NOTRE MUSIQUE

Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.


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Prince去年2004年にリリースされたプリンスの最新作。
前作の"n・e・w・s"では初のインストアルバムで、プリンス流のジャジーなファンクを披露し、改めてそのインストルメンタル全般に渡る才能を見せ付けたプリンスであるが、再びポップな路線に復帰したのが本作である。駄作なしで多作の天才、現代のデューク・エリントンともいえるプリンスではあるが、その才能が全開だったのはやはり80年代ということになるだろう。パープル・レインなどの一連の大ヒット作などはバブル経済期の日本でも大量消費され、プリンスの金切り声のようなシャウトはあの頃の飽和状態の高度資本主義をシンボライズしていたとさえいえる。
そんなプリンスも改名騒動を起こした90年代を経過し、プライベートでは結婚と離婚を経験する。その結果リリースされたのが前作のインストアルバムで、コンテンポラリーなネプチューンズらがヒットチャートで堂々と革新的かつ実験的な音楽を展開させる一方で天才プリンスの発表した音楽はひとり多重録音とはいえ、ただのプリンス自身の生身の演奏であった。そうしたプリンスの活動は時代の流れの逆をいくものであり、時代を象徴し、常にブラックミュージックシーンに衝撃を与え続けたプリンスの姿はもうそこにはなかった。
そしてリリースされたのが本作で、本作にはかつての黄金時代のプリンスが持っていた、ファンク、ゴスペル、ブルース、ロック、ジャズ、美しい泣きのバラード、スモーキーロビンソン直系のファルセットボイス、ジミヘン直系の激情的なギターソロ、プログレ風の複雑な展開を見せる大曲等、すべてが存在している。これはプリンスの現在のミュージック・シーンへの挑戦である。メイシオのサックスをフューチャーし、ファンキーなタイトル曲"Musicology"、誰が聞いてもすぐにわかるプリンスのシンセサウンドが美しい"Life 'o' The Party"、シルク&ヴェルヴェッツなファルセットと低音ボイスを駆使したプリンス流の歌唱を聴かせるバラードの"Call My Name"、縦ノリビートが懐かしささえ感じる"Cinnamon Girl"、スライ・ストーン風であり元祖ミネアポリスサウンドでもある"Dear Mr. Manなど、各曲のクオリティは非常に高い。リリース前にはすべてのレコードレーベルから同時発売するという案を打診しているなんて発表し相変わらずのお騒がせ振りを発揮。(結局Columbiaからリリース) "Musicology"というタイトルからも音楽に対するプリミティブで肯定的な欲求とプリンスの自信と本気度が伝わってくる。全体的にこれまで断片的に披露してきたプリンスの音楽的なエレメンツが集約されたサウンドであり、80年代の黄金時代を彷彿させるサウンドであるが、以前の"Emancipation"や"Rave Un2 The JOY Fantastic"と根本的に違うのは、それがあくまでもプリンスが計算的に意図的にやっているという点である。つまりプリンスは意識的に過去の栄光を自分の中でリバイバルさせて、過去の自分を演じている。天才ゆえにやろうと思えばどこまでも時代の先を行くことができる能力を持っていながら、現代のミュージックシーンの水準に合わせ、ど真ん中にストライクを投げてきた。結果として本作は大ヒット、Musicologyツアーは年間を通して観客動員数が全米No.1を記録している。
プリンスはこの作品で意識的にプリンスらしさを取り戻し、再び時代に向き合った。次作ではまたどんなサウンドを聴かせてくれるのかまだまだプリンスからは目が離せない。本作は現代の音楽に求められる大衆性、音楽的に豊潤なクオリティー、プリンス自身のアーティスティックなエゴのすべてがバランスよく結実し、早くも2000年代を代表する名盤となった。プリンスにとっても久々の改作である。
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U2U2の1987年の名盤。
大御所バンドとなった今でも変わらずに精力的かつパワフルに活動を続けるU2の代表作のひとつで、80年代のロックとそれ以降のアルタナティブロックに大きな影響を与えた一枚である。
