だめ男ブログ引っ越し先

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戦後教育を受けた我々は、ほぼ例外なくこのような物語を聞いた事があるのではないでしょうか。






「もし戦争になっても、私は戦争反対を訴えるわ。あなたも戦っちゃだめよ」
「悪い事をした日本は、各国に謝らなければいけない。日本が軍事力を持つのは軍国主義の復活。周辺国を占領するに決まってる」
「暴力はいけない。私は暴力しない平和主義者です」







こういう事を言う人は確かに立派に見えますし、かくいう昔の俺もそうでした。




こちらが痛みに耐えれば、争いは終わるのだと…。



でも騙されてはいけません。




このような事を言う人は、9条を守る気はあっても人命を守る気はないのです。




例えば暴力をふるってくる人がいて、彼らはどうするかというと、何もしない。



助けない。いじめも見て見ぬフリで、君が我慢すれば収まるといった教師もいたそう。



教育現場は9条や平和を守ろうと言うけど、悪との戦い方は教えない。



その結果、何をされてもひたすら耐えて声をあげない日本人ができあがってしまった。



元々耐えしのぶ気質のある日本人だが、今と昔は質が違う。



耐える事でしか戦いや自己主張が出来なくなっている。



拉致問題も日本人が我慢すれば収まるからと言い返されたそうだ。



昔の日本人の気質なら、拉致や竹島問題では断固として戦っていたであろう。多くの日本人の命、そして領土が実際に失われてるのだ。



要するに平和主義者は、見て見ぬふりをする傍観者を育て上げてしまっている。




これはやめたほうがいい。間違ってますよ。それを言えば相手が(争いに向けて)さらなる反応をするかもしれない。




結果として被害は収まる事なく、被害者だけが更に泣きを見る社会が出来上がる。



さらにこういった話しが続く。




「私は黙って殺されます」
「もし攻撃されたら、無抵抗のまま痛みに耐えて死んでいきます」




彼らは自国を守ることに関心がない。攻撃されたら死ねばいいと言っている。




このように闘う意志がないのは、平和主義ではなく敗北主義という。




例えば、ある犯罪に巻き込まれた場合、あなたはそのまま被害者になるだろうか。



凶悪で自分だけでなく、家族にも害が及びそうな場合はどうだろうか。






闘う事で自分だけでなく他の人の命も守る事が出来る。




ここで戦わないのは、更なる悲劇を生むだけだ。それを耐えろと言われたらどうだろう。まわりが見てるだけならどうだろう。この話しのおかしさに気付いて貰えるだろうか。





この教えでは、この場面では黙って殺されろ。なのである。








守れるものを守らないまま敗北するのは平和主義ではない。平和どころか争いが連鎖していくだけだ。彼らは新たな獲物を探すだけである。






しかし、多くの日本人はこれが平和とは真逆の理論だと気づかない。
この理論が平和の理論だと思う人は騙されやすい人で、騙されやす過ぎて、自分が騙されてることすら気付かない。








これを学校で教えている恐ろしさにも気付いていない。





真に恐ろしいのは、無抵抗で戦う意志のない人を、子供も、女も、家族も、何もかもを殺そうとしている相手側だとなぜ気づかない。




殺す事を、相手が過去~したからだとか、これからするかもしれないなど、言い訳をしてまで、殺そうとしている怖さにも気付いていない。




これから行うかもしれない人、ただの疑いをかけれらた人、しかし、実際には何もしてない無抵抗な人で、これから反撃する意志もない人と、実際に今こちらに牙を向け殺そうとしている人はどちらが危険かわかってない。





女、子供を平和のために投げ出す薄情さにも気づいていない。




どんな生物も、あなたが可愛いと思っている犬や猫、鳥やどんなに可愛い小動物も、我が子を守るためなら、自分の何倍もある敵に向かう。怖い。怖いけれど我が子を守るために戦うのが親の本能だ。



その本能を捨て、我が子を守らず死ぬこと、差し出すことの意味がわかっていない。



今まさに無抵抗の者を罪悪感もなく殺そうとする側を攻めるのではなく、反撃するなと言う側のおかしさに気づいていない。



大切な者のために犠牲になるのではなく見ず知らずの戮者のために無意味に死ぬことが平和だと言ってるおかしさがわかってない。




日本人は、日本でそれが起きると考えると異常に寛大になるというかバカになるので、他国の場合で例えてみる。




上の理論を信用している人は今すぐ紛争地域に行くべきだ。紛争地域は世界中にある。そこで日本が信じる平和をもたらす理論を宣教師のように広めよう。そこでこう叫んで欲しい。





