【私只今老い活中】 老いも生き活きエンジョイライフ

かなり面白く楽しく、そして相当自由に生きて来たが、残念ながら寄る年波である。このblogをいつか女房と懐かしむ事になるかも、あるいは私を気にしてくれている人が読んでくれるかも。などで掲載したものである。



動機は定かではないが、50才の時 なぜか老後を考えた。


おそらく副社長であった弟が主催した、スナック貸切での50才の誕生を祝う会がきっかけかも・・・。

何をどうするとかの具体性はないが、とにかく健康の維持を目的に、スポーツだけを早目にする事とし、年中室内外でもプレーが可能なテニスを選んだ。

60を過ぎてから始めたのでは、遅いのではと思ったからである。


やって来た70才の時、テニスのネットプレーで要求される俊敏な動作に陰りを感じ、さすがに年寄りになった事を意識したが、年相応であろう程度で思っていた。いや、そう思うとしたかも・・・。


だが、75才になったら『後期高齢者の皆さんへ』と言うハガキが来てガン見めだま 。更に翌週、『後期高齢者医療被保険者証』なるものが届いて、さすがに完全に年寄りになった事を認めざるを得ない状況だが、なにせ実感がない。


昨年あたりどうしたもんかと悩んだが、未だ(2016/4)答え出ず。

だが、毎日はエンジョイしているのだ。

週一会社・週三テニス。夕方には野菜と庭の手入れ・池の鯉、メダカ、カエルの餌くれ。夜はnetshopの対応などで結構忙しい。



このblogは各ページを上段と下段で二つのドキュメントで構成した。

上段は『今、その時々』を、下段は『過去から現在に至る経緯』を時系列で掲載したが、上段と下段はいつかは交わるはずだが生きている内に交差させ、余生のみを残したいものである。


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社員主催の喜寿の祝いを、月岡温泉で祝ってもらった。6月23日(木)・24日(金)の一泊二日である。


副社長の発議で部門長会議で決定したとの事である。

振り返れば50才の折に、初代副社長の発議で、スナックを借り切って誕生会をしてもらった。費用は会社負担であった。記念品にカラオケテープセットが用意され、花束をもらった。


今回の誕生会は『23日の3時半までに会社に来るように・・・』のみを告げられ、会場や参加人員等はナイショとの事であった。

又、休日ではなく木金の理由は、旅館代が安いからとの事であった。

記念品として錦織圭最新モデルのテニスラケットと、特大の花束が用意されていた。




ちなみに会費制であったとの事である。

実に27年ぶりである。

その間古希を含め、会社幹部の発議での誕生会はなかったのである。

正しく当社の体質を如実に物語っている。


世帯交代も進み、平均年齢も下がって来た。社内の雰囲気は爽やかにして明るく、27年前に似ている。

嬉しい限りであり、誠に気分良し。





  

起業試行錯誤 (時系列6)

 

結論は脱サラ。何をどこでなどは全くなく、サラリーマン視点から起業する者として世の中を見ることとし、車を市内中心部へと走らした。

普通こういう行動を『無茶・無謀』という・・・。が、日頃行動の方が早く、ネタを見つけては試行と錯誤をする性格であり、私的には日頃に過ぎない。

 

十字路の交差点が赤信号となり、デパートの最上階からの『防犯運動週刊』とのバカでかい垂れ幕が目に入った。

それはその日初めて私の脳を刺激したフレーズであった。

 

垂れ幕は犯罪を防ぐための啓蒙に過ぎず、科学的に回避する為の匂いがしない。警察は犯罪の防止にどんな科学的手法を用意しているのか。

思い起こせば首都圏では、防犯警報機が販売されている。

 

名刺も、カタログも、提案書もコネなどもあろうはずもないが、まずは県警本部に行って見ることとした。

県警は県庁にあり、案内板の前に立った。実に多くの部署があり組織の大きさには驚いたが、その中に『防犯少年課』という部署があった。

『防犯=警報』の図式が浮かび、アポなしではあるが訪問することとした。

『為せば成る・・・』のである。こういう時は『無茶・無謀』などの熟語は浮かんですらこないのだ。我ながら不思議な人物と思う。

 

