希望の国

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10月25日(木)

約2カ月半ぶりのブログ更新だ。店をやって、バンドを2つやって、おまけに10月は外タレのツアーマネジャーみたいなこともやって、じっくり机に向かう時間もなかった。そんな忙しさの合間をぬって、園子温監督の新作映画「希望の国」を見てきた。

 園子温作品はこれまでにも「ヒミズ」、「恋の罪」、「冷たい熱帯魚」、「愛のむきだし」等、かなり見てきているが、いい意味でも悪い意味でも彼はこの低迷した日本の映画界にあえて挑戦して、問題定義をしようとしている監督の一人だと思う。ある意味で、故若松孝二監督のような路線を歩んでいるように見えるが、時としてそれはスキャンダラス狙いに見えたり、ワンパターンのように見えたり、ひとりよがりに見えたりもしていた。

 前作「ヒミズ」から、それまでの彼特有の暴力と鮮血のイメージは減少し、何かを信じようとする肯定的な視点に変化してきたように感じていた。前作でも暗示されていたが、本作「希望の国」は、園監督が、あの3・11の大震災と、福島の原発事故をテーマに挑んだ話題作である。


まず普通地震とか津波や原爆等の悲劇や悲惨さを映画で描こうとすると、これでもかとCGなども導入して

災害の映像や逃げ惑う人々・・といったパニックの状態を映し出す、というのが定番だろう。アメリカのパニック映画や、世界終末映画などもそうだ。


だがこの「希望の国」には、あえてそういったパニックの映像は一切出てこない。福島の原発事故から約1年後、長島という架空の地で起こった原発事故のあとに、酪農を営むある家族が、原発の放射能の恐怖と闘いながら、家族の互いの愛情と絆を確認し、いとおしがる中で、目に見えない放射能汚染という不条理に引き裂かれていく様を、淡々と、静止画的に描いているのだ。



放射能汚染により全員退去命令が出た後の、無人の過疎地と化した町に雪が積もっている。そのうえで幻想の盆踊りを踊る、痴ほう症気味の妻(大谷直子)と、彼女をいたわり続ける夫(夏八木勲)の夫婦愛のいとおしさ、父を慕い、妊娠した妻(神楽坂恵)を気使う、息子(村上淳)の優しさ・・・それらは花壇に咲き誇る花や、純白の雪景色のように美しい。がしかし、その美しさは同時に悲しみと無念さに満ちている。


日々目に見えない放射能に汚染されていく日本の人々の恐怖、声高に原発糾弾してみても、既に放射能は我々を侵し続けている。では日本を脱出すればいいのか?多くの人々は、脱出するすべもなく、自分の育って生活してきた場所から簡単には離れられない。


妻の胎児を気使い、故郷から遠くの町へと車を走らせる息子。。。だがそこでも放射能検出器はガーガーと音を立てていた、という恐怖。


この映画に描かれた「希望の国」、それは絶望と隣り合わせの希望の国である。。。という今の日本の現状をじわじわと実感させてくれる映画だ。皆、1日も早く地震や原発のことは忘れて、日々の楽しみや未来への夢に生きようとしている。だが、原発事故汚染の恐ろしさは、目に見えないだけで決して消え去ってはいないのだということを、この映画は見る者に付きつける。


牛や、家族・・・・自分が愛するものを奪われていく人間の怒りと悲しみを、淡々と演じる夏八木勲の名演が素晴らしい。見ているうちに不覚にも涙が止まらなくなった。


園子温は、決して、答えを提示しているわけではない。だが、彼がなぜこのような映画を作りたかったのか、なにを問いかけたかったのか、ということは、見る者に強く伝わってくる。決して、見て損のない映画であると思う。



鳥井賀句のブログ







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IGGY POPの「APRES」が素晴らしい!

