高山良策展

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やっと、豊島区立熊谷守一美術館へ行って来ました。
3階が<高山良策展>で、1階と2階は熊谷さんの作品が常設されています。
3階は企画展で使われたり、貸しギャラリーになっているようで、今回のは豊島区の企画展です。
戦後の豊島区要町近隣に、アトリエ村とか、池袋モンパルナスとか呼ばれる区画がありました。
戦争で息子さんを亡くした親御さんが、意志を同じくする若くてお金のない絵描きたちのためにアトリエ方式(天井が高い)のアパートを建てたのが始まりで、若い作家たちが集まります。
高山さんも、友人の山下菊二さん、原爆の絵で有名な丸木夫妻もここの出身。
手塚治虫のトキワ荘も、アトリエ村に含まれます。
俳優・寺田農さんのお父さんの寺田政明もアトリエ村出身。今回、農さんも来場したそうです。

高山さんのアトリエ村暮らしは、戦後の10年。
水道はなく、アパートの十字路の中央に井戸があったのだとか。結婚してすぐ奥さんがカリエスになって長く看病生活をします。
高山さんは戦時中、東宝の教育映画で模型やセットを作っていて、山下さんとは同じ仕事仲間でした。鷺巣富雄(のちにPプロをつくる)もその頃の仲間です。
戦後、東宝の労働争議に巻き込まれてクビになり、田辺製薬の図案課で広告の絵を描いている頃に利子さんと知り合って結婚しました。
それがアトリエ村の10年。
高山さんの忍耐の時期。まぁ誰でも、20代30代に野心をもって仕事に準じていた人は苦節を積み重ねる時期があったでしょう。
その頃の絵の展示です。
強烈な試行錯誤。高山さんの静かな性格からは計れないパッションが絵に映されて、強烈な印象を与えます。
ぼくは晩年の高山さんと2年ちょっとのお付き合いがあったので、今の自分より若い高山さんの作品は、とてもなんというか、もがいていて、戦っていて、可愛くさえ感じてしまうのです。
それにしても、スゴイ発想。
物を作る人は、他人の作品を観ないとダメですね。ワクワクドキドキして観てきました。

高山さんが映画の特撮の美術をやるようになるが、アトリエ村の後。
石神井に移って、当初は、おおばひろしさんらと一緒に児童雑誌の人形やセットをよく作っていました。
高度成長に入って、高山さんの生活も楽になった頃。
66年。
ぼくらが知っている「ウルトラQ」「ウルトラマン」などの怪獣を、高山さんが画業の傍ら始めて世間に注目されるのが40代~50代ですから、さて、今の自分が高山さんほど活き活きと仕事をしているかと言うと。
もちろん、そりゃね、内容なんて比較しちゃいけませんや。名人ですからね。でもとにかく。
男は、好きな仕事を死ぬまでの間、やり続ける事しかありません。

高山さんが亡くなった65才は、若すぎます。例えば、今の自分があと15年で死ぬとしたら、何が残せるだろうか。考えてしまいます。

本展の企画に尽力された学芸員の皆さん、お疲れ様でした。
区の学芸員の方、2人とも20代の女性で、若い人が、昔の人の生き方を調べて歩み寄って、次の世代へ伝えてくれる試みをしてくれた事が、本展の一つの要だと思いました。
高山さん、照れているでしょうね。
高山良策展は、3月4日まで。
http://kumagai-morikazu.jp/

なお、通路の写真は、池袋地下の構内。イーチカの通路で、本展の広告展示。これは先に終わりました。なかなか力作でした。
熊谷さんの絵も、とても魅力的で、こっちは有料ですけど、ご覧になって下さい。
力をもらえた一日でした。



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