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現在の国際標準ではなく、銀河宇宙標準に合わせていく。

テーマ:アセンション 2014年04月24日(木) 09時23分26秒
こんにちは(o^o^o)。


軍事力で武装して日本の安全を守るか。


軍事力を手放して日本の安全を守るか。


軍事力を持てばそれを使う機会を引き付けやすくなるという側面もあるし、


軍事力がまったくなければいざ現実に攻撃を受けた時に対処出来ないという側面もあるし。


政治って、一筋縄では行かないんですね。


前者はアトランティス的、後者はレムリア的、な発想でしょうかね。


前者は後者を非現実的な理想論だ、国際標準から外れていると主張しますし、


それでも、後者が代々守ってきた非核非戦の平和主義はこれからの世界にとって大切なもの、新たな国際標準の基盤になっていく、と私自身は感じています。


今この世界の国際標準はまだまだ前者かもしれませんが、銀河宇宙の標準は後者。


どちらの標準に意識を合わせていくのか。


世界を創るのは、やはり、私達1人1人の意識なのかもしれませんね。


さて、そんなことを感じながら、古い考え方を未だに主張する方々への反発心も消えてきました。


どんな方にもある、その方の善さ。そちらに目を向けていこう。意識を合わせていこう。そのように、より自然に、思えるようになってきました。


そして再び、昨夜、自己クリアリング、ヒーリングに入ったんです。


いるわいるわ、様々な霊的なものが、方々があせる


霊的な場所をまわるということは、いわゆるパワーを得る、だけではなく、場合によっては、それらのものを引きつれて帰る、ということでもあるんだな、と、改めて思いました。


自分自身の体調や心の在り方がかんばしくない時は、無理してはいけませんね。


大方を上げて頂きました。心身不調の原因の1つはここにあったのかと思いましたが、引き寄せたのは、私自身の内側ですね。


内側が変わらない限りは、どんなに頼んでも、なかなか上げてくれなかった。


心底、己を見つめさせられました。


こうして1つ、また1つと、灰汁がとれていくのでしょうかね。


荒れた皮膚には、やむをえず、ステロイドを使用していますが、脱ステロイドに向けて、ミツロウや、ホホバオイルの使用を考えています。


いわゆるアトピーの方々に、とてもよいみたいですよ。


今日はこんな感じです。


ありがとうございます(o^o^o)。


ゆうぽ
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多様な個性を愛する。

テーマ:スピリチュアル 2014年04月23日(水) 22時55分22秒

こんばんは^^。



今日は、本屋さんに並ぶ、たくさんたくさんの小説等を眺めていて。



一言で「幸せ」と言っても、人によって、それぞれの色彩があるし、濃淡があるし、幅や、奥行きや、高さや、深さや、広さがあるんだなあって、思いました。



幸せとは何か、幸せになるためにはいかにすべきか、等と、抽象的な議論で扱いきれるテーマではないのだなあと。



<私の幸せ>と題した1枚の絵を描くとして、私はそこに、どんな色彩を、どんな濃淡で、どんな風に、散りばめて行くかなあと。



その絵は、1人1人違うでしょうし、描くタイミングによってもまた、違うでしょうね。



人も同じで、1人1人の御魂が歩まれてきたすべての経験に思いをはせま、すとね、この人はこうだ、ああだなんて、とても決めつけられないな。



中には様々な葛藤もあるだろうし、あるいは、あっただろうし、それぞれに恋もされたのだろうし、本を読んだり、映画を観たり、会話を交わしたり。夢を見たり。



それを、光のレベルの高低、意識レベルの高低、愛のレベルの高低、等の物差しで、ついつい、測ってしまっていました。



小説1つとっても、色々な方々がいるから、面白い。



その、多様性の豊かさ、ですよね。



それぞれの結晶、それぞれの神聖幾何学の美しさ。



そこにあまり目を向けないで、ワン・オブ・人類、ワン・オブ・地球人、という具合に、人類はどうこう、地球人はどうこう、と、物事を単純化し過ぎて、物事を考えてしまっていたのかもしれません。



