東京は20度過ぎからいきなりの低温(さらに特急で山沿いに行っていたため、さらに寒かった・・・)。

そんな仕事納めの日、また、アベの家臣のスネの傷が発覚しそうになっています。

(この、「スネに傷」の表現については、サンプラザ中野氏のこちらでの表現 をお借りしました)


2006年12月29日(金)「しんぶん赤旗」
塩崎官房長官・渡辺新行革相・根本補佐官・伸晃氏と石原都知事が税金飲食


赤旗の記事が消されることはないのだろうけど、「2001/3/13の食事会」というさらなるエビデンス(こちらの『「四騎の会」は何を考えているか - 1 』)は消えてしまわないとも限らないので、魚拓にしています

「四騎の会」についての言及は、スポニチにもありました。その魚拓 も取りました。


Sponichi Annex 「仲良しクラブ」安倍人事を批判

 安倍晋三首相は28日、政治資金問題で辞任した佐田玄一郎前行政改革担当相の後任に、渡辺喜美内閣府副大臣を任命した。年明けの通常国会をにらみ、政策手腕と発信力に期待したものとみられる。だが、自民党内には「仲良しクラブ内の人事。意外性がない」などと冷ややかな声もあり、反転攻勢のきっかけになるか、見通しは不透明だ。

 塩崎恭久官房長官、渡辺氏と根本匠首相補佐官、石原伸晃自民党幹事長代理の4人は、かつてベテラン勢に対抗する形で、若手政策集団「四騎の会」を結成した“同志”。党参院幹部は「渡辺氏が行革をどれだけ知っているか不安もある。これで安倍内閣が立ち直るとか、起死回生のホームランになるという感じではない」と“安倍人事”を疑問視。党政調関係者は「実は行革全般に精通しているとは言い難い」と指摘している。 [ 2006年12月29日付 紙面記事 ]

慣用表現である「仲良しクラブ」というクラブ活動は一般的にどんな鍛錬やレクリエーションをしているのか(苦笑)、ともかく、もう、フォローしきれませんという宣告なのでしょう。

ただし、アベは以前書いたようにプログラムのランチャーアイコンという位置づけで、ボタンは押し終えられたら当面の役割完了、というシナリオがあったのかもしれません。


何しろ来年の野党共闘がキーになります。

また、そのために、ネット以外にもより多くの方とお話をすることも考えたいと思います。

簡単なところだと、Nikkei Net 『12月の米兵死者100人に・イラク 』などからも、戦争をする「美しい国」の意味をご近所の方とも考えるべきです。


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まだちょっと早いですが、今年を振り返ります。

1年ほど前、非公開日記からブログに「ゆっくり移行」して、本格的に書くようになったのは、さらに春にアメブロに引っ越してきてからです。


当初は、日々の出来事の記録の中の大きなテーマであった、

 ・公教育の場で、どうして理不尽な虐待が横行してしまうのか?

 ・横行などないという方から見れば、わたし達の仲間だけが妄想に基づいて共謀していると言うのだろうか?

 ・なぜ大人も子どもも、痛いのにずっと笑って、心に封印をして、我慢し続けられるのか?

 ・なぜこんなに軍国的教育(生徒への過度の体罰や非国民発言など)が平然とまかり通っているのか?
 ・なぜ教育現場が結果としての成果や効率でなく、目的としての成果や効率、満場一致を求めるのか?


これらの理由を知りたくて、ひたすら考えて、調べて、聞いて、話していくうちに、「それ」は、特定の人々の個性ややり方に根ざすよりも、もっともっと大きなところの、明確な意図と背景が厳然と存在していることを、疑い得ない事実として知りました。


それ以前も、知識としては、いわゆる「戦後レジーム脱却」の動きがあることは認識し、教育基本法改悪への警戒もしていたけど、でも、その実際の影響が、先行して身近に降りかかってきているなんて「いくらなんでもね」と、思っていました

現実を直視することを避けてそう思いたい、という心理バイアスが働いていたのかもしれません。


だから当初は、わたし達(うちの家族と友人たちの家族)が経験していることは、特定の場所で顕著になった、極端に誤った教育=ミスエデュケーションの結果だと捉えていたし、その場所での不当さを訴え、積極的に改めていただくことで、まず最小限の目的である、まだ被害に遭っていない子どもたちへの波及を防止することはできるのかも、と考えていました。

そうした小さなことの優先度は、大所高所から語るよりも高いはずだ、と思ってもいました。


でも、大きな流れの「影響」であることを実体験(お役人にも、弁護士さんにもお会いしましたし、その他いろいろ。並行して情報を集めました)に基づいて踏まえたら、ローカルな問題だからといって、その場のだけでの最適化で解決できるほど、簡単には事は運ばない、ということを目の前に突きつけられました。


そこで、大上段に振りかぶってしまうと、これまでわたし自身が、昔から漠然と感じ、個人的に働きかけを試みていた理不尽さ(民法のことや、勝共連合のことや、雇用機会の均等について、労働に対する正当な対価の欠落への無頓着さのこと、また人の多様性や持続可能性のこと)と、今、「世の中」についてのどうしたって納得できない具体的な事柄(ひとつはそうした教育のこと)が、想像以上に密接に、深く、切り離しがたく繋がって いることも、知ってしまいました。


日記については、ふと気付くと、日々の出来事より、そちらの「上の(?)階層」にあることに触れない限り、本当の気持ちを表現できないことを悟り、いつしか政治のことを、ほぼ毎日観ていくことになっていました。

感じたこと、分析したこと、考えたこと、予測したことを、コアな部分のわたしが表現したい表現形態で記してきたつもりです。
少々ダメだけど1人の親であることと、働く人であることの両方の視点で。

癖のある読みにくい文章なのに、多くの方にアクセスいただいたり、News for the People in Japan 2006 リンク集 に掲載していただいていたことも驚きでした。


公教育批判から始まった(ありがたい先生がいらっしゃることは存じ上げていたけれど、間違ったマネジメントはあるのだと思っていました)のだけど、この1年は、リアル界の活動を通じて、子どもの将来やこの国に生きる人の将来を理屈や保身を一切ぬきで心配していらっしゃる教育界の方といろいろな形で関わらせていただいたことも、受け取ったありがたい財産です。


昨年までとは、怒りや闘いの対象が変わりました。
そのため、こんなわたしにはついていけないと判断した人もいるのでしょう。
でも、時がしばらくの隙間を設けただけだとわたしは思っています。
その隙間は、多くの人がひどい目に遭ってしまう前に埋められるはずだと信じています。


こうして内面の自分に語らせている時が積み重なるにつれ、しばしば、こんな時代の中でわたしが働いていることが、現実として誰かを「幸せに」できているのか、という疑問を感じることも増えてきました。


若い同僚や部下とも、自然とそのことは話題に上ります。
もちろん、わたしがこんな日記を書いていることは誰も知りませんし、彼らがどこかで何かを表現しているかは、わたしも知りません。それでも彼らも、時代の不穏な動きと、「働くことがほぼすべての毎日」のギャップに危機を感じています。


……まあ、自分探しはほどほどにしておこうと思います。(ということで、後半はまた書き換える予定です)


来年もどうぞよろしくお願いします。

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トラックバックピープル「安倍晋三」 に参加しています。

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News for the People in Japan 2006 リンク集 に登録していただいています。

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