前回の話の続き…
葬儀の流れの記憶が前後しておったようです、、
3月5日の午後3時から湯灌、 納棺の儀がありました
午後5時までには、、親族控え室に疎遠になっていたじいちゃんのお姉さん達とご主人といとこが来てくれました。
わしが結婚した事は知らせていたけど、父さんを紹介してなかったので紹介する所なんだけど
なんせ、、喪主と言う変に大きな看板が背中に重くあるので、
気を使わないと気配らないと高齢のお姉さん達なので遠い所から来てくれたから早く休ませないとがばかり気にしてしまい
横に座ってスタンバイしてた父さんを紹介するのを忘れてしまい、、
父さんに言われるまで気づかなかったわごめんね父さん��
不思議というか、、そうだよなといたけど、、
まぁちゃん側親戚とじいちゃん側親戚と、、綺麗に線でも引いたかの様にはじとはじに別れて固まって座ってるんだよね
なんだか申し訳ないから、、飲み物や座布団や座椅子やと気を配り
じいちゃんの闘病の様子など話をしたじいちゃんが残した日記を見せると、、こんな字を書くんだと見ていたが、ないよは読みたくないと拒否してたわ。つらいから?嫌だから?
午後6時から通夜が始まった
チラっと席を見ると、、知らない方々がいて
じいちゃんの友達だろうけど、誰が誰?か、、さっぱりわからない
お坊さんがお経を上げはじめました。写真のじいちゃんは微笑んでいます
じいちゃんらしい写真だ。
お経の間は、、小さい時から今までの事が早送りで思い出され
じいちゃんに感謝の気持ちを伝えていた。
歌のような変わったお経だった流れるようなお経だった
宗派も知らなくて、、亡くなる 少し前にじいちゃんに聞いてもらったり
死後に、、家紋が分からなくてお姉さんに電話して確認したり
こんな家紋でこんな宗派なんだと知りました。
お経が終わり、、わしと父さんと妹ちゃんとまぁちゃんで
お帰りになる皆様をお送りする事になり、
そこで、、じいちゃんのどんなお友達か解明されていったよ。
昔から、、知らない人でも話すし誰とでも仲良くなるニコニコじいちゃんと言う面は知ってたけど、、
じいちゃんから少し前に聞いた話では、、会社で仕事をきちんとしない同僚に頭に来て注意したら口喧嘩になり?
じいちゃんは家に帰ってしまったそうだ上司もそいつと仲がよいらしくかばったようだ
そんな一面もあるんだと初めて知ったわ。
お友達が帰ってからは、、通夜振る舞いがあり
残った親族でじいちゃんの思い出話をしたよ。
お話上手なまぁちゃんのお姉さんが中心となりあははおほほと
楽しく話をしながら、、線香を切らさないように気をつけてた
蚊取り線香みたいな長時間用の線香は寝る時に使っておいた。
じいちゃんのお姉さん達は3人かたまりで入る隙間はないが
風邪を引かせてはいけないので温度調整をしたり布団毛布の用意をした。
まぁちゃんが寝て、父さんが寝て、
わしも最後まで起きていたかったけどまぁちゃんのお姉さん2人にまかせて、、寝かせてもらった。
わしが起きていてあげなきゃならないのに、、じいちゃんやおばさん達に申し訳なかったです
ベルコの担当者の方は、、細部まで気にかけて下さり、
夜遅いのに、、祭壇のある部屋にいるわしらの所に来てくれました。
スェットの上下で担当者も泊まりなので寝る格好のようでした。
親近感がわいて、返ってスェットで現れてくれてよかったわ
わしは眠たいのだが、、ある事をしなくてはならないのでとても不安で仕方ない
喪主の挨拶である
昔から、、喪主の挨拶って何を言えばいいのか?と思ってたので
一番嫌いな苦手なやりたくない最大の難問だった
挨拶する所は沢山あるらしいが
自由に選べるみたいなので、、 じいちゃんには悪いけど
告別式の最後の時だけにした
通夜振る舞いの時も、、事前に貰ってた例題文みたいのをアレンジする余裕もなく
丸読みいたしました
ちゃんと例文はあるんだねでも日頃使わない堅苦しい言葉が並んでて
丁寧ではあるけど心がないような話てます、読んでますな感じ
それを自分の言葉で言えないわしは情けない悲しいかな
つづく、、
葬儀の流れの記憶が前後しておったようです、、
3月5日の午後3時から湯灌、 納棺の儀がありました
午後5時までには、、親族控え室に疎遠になっていたじいちゃんのお姉さん達とご主人といとこが来てくれました。
わしが結婚した事は知らせていたけど、父さんを紹介してなかったので紹介する所なんだけど
なんせ、、喪主と言う変に大きな看板が背中に重くあるので、
気を使わないと気配らないと高齢のお姉さん達なので遠い所から来てくれたから早く休ませないとがばかり気にしてしまい
横に座ってスタンバイしてた父さんを紹介するのを忘れてしまい、、
父さんに言われるまで気づかなかったわごめんね父さん��
不思議というか、、そうだよなといたけど、、
まぁちゃん側親戚とじいちゃん側親戚と、、綺麗に線でも引いたかの様にはじとはじに別れて固まって座ってるんだよね
なんだか申し訳ないから、、飲み物や座布団や座椅子やと気を配り
じいちゃんの闘病の様子など話をしたじいちゃんが残した日記を見せると、、こんな字を書くんだと見ていたが、ないよは読みたくないと拒否してたわ。つらいから?嫌だから?
