NOTRE MUSIQUE

Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.


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Beatlesビートルズの1969年のアルバム。
発売日はその後1970年リリースの"Let It Be"のほうが後になるが (因みに"Let It Be"はそれ以前に録音されたものをフィル・スペクターがビートルズ抜きで完成させたものであり、近年フィル・スペクターのメスの入っていないオリジナルのテイクが"Let It Be Naled"というかたちでリリースされ賛否両論を呼んだ。)、実際に録音したのはこちらのほうが後で、実質的にビートルズのラストアルバムである。ホワイトアルバムと呼ばれるビートルズのオリジナルアルバム唯一の2枚組大作"The Beatles"以降4人それぞれの音楽に対する方向性の相違が広がり、それぞれのメンバーが書いてきた曲を書いたメンバー主導で他の3人が適当にバックをつけるという方法が定着する。映画"Let It Be"を見るとそのあたりのアレンジや演奏が実に適当にやられているのが明白で、ファンにはただ辛辣なだけの映像であった。ビートルズというバンドの持つサウンドが多様化していくといえば聞こえは良いが、要はバンドとしてのまとまりに欠けてきただけであった。最悪と酷評され空中分解してしまったアルバム"Let It Be"の前身であるGet Back Sessionsの頃には、解散は時間の問題という認識が各自にもあり、ヨーコ・オノという新しいパートナーを見つけたジョン・レノンをはじめ、ソロ活動を始めておりこのアルバムはそうした決定的なものとなった解散を前提として作られた節があり、それぞれが曲を書いて持ち寄るというスタイルこそ変わらないが、ビートルズが最後に再びビートルズであることを自覚的に作ったアルバムである。
本作に収録された各曲は初期の作品のように短い曲がほとんどで、それをバランス良く並べらた全体の構成はサージェント・ペパーズに並ぶ出来と言ってよいだろう。ビートルズの持つキラキラしたポップなメロディー、シンプルながらダイナミックな演奏、実験的なアイデア性が見事にひとつのバンドサウンドとして結実している。"I Want You"や"Oh Darling"に込められたジョン・レノンのビートルズを拒否しようとする姿勢と、あくまでビートルズに拘ろうとするLP時代のB面にあたるポール・マッカートニーによる神業のようなメドレーは相反するものでありながら、これまでのようなバラバラ感はなく奇跡のような緊張感とひとつのバンドのひとつのアルバムとしてのまとまりがある。このポールのメドレーは歌詞もメロディーもミニマムな作り方がされており、美しいメロディーがたたみかけるよう繰り広げられるこのアルバムのハイライトであり、おそらくその後のソロ活動含めてポールの書いた曲の中でもこれがベストであろう。
あの時期のメンバーの心理状態の中で、これほどのアルバムを作ってしまう実力があったというのがまさにビートルズがビートルズとして今でも絶対的な支持を集める所以である。映画"Let It Be"でもスタジオのリハーサル・シーンではやる気の欠片もなく、いい加減に演奏したり、口論したりと他人事ながら心配してしまうが、Rooftop Sessionsと呼ばれたアップル社屋上でのライブシーンになると、一転してクールな演奏をきめる。これはまさにあの4人だからこそできたものであり、このサウンドの完成度の謎は今や誰もわからない。このアルバムでも、当時メンバーの中でも特に孤立していたポールの曲であるB面のメドレーなどはどういう過程を踏んで作られたのか完全な謎である。
ビートルズは言うまでもなく20世紀を代表するバンドであり、言ってしまえばすべてを完璧にこなせる優等生のような完璧なバンドであったが、それをジョンの自嘲精神とポールの遊び心で、あえてどこか一部で手を抜くというか、意識的にはずすあえて完璧なものを排除する傾向があった。どのアルバムにも必ずどこかにその茶化し精神のある遊びを入れていたが、その唯一の例外であり彼らが本気で全力を出し切ったのがサージェント・ペパーズである。バンドとしての本当の意味での活動はサージェント・ペパーズで頂点を極め、その後は分裂してしまう結果となったが、本作では前述のようにそれぞれやりたいことはソロ活動で行えるという前提で、意識的に本来のビートルズサウンドを取り戻そうとしている。本来の茶化し精神である非完全主義をも発揮したという点では、ビートルズのアルバムとしてはサージェント・ペパーズ以上に完全な作品である。(このアルバムはジョークとしか思えないラストの"Her Majesty"で終わる。) 彼らは本作で、この時点で既にただの肥大化した虚像でしかなかった誰もが求めていたビートルズをビートルズ自身が再演することで終わらせようとしたのである。結果、本作はビートルズのラストを締めくくるに相応しいクオリティと絶大な支持とセールスを記録した。
