モーレツ!特撮ナイト42回目!

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12月16日は、90分、ソノシートタイムを設けます。

これをみんなで聴きたい!という1枚をご持参下さい。いや2枚でも3枚でも。

 

 

 

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公園の四季

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公園の四季

おまけのおまけです。散歩しながら風景写真をたくさん撮りました。

井の頭公園は正直なにもありません。池が中央にどんとある他は、ステージや遊具、順路、御茶屋があるだけです。

最大の特徴である武蔵野の森林は年々減っています。桜は老木が多く、台風や自重で倒れたり、朽ちる樹もあります。

その割に植樹はしなくて年度末に工事をやれば切り株が増える一方。そんな中でも西園の下から湧き水のところまで、層が薄くなってもまだ鬱蒼として見える巨木の路を歩くのは楽しいです。

樹の1本1本に魂があるように感じるのは縄文人が住んでいたせいでしょう。全体に自然の恵みを感じます。

池は台地の凹みの底にあって四方から風が入る仕組みです。したがって住宅地の側は空気の流れが良いのです。

吉祥寺は、坂道らしい坂道といえば公園へ降りる坂道ぐらいなんです。自転車で駆け上がれるかいつもトライします。たまに杉並へ入ると坂道が多くて面食らいます。

武蔵野の地下の岩盤は固くて地震に強いと言われました。調べてみると地震に強いわけでなさそうでした。ただ地下水を貯めるのに適しているのでしょう。前に書いたように地下水が公園の池の始まりで湧き水となっていて、神田川へ続きます。

猫たちが生きられたのは池の水を飲めたからです。

ただ池の畔は夏は湿気が溜まり、座れば地中の虫がすぐ湧いて蚊は大群でやってきます。湿気のため衛生的には良いとは言えません。

冬は地下水のために大地は凍てつきます。枯れ木ばかりで身を隠せません。猫の餌になる小動物も居ないのです。池はいのちの水を司る反面、厳しさを生き物へ与えます。

近隣から気まぐれにやってくる猫以外、現在は捨て猫は居ません。

人間は常駐しているわけでありませんからね。たまに来る人にとって池はつねに開放感を演出します。

いわゆるマイナスイオンが、森や噴水から放射されている? いやともかく、商店街で育ったぼくには自然と接する事が癒しになるんです。

朝5時にはジョギングの人が大勢います。夜も10時くらいでも走っている人がいるのには驚きです。いつ行っても人が多いのは人気の弊害ではありますけど不思議とテーマパークのように人の多さが公園に似合うことも事実です。

 

公園のステージは、歌や演劇、集会、ときに猫の譲渡会でも使われます。

土日、アートマーケットが開かれるようになる前、実は、持ち込みの青空市が勝手に開かれていました。

公園は都が管轄しているため、治安というかルールを無視させるわけに行かず個人マーケットを規制しました。規制と反発はときに文化を産み出します。規制線が貼られているとその隣から出店が並ぶ。

床屋やマッサージも青空の下やっていました。自由で楽しい風景でした。

規制された代わり、アートマーケットが開かれます。

石原さんは2つだけ良い事をやったと思うんです。1つはジーゼルエンジンの排ガス規制。それと大道芸を登録制にしてどこでもやれるヘブンアーティスト。あ、もう1つ、烏の駆除は助かりました。

公園のアートマーケットは、ヘブンアーティストの資格がある人が優先的に年間契約出来て公園のどこででも大道芸が披露出来ます。

もちろん、ショー的要素だけでなく、アートをテーマにした個人商店の出店もたくさん出ます。似顔絵描き、ポストカードやアクセサリー、小物などの売店、ヘナ(植物由来の墨)を使ったタトゥ入れ、ソフビを売っている人もいました。食べ物はダメなんですね。

公園には5箇所ほど御茶屋さんがあり、公園の周囲は食べ物屋さんが密集します。焼き鳥のいせやは有名です。鳥𠮷も美味しいです。

ただし、公園の稼ぎ時? 桜のシーズンはアートマーケットは休みです。2ヶ月間、桜が蕾の状態から花が散って花筏が出来るまで、花見客が賑わいます。この間は出来ません。それ以外の毎週土日、祭日にアートマーケットは開かれます。

 

ぼくが大好きだったアイス屋のドナテロウズと泳遊亭がなくなって、猫の世話も終わり、散歩する気力が生まれない現在、ほとんど公園へ行く機会がありません。でも、たくさんの思い出があります。

もともとぼくは、精神的なストレスの回避と運動不足の解消で散歩を目当てにしていました。

公園1週が1㎞。神田川添いに三鷹台まで行って戻って来て1㎞。たった2㎞ですが、さっぱりしたのでした。

お気に入りは公園を出て神田川の始まり、およそ100メートルほどの小川です。川のせせらぎなんて最高です。左右に広場があって、公園よりものどかです。

犬連れが多く、仲良くなる人も居ました。たまに猫の散歩の人もいました。

そこから三鷹台までの神田川はどこにでもある側溝で風景はとたんに地味になりますが郊外の河川のようで楽しいのです。

そのあとを、ドナテロウズでコーヒーを飲み猫と遊びました。

 