矛盾もある、葛藤もある、人間。
機械じゃないから。
生きているから。
悩みもするし、恋もするし。
時には間違うし、時には頑張るし。
病気もするし、遊びもするし、笑いもするし、泣きもする。
当たり前のようでいて、その経験の豊かさ。



魂が生まれた故郷だって、根は1つですが、魂ぞれぞれ。



魂にも個性がありますよね。



「自分」だけがこの宇宙に存在しているわけじゃない。



「あなたは私、すべてが私だ」というテーゼは、根源的な意味での本質論であって、だからといって、他の個性や多様性を無視して、皆がこの私の個性だ、と思い込んでしまったら、それは違いますよね、あまりにも。



むしろ、その多様な他の様々な個性を、愛せるかどうか。
受け容れられるかどうか。



そこに、愛の広がりや深まりがある気がしますね。



お互いに、根は1つだと思い合って、ですね。



彼はAかBか、といった思考の癖が、少し抜けたような気がします。



ありがとうございます^^。



ゆうぽ

人生楽しく。

テーマ:アセンション 2014年04月22日(火) 19時01分10秒

こんにちは^^。



今朝の夢。



私は仕事柄、こっちの方にも、あっちの方にも、
愛想を振りまいて、みんなと仲良くしていこうって、
努力してるんですよね。
関わり合う方々との中で、1つでも不調和があれば、
それが全体に響くではないですか。
また、特定の方とだけ特別に仲良くなり、えこひいきてしまったら、
他の方々はあまりよい気がしないではないですか。
プライベートは別として、少なくとも仕事場では。
みんなとうまく、仲良くやっていく。



ですが、自分の中のすべてを、すべての方々にオープンにしているかと言うと、
そうではなくて。
みんなに対して、完全に開くわけでもなく、完全に閉じるわけでもなく、
ほどほどにオープンに(笑)。
誰にも明かしていない部分って、やっぱりあると思うんですよね。
自覚はあまりないんですけど。
裏表があまり強い人間だとは思っていなくて、結構天然だったりするんですけど、
それでもまだ、秘密主義な部分もあって、仮面を被ってる部分もあるかもしれない。



そんな中、友人の1人が私に言うんですよね。
彼はどうやら私と個人的により深く親しくなりたいらしいのですが、
私はその申し出は受け容れられない。



友人:
君はみんなと仲良しだね。だけど、孤独そうだ。
俺はそんな君の本当の親友にはなれないのかい?



私:
君は本当の親友だよ。それは間違いない。
孤独だからみんなと仲良くしようとして、
みんなと仲良くしようとするから孤独で。
その間を行ったり来たりさ、僕は。



友人:
そこに君の中の闇があるよ。
どんなに人と仲良くなっても癒えない闇、
満たされない闇だ。



私:
孤独を愛してもいる。
人間、誰にも理解出来ない部分がある。
それが個性の本源であり。そこにまで人を立ち入らせてしまったら、
人間関係も駄目になってしまう。
そこは、自分にしか踏み込めない「聖地」だ。



友人:
ゆえに君は君でいることの誇りを保てているんだけど、
孤独でもある。
自分のすべてをシェアすることは出来ないから。



私:
誰か特定の1人と深く仲良くすれば、誰かとはその分疎遠になるだろう。
ある人は嫉妬するかもしれない。
自分はそれが嫌なんだ。
憎まれるのは嫌だ。
だからあくまでも公平に、皆々と関わるか、1人でいようとする。
特に男女間においてはね。
それはそうじゃないか?