U2はアイルランド出身のバンドで、1978年にボーカルのボーノを中心に、ジ・エッジ(G)、アダム・クレイトン(B)、ラリー・ミューレンJr.(Ds)の4人で結成され、現在までこの不動の4人の結束は変わっていない。デビュー当時は、パンクムーブメント全盛期であり、このU2もその他多くのバンドと同じようにパンクバンドとしてプロとしてのバンド活動をスタートさせている。若者の社会への不満や憤りをその熱い歌唱力で歌いきるボーノのボーカルスタイルと、独特なフィードバックエフェクトを駆使するソリッドなエッジのギターを中心としたストレートなロックサウンドはたちまち人気を集める。その後、出身のアイルランドの紛争をテーマにした"War"などでトップグループとしての安定した人気を築き上げている。
U2がただのパンクバンドとして終わらない強大なロックバンドに成長したのはその後の、ブライアン・イーノと音の魔術師ダニエル・ラノワとの出会いがあってこそである。彼らをプロデューサに迎えた第1弾アルバムの"The Unforgettable Fire" で、これまでのストレートなロックにラノワによるサウンド的な奥行きが持たされ、曲の題材も彼らの信奉するロックを生んだアメリカをテーマにし、ダイナミックでスケールの大きい音世界を見事に作り出した。
このアルバムはイーノとラノワとの共同作業の第2弾アルバムで、その音楽観、サウンドともに前作から大幅にスケールアップし、"Where The Streets Have No Name"や"With Or Without You"といったシングルヒットも生まれ、瞬く間に世界的な大ヒットを記録、9週連続全米No.1アルバムという驚異的な記録を生んだ。前作でロックのルーツであるブルースやカントリーなどへの情景を抱き始めた彼らのサウンドはその影響を吸収し、サウンドの幅はさらに広がっている。またそうしたルーツ音楽への回帰と同時に、未だに故郷アイルランドのキリスト教的な観念と神秘性をも含まれており、それをイーノとラノワによるアンビヴァレントなサウンドで統一することにより、何ものも受け付けない叙情的かつ強靭で崇高なロックを完成させた。アイルランド人としてのブルースやカントリーへの傾斜という点ではカナダ人でありながらアメリカルーツに急接近したThe Bandの方向性とも重なり、両者のサウンドの差異をいうのも比べて聴くと非常に興味深い。
本作で名実ともに世界的なロックバンドとなったU2は、この後ファンク、エレクトロニック、アンビエント、テクノといったコンテンポラリーな音楽を大胆に吸収し試行錯誤を繰り返しながら、着実にあくまでU2らしさを失わないサウンドでパワーアップし続けている。新世紀を記念するアルバム"All That You Cant Leave Behind"では原点のストレートなロックに帰還し、そのタフなサウンドと圧倒的肯定性のあるロックをシーンに叩きつけた。
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Roxy Musicロキシー・ミュージックの1982年のラストアルバム。
ロキシー・ミュージックはこのラストアルバムにして最高傑作とも言われるこの名作を残して、事実上約10年間のバンド活動に終止符をうった。彼らのデビューは1972年。当時はアートスクール出身のメンバーを中心に結成され、インテリジェントでアーティスティックでラディカルという彼らの音楽性はこの時代のロックの中でも一際目立つ存在であった。デビュー当時は、ロキシーの中心人物であるブライアン・フェリーと対等な存在として、あのブライアン・イーノが在籍しており、今の坊主頭で環境音楽を作り出すイーノとはまったく正反対のビジュアル系かつバイセクシャリスティックなイメージが先行していた。初期のロキシーはこのイーノをはじめとして、メンバー全員が派手なルックスでグラムロック全盛期という時代の中で、彼らもまたボウイなどと同系のグラム・ロックバンドとして認知されていたようだ。
楽器の技術で秀でるメンバーは当初から存在せず、フェリーの歌唱含めて、決して上手いバンドだはなかったが、独自のポップセンスを発揮したフェリーの手腕は評価に値する。派手なルックスとは正反対の知的にコントロールされた洗練されたサウンドをつくり、彼らのストイックでアバンギャルドなサウンドですら、彼の計算によるものであった。ロキシーはイーノが脱退し、徐々にフェリーのワンマンバンドとして稼働するようになり、この"Avalon"で解散する。