ビートルズの偉業などは今さらいうまでもなく、語り始めるとそれだけでひとつのBlogが作れてしまうほど大きなテーマである。ポップミュージックのマーケットを一気に拡大した彼らの登場は20世紀商業音楽史上に起こった最大の出来事であり、この4人がひとつのバンドにいたというのは最も幸福な偶然であり、歴史的必然でもあったのは間違いないだろう。デビューからわずか8年、次々と世界の音楽観を変え続けたビートルズは最後に自らがビートルズを演じきるという、あくまでビートルズらしいシニカルな方法論で輝かしい歴史に幕を閉じた。
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Allman Brothers Bandオールマン・ブラザーズ・バンドの1971年のライブ盤。
オールマンの最高傑作でもあり、70年代ロック史に輝く名盤。タイトル通り1971年3月当時のロックのライブ名盤を数多く生んだニュー・ヨークのフィルモア・イーストでのライブを収録したアルバムである。
オールマン・ブラザーズ・バンドのデビューは1969年、結成時のメンバーはグレッグ・オールマン(org,Vo)、デュアン・オールマン(SldGt)、ディッキー・ベッツ(G)、ベリー・オークリー(B)、ブッチ・トラックス(Ds)、ジェイ・ジョニー・ジョンソン(Ds)の6人で、ギター2本にドラム2台という大編成。このバンド自体の結成もデビューの1969年であり、結成時それぞれのメンバーにはスタジオミュージシャンとしての下積みの時代があった。特に有名なのが、スライドギターのデュアン・オールマンで、彼はアトランティックのスタジオ・ミュージシャンとしてウィルソン・ピケッツやアリーサ・フランクリンなどの諸作で一聴で彼とわかる個性的なスライド・ギターを披露している。この時代の録音は"Duan Allman Anthology"としてまとめて聴くことが可能である。因みにウイルソン・ピケッツにビートルズのカバーなどロックのカバーを勧めヒットに導いたのも彼の進言に寄るものだそうだ。しかしデュアンをはじめメンバーたちは各々スタジオ・ミュージシャンとしての制限された音楽活動に不満を抱えるようになり、オールマン・ブラザーズ・バンド結成に至る。
今やサザン・ロック、スワンプロックとしての代名詞的なバンドであるオールマンだが、デビュー当時のバンドの方向性にはそうしたルーツミュージックをストレートに演奏するというスタイルではなく、ブルティッシュロックからの影響をブルースを基調にした自分たちのサウンドとして取り入れていた。デビュー・アルバムのサウンドの方向性は後にデュアン自身も語っているように非常に同世代のブリティッシュロックを意識している節があるが、どうしてもルーツにある泥臭いブルースの香りが先行して洗練されたコンテンポラリーな音楽には聴こえないし、またそれがオールマンのサウンドの魅力となった。
このライブ盤ではそうした彼らのブルースを始めとするルーツミュージックからの影響がより顕著に表れており、スタジオ盤にあったブリティッシュロックへの情景も薄れ、彼らの本来持つ圧倒的な演奏力がフルに展開されている。特にこのバンドの醍醐味のひとつであるデュアンとディッキー・ベッツの2本のリードギターによるギターの長いインプロヴィゼーションの掛け合いは見事で、その後のロックバンドにおけるツインギターのアンサンブルのひとつのスタイルとして大きな影響を残した。コルトレーンを擁した頃のマイルスバンドのマイルスとコルトレーンのソロの対比を参考にしたと言われる二人のスリリングな掛け合いはスタンダードなブルースナンバーを単なるブルースカバーではなく、ギターだけでハードロックとしてのオールマン独自のサウンドに見事に変換させている。またデュアンのスライドをはじめそれぞれのソロの力量も並々ならぬバンドではあるが、それ以上にバンドアンサンブルにも細かな気配りがされており、オリジナルの大作である"エイリザベスリードの追憶"におけるダイナミックな演奏と構成力はロック史に残る名演となり、本作をライブの名盤として今でも語り継がれるほどの有名なアルバムにのし上げた。オールマン・ブラザーズ・バンドとしてのバンドとしての方向性の本質は長いインプロヴィゼーションよりもむしろこうしたバンドとしてのアンサンブルにあるといえる。
