FXクリリンの修行日記

PART3進行中、再スタート13万円からの道のり!名前はFxクリリン!他の「クリリン」は別人です。目指せ億トレーダー!現在、安倍自民党https://ja-jp.facebook.com/abeshinzo と次世代の党を応援しています。

問題なし!自民党の改憲案  自民党公約  政策集 マスゴミの犯罪 対策
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ああ沖縄 真実 真実2 自民党悲願の憲法改正で日本を普通の独立国へ 
\(^O^)/安倍自民党を応援しよう。売国のマスゴミ経済界から安倍さんを守るぞ。
国内でがんばってる企業の商品を買おう!世界一安全で癒される国内を旅行しよう!
米国ばかりに血を流させるな。自分を守れる普通の国へ!福澤諭吉「脱亜論」 絶賛支持!
マスコミ対策ブログ (これを見てどんどん番組のスポンサーに苦情を入れよう)


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皆さんは安倍政権の主張と憲法審査会の主張が真逆で驚いたと思う。
そこでおいらはと憲法審査会の参考人3メンバーを調べてみた。


(1)民主党が推薦した、慶応大学名誉教授 弁護士 小林節
「九条の会東京」が6月4日に、小森陽一さん(東大教授)、小林節さん(慶應義塾大学名誉教授)、池田香代子さんなどをむかえ九条の会東京のつどいを開催します。
http://9-jo-m.jp/news-event/%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%8C%EF%BC%96%E6%9C%88%EF%BC%94%E6%97%A5%E3%81%AB%E3%80%81%E5%B0%8F%E6%A3%AE%E9%99%BD%E4%B8%80%E3%81%95%E3%82%93%EF%BC%88%E6%9D%B1%E5%A4%A7/


(2)維新の党が推薦した、早稲田大学政治経済学術院教授 笹田栄司
棟居快行・赤坂正浩・松井茂記・笹田栄司・常本照樹・市川正人
『基本的人権の事件簿』有斐閣(1997年3月)※部落解放・人権研究所
http://blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0120-10.pdf
『基本的人権の事件簿』※同性愛の自由とか夫婦別姓の自由とか(爆笑)
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641281219


(3)自民党、公明党、次世代の党が推薦した、早稲田大学法学学術院教授 長谷部恭男
長谷部恭男は九条改正反対論者、「人選ミス」では済まない。
http://akizukieiji.blog.jp/archives/1029811099.html
「今の改正論議には”近代立憲主義”という視点が欠けている。というところに立ち返るのかなと思う。」と長谷部恭男さんの著書『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書)を手に掲げて根本的な問題を提起しました。(富士・九条の会)
http://fuji9jo.ikidane.com/news2006.html
長谷部恭男氏は、著書 憲法と平和を問い直す、のなかで、立憲主義と平和主義は互いに緊張(対立)関係にあると書いています。が、具体的にはどうしてか、、ということは書いていませんでした。
http://okwave.jp/qa/q2467802.html
※そして、彼は平和主義の側だと今回表明した。そもそも「朝鮮人的左翼活動家」は「対立軸」を作り、そこから論理展開する。このような考えの人は学問に不向きだといえる。現実世界は複数の要素があり2つではない。そもそも「立憲主義に対立する」とは自己否定ではないか。憲法学者を辞めなさい!!!


3メンバーを調べると「憲法審査会」が茶番だったことがはっきりわかる。
つまり、同じ政治色を持った3人が集まっただけ。初めから結論ありきだったのだ。左翼勢力(敵国)はあらゆる手段で時間稼ぎをする。これも一つの手段である。自民党と次世代の党の政治家は彼らの手口を知っておくべきだ。



憲法審査会 全参考人が「安保関連法案は違憲」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150604/k10010102971000.html


彼らの主張とそれに対する感想
(1)小林節
「仲間の国を助けるため海外に戦争に行くことは、憲法9条に明確に違反している。また、外国軍隊への後方支援というのは日本の特殊概念であり、戦場に前から参戦せずに後ろから参戦するだけの話だ」
[感想]防衛は戦争だと言っているのと同じ。「仲間の国」は不適当だ「日本の防衛を共にしてくれる国」が正しい表現だ。さらに正しく言えば「日本の防衛において頼らなければならない重要な国」だ。戦後の平和は米軍なしに語れない。


(2)笹田栄司
「内閣法制局は、自民党政権と共に安全保障法制を作成し、ガラス細工と言えなくもないが、ぎりぎりのところで保ってきていた。しかし今回の関連法案は、これまでの定義を踏み越えており、憲法違反だ」
[感想]「ガラス細工」「ギリギリのところで保つ」「これまでの定義」の定義も意味もわからない。あやふやなことを並べ「憲法違反」と結論づけるのはいかがなものか。政権の活動経緯など審査に関係ない。まさに結論ありきの主張だ。


(3)長谷部恭男
「集団的自衛権の行使が許されることは、従来の政府見解の基本的論理の枠内では説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがすもので憲法違反だ。自衛隊の海外での活動は、外国軍隊の武力行使と一体化するおそれも極めて強い」
[感想]「基本的論理の枠内で説明がつかず」とは長谷部氏の主観にすぎない。「法的安定性」の定義を述べていない。この定義が明確にならない以上この主張は無効である。



