1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

悩みを永遠の友としない

テーマ:アセンション 2014年07月24日(木) 07時30分23秒
前回の続き。


悩みを永遠の友としないことだ。


永遠の友は永遠に去らないのだから。


今、何らかの悩みがあることは認めても、本当に幸福になることを自らにゆるしたいのであれば、悩める自分への愛着を手放すことだ。


一切の悩みを捨てる日が来るということを自らに受け入れるということだ。


病院の看護士に憧れて、病院にまったく通わなくてもよくなることを、拒んでいないか?(笑)。


これはジョークだが、1つの例えだ。


悩みがあること、悩める部分を持っていることで、同じように悩める人とその辛さや悲しみをシェア出来る。悩みは人を育てる。


そのように思ってはいまいか。


それは現実の1つの側面ではあるが、何の悩みがなくても人は生きていける。


成長出来る。


シェアするなら、悩みではなく、喜びを。


悩めることでしか書けない作品があるならば、書かなくてよい。


悩みを作品として皆に打ち明け、いつかその悩みが雲散霧消、解消されることこそ、本当の意味での救いであり、魂の希望であり、そのために書くのだ。


絶望のためにではなく、希望のために。


それは人に光を与え、闇を照らさせ、人を明るくするものだ。


どんなに年をとっても、進化、成長しても、常に課題はある。


しかし、必ずしもそこで悩む必要、必然性はないのだと心得よ。


ただ感謝して喜びとともにその課題にあたり、邁進するのだ。


人は悩まなくてもよいのだ。


悩みがなければそれは人生ではない、悩みは人生をより豊かにしてくれるスパイスのようなものだと考えているならば、その考えを思い切り手放すことをお薦めする。


過去にそのような日々、人生があったことは事実かもしれない。


が、それはいつまでも変わらない実体ではない。


すべての悩みを失った未来の自分自身を祝福しなさい。


もはや様々な悩み解決のために頑張らなくてもよくなる、軽やかに人生を楽しむ自分自身をゆるし、受け入れ、感謝しなさい。


それは自分ではないとエゴは言うでしょう。


悩みがあるからこそ人生だと。何の悩みもなければ成長はないと。


人間、そのような時期もありますが、それは神の視点からしてみれば、不要な思い込みです。


悩みがある、その事実そのものを否定する、ということではありません。


人は悩みます。


ただ、その悩みが一切なくなる時を迎えることをも、自分にゆるしておく、その許可を与えておく、ということなのです。


…ありがとうございます(*^_^*)。


ゆうぽ
PR

何かをよくするために、何かの批判しなくてもよくなる自分の出現を未来にゆるすこと

テーマ:アセンション 2014年07月24日(木) 06時52分17秒
現在の国や社会に対して批判を行う場合は、


いつかその批判を一切しなくてもよくなる自分自身の出現を未来に許さなければならない。


それは、国や社会が実際によくなることを許すということ。


一生批判を生きがいにしたい、批判を以て名を成し、常に批判を以て自己実現したい、と考えているうちは、現実もなかなか変わらない。


現実が、批判する必要がないくらいによくなってしまったら、批判家は生きていけないからだ。


批判する場合は、この点をよく考慮して。


批判することは簡単だ。


根本原因を考え、


代替案を示し、


その代替案実現のために出来ることに努めること。


そして愛することだ。


愛が足りないところに歪みが出来ている。


その現実がやたらと気になる、目につく、その現実に怒りを感じるならば、自分自身の内側にも、何らかの解決すべき課題がある。


外側だけの人間にならないこと。


常に内側を観ていられること。


これが精神性の本質であり、原点だ。


相手を変えようとする前に自分自身が変わることだ。


世界に発する周波数を変えることだ。


皆がそれを行えば、その分だけ世界は変わる。


まずは内側からのモーションだ。


何事かを成そうと思う場合、この点に気を配らなくてはならない。