午後6時から通夜が始まった
チラっと席を見ると、、知らない方々がいて
じいちゃんの友達だろうけど、誰が誰?か、、さっぱりわからない
お坊さんがお経を上げはじめました。写真のじいちゃんは微笑んでいます
じいちゃんらしい写真だ。
お経の間は、、小さい時から今までの事が早送りで思い出され
じいちゃんに感謝の気持ちを伝えていた。
歌のような変わったお経だった流れるようなお経だった
宗派も知らなくて、、亡くなる 少し前にじいちゃんに聞いてもらったり
死後に、、家紋が分からなくてお姉さんに電話して確認したり
こんな家紋でこんな宗派なんだと知りました。
お経が終わり、、わしと父さんと妹ちゃんとまぁちゃんで
お帰りになる皆様をお送りする事になり、
そこで、、じいちゃんのどんなお友達か解明されていったよ。
昔から、、知らない人でも話すし誰とでも仲良くなるニコニコじいちゃんと言う面は知ってたけど、、
じいちゃんから少し前に聞いた話では、、会社で仕事をきちんとしない同僚に頭に来て注意したら口喧嘩になり?
じいちゃんは家に帰ってしまったそうだ上司もそいつと仲がよいらしくかばったようだ
そんな一面もあるんだと初めて知ったわ。
お友達が帰ってからは、、通夜振る舞いがあり
残った親族でじいちゃんの思い出話をしたよ。
お話上手なまぁちゃんのお姉さんが中心となりあははおほほと
楽しく話をしながら、、線香を切らさないように気をつけてた
蚊取り線香みたいな長時間用の線香は寝る時に使っておいた。
じいちゃんのお姉さん達は3人かたまりで入る隙間はないが
風邪を引かせてはいけないので温度調整をしたり布団毛布の用意をした。
まぁちゃんが寝て、父さんが寝て、
わしも最後まで起きていたかったけどまぁちゃんのお姉さん2人にまかせて、、寝かせてもらった。
わしが起きていてあげなきゃならないのに、、じいちゃんやおばさん達に申し訳なかったです
ベルコの担当者の方は、、細部まで気にかけて下さり、
夜遅いのに、、祭壇のある部屋にいるわしらの所に来てくれました。
スェットの上下で担当者も泊まりなので寝る格好のようでした。
親近感がわいて、返ってスェットで現れてくれてよかったわ
わしは眠たいのだが、、ある事をしなくてはならないのでとても不安で仕方ない
喪主の挨拶である
昔から、、喪主の挨拶って何を言えばいいのか?と思ってたので
一番嫌いな苦手なやりたくない最大の難問だった
挨拶する所は沢山あるらしいが
自由に選べるみたいなので、、 じいちゃんには悪いけど
告別式の最後の時だけにした
通夜振る舞いの時も、、事前に貰ってた例題文みたいのをアレンジする余裕もなく
丸読みいたしました
ちゃんと例文はあるんだねでも日頃使わない堅苦しい言葉が並んでて
丁寧ではあるけど心がないような話てます、読んでますな感じ
それを自分の言葉で言えないわしは情けない悲しいかな
つづく、、