大扉をノックしたがなんら反応がない。おそるおそる中に入ったみた。

バカでかい部屋はシーンとしていて、さすが県警と思った。

一番奥で座っている人が部門長であろうと見当をつけて、ずかずかと向かった。誰も声もかけず、止める者もいない。

まさか一般人が入ってくるとは思わないのだ。好き好んで県警本部にくる奴はいないのだ。

これは読みどおりの展開であった。

 

『警報器の事でお伺いしたのですが・・・』

突然見知らぬ男が机の前に立ったものだから、書類に目をとおしていた防犯少年部長がギクッとして私を見上げた。

が、さすが返事は早い『警報器の事なら、交通課だが・・・』

『係長、交通課へ案内してくれ』

 

どこのどいつかも判らないのに、こういう流れになってしまったのだ。

 

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間もなく77度目の誕生日。創業して48年。これだけの時間空間には珍事・奇譚が山盛り。

庭に咲く花々を眺めながら、思いつくまま列記。



     (菜の花が開くと春を実感。雪の心配もなくなりホッとする)


★銀行の窓口で売上げ100万円の札束8個を、ありったけのポケットにねじ込んだが入りきらない。

見かねた行員・・・『この袋をお使いください』

『800万くらいポッケに入るだろう』で出かけたが、意外に入らないんだなー。



★見た事もないその札束8個を、事務所中央のテーブルに積んで『オーイ、触ってみろ・・・』


★初めて来社したお役人。田んぼに囲まれたわが社を『環境が良いですねー』と感想。それしか言いようがなかったのだ。すみません。


★職安に初めての募集、ようやく応募して頂いた当時珍しい茶髪の通称『赤毛のアン』君、電線を埋める穴掘り作業でギブアップ。オシッコに行ったまま戻らず、そのままトンズラ。退職。                                       

       (満開のハナミズキと菜の花)


★天然女史⇒『何してんの!?』

      上司⇒『打ち合わせしているんだ

  天然女史⇒『そんなかっこうで打ち合わせしなくたっていいでしょう!?

そんなかっこうとは・・・

  書庫で同僚の某女と上司が『くんず、ほぐれつ』の最中。とっさに出た双方の第一声。


★その上司、不倫相手が実家で家族会議の最中に割って入り、『大人の恋の邪魔するな!!』に、ダンナと両親アングリ。


★『助けてー!!』・・・と飛び込んできた18才新卒女子社員。左手を見知らぬ男に引っ張られ、右手で必死にドアノブを握る。

別れた彼氏が会社に乗り込んだのだ。


★10年後にスーパーでその新卒とバッタリ。うしろに赤ちゃんを抱っこしたストーカーがペコリm(__)m。


★さんざん貢いだが、結婚したのは隣の席の同僚⇒事件を警戒

★さんざん口説いていたが、祝・結婚退社の社内報⇒自殺を警戒


★彼氏が手紙の返事をくれない。マジ顔でくどくどと訴える短卒2年目。

 『待ちでなく、土日に会いに行ったらどうか』とアドバイス。

 月曜の朝9時⇒『電車に乗り遅れました。今日会社休みます』。判ってやる。

 


               (夜のゆりと紫陽花)
     

★某社の取締役会で提案説明。取締役全員が大手を採択。が、社長のこの一言・・・『私は、人を選んだのだ』の一言で当社に決定。


★技術担当者に言われるがままに修正。毎週一回。6カ月後に合格。

  技術者『これでOK、あとは営業次第』
  営業『技術担当がOKなら、何も言うことはない

     『取引コードは番号はこれだ

     『但し、昼飯を食っていかないと、取引は中止だよ


まだ11時半なのに。有名なかつ丼屋のどんぶりが用意されていた。

今も涙したが、涙でしょっぱいかつ丼を半分食べるのが精いっぱいだった。


★『これ、好きなように使いなさい』と言って、通帳と印鑑を渡してくれた。

 翌月返済したが、後にも先にも借金はこれ一回。妻の母に感涙。

    
 


               (きゅりとカボチャの花)