むかし「俺たちの旅」と言う番組が井の頭沿線を舞台にしていました。

ぼくは中2で、小学校の時に見た青春ドラマに憧れて中学へ入って(舞台は高校だけど)つくづく現実の厳しさに裏切られて落ち込み、登校拒否して、それでもなんとか登校していた頃の番組です。

番組そのものは中学生にはそんなに面白くありません。岡田奈々が可愛くて、番組の後半で(中3になっていた)でかかる劇中曲「青春の坂道」が良いのでした。いま聞くと切なくて泣きますね。忘れてしまった純愛を信じられそうで。

https://www.youtube.com/watch?v=kJnjNuNt59Y

東中野の中高一貫校へ通っていたので、中央線沿線は寄り道しました。よほど学校を休んで「俺たちの旅」のロケを観に行こうかと思ったのに、意気地が無くて出来ませんでした。

井の頭公園駅はわりと当時のままです。公園やドラマのオープニングで3人が肩車する吉祥寺の商店街の入り口は当時の面影があります。

公園の散歩でふと気づいた弁天橋。見た事があるなと思って検索すると、当時のまま。びっくりです。

過去へは戻れませんけど過去と地続きのような風景は捨てがたい魅力です。

 

公園の三鷹方面は北園と呼ばれる区域で、その先にジブリがあります。

そっちの方はあまり行きません。

自然文化園(動物園)も2回くらいしか行ってません。象のはな子さんには会いました。リス舎へ入ってリスにからかわれて困りました。雨の日に行ってまったく人が居なくて貸し切り状態でした。

動物園の外れに、長崎の平和祈念の像を作った北村西望記念館があります。武蔵野市民だったそうです。巨大な像がたくさんあって一人で見るには怖いくらいです。

公園の中央にある七井橋から神田川の反対側、つまり西側を見ると白いマンションが建っています。3つくらい並んでいる建物が1枚の板のように見えます。

10階に住んでいた人と仲良くなったので、あのマンションはここへ来た人ならみんな憧れるんですよ、池が庭のようじゃないですか。と言うと、住み心地はそうでもないらしいです。

まず南風が鬱陶しいと言いました。それから高いマンションなのに、購入しても修繕費や管理費で8万くらい払っていたとか。組合も面倒だと。

ぼくは18年近く1階です。その前がエレベーターなしの5階と4階でそれぞれ5年くらい居て引っ越しがひたすら大変でした。あの地震以降、1階以外は住みたくありません。

 

公園周辺、春は賑やかと言うより騒々しくて、桜は綺麗なのに行くのが面倒になってしまいます。

初夏から夏は最高に良いです。暑さは苦手なのに緑が濃くて生き生きしている姿が最高なんです。

実は梅雨を含めて雨の公園はなかなか風情があるんです。雨も苦手なんですけど。いざ行ってみると人が居なくて公園を独占しているかのようです。

秋、最近はなかなか紅葉になりません。23区より気温は低いんです。冬の手前くらいが綺麗になります。

真冬も苦手です。しかし、雪の公園がまた綺麗なんです。

猫の世話をしていた時は雨も雪も大嫌いでした。猫にとって死活問題でしたから。とくに豪雪時は雪かきをしないと猫が動けなくなる。必死で雪かきをしました。

池一面が雪に染まるとどこか極地へ行ったかのようです。

100周年記念を迎える公園の事業として、かいぼりを2回やっています。もう1回やると聞いています。

ポンプで水を汲み上げ、ヘドロの底を陽に当てると浄化するのだとか。素人目になぜヘドロそのものを汲み上げないのか気になって仕方がありません。

その際に外来種を駆除しています。鰻や中国のソウギョまで居ました。

ヘドロの中から自転車がたくさん出て来ました。ジブリの映画「千と千尋の神隠し」のあのままです。

前回の日記のあと、ハクは、この池の龍がモデルだと教えてくれる人が居ました。龍、やはり居るんですよ。

いま弁天堂の鬼門避けの稲荷がありませんから、悪いものが入って来そうです。反対に、龍が出ていってしまったら勿体ない事をするんじゃないかと。

 

 

フェイスブック、mixi、ご近所さん、アメブロで、同じ内容を載せています。mixiとご近所さんは画像を3点しか添付出来ません。アメブロは未登録でも見る事が出来ますので、mixi、ご近所さんでもっと写真を見たい方がいましたら、アメブロの方も参照して下さい。

http://ameblo.jp/gara999/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ヤマキチ、届く

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ヤマキチ、届く

山吉屋オリジナルのソフビシリーズ、<ヤマキチ>の1期塗装バージョンが発売されました。このシリーズは、ヤマキチを中心に、ヤマキチの装備のオプション、敵や仲間、遠い親戚、赤の他人、意味不明ながらヤマキチワールドに顔を見せるキャラクターを展開していくもの。

