Howl's Moving Castle

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宮崎駿は説明を加える必要のない程有名な人です。

いきなり本題から外れますが、宮崎駿の殆どの作品のタイトルには「の」という文字が入っています。なぜかと言うと…忘れてしまいました。

で、本題に戻りますと、いろいろ考え事をしていて、ふと東京に居た頃の事を思い出しました。「ハウルの動く城」に関する話なんですが…


渋谷


僕が都内の大学に通っていたころ、それなりに僕もいろいろ遊んでいました。確かその日は友達とその友達だったかな、僕ら日本人とアメリカ人数人で遊ぶことになりました。

渋谷で集まって、その辺で夕食をとりながら飲み、その後またその辺のショットバーに行き、テキーラを飲みました。その時点でもうみんな結構酔っ払い、その勢いでクラブに行こうとなり、タクシーで六本木か麻布かその辺に行きました。

時間はもう電車の終わった頃。もうみんな後の事なんか考えずに「とにかく行くぞー!」という乗りで行ってしまったわけです。あるクラブに入ってビール片手にふらふら歩き回っていました。さっきまでいた友達がいない。ま、いいか、と一人でそのままふらふらしていました。

そろそろ友達を見つけようと思って探すが見つからず。電話はそこが地下のため通じず。ちょっと焦って一応外に出てみる。そして電話をすると間も無く友達がでる。

「今どこにいるの?」

「あ、今家に着いたよ。」

家?うそだろ。そして大事なことを思い出す。荷物を入り口のロッカーにその友達と一緒に預けていたのです。そしてカギは彼が…。

「俺のバッグは??」

「あ、それなら持ってるよ。電話しても繋がらなかったからさー。」



おーーーーーい!そのバッグには家のカギが入ってるんだぞー!家に帰れないじゃないか。しかも時間は午前3時過ぎ。僕の家は東京の端くれ。とても学生がタクシーで帰れる距離じゃない。


そこで僕は、当時まだオープンして間もない六本木ヒルズに行き、そして公開して間もない「ハウルの動く城」を観ることにしたのです。唯一その映画がその時間でもやっていたのです。その映画はもちろん話題の作品だったので僕自身も興味があり、「やった!」とばかりにわくわくしながらその映画の始まるのを待ちました。

しかし、時間が時間です。酒も入って、踊りつかれた僕は映画館のイスに座ったまま寝てしまいました。


おかげで、始発までの時間を潰せたのですが、せっかくの映画を観ることができなかったのです。




そんな話を、夕方、家のソファに座ってボーっとしていたら思い出したのです。
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When you wish upon a star

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昼間の太陽があらゆる人造物にあたり、その熱が奥深く深くへ染み込んでゆく。その熱は日が落ちてもなおそこに留まり続け、夜の大都会を熱する。

そんな街を抜け出して、最近は実家のある山間の小さな町にずっと居ます。昼間の熱は夜にはすっかりどこかに行ってしまい、涼しい風が家の中に入ってきます。もう戻れません。

すごく感動した友達の結婚式や同窓会も終わり、地元の小さな花火大会を見ていて夏の終わりを感じてしまったこの頃ではありますが、昨夜一人で田んぼの脇の道を歩いて夜空を見上げると、たくさんの星が綺麗に光っていました。名古屋ではこんな星空は見られないので、つい見入ってしまいました。

そういえば、高校生のときに少し大きな町に住む友達が僕の家に泊まりにきたときに、「うわぁ、なんて綺麗な星なんだ」と言われ、今まで一度も気づいたことなかった星の綺麗さを始めて実感し、同時に地元の良さも実感しました。

しかしこの星空をはるかにしのぐ程の綺麗な星空がありました。そこはアメリカにある「死の谷」と呼ばれる"death valley"です。大学の地学の授業のフィールドトリップでLAから車で6時間ほどぶっ飛ばした砂漠にある死の谷。そこの谷は海面より低いところにあり、地中から塩が噴出し、太陽の熱と乾燥でボコボコな地面になっていました。そこは確か"devil's golf course"と呼ばれていました。

兎に角、その死の谷は他の町からかなり離れたところにあり、道沿いの街灯も店の灯りもありません。僕と一緒に行った韓国人のリッキーは、夕方に出発して到着したのは夜でした。谷の中心部にある小さなモーテルへと続く一本道を走っているとき、ふと窓の外の空を見上げると、「満」という文字をいくつ付け足しても足らないくらいの「満天」の星空がそこにはありました。もう空というより、宇宙がすぐ手の先にあるようでした。