以上、実際、もっとまともなことを言っているかと思えば、中卒レベルの主張でがっかりした。今の日本の大学のレベルはこの程度のものか。肩書きで教鞭を取り物書きで稼せげるとは「両班(朝鮮貴族)」の極みだ。日本は日韓併合で朝鮮人の影響を強く受けるようになり、そこから肩書き主義が始まる。日本の敗戦でその肩書き主義に赤化が加わり日本の戦後はバカが支配する情けない国になった。

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今回のシリア内のISILによる日本人拉致+人質殺害事件で日本国内のサヨクとマスコミは「安倍を憎んでテロリストを憎まず」をやってしまった。被害者を政治利用する姿勢は彼らがいかに命を軽視しているかわかる。そして問題なのは外務省が撤退要請を出しているにも関わらずシリアへ乗り込んだ2人だ。湯川さんはブログから自由シリア軍に参加し直後に拘束された。普通に考えたら敵を生かす理由がISILにない。そして後藤さんは出版社やTV局の取材依頼のためシリア入りした。彼がトルコに到着した日、ISILが大規模空爆を受け500人近い兵士が戦死したニュースが流れた。彼はなぜこのニュースを見て帰国しようと思わなかったのか?ISILに拘束されなくても空爆(誤爆)で命を落とす可能性があるからだ。空爆は彼が拘束された後10月末まで続いた。


彼が帰国できなかった理由は「お金」だ。彼は5億9000万円の誘拐保険に入っていた。1日当たりの保険料は10万円、8日間の短期旅行だったので80万円を掛け捨てしている。仮に帰国し次回にするとなったら、運賃などを含めおよそ100万円を捨てることになる。反面TV局の番組に取材ビデオが使われたら10分間で300万円の報酬がもらえる。生まれる子を置いて危険地域へ行かざるをえなかったのはお金に困っていたからではないのか?そして彼のシリア入りの前にNHKを初め複数のマスコミが仕事を依頼していた。彼は仕事のためシリアへ行き誘拐された。彼は外務省が撤退要請を出ている地域へ入った。これは遵法精神に反しているのではないのか?


工場の清掃に外注を使う企業がほとんどだ。そしてその仕事の過程で爆発やガス発生で何人も作業員が亡くなる事件が起きている。この時、警察は安全指導をしていたか企業を取り調べる。今回もこれと同じでマスコミは発注先に安全確認を指導してなかったと思う。もし安全確認を指導していたら記者が空爆の始まったシリアに入ることはなかったはずだ。こういったマスコミの外注管理の怠慢も今回の事件の原因だと思う。警察当局は発注時マスコミ各社が作業員(記者)に対し安全指導をしていたか取り調べをしてほしい。


最後に2人のご冥福を祈ります。テロリストめ、絶対許さん。

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先の大戦はサヨクによって扇動されたとよく言われる。これは結果論ではあるが、近衛のブレインの尾崎秀実がソ連のスパイだったことでわかる。しかし尾崎のいた政策研究会だけがアカだったわけではない。軍部にもアカがいた。統制派が南進を推進しドイツの侵攻に苦しむソ連を助けた。南進をするということは西側諸国である欧米と戦うことを意味していた。今だにソ連信奉者がいるが、大陸では敗戦と共にソ連軍と中国共産党軍が負けた日本人たちに耐え難い暴力を振るったことを忘れてはならない。これが親ソ連派の軍部(統制派)の招いた結果だ。


統制派とは今のサヨクと同じように「革新」「改革」「世襲制反対(伝統放棄)」を唱えたヤツラだ。日露戦争で勝利した乃木将軍は長州藩出身で薩長派閥の一員だった。統制派はこの薩長派閥の排除をドイツで密約した反逆者たちだ。一方、統制派でないグループを広義の皇道派と呼ぶ。彼らは文字通り天皇陛下の軍隊であり、ロマノフ王朝を惨殺したソ連に対し最も警戒していた。統制派はジャマな皇道派を要職から追放していった。近衛文麿はサヨクではないとおいらは思っている。彼は日米開戦を急ぐ東條英機を4回も説得していた。しかし東條は信念を曲げなかったため、近衛は政権を投げ東條に渡したのである。これが歴史家から優柔不断な性格と見られる。開戦の責任は東條英機にある。これは近衛文麿の発言を調べることでわかる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E6%96%87%E9%BA%BF


日米開戦直前、天皇陛下のご意向により東條は日米和平の交渉をするが、なぜかマスコミが大々的に開戦をあおった。東條は諜報機関のトップでもあったのでマスコミに和平推進の宣伝工作をすればよかった。しかしその影がまったくない。この点についておいらは東條は時間稼ぎの芝居をしたのではないかと思っている。(これは現時点の認識であり、おいらの知らない新事実がわかれば修正する。)後はご存知のように日米開戦、そしてミッドウェー海戦敗北から戦果の報道を捏造し国民をだまし続けた。日本が負け出した1943年から近衛文麿は日米和平の活動を始める。これが東條の耳に入り、東條は腹心の陸軍軍務局長・佐藤賢了を通じ「最近、公爵はよからぬことにかかわっているようですが、御身の安全のために、そのようなことはおやめになったほうがよろしい」と脅しをかけたそうだ。すごいよね。東條は皇族よりも地位が高いのかい。