ヤマキチは未来から来た猿人です。猿人だからやっぱり知能が高くて孤独です。しかし人類と関わることでナニカ正義的な活躍を見せます。

相棒にSALという電子頭脳内臓サイボーグ猿が付いています。これは指人形ですが、SALもちゃんと装備に加わります。

むかし、ぼくが好きだった1966年のアメリカの商品、キャプテンアクションやスペースマンへの憧れをソフビに活かせないかと思っていました。メーカーと二人三脚でやっていきます。

ヘッダーと台紙は金子大輝さんの絵です。これでやっと一人前になった感じですねぇ。

http://www.yamakichiya.com/

 

 

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16-11-19

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16-11-19

毎月金曜の晩、特撮仲間、怪獣仲間と飲み会を始めて昨夜で41回目。3年半くらい続いています。ここのところ14、15人ぐらいです。

19時から22時まで吉祥寺のダイニングバーSORAさんで1次会をします。SORAさんとは動物仲間でもあります。

それから駅前のマックで0時まで2次会。そして朝5時までガストで3次会。くたくたになります。

電車組の中には4次会へ突入する猛者もいるそうですが、ともあれ、ぼくは猫たちが待っているので急いで帰ります。

でもその前。

ぼくは地元なので、2次会のあと、深夜0時にいったん家に戻ります。猫たちのご飯とトイレの世話をして、3次会へ向かう慣わしです。

家の猫たちはそんなに運動量はありませんからなんとなくお腹が減ったくらいで済むんですが、外の猫たちは逃げるも追うも体力を使います。つねにお腹を減らしているんです。

大屋さんの手前、夕方になってからこっそり出した小皿はすでに空。通常は、4、5回、朝までに代えますから、お腹空かせています。

で、

その際。家に向かって5メートルくらいの先からクロスケがたったったったと、軽快に駆けてきました。クロスケ! 路の正面、奥から、やってきます。ぼくも少し急ぎ足。クロスケ! 一目散に来てくれるからこっちも嬉しくなってしゃがもうとしたとたん、クロスケ、消えた!

何度も見返しました。路の脇も確認、居ません。え~。

クロスケ居なくなるは困るなぁ。外の猫はいきなり会えなくなる事がありますから。その予知夢、白昼夢だったら嫌だ。

クロスケは以前にも、近所のお宅の物置へ入っていたのを閉められてしまい、3日、外へ出られなかった。

もし、そんな事になっていたら? クロスケのSOSなのか。

でもちゃんと、朝5時に帰った際は、生身のクロスケ、待ちかねて車の下から出て来ておねだりしました。

あれはなんだったんだろう。お腹空いた、というクロスケの生き霊だったのか。

 

画像はしんこ。食べても食べてもお腹が空きます。

ポスターは、西友に貼ってあった江口寿史さんの絵。もうなんども商店街に頼まれて描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

<モーレツ!特撮ナイト>は42回目!

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「シン・ゴジラ」強し。今年の後半はぜんぶ持って行かれましたねぇ。来年の、あんな情報やこんな情報も飛び交いました。本当に楽しみが続きます。そしてまた今回もさまざまなグッズが登場します。来年、67年のカレンダーがそのまま使えるとか。キチムシ出展の開田さんコンパクトな画集を買ってきていただきました。嬉しい。モゲラは朝市に出た板鉛をベースへ貼り付けたスタチュー。2千円だったとか。びっくりしたのはウルトラ兄弟の肩車ポスター。ゾフィ、大変だぞ。

 

 

次回、

<モーレツ!特撮ナイト>は42回目、12月16日(金)です。 

クリスマスプレゼントの交換をしたいと思います。

各自、500円ていどのお品をお持ち下さい。

買わなくても要らないオモチャや本、なんでもかまいません。

参加希望の可否を連絡下さい。フェイスブック、mixiへ書き込んでくれてもかまいません。メールでもかまいません。

 

吉祥寺SORA 

12月16日(金)19~22時 

参加費4.000円 

2次会(マック)、3次会(ガスト)は成り行きです。 

ここのところずっと朝までコースです。もちろん2次会以降は自由参加です。

 

<お約束> 

・予約制です。 

・第2か第3の金曜の19時~22時です。 

・予約受付を、出来るだけ水曜夕方くらいまでにお願いします。 

・18名で締め切ります。 

・キャンセル受付は前日まで。 

・当日キャンセルは参加費負担になりますのでご注意下さい。 

・開始前の来店時間は早くても5分前まで。それより前は準備中。外で待っていて下さい。早すぎるとお店が困るので、厳守です。 

・人数が多くなるとお店の仕込みが大変です。上記、ご協力下さい。

 

 

 

 