その後デュアンが1971年10月に事故死 、同じくベリーオークリー1972年10月に事故死と相次いで不幸な出来事が続き、このオリジナルメンバーでの全盛期は長くは続かなかったが、彼らのブルースを始めとしたアメリカン・ルーツミュージックを土台にした力強いサウンドは後のスワンプ・ロックやサザン・ロックと言われるジャンルにおいて多くのフォロワーを生み出した。
なお、本作は現在はデラックス・エディションというかたちで、"Eat A Peach"に収録されていた"エリザベスリードの追憶"にも匹敵するドノヴァンの"霧のマウンテン"をベースにした"Mountain Jam"などフィルモアでの録音でありながら他のアルバムに散らばっていたテイクをまとめて聴くことができる。個人的にはオリジナルの曲順で聴き慣れているため、デラックス・エディションという形でこの素晴らしい演奏を一気に聴くことには相当のエネルギーを要する。やはりこの"Live At Fillmore East "はオリジナルの曲順で聴きたいし、"Mountain Jam"はオリジナルの"Eat A Peach"の中で聴くほうがしっくりくる。また近年にはこのフィルモアの前年1970年のライブ音源である"Live At The Atlanta International Pop Festival July 3 & 5 1970"も公式リリースされた。
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Linkin Parkリンキン・パークの2003年のアルバム。
LA出身の5人組であるリンキン・パークのデビューは2000年、デビュー・アルバムの"Hybrid Theory"がビルボード初登場16位を記録。新人バンドとしては異例の1500万枚を超えるメガ・ヒットを記録し、発売から1ヶ月足らずでゴールド・ディスクに輝くなど型破りな記録を打ち立てた。その続編であるリミックス・アルバムである"Reanimation"も大ヒットし、瞬く間に2000年のロックシーンを代表するバンドにのし上がり、今ではベテランバンドとしての風格すら漂う大物バンドとなった。本作はそのリンキン・パークの最新のスタジオアルバムで、彼らの2枚目にあたるアルバム。今やロック全体の主流になりつつある彼らのメタルとヒップホップをミックスさせたサウンドは元はアンスラックスとパブリック・エナミーが行ったジョイント・コンサートに端を発しているらしい。
一度聴いただけですぐにわかるラウドなサウンドと完璧にコントロールされたサウンドミクスチャー能力は前作を遥かに上回り、この凄まじいクオリティーは星の数ほど現れたこのスタイルの他のバンドの追随を許さないものである。90年代のヘヴィ・ロックを完璧に身に着けた演奏力とあくまで白人的なアプローチでヒップホップを徹底的に解明し、ラウドなロックサウンドの中で再構築させたマイク・シノダのラッパーとしての実力、そしてチェスター・ベニントンの唯一無二の機械的な正確さを持ちながら生身のダイナミズムを感じさせるハイトーン・ボーカルとすべてが極めて高い水準で融合している。もはやミクスチャーというカテゴリを越えたひとつの音楽スタイルを築き上げたといって良いだろう。
なお、アルバムタイトルの"Meteora"とはギリシャで、岩山の上に修道院が散在するという神聖な場所のことらしい。長い歴史を持つその場所を時代を超越した普遍的なロックを作るという彼らの方向性にたとえている。プロデュースにはデビュー作と同様にドン・ギルモア、ミックスとアンディ・ウォレスという布陣で、彼らの強靭なサウンド力とメロディーの持つパワーを十二分に引き出している。基本的な路線こそこれまでとは変わっていないものの、そのスケールの拡大力は留まるところを知らない。エレクトロニックなサウンドの蔓延るミュージック・シーンにロックとはこうあるべきだとその革新的な音圧を叩きつけた彼らのサウンドは2000年代のロックを代表するサウンドであり、本作は現代アメリカのミュージックシーンを支える重要作であるといえるだろう。ファンの間で賛否両論を巻き起こしながらもセールス的には前作以上の反響を呼び、全米チャートNo.1を獲得、2004年現在で400万枚以上のセールスを記録している。
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George Michaelジョージ・マイケルのWham!解散後の1987年の初のソロ作。(クリスマスということでいろいろ悩みましたが、結局ベタですがいまや日本のクリスマスに欠かせない有名曲"Last Christmas"をつくったWham!のジョージ・マイケルです。)
