17-02-20

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17-02-20

公園から引き取った猫たち、飼い猫になって5年目の始まり。

ゴエモンとシロちゃんはうちへ来たのが19日でしたが、実はその2週間前に捕獲して猫会の人のお宅に居候していました。

猫を引き取るためにぼくは同じ市内からここへ引っ越し、4年前は本当に大変でした。

ロクスケと太郎ちゃんはmさんが引き取りました。17日はロクスケが家猫になれた日。太郎ちゃんは1ヶ月後です。

そのロクスケ、犬歯が1本抜けてしまった。

少し前から犬歯が数ミリ飛び出したとmさんから報されていたので、これは抜けるなと思ったら案の定でした。

猫会の人に聞いたら自然に抜けて良かったと。根っこが残ったりすると大変なんです。

ロクスケは10才ぐらい。太郎ちゃんは7才ぐらい。ロクちゃんだってまだまだ若いのですが、外暮らしで苦労していますからね。抜けちゃったものはしょうがない。でももう苦労しなくて良いのだから。

うちの年長の猫たちは、5月で3匹とも13才。実は外の猫たちは何才か判りません。

公園で猫を見ていた人たちの証言でそれぐらいの年齢だろうと。

美也だけが赤ちゃんの時の捕獲で、3ヶ月か4ヶ月のサイズだったため、逆算して、ぼくと同じ5月生まれにしました。

しかし里子の場合は誕生日より家に来た日が記念日ですよね。

ともあれ、家猫になれた3匹(太郎ちゃんは来月)の君たち、おめでとう。5年目スタート。

猫たちの運命が変わった冬。春はもうすぐそこ。

 

週末、遊びに遊んだため、今日から作業に邁進しています。

祭の後の静けさで寂しい気もしますが、ともかくも頑張るしかありません。仕事をなんとか取っていかないと。家族がたくさんいるので。

 

 

 

・ロクスケ。左の牙、伸びて来た。これは抜ける前兆。そして綺麗に抜けてしまった。

 

 

・左、太郎ちゃん、その右上、クロスケ、その下、くうちゃん。

 

 

・左上、シロちゃん、その下、しんこ。右上、ゴエモン、その下、美也。

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17-02-19

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43年ぶり、途中で転校した人もいたのであるいはそれ以上ぶりで、小学校の同窓会。
うちの小学校はちょっと変わっていました。1学年42人。いえ、田舎の分校ではありません。大田区石川台の私立の小学校。
6年間のうち2年だけ2クラスになった事があったのだけど、また1クラスに戻って卒業の日を迎える。みんな兄弟みたいに仲良しでした。
あまり居心地の良い学校だったために、ぼくは中学の水が合わずに苦労しました。
温室で育てられていたら、いきなり流れの速い川に投げ出されて、そのまま大海原へほっぽりだされた感じ。
もうその時から劣等感と優越感が行ったり来たり。
そこで歪んだがため変な回顧趣味が露出していまに続くんですからね。
個人的には、いまでも小学生に受験勉強なんてさせるものじゃないと思いますが。ま、でも、親に大事にされた事はみんな同じ意見でした。
懐かしくて楽しい時間でした。本当にありがとうございました。
 
 
 
 
 

追記。

ぼくはそうとうな悪戯ッ子でした。たさくんの同級生に迷惑をかけた事をおぼろげに思い出します。

でもやった悪戯の内容より、いまなら問題になりそうな先生の体罰を受けた事をみんなよく覚えていらっしゃった。

仏教系の学校で礼節に厳しく、躾けのつもりがあったのでしょう。

1メートルの竹定規で足のふくらはぎを叩かれる。それはまだ序の口で、頬をつねられる。つねったまま、足が浮くぐらい、引っ張り上げる。そんな先生って有り得ないですよ。

冷静に考えても先生、サディストだったと思う。

もっとも中学へ入ったら今度は軍隊経験の先生に殴られない生徒はいなかったぐらいでしたが。そんな時代でした。

ま、悪戯というか、小学生だから授業中に簡単にさわぐわけです。さわいだ回数を学級委員がチェックして報告され、ぼくやぼくと同じようににぎやかな生徒が前に呼ばれて体罰を受ける。

ほっぺたが腫れて青痣になるぐらい、つねられた。それでほっぺたがぽちゃっとしたままなのかどうか。

その先生も亡くなりました。

 
 
 
 
 
 
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次会、モーレツ!特撮ナイト 45回目

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次回、

<モーレツ!特撮ナイト>は45回目、3月17日(金)です。 

フェイスブック、mixiのグループ<モーレツ!特撮ナイト>へでもこちら宛にメールやメッセでもかまいません。申し込みは前日まで。

 

 

メフィラス議長が招集した火星でのウルトラマン打倒会議。それなのに、いきなり「お見せしよう!」って誰だ!?

あっちでもこっちでも変身! 変身なのか変態なのか、紙一重。

そして新刊本の見せっこですよ。中村宏治くんが出来たての「ウルトラ怪獣アートワークス」を見せるなら、こっちだって「ウルトラモデリングワールド」で勝負ですよ。しかして金子大輝さんの同人誌「ロマンアルバム仮面ライダー」のスゴサに脱帽。

いろいろ盛りだくさんで宇宙人会議は決が定まらないままマック、ガストと移動。ここだけの話ですが、メフィラス二代目のデザイン画、誰の絵だか知ってますがな。

と言う事で、朝まで生トクサツ。家に帰って猫たちに頭を下げます。みーがいちばんだからね!

 

 

※参加表明、基本的に1次会でお返事下さい。お店の食事の用意があるので、その数を出したいわけです。よろしくお願いします。

 

吉祥寺SORA 

2月17日(金)19~22時 

参加費4.000円 

 

2次会(マック)、3次会(ガスト)は成り行きです。 

ここのところずっと朝までコースです。もちろん2次会以降は自由参加です。

 

<お約束> 

・予約制です。 

・第2か第3の金曜の19時~22時です。 

・予約受付を、出来るだけ水曜夕方くらいまでにお願いします。 

・18名で締め切ります。

・キャンセル受付は前日まで。 

・当日キャンセルは参加費負担になりますのでご注意下さい。 

・開始前の来店時間は早くても<5分前>まで。それより前は準備中。外で待っていて下さい。早すぎるとお店が困るので、厳守です。 

・人数が多くなるとお店の仕込みが大変です。上記、ご協力下さい。

 

 

 

・今夜の宇宙人会議の模様。

 

 

・2次会のマックにて。宇宙人たち。

 

 

・「お見せしよう!」。見せてもらいました。

 

 

・その中村くんの「ウルトラ怪獣アートワークス」から山口修さんのアブドラールス。カッコイイ。

 

 

・やけに詳しい指定の二代目メフィラス星人。

 

 

・これは「ウルトラモデリングワールド」からビーコン。狂おしいほどの美しさ!

 

 

・金子大輝さんの同人誌「ロマンアルバム仮面ライダー」。すごいんだ、これが。

 

 

・今月のテーマのミニポスター。台詞は、金城さんの台本1と「絵物語ウルトラマン」から。絵は成田さん。どこかにゾーフィの姿が。え!?