まだ文明が興されたばかりのころの人は、夜になるとあるのは星空だったのでしょう。そんな星空を見て、いろいろな話を作ったというのもうなずけます。

いつかまたその場所に行って同じ感動を味わいたいとすごく思った、昨夜の散歩でした。
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友人Mの話

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※本人は絶対にここを見ているなんて事はないと思いますが、一応伏字を使います。


アメリカに留学していたとき、仲のいいアメリカ人の友人Mがいた。彼はアパートの一階に住んでいて、よく友人を招いてR&BやHIP HOPをガンガンに流しながらパーティーをしていた。僕もよく参加したのだが、まぁいろんなアメリカ人と話ができて楽しかった。今書いていて思い出したが、一度ラテン系のセクシー姉妹が居て仲良くなったときは、忘れられない思い出だ(と言いたいが実際忘れていた)。

ま、そんな感じでよく騒いでいた。でもその友人Mも良識ある大人だ。12時を過ぎることになると音楽をムーディーでスムースでウェットなミュージックに変えていた。

しかし友人Mの部屋の二階には別のMが住んでいた。Mを含めて3人くらいで住んでいたらしい。そこにもよく友人が来ているようで、彼らもまた酒を飲みながら騒いでいたようだ。

友人Mにはその別のMたちの騒音がけっこう耐えられなかったらしい。そしてある日、友人Mと元アメフト選手のFはこんなことをしでかした。日本にもあると思うが、モデルガンの弾でペイント弾というのがある。当たると弾が弾けて塗料が飛び散るものだ。友人Mは家の外に出て、そのモデルガンを構えた。その銃口は2階のMの部屋の網戸に向かっていた。もうその後はわかるだろう。

それから数分して2階からMとその友人がドタドタと降りてきた。そしてわざとらしく友人Mも外にでてMにこう言った。

「今、ペイント弾が飛んでこなかったかい?」

「君もかい?僕の部屋にもペイント弾が飛んできたんだよ。びっくりした。」

「いったい誰がやったんだろうなー。僕の部屋はもう掃除して綺麗にしたけど、君は大丈夫だったかい?」

「ああ、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。いったい誰がやったんだろうなー。」

「うーん、誰だろうなー。」


ちょっぴりかわいそうなMといたずらっ子の友人Mの話でした。
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僕が小学生だった時、
僕と一人の友達の間でイカした牛乳の飲み方が流行っていた。


僕たちの飲んでいた牛乳は今でもある形の
立方体の紙パックの200mlの牛乳だ。
僕たちはそのままストローを挿さずに、
パックを横に倒し、
その胴体の真ん中めがけてストローをぶっ挿すのだ。



これは必ず一度で決めなければならず、
一度でも失敗するとストローの先が曲がってしまって、
パックの胴体に突き刺すことは永遠にできなくなる。



そして事件はある日突然に起きた。



僕と友達は机を向かい合わせにして
給食を食べていた。
隣には女の子二人が同じく向かい合わせで座っている。



当時、僕は連日ほぼ百パーセントの確率で
一振りでストローを牛乳の胴体にぶっ刺していた。



しかし、友達はいつも上手くいかず、
悔しそうに曲がったストローを
差込口に挿していた。
それを見て僕はいつも勝ち誇ったように笑っていた。



その日の彼は相当ムキになっていた。



僕は早速ストローを手に取り、
牛乳パックの胴体めがけて振り下ろした。



ズブッ!



百発百中だ。



それを見た友達も負けじとストローをもった腕を
振り下ろした!



ボフッ!っと鈍い音。



(やばい、失敗だ!)



ストローの先が曲がってしまっただろう。



しかし、彼は気にせず
再びストローを振り下ろした!



シュッ、パッ!
四隅の三角に折った部分が圧力で開いた!



平常心を失った彼はもう一度その腕を振り下ろした!



パカッ





プッシューーーーーー!!!!!



牛乳がパックの上部が開いて飛び出したー!
かなりの量だ!
おそらく殆どの牛乳が飛び出ただろう!
その空飛ぶ牛乳に行き先は・・・・?



隣の女の子だぁー!



雨の様に真っ白な牛乳が降りかかるー!
髪の毛から全身にかけて白く染まるー!