今まで優柔不断で周囲(サヨク集団)に担がれ首相をやってきた過去をもつ近衛は激怒し日米和平運動グループの中心人物になる。そして1945年2月14日天皇陛下に「近衛上奏文」を提出する。この内容はおそるべき内容なのでみなさん検索して内容を読んでほしい。近衛は終戦を早く望んでいた。天皇陛下は事態の重要性を理解できず却下した。そして近衛上奏文を作文した吉田茂と殖田俊吉が陸軍憲兵隊に逮捕拘束された。仮にこの上奏文が通っていたら東京大空襲も原爆投下もなかった可能性が高い。そして逆に東條英機が主張する「本土決戦」をやっていた場合、必ず北からソ連軍が上陸することになり(事実ソ連軍は宣戦布告した)日本軍はソ連軍と戦うことになっていた。しかし、ソ連は嘘吐きなので「我々はあなた達の味方だ」と言って日本軍を取り込む可能性があった。米国は日本を占領したかったはずだから日本列島で米ソが戦う形になり、日本は朝鮮半島同様2つに割れていた可能性が高い。日本軍がソ連軍と手を組む可能性が近衛上奏文に書いてあったのだ。


このようにして歴史を見ると東條英機はソ連に組するコミンテルンのように見える。ツイッターで東條はアカだとつぶやいたら「近衛がアカであり、東條をアカと言うのはサヨクだ」というコメントをいただいた。理由を聞くと「近衛は外交に失敗したから」という訳のわからない理由だった。近衛内閣の外交は軍部(統制派)に翻弄された外交をやっており近衛自身が危機感をもっていたほどである。カシガシと昭和研究会と統制派が開戦へ突き進んでいき神輿だけは日米開戦反対というのが近衛の構図だ。これで近衛が対米戦推進者(すなわちアカ)と言うのには無理がある。おいらが思うに近衛をアカとしたいのが偽装保守(転向右翼:サヨク)なんだと思う。彼らが最も恐れているのはソ連のスパイが日本の政治や軍を動かした事実とそれが知られること。そして、占領政策でさえGHQブレインのハーバート・ノーマンが共産党のスパイであったことだ。GHQは民主化といいながら赤化政策を行った。日本の現在がサヨクまみれなのはノーマンの功績なのだ。そして、近衛を戦犯に仕立て自殺させたのは他ならぬこのノーマンだった。


これから左翼勢力が保守派にバケる時代がやってくる。
おいらは慰安婦捏造報道の植村氏が「自分は愛国者だと思っている」と言い出したから警戒している。先の戦争は左翼が起こした戦争だからだ。







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あけましておめでとうございます。
今年も朝鮮人(=韓国人)と中国共産党の事件を様々な観点で切っていこうと思います。


保守派の中に「中国も米国も敵だ」と主張する者がいる。おそらく彼は朝鮮人だろう。朝鮮人達はいつも言うことがでたらめだが、自分たちのことに言及しないのですぐバレる。はっきり言って「朝鮮人」が最も信用できない。


日本が朝鮮人と絡んだおかげで日米開戦やら日支事変で中国共産党の思い通りに中国国民党を叩いたり、ろくな結果にならなかった。今でもそうだ朝鮮人は日本の政治に介入し日本政府はする必要のない土下座外交をしてきた。「今と昔は別だ」という考え方はやめたほうがよい!今の朝鮮人は過去の汚い事件(手口)を隠すため世界中で嘘の歴史を発信している。


日本が日韓併合をせず米国へ朝鮮半島を丸投げしておれば日露戦争で多くの日本人が死ぬこともなければ満州事変も起こらなかった。アジアの開放?時代の流れを見れば独立は早いか遅いかの差に過ぎない。半島というゴミを米国へ譲り日本が体力を温存した形で東南アジアを支援したほうがよりスマートだった。今でも日本が東南アジアから尊敬されるのは戦後一貫して彼らを経済支援してきたから。現在中国共産党が日本を真似て東南アジアへ経済進出している。日本政府は危機感を持つべきだ。


朝鮮半島が米国になっていたら米国が内部で朝鮮人に食われ米国が今昔の日本同様おかしくなっていた可能性が大きい。


というのも朝鮮人は思想信条より「乗っ取り意識」と「差別意識」が強い。この特性に一番合っているのは共産主義だ。共産主義といっても差別主義者の彼らにとり「皆平等」では困る。現在「中国共産党が実現している差別共産主義」が彼らにあっている。この点で朝鮮人=共産主義者であるし、日韓併合後すぐに彼らが日本の共産党主義者と結びついたのは自然の摂理だ。満州で蒋介石は朝鮮人の共産主義者の多さに悩まされ「朝鮮人追放令」を出した。(おいらはこれが満州事変の引き金になったと確信している。)この観点で日本での歴史を見れば、なぜ彼らが日本の治安が低下した時だけ暴動(革命)を起こしたのかナゾが解ける。


韓国(南朝鮮)は表向き「反共の立場」だが上に書いたように便宜的なもので決して共産主義に対峙していない。その根拠として韓国と中国共産党の関係が良好であり米国の防衛に消極的だ。