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17-02-15

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17-02-15

過日、新宿のAmigoへ行ってだぁだぁ話し込んで終電間際で帰ると、時代劇専門チャンネルで「変身忍者嵐」が始まっていました。

Amigoは平山さんが立ち寄って<アジト>と呼んでくれたバー。特撮者のたまり場で、たくさんのサイン色紙が飾ってありました。

ちょうど平山さんのサインを背景に自撮りして1時間も経ってないタイミングで「嵐」かぁと興奮。

頭を少し見られずに、でも2本ずつの放送で、2話目はオープニングからちゃんと見る事が出来ました。あの格好良い主題歌を堪能。色は綺麗だし、再放送を1回くらいしか見てないため久しぶり、感慨深いです。

79年の<ゴジラ大全集>で日劇前に徹夜で並んだ際に、ふだん聴いているカセットをみんなで聴いたり歌ったりして朝を迎えました。70年代ヒーローの主題歌は本当に格好良い。「嵐」も「バロム1」も「シルバー仮面」も「アイアンキング」も。大ヒットした「ウルトラマン」や「仮面ライダー」と同等に、みんな大好きな番組でした。

「嵐」は裏番組が「ウルトラマンAエース」でした。72年の4月金曜の晩。

40、50代ならご存じ、「A」を見るか「嵐」を見るか悩んだはず。

当時はチャンネルをガシャガシャ回す事が当たり前でした。面白くて見入ってしまうとチャンネルを戻した時は話が飛んでいる始末。

クライマックスはたいていラスト5分。見入ってしまうと、どうあっても片方が見られません。

少し解説するならば。「A」の前番組は「帰ってきたウルトラマン」で、最終回に初代ウルトラマンを倒したゼットンが出て、新番組「A」の紹介をするとあって子どもの話題が集中していました。

一方、「嵐」は「少年マガジン」を通じて「仮面ライダー」の系列という事が子どもにも判っていました。

当時は変身ブーム。

前年の71年1月に「宇宙猿人ゴリ」(のちに「スペクトルマン」)が始まって、2度目の怪獣ブームの兆しが起こります。

4月に「帰ってきたウルトラマン」と「仮面ライダー」が始まって、ブームが来ました。

ブームの前振りに「ウルトラファイト」(70年)がありました。したがってどうあっても円谷プロのヒーローへ気持ちは傾きます。「ウルトラマン」が帰ってくるんですからね。

ところがいざ蓋を開けると、新マンは泥臭い。話も暗い。肝心の怪獣も新しい感覚でなかった。大人になればこのことが素晴らしいんですが・・・。

ライダー怪人はセンスがずば抜けていました。話も難しくなく勧善懲悪に徹し、アクションが激しく、すぐライダーキックが流行りました。

 

ぼくは放送少し前から「仮面ライダー」を「ぼくらマガジン」で知っていました。放送が始まると変身のプロセスに憧れて、左ハンドルにレバーの付いたバイクを探しました。小4なのでバイクへまたがっても足が届きません。でも腕を伸ばせばハンドルを握れます。心の中で自分の姿が変わっていく、その快感。暗い話も多かったのに惹かれました。

藤岡弘が撮影中の事故で降板して、佐々木剛が抜擢されました。2号登場! 佐々木さんの明るさで「仮面ライダー」はめきめき人気が集まります。

変身ポーズが披露されました。さんざん真似しました。自転車を漕いで手放しでやるんです。

第2次怪獣ブームは、変身ブームと呼ばれます。

本郷が帰ってくる九州桜島ロケのダブルライダーはぼくにとって最高のシチュエーションとなりました。

困ったときにこそ仲間が集まり、力を貸す。平山イズムですよね。

80年代、東映の平山亨プロデューサーから事業部でなにか企画を立てないかと相談されて、「仮面ライダー復活祭」を2回企画しました。

真っ先に桜島編を選びました。いえ本当は「仮面ライダー対ショッカー」をかけたかったんですが、35ミリと16ミリとでは扱いが違うので断念。

実はその際に佐々木さんへゲストの依頼をしました。火災事故はそのすぐ後でした。

石森先生は喜んで下さり、潮健児さんが遊びに来てくれた。

 

「A」「嵐」の始まる頃、72年春の目玉映画は「仮面ライダー対ショッカー」でした。4月から新1号が登場します。

渋谷東映で観ました。進学塾が渋谷にあったので同級生を誘って、母が連れて行ってくれました。

ぼくらは中学受験をしなければならなず、最後の映画だと念を押されました。上映の合間に仮面ライダーショーがありました。売店でサイン会も。後楽園のショーよりライダーが目の前に居るので自分より小さな子どもを押しのけて見入ったのでした。

東宝の怪獣や円谷の巨大ヒーローも大好きでしたが、東映の等身大ヒーローも大好きなんです。

「A」と「嵐」はそのまま新マンとライダーの延長線ですから熾烈な視聴率戦争です。子どもにとってこんな残酷な選択はありません。

結論から言えば、どっちも人気を食い合って英雄並び立たず。

それでも「嵐」の地味な忍者のチャンバラより、派手な光学合成の「A」の方へ、ぼくの好奇心は勝ってしまいました。ウルトラ兄弟という反則技もありましたし。

恐がりのぼくはどうも時代劇に苦手意識がありました。

最初の怪獣ブーム、66年の映画、大映「大魔神」三部作と東映「大忍術映画ワタリ」は連れて行ってもらっていますが、ともかく怖くて困りました。まず人の肌の生々しさが怖い。血の色、煙、沼、裏切りや生け贄も怖い。

それはつまり、製作者側にしたら真に迫った事になるんですが。

72年のヒット番組に「木枯らし紋次郎」がありました。爪楊枝の真似が危なくて、学校から見てはいけない番組だと言われました。

大人になって時代劇専門チャンネルで「紋次郎」と再会してから考えが改まりました。それから時代劇にはまります。

死と隣り合わせの日常、絶望した女の表情、どこを切っても怖かった「紋次郎」だったのに(夜10時30分だったし)、ロケに使った風景もさぞや変わった事でしょう。映画の時代に蓄えた衣装、鬘、小道具、スタッフ、機材、画面からいろいろ想像すると見方が変わってきます。

「紋次郎」は話も良くて、ずいぶん癒されました。

時代劇のつくりは特撮ヒーローと似ていて、悪が善をいじめ抜き、ぎりぎりのところで巻き返す。つまり勧善懲悪。どちらも誰も見た事のない世界観と言う意味においては時代劇もSFじみています。想像と様式の面白さがどちらにもあります。変身ポーズが歌舞伎の見栄のようなものだと言う事も含めてです。

 

でやっと、「嵐」を、裏を気にすることなく楽しんでいます。いや、仕事の最中で、きちんと見られないんですが、いずれ再放送もあるので、そこで補填するとして。しばらく楽しめそうです。

 

Amigoへ行くと、懐かしい平山さんのサインが守護神のように壁にかかっています。

徳間書店のムック「仮面ライダー」の手伝いを少しやった事があって、第2クールのための議事録をリライトしました。

有名な、平山さんの「殺しちゃならねぇ!」ですよ。

藤岡さんが事故で降板した事で本郷ライダーをどうするか。局は死んだ事にして2号へ切り替えると。そこへ言った発言が「殺しちゃならねぇ!」。

平山さんは出世に苦労された人情家なので、主役をやっととれた藤岡さんを復帰させてあげたい一心だったのでしょう。その結果、2号が生まれて変身ブームにつながった。

そんな平山さんの製作した「嵐」にも温もりを感じつつ。

 

この週末。飲み会2つのため作業飛ばしています。ゲームキャラの原型をやっています。

金曜、恒例の<モーレツ!特撮ナイト>は44回目。毎回14、15人ほど集まります。朝まで3次会が定番になってしまいました。

土曜は小学校の同窓会。まさに70年代ヒーローを一緒に楽しんだあの頃の同窓生たちと。こんな歳になってしまいました。遠くへ来てしまいましたね。

 

 

・カッコイイ嵐のアップ。

 

 

・「変身忍者嵐」のオープニングと1話は富士山を背景に。奇しくも「A」も富士山を背景にした話と宣伝写真がありました。その時の嵐のコスチュームは全身が直付けの羽。2話から胸を残してタイツ地に模様となったのでした。

 

 

・Amigo店内。

 

 

・平山さんのサイン。

 

 

・挨拶がてらパチリ。

ペギラのこと

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阿佐ヶ谷ロフトA「ミュージックファイルフェスタVol.10」で10分1本勝負でやったペギラの話。10分で語れるはずもなくて、要するに予告編というか鳴り物みたいなものです。いずれ機会があればと思います。

画像は当日配布したテキスト。

舞台、客席からモーレツ!特撮ナイトの仲間が撮ってくれた写真が届きました。みなさん、ありがとうございました。

 