公園の不思議

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公園の不思議

せっかく井の頭公園の猫生活をまとめたので、おまけに公園で体験した不思議な事を。いや総じてそんなたいそうなものでございませんが。

ただ1つだけびっくりしたのは、龍を見た事。公園に隣接する神社の裏手、民家の前で、いつものように猫の世話をしようと捜していて、ふと振り返り仰ぎ見ると、黄金の輝きとともに龍の頭がアゴをこちらへ見せて光って消えた。

最初、巨大なロケット花火かと思ったのですが、大きさがまったく違うんです。100メートルから200メートルの間くらいの距離。したがって、龍の頭は怪獣サイズです。

それにしてもなぜ頭だけだったんだろう。

神社はとくに龍に縁のあるものでなさそうだし、ぼくは信心をもたない。

でも、公園の猫たちは、ぼくが帰るとなにがあっても運を天に任せるしかなくて、稲荷と弁天堂で手を合わせました。神社は私設なんですが、たぬこが世話になっているので、お堂の裏手から塀沿いに手を合わせました。

公園で、天狗を見た!という人も居るぐらいだから、龍や妖怪が居てもおかしくありません。

 

ざっと井の頭公園のあらましを書くと、遠く縄文の頃から人が暮らしていたのは湧き水が池を湛えていたため。

改築したいせやの土壌掘削工事で、古代人の遺跡が出てきて、同じところに厨房があったそうです。縄文人も調理したんですねぇ。縄文の遺跡は公園の周囲に何カ所か発掘されます。

武蔵野は水が豊かでした。公園の池は湧き水です。それが神田川の源流になりました。

本来の湧き水は、池を囲んだ7箇所から出ていて、七井の池と言われ、井戸の頭転じて井の頭と呼ばれました。

ところが高尾からここへ到るまで、道路の舗装、樹木の伐採、土地開発で、地下の豊かな水が減ってしまい、もう湧き水は自然の力では湧いて来ずにメインの所はポンプで汲み上げています。

池の西側に現在でも神田川の始まりとされる源泉がそれに当たります。徳川家康がその水でお茶を立てたため、お茶の水、と言う名前はそこから産まれたとか。

ちなみに、徳川家の鷹狩りの地が三鷹です。鷹に縁があるせいか、ジブリの前に鷹の居る喫茶店がありますがまだ行ってません。たまに鷹匠が腕に鷹を止まらせて公園を散歩しています。

弁天堂は平安の頃に設置され、江戸時代の浮世絵にもありました。神田川に沿ってお参りに来るのが流行ったそうです。

日本橋の商人が神田川を運搬に使って繁盛した事で、弁天堂へ石碑を寄贈しています。

その弁天の鬼門封じに稲荷が東北の地点にありましたが、数年前、付け火でぼやが起きて撤去されてしまいました。現在は稲荷跡地にされています。悪いものが入って来そうですね。

地元の人は稲荷を再建して欲しくて寄付をしたいと陳情するんですが、管轄が都なので、まったく動きそうにないです。

公園の管理は都がやっているんです。

井の頭公園でカップルがボートに乗ると弁天が嫉妬して別れる、と言うジンクスがあります。弁天が女の神様だから揶揄されたわけで、そんな事はありません。

白鳥の足こぎボート、1つだけ、オスが居ます。まつげと眉で見分けます。

高度成長期まで、池は美しく、透明だったそうです。そこで池を区切ってプールにしていました。井の頭公園駅の駅前も池の水を汲み上げたプールがあったそうです。現在は公園です。しかし地下水があまりに冷たくてプールは廃れてしまいました。

ぼくがよく通った泳遊亭の名前は、その名残です。

100周年記念行事の一貫として池の水を抜いて底を陽に当てるかいぼりという作業が2回ありました。池はそう深くありませんでした。

外来種を駆除する目的もありました。緋鯉も本来は居ないからと駆除されました。バブルの崩壊で、大事にしていた錦鯉を池に放つ元社長さんが居たと言われていました。

 

ざっとこんな謂われが、井の頭公園にあります。いやまだあるでしょうけど、空で言えるのがこんな感じで。

霊験あらたかと言えば、水でしょうね。弁天様も、池を埋め立てて設置されています。

かいぼりをして、たしかに以前より水は綺麗になりました。それに、何カ所か湧き水が微々たる量でしたが、発見出来ました。

パワースポットと言われるのは源泉の所です。ぼくはそこよりも神社の下の道にナニカを感じます。

いえ、ぼくは霊能者ではありませんし、恐がりなので、あまり真剣に考えていません。龍の頭を見たのはその道から階段を上がった所。

猫の写真を撮っているとオーブと呼ばれる浮遊物が写ります。オーブなのか、たまゆらなのか、虫のオシッコなのか、分かりません。でも、写る時とそうでない時があり、季節も関係ありません。中には人間サイズの球体があります。赤いのも。

たぬこと写っている写真を見ると、明らかにたぬこには見えている感じです。猫がふと天井を見上げている、と言う経験は飼っている人にはよくあるでしょう。犬もやります。人間には見えないものが居る?

