古谷敏ウルトラワンマンショー3

テーマ:
(古谷敏からのメッセージ)
ぼくには3人の恩人がいます。
脚本家の金城哲夫さん、デザイナーの成田亨さん、そして、TBS宣伝部の狩野嘉次さん。
悩み抜いて演じたウルトラマンに陽をあててくれた、あの日の喜びを今日はお話ししましょう。

★日程:2016.11.26(土)
★会場:発明会館ホール http://hatsumeikaikan.com/access1.html
(東京都港区虎ノ門2-9-14 B2)
★ショー ¥7,800
全席指定、申し込み(入金確認)順
★パーティ(古谷敏謝恩会)¥7,000
先着80人限定(ショー参加の方のみ)
ディナー形式、飲み放題

<ゲスト>
毒蝮三太夫(石井伊𠮷)
桜井浩子
飯島敏宏
狩野嘉次
倉方茂雄
河崎実


13:00 開場
14:00 ショー開演
16:30 閉幕
17:00 サイン会
(売店購入者優先となります)
18:00 パーティ(謝恩会)
20:00 終了


<チケットお申し込み方法>
チケットの取り扱いは、専用メールアドレス、または専用FAXでの受付となります。以下の要領でお申し込みください。
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■FAX送信先:055-267-6641(シンビンプロモーション)

必須記入項目
件名╱「古谷敏ウルトラワンマンショー3」チケット
1)お名前(フリガナ)
2)チケット送付先ご住所
3)お電話番号(FAX受付の場合はFAX番号)
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※全席指定、申し込みお支払い順となっています。
※先行発売にあたってもれなく特典があります。
(数量限定につき、無くなり次第終了。)

お問合せ
制作:シンビンプロモーション株式会社 http://shinbin.jp/
TEL:055-269-6362
FAX:055-267-6641

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実相寺昭雄に聞く

テーマ:
「ホビージャパン」「電撃ホビーマガジン」といったいわばプラモデル、もっと言ってしまえばガンダムが主力のホビー誌で、特撮のコーナーを設けさせてもらいました。
HJは最後が金子監督のGMK、成田さんの追悼など書いた04年の事だから12年経っています。100回連載をして自主的に退きました。あのまま続けていたら200回は越えていたかもしれませんが、密度は落ちたでしょうね。ぼくも人疲れしていたので。
始まりは95年頃? まだ「ガメラ」も「ティガ」もありませんでした。
ガンプラ目当てに買っていた小学生が、怪獣記事も楽しみでしたと、最近になって聞くとびっくりします。
中には貴重な取材もあるので再録してみます。
実相寺さんが佐川さんと初めてタッグを組む「ダイナ」の時の記事。佐川さんと服部さんの話も聞いています。この翌月、開田さんに誘われてロフト╱プラスワンの特撮イベントに関わって行くんです。
原稿は文字校で直しますので紙面と多少は違うかもしれません。