4才だったぼくは、メディアに登場したペギラに一発で惹かれてしまい、テレビ放映の前にフォノシートでイメージを膨らませました。

時代もメディアもシンプルだっただけにいまでもはっきり当時が思い出されます。

ペギラを最初に見たのは放映前、65年の「ぼくら」10月号の表紙です。

その前に新聞や週刊誌で報じられたでしょうが記憶にある最古のペギラは「ぼくら」の表紙でした。

同じ「ぼくら」の9月号で絵物語「ペギラがきた」をやっています。こっちは記憶にありません。

「ぼくら」は小学校高学年から中学生以上がターゲットでしょう。幼稚園児には難しいです。絵物語はただ絵を眺めるだけでした。

次の衝撃は「少年マガジン」12月26日号の表紙と巻頭グラビア。この時はパゴスの異様な感じに圧倒されました。

写真から子どもの怪獣に映ったガラモンでしたが、年末に放送された番組宣伝「ウルトラQは怪獣の世界」の冒頭でダムを割って出て来たガラモンにビックリでした。

ウルトラ怪獣の最高峰は、ぼくはガラモンです。次がペギラ。バルタン、ネロンガ、カネゴン、レッドキング、ゴモラ、ケムール人。

ぼくの好みはつまり、リアルタイムで遭遇した彼らに一目惚れのまま来ちゃった感じです。70年代も好きなんですが、先に惚れた弱みがあるんですね。

動くガラモンが出るまでペギラはゴジラよりも惹かれていました。

「ウルトラQ」以前、メジャーな怪獣はゴジラや東宝怪獣です。海外のモンスターは怪獣ブームの時に大伴昌司の紹介で知ります。それでも和製怪獣の方が好きでした。

ゴジラは、3才ぐらいが初遭遇となります。

テレビで見た「ゴジラの逆襲」が鮮烈で、ただひたすら怖いイメージでした。いまでも夢に見る巨大でどこまでも追いかけてくる怪獣の正体はこいつなんじゃないかと思っています。

東宝怪獣が見せたと生々しい怖さの一方で、ペギラはさらっとしてカッコイイんです。羽がマントのようで、優雅でした。

 

65年12月の歳末商戦。各社からフォノシートが発売されます。

この時点で、子どもの商品は、「鉄腕アトム」「鉄人28号」などのブリキ玩具、ソノシート、積み木やスタンプ、お菓子のおまけなどがあるにはありましたが、怪獣ブームが起きると桁外れに商品が誕生して、売れに売れました。

「ぼくら」を別にすると、商品の第1号はフォノシートです。

放映前の「ウルトラQ」なのに音源ソフトがずらり並びました。

朝日ソノラマ「ナメゴン対ゴメス」、勁文社「ペギラが来た」、ビクター「ガラモンの逆襲」、現代芸術社「宇宙指令M774」、コロムビア「2020年の挑戦」などなど。

ぼくらはなんと、1月2日の放映前に、物語のリアルサントラを聴いていたんですね。

言うまでもありませんが家庭用ビデオがない頃です。フォノシートが最大の番組のアイテムでした。

正月前だったため「ペギラが来た」の付録は福笑いでした。

さすがにぜんぶを一度に買ってもらえませんが、クリスマスプレゼントでずいぶん揃ったと思います。

うちは中華屋で共働き、階上でひとり過ごすぼくへ、親はオモチャや本、フォノシートを無条件に揃えました。

マンガは店に少年誌3誌が揃っていました。

卓上プレーヤーでフォノシートをかけて、スケッチブックに落書きしながら想像を膨らませる。怪獣図鑑や人形が発売されると遊びが膨らみます。そのうちシーツをかぶって怪獣の真似をします。まだ変身!やキックはありません。のどかに怪獣ごっこです。

わけても音の魔力はすごい。フォノシートを何回も再生させました。

「ペギラが来た」の怖さ。寒さを感じさせる風の音、迫ってくる怪獣、越冬隊員たちの急場のやりとり。

ぼくは恐がりで、「ウルトラQ」が始まるとテレビにかじりつきながら、そのうち正視できなくなります。カーテンにくるまって、隙間から怪獣や怪事件を見ました。

 

去年、久原羊子を演じた田村奈巳さんにその話をしました。いやまさか、50年経って会えると思いませんでした。

田村さん、よく覚えていて、自分の当時の歳では羊子は演じるのが難しい大人の女だった、と仰いました。

同人誌をやっていた時、野長瀬監督の話を聞きに行っています。

あとになっても本の取材で梶田監督の話も伺いました。お2人、東宝の助監督出身ですから、やはり自分なりの「ゴジラ」を撮る気持ちが大きかったようです。

正統派の梶田さんは、ゴジラを倒したオキシジェンデストロイヤーを準えて、マンモスフラワーを炭酸ガス固定剤で滅ぼすまでを丁寧に描きました。

野長瀬さんはちょっと切り口が斜めです。臨死体験があるそうで、なんでもない場面を怖そうに描く。

ペギラの出現で急速に気温が下がる。パニックになっていく密室で、人間の業を垣間見るかのようでした。

行方不明になった恋人を捜しに来た羊子へ、万城目が恋心を抱くのも子どもには刺激的です。

フォノシートを何度聴いたか分かりません。

渋谷の東横デパートで買ってもらいました。ショーウインドウに入っていました。

朝日ソノラマがソノシートを出した時はソノシートブックで、円盤は切り取れるように製本されていました。そのため流通が書店扱いで始まりました。もちろんレコード店でも買えました。

ぼくが買ってもらった時はクリスマス用の特設のショーウインドウだったのでしょう。

 

マルサンの怪獣ソフビを見ながら自分で描いたペギラの絵が残っています。

ぼくは絵が描けない子供でした。小学校へ上がる前にそれではいけないと、店のお客さんであった美大生に、絵を教えてもらいました。

いまあの人はどこで何をしているでしょうね。久原羊子に重なっていたのか? だとしたらませた子どもです。

子どもが画用紙にクレヨンで描ける怪獣が歴史に残ると思います。

フォルムを追求していた彫刻家の成田さんならではのデザインでしょう。

しかしペギラのデザインは原案がありました。

東宝から出向して特撮美術を任されていた井上さんは映画に戻りたくて半ば強引に成田さんを推薦します。

成田さんは、東宝時代に上司だった井上さんへ敬意を表して、そうデザインはいじることなく、井上さんのアザラシのような絵に、自分の好きな形状の羽を付けるにとどめました。

その絵を見て、井上さんは角を付けた方が強そうだよとアドバイス。ゴメスと同じ発想です。

造型の高山さんは戦後すぐ東宝の労働争議で在籍していた教育映画を辞めさせられて、大映で知り合った的場さんに誘われての参画でした。

成田さんとアンチゴジラだと意気ごんだそうです。2人とも巨大な組織が嫌いだったんですね。

成田さんのシャープでヘラで削って行くようなデザインを高山さんの丸みを帯びた肉感で、ペギラはこの世のどこかに居る生き物のようになりました。

クワッと開くまぶたの眼力も凄い。高山眼とぼくらは呼びました。

80年に高山さんと知り合って、すぐペギラの絵を描いてもらいました。

 

本編含めてフルセットです。第2クールの頭から豪華です。

基地の配置と建物にパースを付けた成田さんのセットプランは東映で磨いた技術です。東宝ではあまりやりません。その事を井上さんは、カメラ位置が限定されるからだと言いました。

3月に設計、デザインまでの準備、高山さんの造型とセット設営は4月。撮影が5月。

円谷英二自ら編集するのが6月ですが記録を見るとなかなかうまく行かない。川上景司は愛弟子のためか辛口です。

南極の場面が物足りずに「妖星ゴラス」を試写しますが、入れようがなくて選んだのがあのニュース映像でした。

撮影が終わったペギラが「ぼくら」に登場するまで間があるのは、編集が難航した事と、目処が立つまで格好がつかないと思ったからでしょうか。

8月末店頭売りの「ぼくら」10月号は、最短で7月の特写で間に合います。秋の号なのに少年が夏の格好でしたから、実際はもっと早く撮っていて夏号で使うつもりだったかもしれません。

そういう事を想像するのが楽しいです。

「ウルトラQ」の放映は次々と伸びていきます。

「絵物語」連載3月号では放映は4月からとされました。本の編集は1月です。と言う事は、第2クールを待たずにしての放映だったのか。

1月は「クモ男爵」「ゴメスを倒せ」の撮影です。そこまでで13本だから区切りが良い。第2クール決定はその直後だったのか。

「撮影中、近く放映」がしばらく続き、12月号で正式に1月2日が決まります。本の編集が10月頃の情報です。

各社フォノシートは現在の方式のように解禁日を設定して一斉に発売したのか判りませんが、12月歳末商戦の時期ですから、発売は12月頭でしょう。やはり放映日が決まって慌てて企画されたような気がします。

