NOTRE MUSIQUE

Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.


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Roy Hargroves Roy Hargrovesは1990年にウイントン・マルサリスが発掘したトランペッター。
ウイントンに見出されたとはいえジャズの伝統にしがみ付くタイプではなく、もともとP-Funk直系のブラックなサウンド志向が強く、ディアンジェロやエリカ・バドゥらのアルバムにも多数参加し、1990年代のニューソウルブームにも一役買っており、ブラックコンテンポラリーとコンテンポラリー・ジャズを縦断する今最も旬なジャズマンといえる。最近では、ハービー・ハンコックやマイケル・ブレッカーら大御所の"Directions in Music"にも参加し、見事帝王マイルス役をこなしていたのが印象深い。
そのRoy Hargrovesが今回、The RH FactorというHipHop/New Soul/Jazzプロジェクト名義の"Distractions"という作品(写真右)と"Nothing Serious"というタイトルのストレートアヘッドなソロ名義のアコースティック作品(写真左)をVerveより2枚同時リリース。
まずRH Factorとしては1年半ぶり2作目の作品で(未発表曲集を合わせると3作目)、今回も彼はトランペットだけでなくボーカル、キーボード、ソングライティング、プロデュースとトータルプロデュースを行っている。そして今回も注目すべきは依然沈黙を守り通しているディアンジェロが作曲とボーカルで1曲参加している点だろう。1枚目のアルバムではトランペットをメインにしたFusion/HipHopサウンドということで、所詮はマイルスの遺作"Doo-Bop"からの呪縛から逃れられないのかと思わせるトーンでもあったが、今回のアルバムに至っては、その影響下から完全に抜け出し、ただのFusionではなくブラックミュージックに対するクールな批評性とオリジナリティを獲得している。今回の90年代のニューソウルの黒さと濃さが染み付いた極上の極黒サウンドは、収録時間がわずか40分超という今時のHipHopアルバムにはあるまじき短さではあるが、十分に満足させうる内容である。ボーカルをかなりふんだんにフィーチャリングしながらもトランペットが主役で時々入るキーボードの躁鬱的なサウンドは70年代マイルスの混沌と魔術的なカオスを彷彿させ、ストレートなファンクナンバーのボトムの効いたビート感はそのままP-Funkを連想させるが、そこにはコカインの匂いはなく、独自のブラックネスを追求する姿勢と批評性を加味することでオリジナリティを確立している。比較的音数の多い計算され尽された完成度の高いストラクティブなバックトラックと、そんな限界性の中の比較的アブストラクトで自由なソロとの対比と構成には目を見張るものがある。
もう1枚のジャズアルバムはRH FactoryとはうってかわってクインテットによるストレートなHard Bopアルバム。ストレートアヘッドなジャズはなんと10年ぶりではあるが、ジャズ作品はこれまでに10枚リリースしているらしい。結果的にはRH Factoryをはじめとするソウル系の活動で成功しまったため、その成功と名声によって久々にリリースできた個人趣味的傾向が強い作品を想像しがちだが、これがかなり正統派で粋なジャズ魂を感じさせる内容となっている。RH Factoryとの差別化という意味もあってか、黒さというより軽さを重視したサウンドでラテン系リズムを取り入れたアップテンポの曲が目立つ。一般的にはRH Factoryの成功でソウルマンとしての認知のほうが高いようだが、見事にジャズマン、トランペット奏者としての面目如実というところだろう。個人的にはRH Factoryよりもこちらのほうが爽快で聴く頻度は高い。
この異なる2種類のサウンドはどちらも適度に洗練されていて、適度に勢いがあって、どちらもカラーがハッキリしていて非常にわかりやすいという点が共通している。ジャズを聴いてみたいけどジャズガイドに頼るのもダサいしなにを買っていいのかわからない、という方や、Stevie WonderやJames Brownは知っているけど、コンテンポラリーなブラック・ミュージックには疎いという方、ディアンジェロの新譜に待ちくたびれたソウルファンのニーズには応えるほどの懐の大きさがあるであろう。彼のコンセプチャルな音楽観のストレートな具現化はそのまま最新型ジャズの象徴といえるだろう。
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昨年末の"終了の御挨拶"にはBlog上、実生活上問わず多くの暖かいコメントをいただき、ありがとうございました。 特に同じAmebloで音楽Blogを書いている方や音楽を志されている方からのコメントが多く、感無量でございます。


