専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。


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僕たちは日々、未来への選択を繰り返しながら生きている。明日は何時に起きるということを決め、会社に行くということを決め、そしてその日になればその決めていた現実を受け取ることになる。


そのような日々の何気ない選択であれば、無意識的にそれは必ず現実になるという確信を持っているはずだ。明日はその時間に起きれるはずだし、当たり前のように会社に向かっているはずだと信じている。

会社に行くという選択をしないで、気が付いたら出社していたという人はいないはずだ。僕たちは日々、自分が決めた小さな未来を実現しながら生きている。



旅行の予定をたてるときなども、いつ家を出て飛行機に乗り、どこを観光してどこに泊まって翌日は何をして遊ぶのか。頭の中で色々な情景を浮かべながら、未来の計画を練る。

まだそこに着いたわけでもないのに、想像しているうちに楽しくなって、その時の感情や感覚を頭の中で疑似体験しているような気分になってくるんだ。

そして当日になって、その通りの未来を受け取ることになる。



でも、これが自分の将来のことになると、同じような感覚で信じることができない人がいる。まだ現実にはなっていない未来の選択をするのだから、旅行の場合と全く同じはずなのに。


旅行だって、天候不順で飛行機がストップしてしまう可能性があるだろうし、当日になって風邪を引いてしまうかもしれない。もしかしたら、現地がテロに襲撃されて入国できない可能性だってあるはずだ。

さまざまな実現を妨げる要因が存在しているはずなのに、旅行という未来については何故か楽観的に行けると信じている。


行けると心から確信しているから、当日の飛行機のチケットだって買えるし、新しいスーツケーツを購入することだってできるんだ。

もし行けることを信じていなかったら、チケットやスーツケースを買うことをためらってしまうだろう。もし行けなかったら、もったいないし。。と。

そうやってためらってしまって、飛行機のチケットを前もって買わなかったら、その旅行が実現することは絶対にない。行けると信じて一歩を踏み出すから、その後に望んでいた未来を手にすることができるんだ。



全ては、信じるというところから始まる。確信できることでその後の行動・選択が全て変わり、望んでいた未来をグッと近くに引き寄せることができる。

逆に信じることができなければ、必要と分かっていても行動できないんだ。そして、そんな自分を正当化する理由を無理矢理見つけてきて、自分で自分を納得させてしまう。


信じることさえできれば、あとは勝手にそれに沿った行動をしている自分に気が付くはずだ。そしてふと辺りを見渡すと、あの時想っていた景色が目の前に広がっているんだ。
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やるやると言いながら、なかなか始めようとしない人がいる。都合の良い言い訳を見つけて、どんどん先延ばしにしてしまうんだ。そうこうしている間に、いつの間にか時間ばかりが過ぎていく。


今日精一杯頑張れる人は、明日も必ず頑張ることができる。逆に今日一日を頑張れない人は、明日以降もかなりの確率で怠惰な一日を過ごしてしまうんだ。



仕事でも、どんなにつまらないこと・小さなことでも精一杯取り組んで結果を出す人は、何をしても結果を出してくる。


人というのはそんなに器用ではなく、あることは精一杯真剣にできるけれど、あることはいい加減にするということは基本的にできない。あることにいい加減に取り組む人は、他のあらゆることにもいい加減に取り組んでいるはずだ。

逆に何でも真剣に取り組む人は、何事も精一杯やらないと自分の気が済まないから、つまらないと感じながらも精一杯取り組んで、結局しっかり結果を出してくる。



人についても同じことが言えるんだ。人を見るとき、その人の一番身近にいる人との関係を見ると、その人の本当の姿が見えてくる。


例えばその人の夫婦関係などを見ると、そのパートナーへの接し方が、長い間その人と付き合ったときの自分への接し方となる。その態度が、その人の素の姿なんだ。

一番身近な目の前の人を大切にできる人は、他のどんな人も精一杯大切にできる。目の前の人の不満や愚痴ばかり言っている人は、他のさまざまなことにも不満ばかりを募らせているんだ。