12月頭の発売で製作はやはり10月始まりだったのではないかと思います。

その頃「科学特捜隊ベムラー」が企画されるので、マスコミとしては大がかりな仕掛けがあるんだろうと「ウルトラQ」に賭けたのかもしれません。

西條さんの述懐では録音だけなのに良いギャラをもらえたそうです。

 

1966年の年が明けて「ウルトラQ」は大変な人気になりました。

ぼくの大好きな増田屋やマルサンの人形は発売がそれぞれ2月、3月と言われています。

伝説となったマルサンのソフビの初期ロット、600個かける4種類、群青色成形は、その数から言って、首都圏ターミナル駅のデパートに卸したと見ています。上野、東京、品川、渋谷、新宿、池袋、これで6箇所、かける100個ずつ、という算段。

プラモデルは「ウルトラマン」の頃の発売です。66年の歳末商戦用だったのでしょう。あの箱絵はそうとう憧れたんですが、幼稚園児に難しく、実際、組み立ては無理でした。

商品の参考にされた「ウルトラQ」のキャラクターの三面図は、東宝から円谷へ移った黒田さんの絵で、ペギラはアザラシのようです。「ぼくら」絵物語にそのペギラが活かされています。

勁文社はじめフォノシートの挿絵を描いたのはTBSビデオサービスとされていました。挿絵画家の水氣隆義さんがペンネームで描いていたそうです。ご自身のホームページにありました。

縫いぐるみの怪獣にないダイナミックな構図に引き込まれました。

ペギラ、ちゃんと大の字で飛んで逃げて行くんですね。劇中では黒い煙に姿を変えて退散でした。

野長瀬さんになぜそうしたのか聞いたら、ペギラを飛ばすと絵にならないからだと。たしかに鳥と違いますからね。

脚本の山田正弘さんにも会えました。

進撃してくるペギラの猛威。「100メートルまで引きよせよう」からの下りはただならぬ緊張感です。

山田さんはコミカルなファンタジーが得意ですが、どこかシニカルです。

ペギラの弱点である苔からとったペギミンHは、ゴジラに対するオキシジェンデストロイヤーと同じ意味です。

ただし、テレビなので兵器に変わる人身御供的な解釈はありません。その代わり「ウルトラQ」らしく余韻を秘めて「どんな動物にも、かならず嫌いなものが一つはあるのです。もしあなたが怪獣に襲われたら、なにをおいてもそれを探すことです」がクロージング。

つまり、弱点を捜しきれなかったら、アウトなんです。

子どもだったぼくは常に怪獣の弱点を考えました。

 

「ウルトラQ」の商品は「ウルトラマン」の10分の1も出ていませんが同時期の番組と比べたら破格でした。

極東ノートが写真のコラージュならショウワノートは梶田達二の絵で勝負です。サンスターもメモ帖を出しています。

怪獣はグロテスクだから売れない、と業界では言われたそうです。リアルなままか、デフォルメするか、可愛くするか。すべてが試行錯誤の発売です。

梶田さんにも伺いました。要するに、飛行機が好きなので、怪獣へ対する照れや抵抗の分、飛行機や戦車が大きくなってしまったそうです。

集英社は「ウルトラQ」のマンガの権利をとりました。「少年ブックコミックス」の中城健太郎の冒険心あふれるマンガは素敵でした。表紙を高荷義之が描きました。

「ウルトラマン」が4月に発表されると、マルサンは「ウルトラQ」商品のヒットを受けてすぐウルトラマンを出します。最初は新怪獣が間に合わなくて、ウルトラマンはQ怪獣と合わせて発売されました。

番組そのものが「ウルトラQ空想特撮シリーズ」と冠していたため、Q怪獣とウルトラマンが同軸にあったのです。

最初は2回り大きなサイズのウルトラマンでした。怪獣350円に対して450円。

新怪獣とともに、ウルトラマンのスタンダードサイズも出ました。同じ350円なので、尻尾のない分、台紙が付きました。それが、ウルトラマン対ペギラです。

絵は、ショウワノートの帳面と同じ絵です。どっちかが流用したんですがショウワノートが先でしょうね。

ウルトラマンと戦うペギラは大きくて、すごい迫力でした。そもそもウルトラマンが放映され始めた頃の発売でしたからまだウルトラマンをよく知っていません。ペギラが出るものだと思っていました。

なので、レッドキングと戦って負ける格下のペギラそっくりのチャンドラーは残念でした。

同じ冷凍怪獣で括るなら「ウルトラセブン」でポール星人が連れて来たガンダーがペギラに相当します。成田さんのコンセプトは鋼の翼だそうです。

ペギラの時は、鳥の羽のようにしたかったのが作業上無理なので、映像分の形状になったと成田さんは残念がりました。

ペギラの羽は着物の襟などに使う不織布です。体表の毛羽立っているのは苆(すさ)です。土壁の補強で使う麻を細かく裁断したものです。

ちょっと内股に足を付けてしまったんだよね、と高山さんは笑ってました。

ポール星人を高山さんはいたく気に入っていて、後で自分用に作ろうと石膏型を残しました。棚にあるよ、と言うので探してみると、ポール星人の足のつもりがガンダーの目の型でした。みんなで大笑いしたのが放映から12年目でした。

冬の間はついついペギラがどこかに居るような気がします。

 

そのような話を10分でやりましたが、もちろんぜんぶ語りきれません。半分くらい。

 

 

 

 

・4日のトークライブでペギラの話をしました。ヤマダと司会の髙嶋さん、右端は音響をやってくれた不破さん。

 

 

・トークライブで解説をするため配ったテキスト。

 

 

・田村奈巳さん、近況。敏さんのイベントで2回会いました。

 

 

・80年、高山さんに会いに行ってサインを頼んだら絵を描いてくれました。また、1つあげるよと爪だの牙だのの小箱を開けてくれたので、迷わずペギラの爪そっくりなやつをもらいました。剥き出しのグラスファイバーで足に接着、固定するわけです。

 

 

 

・ショウワノートのウルトラマン対ペギラ。梶田達二の絵。眼が赤いのは、ソフビを参考にしたから?

 

 

・高山さんに見せて喜ばれた5才の時の絵。もっと黄ばんでいます。デジカメで白っぽく写ってしまいました。

 

<モーレツ!特撮ナイト>44回目

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次回、

<モーレツ!特撮ナイト>は44回目、2月17日(金)です。 

 

50年前の2月は、ウー、ケロニア、ザンボラー、メフィラスです。ウルトラ歴に倣って、火星でウルトラマン打倒の宇宙人会議をしなくてはなりませんね。いやしませんが。

 

※参加表明、基本的に1次会でお返事下さい。お店の食事の用意があるので、その数を出したいわけです。よろしくお願いします。

 

吉祥寺SORA 

2月17日(金)19~22時 

参加費4.000円 

 

2次会(マック)、3次会(ガスト)は成り行きです。 

ここのところずっと朝までコースです。もちろん2次会以降は自由参加です。

 

<お約束> 

・予約制です。 

・第2か第3の金曜の19時~22時です。 

・予約受付を、出来るだけ水曜夕方くらいまでにお願いします。 

・18名で締め切ります。

・キャンセル受付は前日まで。 

・当日キャンセルは参加費負担になりますのでご注意下さい。 

・開始前の来店時間は早くても<5分前>まで。それより前は準備中。外で待っていて下さい。早すぎるとお店が困るので、厳守です。 

・人数が多くなるとお店の仕込みが大変です。上記、ご協力下さい。

 

 

 

 

17-02-10

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怖い夢を見た。巨人がどこまでも追ってくる(怪獣のときもある)。

ガイラと「変身」の巨人を合わせた感じ。ビルに隠れても見つかってしまい、電車に乗っても追いかけてくる。目が覚める以外、助かる道がない底なしの恐怖でした。

で、足下でしんこが寝ているので、身動きがとれなくて、よけいに捕まった感じがしてしまうんですよ。

 

