竹内博さんが亡くなった

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竹内さんとは30数年前、高校の帰りに円谷プロへ遊びに行って、営業の梅本さんに紹介されたのが初めで、その前から竹内さんが書いた怪獣本を楽しんでいたぼくは、いきなり恐縮した思いがある。
竹内さんたちを真似て怪獣同人誌を始めた頃、円谷プロへ、今度は竹内さん目当てに伺った。
竹内さんは、すごい人だ。
少年誌の巻頭グラビアの構成であらゆる分野に刺激を与えた大伴昌司に師事した。最初はファンとしてであり、円谷プロへ入社してからは、仕事を共にする立場になる。
その最初の仕事。竹内さんが17歳の時に編纂した勁文社の「怪獣怪人大全集ゴジラ」は、映画のスチールやスナップを構成したもので、いま見ても成熟したまとめ方で、畏れ入る。続いて、大伴さんと一緒に作った写真集「円谷英二」は伝説的な一冊だ(名義は円谷一になっている)。
竹内さんはその頃、学年誌のウルトラの記事を、同人仲間の安井尚志さんとともにやられた。監修円谷プロ名義はみなこの人たちの仕事になる。

怪獣ブームが去った頃、海外からSF映画が入って来た。
その時、手にしたのが、竹内さんがキングレコードで企画した伊福部昭の映画サントラだった。だからぼくはスターウォーズのファンにはならなかった。ゴジラの音源を聴けて有頂天になった。こんな至福が他にあろうか!
朝日ソノラマで「すばらしき特撮映像の世界」をやり、これが後に「ファンタスティックコレクション」シリーズや「宇宙船」になった。
ぼくは成長に合わせて、竹内さんがやった仕事の影響を受けていた。
しかしあれだけ好奇心と知識がありながら、また真摯に独学される人なのに、高校へは行かないで大好きな円谷英二の起こした円谷プロへ入ってしまうのは、ある意味で勿体ないというか、大胆な決意で、その才能でいたら大学院の1つや2つは出ていたに違いないといつも感じた。
伊福部昭が漢詩に親しいので、漢詩を学ぶ。特撮だって、芸能の1つだから、古典芸能も研究する。学者肌と言って良い。
竹内さんのたくさんの仕事の中でも圧巻なのは、香山滋の全集だろうか。
好きな事にのめって、受け手から送り手になった。最高の仕事だった。
見た目がバンカラなのに、繊細でシャイな人だった。
趣味が転じて・・・とは言うが、この人ほど本気で怪獣にのめった人はいない。

多臓器不全とのこと。55歳は若すぎる。本人も周囲も悔しさでいっぱいだろう。
竹内さんほどゴジラを愛して、ゴジラに詳しい人はもう出ない。きっとゴジラに愛された世界一の人なのだ。

稚拙なことしか書けなくてご免なさい。

たくさんの夢を、ありがとうございました。
ゆっくり休んで下さい。



追記。
昨日、井上誠さんの「ゴジラ伝説ライヴ」の開幕前、映画館の前に集合した中で、ぼくは竹内さんが来てないか、考えた。竹内さんの風貌に似た人が居た。もう10年くらい会ってないので、どんないでたちになったか自信がないので、空似だろうと思った。その時間に亡くなったそうだ。
竹内さんがいちばん好きだった映画、初代「ゴジラ」と「わんぱく王子の大蛇退治」(の演奏)が奇遇にもこの日のハイライトだった。

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