スペースマン

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スペースシャトルの打ち上げを、ネットで見ました。
作業の合間に、画像掲示板をちらちら見ていたら、どなたかが、打ち上げだ!と教えてくれて、興味ある人たちはレスに参加。
どこの誰とも知らない人たちと一緒に楽しみました。
昔は、アポロの打ち上げの度にテレビへかじりついたものです。
その頃、我が家は、中華屋で店にカラーテレビがあって、居間で見るのはモノクロテレビでした。両親は共働きだから、一人で見ました。
たぶん、テレビでだけなら、シャトルの打ち上げも、ずっと一人で見ているんでしょうね。ネットは便利なだけでなくて、誰かと共感できる時間を生んでくれるので、有り難いなと思います。

61年生まれのぼくは、66年の最初の「ウルトラマン」を、モノクロテレビで見ました。67年の編集版が映画館へかかって、初めて、動くカラーのウルトラマンを観たわけです。
その時の驚きと言ったら、綺麗なキャラクターの色彩設計よりもなによりも、「カラータイマーは黄色くならない!」事のビックリが先に立ちましたよ。
マルサンの人形で、らくがきシリーズというのがあって、ウルトラマンの人形に色が、赤、青、黄と付いているんです。
父親に塗ってもらいました。問題は、カラータイマーです。赤はラインで、黄色は目で使ったので、当然、カラータイマーは青です。
当時の少年誌や図鑑のどれを見ても、青か赤です。
でも、マガジンの解説で、途中、信号の様に黄色くなる!説が子供たちの間でありました。
なので、どうしてもぼくは黄色いカラータイマーを塗ってもらいたくなりました。果たして、青く塗ってもらったか、素直な気持ちのまま黄色く塗ってもらったか、いまとなっては確かめる事が出来ませんが。

71年の「帰ってきたウルトラマン」はもうカラーテレビで見ていました。万博の時に居間もカラーテレビになったんです。
でもたしか、アポロの打ち上げはモノクロだった記憶があります。
ザラザラの画像で、よく分からないのでした。
本当に、月へ行ったんですか?(笑)
なんでも、ロンドンの「2001年宇宙の旅」のセットがまだ残っているスタジオで撮ったとかワケの分からない説がありますよね。キューブリックが撮ったんですか?
それはともかく。
アポロは夢でした。
「ちびっこ歌合戦」だと思うんですが、優勝者に、マテルのアポロのオモチャがもらえるので、羨ましく思いました。1メートルくらいの箱に入っているんです。さすが舶来品ですよ。子供が一抱えです。

写真は、マテルのスペースマン。ゴム成形で針金が芯に入っていて、一応、手足が動きます。遊び過ぎて、折れてしまいました。
宇宙服を着ているのに、なぜか、作業用のフードがあります。腕が、ゴム製で、ぼよよ~んとなります。これも、壊れました。
こんな探検車、ついに月に登場しません。

シャトルは最後の打ち上げだそうで。お疲れ様ですね。無事に帰ってきて下さい。$ヤマダ・マサミのブログ
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ウルトラマンのオモチャの頃

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66年に怪獣のソフビ(ソフトビニール人形)が登場するまで、マーチャンダイジング(商品化権利)の観念は、あまりなかったようです。
64年にテレビで始まった「鉄腕アトム」でさえ相当数の商品が出ていましたが、売れたのは、「ウルトラQ」「ウルトラマン」の怪獣ソフビで、桁違い、社会現象になりました。
怪獣以前は、ダントツで、グリコです。キャラメルやチョコのおまけです。
玩具やグッズより安く、たくさんのグッズが手に入ります。「鉄人28号」のシールや塩ビの小さな模型を集めたものです。
「鉄人28号」を放送した<グリコ劇場>の枠は、「遊星少年パピィ」「遊星仮面」「ロボタン」と続いて、ぜんぶグリコの商品が出ました。
同じように、森永が「鉄腕アトム」や「宇宙少年ソラン」「狼少年ケン」をおまけに使いました。
丸美屋のふりかけの「エイトマン」や「スーパージェッター」のシールも記憶にあります。
しかし圧倒的な存在感は怪獣ソフビでした。
儲かったのはオモチャ屋さんです。350円の人形が月産100万個。いくらですか、年間。
その頃の「ウルトラQ」「ウルトラマン」版権の窓口はTBSだったり、毎日放送だったり、円谷プロだったり、はっきりしなかったようです。
大阪に本社がある武田薬品がスポンサーだったので、大阪ロケもやりました。大阪のシスコは、東京の窓口を使っていないと思います。
東京では、TBSへ話を持って行く場合が多かったようで、そのまま依頼されて、TBSビデオサービスが絵を描いて、どのメーカーも同じ意匠のウルトラマンの絵が使われます。
シスコの絵のタッチが大きく違うのは、大阪の絵描きが描いたからでしょう。
TBSビデオサービスの河島治之の絵も素晴らしいが、シスコの絵も味があって好きでした。
あと、ショウワノートの表紙を書いた梶田達二の絵も大好きです。