作業の方は、さきほど納品完了。

80年代のアーケードゲームキャラ、ソフビの原型。

本当は先月終わっている算段ですから、いつまで経っても儲かるはずもありませんが、手間をかけるほどに会心の形にもっていけるのだから仕方がありません。

次の原型もゲームのキャラ。芯作りはひたすらノンビリ。ちょうど新宿のAmigoから連絡が来たので、日曜の夕方行こうと思います。行く人居たら現地で。

 

 

この間のトークライブで、ペギラの事を題材にしたんですが、幼少時の経験がずいぶん贅沢だったとよく言われます。

裕福だったわけでなく、親は商店街の中華屋で共働きですから、ぼくは階上で一人で過ごさねばなりませんでした。

そこで本やオモチャ、フォノシートを与えておけば勝手に静かに遊んでくれる。親の苦肉の策だったんでしょう。

扁桃腺をよく腫らしたため、通院や治療の度に怪獣の人形や図鑑が増えていきました。オモチャの籠は3段、4段になって、ソフビ怪獣が全種色違いで揃いました。

しかし夜食はつねに一人でした。人様の夕食時、うちはもっとも混むわけです。

冷えてはいませんけど、熱いものは危なくて出せないため、ぼくは猫舌で育ちました。孤独も慣れっこです。いま寂しい暮らしの原因がそこに(笑)。

幼稚園は4年保育。珍しいです。保育園代わりに預けたんでしょう。

一番小さかったので、先生が周囲に座ってご飯の面倒を見てくれました。3才でもうっすらと記憶があるんですよ。

そんなわけで、怪獣で育った子どもだったのでした。怪獣が居てくれたおかげです。

 

 

 

・右上、美也。冬の日なたぼっこはエネルギーを吸収している感じ。

下、シロちゃん。写真が嫌いで、デジカメを出した瞬間、逃げます。

左、ゴエモン。お爺さんだけど、子ども返りして甘えてきます。いきなりスイッチが入るんです。

 

 

 

・右、通い猫のくーちゃん。しんこの兄弟。可愛いなぁ。飼ってあげたいなあ、といつも思ってしまう。

・左上、クロスケ。日に3回はうちへ来ます。寝ていく?と聞いても出て行ってしまいます。しんこが追いかけるのでしょうがないです。

・その下、しんこ。台風の目。つねにパワフルです。

 

 

・右上、太郎ちゃん。1ヶ月寄ってこなかったのが嘘のようにまた甘えん坊の太郎ちゃんに戻った。なんだったんだろう。

・左、ろくすけ。mさんちのロクタロ。夕方おやつを届けます。おっとりしたろくちゃん、ドナテロウズにいたパンダみたいになってきた。

・右下、朝、気分がよくて10分散歩。通りの喫茶店のシャッターがアートしていた。

・左下昨日の雪の中、自転車で出かけたらこの有り様。前方が見えなくて自転車を押して歩いた。小雨でも危ないです。

神保町の思い出

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神保町の思い出

先日のトークライブは懐かしの神保町でした。

もう何年もあの地下鉄を使ってなかったのにそう変わってないので嬉しかった。地上の風景が多少なりとも変わっていても全体的には昔のイメージです。

最後に行ったのは90年代? 共栄堂のカレーを食べに行きたいと思いつつ、20年くらい行ってない。

神保町は古書店巡りに加えてぼくには小学館のお膝元である事が意味を持っていました。

「てれびくん」編集部へ初めて行った時は、竹橋でした。

「宇宙船」の聖さんが連れて行ってくれました。聖さんに押されて「アマチュア特撮8ミリ大会」などやっていた頃です。成り立ての19才。専門学校の夏休みを利用して国際放映でバイトした、その後の事。

その聖さんに安井さんを紹介されて、そのまま自動的に安井さんの手伝いを始めました。

「てれびくん」の特撮ものは「ウルトラマン80」と「電子戦隊デンジマン」。現像して間もないしっとりしたブローニーサイズのポジの、良いカットを選んで切って、厚紙のマウントを付けてファイルボックスにまとめる作業を最初にやりました。

二眼レフで撮る大判のフィルムは、60×60、60×70ミリ、それぞれ、ろくろく、ろくなな、と呼んでいました。

一眼レフの35ミリフィルムの4倍以上のクオリティです。いや画質よりも感動したのはプロの道具だという点。白い布手袋をはめるとなんだかカッコイイなと思う。

棚に並んだボックスのタイトルは歴代の怪獣倶楽部のお歴々の筆跡。当時の同人誌は手書きですからすぐ誰の字か判ります。

中島さん、徳木さん、金田さん、中谷さん。もちろん竹内さんや安井さんもポジの整理はやりますからライターの登竜門みたいな作業です。

竹橋から講談社のある護国寺、あるいは徳間書店の新橋へ、安井さんは車を拾って連れて行ってくれて、手ぶらなのにぼくは鞄持ちさせていただいた感じで大人の世界を知りました。

何も出来ないぼくへ電車賃も食費もぜんぶ出してくれた安井さんは、編集部に深夜まで居て、時に自宅へ一緒に行って、コレクションを見せてくれて、朝、一緒に都心へ出る。

安井さん宅は千葉の五井にあり、タクシーで1時間以上かかるため途中で缶コーヒーを買いに車を降りて、ちゃんと運転手の分も買って来る。配慮に長けたところが大人と思うわけです。

編集部の深夜は社員はいません。フリーの人がぽつぽつと作業をして、ぼくは安井さんの傍らで遊んでいたようなものでした。

大きな袋に入った返却の写真やイラストが、無造作にほおってある。それの整理。開封すれば宝物ばかりで、にこにこ顔が収まらない。

ついでに、宛先不明で戻って来た景品の置き場から好みの玩具をお土産にもらう。

楽しくてしょうがなくて特撮美術のバイトで泥だらけになるのも面白かったがデスクワークに惹かれてしまった。

そのうち「アタリとって!」と、ポジと割り付け用紙を渡されて、トレスコープを使わせてもらいます。トレスコープは、下からライトを当ててポジや写真をハンドルを回して上下させて拡大投影する装置。

なるほど、これがあるから輪郭を上手く描けるんですね!とぼくは大興奮。編集部に美大出は居ません。手書きのはずもないんです。

でも安井さんは、手書きです。絵心がありました。アタリは目算、トレスコープなしで描く。デザイナー(当時はレイアウターと呼んでいたが)へ指定が通じれば、あとは彼らがきちんと作図する。レイアウトは版下にされるまでの設計図です。理屈を理解したぼくは安井さんを真似てさっと描くのを覚えました。

大伴昌司のやり方なんですね。

いまと違って、印刷まですべての過程は足を使います。多忙な安井さんの足になってあちこちへ走り回りました。

原稿書きも文字校正もすぐやらせてもらいました。年齢層が低い本の表現ほど難しい。

會川くんも苦労したと言っていましたが、絵本の原稿は、きっと今やっても厄介なんでしょうね。

 