そこで自分で言うのも甚だ恐縮ではありますが、カーテンコールまたはアンコールとして約10日ぶりにひとつ記事を書かせて頂きます。以前、"Rambling Shoes "のコージさまからいただいていた"音楽・温水(ヌクミズ)バトン"(あなたの琴線に触れた、「暖かくて泣ける曲」)について、書くのを終了前の名盤詰め込みですっかり失念していたことを思い出しました。(コージさま、大変失礼いたしました) 
このバトンにお受けするかたちでカーテンコールとアンコールに代えさせていただきたいと思います。
勝手ながらずっと本Blogのスキンに使用させて頂いている帝王マイルス・デイビスの作品から、1961年のアルバム"Someday My Prince Will Come"のタイトル曲を。

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Miles Davis - Someday My Prince Will Come

Someday My Prince Will Come メンバーは Miles Davis(tp),John Coltrane(ts),Wynton Kelly(p),Paul Chambers(b),Jimmy Cobb(ds)というカルテット。アルバムの中にはハンク・モブレーがテナーを吹いている曲もあるが、この曲は一度抜けたコルトレーンが一時的に復帰しており、マイルスバンドにおけるコルトレーンの最後の演奏が聴ける曲でもある。
ご存知のとおり、曲自体はJazzスタンダードの中でも特に知名度が高く、多くの人から愛されている"いつか王子様が"である。マイルスは他の有名なスタンダードを取り上げる際にも大体そうだが、オリジナルのメロディーをなるべく壊さずにシンプルなアレンジで曲の良さを活かそうとする。ポール・チェンバースのF音のベースにはじまり、ウイントン・ケリーのチャーミングな天使のようなピアノに導かれて、マイルスがミュートでテーマを吹く。そしてこの曲のためにわざわざ連れ戻されたというコルトレーンがいつになく優しく力強いソロを吹いている。このアルバムのリリースされた1961年はマイルスバンドではコルトレーンの後を継いだソニー・スティットが抜け、ハンク・モブレーが入ったばかりで、その後のBlackhawkでのライブに向かう過渡期であり、オーネット・コールマンがニューヨークに現れて大騒ぎになった年でもある。
マイルスは常にJazz史を引っ張るような革新的なサウンドをクリエイトし、バンド内ではリーダーとして常にメンバーに恐怖に似た緊張感を与えることでメンバーから本人も気づいていないようなサウンドと才能を引っ張り出してきた。本曲はそんな強面で常に突っ張って生きてきたマイルスが生涯残した曲の中で唯一といえるほど、リラックスしたトーンによるロマンティシズム溢れた演奏が聴ける。そしてどんなにリラックスし感傷的になりながらも決して芯に秘めたクールさを感じさせるのがマイルスが帝王であったことの所以でもある。
"Kind Of Blue"も"Bitches Brew"も"アガパン"もマイルスやJazz史を語る上では欠かせない作品ではあるが、マイルスがサウンドクリエイターとしてではなく、ひとりのトランペット奏者として本来のJazzの持っていた温かみを感じさせてくれるという意味では、この曲も決して外せない。普段笑わない人が稀に見せる微笑みや優しさが特別な印象を抱かせるのと同様に、いつもクールさを崩さなかったマイルスの優しさの詰まったこの演奏は他にはない格別の響きを持っている。
なお、アルバムのジャケットの女性は当時のマイルスの愛妻フランシス。当時、黒人女性をアルバムジャケットに起用するのは非常に珍しかったらしいが、マイルスはフランシスにとって自分がまさに"Prince(王子さま)"だからという理由で起用したらしい。真偽のほどは不明だがいかにもマイルスらしい心温まる(?)エピソードのひとつである。

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本来バトンでは3曲選ぶようなので、あと2曲は簡単に。

■ Lamont Dozier - Why Can't We Be Lovers


モータウンの作曲家チームであったHolland-Dozier-Hollandの3人のうちの一人であるLamont Dozierのアルバム"Love And Beauty"収録の代表曲。
とにかく典型的なノーザンソウルのバラードで、メロディ・歌詞・アレンジともに完璧な1曲。タイトルどおり決してハッピーな曲ではないがイントロのド演歌調のサックスに始まり、とにかく泣かせどころが多い。音楽についてはなにかと薀蓄を並べてしまう傾向にある私だが、こういうストレートな曲は心の弱い部分にハマってしまって抜けないことも多い。
この曲をカバーしたWorkShyのヴァージョンも捨てがたいが、やはりこのオリジナルのヴァージョンのほうをお勧めしたい。