友人:
だから、そこに孤独があるんだね。
自分の中の聖なる部分は、自分だけの領域だと思っている。
本当は逆でね、自分の中の聖なる部分こそ、すべてとつながっている、
皆々とすでにシェアしているところだ。
君の言う個性、君の個性を聖なるものとしているようだね。



私:
だって、個性(違い)があるから、個性を経験出来るし、多様性が存在出来てるんじゃないか。



友人:
人は人を100%理解してあげることは出来ないという前提に立つ限り、
そのような人生になるよ。
シェアは出来なくても、理解し合うことは出来るんじゃないかな、本当は。
しかし君はその可能性を拒否している。
受け容れようとしない。
親でこそ、家族でこそ、自分の考えを100%理解してくれているわけではないという現実があるから。



私:
それもあるね。
すべてを話してもすべては通じないと分かっているから。



友人:
また、特定の深い関わりを持ったら、
裏切られた時のショックが大きい、これもあるね。
本当は感謝しか残らないんだけど、過去の傷跡に沁みるのかね。



私:
個性に囚われるのはどうかと思うけど、
でも、個性はやはり個性としてあるじゃないか。
自分は君にも君の個性を感じるから、君を大切に思える。
自分とは異なるものを感じられるから、そのことを愛おしく思える。
すべてが全く一緒だったら、気持ち悪いよ。



友人:
皆違うから愛せる。
違いがないと愛せない。
だから、皆1つ、皆同一だと言われても、あまり響かないわけだ。
実は自分をさえ愛せていないのではないのかい?
自分に似ている人を君は嫌いなんじゃないかな。



自分嫌い。
その反映として、人に好かれることを怖れ、嫌がる。
だからみんなと仲良くあろうとする。



私:
だって、嫌われたら、この世界では生きていけないよ。
皆に好かれた方が得だよ。
敵がいないんだから。



友人:
君がどうあがいても、君を嫌いな人は嫌いだ。
皆と仲良くしようとする人を嫌う人がいるんだから。
いつもニコニコ、善人ぶって、八方美人ってね。



君の中にもあるんだろ、暗いものが。
それを出してみろよ。
ぶつけてみろよ。
それが本当の親しさじゃないか。
仲良しごっこは表面的なお遊びだね。



私:
では、どうすればよいのですか?



友人:
まずは、他の誰か1人と、本当に信頼出来る関係を、
体験してみることだね。
前例を作る、いや、思い出すんだ。
それによって。



君はね、孤独を愛しているから、
孤独を選ばないパートナーを求める人とは、
分かり合えないと思っているよね。
パートナーを作らない人とは、分かり合える。
だから、お互いにパートナーにはならない。
友人として理解し合いつつ、一定の距離も取り、傷つけ合わず。いつまでも仲良く、
というわけだ。



私:
パートナーシップはしんどいよ。
相手に合わせないといけないし、いつも同じ空間に2人でいるだなんて、疲れる。



友人:
そう、それが君の思い込みだ。
例えば、君が子供の頃、双子の兄貴がいつも隣に寝ていて、疲れたかい?



私:
いや。



友人:
そこだ。
君は、双子の兄貴以上の理解者は現れないと決めてかかっている。
また、異性には分からないことがあるって風にも思っている。



私:
双子ならではの孤独ってことですか(だんだん敬語になっていきます(笑))。



友人:
そうだ。
双子であった分、物心つく前から理解者が傍にいたから、
あえて理解者を外に認める努力をしなくてもよかった。
しかし、今の君は1人暮らしだ。
君はどこかで、隣に寝合い、語り合える人を認めているんじゃないかな。



私:
そうかもしれません。
しかし、性交渉は抜きにしたいです。
お互いを欲望のはけ口にしてしまったら、その時、大切なものも壊れてしまう。
そんな気がするんです。
遠藤周作先生は、異性と友人である続けたいなら、その異性とは性交渉を持たないことだと
語っておられました(『結婚』)。



友人:
それも、君の怖れだ。
君だって、過去生においては、特定の恋人やパートナーがいたじゃないか。
彼らとは理解し合えていなかった、とでも言うのかい?