大伴さんの割り付けがたくさん残っていました。近年、本にされたものの原版です。好きなのをあげるよと言われて、1枚もらいました。人に貸したら返って来ません(笑)。

大伴さんの生原稿は刺激になりましたね。安井さんも竹内さんも大伴さん直系の弟子で、葬儀委員までやっている。

その頃は実際、大伴さんと仕事をした人が何人もいました。

ソノラマへ行けば、村山編集長じたいが業界の徳川彦左衛門。あらゆる方面に精通していてなんでも知っています。

ロッカーに保存されていた南村さんらの画稿をちらっと見せてくれる。ソノシートのあの絵です。

同人誌仲間には悪いけれど、別天地を知ってしまった。後戻りが出来ません。

「てれびくん」編集部が竹橋から神保町の東京堂書店ビルへ移転する際、人手が要るので、同人誌仲間に来てもらった。間宮くんはそれから長く「てれびくん」をやっています。

「アンドロメロス」を企画した安井さんですが、ヒットすると編集部が功名争いみたいになって、安井さんに不平が募る。

実は「てれびくん」「テレビランド」「テレビマガジン」は、安井さんたちが切り盛りしていました。

あるとき講談社の袋をもって「てれびくん」に来たので、それマズイですよと言ったのですが。

安井さんのやりたかったミリタリーは小学館に向いてなくて、講談社で「コミックボンボン」を立ち上げます。

安井さんがやったザクのバリエーションはまさにミリタリーでした。

「アンドロメロス」の甲冑も、安井さんのミリタリー好きあってです。

増尾さんがデザインをする前に、編集部が勝手に古参の漫画家に絵を頼んでしまい、安井さんが激高して、それでは絵にならないと強行的に没にします。

デザインを造型物ぽく描いてみて!と頼まれました。「メロス」とは別に、二頭身か三頭身のウルトラも描きました。

でも絵は上手く描けないですね。安井さんは企画者104へぼくを行かせようとしたようですが。綺麗な線は、今でも描けません。

「メロス」は周到に準備しています。内山まもるの「ザ・ウルトラマン」に出たメロスは企画のヒントではあったものの、そこから先は安井さんの趣味が膨らんだのでした。

のちに「模型情報」で大河原デザイン、若狭さんの造型でやった「スパイラルゾーン」の装備が「メロス」の発展型と言えば判ると思います。

発想としては、当時仲間内で流行っていた旧1号ライダーなんです。安井さんとどうしたらあれを再現出来るのか常に話題の中心でした。

意外かもしれませんが、かぶり物で、メカニカルで、リアルな塗装。そう挙げれば共通点が浮かぶでしょう。

「メロス」は若狭さんのところで雛形を作って編集部を納得させ、矢継ぎ早に円谷プロ事業部の杉本さん、かつてラゴンに入った泉さんら何人かを編集部へ挨拶しによこしました。

動き出したら編集部も四の五の言いません。

若狭さんは「80」の前半にコスモプロから独立、モンスターズと言う会社を作って怪獣を作っていました。

同人誌仲間の常岡さんがバイトしていたので世田谷の若狭さんの工房へ遊びに行ったら、原口さんが応援に来ていて狭い世界だなと思いました。

安井さんへ、こんな若い人がいるんだと説明しました。安井さんは造型が大好きですから、すぐ若狭さんを気に入ってました。

「メロス」の時は、モンスターズは福生の米軍ハウスを借りていて、安井さんと「メロス」の原型を見に行きました。

 

同じ頃「てれびくん」の合間に、神保町から水道橋へ行く途中にある銀英社へ品田さんを尋ねました。

東映の平山さんが事業部が空いているのでなにかやらないかと声をかけてくれて、ライダー好きを集めました。

「仮面ライダー復活祭」を2回やりました。

1回目は東映動画の視聴覚室、2回目は録音用の大きな講堂。どちらも満員です。平山さんは手応えを掴んで「ZX」を企画します。

品田さんは銀英社で「ファンロード」の編集をやっていました。机の回りはGボンドとかウレタンとか編集に有り得ない物がたくさんある。

彼を「てれびくん」へ連れて行き、安井さんに紹介します。

メロスが胸に付けるバッジが必要だと言うことで、さっそく頼んだら翌日完成して届けてくれて、安井さんが驚いた事がありました。

品田さんも原口さんも河崎さんも、造型の高山さんの所へ連れて行きます。

関西で流行っていたガレージキットに対して、ぼくたちがプロップやレプリカに手を出す人が多かったのは、撮影所やスタッフが身近だったからでしょう。

高山さんは82年に亡くなります。3年ちょっとのお付き合いでした。

安井さんたちはぼくたちより2ヶ月ほど早く伺っています。「宇宙船」とぼくらの同人誌とで、高山さんのネタは競争になりました。

お子さんのいない家だから行くのは喜ばれましたし、高山さんが亡くなってからも20年、奥さんの所へみんなして年に数回行くのが慣わしでした。

ぼくは祖父を亡くして間がなくて、やさしい高山さんが重なるんです。

千葉の別宅に避暑に行くから遊びにおいでよと言われ、間宮くんと1泊しに行った事がありました。

夜、高山さんは真顔で、ぼくが死んだら覚えていてくれるかい? と言うので、ぼくたちは元より、奥さんがビックリです。

半年後、高山さんは胃癌とされ、82年の年明けに順天堂に入院します。

一時退院した際、呼ばれました。寝床の高山さんはもう自分の運命を知っていて、ぼくらの顔を見て嗚咽したので、事前に奥さんに聞いていたぼくらは言葉につまってしまいました。

特撮大会に来て下さいね、と言うのが精一杯でした。

順天堂は水道橋です。「てれびくん」の帰りに何度も見舞いに寄りました。

胃癌ではなく、また白血病ではないんですが、リンパ腺の血液の癌だという事が分かって、高山さんと同じO型の輸血が急遽要ることになりました。同人誌仲間へ片っ端から電話をして、O型を40人集めました。

最初は血液検査です。その結果から妥当な人の血液を改めて採取する段取りです。

医師も看護婦も、次々と人が来るのに驚いてしまい、高山さんはお子さんが居ないと言っていたのにあんなにたくさんお子さんが来てくれた、と病院で話題になったほど。

でも、手術は出来ませんでした。

7月27日に亡くなって、ぼくたちは通夜と葬儀の手伝い。高校生になったばかりの會川くんは駅で案内係をやってくれました。

成田さん、池谷さんへ、電話で式の案内をしました。

火葬で、ぼくは大泣きしてしまい、安井さんが肩を抱いてくれました。高山さんの親族がみな驚いたたと奥さんに後で聞きました。

特撮大会は、ぼくたちのグループ(NeoFERAS)は小部屋を担当して、マスクやプロップを展示しました。隅に、高山さんの追悼コーナーを設けたのでした。

おそらくぼくの同人誌活動はこの時、エネルギーがゼロになったのだと思います。

成田さんと大野剣友会の岡田さんが来て下さり、メイン会場に負けない盛況になりました。

 

高山さんの死の反動で、あれだけ世話になった安井さんとだんだん意思の疎通が出来なくなります。

安井さんはぼくを買ってくれて、例えば、高山さんへラゴンのレプリカを発注すると、高山さんは山田くんも欲しがるだろうなぁと言うので、2つ頼んで、1つをぼくにくれるわけです。

その反面、安井さんはガンダムの資料本を買ってきて、勉強だと言って怪獣からだんだん離れていきます。それでガンダムプラモデルのブームになるんですから、只者じゃありませんよね。

でも、モデラーを集めると、それまで使われていた人たちが不平を言います。ぼくが代表で不平をまとめると、いつの間にか筒抜けにされる。

結局、キャッチボールが出来なくなり、同じ小学館でも本社にある入門百科の編集部で、ゴジラの絵本と入門百科をやることになります。

83年ぐらいです。

年長の同人誌仲間だった山本さんは小学館の営業にいたのに、映像か出版かをやりたいと、あっさり社を辞めてしまった。

ゴジラが復活する事で、出版企画を出し、声をかけてくれたのでした。

2年ほどかけてガムシャラにゴジラ本を作ります。

途中でジオラマはどうかと模型好きの山本さんの虫がうずくので(笑)、じゃラテックスの人形をとトントン拍子。編集部もお金を出してくれて、あのジオラマが完成しました。

「グレート」のメカデザインをした青井さんがこの前のイベントで話した「UWW」は、山本さんとのホビージャパンでの仕事で、その前に「ゴジラ入門百科」でメカ図解を描いてもらっています。

ゴジラ復活とともに肝心のブームが去ってしまって、肝心のジオラマの後半はお蔵入り。

安井さんは小学館を去って、講談社が中心になりました。

その最たるは、バンダイ静岡工場と講談社とサンライズを結びつけ、大河原さんに描き起こしデザインを依頼し、モデラーに作例を作らせた。ガンプラブームが起きました。

ぼくの「ジオラマシアターゴジラ」が形になったのは8年後でした。

仲違いしていた安井さんと再会したのはその本の2年前。つまり8年間疎遠になっていたのです。

あるとき高山さんの所でNHKの取材があるので呼ばれました。

最初つんつんしていた安井さんが、帰りがけ、やっぱり俺たちだけだな、高山さんの怪獣を知っているのは! などと嬉しそうに言うのでこちらも子どものように笑っちゃいました。肩を組んで帰りました。