真っ白な牛乳とはいえ、
一瞬で彼女の心は真っ黒に汚れ、傷ついてしまったぁー!






その後は簡単に想像できるだろう。



勿論、僕も激しく怒られたさ。

或る大学教授の話-revised

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話の主役はMr. Joseph E. Harvey。
留学していた大学のEnglish-Compositionのクラスの先生で、
歳は50前後だろうか。
ニューヨーク出身で東部訛りがありりっぱなヒゲを持った
"いかにも"な先生だ。



この人、話すことが大好きでいつも一人で喋っていた。



ある日の話では、
車を乗っていたら、取締り中の警官に停められた。
その瞬間、彼はシートベルトをしていなかった事に気がついた。
とっさにシートベルトをして、その後すぐしたことは
キリストのネックレスとわざと見えるようにシャツから出したのだ。



警官は彼にシートベルトをしていなかっただろうと聞く。
彼はしていたさーと返す。
その首にはキリストが輝く。



それを見た警官は難しい顔をしつつも
その場から去っていったという。



まぁ、かなり保守的な場所での出来事ではあろうが・・・。



僕が話したかった事はこれではない。
次の話である。



彼は若い頃、お金を稼ぐために
年末の忙しい時期に募集していた
郵便局でアルバイトをしていた。
場所はニューヨーク。



彼は毎日膨大な量の
holiday greetingsを綴った手紙を
仕分けしていた。



そして彼はある一枚の葉書とであった。



そこにはこう書かれていた。



"Dear Mr. Bob Dylan
Merry Christmas....
from J.L and Y.L"



そう、それはボブディランに送られた葉書で
送り主はジョンレノンとオノヨーコだったのだ。



そして彼は僕たちにこう言った。



「その年、ボブディランは
その葉書を受け取ることはなかった。」

Star Wars-revised

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old title

タイトルイメージを新しくした記念に
スターウォーズで思い出した話。


僕は高校2年の夏休みに
3週間ほどアメリカにホームステイしました。



初めての飛行機に興奮して寝られなかった僕は、
アメリカに到着してからも興奮冷めず、
疲れていたけどずっと寝られなかったのです。



勉強場所となる教会に集まった僕たちは、
それぞれのホストが迎えに来るのを待つ事になりました。



一人、また一人とホストとの初対面をして
それぞれの家へ向かっていったのです。



僕のホストは仕事ですぐ来られないらしく、
日が暮れてからやっと迎えに来ました。
その時既に30時間くらいまともに寝てませんでした。



僕のホストは30歳前後の男でした。
職業は映画監督(の修行中)で、
日本のアニメにやけに詳しい、
いわゆるジャパーニズアニメーションオタクだったのです。



家までの約1時間のドライブ、
途中、そのオタクニィチャンがスカシッペをこきやがり、
車中にオナラ臭が充満してきたのです。
初対面のアメリカ人に臭いと文句を言うのは無礼だろう、
という僕のオナラでやられた頭の判断のせいで
そのとき何も言えませんでした。



考えてみれば、
僕の無礼云々より、奴のほうが無礼極まりなかったのです。



ま、そんなドライブもやがて終わり、
初めてアメリカ人の家に入りました。



ジャパアニは一緒に住んでいるという
友達(同じくジャパアニオタク)を紹介してくれました。



そして暫く軽く話をして、
映画を見ようという話になりました。



日本のアニメでも見るか?という提案があったが、
僕は却下して直ぐそこにあったスターウォーズを見ることになりました。



ふかふかの革張りのソファ、いわゆるカウチを知っていますか。
とっても座り心地がよく、
横にあるボタンを押すと、
リクライニングすると同時に足載せがビョーンと出てくるのです。



極限に疲れていた僕は、
そのラグジュアリーカウチに身を任せて
スターウォーズを見始めました。



車中のオナラ臭の思い出の他に、
僕が今尚覚えているその晩の最後の記憶は、
最初の"Star Wars"というタイトルのあと、
"A long time ago in a galaxy far, far away..."
という黄色いプロローグが宇宙の果てに流れていくという、
最初の僅か2,3分だったのです。



いやー、あれはいい映画でした。


そして、後日「平成タヌキ合戦ポンポコ」をその家で見ることになるとは誰が想像したでしょう。

極限状態では…revised

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今思い出すと、オエッってきそうになるが、
その時は何も思わなかったというか、
どうでも良かったという話がある。
なぜならその時僕は極限状態にあったのだ。


