高山良策さんの命日。

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82年の7月27日、夜8時過ぎに順天堂へ見舞いへ行き、時計の針が30分を過ぎたのでそろそろおいとましようと思った矢先に発作的に最期の瞬間が始まったのした。
黒澤映画「赤ひげ」で藤原釜足が見せた臨終のまさにあんな感じ。
45分ごろに亡くなって、それから奥さんの手伝いを怪獣同人仲間とともに葬儀が終わるまで続けました。
報道された肝臓癌ではなく、白血病でもない血液の癌に冒された。そのため輸血が要る事になり、同人仲間の連絡網を使って高山さんと同じO型を40人以上みんなの力で集めました。
しかし、再検査で手遅れだと分かります。
病院は、高山さんにはお子さんが居ないのにあんなにたくさんお子さんが居るじゃないですか、と励ましたものの、奥さんの悲しみは尋常ではなかった。
一度退院した際に、5人ほど病床へ呼ばれました。
後日、奥さんはいつも、わたしは一言も病状は言ってないのよと、穏やかに述懐するわけですが、あの悲しみようをそばで見る高山さんが気がつかないはずもなく、その日も、夫妻ともに嗚咽してしまい、ぼくらもどうして良いのか分からない。
ぼくは火葬の際にいちばん泣いたそうで、奥さんから親戚がみんな驚いたのよと言われた。
夢を見せてくれた人があっけなく灰になってしまって、ハタチなんて子供と一緒ですから、そりゃ絶望しますよね。

高山さんは中肉中背でどちらかというと地味系。「ウルトラマン」の頃の高山さんの年齢をとうに超えている自分なのに、当時の高山さんの方がずっと年上に見えてしまうのはその人の苦労が滲み出ていたからでしょう。
山梨から神田の製本屋へ丁稚奉公のようなかたちで入り、やがて中国へ出兵。馬を引く輜重兵(しちょうへい)だった事と、上官が同じ郷里の人、まだ戦争が始まったばかりということもあって、戦地はそう重篤な状況ではなかった。空いた時間を絵を描く事を赦された。
絵描きになりたくても美大へ行く余裕がなかったために独学でした。
戦中戦後、東宝の教育映画でミニチュアやセットを作っていた高山さんは、生きていくために組み合いへ入り、労働争議で職を失います。
そういった事を含めて、権威や圧力、暴力、争いごとが苦手な人でした。
やがて田辺製薬の図案課に居た頃、奥さんと出会います。
高山さんは奥さんがとても大事で、ぼくらの目の前では、おい、などと呼びながら、あの人がそこに居たんだよ、みたいにボソッと照れくさい事を笑いながら言ってみたりします。
少年のようにお茶目で、純粋さがあって、画家仲間には無口で通ったそうですが、屈託なく笑い、よく喋ってくれました。
奥さんは実家がお医者さんで、田辺の社長室に居た人。高山さんみたいに木訥で口べたな人がよく仕留めたと思います。
結婚して豊島区東長崎のアパートで暮らす中、奥さんがカリエスで寝たきりになり、かいがいしく看病に明け暮れました。
アパート一帯は、池袋モンパルナスと呼ばれ、戦争で亡くなった美大生の子を想って親御さんが若い画家のために作った居住区を誰かが呼び出した名称で、天井が高くアトリエ風の平屋だったそうです。
水道はなく、共同の井戸が中央にあった。劣悪だけど、楽しい新婚生活だった事でしょう。
池袋駅前の闇市でキャンバスを作るためのドンゴロスを買ったと、いま見ると質がよくて勿体なくてと、高山さんが見せてくれました。
大正生まれは物持ちが良くて、との事。
創意工夫は貧乏が産む。
怪獣も知恵を絞ってどう作るか、どう見せるか考えます。
でも一番苦労したのは、中に入る役者への配慮だそうです。安全である事、重たくしない事、着やすくする事。