■ The Beatles - Across The Universe

このBlogでは結局、ラストではじめて取り上げたビートルズだが、当然13枚のオリジナルアルバムはどれも思い入れが強い。
この曲はビートルズといってもほとんどジョン・レノンひとりによる曲である。「Words are flying out like endless rain into a paper cup. / They slither while they pass They slip away across the universe. / Pools of sorrow、waves of joy are drifting thorough my open mind」(言葉は、止まない雨がペーパーカップの中へ降り注ぐように、飛び散っては消える / それは滑り且つ過ぎ大宇宙を遙かに越えて何処かに滑っては消える / 悲しみはプールとなり、歓びは波となり、私の真実の心を漂っている)というジョンらしい知的な歌詞表現が底抜けに優しいアコースティックギターの弾き語りであの切ない声で歌われる。そしてサビの"Nothing's gonna change my world"に込められた彼の強い意志は、後のソロ活動にはない穏やかさに包まれている。ぜひ機会があったら歌詞の全文をお読み頂きたい。
この曲はアルバム"Let It Be"に収録、どちらかというと小曲ゆえあまり語られることがない曲だが、個人的にはビートルズの中ではベスト5に入るほど好きな曲である。

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以上3曲を個人的に暖かくて泣ける温水曲として選ばせて頂きました。
だいぶ期間が空いてしまったのでバトンを回すのは控えさせていただきます。書かれたい方いらっしゃいましたら、ご自由にお持ち下さいませ。因みにコージさまの選ばれたフィートの"Willin'"も私の琴線にも触れっぱなしの大好きな曲です。