マルサンは、東宝で先にゴジラのプラモデルを出しているので、局へ話を持って行かないで円谷プロへ直に契約を持って行ったと推測しています。
版権窓口のねじれが生まれて、やがて、増田屋などの版権表示は、TBSの刻印を潰す結果になりました(初期は、マルCがTBSでした)。
やがて、マルCは円谷プロに統一されます。
マルサンが先見の明があったのは、スタンダードサイズの怪獣ソフビを独占出来た事でしょう。増田屋の方が先に商品を出しているのに、手踊りよりも足のある怪獣ソフビの方が子供の遊び勝手が多かったのです。
ウルトラマンがブームになったのか、怪獣玩具がブームになったのか、それくらい、商品が売れました。

写真は、シスコのパッケージ。それと応募券を集めてもらえた科特隊の流星バッヂ。同じ型の商品が駄菓子屋で売っていました。
それも大らかな話ですよね。シスコの方はメッキです。しかも、裏の留め金は金属です。
マルサンとシスコは子供の憧れでした。
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デューク・エイセス

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61年生まれのぼくは、物心がつくのが3歳として、64年くらいからの記憶をなんとなく覚えています。
そこで、とても昭和らしいというか、その頃のぼくの象徴的な記憶に、デューク・エイセスの歌がありました。
「鉄人28号」「遊星少年パピィ」「遊星仮面」「ララミー牧場」「忍者部隊月光」などの主題歌。
それに、「わんわん忠臣蔵」の「わんわんマーチ」、「ガリバーの宇宙旅行」の挿入歌のロボットの歌もそうだと思いました。
バリトンの利いた重低音の歌は、ちょっと怖い気がしました。
怖いものは嫌いです。同時に、恐い物に惹かれます。
子供に真似の出来ない声です。

ところで、ぼくは絵が描けない子供だったそうで、幼稚園の年長組になったときに、さすがにこれではマズイと、絵を習います。近所の美大生が教えに来てくれました。幼稚園でも授業の後に書道と絵の教室があって、受けました。
その時のスケッチブックが奇跡的に残っていました。5歳から7歳までの絵です。ペギラの絵は、「ウルトラQ伝説」の扉にも載せました。マルサンの人形を見て描いた絵です。
http://garagara9.s1.bindsite.jp/pg203.html

あと、写真は、生まれて初めて描いた絵。「忍者部隊月光」です。親が残してくれたんですね。これは3歳か4歳。


「忍者部隊月光」「忍者部隊のマーチ」
http://www.youtube.com/watch?v=ks3KyNY4bVQ&NR=1

こんなの見つけましたよ。「大脱走マーチ」
http://www.youtube.com/watch?v=70rwN3UvbvA$ヤマダ・マサミのブログ
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ポスターやらバキュームカーやら