敵が攻めてきたら戦わず逃げてください。逃げきれない場合は、無抵抗で死んでください。



子供にもそのように言ってください。子供も恋人も守る必要はありません。無抵抗の大事さを教えて下さい。




戦うことは争いの連鎖を起こします。それを起こさないためには、戦わず逃げて下さい。逃げれない場合は、無抵抗で死ぬのが平和です。





日本の9条を見習い、無抵抗平和主義になり、国から軍隊を無くしましょう。




日本でそれが行われるとすんなり受け入れるのが日本人だ。しかし、他国でこんな事を言う人がいたらどう思うか。





感想は人それぞれだけど、これを紛争地域で言ったらまともな人に見えないでしょう。






そこに平和はなく、自分が住む土地や国が無くなり、人命がなくなるだけなのは子供だってわかる。平和の真逆の結果しかない。





しかし、平和をかざして会話をすれば馬鹿になるのが日本人であり、上の理論を平和の理論と信じているのが、今の日本人だ。平和とは真逆の悪魔の言葉なのを納得しただろうか。







真の平和主義なら、守るべきものを守る力を持ち、有事の時にはそれを発揮する力を保有しつつも、平時は寛大で優しい心を持って過ごすべきだ。






争いは私達の気持ちとは関係なく発生する。





それに対する備えを持つのは何も悪い事ではないし、彼らの理論がまかり通るなら警察署もいらなくなる。





ところで、自分達が痛みを受ければ争いが止まるというのは、実はとても日本人らしい発想ではないかと俺的には思う。





豊臣秀吉が清水宗治という武将を攻めた時、自ら腹を切れば民は助けると秀吉が言う。





それらなばと清水は腹を切るが、敵ながらあっぱれと言うほど潔い切腹であった。





民のために腹を切る(痛みを引き受ける)のは、この例だけにとどまらない。かくいう昭和天皇も民のために殺される覚悟があった。






天皇に戦争責任はない
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33852306.html






日本人同士なら痛みを引き受け、争いを止める事が出来るかもしれない。しかし、文化の違う他国との戦争ではそれはなりたたない



こういった本は、戦後教育のあとに多く作られた。




実は、占領下にある民族を教育しなおすというのは珍しい事ではなく、世界でも、日本の戦国武将も普通にやっていた事である。




新しい領主が素晴らしく、前の領主がいかにダメだったかを教育するのだ。




この地球平和主義教育もまさにソレだ。





とても平和に見えるこの本の内容。それを敵国の思想を持つ人が書いたとしたらどうだろう。



敵側から見れば




我々が攻める時は、日本人は無抵抗のまま殺されるべきだ。に化けるのである




日本人はもっと自国を守る意識が高め、闘う勇気を持たせる教育をしなければならない。



でなければ、いじめられたり侵略された時に、自殺か滅亡するしかなくなるだろう。



今日の記事関係はこちらのほうがよりわかりやすく書いてます。

念仏で戦争を追い払えるか
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34293740.html



このままでは彼らと同じ道を辿ります。


「魚介類が豊富で、湖にはウナギが群がっていて、カラカの実が鈴なりの島……しかも大勢いる島民は、戦うことを知らず、武器を持っていない」という知らせを、ニュージーランドにむかう途中でチャタム諸島に立ち寄ったオーストラリアのアザラシ漁の舟がもたらし、九〇〇人のマオリ族がチャタム諸島へむかって舟を出したのである。


一八三五年十一月十九日、ニュージーランドの東五〇〇マイル(約八〇〇キロ)のところにあるチャタム諸島に、銃や梶棒、斧で武装したマオリ族五〇〇人が突然、舟で現れた。


十二月五日には、さらに四〇〇人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩きまわった。数のうえで二対一とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。


しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。


しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。生き残って奴隷にされた者も、数年のうちにマオリ族の気のむくままにほとんどが殺されてしまった。


チャタム諸島で数世紀のあいだつづいたモリオリ族の独立は、一八三五年十二月に暴力的に終わりを告げたのである。 マオリ族の兵士はこう説明する。


「われわれは、自分たちの慣習にしたがって島を征服し、すべての住民を捕まえた。逃げのびた者は一人もいない。逃げた者は捕まえて殺した。残りの者も殺した。それがどうしたというのか。われわれは、自分たちの慣習にしたがって行動したまでである」 ジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』P77より




不当行為には断固抗議せよ 

周りと協調して生きることは非常に大切なことである。
しかし、それは正当な相手に対してである。
不当な相手、不当な行為に対しては断固抗議しよう。
自分さえ我慢すれば・・・の姿勢が一番よくない。
その低姿勢が、相手の攻撃心をさらに助長させる。

                   ユダヤ式交渉術」より転載









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