それでは今度こそ長い休暇に入らせていただきます。

約10ヶ月と短い期間ではありましたが、本当に有難うございました。
またどこかでお逢いしましょう。


2006/01/11 AM5:30  T.Fukui

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Blossom Dearie最近になって再発になったブロッサム・ディアリーの70年代の隠れた名盤。
ブロッサム・ディアリーは1926年4月28日NY州イースト・ダーハム生まれ。10代後半よりジャズを歌い始め40年代中期はウディ・ハーマン楽団やアルヴィノ・レイ楽団のコーラス・グループで活躍。52年にはフランスに渡り、アニー・ロスと共に"The Blue Stars"というコーラスグループを結成し、"バードランドの子守歌"などのヒットを生んだ。56年にノーマン・グランツの誘いで一時帰米、ソロのジャズボーカリストとしてVerveに6枚のアルバムを録音し、その後はアメリカとヨーロッパの両方で行うようになる。73年にはN.Y.で自主レーベルとしてダフォディル・レーベルを設立しその意欲的な音楽活動は充実していく。近年ではジャズボーカルという枠を超えて、"カフェ・ア・プレミディ"からベスト盤が出たりして、ポスト渋谷系ともいうべきカフェ世代層からも多くの支持を集めた。またそのキュートでコケティッシュな歌声はソフト・ロックやネオアコ系のファンからも絶大なリスペクトを集めている。
本作はダフォディル・レーベルでの4作目にあたる作品で、彼女の歌声とピアノのみというシンプルな構成。彼女はピアノを弾きながら、キュートな歌声で一音一音気持ちを込めて丁寧に紡いでいく。特に"Touch the Hand of Love"は思わず溜息が漏れる素晴らしさである。
モダンジャズ創生期から活躍してきたベテランシンガーではあるが、ジャズボーカルというとサラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドのような、声量のある力強いヴォーカルが主流であったが、ブロッサムはアニタ・オデイなどと同タイプで声量もなく、歌唱力という点でも決して上手いとはいえない。しかしキュートでありファニーでありコケティッシュである彼女の歌声は、ジャズという狭い範囲で語ることができないほど多角的な魅力に溢れ、ジャズファンだけに限らず多くの音楽ファンを虜にした。既に50年と言うキャリアを持ち、相応の年齢を重ねているが、その若々しく瑞々しい元祖ウィスパー・ヴォイスともいえる囁くような繊細な歌声は衰えを知らない。彼女のどこまでも優しい歌声は、天使の魔法のように一年の過ちや悔いをすべて赦し、昇華させてくれる。
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Live Evilマイルス・デイビスの1970年のアルバム。
スタイオ録音の4曲とワシントンDCのセラードアでのライブ4曲がほぼ交互に収録されたアルバム。タイトルはLiveとその綴りをそのまま反対にしたEvil(つまりライブの対局であるスタジオ)を表している。因みに本作には"Davis"を反対にした"Sivad"と"Miles"を反対にした"Selim"という曲も収録されている。"Sivad"は破壊と再生の神"Siva"にも掛けられているそうだ。過去には"Miles Smiles"や"Milestone"などもあり、マイルスは"Call It Anything"や"What I Say"などいい加減なタイトルを付ける一方で、意外とこういう言葉遊びも好きなのだろう。
本作のプロデュースもこの時代のマイルス・サウンドに欠かせないテオ・マセロで、構成的には曲数はスタジオとライブと半々になるように配置されてはいるが、実際にはライブの演奏時間のほうが遥かに長く、スタジオ録音はライブの付けたし的な内容で、やはりメインはライブ録音のものに尽きるが、テオ・マセロの手腕でその境は極めて曖昧で、ライブとスタジオという決定的な録音環境の違いがありながら、アルバム全体を覆う雰囲気やトータル的な完成度は信じ難いほど高い。
メンバーはスタジオ録音含めると Miles Davis(tp),Gary Bartz(as,ss),Steve Grossman(ss),Wayne Shorter(ts),Keith Jarrett(p,elp),Chick Corea(key),Herbie Hancock(key),Joe Zawinul(key),Hermeto Pascoal(elp),John McLaughlin(g),Michael Henderson(b) ,Dave Holland(b),Ron Carter(b),Jack Dejohnette(ds),Billy Cobham(ds),Arito Moreira(per)とこの頃のマイルスのアルバムには決して珍しくないが、豪華絢爛なメンバーが参加。この時期のマイルスの音楽に関わったアーティストがほぼ揃っているが、特筆すべきはハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ジョー・ザビィヌルというこの時代を代表するキーボーディストが勢揃いしている点と、ブラジル音楽の鬼才エルメート・パスコアールの参加である。パスコアールはあらゆる楽器を操るマルチアーティストであるが、ここではエレクトリック・ピアノを披露、この頃のマイルスがジャズ以外のロック、ワールドミュージック、現代音楽などの音楽の吸収に貪欲で様々な音楽的実験をしていた故の参加要請(おそらくアイアート絡みの人脈)だと思われるが、1曲のみの参加で、パスコアールの特異な摩訶不思議なサウンドとマイルスの共演がこの1曲のみというのは非常に残念なところでもある。