あれはインドから帰る飛行機の中での事だった。
二日前から前代未聞の激腹痛に襲われていた僕は、
僕は括約筋の働きにのみ集中しながら
何とか空港にたどり着き、ようやく飛行機に乗った。
ただ早く家に帰りたいと願っていた。



僕はトイレに直ぐ行けるようにと
右側の列の通路側に座ることにした。
僕の右二席にはバンコクで降りるらしき
インド人のおっちゃん二人が乗り込んできた。



離陸して暫くして機内サービスが始まった。
いつもならビールでも頼んでいたのに、
その日はビールなんてとんでもなかった。
僕は大人しくオレンジジュースを頼んだ。
すると隣のインド人はここぞとばかりにビール2本ずつと、
名前は忘れたが何かハードリカーのちっちゃいボトルをいくつももらい、
ソーダで割ってゴクゴクゴクゴク飲んでいた。



その後直ぐ機内食が始まった。



言うまでもなくカレーだ。
カレー自体に飽きていて、しかもお腹を壊していたから
ほとんど食べられなかった。
僕の右側では飲むのと同じ勢いで食べまくっていた。



彼等は何なんだろう。
飛行機慣れしたインド人で毎回こうしているのか、
それとも初めての飛行機でとりあえず飲んで食っているのか。



食事が終わり機内が暗くなり、
皆寝るために静かになった。



しかし、僕の腹は僕を寝かしちゃくんない。
ゴロゴロゴロゴロ低い唸り声が腹から聞こえる。
僕は30分に一度位の間隔でトイレに駆け込んでいた。



僕が座席に座りながらお腹の痛みと戦っていると、
突然窓際に座っていたインド人が
「ブファッ」
っと一塊の酒とカレーとその他いろいろアンド胃液の
混ざったものを吐いたのである。
彼にとっても突然だったらしく
嘔吐袋になんか吐けなかった。
彼はなんとか手のひらの中に出していて、
もう一人が嘔吐袋を開けて助けていた。



そんな非常事態に僕もすぐ気がついた。
しかし、腹が痛すぎて感覚が麻痺していたため
殆どなにも思わなかった。
そして直後に、酒カレーすっぱい匂いが漂ってきた・・・。
しかし、僕は依然大した反応ができない。



あぁ、俺、こんなに弱っているんだなぁ・・・
なんて思っていたら、
「ッボケボケボケボッ、ブハッ」
ってな勢いで大量に吐いた!
それは彼のズボンにかかり、壁にかかり、床に飛び散った!



さすがにこれを見たときはウワーって思ったが、
それだけだった。
僕の腹ではそれ以上の事態だったんだろう。



結局二人でなんとか適当に拭いていたが、
その後バンコクまで常にあの匂いが
あたりを漂っていたのは言うまでもない。



バンコクに着くと、
機内清掃の人に掃除するように頼むと
慣れた手つきでチャチャチャと掃除していった。



といっても、なんかスプレーして固めて、
それをほうきで集めてとって、
そこに消臭スプレーをかけただけだった。



約1時間後、
何も知らない日本人の若者二人組みが
そこに座り、何も知らずにご飯と食べ、
寝て、起きて、飛行機から出て行った。



もちろんその間も僕は腹のせいで
ずっともがき苦しみ、寝られなかったとさ。

FOURTY EIGHT-revised-

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僕の名前はガク。
アメリカ、カリフォルニアにある大学で学生をしている。
僕は上智大学の編入試験を受けるために、
試験日の前日に成田到着予定の大韓航空に乗っていた。
これからの48時間は、僕にとって今までで最も長い48時間となる。
 
事件はリアルタイムで起こっている。



day 1 14:00-18:00



成田到着まで残り4時間程だろうか・・・。眠れない。やはり僕はどうも飛行機が苦手のようだ。以前大韓航空で食べた機内食のビビンバが忘れられず、今回も迷わず大韓航空を選んでしまった。今回のビビンバは前回ほどの感動が沸いてこない。むしろ美味いとはあまり思えないモノだった。これならJALに乗ってマイレージを貯めればよかった。
値段も殆ど一緒だったし。

いよいよこの日がやってきた。明日筆記試験を受け、明後日面接だ。これまでの約1ヶ月、頑張って勉強したのだから大丈夫だろう。自信をもっていけばうまくいくさ。



day 1 18:00-24:00



アメリカから予約した麹町のホテルに着いた。上智まで歩いていける範囲の一番近いホテルを選んだ。成田からホテルまでは完璧に調べてあったので迷わずホテルに着く事ができた。