この"Avalon"はロキシーの音楽性、つまりブライアン・フェリーの音楽性が感極まったアルバムで、黒人音楽からの影響と、黒人音楽への批評性、またそれを独自のセンスでバンドのサウンドに組み立てていく構築力が細部にわたって見事に表現されている。"Avalon"という聖地はまさにここであり、このサウンドであるという肯定的なメッセージと、まさに"More Than This"とも言うべき極上のサウンドの力強いパワーには、ただ圧倒されるばかりである。
その後、ブライアン・フェリーはソロ活動を始めるが、残念ながら今日までこれを越える完成度を誇るアルバムは発表されていない。本作はロキシーの持つインテリジェントでアヴァンギャルドなサウンドと、フェリーの美意識とダンディズム、ポップミュージックとしての大衆性の均衡が保たれている。そしてロックとしてのダイナミックさも抜群の一枚である。
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Pat Methenyパット・メセニーの1995年のアルバム。
実質的には今やジャズシーンを代表するギタリストであるメセニーの率いるPat Metheny Group(以下、PMG)で、今やこのPMGもジャズシーンを支えるグループに成長した。本作そんな彼らのその後のサウンドの方向性を決める上で転機となった名作である。
パット・メセニーは1954年8月12日、ミズーリ生まれ。音楽環境に恵まれた家庭に育ち、幼少の頃から音楽的な才能を発揮し、10歳で作曲、12歳からギターをはじめ、オーネット・コールマンやジョン・コルトレーンらのジャズを聴いて過ごしている。その後、マイアミ大学でジャコ・パストリアスとの出会いなどを経て、1974年、弱冠19歳でデヴィッド・フリードマンのグループでデビューを飾り、ポール・ブレイのグループにも参加している。さらにECMのマンフレッド・アイヒァーとの仲介役をつとめることになるゲイリー・バートン・グループに加入、実力を十二分に発揮し、急速に人気とポテンシャルを高めていく。そしてPMGの盟友ライル・メイズとの出会いの2年後、1977年、様々なバンドでサイドマンとして活躍したメセニーは、自分の音楽を表現すべくPGMを結成する。
その後のPMGの活躍ぶりは周知のとおりで、1979年6月のセカンドアルバム、"American Garage"でニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに凱旋し、さらにこの年のジャコやマイケル・ブレッカーを擁したジョニ・ミッチェルのバンドへの参加で、さらに名声を高め、American Garageはなんと発売2ヶ月で20万枚のセールスを突破、PMGはECMの中でも郡を抜くセールスを記録するようになった。
このアルバムはそんなPMGのデビュー後発表したきたアルバムの中でも、転機となったアルバムで、これまでは悪く言うと人畜無害な典型的なECMサウンドをベースにしたサウンドを構築してきたPMGが、はじめてその幻想的なサウンドの中にフリー感や凶暴性、不整合性といった要素を出してきたアルバムである。これまでの予定調和の美しいサウンドからメセニー自身の過激なインプロヴィゼーションをはじめ、全体として清涼剤のようなサウンドから一転して暗く不穏な雰囲気を醸しだす曲も収録されている。もちろんこれまでのPMGの流れを汲む"Are You Going With Me?"や"James"のようなナンバーもはいっており、決してここでフリー・ジャズに転向したとかオルタナティブなバンドになったというわけではないが、その後のメセニー自身のオーネット・コールマンとの共演にも繋がる伏線でもあった。また、本作のヒットにより、ジャズに限らず様々な音楽でこのメセニーの作り出るサウンドを模倣したサウンドが目立つようになってきたのもこの頃からである。
この後、メセニーはその美しいサウンドの裏にある凶暴性は完全にPMGとは切り離し、オーネット・コールマンと共演した"Song X"やひたすらディストーションのかかったギターを狂ったように弾きまくる"Zero Tolerance For Silence"などのソロ活動で発散させていくようになり、PMGはその清涼感をさらにパワーアップさせ、オーガナイズされたアメリカンミュージックやブラジルへの情景などを取り入れ、ワールドワイドなサウンドを展開させていく。
ちなみにこのアルバムはその裏に隠されたサウンドの狂喜とは対照的な"愛のカフェオーレ"という邦題がついていた。
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今年も残りわずかとなりましたが、皆様どのようにお過ごしでしょうか。