ライブのメンバーはというと、Miles Davis(tp),Gary Bartz(as,ss),Keith Jarrett(p,elp),John McLaughlin(g),Michael Henderson(b) ,Jack Dejohnette(ds)という布陣で、ここでの主役はマイルスに人生で共演した中で最高のピアニストと言わしめたキース・ジャレットである。アコースティックピアノしか弾かないキースの人生で唯一エレクトリック・ピアノを弾いたのがこのマイルスのバンドであって、その神業ともいえる凄まじいプレイは全編に渡ってサウンドをコントロールし、狂喜乱舞するディジョネットとマイケル・ヘンダーソンのタイトなビートを混沌へと導く。このキースのプレイによってマイルス御大含めた他のメンバーが今までになかったほどの充実したプレイを弾き出している。特に"What I Say"でのグルーヴ感と狂ったような音圧、ラストの"Innamorata And Narration"でのマイルス、マクラフリン、キースのソロの凄まじさに加え、この中ではサックスというフロントマンでありながら一番目立たないゲイリー・バーツも冴えたソロはこのアルバムのハイライトともいえる充実した演奏。本作は、マイルスのライブアルバムの中では"Four and More""At Fillmore""Agharta""We Want Miles"に並び、聴き手にそれ相応の覚悟と肉体的な余裕を必要とする。また、それぞれのメンバーの演奏が素晴らしいのは言うまでもないが、テオ・マセロにより、各々の曲がその美味しいソロを最上の形で聴くことができるように考えつくされた編集がされており、グルーヴィーなファンクミュージックのストラクティブな要素とキース他の浮遊する抽象的なフレーズによるアブストラクトな要素との付かず離れずの対比も素晴らしい。名作の多い70年代エレクトリック・マイルスのアルバムの中でも特にテオという存在がなかったら成立しなかったアルバムだといえる。
なお、このアルバムのライブ部分であるセラードアでの1970年12月16~19日の4日間に渡るライブの完全版である"Cellar Door Sessions 1970"(つまりテオ・マセロのメスの入っていない生の状態)がリリースされる。(予定では月内に日本盤リリース) "Live Evil"ではテオによって編集されてしまった"What I Say"のコンプリートテイクやマクラフリン抜きのキースの独断場ともいえるステージは興味深いものであるが、これまでのBOXセット同様にテオ・マセロの存在の大きさを知るだけとなってしまう気もする。アルバムとしてではなく、ひとつの歴史的な記録として、そして全体像ではなくあくまで部分的な個々のメンバーのプレイに焦点を当てて聴くのが正解なのだろう。
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Pat Methenyパット・メセニーの1995年のアルバム。
実質的には今やジャズシーンを代表するギタリストであるメセニーの率いるPat Metheny Group(以下、PMG)で、今やこのPMGもジャズシーンを支えるグループに成長した。本作そんな彼らのその後のサウンドの方向性を決める上で転機となった名作である。
パット・メセニーは1954年8月12日、ミズーリ生まれ。音楽環境に恵まれた家庭に育ち、幼少の頃から音楽的な才能を発揮し、10歳で作曲、12歳からギターをはじめ、オーネット・コールマンやジョン・コルトレーンらのジャズを聴いて過ごしている。その後、マイアミ大学でジャコ・パストリアスとの出会いなどを経て、1974年、弱冠19歳でデヴィッド・フリードマンのグループでデビューを飾り、ポール・ブレイのグループにも参加している。さらにECMのマンフレッド・アイヒァーとの仲介役をつとめることになるゲイリー・バートン・グループに加入、実力を十二分に発揮し、急速に人気とポテンシャルを高めていく。そしてPMGの盟友ライル・メイズとの出会いの2年後、1977年、様々なバンドでサイドマンとして活躍したメセニーは、自分の音楽を表現すべくPGMを結成する。
その後のPMGの活躍ぶりは周知のとおりで、1979年6月のセカンドアルバム、"American Garage"でニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに凱旋し、さらにこの年のジャコやマイケル・ブレッカーを擁したジョニ・ミッチェルのバンドへの参加で、さらに名声を高め、American Garageはなんと発売2ヶ月で20万枚のセールスを突破、PMGはECMの中でも郡を抜くセールスを記録するようになった。
このアルバムはそんなPMGのデビュー後発表したきたアルバムの中でも、転機となったアルバムで、これまでは悪く言うと人畜無害な典型的なECMサウンドをベースにしたサウンドを構築してきたPMGが、はじめてその幻想的なサウンドの中にフリー感や凶暴性、不整合性といった要素を出してきたアルバムである。これまでの予定調和の美しいサウンドからメセニー自身の過激なインプロヴィゼーションをはじめ、全体として清涼剤のようなサウンドから一転して暗く不穏な雰囲気を醸しだす曲も収録されている。もちろんこれまでのPMGの流れを汲む"Are You Going With Me?"や"James"のようなナンバーもはいっており、決してここでフリー・ジャズに転向したとかオルタナティブなバンドになったというわけではないが、その後のメセニー自身のオーネット・コールマンとの共演にも繋がる伏線でもあった。また、本作のヒットにより、ジャズに限らず様々な音楽でこのメセニーの作り出るサウンドを模倣したサウンドが目立つようになってきたのもこの頃からである。