君はまだ傷ついているんだな、まだ。
転校、転校で、同じ人と長く付き合うという経験をして来られなかった。



君は癒しを求めて瞑想に走るけど、
君の場合は、色々と、外で交流を持った方が、癒されてくるだろう。
今の君にはそれがあまりないからね。
1人でどんなに考えても、分からないことは分からないんだよ。



真理を得よう。
真理を得るためには、1人内側に向かわなければってね。
その時間があってもいい。
あまりにもそれをしない人もいる。



しかし君はその逆だ。
内観なら普段からさんざんして来ているじゃないか。
もっと外で得られる体験があってもいいのではないかな。



過去の先生や、親、家族以上の理解者は、現われうるし、それを持つことを認めてあげてもいいのではないかな。



私:
孤独を失えば、精進を求めなくなります。
現状に甘んじるようになります。
使命なんてどうでもいいと、ただ、生活の快楽にふけるように
なってしまうのではないでしょうか。
どこかで幸せではない部分を宿してるからこそ、
それが、精進を進めるエネルギーになるのではないでしょうか。
初めから満たされていたら、使命に対するこだわりも、抜けてしまいそうです。



友人:
いや、それでも君は、使命をやるんだ。
君はそういうタイプだよ。
だから君にその使命を与えてあるんだ。
それは、パートナーがいても、いなくても、出来るよ。
君がより幸せな状態であれば、君の波動もその分上がる。
むしろその方が、使命にとっても都合がよい。
1人でいなければならないという強い思いが、決意が、果たしてその使命の役に立つかどうかね。
だから私達は、君は孤独を選べ、1人でいろだなんて言わない。
結婚となると、君にとっては足枷になる部分もあるのかもしれないけれどもね。



この年になって、結婚を前提にしないで、お付き合いするのは無理だ。
付き合えば、いづれ、結婚しなければならなくなる。
また、そうしなければ、相手にも、相手の親にも、失礼だ。
しかし、結婚はしないし、したくないから、付き合わない。
こういうわけだね。
時間もお金も取られると。



しかしね、結婚した分、時間もお金も余裕が出来る。
こういう考え方もあるよ。
1人で家事すべてをしなくてもいいんだし。
食事もシェア出来るしね。



また、個人的な趣味にそこまでお金をかけなくても、
満たされているものがあるから、あまりお金を使わなくなったりね。
1人だとね、趣味にお金をかけること、やっぱり楽しいし、
物足りない、刺激が欲しいんだよね。



私:
うーん、めんどくさいですね。



友人:
なるようになる、それはそうだけど、
自らその可能性に心を閉ざしている限り、そうはならないからね。
可能性への心は開いておくことをお勧めするよ。



また、1人でいる時間が減ると疲れる、もね、
自分で決めればいいんだよ。
この時間は1人で過ごすって。
本当のパートナーならば、尊重し合えるだろう。
いつも一緒にいることだけが愛じゃないよ。



趣味で気を紛らせようとしている。
勉強もそうだね。
勉強が本当に好きだと言うなら、対人関係だって、
貴重な勉強じゃないか。
資格を取ることなんかより、ずっと大きな勉強だ。



それが嫌なら、君は、勉強が好きなようでいて、
机上にいたい、だけなんじゃないかな。
臆病なんだ。
人付き合いの楽しさを知ったらね、机上の勉強なんて、どうでもよくなるよ。
ま、これは言い過ぎかもだね。



何か資格を取っておかないと、将来困る。
価値を高めておかないと(年をとる分)、と。
今の職場にずっといるわけではないことを望んでいるなら、なおさら、というわけだね。



色々話したけれど、何を、どのような状態を選んでも、君の自由だ。
だからね、干渉はしない。
ただね、君の中の本当の自分が、実は何を認めているのか。
君にはそれを知ってほしいと思ったし、その方が君自身のためになるから、
今日はしゃしゃり出てみたよ。



孤独を愛するって言うけれども、
それは、すでに、親兄弟や仲間、友人知人にある程度恵まれているから、
言えるんだよ。
今すぐに、彼らすべてが身の回りの観える範囲からまったくいなくなってしまったら、
君はどう感じるかい?
やっと本当に孤独になれたと、せいせいするかい?喜ぶかい?
きっと悲しむだろう。
君もだから、人の子だってことさ。



自由な時間とそうではない時間とのバランスが崩れてしまった、しまっている、と、
こういうわけだね。
そんな時人は、孤独を愛したがる。
人と距離を置きたくなるものだ。
自分を大切にする時間。
それは確かに、現代人には、必要なものだ。