1997年
LINGLINC-51 7月号第51回
今月のダイナ倶楽部
協力:円谷プロ、斎藤純二
テキスト:ヤマダ・マサミ

実相寺昭雄に聞く
----『ティガ』で久しぶりにウルトラマンをやられていかがでしたか。
いやぁあんまり久しぶりって気がしないんです。ウルトラマン自体が何度も再生していることに加えて、ぼくもつねにウルトラに近いところにいたからね。隔たりは、感じなかったね。特別に古いものをとり上げたって気持ちもなかったし。三つ子の魂ってやつでね(笑)。
----監督の作品は幻想性ばかりか成人映画でのエロチシズムの表現もありましたが、実際に子供番組という意識をされることはあるんでしょうか。
それはディテールではあるけどね。子供番組だからという、撮り方での区分けはないですね。子供の方が感覚的なんだ。大人みたいにゴチャゴチャ言わないで。見たとおりの映像を受け入れる。
----監督の昔の著書を見ますと、けっこう特撮に絶望されていた。
一時期ね、そういう時期もあったなぁ。これからは、特撮をおもしろくやっていくってところがあるかもしれないね。そういった意味で『ティガ』の『花』のときは特撮を長く入れてみた。
----逆に、昔の方がよかった点は。
昔との違いがあるとすれば、中身の内容に必要な時間というのが圧倒的に少ないんですよ。現場での準備も含めてだけど、中身のドラマも3分くらい少なくなっている(注:30分枠のドラマで、初代『ウルトラマン』が24分ほどあったものが最新作では21分くらいになった)。大きなネックだね。ドラマの前と後のタイトル含めて付随物が長いからね。合わせると1つのお話分くらいがドラマから引かれている。特撮を減らすわけにいかないから、本編で遊べない分、特撮の中身を面白くする方向にいくかもしれない。
----映像企画は、監督から出されるんですか?
いろんな人のアイディアから選んだり、自分で考えるときは考えていく……。今回は、脚本づくりには苦労しました。3本用意して(うち1本は服部作品)、ぼくが2本やるつもりでいたのに、結局1本になってしまったのは、脚本づくりの時間がなかったためでね、撮るのにも手間がかかる脚本だった(注:太田愛脚本として準備されていた)。ぼくはなにやってもそうなんだけど、現場での準備よりも、立ち上がりに時間がかかるんですよ。それとまぁ、最近の傾向でこの作品にかかわらず、アニメーションなら可能だけど人間を動かすドラマの脚本が書けていないものが多い。ドラマに必要なリアリティが欠けている。ファンタジックな小説ならいいんだけど、映像だからね。
----怪獣ものであっても人間ドラマが核でないといけないという……。
やっぱりそうでしょう。人間の喜怒哀楽、人間の基本的なところを押さえていないと。だから、隊員のことをもう少し研究しておけばよかった。隊員のエピソードはきらいじゃないんですよ。『ティガ』のときは高樹澪さんがうまく描けた。
----高樹澪さんは、実相寺監督の『ウルトラQザ・ムービー』で主演格でしたね。ぼくは円盤にイルマが拉致された場面の撮影を覗かせてもらいましたが、とても艶かしく思いました。
子供っていうのは、エロチックなものに惹かれるからね。高樹さんは魅力的な人ですよ。
----ほかの監督の作品は見られたんですか?
いや(笑)。見てないんだ。映画でも、ぼくは他人のは見ないんだ。ただ、レギュラーの決まりごとについては知っておけばよかったな。昔は円谷一さんみたいにレギュラーを見せる監督がいて、ここから必ずメインのポジションを押さえていて、そのときのセットのパネルはぼくのときは要らないと。それがいま、なくなったなぁ。
----架空の『ティガ』の世界から、より現実に近いところで事件が起きましたね。
ぼくは日常的なものと“夢”みたいなものが隣り合わせになったものが好きなんだ。隣に誰が住んでいるかわからない、『セブン』で言えば『狙われた街』みたいなもの。日常的な人間のリアリティが飛躍するときの接点を描く。
----マノン星人のように日常の世界に異生物が出て来るとき、人間の演技とかぶりものをした役者の演技とに違いはあるのでしょうか。
ああ、違うでしょうね。仮面というのは1つの表情しかないからね、それが表情を見せるためにいろんなことをやらないといけない。だから、難しいでしょうね。
----今回初めて佐川監督と組んだわけですが。
名目上はそうなんだけど、じつは『ウルトラマン』の『怪獣墓場』なんかはそれまでカメラマンだった佐川さんが監督をやっている(注:『ウルトラマン』の後半は制作が追いつかず、現場は渾然一体だったようだ)。スカイドンもそう。ぼくが大木(淳)くんと組んだのは、もっとあとの『セブン』からだった。大木くんが円谷プロに戻ってきたのはアボラスのあたりからでね。
----そういったことは記録上は残されていないので、貴重なお話になりますね。大木さんのお名前が『ティガ』のプロデューサーとしてテロップにあったのは追悼の意味でしょうか。
そうそう。円谷プロに了解してもらった。人の命はわからないものだよね。
----監督の宗教観みたいなものは。
ぼくは仏教徒だからねぇ。実相寺という名前も寺のある山の名前をもらっているみたいでね。寺の雰囲気はとても好きですよ。石仏とかも。
----『怪奇大作戦』の京都編はいま見ても感銘を受けます。古都がとてもSF的で。ヒーロードラマもいいんですが、監督の幻想ドラマももっと見たいですね。
やりたいんだよねぇ。SFものっていうと、みんな臨海服都市に行っちゃう(笑)。おもしろくないよね。幻想って、もっと違うところにあるよ。お金があればセットを組みあげて、現実とうまく対応させていけばいいな。
----実相寺家の長男である“ちな坊”が、存在感ありましたね。ハッとさせられた。
頼んだ俳優さんのスケジュールがダメになっちゃってね。ヒチコックじゃないけど、自分のマークをどこかに出そうと思ってね。今回も出したんですよ。ハネ坊じゃない、ハネジロウか(笑)、あれと一緒に出してくれって言われた。その脚本がうまくいかなかった方で。
----ふだん可愛いくせに、使い方によっては恐くなる。人形の不思議さってありますよね。
人形って、恐いですよ。どんなに可愛い縫いぐるみでも、ふっと闇の中にいると、別の生命体のような気がします。魂が乗り移るんだろうね、人形に。人間のケガレとかも。だから雛人形を川に流すんだろうね。
----いまの時代、人間の情念とか物質が魂をもったような映像が面白いと思うんですよ。
そういうのがもっと出てくるといいですよね。なんか恐いっていうと即物的でしょ。誰でも心にもっている闇の部分が、ヒーローものに結びつくと面白いよね。映像でも首斬るとか血が出るとか、多い。それが非常に残念でね。想像力がだんだんなくなっている。ウルトラマンはもっと幻想的にしないとね。
----見上げるとバクゴンがたたずんでいるというイメージは、単純すぎてかえって恐かった。
夢とうつつが混在し合うのがいいね。子供の方がよくわかると思うよ。大人は手垢に汚れてしまっているから累計的なもので、水戸黄門のようなウルトラマンを作りたがるけど、勝ったのかもしれないけど苦い勝ち方だった。本当は負けたのかもしれない。まだ悪夢が続いているのかもしれない、とかね。
----劇伴曲の選び方はどうなんでしょうか。
『ティガ』では劇伴は使わなかった。今回は、脚本を読んでいてイメージが出てこない。だから音楽はなしかな、効果音だけ(笑)。去年は音楽が先に頭にあってね。最初に、頭に音楽がならないと撮れないんだ。今回は難しい。中世のチェンバロを使う曲みたいなものがあればね。
----『怪獣戯曲』は劇中劇みたいな感じですね。
村井(さだゆき)くんの脚本を最終的にわかりやすくしてね(注:異例の決定稿Ⅱまで出た)。これにも人形が出てきます。西洋人形。四谷シモンさんの。鳴海というキャラクターは澁澤龍彦さんがモデルで、清水紘二さんに演ってもらった。
----新しい技術はどうでしょう。
デジタル合成は画面を平面化してしまう。CGは好きでなくてね。アニメっぽくて。円谷プロの魅力って、なるべく操演を活かしてミニチュアワークの良さを表面に出すことだと思う。
----慌ただしいスケジュールの中で印象は。
いいセットを作ってもらえたなぁ。映画のセットよりもいいんだ。まだまだウルトラマンはやりますよ。今回のことで悔いが残ったし。

(98年4月26日収録)



(カット分)

----近代の特撮番組はどうでしょう。
バーチャルリアリティってあるけど、特撮でもコンピュータグラフィックスでなんでも作れてしまう。ゲーム感覚になる。そうでなくて等身大の恐さ、闇の中、空間の中の手探りの恐さで話を発展させていかないと。簡単に光がなんでも作れちゃうと、ゲーム的な感覚で終わっちゃう。
----広角レンズの効果がとても特徴的ですね。
本部なんかのセットを撮るときに広さを見せるんで広角レンズを使う。それと別に、映像の中に異なった空間を出すのにも、広角レンズがいいんです。面白いんです、パースが狂うときって。アップが多いって言われるけど、絵描きさんが絵を描くときと一緒で、理屈があるわけでない。自分の感性ですね。言葉では説明できない。
----配役は監督がお決めになるんですか。
ぼくはあまり役者さんを知らなくてね。プロデューサーが決めてくれるんです。服部(光則)くんとかね、監督仲間の意見を聞くんですよ。とくに最近の若い人のこと知らないんです(苦笑)。『夢』で島田久作さんの役は、初め岸田今日子さんで考えていたんだけど、スケジュールの都合で出来なかった。それで島田さんにそのままの台詞を読んでもらった。