この後、メセニーはその美しいサウンドの裏にある凶暴性は完全にPMGとは切り離し、オーネット・コールマンと共演した"Song X"やひたすらディストーションのかかったギターを狂ったように弾きまくる"Zero Tolerance For Silence"などのソロ活動で発散させていくようになり、PMGはその清涼感をさらにパワーアップさせ、オーガナイズされたアメリカンミュージックやブラジルへの情景などを取り入れ、ワールドワイドなサウンドを展開させていく。
ちなみにこのアルバムはその裏に隠されたサウンドの狂喜とは対照的な"愛のカフェオーレ"という邦題がついていた。
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Albert Alyerアルバート・アイラーの1968年のアルバム。
オーネット・コールマン、セシル・テイラーと並んでいわゆるフリージャズの代名詞とも言うべきアイラーの残した傑作アルバムで、インパルスに移籍後第2作目にあたる。
アルバート・アイラーは1936年生まれ、幼少の頃最初に覚えたのはアルト・サックスであったが成人するとテナーに持ち替え、軍隊のためのマーチやゴスペル、ソウル、そしてニューオーリンズのジャズと多岐に渡る音楽を演奏するようになる。1961年にヨーロッパで陸軍を除隊したアイラーは、そのままヨーロッパに留まって活動を開始したためジャズ・ミュージシャンとしてアメリカ本国で認知されるまでに時間がかかってしまうが、彼の分裂症のような音楽性は混沌への一途を辿るが、それが彼自身のスタイルとして次第に確立されていく。ジャズのメジャーレーベルであるインパルスに移籍した後も、彼の音楽性は更に混沌を極め、セールス的な成功と、自らの進むべく音楽性とのギャップに悩むと同時に奇行も目立ってくる。
本作ではアイラーがインパルスのボブ・シールによってその音楽性を湾曲させられて、それが結果としてアイラーの混沌とした音楽性とシールの巧妙な戦略とが微妙に一致し、彼の数多いアルバムの中でもより珍盤として目立つ存在になった。アイラー自身の「ハレホレヒレハレ」という訳の分からないボーカルに始まり、フリーな演奏というよりも即興部分を極力減らして、テーマ部分を多くしたソウル色の強い作品となっている。いわゆるフリージャズとしてのアイラーの演奏こそ、ESP時代の諸作には及ばないが、アイラーの混沌とした音楽性の中の一部を巧妙に抽出し、ある種の秩序を持たせたシールのプロデュースは見事だったといえるだろう。
フリー・ジャズというと、ハードバップ~モードと即興演奏をとにかく自由度の高いものにと流れてきたジャズのメインストームの中で、その後に出てくる究極の自由なスタイルと思われがちであるが、かのオーネット・コールマンの"ジャズの来たるもの"はマイルスの"Kind Of Blue"と同じ1959年のリリース。つまり実質的にモードとフリージャズというのは同時に始まったことになるが、マイルスやコルトレーンの推し進めたモードと違って、フリージャズは音楽的に決まったフォーマットや理論が統一されていない。コールマンもセシル・テイラーもこのアイラーもフリージャズとカテゴライズされるが音楽的に似通っている部分はほとんどない。つまりフリー・ジャズとはジャズのスタイルではなくインプロヴィゼーションに対する取り組み方の自由さでしかなく、精神論的なものでしかない。
このアルバート・アイラーは生涯を通して、自己の音楽にその自由さを持ち続けた。このアルバムはボブ・シールというプロデューサーによってイニシアティブを握られてはいるが、彼の音楽の自由度は何も変わっていない。逆にシールによって決められたフォーマットの中での彼の咆哮はいつも以上に過激に破壊的に聴こえる。アイラーは自己の持てる音楽性をフリー・ジャズとして表現してしまったが、このアルバムをひたすら聴きこむと彼の音楽の本質は実は伝統的なアメリカン・ミュージックであったことに気づかされる。歪んだクレイジーなフレースの奥からは純粋無垢で力強い音が聴こえてくる。
その後、アルバート・アイラーは1970年、ニューヨークのイーストリバーで水死体となって発見される。享年34歳、彼の死因はいまだにわかっていない。
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Charlie Parkerチャーリー・パーカーの1949録音のアルバム。
バードことジャズの巨人、チャーリー・パーカーのオーケストラとの共演アルバムで、クリフォード・ブラウンをはじめ他のアーティストも同じスタイルで録音している"with strings"シリーズの走りともいえる名盤。
チャーリー・パーカーは1920年、アメリカのカンザス州生まれ。1933年に学校のスクールバンドでアルト・サックスを吹き始めたのをキッカケに彼の音楽人生は始まる。高校に通いながらもプロのサックス奏者としての仕事をこなし、その後カンザスでjay McShanらのバンドを中心に活動し、着々と自己の研磨に励んでいた。そして1945年、パーカーは初めての自己のグループを率いてジャズ・シーンの中心に登場してくる。そのとき若冠24歳のパーカーはすでにビバップのアルト・プレイヤーの中でも突出した実力を持っており、後にビバップの模範となるべくスリリングなフレーズとカンザス時代に演奏した様々なブルースのフレーズが彼の音楽性の大きなバックボーンとなってパーカーのプレイを輝かせている。高速フレーズのスリル、書いた曲のオリジナリティ、モダナイズされたフレーズ、洗練されたブルース・フィーリングと、パーカーはその天才的なひらめきで、ディジー・ガレスピーらとビバップを創造し、当時のジャズシーンのトップを走り抜けた。