さて米国にいる日本の敵は日米開戦前からいた。米国の共産党はなくなるが名前を変えただけ。その証拠にアカ狩り(共産主義者狩り)で民主党政権に多くのソ連スパイがいたことがわかっている。ソ連は当時中国共産党を支持し中国共産党のスパイが中国国民党にいた。そして彼ら中国人たちが米国に移民し米国の政治家を支援した。そこに朝鮮半島の三一独立運動(日本が作った全近代施設占領のための暴動)で逃げてきた朝鮮人たちが加わる!米国でいったい何が起こるかバカでもわかるだろう。米国は移民の国であり白人だけの国ではないのだ。米国人の「日本人憎し」はこのようにして生まれた。


中国人と朝鮮人はアジアで最初に近代化した日本を妬んでいる。アジア人では勝つことができないと言われたソ連の軍隊を撃破した。民族の妬みの大きさが日本人を叩くエネルギーとなった。当然叩くのが目的だから手段を選ばない。彼らは金を使い政治家を丸め込み、嘘の小説や映画に投資し米国人をだまし、米国国民を中国人と朝鮮人と同じレベルに凶悪化させた。そしてその結論として「原爆投下」「住民大空爆」という大虐殺がある。


米国は表現の自由を尊重するが「全くのウソにより非人間的な憎しみに転化する表現の自由」は「凶器」そのものだ。


福沢諭吉先生が解いた脱亜論は日本にも米国にも必要だった。福沢諭吉先生は朝鮮人(中国人)の手口も凶悪さも知っていた。だから彼らを「悪友(ヤクザ)」と呼んだのだ。日本が暴走し米国が日本に対する大虐殺に躊躇(ちゅうちょ)しなかったのは正に朝鮮人と中国人の影響によるものだ。

米国が中国人と朝鮮人の工作に無頓着であるなら、米国は必ず彼らの主人である中国共産党に占領されると思う。



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「南京大虐殺はなかった」という人へ -「否定派のウソ」と「事実」-
大谷 猛夫
http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html
左翼の主張と事実をつきあわせてみます。彼らがいかに都合の良い点だけ主張しているかわかります。


否定派のウソ 1
「戦後の東京裁判で連合国が日本軍の残虐・非道ぶりを示すためにでっち上げたものである」
「事実」
1937年12月、南京は中華民国の首都であり、諸外国の公館も存在し、外国の報道機関も存在した。虐殺の報道は世界をかけめぐった。日本の外務省も軍も当時から知っていた。当時の外務省東亜局長石井猪太郎が回顧録でこのことを書いている。だいたい軍が知らないということはあり得ない。
1937年12月15日以降多くの欧米の特派員が南京の事態を世界中に打電している。とくにイギリスの「マンチェスター・ガーディアン」の中国特派員ティンバリーは1938年8月に「戦争とは何か・・・中国における日本軍の残虐行為」を出版し、日本語訳も中国語訳も出版されている。日本の外務省はこのティンバリーの上海発の電報を押収し、南京その他で30万人を下らない中国民間人が殺されたと述べていることをワシントンの日本大使館に情報として伝えている。戦後の東京裁判で、はじめて日本が知ったわけではない。そもそも日本政府はこの東京裁判の結果をサンフランシスコ条約で受け入れたのである。つまり日本政府は公式に承認したということである。
------------------------<引用おわり>
[本当にあった事実]
ティンパリー(Harold John Timperley)編著の『What War Means(The Japanese Terror in China)』という本が出版されました。しかし、Timperleyは上海にいた人で南京にはいませんでした。この虐殺情報はベイツ(Bates)から得たものでした。ベイツは南京で虐殺があったと記録したものの、実際に虐殺死体を自分の目で見たわけではありません。彼の報告はすべて伝聞体です。南京国際委員会が提出した「被害届」において殺人の事例の「証言者」の欄にベイツの名はありません。アメリカ領事館のジョン・アリソン(John Moore Allison,)領事から市民虐殺の証明を求められたとき、ベイツはその証明ができませんでした。



否定派のウソ 2
「東京裁判の証拠資料は伝聞ばかりで、直接証拠は何もない。マギー牧師の証言は虐殺をみたのは1件だけだと言っている」
「事実」
マギー牧師はけが人や強姦の被害者の救済をしていた。殺害現場に立ち会わなかったのは当然。いわゆるマギーフィルムが殺害現場そのものの映像がないのは当然のことである。もし殺害現場を撮影していたら、日本軍はマギー牧師をそのままにしておかなかっただろう。むしろたくさんの被害者の映像記録を残している。このことの方が重要な証拠となっている。東京裁判でも11人の証人が証言し、南京安全区文書・南京裁判所検案書・慈善団体の埋葬記録・ラーベの書簡・アメリカ大使館の文書・在中国ドイツ外交当局の報告書などが東京裁判で採用された。
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
映像が本物である保証がありません。保守派が最近公開を求めましたがよほど都合が悪いのか公開されませんでした。国際委員会のマギー神父(John Gillespie Magee)とフイッチ(George Ashmore Fitch)など4人の行動に問題がありました。彼らは被害の伝聞を記録するだけで犯罪事件の調査を全然しませんでした。南京の日本大使館の外交官補佐の福田篤泰(ふくだとくやす)がマギー神父らの様子を見て彼らに苦情を告げた記録が残っています。マギー神父は米国へ間違った情報を伝え続けました。



