に手を下したのは常軌を逸した熱烈なファンだったかもしれませんし、その他にさらなる背景があったのかもしれません。


ただ、市民に対して力を持ちうる(実際に、どれほどの影響力を与えたものかは測りようがありません)反戦運動家が、戦争をまさに遂行し続けながら「丸く治めて成果を挙げよう」とするアメリカの為政者にどれほど目障りな存在だったか、また、死後30年近くなって、ドキュメンタリーでその頃の真実が明らかにされるとは、当時の関係者は想像していなかったであろうことは明らかでしょう。


-いつの時代に観てもわれわれをハッとさせる映画だが、今の時代は特にそうである。

NYタイムズ


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