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60年代の東映動画の長篇漫画映画は、ハンドトレスを使っていました。
色指定されたカラートレスで、柔らかい線が効果を上げていました。
70年代に、トレースマシン(要するにコピー機)を導入して、トレース線は黒一色になります。これは線がかすれて、かえって劇画調のリアルな絵が生まれました。「タイガーマスク」や「マジンガーZ」は荒々しい線が成功しています。
現在、アニメは、セル画がなくなって、ぜんぶデータです。デジタル塗装をするので、エコです。
その反面、手作り感がなくなりました。トレス職人、色塗り職人は、転向しちゃったんでしょうか。ずっと心配しています。
技術が躍進すると古い技術はお払い箱です。
原型師もそのうち居なくなります。
大手だとだいたいCADで、あらかたの原型を作ってしまいます。細かい所は手作業になりますが。それよりも、国内の職人を避けて、人件費の安い中国へ原型を発注する事も増えています。
たとえば、この怪獣の倍のサイズの原型を、と依頼すれば、簡単に、しかも安く、中国で似たような原型が上がります。
ぼくは懐古趣味だけでなくて、マルサンで怪獣を作った、瀬戸物職人の仕上げが好きです。その人の真似てきました。
マルサンのガラモンやゴメスに見られた粘土の柔らかい線を再現するような試みは、これから先は考えもつかなくなるんでしょう。
それも時代の趨勢でしょうね。

子供の頃、親につれて行かれた銭湯でよく見かけた映画のポスターは、子供たちの憧れでした。なんであんなにキラキラしていたんでしょうか。
男湯へ行くと、たまにちょっとエッチなポスターも貼ってありました。
銭湯で半裁サイズのポスターを見慣れると、今度は映画館で、絵柄の違うロビーカードや立て看板ポスターを楽しみます。
手書きの映画館の看板も好きでした。
映画のポスターを集める感覚はまだありませんでしたから、じっと見て、目に焼き付けます。
映画は、子供にとって、大きなイベントでした。
そういえば、書いていて思い出しましたが、60年代は、まだ映画館のトイレが水洗でない所があって、ものすごい臭いだった記憶があります。
ぼくの住んでいた商店街も、小学校くらいまで、バキュームカーが来ていました。バキュームカーが去った後、残り香のように、地面に滴っている液体が、とても興味深くて、そのくせ恐れて近寄れないのでした。
「ルパン三世」でも、バキュームカーが活躍してましたしね。

ええ、夜型人間で、明け方、作業が終わって晩酌です。酔っぱらって書いています・・・。
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長篇漫画映画

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昨日、東映動画の長篇漫画映画の時代は、パンフ以外、グッズめいたものがなかったと書きましたが、いや、ありました。
小学館の絵文庫シリーズ。
当時もっていたか、見た記憶のあるものをヤフオクで集めました。これ以外には、「ジャックと悪魔の国」「太陽の王子ホルスの大冒険」「長靴を履いた猫」があったと思います。記憶にないので集めませんでした。
当時の絵本は、宣伝用のセル画を使った物が多く、あとは描き起こしです。不思議とフィルムは使っていません。

フィルムと言えば、84年「ゴジラ」の前年、怪獣同人誌を一緒にやっていた山本直樹さん(いま、海洋堂にいる)と、ゴジラの絵本を小学館でやりました。
その際、10作品のフィルムを焼きました。シネスコ版に関しては、フィルムの穴(パーフォレーション)にコヨリを付けて、カメラマンに専用のコピーチューブ(シネスコをスタンダードへ直して複写するアダプター)で撮ってもらいます。
光源が足りなくて、四方の先が暗くなりますが、ゴジラが写っている箇所がちゃんとしていれば問題はありません。
スタンダードに関しては遠慮なくハサミを入れました。つまり初代「ゴジラ」です。映画館にかけるフィルムで、それぞれ3、4缶あったと思います。
そんな荒技も、80年代までは出来たんです。70年代の学年誌では、ほとんどニュープリントしたフィルムを直に切って入稿していました。

話を戻します。
東映動画のこの長篇漫画映画の売りは、「子供たちへ、もっとも綺麗な色を見せる」事にありました。
その頃は、印刷物の色よりもフィルムを銀幕へ投影した色の方が綺麗だったんです。当時の印刷は、美術印刷でさえ現在と比ぶべくもありません。
増して子供の絵本あたりだといま見るとレトロな感じの印刷です。
ですから、映画館で観る色が、もっとも綺麗な色でした。
現在は映画館はもちろん、テレビの色はかなり綺麗です。地デジはスゴイです。
あと、ブルーレイはまだ見た事ありません。DVDあたりで、もうお腹いっぱいだったりもします。
また印刷物もそうとう綺麗です。
需要はそんなにないでしょうが歴史的な映画の資料としても、限定で復刻したら良いのに。と思ってしまいます。$ヤマダ・マサミのブログ