誠に勝手ながら、本連載(Blog)の更新を年度末で一旦終了とさせていただきたいと思います。
まだまだ書きたいアルバムは死ぬほどあるのですが、諸々の事情で今のペースで書き続けることが困難になりました。来年も不定期ながら更新自体は続けていきたいと思いますが、どのくらいのペースでUPできるかは未定です。

残りの後数日は書き残した名盤だけを書きたいと思います。(といっても、今までも名盤しか書いていませんが)

突然のお知らせで申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
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The BandThe Bandの1968年のデビューアルバムであり、アメリカンロック史に輝く名盤。
デビュー当時はボブ・ディランのバックバンドという認知しかされていなかったが、このアルバム一枚で一気にアメリカを代表するロックバンドとなった。The Bandという人をバカにしたバンド名ももともと彼らの匿名性をアピールしたものであったが、今や完全に彼らの固有名詞となっている。メンバーはロビー・ロバートソン(G,Vo)、リチャード・マニュエル(P,Vo)、レヴォン・ヘルム(Ds,Vo)、リック・ダンゴ(B,Vo)、ガース・ハドソン(Org,Sax)の5人で、レヴォン・ヘルム以外はすべてカナダ人である。またこのアルバムのプロデューサー兼サイドマンのジョン・サイモンも彼らのサウンドをアーシーな方向へと導いた重要な人物である。
アルバムの内容はというと、やはりディランの影響が大きく、ディランの数多い名曲の中から"Tears Of Rage"、"This Wheel's On Fire"、"I Shall Be Released"の3曲をカバーしている。このディランとThe Bandとの関係については、ディランが彼らに詞を教え、The Bandが当時フォークの旗手であったディランにロックを教えたといわれているが、実は両者ともにブルース、カントリー、R&B、ゴスペルなどのロックンロールを生んだアメリカンルーツミュージックに十分過ぎるほど精通しており、この両者の音楽的邂逅は起こるべくして起こったといえるだろう。
The Bandのサウンドはカナダ人主体のバンドでありながらも、そうしたアメリカンミュージックのルーツに根ざしたものであり、アメリカ南部のオーガニックな匂いがたっぷり染み付いた音楽である。特にメンバー全員によるソウルフルでゴスペルフィーリング豊かなボーカルや、ロバートソンの荒削りでワイルドなギターやゴスペルそのものの響きを持つガース・ハドソンの重厚なオルガンの音色、そして白人のロックバンドでありながら、本場のR&Bにも通じるタフなビート感が彼らのサウンドを決定的なものにしている。アメリカンルーツミュージックそのものともいえるロックであり、バンド名同様にそのサウンドは極めて匿名性が高く、また同時に質の高いものであった。伝統的な音楽でありながらも、これまでのロックには決して存在しなかったサウンドで、当時カウンターカルチャー、ヒッピー・ムーヴメントの吹き荒れる中、サイケデリックロックが主流のロックシーンに大きな衝撃を与えた。このThe Bandの伝統を重んじるサウンドは当時のそうした陽気なロックに対する警告にも聴こえ、楽天的になっていくロックサウンドに大きな疑問を投げかけた。
The Bandのサウンドは、カナダ人によるアメリカンミュージックの再確認である。所詮は"よそ者"である彼らが当時アメリカのポップシーンの深いところに眠っていたルーツ音楽を意識的に表現してみせたという点では非常にポストモダンともいえるサウンドで、古臭い音楽をベースにし妙な安心感を与えながらも極めて刺激的という2面性を持った素晴らしい音楽であった。また彼らの"よそ者"としての感性は当時アメリカ社会からドロップアウトしようとする若者の大きな支えにすらなった。今や多くのアーティストにカバーされている名曲"The Weight "に託されたメッセージ、伝統的な音楽の中に独自の音楽を築き上げた彼らのサウンドは今後も決して古くならない。そしてこの後のThe Bandはロビー・ロバートソンの色が強くなっていくため、各メンバーひとりひとりの個性がバランスよく発揮されたという点でも、このアルバムはThe Bandの代表作といえる。