★千曲川べりを走っているので・・・

『小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ』と口すさんだら、

あんにゃ『うるさい!!』と一括。強行軍でつかれていたんだよね。


★マコが私の机の上に、風呂敷一杯の『月刊 旅館・ホテル』を無言で置いた。

今後ホテル経営を目指すのかなーと思ったが、数年後ホテル管理システムの開発と販売をしていた。デジタル化を実感させられた。大したもんだと思った。


★倉庫の整理をしてとても綺麗になったと報告に来た『土偶みたいなのは、捨てやすいように粉々にして、表に置いておきました』 ・・・で慌てて倉庫へ。

芸大の先生。一体400万。





 

 

 


 



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『春爛漫』(日記5)   


やって来た春爛漫。

この春を愉しむために、2月中旬から庭造りを開始したのだ。

春を迎えてからの作業では、真に春を愉しめない・・・との理屈ではあったが、

単にセッカチに過ぎないからが正解であろう。


造園はややイメージ通りに仕上がった。


             庭回遊路


           池庭                    護摩堂石庭


             苔庭


まず、両隣の古老が褒め称え、知人に『プロの技』と見学を勧めていた。

また、出入りの業者もしばし視線を向け一言添えた。


だからして庭は完成し、春を愉しめばいいのだ。

が、このセッカチ、数々の手直しを思いついたり、真夏が気になったりで、なかなか創作活動が終わりそうにない。


庭石や草木の位置替え。朝顔など初夏を彩る植物の植え付け。

枯れた場合の補充用コケ5種の採取と仮植・・・など。


   


だが、コケ採取に山に入る道すがら、いくつかの沢が気になった。

うっそうとした木々に覆われた沢は、木漏れ日程度で薄暗い。

覗き込むと、そんな環境を好むシダ類やコケが生えているのだ。

さらによく見ると、朽ち果てた枝や岩石に、コケが繁殖しシダなどが棲みつき、正しく自然界が創出したミニ庭園である。


もとより、自然界と闘おうなど思いもしないが、それら作品をわが庭園に取り込む価値ありと思い立ち、コケや見た事も山野草が棲家とした倒木片と岩石数個を持ち帰り、三タイプの庭にそれぞれを配置した処、人と自然が見事にマッチング、見栄えが増した。


   

      目目目目目【庭写真集】目目目目目


  

  


  





 

 『で、脱サラ 』(時系列) 


義父が『婿と婿養子の違い』の講義をしてくれたが、相続権などまるで興味もなく、権利を得ようとも思わなかった。

お年頃かそもそも私は『男』であったのだった。


美容師と結婚し、婿養子になったばかりに周囲がうるさくなってきた。

『髪結いの亭主』だの『ヒモ』などと陰口を言われ、極めつけは『婿なんだから』と『婿のクセして』がとても興味深く聞こえ、町内ではそのよう過ごした方が、住み心地良かった。


にしても私はメーカーのサラリーマン。やがて県外への転勤命令が来た。

当然受託。妻に『来月転勤するから、パーマ屋は向こうで開業しな・・・』

普通にこう言った。当たり前に言った。サラリーマンに転勤はつきものなのだから何の躊躇もなく報告したのであった。


『ハーアッ 』 ・・・これが妻の第一声である。

声のトーンは超低音から、語尾はソプラノ歌手より甲高かった。

そして、それぞれの立場と収入の格差について、諭しながら語ったのであった。

私には長年培った美容院の看板がある事。

固定顧客も多くいる事。

収入が多い事。

『あなたにはそれらに勝る事が一個でもあるかっ

語尾は高く冷静であった。かな・・・。


完全におっしゃる通り 。全てにおいて叶わない。ギブアップである

体中に電気が駆け巡り、己の無知、未熟さを瞬時に悟らせられた。

そして、会社は退職する事とした。この決断は早かった。

私の身の処し方などの議論は全くしなかった。


ありていに言えば『髪亭』であろうが、男はそれを許すはずはない。

退職してからゆっくり考える事した。


だが、男に到底『ゆっくり』など出来ようはずはなく、 サラリーマンの次は 自営業と言う決断にさほどの時間は必要なかった。



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春のロケーション大作戦(日記4)  