ガリバーの宇宙旅行

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ヤフオクで、「ガリバーの宇宙旅行」のスケッチブックを落札。高くはありません。有り難い事です。
46年経って、こういう物と再会出来るのは驚きです。
65年だから4歳の時ですね。幼稚園。
ぼくは、ませた子供だったので、幼稚園で4年保育を受けました。両親が共働きで保育所代わりでもあったわけです。
で、園児の中でもとくに年少だったため、先生たちに可愛がられました。
箸が使えなくてスプーンで弁当を食べます。食べ終わるのがいちばん遅いわけです。先生たちが、机の周りを囲んでくれました。なんとなく覚えています。
そんなだから、年長組の時はすっかり幼稚園の顔です。
お陰様で、卒園式に答辞まで読みました。
ハレの日だからと、生まれて初めてアイパーをかけました。
アイパーなんて若い人は知らないでしょう。アイロン・パーマの略です。電熱器を仕組んだコテで髪の毛を曲げて、癖を付けるんです。
6:4くらいに分けました。
定着液の臭いにおいと、じりじり煙が出るのがイヤでした。
ぼくは答辞を丸暗記して、折りたたんだ答辞を読む際に、先生がマイクを差し出す手が邪魔で、答辞を見ないで読み上げました。
そういうのが、ま、親たちの自慢になるわけです。私立の小学校へ入りましたし。
そのため、年長組の時に英才教育を受けました。
青山の知能開発センターへ通います。チンパンジーが積み木を重ねて頭上のバナナを取るのと同じで、欲しいオモチャを買ってもらえるためにクイズを解くわけです。
たいてい、ブロックがたくさん重ねてある絵のブロックの数を当てたり(影になって見えないところがある)、同じ色や同じ形のプラスチックのパーツを集めたり、間違い探しみたいなものです。
その頃はもう「ウルトラQ」が始まっていたので、怪獣の人形を買ってもらうのがご褒美です。イヤな子供ですね(笑)。
お金持ちじゃないんですよ。商店街の中華屋です。親たちは子供に出世してもらいたいと思ったんでしょう。いまこんな風になってしまいましたよ。どうします?

東映動画の長篇漫画映画は、映画館の他に、品川区の公会堂で観ました。大井町にあります。
うちは中延だったので、田園都市線で行きます。
帰りに阪急デパートで買い物です。怪獣もプラモデルもよく買ってもらいました。
「ガリバーの宇宙旅行」を大井町で観た記憶は、テッド少年がうろつく場末の町の雰囲気が、その頃の大井町に重なるので、よく覚えているわけです。
公会堂へ線路沿いに細い道を歩きます。線路ははるか下で、鉄橋を渡る反対側に電車の倉庫みたいのがあって、よく整備中の電車が並んでいました。汽車があったような記憶もあります。
銀幕に輝く原色が色とりどりに弾けます。興奮しました。良い絵です。色も美しい。冨田勲の音楽も良い。
まだ今みたいにキャラクターグッズは売ってなくて、映画のパンフの他は、このスケッチブックが映画の思い出の品になりました。
もっと大きなものだと思ったんですが、届いたら、意外と小さい。
つまり、子供の目線では大きな物も、大人になると縮んでしまうわけですね。
それが切なくて、あまり古い物は集めない方が良いのですが。ま、出来心で、買わせていただきました。$ヤマダ・マサミのブログ

帝銀事件

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明け方、仕事をしながら日本映画専門チャンネルで「帝銀事件 死刑囚」を見てしまいました。重たい映画で、なんの救いもありません。
あらすじは、こちらを。
http://www.nihon-eiga.com/prog/001861_000.html
64年の作品で、当然ぼくは後になってから観た口です。
興味を持ったのは、音楽が伊福部昭だからに他なりません。
伊福部さんの音楽は、重たく、悲しく、忸怩たる無念さで、綴られています。
当時の常識人は、みな冤罪だと信じていたんではないでしょうか。
犯人にされた平沢さんは、春画を委託されて大金をもらったので、画家として、また当時のモラルとして、それを理由に出来なかったと言うのが、遺族や周辺の取材で分かって来ました。
何度か、テレビで、昭和の事件簿のような形で紹介されています。
たぶん、その通りなんでしょう。
事件の詳細については、よく分かりません。突っ込まないで下さいね。