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アゴンとアロンと大橋史典

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大橋史典という造型家は謎が多い人でした。戦前から俳優、特殊美術、果ては助監督の経験もある、なんでもござれ。とても説明しきれないのでウィキペディアを参照して下さい。
曰く、ディズニーランド創世に力を貸した、「猿の惑星」のメイクをやった、果てはゴジラを作った、などと口にする。
京都で日本特撮株式会社の代表に奉られた際は所属していた日本電波との契約が残っていた、に始まって、肝心の「怪獣王子」がいよいよ不振に陥って更迭された。その際、鳥人の目を片っ端からくり抜いて使い物にならなくしたそうな。
ぼくは会った事はなくて、鷺巣さんや高山さん、開米さん、井上さんらに尋ねたぐらいです。
講談社の大全集がインタビューをしていて、編集者はそのまま再録せざるを得なかったのか、わかりませんが、モゲラまで作った事になっていて、そりゃ焦って初代ゴジラから関わっている開米さん、井上さんに伺いますよ。
出入りはしていたが、なにもしてない、というのが2人の弁でした。
まず、ゴジラは作ってません。
コムパウンドラテックスというゴムの特許をとった、との事で、もしかして東宝はそれを使った事があったかもしれません。その事を大風呂敷を広げて、かように言ったのでしょうか。
「大ゴジラ図鑑」の時、念のために海外で撮り足しをするつもりで作った「The Volcano Monsters」(ゴジラの逆襲)のジャイガンティスに関わったのか、開米さんに確認をとったところ、いつものメンバーで作り、外人用だったため長身の自分が入って寸法を合わせた(180センチある)という話で、大橋さんは関係ないでした。
ただ、あるアトラクションの話で、大橋さんがゴジラを連れて来ると言ってアロン(アゴンかもしれない)をもってきて、自分で演じる事があった。アロンは歩く度にしっぽからオガクズが噴き出してあたりを汚したそうです。80年頃に聞いた話。
アロンそのものはなくて、アゴンの頭部の型を、アロンやその怪獣で流用したのかもしれません。要は自社専属俳優としてゴジラ型の怪獣をもっていたんでしょう。
その大橋さんが亡くなって、遺品が骨董商に出た。
すると自身が生前言っていたゴジラも猿の惑星も資料はなくて、マグマ大使、恐竜・怪鳥ら、ご存じのものだけだった。
昔の人だからはったりが強い。スケールも大きい。自身も大柄で、作りものも大きい。
獣人雪男は、大きく作って、結果的に誰も演じる事が出来なくて、自分が演じた。
でも大橋さんが作った雪男ではなく、利光さんのマスクなんですね、かぶっているのは。キングコングとそっくりです。
自宅にトカゲやヘビを放し飼いにして、来訪者がこれはスゴイ出来ですねと触れば動き出す。驚いた顔を見るのが好きだったと語る。
高山さんは「鯨神」の時、件のラテックスを、買いなさいと、やられたようでした。でも重たくなる、硬くなると分かって、ウルトラ怪獣をやるときは質の良い市川ゴムを選んでいます。

大橋さんの名前が露出するのは、64年4月放送の予定で2月に制作が始まった日本電波製作のテレビシリーズ「アゴンAGON」です。
その記事もなんせ「オール芸能」のゴシップ欄。
東宝が、ゴジラの著作権を侵害されたと日本電波を訴える経緯と、結局はゴジラのモデルは恐竜なので、恐竜に似せたゴジラと恐竜に似せたアゴンとでは争いようがないと、訴えを引っ込めた顛末が書かれてあります。
64年と言えば、海外で東宝・円谷英二ブランドがドルを稼いだ頃。
邦画は62年をピークに成績が落ち、オリンピックと皇太子成婚でテレビが加速度的に伸びていました。
初代「ゴジラ」から10年目で円谷英二が東宝と契約を結ばない(英二さんに著作権がないため)という噂が出たのもその頃。
円谷英二は、東宝に伏せて自宅庭に円谷特技研究所を法人化して構え、石原プロ「太平洋ひとりぼっち」(日活が配給した)の特撮を担当するも、赤字で会社が傾いたのと東宝に知られた事とで、役員と出資が入って東宝の系列となったのがその64年。
テレビ界進出を目論んだ円谷英二は子飼いのスタッフを動かして、62年フジテレビ「WoO」、63年TBS「UNBALANCE」(のちの「ウルトラQ」)の企画を進めていました。
テレビも映画も怪獣や宇宙人は子供に受ける事は周知の事実です。
東宝は54年の「ゴジラ」以来、「空の大怪獣ラドン」56年「モスラ」61年といった怪獣路線、「地球防衛軍」57年「妖星ゴラス」62年といったSF路線、「美女と液体人間」58年「ガス人間第1号」60年といった変身人間、さらには「白夫人の妖恋」56年「ゲンと不動明王」58年のようなファンタジーで、特撮を売りにヒットを飛ばしています。
試しに同じ時期の他社と比べてみましょう。いかに東宝の映像が洗練され、怪獣や宇宙人が傑出したか分かります。以下、
国光映画「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」56年 怪ロボットダレス
宣弘社「月光仮面」58年 マンモスコング
新東宝「スーパージャイアンツ鋼鉄の巨人」57年 エメラルド遊星の宇宙人会議
大映「宇宙人東京に現わる」56年 パイラ人
東映「ナショナルキッド」60年 ギャプラ、シーラカンス
フジテレビ「マリンコング」60年
日本電波「アゴン」64年(放映したのは68年)
などなど。
もちろん、円谷のブランドと結集した人脈による特撮チームあっての比較で、優劣をあらためているのではないです。
当時の子供は、今の人は信じられないでしょうが、マリンコングが怖くてならなかったし、スーパージャイアンツに一喜一憂した。いや実はぼくもその次の世代だから、伝聞でしか知りません。
アゴンが報道されて子供は楽しみだった事でしょう。アゴンの造型はゴジラと遜色がない。これは大きな意味があります。
日本電波は、大橋史典を大いに買って専属契約した。
「アゴン」のあとも、65年に輸出を前提に「S・Fモンスター作戦」を企画します。これも報道されました。が、大橋さんがキャラクターを作った段階でお蔵入り。
「ジャングルプリンス」(製作は66年)でまた東宝のヒットメーカーで「アゴン」に関わった関沢新一を起用して製作しますが、これもお蔵入り。放映は70年になりました。
次に大橋さんが名をあげるのは「マグマ大使」です。
怪獣ブーム前夜。
「ウルトラQ」は放映前の半年間、講談社「ぼくら」などでグラビアや絵物語が報じられ、ヒットが約束されるほどの前人気でした。
65年末になると、大映「大怪獣ガメラ」と東宝「怪獣大戦争」が封切られます。
この時期にパイロットフィルム(宣伝用の試作)の「マグマ大使」が作られます。
鷺巣さんがよく言ったのは、自身が企画した<空飛ぶスッポン>を、ガメラやウルトラQが真似たのだと。それは分かりませんが、70年代の再ブームの時も、円谷プロ「帰ってきたウルトラマン」に先駆ける事3ヶ月前に「宇宙猿人ゴリ」をテレビにかける先見の明があった。
ウルトラマンより先に企画の始まるマグマ大使は最初は役者の顔そのまま、のちに大橋さんがギリシャ彫刻のようなマスクを作ります。
話題になったのはアロンです。その生々しさ。重厚さ。
これの前、「アゴン」がもし劇場カラー作品だったら? 大橋さんの出番は増えたでしょう。
また、もし、「ウルトラQ」がなかったら、「マグマ大使」はぶっちぎりの人気を博したはずです。
アロンも素晴らしいのに怒濤の怪獣路線「ウルトラQ」がテレビ界を席巻しました。怪獣ブームは円谷英二ブランドが牽引したのでした。
TBSの栫井プロデューサーに伺えば、モノクロ作品だったため結局は海外で売れなかったものの、怪獣路線を選んだ事で国内で当たった。前任者のファンタジー、SF路線に疑問を抱き、子供は食いつかないと分析した。その見識が「ウルトラマン」によって開花します。
ウルトラマンとマグマ大使は、当時も両巨頭のように言われましたが、それはマスコミのあおりです。
圧倒的にウルトラマン人気が優勢でした。50年生き残る現実が証明しています。ウルトラマンの一番のファンは当時の小学生、幼稚園児。いまの50代から60代は、これからもきっと、過去の「ウルトラマン」に恋い焦がれるはずです。
ところで、円谷英二は「マグマ大使」ともども自分ををずいぶん気にしてくれたと鷺巣さんは述懐しますが、それは鷺巣さんへの心配というより、内情を知りたかったのはないかと時代背景から推測します。
松竹から川上景司、大映から的場徹らを円谷プロにヘッドハンティングした、特撮界の長ですよ。
邪推を言えば、大木淳を「マグマ大使」へ入れたのは英二さんの采配で、物見を頼んだのだと思います。その褒美に大木さんは「ウルトラマン」で英二さんの代行をして2本の演出をします。例の2本です。
その事を生前、大木さんに伺ったら、その話はあらためて詳しくしましょう、と。そのすぐ後、話は聞けなくなりましたが。
この<その話はあらためて>というのは本当に曲者です。すぐに場を設けないと二度と明るみに出ない事実があるわけで。
同じように、実相寺さんにも<その話はあらためて>と言われたのが「ウルトラマン」の最終回です。
実はぼくの想像ではまだまだ「ウルトラマン」に明るみに出せない現場の内情があるのでいつかまた。

