老い自覚(日記1)
テレビで白髪まじりで、足と腰がやや歪曲し、生気に乏しい表情の老人をみると『俺はあんなんじゃない』と思ってもみるが、間もなくして『あんなんかも・・・』と手鏡を覗く。
少々白髪まじりでも、ピーンと背筋は伸びているが、うつろな目の輝きと顔のたるみは、テレビのお年寄りに近いのではと悩んでいる。
会社でもテニススクールなどでも、大半は50代未満の人達と仕事をしたり、テニスをしたり、カラオケしたりしている。
用語、アクセント、トーンもそれほど違和感はない。
仕草もそんなに違わない。と、思ったり思おうとしている。
もっともテニスなどは、年齢に関係なく同じレベルの生徒でクラス分けがしてあり、同化してしまって違和感を感じない。特に技術はクラスの№1は無理にしても、少なくとも3位以内に位置している事に間違いはない。これ言い切れる。
そんな背景があるものだから、テレビのお年寄りとは差別したがるのは、勘弁してほしい。
あくまでもカレンダーの都合で76才と言われ、本人の意識や体力とは同期しない・・・。と、思ったり思おうとしている。
オリンピックを記念に結婚(時系列1)
さてストーリーは上段と下段で二つの物語が、同時に掲載され、上段は『今、その時々』を、下段は『過去から現在にいたる物語』を掲載するが、上段と下段はいつかは交わるはずだが生きている内に交差させ、余生のみを残したいものである。
それは東京オリンピックを記念し、昭和40年4月22日午前10時30分、新潟総鎮守 白山神社にて挙式、披露宴が挙行された。
ちなみに祝儀は仲人300円・上司200円・同僚が100円が相場であった。又、砂糖箱・反物などの品々は未だ戦後。
挙式の前年、喫茶『雪国』で初デートの折、東京オリンピックを記念して結婚を前提に交際しよう・・・という事になったのである。
ちなみに同店のマッチは不思議と捨てず、記念に我が家の展示ブースに飾ってある。
宴は続き上司の『十日町音頭』の披露がやたら長々と続く。新婚旅行の電車時間が気になるほどに・・・。
当時、新潟から上野までは本数も少なく、4時間を要した。従って式当日の出発は、新潟駅発16:45分発急行『雪国』しかなかった。
従って一泊目は水上温泉となり、夕刻に記念すべき初夜の『ホテル松乃井』に到着。
二食付2人で7,000円、別途ピール1本190円であり、領収書には10円の収入印紙が貼ってあリ、時代の変遷を実感。
おかしかったのは、修学旅行の学生がベランダから我ら新婚夫婦の部屋を覗きに来たが、カーテンを突然開いて驚かしやったが、それを知った部屋係の『弘子さん』が、学生の部屋を変更したのだった。
伊豆植物園や、強羅の大自然、世界一急勾配の箱根登山鉄道は未だ脳裏に残っているが、再度たどってみたいものだ。
尚、新婚旅行のスケジュールや予約は、全て同僚の女社員が手配してくれて感謝、感謝である。
以上の切符、領収書、スケジュール表などを、額縁に入れて我が家の展示ブースに飾ってある。
そして新婚生活がスタートするのである。