昔、ウルトラ怪獣を作った、洋画家の高山良策さんの所へ遊びに行っていた頃、高山さんは、はっきり、冤罪だよと仰った。
なぜかと聞くと、絵描きにそんな事は出来ない。からだと。とても簡単な理由です。
高山さんは暴力も喧嘩も嫌いな人で、他人の悪口なんか言ったことのない上に、同じ画家としてそんなはずはない、そんな事は出来ない、と感じるのでしょう。
ぼくは画家じゃないけど、ここ最近、裏事情として出て来た春画の話を聞くと、つくづく不運だったと思わずにいられません。
ええ、ぼくだったら、春画を頼まれたら、嬉しそうに人に話しますよ(笑)。描けませんけどね。

春画と言えば、昔、東宝の特殊美術課で、壁にエッチな石膏型がかかっていたりするので、聞いてみると、どこかの秘宝館の展示で使うみたいな話でした。
女優さんが型を取らせてくれたとかで。よく分かりません。カットして下さい。ここ。$ヤマダ・マサミのブログ

キングコング対ゴジラ

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怪獣の同好会、同人誌というのが、昔、ありました。いえ、今でもあるでしょう。
竹内さんたち怪獣倶楽部を第1世代とするなら、ぼくらNEO FERASは第2世代でした。
現在の年齢で言うと、55歳前後から上が第1世代。50歳前後が第2世代。40代半ば前後が第3世代。
それじゃ第1世代より前は?というと、当然、いくらでも古い怪獣ファンは居たでしょうが、そうなると「ゴジラ」を遡り、忍術映画の蝦蟇や竜も怪獣だし・・・となるので、怪獣ファンの価値観として、分かり易く言えば、62年の超大作「キングコング対ゴジラ」を観ているか、どうか?
がネックになってくるようです。
残念ながら、ぼくが観たのは、再映。それも短縮版、東宝チャンピオンまつりです。だから、竹内さんたちが羨ましい。
第1世代と「キングコング対ゴジラ」の話となると、敬意をしめして、1歩後退しないといけません。
近所の画廊のオーナーは熱烈な怪獣ファンではないものの、「キングコング対ゴジラ」を観ている世代なので当時の黄金時代の映画館を伺っては羨ましく思うんです。

東京オリンピック以降、テレビが普及して、映画は娯楽の王道を譲ります。
ちょうど「キングコング対ゴジラ」の62年が映画興行の最高潮にあたる時代だそうで、それを境に、映画は下降します。

当時の子供はみな東宝の怪獣映画を楽しみにしていました。
そして、東宝の怪獣映画がテレビで見られる「ウルトラQ」。これが、ぼくらが最初に体験したムーブメントになります。66年。
日本全国に怪獣ブームが起きました。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」と続きます。
第3世代は、「帰ってきたウルトラマン」「仮面ライダー」の世代。71年になります。変身ブームでした。
もちろん、最初の世代は、それぞれをどれをも見ているわけです。
ただ、最初になにを見るか、なにに影響を受けるか、で、この世界の立ち位置がだいぶ違います。

キングコングもゴジラも、あるいはラドンやモスラも地球の生物の巨大化で、とても正統派。
「ウルトラQ」からは、知らずうちに現代アートの要素が入ります。成田亨のデザインに圧倒されたぼくは、怪獣の形の面白さにのめって、怪獣図鑑や怪獣人形を集めました。

そんなわけで、マイ・フェバリットは、ウルトラなんですが、どうしても東宝怪獣映画の存在感が邪魔をして、どっちを選べ!なんて言われたら、困ってしまうのです。

週末なので、竹内さんを偲んで、「キングコング対ゴジラ」をゆっくり観ようと思います。$ヤマダ・マサミのブログ