それはさておき。64年の特筆事項として、東宝は香山滋へゴジラのタイトル料を払って、権利を一本化しています。
「モスラ対ゴジラ」からは香山さんに関係のないゴジラとなった。「キングコング対ゴジラ」だって関係ないですが、便宜上、タイトル料(著作)を払っていたんでしょう。
つまりゴジラのシリーズ化、海外市場目当てに、ゴジラを一新したと見るべきです。
その矢先に「アゴン」があったのは面白い偶然でしょう。東宝としても紛らわしいのは困ります。
幸い、64年のゴジラは、(ゴジラを模したかもしれない)アゴンとはそう似てないモスゴジでした。
初代、逆襲、ジャイガンティス、キンゴジの顔を作った利光貞三(体は八木勘寿ら)は、その間、ラドン、バラン、八岐大蛇、モスラ、キングコング、マグマと様々主役の顔を作っていました。
当然シナリオから美術監督(渡辺明)がイメージボードやスケッチを描いて指示します。モスゴジは親の仇、大敵(おおがたき)ですから悪役の顔です。
それにしても脚本家の関沢新一は東宝でゴジラシリーズをやって返す刀で「アゴン」を監修。現在ならマズイですよね。どこかで交通整理をしたところがあったのか、なかったのか。
記録に寄れば英二さんは「産業スパイ」という映画に感化されたようで、情報戦に神経を立てます。
東映で仕事をしていた成田さんが古巣の東宝へ顔を見せると、「スパイめ!」、と言ったそうです。その台詞、金城さんがメフィラス星人に言わせますね。
金城さんも日本テレビに持っていった「プイプイ小僧」が「忍者ハットリくん」に転用されたんじゃないかと勘ぐって、スパイ合戦の世の中になったと文芸室日誌に書いていました。
そうした事で、東宝ではモスゴジの時に型を取って、造型が変わらないようにしたのと同時に、型を門外不出の財産にしたと思うんです。「アゴン」騒動でよけいに怖いと思ったんでしょう。一種のパテントでしょうね。老舗お菓子の木型みたいなことでしょう。
大橋さんは俳優でもあるので、黒澤の「用心棒」(凶状持ち)などに出ています。犬が加えてくる腕の作りものをやっています。文字通り東宝に出入りするわけです。
しかしなぜ、大橋さんの腕を東宝特撮は買わなかったのか。
大橋さんの真骨頂は小道具より巨大な仕掛けでした。
大映「大江山酒呑童子」の牛鬼、操演で脚を動かす土蜘蛛、「鯨神」の巨大なクジラも作っています。
ただ、巨大なものは結局、動かすのが大変で、鯨神は高山さんに回って来て、小型のクジラが活躍しました。
同じように「怪獣王子」のネッシーもまったく撮影に使えず、高山さんが小さいネッシーを作り直しています。
大橋さんほどアクの強い技術者はないかもしれません。周囲を巻き込んで膨らませた話が収拾付かない。あれだけの技術がありながらすったもんだが途切れなかった。
なんというか、伝説の人です。





・「アゴンAGON」のDVD(発売時タイトルは「幻の大怪獣アゴン」)はぼくも買いましたが1回見たきり。正月に放送したんですよね。怪獣ブームも終焉の68年。ほとんど記憶にありませんが、写真だけでも不思議と吸引力があるんです。ぼくはもっとすごい内容をいつの間にか期待していて、まだ見てないアゴンの全貌があるに違いないと思い込んだのでした。






・その理由の1つに「魔神バンダー」を報じた「冒険王」で競演していた事があったからでしょう。バンダーも長くお蔵入りします。最初は王子が子供でした。これ、パイロットフィルムは作っているんですかね。アゴンと戦うバンダー、見てみたいです。
その上は大橋さんの紹介記事。アロンのギニョール、劇中で使ってないですよね。何用だろう。アロン、背中から入るところを見ると妙にホッとします。











・ネットで見つけた記事で(ぼくはぜんぜん本を買わなくなってしまった、何の本かタイトル分かる人がいたら教えて下さい)、アロンとアゴンを比較しているものがあるので面白いというより、珍しい写真だなとびっくり。顔の型は一緒でしょうね。体は直付けで、別のものだと言われればそうかもしれない。アゴンは京都で、アロンは鷺巣さんの所で作ったそうで。






・64年の「オール芸能」の記事。この号、カラーで「赤ひげ」が報じられていて、なるほど、赤いヒゲでした。記事は、東宝からアゴンに待ったがかかった、という内容。たしかに当時の認識だとそっくりかもしれません。キンゴジというより初代に似ているんですね、アゴン。それにしても、アゴンとアロンはいまのレベルで見ても見分けつかない?