それから少し安井さんの手伝いをやるんですが、企画「スカルマン」のためにマスクを作って手渡ししてから、安井さんが大病をして、そのままです。

「スカルマン」の前に、ぼくは「アイアンデューク」をやっています。

ゴジラの絵本がなくなって、半年ぷー太郎をして(雑誌のコラムめいたものをやったり)、さすがにしっかり仕事しないわけに行かず、ジオラマのポラロイド写真を面接に出して建築模型の会社に入ります。

ジオラマで使ったゴジラで人形展をさせてもらったのは会社に居た時でした。完全に同人誌仲間と離れてしまいました。

2年して退社。団体作業は本当に相性が悪いです。

モデラーの上松さんが呼んでくれて、退社と共に栄進堂というバンダイの系列の東京支社へスタッフとして加わります。

栄進堂は元は大阪の帽子屋さんです。有名なところではMATやミラーマンのヘルメットがヒット商品。玩具は、ユタカなどの名称を使います。

社長が馬主で、戦隊シリーズに出たなんとかエーシンという馬は、ここの馬です。

実は、馬が当たった時の大金で作られた部署でした。それが本社で問題になってあっさり解散です。

ウルトラマンの新作がない時代です。レンタルビデオ全盛。

メーカーは売り物を探すのに、企画が結びつきません。企画を売り込む人はたくさん居たでしょう。

栄進堂の企画は、ビデオとオモチャをパックにして売る計画でいました。

栄進堂はバンダイの安い方のCMを作っていて、機材は中古ながら、ミッチェル、モニター600、線画台まで揃っていました。

「アイアンデューク」を始めて少ししてその問題が起きて、計画中止、とりあえず3分にまとめて報告書、解散です。

それから企画書とビデオを持って「アイアンデューク」の売り込みに奔走しました。88、89年頃です。

會川くんの「ウルトラマンGグレート」もその頃でしょう。

「アイアンデューク」のビデオを持って成田さんに見せに行った時、成田さんから「グレート」の話は出ませんでした。

個展で黒いラインの黄金のウルトラマン<神変>を見て、あれが「グレート」のために描いたものだと後日知りました。

成田さんはその頃、オモチャ会社やゲーム会社のために怪獣や忍者を描いています。それらがどうなかったかは判りません。

成田さんほどでも企画が成立しないのだから、ぼくらの企画も簡単じゃ動きませんよね。バブル景気の終わりの方です。

根無し草のぼくは来る仕事を断らず、なんでもやりました。

「月刊アスキー」で博覧会映像の連載をやりながら、横浜博のMMCコーヒー館の展示模型を担当しました。

火山など大きな模型は、84年「ゴジラ」で取材させてもらった井上さんを先方に紹介して、やってもらいました。

そのお返しじゃないんでしょうが、海老名の井上さんのアルファ企画で1ヶ月ほどバイトもさせてもらいました。

「ジオラマシアターゴジラ」を出したあと特撮大会で知り合った高貴さんが声をかけてくれて竹書房で「ベストブック ウルトラマン」をやることになり、同人誌仲間の元山くん、松本さんを誘いました。

その2人に、小沢くんを加えて、宝島「怪獣学入門」で座談会をやりました。場所は久しぶりに神保町で、ミロンガという喫茶店です。名前がいいね!などと言って。ミロンガ、まだ在りましたね。

神保町時代から10年間、そんな出来事です。

 

イベントがあった神保町は、これから付き合いの始まるかもしれない会場で、旧友たとと再会した事が感慨深くて、つらつら振り返ってみました。

 

アイアンデューク(1988年)

https://youtu.be/rgcMyrIEGWw

 

 

 

・「アンドロメロス」のマスク決定稿。デザイン増尾隆之。

全体像は増尾さんのデザインをモンスターズで立体化しながら決めています。

 

 

 

・アンドロメロス、その正体は衝撃のゾフィ。マスクをこわきにかかえるショットの既視感。ライダーカードの一文字隼人のライダー姿を思い出した人は通。

 

 

・「ウルトラマン80」、エイティとユリアン、デザインは山口修。

 

 

・「ウルトラマンGグレート」とその企画の元になった新ウルトラマン。成田亨のデザイン。のちに「ウルトラマン神変」として発表。

17-02-06

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17-02-06

イベント<特撮バカ>の1回目は、「ウルトラマンGグレート」のブルーレイ発売記念、脚本家である會川昇の待望のオンステージとなりました。

特撮三銃士と称した当時の子ども代表3人(大内雷電・ガイガン山崎・中沢健)が思いの丈を語り合い、そして憧れの會川氏にぶつける企画。

メカデザインをした青井邦夫が飛び入りゲスト。「G」のファンにはたまらない2時間でした。

最後は科特隊の大内くんを中心に「G」の主題歌を大合唱。

続いて打ち上げが2次会、3次会(ぼくはここで帰りました)。

みなさんお疲れ様です。ありがとうございました。2日続けて見る顔も。

仕事、明日からちゃんとやりますから。

 

會川くんと前回会ったのは、本多監督のお別れの会でした。93年だから、24年も前ですね。

その前はもしかすると10年くらい会ってなくて、会わなくなる前は、それこそ毎月数回会っていたのが2年ほどでしたか。

要するに、ぼくが高校生、彼が中学生、特撮好きの10代が集まって作った同人誌の仲間です。

安井さん、竹内さんら怪獣倶楽部が作ったソノラマの「ファンコレ」に影響を受けた最初の世代です。

あれがきっかけで特撮が文化として花開いた。

みな裡に秘めた想いがあって、ついに、子どもじゃなくても特撮を楽しんで良いンだ! と全国のファンが目覚めた瞬間でした。

時は「スター・ウォーズ」が黒船のように上陸してきて、陰ってしまった日本の特撮へ熱烈な応援の声が挙がったのでした。

79年、日劇でやった「ゴジラ大全集」に徹夜して並んだり各地の上映会、文化祭を駆けずり回った。

みなそんな風に特撮への熱い想いがあると、エネルギーを持て余してしまうんです。

ぼくも會川くんも(そのときは、会川くんだった)元気がありすぎて衝突することがしばしあったのが今となっては良い思い出です。

忘れられないのは、中学生だった彼は最初から脚本家志望で、毎日大学ノートに1ページかならず創作するのを日課にしていた事。

あきれるほどの努力。高校生にして脚本家のデビューは不思議ではないのでした。

ぼくが同人誌の先輩格である安井さんと仕事へ関わって行く事で同人誌から離れ、その安井さんと袂を分かつ事で、かえって彼が重宝されてしまった。

同人誌仲間と会う事も減ってしまって、そういう経緯があったため、本多さんのお別れの会で再会した時は複雑な気持ちがないわけではありませんでした。

「ウルトラマンG」は、完全に脱帽しました。ぼくは「アイアンデューク」の売り込みも上手く運ばずに横浜博の美術や雑誌の表紙オブジェ、あるいは取材記者をやっていました。ま、「古代獣ジャカラ」と言う小説も出したんですが売れなかった。

世の中、努力の上にも努力を重ねないと運も縁も回って来ません。

努力の人にかなわないと思います。

模型雑誌で連載を始めて特撮現場の取材が毎月出来る時代が来ると、いつか取材する立場として彼と再会する日が来るのかとも思いましたけど、その機会は生まれませんでした。

でも小中千昭さんの口から「G」と會川くんの名前が出る事は何度もありました。

形は違えど、彼も過去と一線を引いていたようで、今ごろ再会出来たのはかえって良いタイミングでした。

山田さん、丸くなりましたか? 歳相応です。

亡くなった仲間の墓参りに一緒に行こうと約束しました。

そう過去にしがみついているわけでありませんし、大切な思い出は生々しくしたくないと思いつつ。面と向かえば37年前が鮮明だったりもします。

ともあれ、どなたも健康には留意され、この素敵な趣味をこれからも末長く楽しめるよう、笑顔で生きていきましょうよ。

企画してくれた黒田氏に心より感謝です。

 

海外ドラマのこじゃれた雰囲気満載の「G」。日本のウルトラマンとはテンポと動きがまったく違うグレートの偉容。大人びた表情の格好良さ。野心作です。これがなかったら平成シリーズ「ウルトラマンティガ」へ繋がらなかったと思います。

吹き替え版、隊長を小林昭二さんがやっているんですよね。主題歌と主役の声を京本政樹さんがやった事も話題になりました。

 https://www.youtube.com/watch?v=XdyUvy3Y8qA 

 