なお、これまた有名な話ではあるが、ジャケットのあまり上手とは言えない絵はディランの手によるものである。
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Sex Pistolsセックス・ピストルズの1977年の衝撃的なデビューアルバム、邦題は"勝手にしやがれ"。
セックス・ピストルズは今さら言うまでもなくパンクロックの最も代表的なバンドであり、ジョニー・ロットンというその後のパンクシーンからニューウェーブと繋がっていくロックの流れの中でも最も重要なキーパーソンを生んだバンドである。
パンクは産業化、肥大化したロックという音楽そのものを否定するところから始まった。ロック自体がこれまで、旧態依然とした社会へのフラストレーションやときには反戦音楽であったり厭世音楽であったりしたものであったが、パンクはそのフラストレーションのターゲットをロック自身に向けた。そしてそのパンクを支えたアーティストが誰だったかというと、他でもなくこのピストルズのようにロックによって育ったアーティストたちであった。ハードロックやプログレッシブロックなどが台頭により音楽性は複雑化し、余計な付加要素は加わったことによって、ロックの持つダイナミックさやシーンのスピード感がなくなった時代に、パンクは登場した。その単調なスリーコードを爆音でかき鳴らし、ただひたすら自分たちのサウンド自体にフラストレーションをぶつけるというスタイルは極めて革新的であった。サウンド的には古典的ともいうべきロックのルーツに忠実なものであり、これまであったロックという既成概念を否定しつつも、古いスタイルを継承しパンクを完全に新しいロックとして蘇らせた。このピストルズの他にもダムド、クラッシュ、ジャムなど人気の高いバンドが何組も登場し、パンクムーブメントは時代の象徴にもなったが、その音楽性とは裏腹に、彼らは下級階層の出身でなく意外と学歴が高く、インテリジェントな魅力をも兼ね揃えていたというのが興味深いところでもある。
本作でのジョニー・ロットンのボーカルはまさにこの当時のパンクサウンドを象徴しており、プリミティブなロック的な暴力性と衝動的に湧き上がるパワーに溢れている。そしてその直球のパワーが捻じ曲がって屈折していくのがピストルズのサウンドの醍醐味といえるだろう。"Anarchy In The U.K."や"God Save The Queen"といったヒット曲はパンクのスタンダードにもなり、そのタイトルだけでもパンクという音楽性を示唆している。これらの曲とともにショニー・ロットンは「ロックは死んだ」との名言を残すが、そのサウンドは実はロックそのものであり、その矛盾が彼の強かさでもあり、その後のPILでのニューウェーブに向かう音楽活動にも影響している。
またこのピストルズの周辺には、ある意味ジョニーロットンよりもパンクを体言し、夭折したベーシストのシド・ヴィシャス、ピストルズを結成させ新たなパンクムーブメントを仕掛けたマルコム・マクラーレン、マクラーレンのパートナーでもあったデザイナーのヴィヴィアン・ウェストウッドなど、その後の80年代に大きく影響を残す人物が数多く存在していた。
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Albert Alyerアルバート・アイラーの1968年のアルバム。
オーネット・コールマン、セシル・テイラーと並んでいわゆるフリージャズの代名詞とも言うべきアイラーの残した傑作アルバムで、インパルスに移籍後第2作目にあたる。
アルバート・アイラーは1936年生まれ、幼少の頃最初に覚えたのはアルト・サックスであったが成人するとテナーに持ち替え、軍隊のためのマーチやゴスペル、ソウル、そしてニューオーリンズのジャズと多岐に渡る音楽を演奏するようになる。1961年にヨーロッパで陸軍を除隊したアイラーは、そのままヨーロッパに留まって活動を開始したためジャズ・ミュージシャンとしてアメリカ本国で認知されるまでに時間がかかってしまうが、彼の分裂症のような音楽性は混沌への一途を辿るが、それが彼自身のスタイルとして次第に確立されていく。ジャズのメジャーレーベルであるインパルスに移籍した後も、彼の音楽性は更に混沌を極め、セールス的な成功と、自らの進むべく音楽性とのギャップに悩むと同時に奇行も目立ってくる。