その何事かを自分が成さなくてもよくなるくらいに、この社会が先によくなることを許していることだ。


自分がおおいに活躍してからよくなる、自分自身はその活躍により有名になり、人生が保証される、等と考えているうちは、世界は変わらない。


その夢は手放すことだ。


自己実現よりも前に世界がよくなる想定を自らに与えておくことだ。


その意味で、自己実現に固執しないこと。


無我を知り、無我にあることの真髄はここにある。


自己を否定せず、活躍もしてもいい、ただ、その活躍をしなくてもよくなる日が来るということを常に了承しておくということだ。


世界は常に最高最善の音楽を奏でている。


それがいかなる現実であっても、それは何かの解放であったり、昇華であったり、人々を気づかせるためのものであったりするのであるから。


気づけば変わるのだ。


それは起きなくなる。


そういうことが得てしてある。


問題を観せて頂いたら、批判の前に感謝しなさい。


…と、今朝頂いたメッセージでした。


ありがとうございます(о^∇^о)。


ゆうぽ
PR

いまどきの資格

テーマ:現代社会 2014年07月23日(水) 06時58分58秒
おはようございます(o^o^o)。


昨日は、試しに、高橋書店刊、『資格取り方選び方全ガイド2016年版』、を買ってみたんですよね。


一通り目を通してみました。


今の社会にどんな分野があるのか観えてきて、なかなか面白かったです。


ちなみに、認定眼鏡士、医療情報技師は掲載なし。


神社検定もなし。


アロマ資格は載ってましたが、ヒーリングやリーディング、チャネリングといったスピリチュアル資格は皆無でした(笑)。


テキスト、参考書、問題集を頑張ったから出来るようになる、ものではありませんからね(笑)。


恋愛や結婚の公的な資格もないなあ、とか(笑)。


恋愛技術検定1~5級とか(笑)。


よき夫、妻、親、祖父、祖母になるための資格とか(笑)。


私的な本は色々ありますけどね。


子供がよりよき子供として生きるための検定もありませんね(笑)。


それでいいのでしょうね(笑)。


人それぞれ、魂それぞれ。


ありがとうございます(о^∇^о)。


ゆうぽ
PR

欲張り

テーマ:自分自身 2014年07月22日(火) 08時08分35秒
おはようございます(o^o^o)。


今、自然療法に関心がありまして、いくつかの資格を取得していこうと考えているんですよね。


これらとは別に、今、職場では、新しく入った情報システム担当者への教育が始まり、コンピューターに関する知識を自分自身も再勉強。


医療情報技師、診療情報管理士、初級シスアド(今はITパスポート)等は持っているんですが、基本情報技術者は以前受けて、午前問題はクリアしましたが、午後問題で落ちて。


資格を持ってないと実際の業務が出来ないというわけではないのですが、エスイー、プログラマーのはしくれとして、一時期でもこの分野の仕事に携わった証として、せめて基本くらいは、取っておきたい、なんて。そして出来れば、中級の応用情報技術者も。


また、1担当者が職場を辞めることになり、その方がしていた、職場のドクターの先生方の論文統計のお手伝いも引き継ぐ流れになり。よし、ならば、統計士も取ろう、等と考えて。


体の運動やリラックスも大切なのに、ついつい、頭を使うことを増やしてしまう傾向があるようです。


特に、履歴書に書ける資格へのこだわり。


あれも取りたい、これも取りたい、で、無理をしがち。


万一の際、転職、より有利にするためにと。


旅行に行く時も、ついつい、ここに行きたい、そこにも、あそこにもと、予定をぎゅうぎゅうにしがち。


今行かなかったら、次はいつ来られるか分からないからと。


これってある意味、所有欲だなと気づきました。


欲張り。


そうか、自分は欲張りなんだ(笑)。


欲張りだから、それを抑えるための禁欲性、~してはいけない、~しなければならない、もまた、出てくる。


自分ではけっこう無欲な方だ、断捨離もだいぶ進めて、所有物もだいぶ手放したし、出世してより多忙になるよりは、あまり出世しなくても、ある程度の休みは確保しておきたいし、なんて思いながら、まだまだあった、強欲なる部分(笑)。