僕たちは結局、今目の前にあること・今目の前にいる人にしか真剣に向き合うことはできない。その今目の前にあることへの向き合い方が、10年後・20年後には表現できないほどの大きな差となって現れてくる。



今日を全力で目の前のことに向き合うことができれば、明日も必ず全力でいける。今日を何となく過ごしてしまえば、明日も何となく過ぎ去る一日になるんだ。
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生きていると、自分の想いや欲求を抑えなければいけない局面が多々あるはずだ。それが自分にとって、我慢なのか忍耐なのか。そのどちらの認識でいるかによって、その後の方向が全く変わってくるんだ。


我慢と忍耐というのは、日常ではほぼ同義のように使われているけれど、僕は全く別物だと捉えている。そこには、その局面を能動的に捉えているのか受動的に捉えているのかの明確な違いがあるんだ。



子供の頃からずっと憧れていた職人になるために、日々汗を流しながら腕を磨いている若者がいる。毎日取り組む作業は本当に単調で地味だけれども、ただひたすらに淡々と目の前のものに向かっていくんだ。

他の同世代の人たちは、もっと自由に遊んではしゃいでいて、自分も同じように遊んでいたいという欲求はもちろんある。でも、その欲求を今はグッと胸の中にしまって、自分にとって本当に大切なものに向かっていく。これが忍耐なんだ。


今ある状況というのは、楽しくもないしつまらないものなのかもしれない。でも、これは自分にとって必要な時間・経験だと捉えて、刹那的な欲求に流されないように自分をしっかりと律していく。

この先の自分がはっきりと見えているから、今がどんなに辛いものだとしても耐えることができるし、その辛さからもたくさんのことを学びとることができるんだ。

今ある状況を能動的に受け入れることができて、しっかり自分の中で消化することができる。だから本当に力がついて、それは忍耐力と呼ばれるんだ。




勤めている会社にさまざまな不満を感じていて、日々ストレスを感じながら過ごしている人がいる。自分の行き先が見えていないから、辛いと感じる今の状況に意味を見出すことができないし、行き場のない想いをどんどん溜め込んでしまう。

ただ今を受動的に受け入れているだけで、そこから学びや成長を感じることができない。これが我慢なんだ。


溜め込んでしまった想いは、どこかで吐き出すしかなくなって、今ある嫌な感情を発散しようとする。忍耐のときとは逆に、ただ目の前の感情に一喜一憂してそれを消化するための日々が続くことになるんだ。




自分ではよく辛抱して頑張っていると思っていても、それが我慢であるのなら何の学びも得ていないし、本当の意味で成長していないんだ。

自分の行き先がはっきりと見えて初めて、今の状況の意味を見出すことができる。それが辛いものであっても嬉しいものであっても、その行き先からの逆算で全ての意味付けがされてそこから学ぶことができる。


行き先が全く分からず見えていなければ、ただ目の前の状況・欲求・感情に反応して、振り回される日々が続いてしまうんだ。

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こちらの方向に進もうと思ったとき、アクセルを踏む必要があることは分かっていても、同時にブレーキも踏んでいることに気付かないことが多い。

もちろん、それでもアクセルをグッと踏めば進むことはできるけれども、かなりの力を要するしなかなかイメージしたスピードでは進まない。

一気にそちらに進みたいと思うなら、同時にブレーキを踏んでいないかをしっかり確認して、勇気をもってアクセルだけを踏まなければいけないんだ。



例えば、今の仕事をもっと高いレベルに引き上げて次のステージに上がろうとするのなら、そちらに意識を集中させなければいけない。

そこで、家族サービスも彼女との時間も趣味も大切だと全てをバランス良くこなそうとすれば、それは同時にブレーキを踏んでいることになるんだ。


もちろん、そうすれば全てが万遍なくバランスがとれるだろうけど、仕事のステージを上げるのには時間も労力もかかってしまう。少しずつは進んでいくけれども、なかなか思うような成果に繋がらないと焦りを感じ始めるようになる。

