自分の何かを変えようとするとき、その動機がどこから来ているか?を掘り下げてみることが必要だと思う。

例えば、食事を変えようと思った時、病になったからというのは外的要因となる。
それは病にならなければ変えなかったこと。

また自分の考え方を変えようと思ったとき、人から何かを指摘されたからというのも外的要因となる。

といってもほとんどの場合は外的要因が動機となっていることは間違いない。

私自身も病になって食事を変え、考え方も変えた。

しかしあるとき、その「変える」の心の奥には〝変えたくないけど・・・”という前置きがついていることに気づいた。

するとそれは「変えなければいけない」という義務になってしまう。

そしてそこには不安や焦り、本当にこれでいいのかという疑問が生まれる。

これは過去の自分否定になってしまうし、更になかなか変えられないことは現在の自分の否定にもなってしまうのだ。

過去や現在を否定していて、未来を肯定することなんてできっこないのではないのか?

私も最初は癌になったから変えなければいけないという動機だった。

今までの食事が悪かったので病になり、それを直さなければ治らない・・・・・
しかしなかなかできない自分はダメだ。

それは不安を産み、変えたら本当によくなるのだろうかという疑問を産み、挙げ句の果はこの食生活になったのは親のせいだと思ってる自分がいたのだ。

それは自分の過去はもちろん、自分自身の生まれてきた環境まで否定してしまったいた。

これでは変えることはできないし、変えたとしても根源には自己否定があるので苦しみを伴ってしまうと思った。

私は過去の自分や親を否定するのをやめた。

自分の仕事が百貨店の食品だったから、いい仕事をしょうと一生懸命食べ、ストレスが過剰だったためはけ口として大酒を飲むしかなかった・・・・・

そして親も自分が子供の頃ひもじい思いをしたので子供には同じ思いをさせたくないと美味しいものを食べさせてくれた・・・・

みんなその時は良いと思ってやっていたのだ。

思いが空回りしていただけ・・・・

それを何も言わず体は耐えてくれていたが限界が来てしまっただけなのだ。

その行動や考え方が体を傷つけてしまった・・・・

ごめんなさい・・・

すると不思議なことになんだか心が温かくなってきた。

私は過去の思いをそのまま残して、それを実現するために今の自分にできることをやろうと思い、食事や考え方を変えることで、お詫びと恩返しにしようと思ったのだ。

すると肩のちからが抜け、とても楽になった。

変えるという思いは少なくなり、最初は前の習慣が顔を出すが徐々に変わって来るようになったのだ。

だから私は動機を内面に見つけることに必要性を感じている。

そして「変えなければいけない」とは言わない。

変わったらいいな~

誰のため

未来の自分のために!