・「ウルトラマン」をほぼ独占的に報じていた「少年マガジン」に対して「少年キング」は「マグマ大使」をあつかった。大橋さんは、ウルトラ怪獣の造型で時の人になった高山さんの対抗馬でした。
上の見覚えのない怪獣が「S・Fモンスター作戦」。カタログが残されています。












・大橋史典、造型の系譜。全容でなく系譜にしたのは、全容がつかめないからです。「江戸に現れたキングコング」なんて戦前ですよ。33年に公開した「キング・コング」の虜になったのだとか。キングコングを模したもののくくり。獣人雪男、ロボラ。
その右、妖怪というか鬼の顔。「釈迦」「赤胴鈴之助」のまぶたの腫れた鬼は「妖怪大戦争」の青坊主まで続きます。ゴアは口元がこれの系譜。
右端は翼竜たち。
その下、ネッシーと恐竜。
中央、カッパの顔。「三つ目の鳥人」「釈迦」の妖怪、「怪獣王子」の鳥人とテラノドン。もし円谷プロに関わって、烏天狗のベムラーを大橋さんが作っていたら迫力あったでしょうね。
その下、大型のもの。「大江山酒呑童子」の土蜘蛛と「鯨神」。ほとんど動かせないそうです。
左端は、「アゴン」と「マグマ大使」のアロン。
こうして見ると、なんとなく大橋さんの癖というか個性が分かります。








・「アゴン」の前後、東宝以外の怪獣と宇宙人、怪人、ロボット、映画とテレビから集めてみました。もしも、東宝や円谷英二が怪獣を作らなかったら? ぼくらはこの連中に育てられる事になる。あっマリンコングはロボットです。
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16-08-22

テーマ:

コピスで<大野萠菜美 ダンボールアートの世界>展をやっていたので覗いて来ました。
SWマニアの親子連れが食い入るように見ていて、小学校1年生くらいの男の子が、あそこからトルーパーが出て来るんだ、家に帰って自分でもやってみると嬉しそうでした。
作るのが好きでたまらないといった作者の熱意とダンボールがもつぬくもりに包まれた作品たちが待っています。

場所:コピス吉祥寺
〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目1-11-5
時間:10時〜21時
WEB:http://www.coppice.jp/sp
入場無料です。



8月も後半。台風が集中して来てしまいましたが、例年に比べて猛暑と言われながら過ごしやすかったのは返す返す助かります。
21日は、たぬこの命日でした。3年経ちました。









次回、 大ヒットおめでとう「シン・ゴジラ」的な話が主流の中で模型や骨董、オモチャに新刊本、福島「特撮のDNA展」の図録がすごいやら成田さんが特撮をやった東映の「第三次世界大戦 四十一時間の恐怖」はやっぱり見ておかなければと終始特撮話でくたくたの朝までコース。お疲れ様でした。


次回、
<モーレツ!特撮ナイト>は39回目、9月23日(金)です。
参加希望の可否を連絡下さい。フェイスブック、mixiへ書き込んでくれてもかまいません。メールでもかまいません。

吉祥寺SORA
9月23日(金)19〜22時
参加費4.000円
2次会(マック)、3次会(ガスト)は成り行きです。

<お約束>
・予約制です。
・第2か第3の金曜の19時〜22時です。
・予約受付を、出来るだけ水曜夕方くらいまでにお願いします。
・18名で締め切ります。
・キャンセル受付は前日まで。
・当日キャンセルは参加費負担になりますのでご注意下さい。
・開始前の来店時間は早くても5分前まで。それより前は準備中。早すぎるとお店が困るので、厳守です。
・人数が多くなるとお店の仕込みが大変です。上記、ご協力下さい。







万博の話、もう1つ。

テーマ:

太陽の塔は4つの顔を持っている、という話はなんとなく聞いてはいましたが、第4の顔(地底の太陽)が行方不明であるとテレビ番組が報じると俄然ミステリアスな気分になってしまいます。なんか、太陽の塔そのものがタイムカプセルであり、宝探しのようです。
特撮と直接関係のあるものでないものの、強引に言えば、黄金の顔(未来の顔)はウルトラマンみたいだし、塔の脇の赤いラインはサイクロン号を思わせる。
実際、展示物はかなり迫力があって、怖かった。お化け屋敷の風情でした。ぼくには好きなジャンルなわけです。
したがって当時、太陽の塔がロボットや怪獣になる絵は、当然のように描いていました。
ネットの時代になって、同じように思った人がそういうコラージュを作っているのを知るとニヤリとします。
塔の真ん中の顔のレリーフが長くうちにありました。引っ越しの際にどこかへ行ってしまった。そうやって風化したり、きっかけがあれば盛り上がったり。
存在感のあるさまざまな顔の表情とともに白い本体の艶めかしいライン、そして塔の内部の生命の樹。その、体の中で躍動しているいのち、と言う感覚が、ぼくには面白いのでした。
成田さんや高山さんに生命の樹の話を聞いた事も印象を深めています。
当時はプラモデルが好きだったから動物図鑑の生き物を総動員した生命の樹はプラモで出るだろうと思い込んでいたのでした。改めて当時の模型を見るとプラモじゃ採算取れませんよね。誰が買うんだ、てな感じです。




万博と太陽の塔と成田亨と

テーマ:
フェイスブックで話題になった
<1970年に大阪で開催された国際博覧会(万博)のシンボル「太陽の塔」の耐震補強工事が、今秋から始まる見通しとなった。内部の展示品も修理、復元され、往年の“輝き”を取り戻した姿は2018年3月から有料で一般公開される。>という記事のレスポンスです。
http://www.sankei.com/smp/photo/story/news/160816/sty1608160003-s.html


生命の樹と太陽の塔の話題はとても興味深いです。岡本太郎の熱烈なファンというわけではないですが、太陽の塔は別格です。
いつか自由に見学出来るようになったら日帰りで行ってみたい。長い間封鎖されていたとしたら1970年の空気が澱んでいそうです。
50~60代の世代は大阪万博の頃が懐かしくてたまらないでしょう。大阪万博と言いますけど、正確には、日本万国博覧会です。
ぼくは東京育ちのせいか大阪への想いは万博が大きいのでした。親戚が寝屋川に居て、万博の案内をしてくれました。
またぼくの中で万博は大阪だけです。
叔父が気を遣って車で東京へ送ってくれたんですが、ぼくが見たいからと琵琶湖を見せてくれました。深夜の車窓から見た巨大な湖の風景に酔いが回り、生まれて初めて車酔いをしたのです。あろうことか、バルゴンが出て来るような気がして(笑)。9才だったから3年生ですか。

70年の大阪万博は前年くらいから異常な盛り上がりがあって、メディアのほとんどは万博の話題でした。
大伴昌司は建設中の万博会場を取材して少年マガジンで紹介していました。
19年後、ぼくは模型の製作をして横浜博の建設中の現場へ何度も足を運んだでしたが、大阪の印象が強くて、こんな規模じゃなかったと苦笑いしていました。
そもそも大阪万博は社会現象でした。
閉幕と共に経済成長が終焉します。公害が一気に列島を包み込みました。子供ながらに目まぐるしい世の動きを感じ取りました。
あの暑い夏休みの何日間か、大阪を歩き、会場を歩き、叔父の家に泊まり、美味しいものを食べた。万博はぼくの小学校生活でもっとも興奮した体験でした。
雑誌で紹介された万博の検討用建築模型を市販予定のプラモデルだと錯覚して、ずいぶん捜したものです。
土産に太陽の塔のソフビは買ってもらいましたが、本当は会場の全てのパビリオンが欲しかったのでした。
なぜか、パビリオンのデザインが怪獣とかぶるんです。
タイムスリップグリコはでも、買っていません。あのクオリティで全体の模型が出たら欲しいです。
何年か前にバンダイの超合金シリーズで変形ロボットになる太陽の塔が出たときはもうがっかり。滅多にない機会なのに、ちゃんと生命の樹を内蔵して欲しかった。外側と内側は対ですよ。