君はこの長い間、黙してきた。
黙する行に自分を置いてきたのだと思う。
本当は、心の中の自分はね、もっと騒ぎたいくらいなんじゃないかな。
だって君は、もともと、はちゃめちゃがけっこう好きな、おてんばさんなんだから。
やんちゃ坊主もいいところ、真面目なよい子、は、似合わない(笑)。
本当の君は、寡黙どころか、もっと、おしゃべりで、
根暗どころか、もっと根明で、
とにかく、はしゃいでいたいんだよ。



信じられないって顔をしているね。



小さい頃の自分を思い返してみなよ。
どれだけの問題児だったか(笑)。
そっちが本質。



堅物で寡黙で真面目な勉強屋さん、は、君の中のごく一面の側面に過ぎないんだ。
真面目でいれば好かれる、真面目でいなければ好かれない、が、過去にあったのかもしれないね。



考えることも、好きなようで、めんどくさがり屋さんだから、哲学論文に一生を捧げたいとは思わなかったでしょう。
リアルをもっと充実させたい、そのために、観念は必ずしも、必要ではない、と。
大学で、君は、ある意味、本来の自分とはまったく対極の世界を、経験したんだよ。



論理。
それは武器だけれども、必要な時に使う、くらいで君にはちょうどいいんだ。
君にはもっと発揮出来る要素がある。



例えばさ、ユーモア、人を笑わせる、とかね。
大学に入りたての頃、サークル合宿、夜のお話で、よく人を笑わせ、楽しませていたじゃない。
眉間にしかめっ面。親の影響もあったかもしれないけれど、君にはあまり似合わない。



地球が大変な時期だから、と、君は構えすぎて来てしまったんじゃないかな。
構えれば構える程、固くなるし、疲れるよ。
今はという時は、むしろ、その構え(怖れ)をいかに手放していくか、という時なのに、
スペシャルな時期だからと、まずます構えてしまっているわけだ。
これはよくない。



もっとも、そういう経験が重なって来てしまったこともあったからね
無理もないことだけど、
例えば、お笑いの世界にさ、ヒントを見つけてみなよ。
タモリさん、タモリさんは、実に緩んでおられるから、あれだけ人に好かるんだね。
君も、お笑い芸人、好きでしょう。
真面目な堅物俳優さんなんかより、お笑い芸人さんの方が、好きなはずだ。
君自身の本来が、そうだからね。
だから、堅物のお父さんがあまり好きではなかった。
だから反発して、反発して、いつしか同じように、堅物になっている。



悠長なことは言っていられない?
本当にそうかな。
問題を深刻化して考えれば考える程、事態の改善は遠のくんだよ。
国民みんながより深刻に、眉間にしわを寄せてね、考えて、考えて、
この日本が、世界が、よくなると思う?
1人くらい笑っていて欲しいって、思うでしょう。



やることはもちろんやるし、
叡智を結集してことに当たらなければならない。
そうした側面も、確かにあるよ。
それでもね、1日1回は笑っても、ばちは当たらないし、緩むんじゃないかな。
緩めばその分、許せなかったことも許せるようになったりね、和解もまた進むんだよ。
それは平和への道だ。