苦労を重ねた仲良しのご夫妻だったから、特撮美術の池谷仙克さんが、仲人をお願いしました。
実相寺監督が時間を間違えて遅刻する中、岸田森さんが伸ばして伸ばしてとゼスチャーをして、慣れない司会のマイクを続けたそうです。
東長崎から石神井公園へ移って、昭和30年代の頭から商業美術で知り合った仲間たちと学研はじめ児童雑誌のミニチュアやセット、人形をやって、途中で大映の「釈迦」「あしやからの飛行」「鯨神」などの特撮の美術に関わり、延長線に怪獣の造型が来ました。
「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」のほとんどの怪獣を作ります。
「怪獣王子」「豹マン」などPプロのキャラクターも同時にやっていたのはフリー(下請け)だったことと、鷺巣富雄さんとは戦前からの友人だったため。
高山さんが亡くなってすぐ、晩年に準備を始めていた<従軍スケッチ展>が開催された銀座の会場で、鷺巣さんと2人、奥さんが取ってくれた蕎麦を無言で食べました。
怪獣造型でファンに知られた高山さんでしたが、人間味豊かで、穏やかで、人に好かれた。
ただ、威張っている存在は嫌いでした。
そのため怪獣ブームの時、東宝から来た仕事を断ったため誤解を生むこともありました。
井上泰幸さんとは、ぼくも懇意にさせてもらったんですが、井上さんは、なんで断るかなぁと不満げでした(ゴロザウルスを依頼に行った)。
東宝に不条理にクビになった事が大きかったでしょう。ゴジラが高山さんには権威に重なったのでしょう。
ある意味で、成田亨さんと息が合ったのもその部分で、2人はアンチゴジラが合い言葉だったそうです。
でも「怪傑ライオン丸」などで、高山さんと井上さんが同じ仕事を別々にしているのが面白いです。
高山さんが亡くなってから長い間、年に数回、みんなで訪れていた高山家もいまはなく、ただ記憶の中に思い出があるだけです。
ライター業の師匠だった安井尚志さんとは、高山怪獣のファン同士で、口を開けば語り合いました。
ぼくが安井さんの仕事を手伝えたのは、高山さんが一言いってくれたからじゃないかと思うんです。
安井さんがラゴンやセミ人間の新造型マスクや怪獣人形を依頼すると、山田君も欲しがるよなぁと言っていたそうで、安井さんは、ちゃんと、君の分だと、余分に1つ頼んだマスクをくれました。

同人誌で高山さんの特集号を2回出しました。本当は商業誌でまとめたかったのですが、豪華な図録が出たし、怪獣はあちこちで写真が載っかるので、ま、いいかなと思ってしまいました。
高山さんが付けていた怪獣の記録は「宇宙船」誌に載りました。日誌とはいえ、実はスタッフの日程表で、誰がいつ来たのか付けたついでに怪獣の造型日誌を書いたに過ぎず、忙しくなってくると日誌部分がなくなります。
姪の2人が女子美で丁寧な仕上げをしました。
また、石神井公園に住まいがあったため日芸の生徒がバイトへ来ました。
的確な仕事だといま見ても感じます。乾いた皮膚感の色遣いは画家の感性でしょう。昭和ならではの味です。
絵描きにはなるなよ、絵描きは食えないからね。いつも言ってました。
その顔には、それでもなりたいならなれば良いよ、絵描きは素敵だよ、と言っている風でもありました。
絵描きにはなりませんでしたが、食えないからって不幸でない事は確かです。



・朝日ソノラマの「ファンタスティックコレクション」の取材、安井尚志撮影の高山良策。放映が終わって14年、アボラスとバニラはアトリエで戦っていた。2回も海に落とされたラゴンは塩分でラテックスが腐食していた。お化けみたいと笑っていました。








・「アサヒグラフ」の取材。アントラーを作っているところ。大映時代に知り合った的場徹(集合写真、左の人物)に誘われて怪獣造型に参加した。











・近所の子供が集まってくるのが嬉しかった。子供が好きな人の所へ子供は産まれないものなんですねぇ。










・同人誌を出した際の巻頭言を書いてもらいました。







・リメイクしたラゴンの原型。撮影は安井尚志。一緒に行ったとき。大魔神のマスク、ガラモンとケムール人の人形が出来た頃。高山さんの撮影。上の2点は、千葉の別宅へ夏休みに呼ばれた時。同人仲間の間宮尚彦が一緒。