とはいえ、霊的なものかどうかは、分かりません。デジカメのフラッシュ撮影で写るので、光を反射しているわけですから物理的な存在です。

猫はエジプトでは神のそばにいます。人間よりも上です。

疲れているとき森林浴をすると良いと言われます。オーブが目に見えたら誰も行かなくなりますけど、精霊のようなものがたくさん居るとしたら、そこは心地好いかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公園の猫たち

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公園の猫たち

昨日の続きです。画像を編集していたら、どのカットも思い出が詰まっていて、他の猫たちもいとおしくなり、ざっとまとめました。

もう、公園に猫は残っていません。

当地元には、武蔵野と三鷹に地域猫の会があります。どちらも精力的に猫と地元住人のために動いています。NPOですから本当に熱意と善意だけです。

みな猫が好きで、生き物のいのちを大事にしていきたいと考えている一方で、猫を歓迎しない人たちの意見もきちんと聞いて、対策を立てます。ほとんどが、去勢、避妊、里子活動です。

ぼくも公園の猫を保護する際に手伝ってもらいました。

吉祥寺へ越して来たのは18年近く前です。本町に14年、東町で4年目。公園の猫を引き取るために引っ越しました。

猫は好きでしたが、前のアパートは裏が大屋さんで、もちろんペット不可でしたから、美也を引き取るときは1週間、深く考え込みました。その時は(12年前)地域猫の会なんてありませんし、相談する相手も見あたらなかったため、なし崩し的に捕獲して、そのまま飼うことに。

街道沿いのある店のベランダに生後3ヶ月くらいの美也がうろうろしていて、通りがかりの学生がポテトチップなどをあげていました。猫はそんなものは食べません。深夜道路の工事が迫っている中で、食べ物と水を届けて1週間後、引き取りました。

誰も拾って行かないのは、雑巾のように見栄えがよくないからだ。ぼくには可愛く見えるんだが。そう思ったのがいけない。

それから大屋さんに隠れて美也と暮らしました。この12年間、12時間以上家を空けたことはありません。旅行は諦めました。

 

美也が来る前に、井の頭公園の手前にあったドナテロウズというアイス屋へ通っていました。越して来た時から気に入っていました。

亡くなったnちゃんが気に入っていたので、店に入ればnちゃんの想いが残っていそうでした。

ドナテロウズはいつの間にか店長の猫好きが高じて里親募集の貼り紙を貼ったり、行く宛のない猫を引き取っていました。通い猫もいました。

閉店の際、店に関わった猫はすべて連れて行っています。

パンダという名物猫が可愛くて、夕方行って、30分から1時間、コーヒー1杯で眺め戯れました。

パンダは老描になって、動きも散漫になりました。いつも足下に来てくれます。ぼくは爪磨きをブラシにして、人に見られないようにパンダにブラシをかけました。

パンダ、可愛いなと思っていたら、美也がやってきた感じです。

パンダが亡くなると、今度は公園で美也と同じサビ猫のたぬこと出会いました。たぶん、パンダが引き合わせたんです。

池を挟んで店の対岸。

池一周と三鷹台まで神田川に沿って往復して2㎞の散歩を楽しんでいました。たぬこは、公園に隣接した小さな神社をねぐらにしている。

美也と同じサビ猫だ。まてよ、お腹がぷっくらだな。

そう思ったら老婆心が働きます。栄養をつけないと。散歩の目的が反れて、せっせと食べ物を届けました。

しかしいっこうに産んだ形跡がなくて、どうやらそういう体形だったと。まんまとしてやられて、たぬことのつきあいが始まりました。

たぬこは賢い猫で、ぼくが行くと一緒に行動してくれます。

神社を一周して、公園の桜の樹の高い枝にサッと上がる。時に池に張り出した先までも。こっちは冷や冷やです。

そしてちゃんと戻って来て、撫でさせてくれます。どう?と自慢げです。

たぬこと2人の時間はすぐ新参の若い猫に邪魔されました。

キジ坊と呼んだキジ猫のチビは、泳遊亭の裏のお宅の猫でした。

ドナテロウズも泳遊亭も閉店しました。憩いの場所は、猫の思い出とともに記憶の中だけになります。

キジ坊は本名をティガと言いました。ものすごい行動力で、反対側の猫の森まで来ていました。池の周りぐらいはへっちゃらで移動します。

ヤンチャなティガは片っ端から喧嘩を売っていました。飼い主に早く去勢をして下さいと何度も頼みましたが。昔ながらの飼い方を主張するため仕方ありません。やっぱり体を悪くしていまは外へ出せません。

同じ頃に現れた、たまちゃん。若い2匹は最初の盛りでたぬこの後をついて回り、たぬこは常に怒っていました。

たまちゃんは怪我をした際に捕獲して去勢しました。費用負担です。

公園はほとんどが三鷹市です。武蔵野市はドナテロウズ側の崖の下ぐらいまで。武蔵野市は去勢不妊を負担してくれました。当時、三鷹市はその枠が期間限定でした。

たまちゃんもそのままサヨナラというわけに行かず、たぬこと距離を離してご飯をあげる毎日でした。

 