アメリカにいると美容院に行くのがつい億劫になる。以前髪を切ったのはいつだろうか。パーマも伸びてしまいどうしようもない髪型だ。アメリカから予約した麹町にある美容院に行く。「とりあえずパーマの部分が無くなるくらいに短くして、自然な黒色に髪を染めてください。」いくら自然な黒っていっても、染めたのまるわかりだ。その後僕は、明日のためにその足で学校に向かう。行きかたも調べてありバッチリだ。正門から学校に入る。構内にはサークルやクラブから帰る学生がいる。ここが上智大学か。まさか自分がここの試験を受けることになるなんて。上智を実際に見て、俄然やる気をだした僕は明日からの2日間死ぬ気で頑張るぞと誓う。ホテルへの帰り道、松屋を見付けて牛丼を食らう。こんなときはカツ丼でも食べたかったがしょうがない。ホテルに戻ったが勉強する気も起きない。4畳ほどの狭いこのホテルでただテレビを見て過ごした。いつも飛行機では寝られない僕は今回も殆ど寝られなかった。それと時差ぼけが加わり、疲労感はあるが眠くない。

明日の事を思うと緊張してくる。でも頑張って寝よう。



day 2 0:00-8:00



時計の針が午前0時を指した。

とうとうこの日がやってきた。試験に備えてすぐにでも寝たいが全く寝られない。今日は筆記試験だけなので少しは気楽だ。次の日の面接はどうなるんだろう。そのためにスーツももってきたし準備はOKだ。冴えた目と軽い疲労感の中、久しぶりに見る日本のテレビを見続ける。深夜だけあって面白いものはやってない。しきりに僕の親指はリモコンのチャンネルボタンを押す。

窓から見える空はどちらに向いているのだろうか。少しずつ明るくなってきた。寝よう寝ようと努力するが寝られない。

テレビから蝶ネクタイの男が芸能ニュースを伝え始めた頃、僕は寝る事を諦める。そして、重い身体を起こし近くのコンビニへ行く。朝ごはんと上等な栄養ドリンクを買う。今日はとても大事な日だ。今日くらい僕の身体にハイオク燃料を与えてやろう。今日の試験は昼に終わる予定だからそれまで耐えてくれ。そうしたら思う存分寝ようじゃないか。



day 2 8:00-17:00



栄養ドリンクの効果もあってか、何時間も寝ていないにもかかわらず、僕はやる気に満ちて上智の門をくぐった。空は快晴、11月後半の冬の匂いの混ざった北風が僕の火照った体に当たる。

試験会場に入る。そこには編入試験を受ける人と一緒に推薦入試を受けようとする高校生もたくさん居た。僕は決められた席につき、周りを見回す。もし試験に合格したら一緒に勉強する人がいるのか・・・。しかし今はそんな事関係ない。

暫くすると60才前後の白人の男が黒板に何やら書こうとしている。この人ここの教授だろうか。もちろん英語で書くのかと思ったら、驚いた事にこの人は普通に漢字を使い日本語で書き出した。

今日の試験の時間割のようだ。英文和訳、リスニング、小論文の時間がそれぞれ書き出される。その後、その男は黒板に「面接 1:30-」と書いた。

その瞬間、僕の体中の水分が一瞬で沸騰し、それが汗となり体中から流れ出るのを感じた。頭は真っ白、喉はカラカラだ。なんと今日、面接もあるというのだ!

聞いてないぞ。

今日は面接のために持ってきたスーツを着ていない!いや、そんな事どうでもいい。今夜やろうとしていたので、準備が全くできていない!こんな状態じゃなにも話す事ができないよ。慌てて僕は何かを求めるように、受験票の試験予定を見た。とてもわかりにくいのだが、よく見ると面接は同日になっていた。きっと周りの人にも焦っている人がいるだろう。

僕はなんてミスをしてしまったんだ。ずっと前からこの日のために準備をして、高いお金をはらってはるばるアメリカからやってきたのに、こんな事があっていいのだろうか!成り立たない証明問題を解くように僕は自分を整理させる。刻々と迫る試験開始時間は無言で僕に「あきらめろ」と言う。馬鹿野郎!あきらめるもんか!やれるだけやってやろう!