・絵をくれるというので、選んでいるうちにあれもこれも良いですねぇとやっていると何枚か下さった。これは河童展へ出した「カッパアベック」と題した作品。


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「大怪獣モノ」その2

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「大怪獣モノ」でカッコイイ怪獣を盛り立てたのがカッコイイ音楽。
特撮リスペクトバンド科楽特奏隊の中村遼さんがつくった渾身の劇伴音楽、アルバムで発売中です。「ギララの逆襲」の福田裕彦さんもすごかったけど、上映館が身近にない人はまずサントラを先に買うのも一興です。
そして公開記念「河崎実展」その2。
渋谷西武デパートの少し先にある渋谷MODI 6F HMV&BOOKSで、24日まで。
写真取り放題です。
テレビでやっている「侵略!ガルパンダZ」のデザインや、懐かしいイコちゃんのポスターや衣装もありました。









「大怪獣モノ」

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河崎実監督作品「大怪獣モノ」を観ました。「シン・ゴジラ」公開の便乗と監督自ら言っていましたが、なかなかどうして、決して奇を衒った話でもなく、正統派です。
怪獣もご覧のようにカッコイイ。
ギャグはもちろん各所に満載ですが、ヒーロードラマとしても面白かったです。見たことある人たちがたくさん出ていました。
毒蝮三太夫さん、古谷敏さん、西條康彦さん、きくち英一さん、真夏竜さん(もうビックリなことをしています)。
そして堀田真三さん。ぼくの目にはこの人が主役だった。素晴らしいです。
見終わって、誘ってくれた久保田さんと河崎さん関連の展示をやっている本屋を覗いていると当の河崎監督がやってきた。
渡辺宙明さんのお孫さん、マコ・プリンシパルさんと、ナマコラブさん。劇中では国民的人気アイドル「ナマコプリ」と言う設定。のお2人も一緒で。
画像、写真取り放題は、渋谷MODI 6F HMV&BOOKS『河崎実展』24日まで。
モノがなかなか良い出来で気に入りました。デザインは森野達弥、造型は浩一。古文書、タイトルロゴ、鈴木みのる頭髪デザインなど加藤礼次朗。
http://mono-movie.com/
ゴジラはおまけ。パルコの壁面に出現中。

















モーレツ!特撮ナイト 38回目!

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粛々と「ウルトラマン」放送50周年をみんなで祝いました。ジョンスン島からお祝いの使者も来て朝まで楽しい時間でした。
次回は「シン・ゴジラ」の話題も増えるでしょうし「大怪獣モノ」話も必至です。
そして夏の出張モーレツ!はシャボテン公園でヒドラと握手&夜は熱海で花火大会ツアーが濃厚となりました。

とりあえず、それはそれとして、次回、
<モーレツ!特撮ナイト>は38回目、8月19日(金)です。

吉祥寺SORA
8月19日(金)19〜22時
参加費4.000円
2次会(マック)、3次会(ガスト)は成り行きです。

<お約束>
・予約制です。
・第2か第3の金曜の19時〜22時です。
・予約受付を、出来るだけ水曜夕方くらいまでにお願いします。
・18名で締め切ります。
・キャンセル受付は前日まで。
・当日キャンセルは参加費負担になりますのでご注意下さい。
・開始前の来店時間は早くても5分前まで。それより前は準備中。早すぎるとお店が困るので、厳守です。
・人数が多くなるとお店の仕込みが大変です。上記、ご協力下さい。

初代ウルトラマン登場!

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過ぎてみると夢のような時間でした。7月10日。杉並公会堂の「ウルトラマンの日」。
キャストとスタッフの対談に加えて、50年前に録画収録した「ウルトラマン前夜祭」を上映しながら、このときはこうだった、ああだったとコメンタリーは最初で最後でしょう。そして歌と怪獣ショーと。
もちろん、われらが敏さんも出ました。白いスーツ姿。やがて、歓声と共に初代ウルトラマンの登場!
テレビ中継の画面撮りですが、お楽しみ下さい。
バルタン星人、ゴモラは拾い画像、前日のNHKの特番から。このバルタンも当日来ました。