外猫はだいたい3年から5年で寿命を終えます。過酷な外の暮らしで、病気や衰弱、事故に遭います。だいたい食べる物がありません。

捕食する獲物は地ネズミ、鳩ぐらいです。冬は捕れません。草木がなくて小動物が姿を見せないためです。町の残飯なんて種分けして厳重に出されるためなかなかありつけません。

公園の猫は、来園者が食べ物を与えます。なんでもあげてしまいます。お腹が減ればなんでも食べますよ。そのため、安いカリカリや油、塩分で内臓をダメにし肥満になります。

出会いと別れの繰り返しです。猫の森の4匹を引き取った夏、たぬこはリンパ腫で亡くなりました。39日間うちで世話しました。毎日がつらくて泣きながら薬を与えました。

たまちゃんはもっと可哀相で、若いのに、雪の日が続いたことと獣に噛まれてウイルスが回ってしまったのか、動けなくなっていました。たぶん犬を嗾けられたんでしょうね。前にもありましたから。

役所の紹介で産廃業者まで行って、冷凍保管されていたたまちゃんを連れて帰りました。この2匹は、深大寺の動物霊園で個別立会葬にしてもらい、お骨を持ち帰りました。もう、うちの子です。

簡単な気持ちで外の猫に食べ物を与えているわけでありませんが、死を奨励する気持ちにはなれません。

猫なんて勝手に生きていける? そんな事はありません。そんなに楽に食べ物にありつけません。最初に人が捨てなければ不幸な猫が増えないで済んだのです。

自己満足と言われてしまえばそんなものです。気持ちだけで、雨の日も雪の日も正月も都合3年間休みなく通い、最終的に引き取りました。もうそんな元気はありませんから、あとは近所の猫の世話だけです。ずいぶん里子に出せました。

猫嫌いのお宅に、何度となく叱られました。餌をやるから増えるんだ! と。とはいえ、言い訳なんて聞く耳は持ってくれません。捨てた誰かを恨むよりも、ただただ平身低頭。喧嘩するとあとで毒を盛られて取り返しがつきませんから。

増えはしません。捕まえて去勢・不妊をしてその代で終わる。

食べ物は、生き物の最後の権利ですよ。野生の動物じゃないんだから。ペットとして人に寄り添って来た相手ですから。それでも長生き出来ません。生きている時間が限られます。

猫が減ればハクビシンやハナグマ、狸が増えていくでしょう。

怖いのは人間の虐待です。捕獲業者もいます。

猫ブームなどとあおるテレビも困ります。ペット産業を見直して欲しい。

保健所や被災地の犬猫を救って欲しい。

 

 

・ドナテロウズ。看板猫だったパンダ。この猫目当てに通っていた人は少なくないそうです。

 

・黒白ののぶくん。耳が垂れた白茶のローリー。アイスは3種類選んで300円だったか400円だったか。お手製のリンゴパイとバナナケーキも美味しいでした。

 

・背中を向けているのはたいちゃん。パンダの跡を継いだのははっちゃん。

 

・三毛ちゃんは滅多に姿を見せませんでした。この風景は二度と見られません。

 

 

 

 

 

・小太郎は前回紹介しました。オスなのに3㎏なかったんじゃなかろうか。半年ほど猫の森に来て、ダンボールの中で息絶えました。深大寺の動物霊園で合同葬にしました。小柄で温和しい猫でした。

 

 

・片目だから、ジャック。公園に遊びに来た感じの住宅地に居た猫でしょう。たまに見かけて、そのうち姿を消しました。

 

 

・ティガ。泳遊亭が料理屋さんとして再開した年に、泳遊亭を経営したおじさんの甥っ子が瀕死の子猫を拾ってきた。裏のお宅が引き取ってくれてティガと名付けた。ティガは放任主義にされ、ぼくは迷い猫かなと思ったぐらいでした。キジ坊と勝手に名前を付けました。

 

 

 

・まろんちゃん。赤毛で、麿赤児が吉祥寺なので、連想で、まろんちゃんと呼んでいました。飼い猫です。

 

・たまちゃん。生後1年も経ってないような猫でした。ぼくを見つけると、あーっ!と声をあげます。触れない猫でしたが、最後の方、ぼくがご飯の用意をしていたらたまちゃんから触ってきた。慣れてきたのに冬が越せなかった。お骨を預かっています。手足が短くて可愛いでした。

 

 

 

 

 

・たぬこ。神社の主でした。知能が高い猫でした。ぼくはたぬこの魔法にかけられました。病院も車も自転車もまったく同じない出来すぎの猫でした。リンパ腫で亡くなりました。いまお骨になってそばに居ます。思い出がたくさんあります。

 

 

 