いわゆる、エンブロイアビリティー。社会人としての採用価値を高めること。それは頂くお金、収入に直結するので、より固執するんでしょうね。


資格がないと出来ない仕事もありますしね。


人からの評価も気にしていますね。


資格がないと、少ないと、評価してもらえない。認めてもらえない、の怖れもありますね。


資格勉強がよくない、ということではなく、あれもこれもと目移りし過ぎ、欲張り過ぎ、詰め込み過ぎ。


シンプルに、しぼって、集中。生活にもう少し余裕を持たせること。


全部をいっきに成そうとしない。あせらない。


勉強ばかりしないで遊ぶ。発散する。


そんな時間は無駄だ、時間がもったいないという発想を手放す。


受験生の名残ですかね。


常に何かを目指していないと刺激がなくて退屈、とか。


何ものも目指しておらず、あるがまま、今ここにあり、からしてみると、まだまだ直線的で、未来志向ですね。


このあたりを、もう少し、内観、見つめていきたいと思います(o^o^o)。


向上心があることは素敵なことだけども、今の自分を否定しない。あるがままを肯定する。受け入れる。認める。愛する。


具体的には、今の自分を過去の自分より上に観ない。下に観ない。今の自分を未来の自分より下に観ない。


なるほどお(o^o^o)。


ゆうぽ

大人であることと、幼子のようであることと。

テーマ:スピリチュアル 2014年07月21日(月) 06時43分26秒
おはようございます(o^o^o)。


大人であるということと、幼子のようであるということと、私自身は、どちらも大切だと思っています。


イエス=キリストは、幼子のようであれ、とおっしゃいました。


日々様々な思考やストレスに縛られ、なかなか笑うことが出来ない、人を愛せない、愛でいられない、ような時に、自分自身の気持ちを素直に表現する、屈託なくにこやかに笑う幼子の笑顔に癒されたりします。素直さ。純粋さ。清らかさ。かわいさ。天真爛漫。


そこには若さがあって、自由さがあって。


幼子のようであること。


ですが、例えば、二十歳を過ぎた成人男性が、今でも、自分で自分の選択を決められずママの意見を逐一求める、いつもママと一緒にお買物、だったら、どうですかね(笑)。


確かに幼子のようではありますけれど(笑)、精神的に自立出来ていませんよね。


また、例えば、約束を守らない。だって僕急にこれこれがしたくなったからさ、と、相手に連絡もなしにドタキャン。これでは、相手に迷惑をかけますね。社会の調和を乱します。


さらに、善悪なんてないんだよ、人は皆好きなように生きていいんだよ、だけを貫き、人に迷惑をかけても謝らない、反省しない、人の言うことを聞かない、これでは単なるわがまま。


自我(エゴ)まるだし。


そこに成長はありませんよね。


むかついたから人を刺した、ですとかね、自分自身の行動を制御出来ていなかったり。


目上の方々にタメ語を使ったり。


ペチャクチャ音を立てて食べたり。


それも個々の自由だと言ってしまえばそれまでですが、好感度は下がり、人はいやおうなく離れてしまいますね。


この社会に生きている限りは、必要最低限のマナーがあり、マナーを守るのは大人としてのたしなみ。


また、何か嫌な目にあって、僕悪くないもん、誰誰ちゃんが悪いんだもん。俺は悪くない、社会が悪いんだ、政治が悪いんだ、だけでは、やはり、精神的に未熟であるとしか言えませんよね。


自分自身に責任を持つ、も、スピリチュアルなマスターシップの1つ。


これらのことを色々考えてみますとね、幼子のようであれ、は、心、感性、感受性の側面でのお話で、精神、理性、社会的な行動の側面においては、もっと大人にならないと(笑)。


成熟、意識の高さ。


それは老い、退化ではなく、成長、進化ですよね。


その意味で、今の学校教育のすべてを否定する気にはなれないんですよね。


様々な制約もありますけどね、嫌な奴、嫌なこともある中で、魂は磨かれるということもありますよね。


自分のカルマが引き寄せたものもあるでしょうし。


与えられた環境で皆を理解し、思いやりを持ち、何とかうまくやっていく。


これは、自宅だけではなかなか学べない。


一方で、頭ごなしに怒る、常識だけにとらわれている教師や、いじめ等があると、高次元から来た子供達は、嫌気がさしてしまうでしょうね。これもよく分かります。


幼子のようであり、大人になること。


自己犠牲はよくないとスピリチュアルな文脈ではよく語られますが、例えば、社会的な過失をおかしてしまった組織のリーダーが、僕は自分自身を大切にするんだととんずらしてしまったら、どうでしょうね。


やはり、逃げたい自己は抑えて、私が悪かったとまずは頭を下げる。


そして、組織全体の改善に向けて努力していく。


それが、組織の長としての責任の在り方ではないでしょうかね。


政治家にしても、自分のやりたいようにやる、だけでは独裁になってしまいます。


頭を空っぽにして、自我にとらわれず、魂、ハイアーセルフの声を聞くことはとても大事なことですけど、本当に頭が空になり、例えば、法律のことはすべて忘れてしまった弁護士さんに弁護をお願いするわけにはいきませんよね(笑)。


また、知識に偏りのある政治は偏向しますし。


日々の勉強、視野、見聞を広めること、必須ですよね。


今日はこんなことを思いました。


ありがとうございます(o^o^o)。


ゆうぽ

[PR]気になるキーワード

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>