それが続くことによって、諦めや意欲そのものがいつの間にかなくなってしまうんだ。



本当にその方向に進みたいのなら、ブレーキになるものは勇気をもって切らなければいけない。それがそちらに進むことによる代償なんだ。

いやそれは切れないし大事にしたい。と考えているのなら、その方向にアクセルをベタ踏みしている人には絶対に勝てないし、ブレーキを踏みながらゆっくり進んでいくしかない。



人生の途中では、燃料を補給する時間も必要になるだろうし、目の前の信号が赤になってしっかりブレーキを踏まないといけない時もある。

でも、高速道路の入り口に来てアクセルを踏むときだと感じたときには、ブレーキからは足を外さなければいけない。そこで失うものがあったとしても、それは高速料金として支払わなければいけない代償なんだ。

それが払えないのなら、下道をゆっくり進むしかないということ。



今の自分の価値判断を明確にすることによって、その価値にそった方向にはグッと楽に進めるようになる。

家族が第一だとするのなら、判断に迷う局面に出会ったときには、家族が幸せになるという結果にだけ基づいた判断をする。そこに別の私情や判断材料を持ち込まないんだ。

そこに色々な判断材料を持ち込むから、迷うし正しい答えが見えてこない。



日々の生活が何かもやもやしているというのは、アクセルもブレーキも踏まずに停車しているか、アクセルもブレーキも踏んで綱引きをしているかのどちらかなんだ。

アクセルだけを軽く踏み込むだけで、その方向にはスッと進んでいく。


*FXに興味のある方はこちらもよろしく。
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多くの人は、生まれてから成人する頃までの年月を成長と呼び、ある年齢を境に、年を重ねることは自分が少しずつ退化していくことだと捉えている。

もちろん肉体的には、様々な変化が現れてくるだろう。これまで感じたとのないような疲れや、女性の方であれば色々な肌トラブルに悩まされるのかもしれない。



でも、時間を経るたびに人は様々なことを学び、知恵や知識・経験は年を重ねるたびに蓄積されていっているはずだ。

これまで見えなかったものが見えるようになり、これまで気付かなかったことに気付けるようになる。

そう、僕たちは年を重ねるたびに、行動による経験が蓄積されることでどんどん進化している。退化している事柄なんて、何一つないんだ。



人はどうしても、自分の五感を使って感じる世界だけで物事を判断してしまいがちだ。特に視覚によって感じる世界の印象は強烈で、物事の大半の情報を視覚から得て、その視覚情報を頼りに大半の判断をしてしまう。

今、目に見えているものだけが全てだと感じてしまうんだ。



目に見えないものを感じて意識できない人は、例えば少し接してみればよく分かる。相手の行動や発言そのものだけに反応して、その裏にある相手の真意を読み取ることができない。

あの時ああ言っていた。あのような行動をとった。と、自分の色眼鏡で見えた世界だけで物事を判断して、目には見えない大切な部分を見ようとしない・できないんだ。



ちょっと今から10年前の自分のことを思い起こしてみると、あの時はまだまだだったなと思えることがたくさんあるはずだ。

目に見える環境はそれほど大きく変わっていなかったとしても、昔の自分のことを考えると誰でもちょっと恥ずかしくなるはずだ。

それが、その年月に積み重ねてきた経験であり成長なんだ。



もちろん、肉体的な衰えはどうしても感じてしまうだろう。でも、肉体的なものは自分の意識次第でどうにでもなるものだし、そう意識して日々を送っている人には、若い頃にはない年相応の魅力が生まれてくる。


自分が今若いのか老いているのか、決めるのは自分だ。年を重ねるたびに進化しているのか、それとも退化していっているのか、それをどう捉えるのかも自分なんだ。
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