否定派のウソ 3
「当時、国際的な批判はこの「事件」についてはなかった」
「事実」
1937年9月から10月にかけての国際連盟総会は日本軍の中国侵略そのものを非難している。当時日本はすでに国際連盟を脱退し(1931年の柳条湖の事件をめぐっての国際連盟決議を不服として)ていて、国際的な孤立状態にあった。1937年9月というと南京陥落前であったが、南京爆撃を国際連盟の決議は非難している。つまり日本軍の中国侵略そのものを非難しているのである。南京大虐殺というひとつの事件に対する非難がないからと言って国際批判がないというのは当たらない。
ドイツ人ラーベは南京安全区国際委員長として日本軍が占領した南京に止まり、市民とりわけ女性を日本軍の暴虐から守るために奮闘した。ラーベは1938年2月、帰国命令を受けベルリンに戻った。ラーベはナチス党員であったが、南京での日本軍の残虐行為をヒトラーはじめドイツ政府の指導者に知らせた。そしてヒトラーあての「南京事件・ラーベ報告書」を提出した。
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
「侵略」は「虐殺」を含んでいるといわれますが「虐殺」を例として記録に残せば「侵略」であることを強く主張できます。「虐殺」という言葉が記録にないと言うことはなかったということです。虐殺の事実があれば日本を非難したい国際連盟は喜んで記録するはずです。今でも同じです。(東京日日新聞 1937年12月26日)によると東京日日新聞社の若梅と村上両特派員は占領2日後の12月15日、大学の舎宅のベイツ教授を訪れ、インタビューを行なっています。その時ベイツ教授は「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたことは最高です」といって両記者と握手をしています。また、ジョン・ラーベは「日本軍が安全区を設けて民間人を傷つけなかったことを深く感謝いたします」という感謝状を松井大将に手渡しています。ラーベは二重人格者だったのでしょうか?疑り深いヒトラーはジョン・ラーベの報告を信用せず、逆に彼を投獄しました。



否定派のウソ 4
「蒋介石も毛沢東も南京のことは問題にしていない」
「事実」
1938年7月(南京陥落後)<日中戦争1周年>に蒋介石は「日本国民に告げる書」で日本軍の放火・略奪・虐殺を非難している。「南京」という名指しはないが、この時点で中国大陸における大規模で集団的な略奪・虐殺は南京以外に考えられない。蒋介石はこのことを念頭に書いている。次のように書かれている「・・わが婦女同胞に対する暴行がある。10歳前後の少女から5,60歳の老女までひとたび毒手にあえば、一族すべて逃れがたい。ある場合は数人で次々に辱め、被害者は逃げる間もなく呻吟して命を落とし、ある場合は母と娘、妹と兄嫁など数十人の女性を裸にして一同に並べ強姦してから惨殺した。・・・このような軍隊は日本の恥であるだけでなく、人類に汚点をとどめるものである・・・」
毛沢東は1938年1月週刊誌「群衆」で「南京大虐殺は人類に対する犯罪」と述べている。その内容は次の通りである。「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録をつくることとなった。これは中国の全民族に対する宣戦にとどまらず、全人類に対する宣戦でもある。敵の凶悪な残忍さは、人道と正義を血で洗い、全世界・全人類の憤怒と憎悪をよびおこした。・・・」
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
国民党の戦略についてアメリカのジャーナリストで中国国民党宣伝部の顧問であったTheodore Harold Whiteは以下のように書いています。「アメリカの新聞雑誌にウソをつくことだますこと……アメリカを説得するためなら、どんなことでもしてよいという作戦が中国国民党政府の唯一の戦略だった」当時の敵だった国民党関係者がこう書いています。また、支那事変一周年目の7月7日に蒋介石が発表した『日本国民に告げる書』では「広州などへの爆撃」について述べ「南京虐殺」について述べていません。また1938年1月週刊誌「群衆」ですが、毛沢東自身が「南京事件」の安全区委員会資料を掲載し『中国占領区の日本帝国主義』(延安時事問題研究会編、1939年)を作りました。早い話、ソースは南京市の安全区委員会資料です。しかし、この安全区委員会資料がでたらめなのです(以下「本当の事実」を参照)。



否定派のウソ 5
 「当時の南京の人口は20万人しかなかった。だから30万人も殺せるはずがない」
「事実」
否定派が20万人というのは南京安全区委員会が1937年12月17日付け文書で「もし市内の日本兵のあいだで直ちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者がでることはさけられないでしょう」と書いてあることによる。しかし、これは南京陥落後の安全区内に非難収容された人にかぎった数であり、南京大虐殺以前の南京市の人口ではない。南京市は「城区」(市部)と「近郊区」(県部)にわかれる。城区に限っても1937年11月23日(日本軍制圧直前)に南京市政府が作った文書には人口約50万人となっている。さらにこの後、避難民の流入もあり、日本軍に包囲された中国軍の兵士も15万人いた。 戦前、城区の人口は約100万人、近郊区の人口は約130万人という数字がでている。 そもそも30万人殺したか1万人殺したか数が問題なのではない。日本軍の残虐行為があったかなかったかの問題なのである。南京大虐殺の犠牲になった市民・農民・兵士は一人ひとりの個人であり、名前をもった一度だけの人生を生きていた人たちである。個人の犠牲を考えれば、一万人、四万人、二十万人、三十万人という数の問題はあまり意味をもたない。
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
「そもそも30万人殺したか1万人殺したか数が問題なのではない」というのは歴史研究を愚弄した感情論です。犠牲者数がなんであろうと事実を追求するのが学問です。日本軍に数件の犯罪があったのは事実です。全くないとは主張していません。しかし、その数で大虐殺は誇大すぎます。犠牲者数は埋葬を担当した紅卍字会の報告の約4万人から始まり、エドガー・スノー(Edgar Snow)の「The Battle for Asia」で「犠牲者の大部分は女子供」となり、1943年に刊行されたAgnes Smedleyの「Battle Hymn of China」では犠牲者数を5倍に捏造し20万人殺戮とし誇大広告しました。そして今ではアイリス・チャンの「レイプ・オブ・南京」で30万人まで妄想が広がっています。根拠はなんですか?これほど犠牲者の内容と数が違うことはデマそのものだと思います。



