昭和の歌姫として絶大な人気を誇り、1980年代を席巻したアイドル・中森明菜。
16歳の時に出場した日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」の合格を機に、レコード会社と契約を締結。
1984年、井上陽水から楽曲提供された10枚目のシングル「飾りじゃないのよ涙は」がアイドルからシンガー、ミュージシャンの転機となる。
1985年から1987年のレコード・セールスでは3年連続でトップを記録する等、名実ともに日本を代表するシンガーへと成長した。
そんな誰もが知る彼女には、奇妙な都市伝説がいくつかある。
【犯人を予言】
毎週土曜日23時~23時半、フジテレビ系列で1987年10月3日から1994年12月24日に放送されていた、とんねるず司会の「ねるとん紅鯨団」というTV番組がありました。
1989年6月17日の放送のゲストで中森明菜が来た時の事です。
この日の放送は、普通では有り得ないような放送事故が連発しました。
テニス後の告白タイムが始まったと思うと、いきなり画面が真っ暗になり、猫と少年の絵と一緒に「しばらくお待ち下さい。」の文字が表示されます。
そしてまたしても画面が暗闇に覆われて、画面の上に
「報道特別番組」により、やむを得ず番組を中断いたしました。ご了承ください。
というテロップが出ます。
そのままCMにいったかと思うと、告白タイムの場面まで巻き戻しされます。
そこから少しの間再生されるのですが、またまた中森明菜が登場するオープニングまで巻き戻しされます。
で、遂にカラーバーが表示されて意味が分からないまま番組が終了。
後日、フジテレビはこの放送事故をうけて
「6月17日(土)の『ねるとん紅鯨団』で放送が中断しましたことを深くお詫びいたします。この時間は、6月17日放送分をお送りいたします」
とお詫びし再放送しました。
再放送が始まりました。
とんねるずとのトークのシーン。
『理想のタイプは?』
『笑顔が素敵な人が良いです』
『芸能人で例えたら?』
と聞かれた中森明菜は『山崎努』という俳優を言おうとしたのですが、言い間違えて
『ミヤザキツトムさん』
と言いました。とんねるずと会場の観客は、ん?誰の事だ…?と、一瞬止まりましたが
『山崎努さんの間違いでしょ?間違えるなよ!!笑』
※山崎努は77歳の今でも俳優として活躍。
最近ではTBS系列「ルーズヴェルト・ゲーム」などにも出演。
と、こんなノリで終わりました。
『何でだろう…私知らないけど今ずっとミヤザキミヤザキって…』
『違う名前が頭に
浮かんだんじゃないの~(笑)』
とんねるずがすかさず、中森明菜が当時近藤真彦と付き合っていたのをネタにして番組は終了しました。
しかしこの放送から少しの月日が経った8月11日。
速報でニュースが流れます
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で『宮崎勤』容疑者を再逮捕。
※この事件は、4歳から7歳という低い年齢の女児が被害者となり、殺害後に猥褻行為をしそれをビデオカメラで撮影・犯行声明を新聞社に送り付ける・野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけるなどの、極めて異常な行動を犯人が取ったことから、欧米を中心に多発する児童への性的暴行を目的とした誘拐・殺害事件などとの比較も行われ、戦後日本犯罪史上にて初めてプロファイリングの導入が検討された。犠牲者数 4人。幼女を殺すたび、自宅に藁人形を置いて部屋を暗くし、頭に鉢巻きをして蝋燭を数本付け、黒っぽい服を身に付け手を上げ下げし、祖父復活の儀式を執り行ったという。
特異性が強い事件であったため、事件発生当初から激しい報道合戦が繰り広げられ、後に犯人の父親が自殺したことで「メディアスクラム」をはじめとする報道のあり方が疑問視された事件でもあった。
宮崎は7月23日に、東京八王子市美山町で9歳と6歳の姉妹に声をかけ、妹の方を裸にし写真を撮ろうとするも、姉の知らせを聞いた父親にその場で取り押さえられ、強制猥褻の現行犯で逮捕。
8月9日に4人目の被害者となった女児の殺害は自分がやったと自供。
9月5日、最後の1人の殺害を自供し凶悪事件は解決。
宮崎勤に科せられた罰は「死刑」
最期に「あのビデオまだ途中なのに…。」という言葉を残し、東京拘置所に於いて死刑執行。
その宮崎勤の死刑執行はなんと2008年6月17日なんです。
中森明菜の放送事故が起きた日と、死刑執行日が同じという奇妙な一致。
そして予言とでもいうのか、中森明菜は宮崎勤の名前が明るみになる前に、テレビで偶然言った事になります。
ちなみに愛媛では放送が差し替えられ、中森明菜の回の放送はなくなったらしいです。
この放送から少し経った7月11日に交際していた近藤真彦の自宅マンションにて、左手首を切る自殺未遂事件を起こし中森明菜は1年間の芸能活動休止。
この頃から彼女に異変がみられるようになります。
宮崎勤についてはもはや存在自体が都市伝説化しており、この事件が世間一般にあまりに大きな影響を与えました。
大量の漫画や5763本ものビデオを所有するマニアだった事
(その内訳は殆どがアニメ・テレビドラマ・歌番組で、一連の事件のニュースを録画したもの―90本、ホラー映画―50本、ロリコン系のもの―55本、幼女の遺体ビデオー3本(毎日新聞89年8月30日より)だったと云われる)やロリコンと云われた事で、俗にいうオタクに対する強い偏見が生じました。
ホラー映画「ギニーピッグ」全シリーズが廃盤に追い込まれ、全国テレビで一時的にホラー映画が自粛されるようにもなります。
年端もいかない小児に性衝動を覚えるペドフィリア(小児性愛)嗜好の存在が広く知られることとなり、保護者は子供に対する性犯罪に強い恐怖感を抱きました。
(宮崎勤の住んでいた部屋)
冤罪説すら持ち上がった宮崎勤には、色々興味深い話があるのでいつかまとめようと思います。
※中森明菜の放送はニコニコ動画で見れます。
ねるとん 中森明菜 理想のタイプ ミヤザキツトム 放送事故