試験が始る。

落ち着こうと思っても落ち着かない。ただ、今目の前にあるテストはなんとかできる。勉強をした甲斐があったようだ。しかし今の僕はまるで、終着駅の無い線路の上を残り少ない燃料でひたすら全速力で走るミッドナイトエキスプレスのようだ。

とりあえず午前の試験が終わった。周りでは昼食の準備をしたりノートを見直したりしている。僕は昼食はおろか、面接のためのノートもない。あるのは紙と筆記用具だけだ。僅かな昼休み時間を使い面接に備える。しかし何も頭に入ってこない。入ってくるのは緊張だけだ。

面接のため、何人かに別れて面接室に向かう。僕はこのグループで最後のようだ。最後なんて余計緊張してくるじゃないか!その時、僕の中に過去のある思い出が浮かんできた。

高校2年生のとき、岐阜県がお金を出してくれて1年間留学できるという制度の試験を受けた。1次試験の筆記には、3人の募集枠を求め県下から約45人の高校生が来ていた。それなにり英語に自信のあった僕は、当然のように2次試験に進んだ10人の中に入った。その勢いで余裕しゃきしゃきの僕は後日、面接に望んだ。ろくに準備もせず、気分は半分既に留学していた僕は、突然「面接」という現実に戻された。僕は焦点が合わなくなり、ずーっと奥に点になって前が見えるだけで、周りは真っ暗にしか見えなかった。頭の中がぐるぐるしだし、今にもぶっ倒れそうだった。当然僕は不合格。この苦い思い出がそのとき浮かんできた。

僕は決心した。準備ができていなくても、目の前にその「瞬間」はある。今、ここで緊張してなにもできなかったら、これまでの努力とお金をドブに捨てるようなものだ。このチャンス、やってやろうじゃないか!栄養ドリンクよ、もう少し俺に力を与えてくれ。

(ノックノック)「失礼します。」

初めは日本語、その後英語での面接だ。僕はこの瞬間を軽い気持ちで待っていたわけではない。僕には考える事があり、やりたい事があった。僕は自分の考えを尽きるまで話した。終了した。

一気に身体にこみ上げる疲労感と達成感。結果の心配なんかする余裕などない。フラフラの足でホテルに向かう。その途中、コンビニで酒と食料を買う。帰りの飛行機を一日早めて明日アメリカに帰ろう。それまで腹いっぱい食べて寝よう。



day 2 17:00-0:00



ホテルに戻ると、先ず大韓航空に電話をして変更をする。その後、眠たいのと疲労感の中、飲む、食べる。明日の飛行機は午後2時だ。8時ごろ起きて、結局使わなかったスーツを実家に送ろう。そして、ゆっくり東京見物をしながら成田に向かおう。

僕は何時に、何をしながら、どんな格好かわからないうちに深い眠りに入っていった。



day 3 0:00-12:00



「プルルル、プルルル。」

電話の音で目が覚める。実家から、「今日はどうだった?」。どうだったも何もないよ。僕は夢か現実かもわからない気分にも関わらず、今日の出来事を吐き出すように受話器にぶつける。ゲロも吐き出しそうな気分でもあった。完全に眼が覚めてしまった。昨夜と同じ不安が頭をよぎる。寝られるだろうか。しかし、全ては終わったんだ。何も残っていない。寝れないはずが無い。

しかし、また寝れなくなってしまった。テレビからは相変わらず、深夜のくだらない番組が流れてくる。こんな奴いまどきいないよ、と思えるくらいの金髪の長髪で、筋肉ムキムキの白人の男が腹筋を鍛える器具について延々と話している。助手だろうか、これまた今時ない程の厚化粧の女が男に合わせてわざとらしく驚いた顔をしている。そして時々写る観客のおばさんたち。これを撮るために何回笑い、驚く練習をしたのだろう。そのキンキンした笑い声は疲れの取れきっていない僕の脳みそをしきりに刺激した。その時僕がアカデミー賞の審査員だったら、迷わずこの番組を推していただろう。史上最悪演技賞になぁぁっ!!

