非二元と脳科学に基づく学習法の記事

ノンデュアリティ・スピーカー 矢沢大輔のブログ


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「矢沢さんの一暼体験は、どういう感じだったんですか?」と、ノンデュアリティのセッションをやっていると、時々聞かれる。
 
「ある日、何かをしていたら、突然、こういう現象が起きて…」という神秘的なストーリーを期待して聞いてくれているんだろうけど、私はこの質問にまともに答えたことがない。
 
一暼の意味が、「これまでに見えていなかった別世界の光を垣間見ること」であるなら、一暼体験なんて誰でもできることだからだ。
それは、水泳教室の先生の指導に従い、実際にプールに入って泳ぐ練習をすれば、誰でも泳げるようになるのと変わらない。
 
でも、多くの人は、一暼体験するには、一暼体験をしたという覚者のもとに、何日か何年か通い続けて話を聞いていれば、その波動が浸透して、いつか自分にも光が差し込む日がくるんだろうと思い込まされている。
この思い込みこそが、一暼を遅らせるトラップになっていることに気づかずに。
 
水泳の先生から泳ぎ方の話を何度聞いたところで、実際に水の中に入らなければ、体が水に浮く事実(自然さ)に気づけない。
これと同じで、覚者の話を何度聞いたところで、自分で確かめてみるまで、「私がいない」という一暼は起こらない。
(時には、それが自然に起こる人もいるだろうけど)
特別な体験を求めて何度も話を聞きにいき、不完全さを満たそうとしているのは誰なのか?
その「私」こそが、既に見えている「完全性」を覆い隠し、見えなくさせている唯一のものだ。
 
その「私」なんて、実際に調べてみれば、1時間半もあれば、いないことがはっきりする。
それを一暼体験というなら、私の経験からいえば、スイミングスクールに行って泳げるようになるより、単純でありふれたものだ。
 
でも、「私」が存在している限り、人はその単純さより、複雑で特別なものを追い求めたがる。
 
お知らせ
「私がいない」非二元のシンプルさを直接経験したい方は、非二元のプライベートセッション、もしくはノンデュアリティ・エクスペリエンスにお越しください。
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