グーグーと森の猫

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グーグーと森の猫

温かくなるとは分かっていても毛布をかぶって寝たら熱くて目が覚めてしまった。いったん目が覚めると以前とは違って二度寝が出来ません。

なんとしても寝てやろうと、時計を見ると3時間しか寝てないので、やっぱり寝るべきだなと横になったんですが、そういう時は隣の部屋のテレビの音がうぉんうぉん聞こえてしまい、猫たちも、起きるの?と目を輝かせるため、起きました。猫たちはご飯がいつもより早くもらえると分かって大喜びです。

テレビを点けると、日本映画専門チャンネルで「グーグーだって猫である」をやっていました。

吉祥寺が舞台なのに映画館では観てなくて、以前も同じチャンネルで見たはずです。製作は08年と言う事で、もう8年前の映画ですね。

その頃ぼくは井の頭公園の手前の階段の途中にあるドナテロウズと言うアイス屋さんへ日参していました。

店は、猫の里親捜しのチラシがウインドウに貼ってあり、店内に猫が居ました。コーヒーが250円と激安で、30分くらいコーヒーを飲んでは猫と戯れるのが日課でした。

映画の撮影をやっていたのは知っていましたが、ドラマは吉祥寺のどこかでよく撮っているのでとくに気になりません。

ちょうどいせやで撮影をしているときに店の前を通りかかりました。あの頃のいせやは面白い店でした。増築を重ねて、違反もあったでしょうが、消防署から建て替えを迫られていたそうです。焼き鳥屋が火事になったらシャレになりません。

いせやを好きだったのはそこまででした。

建て替えが決まって、借地だったドナテロウズをどかしたんですね。借景が素晴らしいわけです。近隣の猫好きはいせやに二度と行ってません。

それはさておき。

ドナテロウズでお茶をしても、ぼくは公園の散歩はたまにしかしません。ただ猫が目当てだったわけです。店の看板猫が亡くなった一年後、なんとなく散歩を始めました。体力のためでなく、精神的に塞いでいたため緑の中を歩きたくなったのです。

そして、猫と出会う。猫はしばらくするとお腹が膨らんだので、大変だなぁと不憫に思ってしまったのがいけない。それから栄養のあるものを届けた。うちの美也と同じサビ猫だった事も理由の1つです。

それから休むことなく毎日公園を散歩して馴染みの猫と遊んだ。1年半くらい。

 

11年、あの東日本の震災の年です。その前後に、公園の1区画で猫の世話をしているおじさんと知り合ったのでした。おじさんは学者のような風情と実際に博識で、外で暮らしているのか通っているのか、身綺麗にされていた。

クリスマスが近づいた頃、ダンボールがその区画(ぼくはのちに猫の森と呼ぶようになりました)に捨てられた。目張りされた中にビニール袋があって子猫が4匹入っていたそうです。そういう事がよくあったため、おじさんは猫の面倒を見ていました。

おじさんは偉くてホームレスを何人も生活保護を受けさせて公園を卒業させたそうです。猫のための猫ハウスがデンと置かれ、ブルーシートがかけられていました。順路を外れるとはいえ、目に付きます。公園の事務局と戦っていました。

ぼくが知り合った時は大人猫4匹、子猫2匹でした。

震災の日もぼくは散歩して、馴染みの猫にオヤツをあげました。その5月、おじさんが亡くなった。

姿が見えない。ブルーシートもなくなった。生花が手向けられている。残された猫4匹(子猫2匹は無事に里子に出ました)。

様子を見つつ、結局、ぼくは4匹の面倒を見る事にしたのです。馴染みの猫がもし居なかったらそんな気にならなかったかもしれません。

どこかで連鎖しているんでしょうね。

1年半、4匹の夜のご飯を届け、最終的に引き取りました。2匹はうちに、2匹はmさん宅へ。

この間の悪戦苦闘は簡単に説明しきれません。

 

要するに、大島弓子さんが「グーグーだって猫である」を描いたマンションのすぐ下が、この区画、猫の森でした。グーグーが走って遊んだ場所。

皮肉なことに捨てられる猫が後を断たず、名もなき外暮らしのおじさんが世話していた。

おじさんの正体ははっきりしません。女子大の助教授だった人。松平の家系で資産家だったが、バブルの頃、詐欺に遭って資産のほとんどを失った。残されたマンションの1部屋を残して甥の名義に換え、その部屋へ週に1日だけ帰る。などなど。

おじさんの友人や知人が、たまにおじさんが亡くなった所へ焼香に来て話を伺いました。

猫の世話はぼくだけでなく、朝は朝ジョギングに来る人が、昼は散歩に来る人が、夕方ぼくが、それぞれ勝手にやっていました。台風明けなど心配で朝早く行ってみると、そういう人と出会った互いに笑ってなんとかしたいですねぇとつかみ所のない話をしました。