否定派のウソ 6
「南京虐殺の目撃者はいない」
「事実」
全体像をみたものなど誰もいない。しかし1937年12月から翌年はじめにかけて南京城区・郊外で強姦、虐殺、略奪がおこったことは確かである。自分のまわりにおこったできごとを「目撃」して生存している人はたくさんいる。中国では幸存者といい、その目撃証言を大事にし記録している。日本政府を訴えている李秀英さんは日本軍の兵士に強姦されそうになり、全身にたくさんの傷を負った証言をおこなっている。この李さんを「ニセモノ」よばわりする人物が書物をあらわしているが、これも李さんは名誉毀損で提訴している。
否定派のウソ 7
「李秀英さんの証言を読むと食い違いがある。実際に体験したことではない」
「事実」 南京虐殺を否定する人は李さんの証言を直接聞いている人はほとんどいない。ニセモノだという人たちも伝聞で書いている。60年以上前のことを前後関係も数字もきちんと覚えていることの方が不思議である。何ケ所刺されたかなど「刺された人」が数えているはずもない。全体として李さんが体験したことに真実をみいだすべきである。マギーフィルムにも李さんが病院で治療している映像が収録されている。ことさら証言の細部にくいちがうことがあるからと言って「南京大虐殺」そのものをなかったことにしようという「よこしまな」意図が働いているとしか言いようがない。
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
台湾の複数の歴史書、マッカーサー(Douglas MacArthur)回顧録、国民党党首蒋介石(Chiang Kai-shek)は「南京には市民の大虐殺などありはしない」と発言しています。台湾人は真実を知るため南京大虐殺の被害者家族を20数年かけて中国全土を探しましたが、被害者は447人しかいなかった。その被害者のほとんどは民間人に化けたテロリストたちでした。



否定派のウソ 8
「百人斬り」というのは捏造記事である」
「事実」
百人斬ったかどうかが問題なのではない。戦闘で斬ったというのは確かに「ウソ」であるが、それよりひどいことをした。捕虜を斬ったのである。戦闘行為ではなく、降伏してきた無抵抗の中国兵を斬ったというのが事実である。これ自体とんでもないことである。もちろん南京虐殺を否定したことにはまったくならない。
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
この問題については処刑された2人の遺文を読んでもらいたい。死刑と決まった人間に隠すことは何もないはず。それでも彼らは無実を主張した。現在だと「冤罪」で大騒ぎになる。しかも記者が作った虚構で死刑になる。これほど理不尽なことはない。左翼の方々は名誉毀損裁判の敗訴に歓喜していますが、切ったという具体的な証拠は「新聞記事に載った戦意高揚の物語」しかないのです。みなさん、左翼は我々にこれで南京大虐殺を受け入れろと言っています。



否定派のウソ 9
「遺体埋葬記録は信用できない。たくさんの人は死んでいない」
「事実」
紅卍会という宗教団体が埋葬した記録をつくっているが、1937年12月から翌年3月にかけて南京市内で4万体以上の死体を埋葬した記録がある。(正確には40371体)この記録は他のいくつかの記録とも符号していて、信憑性の高いものである。また崇善堂という慈善団体も埋葬の行動をしており、これは11万2266体と記録している。その大半は1938年4月に南京城外で10万5千体を埋葬したとなっている。その時期までに城内の死体埋葬はほぼ終了していた。崇善堂は数千の死体埋葬をすませていた。4月になると気温も上昇し、死体の腐敗もすすむという状況になったので、それまで死体に軽く土をかけただけのものなどが城外に放置されていた。これ以外に日本軍が揚子江に流してしまった遺体などは記録されていないのだから、実態は当然もっと多いことになる。
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
日本軍が揚子江に死体を流した事実はありません。蒋介石は南京死守を命令しましたが12月7日南京から脱出、12月12日南京城の中華門・光華門が陥落する数時間前に南京防衛軍司令官「唐生智」が明確な撤退命令を出さないまま南京城西北の港湾地区下関 (シャーカン)から揚子江対岸へ脱出しました。逃げ遅れた将兵は下関近くの門に殺到しましたが、門は閉じられ城壁を乗り越えて脱出するしか方法がない状況でした。この際、江門の防守部隊と退却兵が衝突し双方に死傷者が発生しました。スミス記者によれば約千名と伝えられます。そして船着場でも壮絶な仲間割れがありました。なぜ揚子江に大量の中国兵の死体が流れたのか?唐生智司令官と直近の部下が逃げる際に優良な船をほとんど使って渡ったからです。逃げ遅れた多くの兵士たちは小さなボートの取り合いになり、そこで起こった殺し合いの犠牲者が揚子江に流れたのです。埋葬を担当した紅卍字会(Red Swastika Society)は日本軍と国際委員会の両方から埋葬費用を二重取りしていたことが判明しています。犠牲者の実数は卍字会が報告した4万体の半分未満だと推定されています。