サヨナラ、ザ・ピーナッツ。

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特撮ファン的には「モスラ」「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣地球最大の決戦」の3本。もう何回観たか、数えきれません。
そして「キングコング対ゴジラ」併映の「私と私」。ぼくはリアルタイム世代でないので後で見ました。有島一郎さんがどちらにも出ています。
ザ・ピーナッツとしての歌は耳に懐かしい歌ばかりです。
小学校時代に好きだったのは、「情熱の砂漠」。73年だから6年生でした。
「インファントの娘」(アナザーバージョン)が良かったのですが、ユーチューブになかったので一番有名なやつ。
https://www.youtube.com/watch?v=mHXLyzy_GjI









「ウルトラマン」誕生50年!

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それぞれの個人史の中にヒーローがいます。ぼくの場合、ウルトラマンと50年ものつきあい、しかもかなりの重症でもあります。
残りの人生もずっとウルトラマンが居座っているはずです。
「ウルトラマン」が誕生して今年で50年。
特番だった「ウルトラマン前夜祭」が放映されたのは1966年の7月10日、杉並公会堂の中継録画でした。
同じ日、同じ収録場所できのう、<ウルトラマンの日>を迎えてきました。
科特隊のメンバーが、黒部進さん、二弊正也さん、桜井浩子さん、津沢彰秀さん。2人の監督が飯島敏宏さん、満田かずほさん。そして、ウルトラマンを演じた古谷敏さん。懐かしい人たちが集まりました。
ビデオレターで、石井伊𠮷(毒蝮三太夫)さん、石坂浩二さん、浦野光さん。
金城さんのことも成田さんの事もふれてくれたので、個人的には満足です。ショーも素晴らしかった。
なにより、敏さんが演じるウルトラマンを生で見られた幸運は、本当に感動。目頭が熱くなりました。
3年前、46年ぶりに敏さんがウルトラマンへ入った映画祭へは行けませんでした。大勢人が集まるところへ出る気力がなかったのです。
放送時、幼稚園児だったぼくは両親が階下で共働きしていたため夕飯を含め夜のほとんどを一人で過ごしました。
「ウルトラQ」が怖くて見ていられない。カーテンにくるまって隙間からブラウン管を覗く弱虫でした。
「ウルトラマン」が始まると怖くなくなった。ペンライトを使ってフラッシュビームの真似をします。
怪獣も大好きで布団を丸めて取っ組み合った。
扁桃腺の弱い子供で、いまでは有り得ない放射線治療を受けに大きな病院へ行くのがたまらなく嫌で、ウルトラマンの人形と怪獣図鑑を握りしめたものです。
それから13年経った学生の頃、特撮の同人誌を始めて「ウルトラマン80」の現場を何度か覗かせてもらいました。
さらに16年を経て「ウルトラマンティガ」が始まり、模型雑誌の取材で同じ撮影所へ通いました。3年ほど、毎月です。
自分の世代が撮影現場で決定権がある立場になっていたのが嬉しくて、紙面で応援しました。
調子に乗ってトークライブを企画します。
特撮の現場へお客さんを連れて行く事は出来ないが、特撮スタッフをお客さんの前へ連れて来る事は出来る。30回やりました。
子供の頃の夢というか憧れに迫りたくて、大人になってもウルトラマンが大好きで。しかし、いろいろやってると人間関係に疲れが出て、それから10年、ぼくは引きこもりになったのでした。
この間、会っておかねばいけない人たちが亡くなった。
やっと表に出られるようになったのはトークライブの常連が辛抱強くぼくに声をかけてくれたからです。
先般。敏さんのバースデーショーの映像を作るため、撮影班の一人として敏さんと撮影所までの道を歩きました。
もう東宝ビルトはなくなってしまいましたが、まさか敏さんとあの道を歩くとは。
時代の趨勢で淘汰されるのは仕方ないです。自分も歳をとる。なくなったものは還らない。
ショーで、歴代のウルトラマンの歌がかかりました。その時々のウルトラマンの思い出が甦る。
子供の時とまた違う感慨で「ウルトラマンガイア」だってぼくの大事な第2の青春の思い出がつまっています。
「ウルトラマン80」も歌ってくれよ。そうも思う。
82年にその杉並公会堂で、有志が集って<特撮大会>を開きました。ぼくらの同人誌グループはウルトラマンのデザイナーである成田亨さんを招いた。34年前。
もちろん「ウルトラマン前夜祭」にちなんでの杉並公会堂でした。だから昨日は感慨深い。
今回、前から5列目が取れて至近距離で出演者を見る事がかないました。敏さんのウルトラマンはやっぱりカッコイイ。
73になった敏さんが当時の子供、いまの50代のぼくらの前でまた輝いてくれた。
いや、若いお客さんもたくさん来ていました。老若男女。みんなウルトラマンが好きなんですね。行って良かった。
すでに亡くなった友人の分も楽しみました。
また<50年後にここで会いましょう>と、どこまで本気だか分からないテロップが出ます。
壇上の関係者も、おじさんになったぼくたちも、それは無理だなと思うと少し切ないですが、とにかく楽しかった。
閉場して15人くらい連れ立って居酒屋で乾杯。
ありがとう、ウルトラマン、おめでとう、ウルトラマン。
50年を共に出来ました。
お客さんみんな同じ思い。喜びと感謝です。



