2017年8月26日

星野源ライブツアー2017Continues

名古屋日本ガイシホールにて本公演の千秋楽を迎えた。(追加公演は9/9.10)


イエローパス先行で落選、

オフィシャルホームページ先行でも落選、

アミュモバ先行、ローチケ先行でももちろん落選。

執念で挑んだ一般販売にて

やっとの思いでゲットした立ち見席のチケット。

その後リセールや注釈付き当日券の争奪戦にも見事破れ、私にとってのツアー初日は本公演千秋楽であった。とうとう待ちに待ったこの日がやってきた。


会場に入ってみると、天井に近いものの、前を遮るものは何もなく、ステージ全体・会場全体を見下ろすことができた。

事前に用意した双眼鏡(野鳥の会仕様と笑われるほどのサイズ)を使えば、表情までしっかりと見えるし、センターステージはほぼ正面の位置になった。


意外といいじゃん、立ち見席。

右隣の女の子は元々知り合いで、

左隣の方とは子育て中と言うことで意気投合し、

すぐに仲良くなれた。


今回のツアーテーマ Continues

シングル「恋」のカップリングになっている曲。


《命は続く 日々のゲームは続く

君が燃やす想いは 次の何かを照らすんだ

命は続く 日々のゲームは続く

足元の 地平線の向こうへ》


星野源が敬愛する細野晴臣氏に「未来をよろしく」と音楽を託され、胸が熱くなったことから着想した曲だという。


細野晴臣氏がマーティンデニーに影響を受け、

星野源が細野晴臣に影響を受け、

そして今新たなミュージシャンが星野源から影響を受けて、

そうやって音楽は続いていくのだという強いメッセージ性のあるライブだった。



私は、星野源という人の音楽に触れるまで

10年以上音楽から遠ざかっていた。

激務の仕事や子育てに追われる中で、

若者がCDを買わない時代になり、

音楽番組はアイドルに席巻され、

ポップシーンの音楽は10代の若者のもので、

ライブなんて自分からは遠い世界のもので、

カラオケに行っても昔の歌しか歌えないことが、なんだかダメなことのような、ダサいことのような気がしていた。


しかし、星野源がラジオ・オールナイトニッポンでかける曲は、決して新曲ばかりではない。

細野晴臣氏のアルバムの曲や、今はもう解散してしまったバンドの曲でも、いいと思うものはラジオで流す。

「音楽に古いも新しいもない!良いものは良い!」

そう言ってもらえているように感じた。


励まされたような気がして、新しい音楽も聞いてみようという気になった。

そして、CalvinHarrisBrunoMarsのニューアルバムを買ってみたり、D'Angeloの昔のアルバムを手にしてみたりもした。


星野源の音楽に出会って、年齢や立場や色々なわだかまりを超えていけるのが音楽の力なのだと実感した。



ライブツアーContinuesの世界観は、まさにその思いを私の中でしっかりと裏付けてくれるものだった。


《これ以降セトリのネタバレあります》


実は、若い頃はクラブミュージックが好きで、

音楽はクラブでお酒飲みつつ踊りながら体感するものだと思っていた。だから妊娠してからはかなり遠ざかってたのだ。


ライブ映像の中で一番好きな【WeekEnd】が始まると、流れる汗も気にせず、ただ音に酔いしれて踊り狂った。こんな感覚は、10年以上ぶりだった。

みんなで同じ振り付けで踊る恋ダンスも踊れた時の達成感があって楽しいけれど、

私はオーディエンスがめちゃくちゃに踊るこの曲がまさにクラブってぽくて大好きだ。

音楽が、演者から提供されるだけのものではなく、オーディエンスそれぞれの中から湧き出ている感じがする。盆踊りや阿波踊りに近い、共に踊ったもの同士しか分かち合えないソウルが会場いっぱいに溢れた気がした。

曲が終わると、思わず「最高ー!」と叫んでしまった。

人が社会の中で生きていく以上みんなそれぞれ、人から見られた自分のイメージというものを意識していて、「その人らしさ」を演じてるところがあると思う。日本人は、ややその傾向が強いのではないだろうか。

星野源は特に、「らしさ」のイメージを押し付けられやすい役者という職業もあり、しかし、そのイメージに添いながら、自分の「好き」の世界観を表現するのが上手い人だなと思う。

一方で、「踊り」というものは、その人らしさを壊す作用もあると思う。

特に、WeekEndのような曲に合わせてそれぞれが思いも思いに踊る風景は、そこにいる人々が自分の殻を破っていく様を共有しているような感覚があって、圧巻だった。



ダブルアンコールの曲のFriendshipのアウトロは、星野源自らがギターを演奏。


どの会場でも、アウトロでギターをかき鳴らす姿がかっこいいと噂になっていたが、


私は初めて生で体感したので、他のライブ現場との比較は正直分からない。


ただ、1つ言えることは、

鳥肌が止まらなかった。


隣の女の子は、泣いていた。


ライブが終わってしまう切なさもあるだろうが、それ以上の何かを感じた。


これまで私が抱いてきた星野源のイメージなんて、正直どうでも良いと思えた。


あんな風にソウルフルに、官能的に、

開放的にギターをかき鳴らす姿を見られて、

幸せだったし、その熱い血潮のほとばしりを体感できて、

鳥肌が止まらなかったし、

本当に本当に光栄だと思った。





ライブ終わりに、余韻に浸りながら会場の近くで夫が迎えにきてくれるのを待っていたら、不意に母の声に似た人が通りかかり、一気に5月に他界した母に思いを馳せた。


5月ー母の葬儀と初七日が終わり、帰りの新幹線のなかで「命の車窓から」を読んだ。


「人間」という章の鶴瓶さんの言葉。


「人間は死んでも終わりじゃないんです。」

「残されたものが、その人を語り、バトンを繋いでいきますから。だから人間は死んでも終わりじゃない」



母は生前、たくさんの友人が居て、

葬儀には500名もの弔問客が来てくださった。

多くの人が、亡き後も母のことを語ってくれるよう、母の残したたくさんの服や鞄などの遺品は母の友人に全て配った。

初盆にもたくさんの友人が訪れ、涙を流してくれ、友人の方々が、母の服や鞄を身につけて出かけ、出先で母の知り合いと思い出話をしながら、遺品を撫でて話しかけてもらっていると伺った。


私は母から命のバトンを受け取り、子供達に繋ぐことができたけれど、母はそれだけでなく、多くの人に何かを残した人だったのだと改めて感じた。


まさに、Continues だと感じた。


人生いつ終わるか分からないから、

好きなことをしたい、と思って生きてきた。

だけど、母の生き様に触れて、人生いつ終わるか分からないからこそ、人に尽くす、人を想うことが、生きた証になるのではないか、と思うようになった。


ライブを終えて、私の勝手な思いだけれど、母の魂までもが慰められた気がしたのだった。


源さん、素晴らしいライブでした。

ありがとうございました。