レッドキング雑談 その2

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高山良策さんは、ぼくが会った時は62、63才で、お別れする2年間の間に、何回となく、おい、絵描きにだけはなるなよ、絵描きは食えないからね、と念を押しました。
生前、個展、団体展を通じて売った絵はほとんどありませんでした。
たしか、なにかの義援金集めみたいなもので80年頃に小品を売っています。しかし、生活の足しになる事はまったくなかったわけです。
戦後からずっと、絵本、雑誌、広告、映画、テレビなどの美術に携わったのは、まさに生活のため。
ぼくらが知っている怪獣はその一部でした。
メディアの美術はお金になります。でも、高山さんは、奥さんが曰く、馬鹿正直。
たとえば、カレンダーの仕事を受ける。最初、一枚の絵(人形などの立体造形だった)で引き受け、翌年、また同じ仕事が入る。今度は12ヶ月分の内容。先方は、かけることの12で計算を出しているのに、高山さんは、最初受けた金額と同じ(つまりかける、1)で結構ですと、やっちゃうわけです。予算がこれで決まったのだから、と。
奥さんは計算が出来ない人、と仰ったが、高山さんの善意というか、相手の予算まで心配してしまうのが玉に瑕でした。
それじゃ、儲かりませんがな。

そんなだから、さらに純粋な作品製作で、ありったけ情熱をかけている絵であっても、高額は付けません。それでも売れる絵でなかったのが幸なのか不幸なのか。
生活は苦しいけれども、高山さんが亡くなって以降、故郷の山梨美術館やアトリエのあった練馬美術館で、作品を買ってくれている。
売れ線の絵と違うから、美術館は良い作品を集められた。観る方にしたら好都合なのだ。個人蔵ばかりだと観られませんからね。

来月、高山さんの怪獣以前の時期の絵が個展で観られます。
豊島区立熊谷守一美術館。2/16(木)~3/4(日) 
http://kumagai-morikazu.jp/
生き方に不器用で頑固だった高山さんの情熱に溢れる時期の絵です。ぜひ行って、時代の息吹に触れて下さい。

豊島区の東長崎は、戦後、アトリエ村と呼ばれたアパート集落がありました。絵描きを志していた息子を戦争で亡くした母が、息子と同じ若い絵描きのためにつくったアトリエのある、今で言うワンルームみたいなアパート。
通路の中央の井戸をみんなで使っていたとか。高山さんは売れない画家で、メディアの美術をやりながら、結婚と同時にカリエスにかかった奥さんへ献身的な介護をしつつそこで作品を生み出し続けます。
この美術館の熊谷さんも同じアトリエ村出身。池袋モンパルナスとも呼ばれています。
忍耐の時代だったんでしょう。

そういう影響を、大事に受け取りたいと思っています。

さてさて。それでレッドキング。
成田さんの絵は、遊園地用のポスターです。同じ構図で、ゴモラとヒドラがありました。数年後、ヒューマンとジャイロックで描いています。
あんまりカッコイイので、誰も作りません。絵を越える形にならないらでしょう。

もう1つは、高山さんの造型風景。「少年サンデー」に載ったもの。レッドキングと高山さんの顔がシンクロするのが面白いです。平行移動した感じ。
そういえば、ガラモンもラゴンも高山さんの顔です。
デザインでは、成田さんは蛇、または龍の顔と言っています。

もし当時、マルサンの瀬戸職人の原型師がレッドキングを作っていたら、どんな感じになったんでしょうね。
あの粗雑な原型師のレッドキング、ブルマァクのキングギドラも同じ人でしょう。決定的な人気怪獣をその腕でやらないでくれ(笑)。

ドドンゴは瀬戸の方。レッドキングと同じ時期。
成形色と吹きつけが同じなので、同じロットと思います。
現在、メタリックイエローはソフビの可塑剤と相性が悪くて、みんな緑青に変化しています。
山吹色のような吹きつけはたまに見られますが、毎日グラフの表紙に載っているメタリックイエローとは違います。
レッドキングとドドンゴだけは、緑青のせいで当時の色でありません。
そういえば、成田さんと高山さんのやったシルバーのレッドキングの商品ってないですねぇ。不思議。$ヤマダ・マサミのブログ
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