ご無沙汰していました。

ずっと、1日2回のヘパリンとアスピリンと、
ホルモン剤や漢方薬を飲み、
家事一切禁止し、ブログの更新も出来ず。。
とにかく床ずれが出来たほど安静に頑張ってきました。

毎日の流産への不安と恐怖、
毎週の検診時の不安と恐怖に耐えながら頑張っていました。



そして、10月10日、
まだ動いているかと不安で押しつぶされそうになりながら、

12w4d 4ヶ月検診で受診しました。

すると、赤ちゃんは元気に動いていました。
とっても、元気に。。

「よかった。。」

ホッとしたのも束の間。。

先生の様子がおかしい。。
無言で。。いつもの3倍もの時間を真剣な顔で赤ちゃんをみている。。

ものすごい不安が押し寄せた…



先生 「赤ちゃんの頭と体にリンパ浮腫が見えるんだよね」

先生 「染色体異常なんだよ。。これは、どんなに頑張っても。。絶対に助からない」

先生 「お腹の中で、いずれ死んでしまうんだよ」

先生 「本当にダメなんだよ。。育たないんだよ。。」


先生 「もしも、生まれて来れたとしても母親の胎内から出た瞬間死んでしまうんだよ」

先生 「今回は、どうやって頑張っても無理。。残念だけど。。無理なんだよ。。」




私 「先生、赤ちゃん元気に動いてるんだよ。。」

私 「生きようと頑張ってるんだよ。。何か方法はないですか。。」

私 「先生、私、生きてるこの子を殺すなんてできない。。」

私 「先生。。見間違ってないの??」



先生 「これは、本当に間違いない。。」

先生 「赤ちゃん、楽にしてあげよう」



私 「先生。。無理!!無理!!無理です。。」

私 「お願い。。この子を助けて。。助けてください。。お願いします。。」

私 「私、どんな事でもします。。助けて下さい。。お願いします。。」



そういって。。先生の腕にしがみつき、崩れおちた。。


先生は、私が先生の腕にしがみついてる間。。
私が離すまで。。ずっと、そのまま腕を貸してくれていました。。


先生 「赤ちゃん、大きくなってもっと苦しんで死んじゃうより、今、産んで楽にしてあげよう」

先生 「また、生まれてくる準備を少しでも早くできるようにしてあげよう」


先生 「もう、この子のお母さんになれたんだよ」

先生 「産んであげるんだよ」



そして、検診の為に休んでもらって、車で待っていた主人を呼んで、
もう一度、詳しい説明をして先生の決断を聞かされました。


先生 「生きてはいなくても、間違いなく、可愛いあなたの子供なんだよ、お母さんなんだよ」

先生 「だから、また戻ってくる準備をさせてあげよう」


先生 「つらい選択だけど、今回は、それしかないんだよ」

先生 「だから、これからすぐに入院して、産んであげようね」



もう、混乱して。。訳が分からず取り乱し、

「うそでしょ?うそだよね?どうして?どうして・・・」
「夢だよね?なんで・・・生きてるのに。。動いてるんだよ?」を繰り返して泣いてました。


涙がとまりません。


今までも色んな試練を乗り越えて来たつもりですが。。
自分で自分の赤ちゃんを、命の糸を切るなんて。。
今まで、生きてきて、こんな、辛いことはありません。。つらすぎます。