このアルバムはそんなパーカーの音楽性に陰りが見え始めた1949年の録音。一般的にパーカーの最盛期は1945年のから1948年と言われており、その後は麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、何度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った。この"with Strings"ものはなにかと当時からジャズファンから敬遠される存在で、もともとが「ソリストとして活躍する有名アーティストのバックを豪華なオーケストラでやれば売れるだろう」という音楽性よりもレコード会社の短絡的かつ商業的な理由で企画されているため無理もないが、単なるムード音楽で終ってしまう可能性が強く、アーティスト側にとってもこの企画に挑むのはある種の冒険でもあった。このパーカーのアルバムも選曲されたのはスタンダードばかりで、甘い弦楽演奏の上でパーカーがかなり原曲に忠実に吹き上げるというものだが、ここでのパーカーの演奏は決してただのイージーリスニング的なムード音楽に終始してはいない。どんなに周りで甘い演奏を繰り広げたところで、当のパーカーのサックス自体には全盛期のクールでタフな輝きが存在している上に、弦楽器をバックに従えることである種のエレガントさをも感じさせてくれる。ここにはビバップの神と称えられるような神業のごとき難しいフレーズを易々と吹くパーカーは存在しないが、この極上の演奏を聴いていると彼の音楽的な魅力は決して高度な演奏技術だけでなく、精神的にもサウンド的にも深い音楽性があることに気づかされる。
その後のパーカーは次第に麻薬により身体を蝕まれ、健全な精神を破壊され、最期は衰弱により35歳という若さで心不全で亡くなった。35年という短い人生で4回の結婚、5人の子供を設けるという太く短い壮絶な生き様は映画化もされた。このアルバムでの神々しいサックスの音色とやわやかく愛情の込められた彼の演奏は、彼の人生最後の輝きだったともいえる。パーカーがビッグバンドによるスゥイングジャズの全盛時代から、カルテットやクインテットを中心とした少人数形態で、プレイヤーのアドリブを重視したビバップを生み出したという歴史的な事実はジャズ史の中でも最大といっても過言ではないほどの偉業である。そして彼の音楽は、麻薬とアルコールで身を滅ぼしていくという破滅的なライフスタイル含めて後生のジャズメンたちに多大な影響を残した。パーカーの音楽はその後、彼のバンドにいたマイルス・デイビスによって引き継がれ、新しいジャズへと発展していくことになる。
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Gato Barbieri -  El Pamperoガトー・バルビエリの1971年、スイス・モントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブ盤。
ガトー・バルビエルは1972年のベルトリッチの映画"Last Tango in Paris"のサントラを手がけたことで有名なサックス奏者であり、また日本ではかなり人気があったわりに、今となっては二流ミュージシャンとしてしか評価されないジャズミュージシャンのひとりである。
ガトーは1934年にアルゼンチンで生まれる。63年にドン・チェリーと出会い、デビューのキッカケを掴むが、デビュー当初はアルバート・アイラーと入れ替わりに誕生したという歴史的偶然も重なり、フリージャズ的なプレイを得意としていた。彼の音楽的な転機となったのがチャーリー・ヘイデンのLiberation Music Orchestraへの参加で、このバンドの経験によって彼のナショナリズムは触発され、南米アルゼンチン生まれであることを自覚し、ラテンの要素を大胆に取り入れたジャズを演奏するようになった。また70年代に入って組むようになったフライング・ダッチマンのプロデューサーであるボブ・シールとの相性も良く、彼の手によってガトーのその胡散臭い魅力はフルに発揮され、前述のサントラのほかにもガトーらしいアルゼンチン・フォルクローレに根ざしたアルバムを多数発表している。
このライブは1971年に開かれたスイス・モントルー・ジャズ・フェスティバルで‘フライング・ダッチマンの夕べ’と題したデモンストレーションでライブ・レコーディングされたもので、フライングダッチマンでの彼の3作目のアルバムにあたる。メンバーはガトー・バルビエリ (ts)、ロニー・リストン・スミス (p)、チャック・レイニー(elb)、バーナード・パーディー (ds)、ソニー・モーガン(conga)、NA-NA (per berimbau)という編成で、特にパーディとチャック・レイニーという強力でファンキーなリズム隊がガトーの情熱的な演奏に触発され爆発するプレイが素晴らしい。Fusionでも活躍するメンバーをバックに、ガトーのサックスはいつも以上に執拗に荒れ狂っている。南米のタンゴやフォルクローレといったマイナー調の美しいなメロディを、それを強力にプッシュするリズムに乗せ、時にはアイラーのごとくフリーに、時には猥雑でひたすら官能的に歌うスタイルはまさに中毒性のガトー臭が立ち込めた名演となった。
ガトーが残した演奏には歴史に残るような名演は少ないし、長いジャズ史の中で、これといって新しいことをやったわけでもないが、先鋭的でアヴァンギャルドで多彩なプレイは人気は多くの支持を集め、彼のピエソラのタンゴに匹敵する情緒溢れるラテン・サウンドは日本人のDNAに直接的に訴えかけ、ここ日本では異様にガトーの人気は高かった。ジャズミュージシャンとしては一流にはなれなかったが、パッション溢れる熱いプレイと個性的なスタイルは多くの人の魂を強烈に揺さぶり続けた。