ところでネットでよく間違えられるのは、成田さんが生命の樹のデザインをした、という記載。

成田さんがやったのは施工プロデュースみたいなニュアンスです。デザインは岡本太郎で、設計は千葉和彦氏。生命の樹に飾られるキャラクターの造型を円谷プロが相談されて、その当時スタッフがいなくて成田さんが手配したのです。
その際にこういうプランはどうか、という成田さんが作成したブループリントを見せてもらった事がありました。仕事としては大きかったのでしょう。
恐竜やマンモスを高山さんやいろんな造型会社がやっています。
円谷を辞めた成田さんは、帝劇の「風と共に去りぬ」などの特撮(炎上場面をスクリーンに映写した)をやったり伊勢丹のウインドウディスプレイをやっていた頃でしょう。
よくネットではみなさん拡大解釈しているんですが、創作的な作業ではなくて、建築プランみたいな感じです。デザインとは違って、製作現場の発注、指揮です。


一応念のために著作「特撮と怪獣 わが造形美術」を確認してみました。
「この年に万博の「生命の樹」をやっています。岡本太郎さんがデザインをした「太陽の塔」の内部です。これも円谷プロがやるはずだったんです。円谷プロから基礎プランニングも出ていました。
それで円谷プロから見積もりが出た。ところがどうもこれがおかしいというので、僕が呼ばれました。何がおかしいかって言うと、作るものの見積もりはあるんだけども、あれほど巨大なものを作るのに、足場とか何かの見積もりが何も無いんだ、と言う。
それで、ほんとに円谷プロでできるんですかって聞かれたから、いや、多分できないでしょうって言った。なぜできないって聞くから、僕がいないからって答えた。じゃ、あんたやってくれるって言うから、やりましょうって言いました。
でもやりましょうって言ったわりには、たいしてやってない。作りもののデザイン画を描いただけです。あとは乃村工芸社がやりましたそれが昭和44年のことでした」





・生命の樹のスケッチと検討用の模型。この展示キャラクターの施工のプロデュースを成田亨が担当した。造型物は、エキスプロ、高山良策ら都内の造型会社が総動員された。












・梶田達二が描いた生命の樹。その模型と。エスカレーターで移動する仕組み。












・生命の樹の場面。これがいまでも残っているとはすごい。まさにタイムカプセル。展示用だからキャラクターはラテックスでなくて樹脂製の可能性が高いですね。だとしたら当時のままかもしれません。高山さんは恐竜やマンモスを作っています。






・太陽の塔の顔。金属製。こんなに大きい。口に差し込んであるのは避雷針。左は岡本太郎のスケッチ。












・三菱未来館の映像に合わせてかけられた音源のソノシート。内部は東宝の施工。映像は円谷英二。音楽は伊福部昭。自然の脅威を描いた曲の1つが「ゴジラ対ガイガン」の主題曲に転用されています。2020年の未来の日本を想定したのだとか。









・手塚治虫(万博プロデューサーの一人)の発案した万博怪獣エキスポラ。「少年マガジン」の表紙。後年のバキシムがこれに似ています。









・児童誌に描いた梶田達二の太陽の塔怪獣。生命の樹よろしくウルトラ怪獣が配置されている。



















・世界最大のジェットコースターを<ダイダラザウルス>と名付けた。命名は巨人ダイダラボッチからでしょう。
それをてっきり恐竜型のジェットコースターと早とちりしたのは大伴昌司。さっそくこういう絵が出来上がったのでした。ぼくもこういうものがあると思った。実際はただのジェットコースターでした。











・ネットで拾ったみんなが考えた動き出す太陽の塔。右下がバンダイの商品。太陽の塔はロボットなのか、生き物なのか。最近はマッピングもすごいですね。










・万博と言えば怪獣が着いて回ります。まず67年放送の「ウルトラマン」では来たる万博の古代館に展示するためジョンスン島からゴモラを空輸する、というお話。なぜか少年のイメージではアボラス。
70年の「ガメラ対ジャイガー」は協賛のため会場の破壊は出来ません。でも、パビリオンと怪獣が同格の存在感である事を証明して楽しい画面でした。
中島春雄さんの述懐では、太陽の塔の眼下、万博広場でゴジラ対ガメラのアトラクションをやったそうです。司会は大村崑。








・万博跡地も名場面でした。「仮面ライダー」大阪ロケ篇。死神カメレオンを追う本郷猛。カッコイイ!








・おまけ。当時買った「ニャロメの万博びっくり案内」。中味は大したことなかったと思います。ニャロメ、というか赤塚不二夫は時代の寵児でしたね。今年のイベントで、大竹宏さんの「ニャロメの歌」を生で聴けて感激しました。

古谷敏さんからのお知らせ

テーマ:
古谷敏ウルトラワンマンショー3」
ぼくには3人の恩人がいます。
脚本家の金城哲夫さん、デザイナーの成田亨さん、そして、TBS宣伝部の狩野嘉次さん。
悩み抜いて演じたウルトラマンに陽をあててくれた、あの日の喜びを今日はお話ししましょう。

★日程:2016.11.26(土)
★会場:発明会館ホール
(東京都港区虎ノ門2-9-14 B2)
★ショー ¥7,800
全席指定、申し込み(入金確認)順
★パーティ(古谷敏謝恩会)¥7,000
先着80人限定(ショー参加の方のみ)
ディナー形式、飲み放題

<ゲスト>
毒蝮三太夫(石井伊𠮷)
桜井浩子
飯島敏宏
狩野嘉次
倉方茂雄
河崎実

※申し込みは8月25日から開始となります。
※先行発売にあたってもれなく特典があります。
(数量限定につき、無くなり次第終了。)