辛すぎて現実逃避をし。。ふと、我に返り。。
また泣いて、一日に何度も泣いて。。でも涙がまだ出ます。




10日は、入院してすぐ、分娩のための子宮を広げる処置を始めました。
10日の夕方には、もっと子宮を広げる為に風船を入れました。


お腹が痛い。。赤ちゃんが苦しんでいるのがわかる。。


11日の朝6時から、陣痛を強くする薬を入れる。
3時間後の9時に、さらに陣痛を強くする薬を追加。
更に3時間後12時に陣痛を起こす薬を追加。

6時間、7時間を時間が経つにつれて耐えられなくなるくらいの陣痛が襲ってくる。。


赤ちゃんに、何度も「ごめんね。。ごめんね。。」と泣きながら謝りました。




そして、10月11日、12w5d、(4ヶ月)
午後1時25分 出産。




少し前まで生きていたのに。。「死産」

産声をあげることのない悲しいお産。。

言葉に表現できない。。あのつらい気持ち。。



私の出産の処置が落ちついた頃。。
師長さんが、きれいにしてくれた赤ちゃんを連れてきてくれた。


とっても可愛い 「7センチ」、「5グラム」 の赤ちゃん。


私が毎日、1日二回の自己注射、ヘパリンをつづけ、
4ヶ月までに、毎日私のお腹で育ってくれました。

本当に小さな体ですが、立派な赤ちゃんでした。


検診の時、バタバタと元気に動かしていた足。。
こんなに細くてでも、しっかりしていたんだね。。


小さな手に、しっかり5本の指、
小さな足に、しっかり5本の指、
可愛い膝かぶ、かかと、耳、鼻、目、
そして細いあばら骨まで、しっかりありました。



とてもきれいな顔の可愛い子でした。
しっかりこの手に抱かせてもらいました。



赤ちゃんに、また会えますか。。と聞くと
いつでも会えますよ。
会いたくなったら声をかけてくださいと言ってくれました。


3回の面会をさせてもらいました。


抱っこすると涙があふれてきて・・・

どんなに望んでいたか愛しているかを赤ちゃんに話し、「また来てね」と。。。

動かないのに、ずっと見ていても、もっと見ていたい。。
本当にかわいい。。


小さな手に5本の指、小さな足に5本の指、
可愛い膝かぶ、耳、鼻、目、
そして細いあばら骨、

本当に愛おしい。。
ここまで愛おしいと思えるのが不思議なくらい愛おしかった。。



「生きて産まれてきて欲しかった。。」



最期のお別れをして、棺に寝かせて閉じてもらいました。


その後、12日に、棺を胸に抱き退院しました。

私とつながっていた、細い細い糸のような、「ヘソの緒」もいただいて来ました。




親として初めて書いた「死産届」



市役所に死産届けを出し、12日、午後2時からの火葬の許可証をもらいました。


火葬場に向かう前に、一緒に送ってあげる、
小さなくつしたや、手袋、お花を買って、自宅に連れて帰りました。


今までの先に天に戻ったお兄ちゃんお姉ちゃんの元へ連れて行き、みんな仲良く天で過ごせるようにと伝えました。


そして、インコの「ふく」もわかるのか。。
「ふくちゃん、お兄ちゃんになったんだよ。ヨシヨシしてあげてね」
と、私が言うと。。


心配そうに。。棺を、
優しくヨシヨシ(かじかじ)してくれました。


そして、火葬場に戻り、小さなくつしたや、手袋、お花、ミルクも一緒に入れて天に送りました。
火葬して、一緒に連れて帰って来ました。






まだ、この子を産んだこと、思い出すだけで悲しいです。

病院では一睡もできず、睡眠薬を飲み眠りました。



自分の子どもの火葬は、つらすぎました。


我が子を送り、火葬場をでて車に戻り、大泣きしました。
涙が溢れて止まりません。。




命綱の1日2回の自己注射
合計 114本



毎日2回、代わる代わる場所を変え、
お腹や腕に打ち続けた注射。。

いまでも。。お腹と腕があざだらけ。。

私の体には、母親だった証だけが今も残っています。。










今まで、応援ありがとうございました。

まだまだ、心が癒えるまで時間がかかると思いますが、出来るだけ早く回復しますので今後ともよろしくお願いいたします。


ありがとうございました。
ご心配おかけしたので、報告させていただきました。



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何かあれば、メッセージ下さい。

お返事が出来ないかもしれませんが。。
ご了承くださいね。。


今まで、応援ありがとうございました。
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