 

 

・「ウルトラマンGグレート」のブルーレイが発売されました。驚きに満ちた作品でした。

 

・會川昇。無駄のない理路整然とした説明にただ聴き入るばかり。

 

・青井さんとも久しぶりでした。いつの間にか白い物が。

 

・會川くんと並ぶは、特撮三銃士。左から、中沢健、ガイガン山崎、大内雷電、各氏。春に出る科特隊の新譜に「ウルトラマンGグレート」の歌も入るそうです。

17-02-05

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17-02-05
阿佐ヶ谷ロフトAで<ミュージックファイルフェスタVol.10>に参加して来ました。
オペラ歌手である高野二郎さんの子門真人研究は本当にすごくて、子門真人と高野さんの声が1つに重なる奇跡のような歌唱が素晴らしいのでした。
どこまで真面目なのか、カラオケでシモニストになるための講座もなかなか的確で、またこれでもかとレア盤を探したスタッフの意気込みも、大変ようございました。
イベントは場の雰囲気が全てです。登壇する人は、心構えというか、用意周到な上にも準備万端でネタを仕込んでおくと、それが半分使えなくてもお客さんにちゃんと響きます。
ふだん有り得ない超常的な瞬間に出会える喜びです。映画よりはるかに以前、舞台は大衆の最大の娯楽でした。
そういう意味でウルトラシリーズやスーパー戦隊の歌を歌っている松原剛志さんの、テレビのあの歌の生声は興奮しました。
「ウルトラマンメビウス」がもう10年前だというのはビックリでした。ついこの間だと思っていたので。
その事を佐野智樹監督へ楽屋で言いましたが、言いそびれた事をここに書いておきます。
「メビウス」の頃、ぼくは引きこもりで、鬱から抜け出せず睡眠障害もひどくて公園の緑に救いを求めていた時で、たまたま点けたテレビで「メビウス」をやっていて、そのまま見入ってしまった。
矢的猛こと長谷川初範さんが出て嬉しかった。
「ウルトラマン80」は、ぼくが同人誌をやっていた頃の番組で、取材をしに東宝ビルト撮影所へ何度か通った経験がありました。
それから近くの国際放映で特撮美術のバイトを1ヶ月やった時も、休憩時間に今度は同業者の端くれとしてビルトを覗く。
またすぐ、今度はデスクワークに移って小学館「てれびくん」のバイトを始めて、特写したポジの整理やかんたんな原稿書きをやらせてもらったのも「80」だったのでした。
いわば「80」はぼくと同級生なんです。

エイティは動きが機敏で、構えを見せるとき風を伐る。
あのシュポッ!と言う音が外連味だったと、四谷公会堂の近くにあった頃のロフト╱プラスワンのイベントに呼ばれた際、川崎郷太監督が中座した代わりに遊びに来ていた庵野さんに登壇を頼んで、その話題をした事がありました。
庵野さんは「80」の特撮は「無駄にすごい!」と静かに熱く語ってくれました。
ぼくにしたらソバで見ていたエイティへの複雑な想いがずっとあって、そう無駄でもないんだがなと(笑)。
しかしながら、エイティの顔が不細工だったのは、ぼくにとって致命傷だったです。
ドラマもなにか噛み合っていない。あまつさえ、テコ入れで学校編がいきなり終わってしまう不条理。
最終回のなんら感傷もない別れ。生徒たちへ先生としての落とし前をつけるべきだったと思いました。
どんなに特撮がすごくても! と、誰しもがあの番組の残念さを口にするんです。
しかし言われるほどに、なんか、自分の傷口に塩をすり込まれるような気がしていたのは自分も歳を重ねて番組を懐かしく感じるからだと思っていました。
生まれて初めてウルトラマンの本番撮影を目の当たりにした「80」。
当時のぼくにエイティは不細工に見えたのも事実です。だからなにをやっても初代ウルトラマンにかなわない、と。
確かに、初代ウルトラマンの美しさに感動していた自分が居ました。
成田亨との出会い、オリジナルウルトラマンを手で持った時の感動が、よけいにエイティをダメなウルトラマンにしてしまった。
そうして長く、残念な思いを持ち続け、「メビウス」でエイティと再会したわけです。

長谷川さん、よく出て下さった。失恋怪獣ホーを選んだ事も素晴らしい。
学校をなくしてくれるな。怪獣は泣いた。
エイティのあの個性的な顔が懐かしくて、気がついたら泣いていた。
脚本の川上さん、うまくやってくれたな。
歌舞伎町へ移ってからのロフト╱プラスワンの特撮イベントを、ぼくは30回企画して、司会をさせていただきました。
とくに平成ウルトラ3部作の後半、スタッフもキャストも快諾して出てくれた事がぼくの財産だと思っています。10人以上のゲストが雛壇を作って並ぶ様は圧巻でした。
昼、夜、深夜とぶち抜きでやったり、6日連続でやったり、無茶がやれたのもたくさんの協力者があって、自分が若かったからです。
あるイベントの深夜すぎに、トークの最中、川上さんがいきなりラーメン食いに行こう!と壇上で言いだした。え!? 行かないなら、帰る! わかった、行こう。
お客さんたち、唖然。馴染みの俳優さんに司会を頼む。深夜のまったりした部はそれがまた楽しいんです。
川上さんは、疲れ切っているぼくに休息を作るためにそんな芝居を打ったのです。年下なのに、アニキのようだった。
その人の「思い出の先生」が面白くないはずがない。エイティが最高に格好良く、涙が流れました。
つまり、ぼくは、「80」と同級生であり、矢的猛の教え子と世代が違いますが、やはり先生は先生のような気になってしまった。
ぼくが当時もっていた「80」への厳しい評価は、社会へ出て右も左も判らなずあがいていた自分を重ねていたんだと、ようやく分かった瞬間でした。
そう思うとたまらない。番組「80」とヒーロー・エイティは大事なぼくの思い出だったと嬉しくなってしまった。
佐野監督の「思い出の先生」は、揺り籠に揺られるように、とても心地好かったのです。
ネットでは当時、あれこそが「ウルトラマン80」の本当の最終回だ!と沸いていました。
ぼくにはちょっと違って、「思い出の先生」は「80」をオマージュにしたに過ぎなく、主役はやはりメビウスであり、ミライです。そういうエイティの物語と出会えたミライの話です。好い出会いだな、さわやかでした。
それにつけても10年も経っていたとは。早いですね。
当時の子どもたちは中高生ですかね。彼らが社会へ出て、ふと懐かしくなって「メビウス」を思い出すのがこれから5年先か、10年先か。
「メビウス」はゲストに歴代のウルトラマンが出て、子どもよりオジサンが随喜の涙を流した。
松原さんの歌を聴きながら、明るく清々しい気持ちになれました。
ところで、ぼくのコーナーはさわりの序章めいたもので、プロデューサーの黒田氏がいろいろ企画してくれる事になりました。
やはり「80」の頃。特撮ファン、同人誌や自主製作映像の仲間が集まって、特撮大会を開きました。
ぼくらは、同人誌の販売やヒーローショー、小道具やマスクの展示などをやりました。成田さんと大野剣友会の岡田さんに来てもらいました。
その時、中学生で参加していたのが、彼です。
5日、本日も彼の企画があります。よかったらおいで下さい。

2月5日(日)14:00 楽器cafe
特撮バカ プレゼンツVol.01
『ウルトラマンG(グレート)Blu-ray BOX』発売記念
「會川昇バトルトーク・ライヴ」
応援ゲスト:大内雷電・ガイガン山崎・中沢健 (50音順)
チケット残僅少!ご予約はお早めに。
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・壇上、最後の抽選会にて。左から、佐野智樹監督、秋廣泰生、早川優、高野二郎、松原剛志、高島幹雄、不和了三。

 

 


・ホールのモニター。松原さんの熱唱。

 


・新コーナー「ヤマダマサミファイト」のネタとして、ペギラの資料を作って配りました。ペギラが生まれてメディアに登場していく順番です。ぼくらは放映前にサントラを楽しんでいたのでした。福笑いが付録だったのは年末の商品だったため。

 


・打ち上げ会場で、松原さんと高野さん。