ゴモラ

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BS・NHKの特番でゴモラが人気投票で1位を取ったので記念に。
円谷英二が大好きだった「キング・コング」のコンセプトは、息子である円谷一の2本の「ウルトラマン」に活かされています。
「怪獣無法地帯」の多々良島での怪獣トーナメント戦と「怪獣殿下」のジョンスン島から万国博展示のための怪獣空輸作戦。
それぞれ、髑髏島で恐竜を倒すキングコング、見せ物のためニューヨークへ連れて来られるキングコングと同じ内容です。
面白いのは、この「ウルトラマン」2本(と第1話)の編集版を「長篇怪獣映画ウルトラマン」としてまとめ、東宝映画「キングコングの逆襲」の併映にしているところです。
すなわち、円谷親子のキングコング対決であったと見ています。
レッドキングが髑髏怪獣とされるのは、頭蓋骨のような頭部の骨格と黒目の顔を指しているのでしょうが、髑髏島のキングコングのオマージュもあったかもしれません。レッドキングの豪腕はもちろんキングコング由来です。
今回、レッドキングが圏外だったのが意外でした。
ちなみに、成田さんはシルバーキングのつもりでデザインしたと画集で説明しています。高山さんは忠実にパール塗料と凹みへ青を入れて成田さんのイメージで作ったそうですが、現場で黄色が吹かれてしまいました。結果としてそれが良かったのですが。
レッドキングのレッド(赤)は脚本の上原さんは沖縄の伝説の暴れん坊オヤケアカハチから命名したようです。
さてゴモラです。
これもキングコング由来の豪腕を大きな掌と、胸毛のような胸部から腹部へのモールドを野性の象徴として表現しています。
命名は<GO MOLE(モグラの事)>。意訳して、さぁ掘れ! というような意味はあるような気がします。
あるいは親父の怪獣、ゴジラ、モスラ、ラドンの頭文字を戴いたテレビ怪獣の決定版、というのはこじつけですが。
もっともキングコングのオマージュと言うのは成田さんは意識していないはずです。
成田さんは、台本はほとんど見てないそうです。台本が上がるのを待っていたらデザインが出来ないのだとか。
さしづめ打ち合わせで、豪腕強力なやつ、程度の指示はあっただろうというこちらの想像です。
成田さんの述懐で、二足歩行怪獣の典型としてまずレッドキングを作り、その応用としてゴモラを作った。ここで怪獣の典型とはなにか?という疑問へつながります。
基準の1つにゴジラはあったでしょう。成田さんも高山さんもゴジラは権威の象徴として嫌っていましたが、金城さんたちはゴジラを本格怪獣と仰いでいました。ウルトラ怪獣はどちらかというと変化球だったようです。
飯島さんも自分の時だけ座布団を合わせたような怪獣(グビラの事)なのはどういうものかと思ったり、実相寺さんはもっとひどくて、長靴のお化け(メトロン星人)やオケラの巨大化(テレスドン)、はんぺん(ガヴァドンA)などとただ呆れていました。
演出家や金城さんらの本格怪獣への思いと、成田さんの二足歩行の典型は上手い具合に重なって、レッドキングやゴモラが生まれた。
ゴジラの発想の原点はキングコングにありますから(デザインの源泉という意味ではなくて)キングコング→ゴジラ→レッドキング→ゴモラという流れは当時のスタッフの理想であったのです。
ソノシートでレッドキングの紹介を「恐竜とキングコングを合わせた強力怪獣」と称していました。恐竜の所をゴジラとはっきり言っているものもありました。