ジョージ・マイケルは12歳の頃からの友人アンドリュー・リッジリーとともにWham!を結成。このWham!というグループは、稀代のポップスターであり優れたポップメイカーであるジョージ・マイケルの表現の場であり彼はこのグループでの活動によって成長し、世界へと羽ばたいた。彼らはルックスも良かったことからアイドルとして認知されることも多く、アイドルロックの原型を作ったバンドであったとも言える。Wham!のデビュー・アルバムから彼のメロディー・センスは優れており、アイドル的なルックスであるがゆえに、プロデュースやソングライティングは別のアーティストが手がけているのではという憶測すら出回ったが、そうしたすべての作業はジョージ・マイケルひとりによってなされたものであり彼への評価は瞬く間に高まった。このデビューアルバムにはそうした彼らの魅力がたっぷり込められており、大ヒットした"Young Guns"や"Wham Rap!"などのヒット曲だけでなく、ミラクルズのカヴァーである"Love Machine"のセンスも彼らの評価を高めた。
言うまでもなく、ロックは黒人音楽からのコンプレックスなど強い影響を受けている音楽である。80年代当時もピーター・ガブリエルやTalking Headsをはじめ流行のエレクトロなダンスビートにアフリカンビートを取り入れるミュージシャンも多かった。このジョージ・マイケルも黒人音楽への情景が非常に強く、Wham!の音楽性にもそれは色濃く反映されているが、彼の黒人音楽の消化の仕方は他のミュージシャンとは大きく異なり、黒人音楽へのコンプレックスは存在しなかった。ジョージ・マイケルの場合は自分が率直に感じ取った音楽をストレートに自己の音楽に反映させているだけであり、消化し自己の音楽へ再構築をするというスタイルとは異なる。こう書くとロックがロックとして存在できる重要なファクターである批評性に乏しくも感じられるが、彼はそこをキラキラしたアイドル的なルックスと抜群のメロディーセンスでカバーし、そのプリミティブな音楽欲求を曝け出した。
彼のそうした黒人音楽の消化の仕方を軽薄だとする批評家もいたが、そこはこれまでのブルースから派生したロックやR&Bの影響下にあるポップミュージックとは一線を画するもので、そうした解釈の差異はもはや世代的なものであるだろう。いずれにしてもこのWham!の方法論はその後誕生する黒人音楽の影響を受けたバンドに多くの影響を与え、多くのフォロワーを生むことになった。ジョージ・マイケルというルックスの良いスターがこの時代に登場し、若いエネルギーと優れたポップセンスを発揮させることが出来たからこそ成しえたサウンドである。
Wham!は約4年で解散し、ジョージ・マイケルはソロ活動を開始、そのソロ第1弾が本作である。本作からは"I Want Your Sex"やアルバムタイトル曲の"Faith"、"Monkey"など合計6枚のトップ5ヒットも生まれ、全世界で1000万枚以上を売り上げるという大ヒット作となった。Wham!時代からの黒人音楽への情景をそれまでのストレートなアイドル的なアプローチではなく、脱アイドル化し見事に自己のサウンドとしてのアイデンティティを獲得、よりアーティスティックで完成されたサウンドを聴かせた。本作は1988年のGrammy Awards-Album Of The Yearを受賞、全米では12週連続全米No.1アルバムを獲得、年度Billboard年間チャートSingle,Album両部門を制覇するという快挙を達成した。
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U2U2の1987年の名盤。
大御所バンドとなった今でも変わらずに精力的かつパワフルに活動を続けるU2の代表作のひとつで、80年代のロックとそれ以降のアルタナティブロックに大きな影響を与えた一枚である。
U2はアイルランド出身のバンドで、1978年にボーカルのボーノを中心に、ジ・エッジ(G)、アダム・クレイトン(B)、ラリー・ミューレンJr.(Ds)の4人で結成され、現在までこの不動の4人の結束は変わっていない。デビュー当時は、パンクムーブメント全盛期であり、このU2もその他多くのバンドと同じようにパンクバンドとしてプロとしてのバンド活動をスタートさせている。若者の社会への不満や憤りをその熱い歌唱力で歌いきるボーノのボーカルスタイルと、独特なフィードバックエフェクトを駆使するソリッドなエッジのギターを中心としたストレートなロックサウンドはたちまち人気を集める。その後、出身のアイルランドの紛争をテーマにした"War"などでトップグループとしての安定した人気を築き上げている。