宜しくお願いします。

制作:シンビンプロモーション株式会社
【古谷敏╱公式ウェブサイト】
http://shinbin.jp/

成田亨が「キャプテンウルトラ」のデザインをした、とされるマニア本の誤表記に対して考えてみました。
「キャプテンウルトラ」は、67年4月から半年間、日曜ヨル7時(タケダアワー枠)、「ウルトラマン」の後番組として放送されました。後番組は「ウルトラセブン」です。
「ウルトラマン」の第4クール(40~52話まで)が制作不可能と判断された67年の2月に、東映へ制作がバトンタッチされました。
円谷スタッフは忸怩たる思いでしょう。
英二さんは有川貞昌を東宝から出向させて38話「宇宙船救助命令」で、東宝特撮と同じ規模の宇宙特撮を見せつけます。これは政治の力です。
新怪獣を2匹も出します。
最後の怪獣のつもりだったサイゴを38話に廻し、駄目押しとばかりにゼットンを追加します。言うまでもなく「Z」と「ん」で、最後の最後です。
宇宙恐竜とは最初のプランだったサイゴのイメージ?と、ついマニアはニコニコ考えます。
そういう事も予算度外視に繋がるわけですが。
「キャプテンウルトラ」が放送された半年間(26本)、円谷プロでは秋の新番組「レッドマン」(「ウルトラセブン」)の準備と制作に費やしました。
成田さんは「ウルトラQ」の第2クールから「ウルトラセブン」の第2クール半まで円谷プロの契約社員でした。<半>というのは、中途で辞めてしまったからです。
他の社員より多くもらっていたそうです。美術がウルトラシリーズの特撮の要だったからでしょう。
66年初頭。「ウルトラQ」の撮影が終わってすぐ「科学特捜隊ベムラー」(「科学特捜隊レッドマン」「ウルトラマン」)に入ります。
予算を浮かせるため英二さんは東宝で使った「妖星ゴラス」のVTOLを持って来て、成田さんはそうとう憤慨しました。
「妖星ゴラス」はしかし「ウルトラマン」の世界観に非常に影響を与えています。科学者と技術者が陣頭指揮に当たって難局を乗り越えるコンセプト、アラシのスパイダーショットも長沢浄水場もこの映画の象徴でした。
久保明が実はハヤタの候補にあった事もなにをか況んやです。
しかし創造の野心に燃えていた成田さんにはがっかりでした。
小型ビートルは、成田さんの気持ちをおもんぱかって金城さんが企画した流れのようです。
この間の成田さんは、東宝のキャラクターを英二さんの社長命令で描いています。「空飛ぶ戦艦」と「サンダ対ガイラ」です。
さらに同時期、成田さんは、東映の映画で「海底大戦争」のキャラクターとメカデザインを武庫透名義でやっています。
古巣の東映映画を断れなかったようですが、あくまでも自分の仕事としてペンネームを使っての参加でした。ただし現場へは行けなかったことが悔いだと画集で語っています。
武庫透名義は「まぼろし探偵」(59年)のまぼろし号がメカデザインの最初だそうです。幼い頃過ごした武庫川からとった苗字です。
成田さんは社員でも契約だったので「海底大戦争」は円谷プロの許諾を得られたのだとか。
その他、円谷時代に他社の仕事といえば、窓口だった円谷プロが受けた子供向けの書籍で他社のキャラクターを描きました。
勁文社の「怪獣大絵巻」などのガメラ、ガッパ、ギララなど。子供新聞の悪魔くん、など。もちろん版権表記の上、円谷の仕事として割り切っています。

「ウルトラマン」の撮影は放映直前の67年3月下旬まで続き、メインスタッフはすぐ「レッドマン」(「ウルトラセブン」)の企画にかかります。
成田さんは、デザイン、美術プランを始めて1日も休まず円谷プロへ足を運びます。
その時期にライバルとなった東映のテレビ「キャプテンウルトラ」に関わる事は心情的にも時間的にも有り得えません。
同じ東映でも映画とはセクションが違うのでテレビへ義理はありません。
成田さんは英二さんと2人になることもあって、辞めるまでは筋を通した部分もあったでしょう。辞めるきっかけは詳しく書きませんが、帝劇の舞台の仕事で英二さんともめた事もありました。
技術の現場ですから、生々しいわけです。
裏話としてもしライバル会社の仕事をしていれば、生前にこぼす事もあったはずですし、武庫透名義を使ったかもしれません。
東映のテレビは「ナショナルキッド」(60年)の特撮をやっています。特殊美術の1人としてです。
東映の映画でやっていたのは「宇宙快速船」メカのデザインと特撮。「越後つついし親不知」(63年)の特撮。
のちに「新幹線大爆破」(75年)、「トラック野郎」シリーズ(76~78年)や「スケバン刑事」(87年)の特撮そのものを任されます。
自分の仕事の説明は、詳しく本に書かれています。
本人から直に「キャプテンウルトラ」の話が出た事は一度もありません。
「仮面ライダー」は「突撃!ヒューマン」が太刀打ち出来なかったので恨み骨髄を冗談めかして言いましたが、それでも初期のライダー怪人は褒めていました。
72年の「グリーンマン」(「サンダーマスク」の準備稿)のように企画に乗らない勿体ないデザインもありました。
円谷プロから「ウルトラマンAエース」の打診もあったそうです。

「キャプテンウルトラ」に話を戻します。
当時の番宣とされたスチールに東映の美術、安井丸男のキャラクター図があります。それがデザイン画にされたかは分かりません。
「キャプテンウルトラ」の美術はもう1人、北郷久典が怪獣デザインをやっています。
2人とも、東映の美術を長くされているのでマニア本が取材していたらと思いましたが90年代後半からマニア本を集めなくなってよく分かりません。
ぼくは専門が東宝・円谷系なので取材の機会も作れません。したがって、知識としては暗いんです。「キャプテンウルトラ」を研究している人なら詳しい資料を持っているでしょうね。
当時の新聞から、メインのデザイナーは安井さんで、バンデラーのデザイン画がおぼろげに紹介され、番組の売りにされた事が伝わります。
誤表記したマニア本は、番宣スチールのメイン3人の絵を、成田さんの画風に似ていると踏んで勇み足で断定したのか、あるいは東映の資料にそういうものがあったのか、本そのものを見てないので分かりません。画像はネットで拾いました。
しかし、パースの取り方などまったく別人だし、なによりも既存のイメージを塗り替える輝き、美しさが見受けられません。
「キャプテンウルトラ」を貶めているのではないです。事実「ウルトラマン」が終わって途方に暮れていた子供の飢えを充たしたのは「キャプテンウルトラ」でした。
ただ、あらゆる規模から「ウルトラマン」は別格です。50年続く人気と世界で通用する洗練されたビジュアル。
見た目だけで言えば成田さんのセンスがすべてと言って良いぐらい、他の追従を許さない神がかった迫力があります。
池谷さんも井口(高橋)さんも深田さんも鈴木さんも素晴らしい美術の仕事を残されているのに、成田さんは別格です。
どうして別格かは、さまざまな要因があります。
美術設計に理念を持ち込んだ事。美的要素の約束事を考えた事。それに見合うセンスがあった事。もちろん、番組に優秀なスタッフが集まった事も大きな要因です。
美術設計の理念は簡単に言えば、ピタゴラスの哲学、コスモスとカオスです。ウルトラマンを秩序、怪獣を混沌として、美の究極をヒーロー像にした事。かといって、怪獣をその対極だからいってグロテスクにはしていません。怪獣は強く激しい、武器は生きるための道具だ、と説明していました。
怪獣の美的要素の約束事は、3つ。既存の生物の巨大化はしない。目が1つとか首が3つとか妖怪はやめる。それと、体の部分を壊して脳が飛び出ているとか生理的に嫌悪するものはやめる。
ギリシャ哲学は当時は口外してません。説明しても理解してもらえないからだそうで、朝日ソノラマの「宇宙船」で初めて書いています。ぼくはその原稿をリライトして入稿したので、誰よりも感動的でした。
「デザイン画集」は立風書房から出る予定でした。
その時の原稿のコピーをもらいました。ソノラマ版の後書きと3割ほど内容が違います。遺稿集「眞実」でだいたいオミットされた内容は含まれています。
文字から成田さんの胸を張った自信と知性、それと円谷との確執の大きさを感じました。
3つの約束事は当時の子供向け本へ書いています。何冊か、成田さんの子供へ向けた手記がずっと記憶にありました。
残念ながら「キャプテンウルトラ」には成田さんの革新的なセンスを感じません。メタリノームやガルバンは素晴らしいんですが。でも根本が違います。
ちなみに、平山さんのインタビュー記事から、シュピーゲル号は、矢島さんの注文を受けて出入りしていた日大の学生がスケッチを北郷さんが図面化した、とありました。
シュピーゲルも素敵ですけど、ウルトラホークの方が斬新です。
ウルトラホークは成田さんの画集メカ篇に、元になった「空飛ぶ戦艦」用に準備した3点が紹介されてあります。
あと5点ほど、スケッチがあります。英二さんは、成田さんの絵に満足せず、小松崎茂に依頼に行きます。小松崎さんは、成田さんの絵を踏まえて<スーパーノア>を描いた経緯です。
「空飛ぶ戦艦」の成田さんのスケッチは、a案c案が、それぞれウルトラホークの1号と3号に転用しています。
シュピーゲル号の1年前にウルトラホークの原型があるのが興味深いわけです。
もちろん、その時のスケッチa案は3基分離合体しません。その代わりトンデモナイ仕掛けがありましたが、いずれ発表される事もありましょうから、伏せておきます。
マルサン(セブンの頃は改名してマルザン)からの依頼で3つに分離したのはシュピーゲル号の売れ行きが良かったからかもしれません。