否定派のウソ 10
「とらえた捕虜が暴動をおこしたので、仕方なく発砲した」
「事実」
1937年12月13日の戦闘で1万8千人の中国兵が無抵抗で捕虜となった。16日に捕虜収容所内でボヤが発生したが、捕虜の逃亡も銃撃もなかった。この夜、軍命令で揚子江岸の魚雷営で2千人から3千人が試験的に虐殺され、死体はその夜のうちに揚子江に流された。残りの捕虜を翌17日に上元門から約2キロ下流の大湾子で虐殺した。この日の虐殺は大量だったため、薄暗くなるころからはじまった虐殺が18日の明け方まで続いた。そして、死体処理には18・19日の2日間かかった。大量の死体は揚子江に流された。
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
作文ですね。それほど国民党の兵士の仲間割れを隠したいのですか?
中島日記をみても捕虜を殺害したという記述はありません。当時の日本軍の記録をみると7000~8000人の捕虜は結局殺害されず捕虜収容所に送られたことがわかります。当時の膨大な資料の集大成である『南京戦史』(偕行社)は様々な資料を引用しこう結論しています。「これらを総合すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことは明らかである」(P324)また資料によれば当時南京の捕虜収容所は、これら7200人の捕虜を含む、計1万人ほどの捕虜を受け入れたとなっています。彼らの多くは、そののち釈放され故郷に帰されました。あるいは苦力(クーリー)として労役に雇われた者も多く、また後に上海の捕虜収容所に移送された者もいました。さらに、そのうち約2000名は、のちに汪兆銘の親日政権の南京政府軍に編入されました。その中に、劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将もいました。彼は南京安全区に潜んでいたところを摘発され、しばらく苦力として使われていましたが、1940年に南京に成立した汪兆銘政府において和平救国軍の軍長となった人です。
また中島今朝吾・師団長の言葉の中に「大体捕虜はせぬ方針なれば」というのがあったことが、よく指摘されます。実際、大量の捕虜をかかえこむことは大変なだけですから、捕虜は少ないほうがいいわけですが、「捕虜はせぬ方針」について、大西一参謀はこう述べています。「それは、銃器を取りあげ釈放せい、ということです。中国兵は全国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」 (「正論」61.5 阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)
さらに大西参謀は軍命令、師団命令で捕虜殺害命令など絶対に出ていない、と断言しています。資料をみても、捕虜殺害の記録はありません。また支那事変当時の日本の新聞にも、釈放されて故郷に帰る中国兵たちが荷物を持ち、ニコニコ顔で写真におさまっている姿などが載っています。



否定派のウソ 11
「日本軍が殺したのは、民間人のふりをした「便衣兵」であり、投降兵である。正当な戦闘行為である」
「事実」
南京陥落前に主要な中国軍部隊は蒋介石とともに南京を離れている。南京陥落後に南京に残された中国兵は戦意を喪失しており、ほとんど日本軍への攻撃はなかった。南京陥落直後の南京で撃墜された日本軍機の搭乗員の遺体捜索活動に従事した奥宮正武の記述である。「便衣兵あるいは便衣隊といわれていた中国人は、昭和7年の上海事変の際はもとより、今回の支那事変の初期にもかなり積極的に日本軍と戦っていた。が、南京陥落直後はそうとはいえなかった。わたしの知る限り、彼らのほとんどは戦意を完全に失って、ただ生きるために軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって彼らを通常いわれているゲリラと同一視することは適当とは思われない。」(「私のみた南京事件」PHP研究所1977年)
南京占領後日本軍は「便衣兵の疑いあり」というだけで次々と虐殺した。また投降兵についても軍事裁判などの手続きをせずにどんどん殺害していった。
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
捕虜と便衣兵は違います。捕虜は兵士が投降してなりますが、便衣兵は投降せず一般市民に化け武器を隠し持っています。これは日本軍にとって危険なだけでなく武器を持たない一般市民にも危険な存在です。つまりテロリストそのものです。便衣兵は国際法上裁判なしで射殺してよいことになっておりどの国もやっていました。今でもそうですね。早い話、武器を捨て投降してれば何の問題もありません。それをしないのが悪い!