今日も大雪注意報が発令され、今さっき除雪車が唸りをあげて雪をけちらしていった。天からはなおも結晶が判別出来るほどのボタン雪。


コーヒーをすすりながら想いははや春。

春には春ではの景色と匂いを満喫しよう・・・であった。

さりながらロケーション創りは作業であってはならず、愉しみながら創作せねば・・・とのにわかポリシーで身構えた。


熱くなるのは常。『きっぱやい、せっかち』とも言われてはいるが、動きはいささか早い。

だからして、春の兆し目前の2月中旬から、庭の本格的な大改造を開始する事と夢描いた。

小雨・粉雪はやがて春の予兆と解し、防寒具を着こみ、三角すげ傘には郷愁を憶え、自己満の世界を楽しんだ。


なにしろ30年近くの無人。ほとんど手入れをしていない。

庭いじりは大好きなのだが、借家住まいではそれが出来なかったのだ。せいぜいプランターや鉢植え止まりであった。



まず、玄関前のコンクリート広場の庭化構想から・・・。

基本素材は石と土。昔集めた護摩堂山の岩石の配置、積み替え作業を繰り返し、それなりに一応の見栄えを呈したが、この庭に妻が美容院を経営していた証を添えたいと思いついた。



結果かつて、待合室で使っていた直径50cmの陶製火鉢を活用する事とし、底に穴を開け、岩で囲んだ庭の中央に配置し土を入れ、モクレンを真ん中に、周囲に竹と紅葉を寄せ植え、隙間には近くの山から採取したコケを配したが、存在感バツグンである。




庭大改造計画の次の作業は、『飛翔 富士の朝日』をテーマとした中庭の創作でである。


土で富士山とすそ野を作り、コケを貼り付け、常務から頂いた赤石を頂上近くに配し、頂きや登山道はコケの種類を変えてらしくした。

そして、すそ野には大小さまざまな石と、数種類の草木を植えた。

なんとなくらしくなった。


   

玄関前の庭化作業している内に、3月となり春の匂いも色濃くなった。外仕事も容易となって来た。

そこで近くの山で『眺望 富士の朝日』の斜面を彩るコケ探しに出かけた。



     


婿と婿養子(時系列4)


妻の父、つまり義父は農家の長男にして、農業を継ぐという条件で、県立中学校(現在の高校)に進学し、柔道部に所属。夏休みには講道館で修業するなど文武両道の強者であった。



後年、日中戦争に召集され、最前線で機関銃部隊に所属、

敵兵の姿が見える距離で撃ち合い、退路の確保をした。

次いで第二次世界大戦では父島に駐屯し、ここでは戦況の報告書の作成をしていた。

義父は酒が入ると、生々しい戦争秘話を聞かせてくれたものであった。


さて長女、つまり私の妻が生まれた時に義父は戦地の為、娘の出産の立会など、思いもつかないのであった。

やがて終戦となり義父が帰国した頃には、妻は小学校三年生になっていたのであった。


当時義父から『共産党』とあだ名されていた妻は、誠に活発な子供で、口答えはいちいち、父親の言う事を聞かず、追いかければあぜ道へ脱兎のごとく逃げ切るなどの所作は、父親として娘の将来を大いに心配させていた。


嫁がせるのは無理。と義父は思った。

又、就職も心配。農業などは夢の又夢なのだ。

義父は東京に美容業の存在を知り、娘を美容師にする事を

思い立った。手に職をつけさせようと言うのだ、


が、大問題があった。

当時、人の頭(髪)をいじる仕事は軽蔑されていて、義父の父母つまり爺ちゃん、婆ちゃんは絶対反対。

だが、都合が悪いことには、財布は一切合財爺ちゃんが握っていたのであった。

爺ちゃん曰く・・・『美容学校の費用は一切出さない。孫娘は看護婦にさせろ。』と兵糧攻め宣言。

当時新潟県に美容師育成の専門学校はなく、東京で勉強させるしかなかった。

故に爺ちゃんの理解なくしてこれは無理・・・。


が、それにめげる義父ではない。なにせ戦争に二回も行って、およそ奇跡の生還と言って良い体験者であり、口答えしてあぜ道に逃走する娘の親である。

ある日いつもの様に新聞持参でトイレに入った。なんと新潟市内に『理・美容専門学校』が設立され、第一期生募集の広告が掲載されているではないか。

びっくりした義父、出物の始末は不明だが、新潟市なら自宅から通学可能な立地。




義父はしいたけ栽培、義母はギヤカーで野菜売りをする事とし、義父は毎日朝晩娘(後年私の妻)を自転車で駅まで送り迎えしたのであった。一回たりとて休まなかったとの事である。