U2がただのパンクバンドとして終わらない強大なロックバンドに成長したのはその後の、ブライアン・イーノと音の魔術師ダニエル・ラノワとの出会いがあってこそである。彼らをプロデューサに迎えた第1弾アルバムの"The Unforgettable Fire" で、これまでのストレートなロックにラノワによるサウンド的な奥行きが持たされ、曲の題材も彼らの信奉するロックを生んだアメリカをテーマにし、ダイナミックでスケールの大きい音世界を見事に作り出した。
このアルバムはイーノとラノワとの共同作業の第2弾アルバムで、その音楽観、サウンドともに前作から大幅にスケールアップし、"Where The Streets Have No Name"や"With Or Without You"といったシングルヒットも生まれ、瞬く間に世界的な大ヒットを記録、9週連続全米No.1アルバムという驚異的な記録を生んだ。前作でロックのルーツであるブルースやカントリーなどへの情景を抱き始めた彼らのサウンドはその影響を吸収し、サウンドの幅はさらに広がっている。またそうしたルーツ音楽への回帰と同時に、未だに故郷アイルランドのキリスト教的な観念と神秘性をも含まれており、それをイーノとラノワによるアンビヴァレントなサウンドで統一することにより、何ものも受け付けない叙情的かつ強靭で崇高なロックを完成させた。アイルランド人としてのブルースやカントリーへの傾斜という点ではカナダ人でありながらアメリカルーツに急接近したThe Bandの方向性とも重なり、両者のサウンドの差異をいうのも比べて聴くと非常に興味深い。
本作で名実ともに世界的なロックバンドとなったU2は、この後ファンク、エレクトロニック、アンビエント、テクノといったコンテンポラリーな音楽を大胆に吸収し試行錯誤を繰り返しながら、着実にあくまでU2らしさを失わないサウンドでパワーアップし続けている。新世紀を記念するアルバム"All That You Cant Leave Behind"では原点のストレートなロックに帰還し、そのタフなサウンドと圧倒的肯定性のあるロックをシーンに叩きつけた。
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Roxy Musicロキシー・ミュージックの1982年のラストアルバム。
ロキシー・ミュージックはこのラストアルバムにして最高傑作とも言われるこの名作を残して、事実上約10年間のバンド活動に終止符をうった。彼らのデビューは1972年。当時はアートスクール出身のメンバーを中心に結成され、インテリジェントでアーティスティックでラディカルという彼らの音楽性はこの時代のロックの中でも一際目立つ存在であった。デビュー当時は、ロキシーの中心人物であるブライアン・フェリーと対等な存在として、あのブライアン・イーノが在籍しており、今の坊主頭で環境音楽を作り出すイーノとはまったく正反対のビジュアル系かつバイセクシャリスティックなイメージが先行していた。初期のロキシーはこのイーノをはじめとして、メンバー全員が派手なルックスでグラムロック全盛期という時代の中で、彼らもまたボウイなどと同系のグラム・ロックバンドとして認知されていたようだ。
楽器の技術で秀でるメンバーは当初から存在せず、フェリーの歌唱含めて、決して上手いバンドだはなかったが、独自のポップセンスを発揮したフェリーの手腕は評価に値する。派手なルックスとは正反対の知的にコントロールされた洗練されたサウンドをつくり、彼らのストイックでアバンギャルドなサウンドですら、彼の計算によるものであった。ロキシーはイーノが脱退し、徐々にフェリーのワンマンバンドとして稼働するようになり、この"Avalon"で解散する。
この"Avalon"はロキシーの音楽性、つまりブライアン・フェリーの音楽性が感極まったアルバムで、黒人音楽からの影響と、黒人音楽への批評性、またそれを独自のセンスでバンドのサウンドに組み立てていく構築力が細部にわたって見事に表現されている。"Avalon"という聖地はまさにここであり、このサウンドであるという肯定的なメッセージと、まさに"More Than This"とも言うべき極上のサウンドの力強いパワーには、ただ圧倒されるばかりである。
その後、ブライアン・フェリーはソロ活動を始めるが、残念ながら今日までこれを越える完成度を誇るアルバムは発表されていない。本作はロキシーの持つインテリジェントでアヴァンギャルドなサウンドと、フェリーの美意識とダンディズム、ポップミュージックとしての大衆性の均衡が保たれている。そしてロックとしてのダイナミックさも抜群の一枚である。
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The BandThe Bandの1968年のデビューアルバムであり、アメリカンロック史に輝く名盤。