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8月10日(金)

★気がつけば「SOUL KITCHEN」をOPENしてからはや2ヶ月がたってしまった。3ヶ月間は休まずにやると誓ったが、1日だけしんどくて休んでしまった。9月になったら、定休日とかも考えたい。もう歳だし。週末のLIVEの日にはいちおうお客さんもたくさん来てくれるが、月ー木の平日は、まだ暇である。ボクとハナシに定期的に来てくれる人や、占いをやってもらいにくる人、新潟から東京にCDを買いに来るついでに寄ってくれる人などもいてありがたいが、FACEBOOKなどでボクの知人、友人のはずが、案内を出してもいちどもこない人も結構いて、世間は冷たいものだなとも思う。「今度いくよ!」とか言っている奴に限って、来たためしがない。音楽業界で「今度行きます」「今度連絡します」というのは、二度とれんらくしない、の意味なんだろうな。LIVEの日はとても刺激的なインスピレーションをもらう。今まで出た中で、クエルボや元ソウルフラワーユニオンの河村博司、元裸のラリーズのドロンコス、らいむらいと、その他ALISA,CHIHANA、ELK、東京やさぐれ女など、いずれも青い部屋時代から出していた人たちだが、今もすばらしい音楽を歌い演奏している。TVやメディアに載っている売れ線のミュージシャンよりも、こういう小さなライブハウスに出ているミュージシャンたちの中にも、素晴らしく刺激的な音楽をやっている人たちが沢山いる。うちはCHARGEも安いし、時間が許せば、是非知らないミュージシャンにも耳を傾けに来てほしい。いちおう鳥井賀句が推薦して出しているひとばかりだから、そんなにひどいミュージシャンはいないはずだと思う。もし聴いてひどかったと思ったら、俺に言ってくれればCHARGE料金はお返しします。


★イギー・ポップの新譜「APRES」をここのところ愛聴している。前作でもシャンソンの「枯葉」をカヴァーしたり、以前も「ジャズ・サンジェルマン」という企画アルバムでフランソワーズ・アルディとジャズの「I'LL BE SEEING YOU」をデュエット」したりしていたイギーだが、この「APRES」は、パンクロックのゴッドファーザー、イギーのアナザーサイドのシャンソンやSSW的な音楽性を前面に打ち出したものだ。セルジュ・ゲンスブールの「ジャバネーズ」、エディト・ピアフの「バラ色の人生」の他、ジョルジュ・ブラッサンス、アンリ・サルバドーレ、ジョー・ダッサン等の本格的シャンソン、フレッド・ニールの「うわさの男」、ビートルズの「ミッシェル」等々を歌っているのだが、やはりイギーの低くソウルフルなテナーボイスは、こういう本格的な歌ものを歌っても、彼の歌手としての力量を見せ付ける。素晴らしいシンギング集だ。80年代にイギーとインタヴューしたとき、「オレがベルリンのクラブに行くと、必ずシナトラの歌を歌うんだ」「いつか歳をとったらシナトラのカヴァー集を出してみたいね」と語っていたイギーだが、こうしてその夢を実現したわけだ。パンクのイギーのイメージしか持たない人には、このアルバムが退屈に聞こえるかも知れない。だが音楽に国境やジャンルの壁はなく、良い音楽はジャンルを超えて良いという事を知っている人には、このアルバムはとても楽しめるだろう。いつもTシャツでビールや焼酎の人も、たまにはお洒落してワインかカクテルを飲みながら、こんなアルバムを聴いてみるのも悪くないぜ。「青い部屋」の雰囲気が好きだった人にも聴いてほしい。イギー・ポップやジョニー・サンダースの伝道師、鳥井賀句が、なぜに青い部屋で働いていたかがわかってもらえると思う。


鳥井賀句のブログ

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涙がとまらない・・・・

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7月17日(火)

今、店にいるのだが、連休明けだからか、今日は一人もお客さんが来ない。最近、自分の好きな昔のミュージシャンのDVDを見返している。最近見たのは、ティム・バックレー、グラハム・パーカー、エリオット・マーフィー、イアン・ハンター、ジョニー・サンダース、マディ・ウォーターズ&ローリング・ストーンズ、トニー・ジョ―・ホワイト、キャット・スティーヴンス、NYドールズ、ドクター・フィールグッド、リトル・フィート、ジョン・ハイアット、オールマン・ブラザース・バンド、キザイア・ジョーンズ、カーティス・メイフィールド、ニーナ・シモン、フラワー・トラべリン・バンド・・・・その中にもうこの世にはいないミュージシャンが多くいる。