頭を使うことだけが能じゃない。
全身全霊で笑うこと。
これなんか、すごい威力を発揮するんだよ。



笑いにもっと、心を開こうよ。



皆々が笑い合えている世界こそ、我々が目指すものじゃないか。
だから、笑うんだよ。
その世界の波動を、呼び寄せるんだ。
引き寄せるんだ。



深刻になってヒーリングしても、あまり効かないよ。



もっと人生を楽しんで。
楽しめる方向に、自分を持って行って。
それでいいんだよ。



やることを忘れてね、ただ快楽に溺れるようなことは、君はしないだろうけど、
仮にそのようになってもね、つまらなくて、3日で飽きるよ(笑)。



やることを、とことん、楽しんでやるんだ。



それがピカ一、一番さ。



私:
ありがとうございました(笑)。



ゆうぽ

自分の中の「光」を認める。

テーマ:アセンション 2014年04月20日(日) 22時36分13秒

こんばんは^^。



浄化が進んでくると、まだ浄化されていない部分が目立ってよく観える、
というのは、自分自身においても、同じなんでしょうね。



泥水の中の泥1つ1つは目立たなくても、
透明の水の中の泥1つ1つはよく目立ちますよね。



ここ最近、ふとした時に、この、「泥1つ1つ」がどかんと出現するんですよね、
自分の中に。うわっ、現われた(汗)(笑)。



そこで、気楽に流せればよいのですが、
自分の中にはまだこのような「醜い」「ネガティブ」なものがあるのか、
こんなものがまだ残っているうちは、
自分は「光」だ、なんて、とても思えない。



自分は「光」だ、なんて思っていいのは、それらの未浄化の部分が完全に無くなり、
最高最善の状態をいつまでも保持出来るようになってからだ。
そうではないのにそのように思うことは、傲慢だ、と、
そのような、自分自身への戒めのようなものに、今日は、気づきました。



世界の存在のすべてを同じように愛せているわけではないのに、そんな自分に愛を語る資格はない、
みたいなものも、ありますね。



確かに、傲慢に陥ることは避けたいところですが、
あまりそのように自分に厳しくしていると、未浄化な部分は抜けていくどころか、
より大きくなっていく気がしました。



「ふがいない」自分への、怒りのようなものですね。
そうすると、さらに自信をなくして、さらに明るくなれなくなり、の、無限ループです。



それでも「光」なんだよ。



そのように今日は、聞こえたんです。



少しばかり、「光」の不足した部分を内側に持っていても、それでも、本質には、「光」が満ちていて。
本質的には、「光」の存在。



そう思うことで、より深化していく「光」もありますし、
そう思うことで、重いものがより抜けやすくなり、波動もより高くなりやすくなり。



自分の中にある「光」をきちんと認めてあげないってことは、
他の方々の中にある「光」をもきちんと認められないってことに、
なっていく。



そのように、感じました。
これでは、人間不信になってしまいますね。



自分の中にも、他の方々の中にも、本当の「光」はあるんだ、「愛」はあるんだ、
あっていいんだ、という認識を持つことを、自らに、ゆるしてあげること。



傲慢にもならず、卑下もせず。
中庸、なんですかね。



簡単なようで、まだまだ出来ていないなあ、と、今日は思ったりして。



それでも、元気に明るく、前を向いて、生きていく。



ゆうぽ

撮るならもっとみんなを撮って。

テーマ:日常 2014年04月20日(日) 09時41分24秒
ビデオカメラ。


うちの実家にはなくて、親が自分の映像を撮るってことがなかった。


写真はあったけど。


もし、撮るのが好きな親だったとしたら、今の自分は、当時の親に、こう言いたいな。


自分ばかりズームアップしてないで、みんなをもっと個別に撮っておいてと(笑)。


大人になって、自分ばかり映っている映像を観ても、あまり嬉しくないし、楽しくない。


それよりは、当時仲良しだった友達とか、あまり仲良しではなかった友達とか、好きだった子とか、嫌いだった子とか、が、たくさん映っている方が、楽しいな。


イベントなんかの時、親は自分を観ていても、自分は他を観て生きてるから、自分ばかり映っている動画を観ても、あまり懐かしくない。それは親から目線。親が将来懐かしむにはよい撮り方だけど、子供も懐かしめるようにを考えたなら、やはり、他ももっと。


車内のシーエムを観て、そんな風に思いました(笑)。


当時そこに、一緒に誰がいてくれたのか、生きていてくれたのか。


忘れちゃいますからね。


当時は自分が自分が映りたがるのかもですけどね(笑)。


小学校の用務員のおじさんとか、塾の先生とか、違うクラスにいた名前の分からないかわいい子とか(笑)。


とはいうものの、自分のだけでも、撮って頂いているものがあるということだけでも、ぜいたくですね。


また、それがないから幸せではないということもありませんね。


カメラ越しではなく、直接観てほしい、も、子供の中には、あったりして。



今日も元気に(*^_^*)。


ゆうぽ

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