最悪な精神状態のまま、僕は日の出を迎えた。あぁ、今日帰るんだな。試験に受かっていればいいのだが・・・。そう思った直後、僕は再びまさに睡魔という悪魔に襲われるように体の力が抜け、記憶が消えていった。



day 3 12:00-1400



「プルルル、プルルル。」

どこかで聞いた事のある音だ。12時間前の出来事を夢の中で繰り返すように僕は受話器を取った。

「お客様、チェックアウトの時間が過ぎているのですが・・・。」

真冬の重い雪に埋もれた何年も乗っていない車のエンジンをかけてその瞬間全速力で走り出す車のように僕はベッドから飛び起き、時計を見る。

12:20

やばい!飛行機に間に合わない!帰る準備など全くしてなかった僕は何も考えず、ただ眼に写るもの全てをカバンに詰め込む。歯を磨く時間も、顔を洗う時間でさえもない。電話のベルが鳴って5分後にはチェックアウトをしていたと思う。二日前、ここに来た道を真逆にたどり空港へ向かう。どうやらなんとかギリギリ飛行機は間に合いそうだ。

この二日間、今までに味わった事のない程の疲れと眠気と焦りを体験した。長かったのか、短かったのか何もわからない。

さぁ、また寝られないであろう飛行機の旅に備えよう。

 

 

終わり。

1.17

テーマ:
今日は阪神大震災から10年目の日である。

僕はあの朝を今でも忘れない。
僕が中学3年生の朝だった。

・・・ガタガタガタガタ!!!!!
「(ッパッ!)地震だ!」
僕はいつもとは違うその揺れに何かを感じて飛び起きた。なかなか揺れが収まらない。強く揺れているわけではないが、とにかく揺れが長い。嫌な胸騒ぎがした。どこかで何かが起きている。廊下に出ると、親も目が覚めたようで物音がする。地震だ。こう僕が言っても大して気にも留めずまた寝ようとしている。居間へ降りて行き、テレビをつける。地震速報では、ただ地震があった、としか伝えていない。暫くすると、それぞれのチャンネルで地震に関するニュースを伝えだした。
”塀が崩れて怪我人一名。”
そんなわけない。あの揺れはどこかでもっと大きな地震が起きている。

夜が明けた。

テレビから次々と見えてきた、地獄のような映像。いったい何が起きてしまったんだ。ビルが倒れ、民家が焼け、高架線路がつぶれていた。教科書でみた戦後の焼け野原と同じ景色だった。

家を失い、友達を失い、兄弟を失い、親を失い、子供を失い・・・とても多くの人が愛する人を失った。
しかし希望までは失っていなかった。人々は助け合い、励ましあい、以前の景色を取り戻そうと頑張ってきた。自然災害の怖さを知ったと同時に人間の強さも知った。

僕は阪神大震災から始まり、9/11、新潟中越地震、そしてスマトラ島沖大津波で人々の悲しみと強さを見た。しかし、すべてがブラウン管の向こうだった。今、自分に危機が迫った時に彼らの見せた強さを出せるだろうか。悲しみを乗り越えられるだろうか。

今、改めて考え直そう。その時はいつやってくるかわからないということを。3日連続の徹夜を終えて寝入った直後かもしれない。二日酔いの最中かもしれない。悪いものを食べて下痢している最中かもしれない。シャワー浴びているときかもしれない。
大丈夫か、自分!

1995年1月17日のちょうど1年前、1994年1月17日にロサンゼルスで死者61人を出す大地震が起こった。これは何かの偶然だろうか。
僕が留学中にお世話になった家には僕と同じ歳の兄と3歳下の妹がいる。彼らの誕生日は二人とも1月17日。ロサンゼルスの自宅で二人の誕生日を祝っているときに大きな揺れが来たらしい。他の家ではものが落ちたり壊れたりした。しかし彼らの家は何も落ちず、壊れなかったという。これもまた何かの偶然だろうか。

変な天気

テーマ:
僕が小学生の頃、夕御飯を食べた後にテレビを見ながら寝てしまうという事がよくあった。
その日もいつものように寝てしまった。しかし、その日だけは深く深くぐっすり寝てしまった。

「・・・おい、ガク、起きろー。」
ムニャムニャ、ん?父親の声だ。
「朝だぞ、早く起きないと学校遅刻するぞー!」

「え!?」
飛び起きる僕、時計を見る。

[8時15分]

やばい!学校に遅れちゃう!
朝ごはんも食べずにすぐそばにあったランドセルをつかみ玄関に向かう。

「あれ?外が暗いよ?」
「おう、なんか今日は変な天気で真っ暗なんだよ。」
「へー、そうなんだー。じゃ、行ってくるねー!」

親父よ、もう少し早く止めてくれよっ!