その後、私生活や健康上の問題から90年代は半ば引退状態であったが、1997年に復活を果たし現在に至っている。
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Lounge LizardsThe Lounge Lizardsの1981年の1stアルバム。
ラウンジ・リザーズは映画俳優としても有名だったサックスのジョン・ルーリーを中心に、1981年に結成された異色のジャズバンドで、全曲が3~4分程度の短い曲で、その個性的で音響的なサウンドはフェイク・ジャズ・バンドとも呼ばれた。メンバーはジョンの兄であるエヴァン・ルーリー(P)、スティーブ・ピッコロ(ベース) の3人がオリジナルメンバーで、このデビューアルバムでは当時のニューヨークのノイズ音響派アーティストのアート・リンゼイとロック畑のアントン・フィアが加わっている。
サウンド的にはジョン・ルーリーとエヴァン・ルーリー、スティーブ・ピッコロの3人によるジャズやブルース等のオーソドックスなスタイルがラウンジリザーズの原型であり、そこにアントン・フィアとアート・リンゼイが加わりアヴァンギャルドな方向へ導き、 セッションを通じてこのフェイク・ジャズという音楽性が確立されていった。
70年代後期のパンクムーブメントやフリージャズムーヴメントも衰退し、徐々にポスト・フリーの動きは分裂していく中で、ニューヨークではアート・リンゼイをはじめとする先鋭的な一派がパンク・ムーヴメントを取り込んでいく。そういったシーンの激動のなかで、このラウンジリザーズは自らのジャズを極めてシニアトリカルに"フェイクジャズ"と名づけたのである。この兄弟たちはおそらくビバップやバークレー理論などのジャズ的な素養に乏しく、決してテクニックのあるバンドではないが、テクニックがないからこそ持ち続けられた純粋で独特な音楽センスを、リズムのずれたドラムにノイジーなギターというアート・リンゼイらの新しい音楽に触発され吸収しながら質の高いハイブリッドな音楽を作り上げている。
なにかとアートリンゼイのノイジーなギターばかりが話題になったアルバムではあるが、独特の緊張感に支配されながらもバンドとしてのアンサンブルのバランスも絶妙に取れている。アンビエントとジャズという相反する2面性を融合させ、憂鬱でありながらも挑発的という不思議なサウンドであり、個性の強いメンバーが集まり、それぞれが何に縛られるわけでもなく自由に演奏するというラウンジ・リザーズのスタイルは実はフェイクなどではなく本当のジャズバンドの姿だったとも言える。メンバーも流動的でセッションバンド的な活動が中心のバンドだったこのバンドが、このような統一感のあるアルバムを作ることができたのはプロデューサーであるテオ・マセロの功績も大きい。
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Bill Evans & Jim Hallビル・エヴァンスとジム・ホールの1962年録音のデュオ作。
エヴァンスは"Portrait In Jazz"などの一連のリバーサイドでの名盤を生み出した相棒のラファロを交通事故で亡くし、失意の中でトリオという形式から離れあえてギターとピアノのみというシンプルな構成で録音したアルバムである。
今でこそJazzという音楽が即興のアドリブやメンバーの相乗効果によって生み出されるインタープレイを重視した音楽であるという認識は広く一般的になっているが、Jazzにとっての激動の1950年代が明けたばかりの19622年当時はまだビッグバンドの集団による予定調和の世界であったり、機械的なビバップ理論が一般的であり、このアルバムのようなその90%がインタープレイで成立しているような音楽は衝撃的で画期的なものであったようだ。
ピアノトリオというスタンダードなフォーマットで自己の音楽スタイルを確立したエヴァンスが、3者の体等な緊張感でびスタイルから、ラファロの死による精神的な落ち込みを見せる一方で、ピアノとギターという完全に1対1の密度の濃い世界へ挑むのはかなりの危険性があり冒険でもあった。だが、もともとセンシティブな演奏を得意とするエヴァンスと、同じくチャーリークリスチャン直系のゴリゴリの速弾きギタリストが多い中で、独自のボイシングを生み出し、繊細なフレージングを個性的なギタリストであるジム・ホールとは相性も抜群に良く、結果としてはこのデュオによる企画はこの新たな名作を生み出した。
ギターとピアノはどちらもコード楽器で、デュオで演奏されることはそれほど多くない。ここでの二人の演奏は、どちらもコード楽器であることを前提に、あえてコードを最小限に絞っている。シングルトーンの応酬によるインタープレイは、スリリングとリリシズムの両方を兼ね備えたまさに二人だけの濃密な音楽である。特に人気のスタンダードバラードである"My Funny Valentine"の高速にアレンジされた熱い緊張感が張り詰めながらも、原曲の持つ繊細でロマンティシズム溢れる雰囲気を壊さない彼らのインタープレイはJazz史に残る名演といえる。
このアルバムによってインタープレイという手法が定着し、それ以前のトリオのアルバムにおいても実践されていた即興によるインタープレイが再評価されるようになった。ジャケットのデザイン含めてエヴァンスとジム・ホールの邂逅による深くて濃い音楽は他者を寄せ付けないほど崇高なものであり、いわゆるリラックスさせるムードジャズとは対極に位置している。このアルバムでの2人のプレイはその後現在に至るまで多くの音楽に大きな影響と衝撃を与え続けている。
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