否定派のウソ 12
「南京虐殺は日本軍の仕業にみせかけるために中国軍の反日攪乱工作隊がやったことだ」
「事実」
南京に潜伏した中国軍の兵士がいたのは確かだが、用心深く潜伏していることが重要であって、攪乱するなどという状況になかったことは明白である。こういうこしを発想すること自体「妄想」のたぐいである。たしかに南京を退却する時の中国軍が脱出・避難のために必要な物資を略奪したり、不法行為を働いた事実もある。しかし、それをはるかにしのぐ進駐してきた日本軍の蛮行があったのである。「ニューヨークタイムズ」のダーディン記者の報告である。「南京に知勇国軍最後の崩壊が訪れた時、人々の間の安堵の気持ちは非常に大きく、また南京市政府及び防衛司令部が瓦解した時の印象はよくなかったので、人々は喜んで日本軍を迎えようとしていた。しかし、日本軍の蛮行がはじまると、この安堵と歓迎の気持ちはたちまち恐怖へと変わっていった。日本への憎しみをいっそう深く人々の心に植え付けた。」(「ニューヨークタイムズ」1938/1/9)
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[本当の事実]
いよいよ締めになりますね。同じニュース記事を載せておきます。
1938年1月4日)のニューヨーク・タイムズ
『南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは逃亡中の大佐一名とその部下の将校六名がそこでかくまわれていたことを発見し、心底から当惑した。教授たちはこの大佐を避難民キャンプで二番目に権力ある地位につけていた。この将校たちは支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中にライフル六丁とピストル五丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見され、自分たちのものであると自白した。この元将校たちは「南京で掠奪したこと、ある晩に避難民キャンプで少女たちをレイプし、その翌日には犯人は日本兵だと言いふらしていたこと」をアメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した』


チャイナ・プレス(1938年1月25日)
「その報告書の主張するところによれば、彼らのなかには南京平和防衛軍司令官王信労(音訳)がいた。彼は陳弥(音訳)と名乗って、国際避難民地帯の第四部門のグループを指揮していた。……また、前第八十八師の副師長・馬中将や、南京警察の高官・密信喜(音訳)もいると言われている。馬中将は、安全区内で反日攪乱行為の煽動を続けていたと言われる。また、安全区には黄安(音訳)大尉のほか十七人が、機関銃一丁、ライフル十七丁を持ってかくまわれ、王信労と三人の元部下は掠奪、煽動、強姦にたずさわったという」(東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』p.277)
(安全区に逃げ込んだ中国将兵らはアメリカ人教授らのもとでかくまわれ、しかもそのうち中国人大佐は避難民キャンプで二番目に権力ある地位を与えられていたという。彼らは南京で略奪や、少女たちの強姦などを行ない、それを日本兵がやったと言いふらしていたのです。この教授たちとは「'マイナー・ベイツ(Miner Searle Bates)'」、ルイス・スマイス(Lewis Smyth)、ミニー・ヴォートリン(Minnie Vautrin)、ロバート・ウィルソン(Robert Wilson)らです。これは安全区の中立を定めた日本軍との協定への違反でした。それまで教授たち(南京安全区国際委員会)は、南京での非道な行ないのすべてについて日本軍を非難してきたのです。しかし、それら非道な行ないのほとんどが実は教授たちのもとでかくまわれていた中国兵たちのしわざでした。)


大阪朝日新聞(1938年2月17日)
「皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る 【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来、わが将兵が種々の暴行を行なつているとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わっているので、在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところ、このほど漸くその根源を突き止めることが出来た。右は、皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いていた憎むべき支那人一味であるが、憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。この不逞(ふてい)極まる支那人は、かつて京城(現在の韓国ソウル)において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で、皇軍入城後日本人を装ひ、わが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、…三ヶ所を根城に、皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し、強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で、襲はれた無辜(むこ)の支那人らは、いずれも一味を日本人と信じきつていたため、発覚が遅れたものであるが、憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである」



定派のウソ 13
「南京大虐殺の写真はニセモノばかりである」

「事実」
日本の軍隊に従軍して写真をとっていた従軍カメラマンはたくさんいた。南京戦では200名をこす新聞記者やカメラマンがいた。しかし、撮影も報道もしていない。厳しい陸軍の検閲があったからである。「左に列挙するものは掲載を許可せず」といい、・・・我が軍に不利なる記事写真・・・というのである。これでは「我が軍に有利な写真しか」載らない。南京安全委員のマッカラムは日記に書いている。「1938年1月8日、難民キャンプの入口に新聞記者がやってきて、ケーキ・りんごを配り、わずかな硬貨を手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじのぼり、構内に侵入して10名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかった。」
しかし、平站自動車第17中隊の写真班の村瀬守保氏は輸送部隊であったために比較的自由に写真を撮り、検閲もうけなかった。戦後「一兵士が写した戦場の記録」という写真集をだしている。この中には南京大虐殺現場の生々しい写真が何枚か収録されている。「虐殺された後、薪を積んで油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが民間人でした」のキャプションがついたものがある。
------------------------<引用おわり>
[本当の事実]
南京安全委員(南京安全区国際委員会)ですか?彼らが何をしていたのか、上の記事を読んでください。故・村瀬守保氏の写真ですか?これらの写真は昭和58(1983)年8月17日、「毎日新聞」が『南京大虐殺 これが証拠写真』と南京事件の犠牲者のごとく報道しましたが、実際は只の南京戦での戦死体を撮影しただけであったことが第45連隊、高橋義彦元中尉その他多くの人達の証言と資料で判明していますよ。
それよりも「レイプオブ南京」とか本多勝一氏が使った写真とかインターネット上の虐殺写真とか、すべて関係ない別ソースの写真の引用じゃないですか。そんなことまでして大虐殺をでっち上げるエネルギーはどこから来るんですか?共産党からお金をもらってるのですか?それとも朝鮮人の誇りがそうさせてるのですか?


[参考文献]
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1178.html
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/246/
http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-1016.html
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/ichiran_1.htm
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/nankingmj.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/6947012.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_1/jog079.html
http://www.history.gr.jp/~nanking/lie.html

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