父からの贈り物 | fusae ブログ

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         2007年11月26日 店主 fusae

みなさま、こんばんは!

 

fusaeですニコニコ

 

貧困支援の1月末から父が亡くなるまでの約1ヶ月半、私には長い長い月日、(半年くらい)に感じられました。

 

父を栃木に迎えたその日、私が施設長を努めるまんまる笑顔のみんなのおうちへ、母がはじめて訪れました。

 

まんまる笑顔のみんなのおうちHP→https://moh-moh.jimdo.com/

 

実は2年前、私は母に勘当されて施設を始めました。

 

まだ学生だった(詳しくはこのブログのテーマ〈43歳の女子大生〉をご覧ください)私は、その頃もたくさんのかたに支えられていました。

 

ある時、力もお金も(もちろん地位も名誉も権力も)無い私に「栃木でやりたいの?そんないいことしてくれるなら無償提供もできますが・・・」と今のまんまるの大家さんが声をかけてくださった。(実際は無償ではなく2年毎の賃貸契約でお借りすることになりました)

※”まんまる”とは、私が2015年春に栃木県日光市で始めたインクルージョン施設「まんまる笑顔のみんなのおうち」のことです(以下同様)

 

そのことを話すと母は、

 

「今の世の中、そんな人がいる分けない!騙されてるのよ!!

 恐いから二度と家の敷居をまたがないでちょうだいむかっ

 

と言いました。

 

その後、のちにまんまるの施設となるおうちへ、私が初めて訪れた時、立派な玄関の脇には、まだ咲いていないが”母の好きなモッコウバラらしき”弦が伝っていました。

 

「この弦には黄色の花が咲きますか?」

 

大家さんに聞きましたが、覚えてらっしゃいませんでした。

 

「このモッコウバラが母の好きな黄色だったら、きっと解り合える日が来る。ここに母が来る時が来る」

 

私はなぜかそう思いました。

 

そうして、必死にまだ雪の残るまんまるに施設を構え、5月。

 

咲いたのはやっぱり母の大好きな”黄色のモッコウバラ”でした。

 

 

 

 

それから約2年。

 

私は母から父の入院の知らを受け、東京にはすぐに転院先が見つからないとのことで、私が父を栃木に迎え入れることになったのをきっかけに、母が初めてまんまるに来たのでした。

 

音楽以外に私を褒めたことの無い母が、まんまるを後に帰京する際に言いました。

 

「ここで2年も、よくひとりで頑張ったね」

 

私は耳を疑いました。

 

その時はさらりと聞き流してしまいましたが、時間が経つにつれ、なんとも言えない想いで胸がいっぱいになります。

 

母は、今年の元旦にi-padを買ったのだそうで驚きました。

 

買った理由は、私のこのブログを読めば、私が何をしているのか分かるから、だそうです。

 

母は、

(私が)バカだから(世間知らずのお人好しで)人に騙されてるんじゃ無いだろうか。

 

自分の生活を差し置いて、ボランティアするために、他で働いて投資してるなんてなにを考えてるんだ。

 

「二度と来ないで頂戴!!」と私に言い放った母の心配はずっと膨らむばかりで、尽きなかったのでしょう。お正月だと言うのに、機械音痴の母がi-padを元旦に買っていたのです。

 

 

 

今年の1月末、まんまるで貧困支援をしていた時は、

「まさか、ひとりで支援してるんじゃないでしょうね?」

と母から電話がきました。

 

「ひとりじゃないよ。ブログに書いている通り、全国の人たちが一緒に支援してくれてるんだよ」

 

と言う私に、ますます心配する母でしたが、赤裸々に書いているこのブログを読み、

 

「娘は、ほんとにたくさんの人に支えられて施設運営を続けられているんだ」

 

と驚くのと、みなさんへの感謝と、ため息と、あーだのこーだの言い始める母。。。

 

「私がお母さんに”助けて!”って言ったこと1度でもある?