ゴモラはレッドキングの逆で、頭を大きくしたのは迫力を出すためで、奈良の大仏のように少し前方へ傾いでいる。角は黒田長政の兜だとか。
高山さんは生物感を出すため、特徴となる大角を、色を付けた樹脂で模様を出して磨いて作っています。塗装でありません。
前後しますが、レッドキングは小さくした頭に繋がる全身を階段のような模様にすることで巨大感、パースを出した。
その辺の詳しくは画集や最近復刻されたノーベル書房の「怪獣大全集 怪獣の描き方入門」を参照して下さい。
劇中で、ジョンスン島に言い伝えられていたゴモラは図鑑に載っているぐらいだから中世のヨーロッパの貴族が絵師を連れて博物誌制作のための旅で見かけたのかもしれません。
「ゴモラの砦」はゴモラの巣だと想像すると面白いです。
崖を崩してゴ出現したゴモラのアップ、目をぱちぱちさせ、ガシャッ、ガシャッと音がします。
80年頃、高山さん宅へ行った際に、剥製のように壁にかかっていたゴモラを高山さんが手に取ってまだまぶたが動くんだよといじると、まさにその音がしたので、びっくりでした。
SEでそのまま使っていたのでした。
ジョンスン島のゴモラは正式にはゴモラザウルス。
科特隊の空輸作戦の途中、落下のショックでゴモラは大怪獣と変貌。
奇遇にも、後に改造されるザラガスの変身と同じ二段構えです。
ウルトラマンに優勢だったゴモラは科特隊の攻撃で最大の武器である尻尾を切断され能力半減、あまつさえ大角と鼻角をへし折られ、満身創痍で倒されました。正直、ウルトラマン、やりすぎだよと子供心に思いました。
その判官贔屓があるのか、ゴモラへの同情を感じる人は多いかもしれません。
マニアなら「ウルトラセブン」(レッドマン名義の頃)のカプセル怪獣にレッドキング、ゴモラ、あるいはパゴスが用意されていた事は周知の事実です。
その名残か、平成シリーズになって、ゴモラは人間の味方、地球怪獣の代表としてウルトラマンに力を貸します。
これは嬉しかった。リトラもある意味ウルトラマンと同格でしたからね。
ついでにヒドラやウーも味方にしちゃえば良いのに。
レッドキングもゴモラも飛び道具のない古代から生き延びてきた怪獣なのが魅力です。無駄のないシンプルさで。
画像、ネットで拾った物中心に。
今日はウルトラマンの日。杉並公会堂で会いましょう。






・ゴモラの砦で永の眠りから甦ったゴモラザウルス。落下のショックで大怪獣に変貌したゴモラが大坂城を襲う。











・ウルトラマンとの戦いで満身創痍になる前の美しいゴモラ。その水牛のような大角。子供の頃はウルトラマン、なんてことするんだと、怒ったのでした。











・首の角度と太さが尋常な感覚でないです。この絶妙。胸毛? はガラモンのトゲと同じウレタンの削り出しでラテックスは塗ってません。








・ブルーレイの画像を補整しました。




















・成田さんのデザイン画。鼻角、少し大きくしたんですね。













・左は勁文社の「怪獣大絵巻」の部分。レッドキングとゴモラの戦い。しかもゴモラとザラガスの競演があります。右はノーベル書房の「怪獣大全集 怪獣の描き方入門」から。下から見上げた時、顔を前へ突き出す事で迫力が増す、という試み。









・出来たてのゴモラ。角の模様が少し違います。樹脂に色を付けて磨いて出した色の上に加筆したようですが、最終的にそれは取ってもう少しあっさりしています。












・現存するゴモラ。高山さんは80年頃。アトリエにて。