本作ではアイラーがインパルスのボブ・シールによってその音楽性を湾曲させられて、それが結果としてアイラーの混沌とした音楽性とシールの巧妙な戦略とが微妙に一致し、彼の数多いアルバムの中でもより珍盤として目立つ存在になった。アイラー自身の「ハレホレヒレハレ」という訳の分からないボーカルに始まり、フリーな演奏というよりも即興部分を極力減らして、テーマ部分を多くしたソウル色の強い作品となっている。いわゆるフリージャズとしてのアイラーの演奏こそ、ESP時代の諸作には及ばないが、アイラーの混沌とした音楽性の中の一部を巧妙に抽出し、ある種の秩序を持たせたシールのプロデュースは見事だったといえるだろう。
フリー・ジャズというと、ハードバップ~モードと即興演奏をとにかく自由度の高いものにと流れてきたジャズのメインストームの中で、その後に出てくる究極の自由なスタイルと思われがちであるが、かのオーネット・コールマンの"ジャズの来たるもの"はマイルスの"Kind Of Blue"と同じ1959年のリリース。つまり実質的にモードとフリージャズというのは同時に始まったことになるが、マイルスやコルトレーンの推し進めたモードと違って、フリージャズは音楽的に決まったフォーマットや理論が統一されていない。コールマンもセシル・テイラーもこのアイラーもフリージャズとカテゴライズされるが音楽的に似通っている部分はほとんどない。つまりフリー・ジャズとはジャズのスタイルではなくインプロヴィゼーションに対する取り組み方の自由さでしかなく、精神論的なものでしかない。
このアルバート・アイラーは生涯を通して、自己の音楽にその自由さを持ち続けた。このアルバムはボブ・シールというプロデューサーによってイニシアティブを握られてはいるが、彼の音楽の自由度は何も変わっていない。逆にシールによって決められたフォーマットの中での彼の咆哮はいつも以上に過激に破壊的に聴こえる。アイラーは自己の持てる音楽性をフリー・ジャズとして表現してしまったが、このアルバムをひたすら聴きこむと彼の音楽の本質は実は伝統的なアメリカン・ミュージックであったことに気づかされる。歪んだクレイジーなフレースの奥からは純粋無垢で力強い音が聴こえてくる。
その後、アルバート・アイラーは1970年、ニューヨークのイーストリバーで水死体となって発見される。享年34歳、彼の死因はいまだにわかっていない。
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Massive AttackMassive Attackの2003年にリリースされた約5年ぶりの4枚目のアルバム。
メンバーの一人だったDJのMushroomが脱退し残された3D(Robert del Naja)とDaddy G(Grant Marshall)の2人体制になって初めての作品となるが、実際にはDaddy Gもほとんど製作には関わっておらず、実質的には3Dのソロアルバムといえるだろう。
このアルバムはこれまでに作られた100曲以上ある膨大なストックの中から名曲だけを厳選されたており、ゲストにはSinead O'Connor、そしてHorace Andyがヴォーカルで参加している。アルバムのタイトルの"100th Window"とは、「我々は、第三者が侵入出来得る全ての窓(Windows)を閉ざすことは出来ない」というコンピューターソフトを例にとった原理に由来している。つまりインターネットからのハッキング、クレジットカード等に関して情報漏洩が起こり、人々のプライバシーを保つためにソフトウェアや法律などいかなる手段を用いても、決して閉めることのできない「100番目の窓」がテーマとなっており、すなわち現代情報社会の危険への警鐘を暗喩したタイトルである。
このアルバムがリリースされた頃には既に彼らの提唱したブリストルサウンド、トリップホップという言葉もすっかり使われなくなっており、サウンド的にはダブやヒップホップとは距離を置き、エレクトロニカに傾斜し、その洗練されたサウンドはストイックなまでに潔癖であり、隙のない印象を与える。彼らのサウンドの特徴でもあった、重く太いベースラインとビートはさらに重さを増して、リスナーを有無を言わさずに深く暗く沈みこませる圧倒的なパワーがある。
あくまでゲストではあるがほぼマッシブの顔で準メンバーであるHorace Andyの祈りにも似たクールでありながらもゴスペルのような精神性の高さを感じさせるスピリチャルなボーカルと911からイラク戦争についてまで言及する政治的なメッセージを含む現代社会へのメッセージとが、その重いビートに内包され、彼らのサウンドはさらにダークにパワーアップしていく。かつてブリストル系の草分けであった彼らではあるが、もはやそんなカテゴリーに属している必要はない。極めて都会的で無機質なビートでありながら、どことなく平穏な雰囲気さえも感じさせるスケールの大きい音楽である。なお、このクールなサウンドを上手く表現したアルバムジャケットはヨウジ・ヤマモトとの仕事で有名なNick Knightが担当している。