デビュー当時はボブ・ディランのバックバンドという認知しかされていなかったが、このアルバム一枚で一気にアメリカを代表するロックバンドとなった。The Bandという人をバカにしたバンド名ももともと彼らの匿名性をアピールしたものであったが、今や完全に彼らの固有名詞となっている。メンバーはロビー・ロバートソン(G,Vo)、リチャード・マニュエル(P,Vo)、レヴォン・ヘルム(Ds,Vo)、リック・ダンゴ(B,Vo)、ガース・ハドソン(Org,Sax)の5人で、レヴォン・ヘルム以外はすべてカナダ人である。またこのアルバムのプロデューサー兼サイドマンのジョン・サイモンも彼らのサウンドをアーシーな方向へと導いた重要な人物である。
アルバムの内容はというと、やはりディランの影響が大きく、ディランの数多い名曲の中から"Tears Of Rage"、"This Wheel's On Fire"、"I Shall Be Released"の3曲をカバーしている。このディランとThe Bandとの関係については、ディランが彼らに詞を教え、The Bandが当時フォークの旗手であったディランにロックを教えたといわれているが、実は両者ともにブルース、カントリー、R&B、ゴスペルなどのロックンロールを生んだアメリカンルーツミュージックに十分過ぎるほど精通しており、この両者の音楽的邂逅は起こるべくして起こったといえるだろう。
The Bandのサウンドはカナダ人主体のバンドでありながらも、そうしたアメリカンミュージックのルーツに根ざしたものであり、アメリカ南部のオーガニックな匂いがたっぷり染み付いた音楽である。特にメンバー全員によるソウルフルでゴスペルフィーリング豊かなボーカルや、ロバートソンの荒削りでワイルドなギターやゴスペルそのものの響きを持つガース・ハドソンの重厚なオルガンの音色、そして白人のロックバンドでありながら、本場のR&Bにも通じるタフなビート感が彼らのサウンドを決定的なものにしている。アメリカンルーツミュージックそのものともいえるロックであり、バンド名同様にそのサウンドは極めて匿名性が高く、また同時に質の高いものであった。伝統的な音楽でありながらも、これまでのロックには決して存在しなかったサウンドで、当時カウンターカルチャー、ヒッピー・ムーヴメントの吹き荒れる中、サイケデリックロックが主流のロックシーンに大きな衝撃を与えた。このThe Bandの伝統を重んじるサウンドは当時のそうした陽気なロックに対する警告にも聴こえ、楽天的になっていくロックサウンドに大きな疑問を投げかけた。
The Bandのサウンドは、カナダ人によるアメリカンミュージックの再確認である。所詮は"よそ者"である彼らが当時アメリカのポップシーンの深いところに眠っていたルーツ音楽を意識的に表現してみせたという点では非常にポストモダンともいえるサウンドで、古臭い音楽をベースにし妙な安心感を与えながらも極めて刺激的という2面性を持った素晴らしい音楽であった。また彼らの"よそ者"としての感性は当時アメリカ社会からドロップアウトしようとする若者の大きな支えにすらなった。今や多くのアーティストにカバーされている名曲"The Weight "に託されたメッセージ、伝統的な音楽の中に独自の音楽を築き上げた彼らのサウンドは今後も決して古くならない。そしてこの後のThe Bandはロビー・ロバートソンの色が強くなっていくため、各メンバーひとりひとりの個性がバランスよく発揮されたという点でも、このアルバムはThe Bandの代表作といえる。
なお、これまた有名な話ではあるが、ジャケットのあまり上手とは言えない絵はディランの手によるものである。
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Sex Pistolsセックス・ピストルズの1977年の衝撃的なデビューアルバム、邦題は"勝手にしやがれ"。
セックス・ピストルズは今さら言うまでもなくパンクロックの最も代表的なバンドであり、ジョニー・ロットンというその後のパンクシーンからニューウェーブと繋がっていくロックの流れの中でも最も重要なキーパーソンを生んだバンドである。
