賭博罪改正を願う弁護士津田岳宏のブログ

賭博罪、風営法、景品表示法、麻雀、ギャンブル、カジノの話 etc.


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今回の記事はカジノ法案について書いたものだが,これは,先日産経新聞の言論サイトに載せていただいたものと同内容である。

既にこれを読んでいただいたいる方には内容が重複するので,あらかじめ断っておく。

賭博罪を調べるためにこのブログを参照いただいている方も多いので,ブログにも載せておこうとした次第である。

なお,上記記事は,12月9日の産経新聞にも載せていただいた。

大マスメディアで賭博罪の是非を問えるのは非常に意義深いことだと思っている。これからもお声がけがあれば,積極的にやっていきたい。

 

 

 

 

現行刑法には、賭博罪及び賭博場開張図利罪が存在する。

カジノの経営は、賭博場開張図利罪に該当する行為である。よって、これを解禁するためには特別法を制定する必要がある。

この点、現在の日本では賭博罪が存在する一方で、全ての賭博が禁じられているわけではない。公営競技である競馬や競輪は、賭博ではあるが特別法により違法性阻却がされている。

 

とすれば、カジノにおいても同様に特別法をつくればすむのではとも思えるが、ことはそう簡単ではない。特別法によって文字どおり「特別」な扱いをするにはこれを正当化する根拠が必要である。

 

判例は、競馬法による賭博の解禁の正当性について以下のように論じる。

 

「個人のする賭博ないし賭博場開張図利は、これを一般大衆の恣意に放任するにおいては、一般国民の射幸心ないし遊惰を醸成もしくは助長させるおそれがあり、ために善良の風俗に反し公共の福祉を害するからこれを禁止すべきものとするも、公共機関の厳重、公正な規制のもとにおける射幸心の発露は害悪を比較的些少にとどめ得るから、これを許して犯罪とみないということも複雑多岐の社会生活を規制するうえからは、むしろ賢明な措置として是認されるべきであると言わねばならない」(昭和40年4月6日東京高等裁判所)

 

 一部にのみ賭博を解禁する特別法は、憲法に定められた平等原則の例外になるため、競馬法や自転車競技法はその合憲性が裁判で争われた例が複数ある。もっとも判例は、競馬や競輪が「公営」である点を根拠として、この不平等な扱いには合理性があると判断し続けてきた。

 

しかし、カジノについてはここで問題が生じる。カジノによる経済効果を最大限に発揮するには、これを公営にすべきではないのだ。

 

 シンガポールでカジノが大成功した理由のひとつには、民間から投資を募り公の負担なしに巨大な開発を実現した点がある。同国では、カジノ設営にあたり民間各社を集め入札を実施し、もっとも優れた条件を提示した会社にライセンスを付与した。

 

カジノ経営には専門的なノウハウが必須であり、これを成功させるためにはそのようなノウハウに長けた民間企業に経営させるべきである。カジノを公営にしてしまっては、せっかくの経済効果が大きく減殺され、解禁の趣旨が損なわれる。

 

ただし、民間が経営するカジノを解禁するのであれば、賭博罪の特別法に関し従前使用されていた「公営性」を正当化事由にはできない。新たな正当化事由が必要になる。ここでは、もはや賭博そのものと向き合って正当化事由を提示するしかないのではないか。

 

 現在日本では、賭博罪が存在するとはいえ、国民はきわめて手軽に賭博ができる環境にある。競馬においては、ウインズの増設やネット購入システムにより、馬券へのアクセスはひと昔前に比べて大きく整備された。

 

 三店方式によって事実上の賭博と言ってもいいパチンコ店は至るところに存在し、政府は先日、現行の三店方式を公に承認する旨の答弁を出した。これに加えて民営カジノまでも解禁するというのであれば、もはや「賭博」を原則的に犯罪行為とする考え方では、法律的な整合を達成し得ないはずである。

 

私個人は賭博罪を撤廃すべきという考えであるが、まだこういう考えの人は世間に少ないであろう。しかし、カジノ解禁と賭博罪との整合性を曲がりなりにも説明するためには、少なくとも「公営だから許される」という安直な論理では不十分である。賭博という行為の本質、それが人々に与える影響、現在の日本における賭博環境、これらを全て踏まえた上で、「よって〇〇」という正当化事由を国家は示すべきだ。


カジノ解禁には、反対する声も大きい。これは解禁の根拠として「経済」の側面のみを挙げていることも影響している。

賭博は原則的に犯罪だ、しかしカジノは「儲かるからやる」。

このように話を進めるのであれば、儲けるためならば悪いことをしてもいいのか、という道徳や品位の面からの反論があるのは当然である。

儲かるからやります、という論理には国家哲学的な思想が何もない。国民が国家に求めるのは金儲けだけではない。札束で頬を叩くだけで国民の心がつかめるはずがない。

 

 

約60年前のイギリスでは、カジノを含むギャンブルの解禁を検討するにあたり、賭博についてのあらゆる側面を調べるために国王命令での国家的な調査を実施した。

 

約2年間に渡る長期的な調査の結果、「賭け事を重大犯罪の直接原因と考えるのは無意味」「小犯罪の直接原因と考えるのも現在は意味がない」「賭博は人格形成においても、有害な影響ありとは考えにくい」等の結論を出した上で、「国家は必要不可欠なもの以外に禁止を設けるべきではなく、刑法においてこれを軽々しく取り上げてはならない。禁止してかえって邪悪を生み、邪悪を減らそうとして漫然と禁止を設けることは、いかに禁止が望まれようとも、なされるべきものではない」との最終結論を出した。

 

これを受けイギリスでは賭博を全面的に解禁する法律が制定された。当時の内務大臣は解禁法の趣旨につき、以下のように説明した。

 

「賭博は適正な範囲でおこなわれる限り、人の性格や家庭及び社会一般に対して大きな害毒を流すものとは考えられない。国家は社会的に問題とならない限り、一般国民の楽しみを阻害してはならない」

 

イギリスでは、緻密な調査を経て、賭博に対する国家の哲学を明示した上でこれを解禁したのである。

一般的な法律論として、原則に対する例外を認めるためには、必要性と許容性がいる。カジノ解禁については、必要性は、経済的な理由で足りよう。少なくとも、その国で最初につくられたカジノが失敗した例は今までに一度もない。しかし、根強い反対論を押さえるためにも、許容性の提示が必要だ。

 

現在の日本で、単なる賭博は、はたして刑法での規制に値する悪性の強い行為といえるのか。娯楽としての賭博は悪なのか。

 

スマホひとつで買える馬券は。息抜きにするパチンコは。ささやかな賭け麻雀は。

これらは本来的に「悪辣」なのか。

これらに法律的な扱いの差を設けるのは妥当なのか。

日本国家は、そろそろ、このような問に正面から向き合って合理的な答えを出すべきだ。

 

賭博は悪いことである。犯罪である。この原則を維持したままで、賭博に対する何らの国家哲学を示さずに、単に経済的な理由のみでカジノ解禁法を定めるというのでは、法律的整合性の観点から問題が大きいし、反対派を説得するのは無理だ。

 

私は、賭博の解禁論者だ。賭博は規制すべきものではあるが、禁止すべきものではない。禁止からコントロールへ、これが大人の国家のあり方である。

 

カジノの解禁は、賭博に対する新たな国家哲学の醸成に繋げるべきだ。法律的な整合性を糊塗して臭い物にフタをしていくというのは、近代国家のあり方とは到底いえない。

 

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