おじさんは享年が62才と意外と若かった。もっとお爺さんのようにも見えたのは、過酷な暮らしがいのちを縮めたんですよ。

公園は緑豊かのように見えて、夏は湿気と虫がものすごく、冬は尋常でない寒さです。地下水を汲み上げた池のため、大地が冷え切っています。

人間が天気の好いときに来て、猫を見てはのどかだなぁと思う。でもそれは都合の良い話で、生き物が生きていくには厳しい環境でした。

また猫たちは常に気が休まらないのは、猫を見つけてスマホや携帯で追いかける人、とくに子どもは捕まえようと追い回します。花見のシーズンは最悪です。

ぼくも体験しましたけど、犬連れの中には伸びるリードで、犬を猫へ嗾ける人がいるんですね。あれはひどすぎる。

もちろん猫嫌いもいます。近隣の大きな敷地の人に実際何度も猫の被害があるから世話なんてするなと罵られました。

ホームレスも猫も、行く宛がなくて公園に来るのに、それさえ認めてくれないってどんな事なんだろう。

「グーグー」は面白いマンガでした。映画もまぁまぁ。テレビのドラマはまだ見ていません。テレビ版に出ていた田中民さんが、亡くなったおじさんにそっくりでした。大島さんも同じ人に会っていたんだろうか。

ともあれテレビを横目に、公園時代の4匹の写真を懐かしみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴジラの日記念に。

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ゴジラの日記念に。

83年に作ってビリケンに置いてもらった初代ゴジラのラテックス人形。50センチで、アルミ線を入れてあるため、指1本まで可動します。手元にはもうなくて、10体くらい作りました。

当時買ってくれた人がヤフオクに出した時の参考映像。まだ健在なのでびっくり。さすが、市川ゴム。

https://www.youtube.com/watch?v=OurCqvzk9FI

 

 

 

・そのビハインド。粘土は油粘土です。角材と針金で芯を作って粘土を盛りつけ、前後分割にするため、切り金をさします。

石膏を指で弾くようにかけます。厚みは1センチくらい。粘土原型から石膏型をはずして乾燥させ、れてっくすを流します。ラテックスはあらかじめリキテックスの黒で色をつけておきます。麻を束ねた状態で割り箸にくくり輪ゴムで止めて、ラテばけを作って、ラテックスを塗っていきます。補強のため、ガーゼを挟んでいます。内側が乾いたらベビーパウダーをぱんぱんやってくっつかないようにします。ウレタンを筋肉に添って貼っておきます。それと別に、アルミ線を3本、ラテックスを塗った天竺布(幅2センチくらいに切っておく)を螺旋状に巻いて芯にして、中の人間のプロポーションを再現します。ウレタンを巻いて、ラテックスの外側となじませ、貼り付けます。貼り合わせはゴム糊。合わせ目はラテックスで補強します。ラテックスにオガクズを混ぜたものをパテ代わりにします。

背ビレ、爪、歯は別に作っておきます。歯と爪は樹脂、そのままの色です。東宝はそうしています。飴色になります。背ビレは樹脂でも作りましたが、面倒なので、プラキャストも使いました。アルミ線を中に入れて背ビレも動かせるようにしてあります。もちろん、指1本が動き、爪も動きます。電飾を仕組みました。この当時は豆球です。

83年頃なので、22才の時です。83年から84年にゴジラの絵本を何冊か出していて、ジオラマを展開しました。そのあと作ったのでした。

 

 

 

・完成品。建築模型の会社へ入った頃。2年ほど居ました。その間、ビリケン商会で置いてもらって、7、8体売れたと思います。そのうちの1つを買った人がヤフオクに出したときの写真が右側で、川崎のペッパーランドの店長さんでした。35万で落札した人がいるんです。動画も彼が。

 

 

・「モデルグラフィック」で紹介してもらえました。その頃、「ホビージャパン」の表紙のゴジラ(84年の、)をやったのでちょっと心苦しいでしたが。HJのゴジラはもともと絵本用に作ったのがブームが引けてしまって、使わなくなって、HJで使ってもらったので、名前をジオラマでアシスタントとしてくれていた新井くんにしてあります。名前だけ借りました。彼はいま、上毛新聞の記者です。

その後、90年代に使う宛のなかったジオラマの写真をまとめた「ジオラマシアターゴジラ」を出す事がかないました。表紙で初代ゴジラを使っています。

なべやかんくんが1つ持っています。当時まだ中学生だったのでお金は取れないので、なにか物々交換にしようと、彼が某氏から抜きっぱなしのミラーマンをもらって回してくれたんですが、完成させるのが面倒で、何年かそのままで持っていた挙げ句、飽きてしまって、某氏へ返しました。

ま、そんなものです。

 

ゴジラの日

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ゴジラの日

1954年11月3日、初代「ゴジラ」が公開されました。

渋谷東宝に並んだ列はハチ公まで続いたそうです。それから62年目。

ゴジラに誕生日があるとしたらこの日が62才。おめでとう、ゴジラ!

と言う事で、ゴジラも嬉しい美女と怪獣の図。

河内桃子さんと初代ゴジラ。それと、成田さんが描いた「世界大怪獣カード」のゴジラ。