成田さんは映像美術で、自分の絵を極力残しました。
ローマ字でサインを入れます。絵コンテや初期の頃はないものもあります。
彫刻家を自認する成田さんは同時に画家としての責任や自負もあってサインを入れるのでしょう。
そのような経緯を踏まえて、伏せた仕事がある事は有り得ません。すべて記録として残しています。
ただ「サンダ対ガイラ」は、成田さんの絵に別の人のサインがあります。その方の画風はまったく違います。想像ですが、成田さんが著作を言ったので政治的に改ざんされたか。
例えば東宝だと、84年「ゴジラ」の時のスーパーXの検討デザインがたくさんありました。井上さんは、これは世に出さない事になったとピシャリ。撮影したものを没にしました。プロデューサーの判断なのか、分かりません。とにかくお蔵入りにされました。
聞けば、横山宏さんのメーサー車も、断りなく改ざんされた上に権利も報告もなかった、と。そういう事があるんですね。
小松崎さんもこぼしていました。
ところで、海野十三の小説「超人間X号」(ポプラ社初版26年)に山内秀一の挿絵があるとされ、どう見てもハックの元ネタ?のようです。
とはいえぼく自身、その本を見ていないので、初版の絵なのか、「キャプテンウルトラ」以降に、画家がハックを真似て描いたのか、分かりません。でもほとんど同じです。もしこの絵が古いものなら、そのまま描き写す事は成田さんはしません。
http://speedbird.air-nifty.com/speedbird911/2005/04/post.html







・「日刊スポーツ42.2.16」の記事。怪獣デザイナーの紹介で、「マグマ大使」の入江義夫さんと「キャプテンウルトラ」の安井丸男さんを紹介。










・マニア本の誤表記? 主役3人のデザイン画。実際は、成田亨ではなく、安井丸男の筆と思われる。左は、ハックとそっくりな海野十三の「超人間X号」の挿絵。山内秀一の絵。
http://speedbird.air-nifty.com/speedbird911/2005/04/post.html







・成田さんのメカデザインの系譜をまとめてみました。時系列です。
66年。「ウルトラマン」で使ってくれと英二さんが「妖星ゴラス」(62年)のVTOLを持って来た事に発奮して、小型ビートルをデザインします。
そういう事が頭に来たのか、東映「海底大戦争」で武庫透名義でキャラクター(サイボーグ半魚人)と潜水艦、レーダーなどをデザインします。この潜水艦がMJ号のルーツです。
同じ頃、東宝の企画「空飛ぶ戦艦」のスケッチを3点描きます。この3作品がほぼ同時進行だったようです。
67年。「レッドマン」(「ウルトラセブン」)用に、「空飛ぶ戦艦」のa案をウルトラホーク1号に、c案をウルトラホーク3号にします。
68年。「マイティジャック」に、「空飛ぶ戦艦」のb案を考えましたが振り切って別案を考えます。巡洋艦愛宕をモチーフに、「海底大戦争」の潜水艦で気に入った箇所を残してMJ号を完成させました。
「空飛ぶ戦艦」b案は捨てがたかったと、ホビージャパンの「UWW」でイラストと文章を寄稿しています。
他方、小松崎茂の「空飛ぶ戦艦」。この時点でスーパーノアの名前が付いています。台本が上がったんでしょう。ブースター式になっていて、のちにムーンライトSY-3で実現します。
67年。東映の「キャプテンウルトラ」のシュピーゲル号。デザイン画が残っていないので、マルサンのプラモの箱絵を載せました。
68年。「怪獣総進撃」のムーンライトSY-3号。豊島睦のデザイン。本体はブースターの先。よくマニアがサンダーバード1号の要素が・・・と言うので、当の豊島さんに尋ねたら、一切ないとの事でした。例えるなら実機で参考にしたもののあったぐらいの話でした。
69年。「緯度0大作戦」のα号。東宝で成田さんの上司だった井上泰幸さんのデザイン。
英二さんの夢だった「空飛ぶ戦艦」は実現せず、自社プロ制作、テレビで「マイティジャック」となりましたが、失敗作でした。再挑戦したかのような「緯度0大作戦」は、合作資本だったはずの取引先が降りてしまって、大赤字。その上、興行も失敗しました。
英二さんの夢をかなえる新作が実現したら?と「シン・ゴジラ」を観てから思わずにいられなくなりました。庵野さん、MJ好きだから。









・「ウルトラマン」の頃の成田さんの東宝の仕事。「サンダ対ガイラ」のデザイン。ガイラの方、サインが別の名義?











・成田さんの直筆原稿のコピーです。仕事に対して赤裸々な人でした。


FM世田谷

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今週も「神教授のミステリーファイル」の時間が来ます。ぼくはこの4回目で一区切り。次回いつかまた呼んでくれそうですが。とりあえず、時間のある方は聴いてみて下さい。
<世田谷>にになんで、東宝と円谷プロ、国際放映など子供の時から憧れた撮影所の話。怪獣の魅力。特撮スタッフ、キャストの話、いろいろ喋りました。
MCはデザイナーで映像監督もする岡本英郎さん。アシスタントの2人は声優の奥田耕大さんと宝生のり子さん。
よろしくお願いします。

FM世田谷、ヨル9時半
ここから聴けます。
http://www.fmsetagaya.com/index.html