 私は好きでやっているの。

 お金が無くても今日まではなんとかやれてる。

 地域の笑顔も増えてるんだよ」

 

と、強く言っていました。

 

私がそう言い放った時、母は黙ってしまいました。

 

私がまだ親元にいた頃の生活と比べて(母は今の私へ”みすぼらしい”という表現をしていました)、

 

私の今がどんな生活でも、

「困ったなぁ」ということはたっくさんあれど、

辛かった結婚生活から開放されてからというもの、愚痴や不平不満を言ったことはありません。

 

 

そして、

 

母や妹たちとの再会、

父をターミナルケア(死を前にした終末期のケア)として私自身の音楽療法で見送れたこと、

私が愛情込めて育ててきた「まんまる笑顔のみんなのおうち」に母が来てくれたこと、

 

これらは『父からの贈り物』なのだと感じています。

 

私たちの父は、ほんとに”しょーもない人”でした。

 

母にさんざん苦労をかけて、最後も大きな迷惑をかけて逝きました。

 

けれども、今はまだお知らせできませんが、父は自分の死をもって私に大きなメッセージをくれました。

 

そして残された私たちに ”仲良くやってくれ”とチャンスを置いていきました。

 

これからは自分たちがどう関係性を築いていくか?が幸不幸の分かれ道なのだと思います。

それを教えてくれたのが父の入院生活であり、死であり、もうひとつ、日光ぽっくり寺のご住職との出会いでした。

 

下の写真は、母をぽっくり寺に連れて行ったときの写真です。

photo by 住職

 

母はこの時、すでに5キロも痩せていました。

 

気丈な母ですが、そうは言っても、

お釈迦様と同じ誕生日4月8日(昨日)に76歳を迎えました。

 

父より3歳、お姉さん女房の母。

 

「お前たちにあのお父さんを残して先に死ねない」と自分も病気を抱えながら看病をしていました。

 

昨日は誕生日を迎え、お祝いの電話を入れると、

 

「は〜〜〜〜いっ76歳でっす音譜」と超元気な返事が帰って来ました。

 

肺を患う母。せめてタバコの本数を少なくして長生きして欲しいですあせる

 

そんな母も、ぽっくり寺へ行ったときは

「なんでだろう、心が安らぐねぇ」「不思議だねぇ」と言いました。

 

住職には、父の葬儀、遺された者の心のもちかた、仏さまを大切にすることの大切さなど、教えていただき、そのなんとも安心するお人柄とほんとうのお寺の姿に、母も私も大感謝なのです。

 

三宝山等泉寺(日光ぽっくり寺)HP http://tousenji369.jp/

 

 

下の写真は、棺に入れるはずだった父の法被。

火葬前に「お姉ちゃん、これ着て歌ってあげなよ」と妹。

「これは焼かないで、ふさえが着てくれた方がいいんじゃない?ステージで使えない?」と母。

それで私が父の形見として貰い受けました。

 

女ばかり4人を遺して、やりたい放題だった父の人生。

 

天晴です。

 

幸せなこっちゃ。

 

「ふさえ、幼稚園どうした?(父には幼稚園も施設も同じようなもの)しっかりやらないとダメなんだぞ」(父の言葉)

 

まんまるを始めた頃に言われました。

 

そのまんまるは、大家さんのご厚意により、また2年の継続が可能になりました。

 

それで、活動の縮小(不定期の活動)に伴い、2017年度は私のいる日に限り、みなさんにまんまるを無料で使っていただこうと考えています。

 

どうぞみなさん、まんまる笑顔のみんなのおうちをご活用くださいねニコニコ

 

ではまた!

 

 

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fusaeホームページhttp://fusae.jp/


まんまる笑顔のみんなのおうちhttp://moh-moh.jimdo.com/

 

地域コミュニティカフェ・カヌクhttp://ouchi-nikko.blog.jp/

 

”日光の変人”目指してます!http://ameblo.jp/fusae/archive10-201509.html

 

こども食堂をやりたかった訳http://ameblo.jp/fusae/archive8-201510.html

 

日光・こども食堂の原点http://ameblo.jp/fusae/entry-12164356174.html

 

2015年12月24日下野新聞掲載記事 子どもに温かい食事と居場所を 日光・今市http://www.shimotsuke.co.jp/category/life/welfare/medical/news/20151224/2183171

 

2016年5月21日東京新聞掲載記事 食で支える地域の「和」「訪れる人ほっとできる場所に」http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201605/CK2016052102000175.html

 

自治会単位(主催)での子ども食堂開催を提案します!

http://ameblo.jp/fusae/entry-12203717364.html

 

11日間駆け抜けた貧困T家族支援(全11回シリーズ)

http://ameblo.jp/fusae/entry-12240308809.html