パンクは産業化、肥大化したロックという音楽そのものを否定するところから始まった。ロック自体がこれまで、旧態依然とした社会へのフラストレーションやときには反戦音楽であったり厭世音楽であったりしたものであったが、パンクはそのフラストレーションのターゲットをロック自身に向けた。そしてそのパンクを支えたアーティストが誰だったかというと、他でもなくこのピストルズのようにロックによって育ったアーティストたちであった。ハードロックやプログレッシブロックなどが台頭により音楽性は複雑化し、余計な付加要素は加わったことによって、ロックの持つダイナミックさやシーンのスピード感がなくなった時代に、パンクは登場した。その単調なスリーコードを爆音でかき鳴らし、ただひたすら自分たちのサウンド自体にフラストレーションをぶつけるというスタイルは極めて革新的であった。サウンド的には古典的ともいうべきロックのルーツに忠実なものであり、これまであったロックという既成概念を否定しつつも、古いスタイルを継承しパンクを完全に新しいロックとして蘇らせた。このピストルズの他にもダムド、クラッシュ、ジャムなど人気の高いバンドが何組も登場し、パンクムーブメントは時代の象徴にもなったが、その音楽性とは裏腹に、彼らは下級階層の出身でなく意外と学歴が高く、インテリジェントな魅力をも兼ね揃えていたというのが興味深いところでもある。
本作でのジョニー・ロットンのボーカルはまさにこの当時のパンクサウンドを象徴しており、プリミティブなロック的な暴力性と衝動的に湧き上がるパワーに溢れている。そしてその直球のパワーが捻じ曲がって屈折していくのがピストルズのサウンドの醍醐味といえるだろう。"Anarchy In The U.K."や"God Save The Queen"といったヒット曲はパンクのスタンダードにもなり、そのタイトルだけでもパンクという音楽性を示唆している。これらの曲とともにショニー・ロットンは「ロックは死んだ」との名言を残すが、そのサウンドは実はロックそのものであり、その矛盾が彼の強かさでもあり、その後のPILでのニューウェーブに向かう音楽活動にも影響している。
またこのピストルズの周辺には、ある意味ジョニーロットンよりもパンクを体言し、夭折したベーシストのシド・ヴィシャス、ピストルズを結成させ新たなパンクムーブメントを仕掛けたマルコム・マクラーレン、マクラーレンのパートナーでもあったデザイナーのヴィヴィアン・ウェストウッドなど、その後の80年代に大きく影響を残す人物が数多く存在していた。
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Massive AttackMassive Attackの2003年にリリースされた約5年ぶりの4枚目のアルバム。
メンバーの一人だったDJのMushroomが脱退し残された3D(Robert del Naja)とDaddy G(Grant Marshall)の2人体制になって初めての作品となるが、実際にはDaddy Gもほとんど製作には関わっておらず、実質的には3Dのソロアルバムといえるだろう。
このアルバムはこれまでに作られた100曲以上ある膨大なストックの中から名曲だけを厳選されたており、ゲストにはSinead O'Connor、そしてHorace Andyがヴォーカルで参加している。アルバムのタイトルの"100th Window"とは、「我々は、第三者が侵入出来得る全ての窓(Windows)を閉ざすことは出来ない」というコンピューターソフトを例にとった原理に由来している。つまりインターネットからのハッキング、クレジットカード等に関して情報漏洩が起こり、人々のプライバシーを保つためにソフトウェアや法律などいかなる手段を用いても、決して閉めることのできない「100番目の窓」がテーマとなっており、すなわち現代情報社会の危険への警鐘を暗喩したタイトルである。
このアルバムがリリースされた頃には既に彼らの提唱したブリストルサウンド、トリップホップという言葉もすっかり使われなくなっており、サウンド的にはダブやヒップホップとは距離を置き、エレクトロニカに傾斜し、その洗練されたサウンドはストイックなまでに潔癖であり、隙のない印象を与える。彼らのサウンドの特徴でもあった、重く太いベースラインとビートはさらに重さを増して、リスナーを有無を言わさずに深く暗く沈みこませる圧倒的なパワーがある。
あくまでゲストではあるがほぼマッシブの顔で準メンバーであるHorace Andyの祈りにも似たクールでありながらもゴスペルのような精神性の高さを感じさせるスピリチャルなボーカルと911からイラク戦争についてまで言及する政治的なメッセージを含む現代社会へのメッセージとが、その重いビートに内包され、彼らのサウンドはさらにダークにパワーアップしていく。かつてブリストル系の草分けであった彼らではあるが、もはやそんなカテゴリーに属している必要はない。極めて都会的で無機質なビートでありながら、どことなく平穏な雰囲気さえも感じさせるスケールの大きい音楽である。なお、このクールなサウンドを上手く表現したアルバムジャケットはヨウジ・ヤマモトとの仕事で有名なNick Knightが担当している。