さっき急にニール・ヤングの70年代の映像が見たくなって、初来日時の武道館LIVEを含むブートDVDを見ているうちに、なんだか知らず知らずのうちに涙が止まらなくなってしまった。ニール・ヤングはまだ生きているし、彼のことを悲しんでいるんではない。彼の声と旋律とギターの音が、押さえていた気持ち揺さぶったのだ。


桑名正博さんがまだ58歳だというのに、脳幹出血のため、危篤状態にあるという。ジョー山中さんといい、安岡力也さんといい、ジョニー吉永さんといい、ここのところ日本のロック・シーンに70年代から活躍してきたベテラン・ミュージシャンたちが、まだ60代前半で、次々に亡くなっている。長老の内田裕也さんなんかは70を過ぎても元気なのに、その後輩のジョーさんたちが、なぜこうも早死にしてしまうのか・・・

自分も彼らと近い歳になってくると、もういつ死ぬかもしれないという恐怖に、さいなまれることがある。俺はもうたばこや薬は20年以上断っているし、青汁を飲んだり、健康には気をつけているつもりだが、いつ病魔が襲い掛かるかわからない。


自分の人生を振り返ってみると、自分は何も大したことをしてこなかったと悔やむ。ある人は音楽評論家になって、普通の人が会えない、ストーンズやイギー・ポップやジョニー・サンダースやパティ・スミスらと、家まで遊びに行くほどの交流をもてたことを、凄いとか恵まれているとか言ってくれるが、自分ではそれはファンの立場としてはラッキーなことだったが、別に大したことをしたわけでもなんでもないと思う。


ジョー山中さんと、4年前にインタヴューした時、幼いころ黒人との混血の私生児として施設で育った彼が、カンボジアやアフガニスタンなど、世界の20か国以上の難民キャンプで、芸能人としてではなく、一民間人のボランティアとしてずっとボランティア活動を続けていたことを知り、凄く感動したことを覚えている。みんな自分のことしか考えないこの世の中にあって、自らの時間と労力を遥か遠くの異国の子供たちや難民たちに分け与えていたジョーさんは、本当の意味で、ジョン・レノンの愛の哲学を自らの人生において体現していた人だと思った。


昔自分のHPに「死ぬまでにしたい10の事柄」という文章を書いたが、今の自分はどうなんだろう。やりたいと思いながらやれていない事柄が山積みじゃないか。人生最後に最後までそいとげるパートナーを見つけたい、できれば自分の遺伝子をこの世に残したいと思うようになった。若いころは、結婚や子供は人生の守りに入ってしまうと拒絶していたのにだ。PEACOCK BABIESとHALLUCIONZで作ったオリジナル曲をなんとかアルバムにレコーディングしたいし、自主制作で自分の脚本監督で映画も撮りたい。世の中で商業的に大成功したプロとはくらべもんにならない、ちっぽけな夢かもしれない。ただ自分の生きた足跡を残しておきたいのかも知れない。


病気で死ぬ以外にも、今の日本は、今度地震が起きたら、福島原発の事故以上の、国が崩壊するほどの危険な状況にさらされているので、いつみんな死んでしまうかわからない状態だ。なのにくそ政府は原発を取り巻く金や利権を失いたくないために、再び原発再稼働などど、狂ってるとしか思えない政策を打ち出している。昨日の代々木での「さようなら原発10万人集会」には17万人もが集まり、僕も参加してきたが、自分の命だけでなく、幼い子供にセシウムに汚染された食物や水を与えたくないという、母親たち、孫に原発残して死ねるか、と書いたプラカードを持ってデモに参加していたご老人たち、まともな考えを持っている人間なら原発反対は、当然の行動だ。


そういった厭世観や危機感、絶望感が今の日本を取り巻いている。それに加え、多くの才能ある日本のロックミュージシャンたちが、次々に世を去っていく・・・・

そんな混沌とした感情が心の奥に渦巻いているのを、ニール・ヤングのメロウな歌声が一気に溶解させ、涙がとめどなく流れ出してくる・・・


俺はまだまだ死にたくはない。どうしてもやりたいことがまだ終わっていないからだ。。。。。。支離滅裂な個人的なセンチな文章を書いてしまった。。。すみません。



鳥井賀句のブログ

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