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Charlie Parkerチャーリー・パーカーの1949録音のアルバム。
バードことジャズの巨人、チャーリー・パーカーのオーケストラとの共演アルバムで、クリフォード・ブラウンをはじめ他のアーティストも同じスタイルで録音している"with strings"シリーズの走りともいえる名盤。
チャーリー・パーカーは1920年、アメリカのカンザス州生まれ。1933年に学校のスクールバンドでアルト・サックスを吹き始めたのをキッカケに彼の音楽人生は始まる。高校に通いながらもプロのサックス奏者としての仕事をこなし、その後カンザスでjay McShanらのバンドを中心に活動し、着々と自己の研磨に励んでいた。そして1945年、パーカーは初めての自己のグループを率いてジャズ・シーンの中心に登場してくる。そのとき若冠24歳のパーカーはすでにビバップのアルト・プレイヤーの中でも突出した実力を持っており、後にビバップの模範となるべくスリリングなフレーズとカンザス時代に演奏した様々なブルースのフレーズが彼の音楽性の大きなバックボーンとなってパーカーのプレイを輝かせている。高速フレーズのスリル、書いた曲のオリジナリティ、モダナイズされたフレーズ、洗練されたブルース・フィーリングと、パーカーはその天才的なひらめきで、ディジー・ガレスピーらとビバップを創造し、当時のジャズシーンのトップを走り抜けた。
このアルバムはそんなパーカーの音楽性に陰りが見え始めた1949年の録音。一般的にパーカーの最盛期は1945年のから1948年と言われており、その後は麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、何度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った。この"with Strings"ものはなにかと当時からジャズファンから敬遠される存在で、もともとが「ソリストとして活躍する有名アーティストのバックを豪華なオーケストラでやれば売れるだろう」という音楽性よりもレコード会社の短絡的かつ商業的な理由で企画されているため無理もないが、単なるムード音楽で終ってしまう可能性が強く、アーティスト側にとってもこの企画に挑むのはある種の冒険でもあった。このパーカーのアルバムも選曲されたのはスタンダードばかりで、甘い弦楽演奏の上でパーカーがかなり原曲に忠実に吹き上げるというものだが、ここでのパーカーの演奏は決してただのイージーリスニング的なムード音楽に終始してはいない。どんなに周りで甘い演奏を繰り広げたところで、当のパーカーのサックス自体には全盛期のクールでタフな輝きが存在している上に、弦楽器をバックに従えることである種のエレガントさをも感じさせてくれる。ここにはビバップの神と称えられるような神業のごとき難しいフレーズを易々と吹くパーカーは存在しないが、この極上の演奏を聴いていると彼の音楽的な魅力は決して高度な演奏技術だけでなく、精神的にもサウンド的にも深い音楽性があることに気づかされる。
その後のパーカーは次第に麻薬により身体を蝕まれ、健全な精神を破壊され、最期は衰弱により35歳という若さで心不全で亡くなった。35年という短い人生で4回の結婚、5人の子供を設けるという太く短い壮絶な生き様は映画化もされた。このアルバムでの神々しいサックスの音色とやわやかく愛情の込められた彼の演奏は、彼の人生最後の輝きだったともいえる。パーカーがビッグバンドによるスゥイングジャズの全盛時代から、カルテットやクインテットを中心とした少人数形態で、プレイヤーのアドリブを重視したビバップを生み出したという歴史的な事実はジャズ史の中でも最大といっても過言ではないほどの偉業である。そして彼の音楽は、麻薬とアルコールで身を滅ぼしていくという破滅的なライフスタイル含めて後生のジャズメンたちに多大な影響を残した。パーカーの音楽はその後、彼のバンドにいたマイルス・デイビスによって引き継がれ、新しいジャズへと発展していくことになる。
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