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Derek & The Dominosエリック・クラプトンが結成したデレク&ドミノズの1971年の名作で上記タイトルに入りきらなかった正式なタイトルは"Layla & Other Assorted Love Song"、邦題は"いとしのレイラ"。
クリーム時代はインプロヴィゼーションの極限まで極め惜しまれつつもクリームを解散させたクラプトンであったが、解散後ブラインド・フェイスを結成するもアルバム1枚で解散。その後アメリカに渡って作ったのがこのドミノズであり、彼の生涯を通しても代表作となったこのアルバムが生まれた。渡米しデラニーアンドボニーのメンバーやレオン・ラッセルといったアメリカ南部のスワンプと呼ばれるロックをやっているアーティストと出会い、彼の音楽性は南部志向へ傾斜。カール・レイドル、ジム・ゴードン、ボビー・ホイットロックらとこのドミノズを結成。結局このドミノズは一年で解散してしまい、残されたのはアルバムはこの一枚のみとなったが、歴史に名を残す名盤となった。
この中からタイトル曲の"いとしのレイラ"が大ヒットを記録しているが、当時クリーム時代のクラプトンのファンたちはその方向転換に相当戸惑った。クラプトンというとクリーム時代の激しいインプロヴィゼーションを繰り広げるスローハンドの異名を持つギターの名手であったが、ここで聴かれるのはそれとは180度方向性が変わった音楽で、どちらかというと曲自身の良さに重みをおいた歌手としてのクラプトンがいた。クリーム解散後にこうしたクリームと正反対の音楽を辿ったということからもクリーム末期にクラプトンの精神状態がひどく落ち込んでいたことがわかる。今でこそクラプトンというとグラミーにも常連で様々なシングルヒットを飛ばすロックスターの大御所となっているが、この当時はジェフ・ベック、ジミー・ペイジと共に3大ギタリストと呼ばれるなど、とにかくギタリストとしてのイメージが強く、このアルバムリリーズ時はクリームファンから批評されたり、賛否両論を巻き起こしたのである。
アルバムの1曲目の"I Looked Away"から南部のゆったりしたオーガニックなサウンドでクリーム時代には聴けなかった自然体のクラプトンサウンドが展開される。2曲目の"Bell Bottom Blues"は今でもステージで演奏される曲で、南部の暖かい雰囲気を感じさせる美しいバラード。コノアルバムは現在はCD一枚に収まっているが、LP時代は2枚に分かれており、2枚目の"Tell The Truth"から"Why Does Love Got To Be So Sad"、ジミ・ヘンドリクスの"Little Wing"と徐々に南部の情景を脱構築させ、そこから新しいクラプトンのロックスピリットが再形成されていく。そしてハイライトはやはりタイトルチューンの"いとしのレイラ"、後に妻となる親友ジョージ・ハリスンの妻に対する恋心と、好きな女に自分を理解して欲しいと懇願する男の悲痛な悲哀を歌った曲である。恋多きクラプトン自身の姿を重ねながらひたすらストレートに自分の気持ちを歌に託しており、辛辣過ぎるそのメッセージからはダイナミックなサウンドとは裏腹に憂鬱さすら感じさせる。クラプトンの音楽の根源には常にブルースがあり、このアルバムでのスワンプロック、その後のレゲエの吸収やアコースティックで繊細なサウンドなど音楽的エレメントは多岐に渡るが、クラプトンの生涯を通してこの一曲だけはブルースもロックというカテゴライズから脱した極めて無垢で純粋な音楽であり絶対無二の歌の存在感に溢れている。また、これだけ円熟と渋みを兼ね揃えた貫禄のあるロックを作っておきながら、このアルバムリリース時、クラプトンがまだ25歳の若者であったということにも驚かされる。
このアルバムではドミノズのメンバーに加えて、全編に渡ってオールマン・ブラザーズのデュアン・オールマンがスライドギターで参加し、クラプトンと見事なギター・アンサンブルを聴かせた事でも大いに話題になった。デュアンのスライドギターがクラプトンの歌心を引き出し、普遍のラブソングを完成させた。ここでのクラプトンよデュアンの出会いは今までロック史上で数回あった奇跡のひとつとも言えるだあろう。クラプトンはその後、この親友デュアン・オールマンを事故で失い、ドミノスは解散、74年にソロ作"461 Ocean Boulevard"で劇的な復活を遂げるまで、ヘロイン中毒で音楽活動から退いている。
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