『共産党』だが、可愛くも娘の将来を心配して、大変な苦労をして美容師に仕立て上げたのであった。


その『共産党』、専門学校を卒業後、3箇所の美容院でインターン後、借家して地元で開業、20才の折に自宅を新築したのであった。

お客様も定着し、経営も軌道にのって落ち着いて来たが、落ち着かないのが『婿取り話』であった。


なにしろ『嫁がせるのは無理』・『手職に美容師』・『旦那は婿を取る』と義父は考えていたのだ。

娘(妻)はどって事ない性格。父親のペースで事が進む。


そこで選ばれたのが小生であった。

が、あくまでも『婿』であり、『婿養子』ではないのである。

形式など拘らない小生、その違えなど考えたことも、聞こうとした事もなかったが、結婚して2年後だかに義父が『婿と婿養子の違い』の講義してくれたが、相続権などまるで興味のない男であった。



義父は勇気をもって小生に『あんたは養子でないのだから、相続権は無い』・・・事を明確にしておきたかったのであろう。




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木曜・Cクラス新年会(日記3)


2時間飲み放題の居酒屋はあるが、飲み食い放題っていう居酒屋は無いらしい。

生ビール2杯で上機嫌になってしまう輩としては、夕食替わりにしたいのだ。

そんな思いで、恒例のテニススクール木曜日・Cクラスの新年会に出かけた。会場の肉を売りにした居酒屋は、やはり2時間飲み放題でお一人様5,000円であった。


それにしても、引越し前の酒席への参加は、往復ともタクシーであったが、今は電車である。

タクシーだと所要時間50分で片道9,300円。電車は30分で500円。費用対効果

からして答え一発であろう。



さて28年ぶりにローカル線に乗ったが、まるで久し振りに会う同級生みたくトキメキがあった。ものすごく珍しく思いた。

流れ去る車窓の景色に見入ったり、つり革や広告が過去を回想させ、少年が如くうきうきし、感動している自分を感じた。楽しかった。








その居酒屋は、サイコロ状の肉一片×1人で、店員が産地と部位の説明に現れるが、そのほとんどがオーストラリア産であり、どうやら部位の多さが自慢であり、他店との差別化か。いずれにせよ、夕食替わりになる量ではない。


我がCクラスは、なにかと理由をつけては飲み会の招集をかける。忘新年会、暑気払い、新歓etc。

幹事はいつもHさん(40才代)で、実に多くの居酒屋に精通していて、企画から清算まで彼女が仕切ってくれる。

本来彼女は、木曜日・Cクラスより2段階上のクラスの生徒だが、Cクラスがお気に入りで時折振替えして来る。

女性(40代~50代)4人、コーチ(男性52才)と76才の私でテーブルを囲む。近くに暖炉の炎がゆらめきムーディー。



女性陣は実に良く呑み食べ、そして間断なく喋る。

なにかの話が膨らみ、広がり枝葉におよび、それが更に膨らむ。つまり終わりはないのである。


お喋りは概ね子供の話のキャッチボールからスタートし、次にダンナの動向となり、意外にテニスの話題は出てこない。

が、追加の呑みものと料理への気配りは、いかなる状況下でも、一瞬たりとて途切れる事はない。



追加注文は吾輩の担当で、右手を高々と上げライターをこする。一夜でライターの石が無くなる程の活躍となる。

お喋りはビジュアルで、スマホが登場し、全員が画面を覗き、ついでに欠席したクラスメートへメールをしたりする。


さて、彼女らのお喋りに割って入るには技術を要するが、ダンナの話をぶち込むと、やや正気になって耳を傾けるので、切り口の武器としては効果的なのである。


呑み放題では終わらず、必ず二次会があり、決まってカラオケ屋である。

相当に出来上がっているのだが、当然ここでもアルコールを注文し、ペースはそれほどに落ちない。

一曲目は吾輩が歌う事になっていて、2曲目からはマイクの奪い合いとなる。

従って吾輩の2曲目は基本、全員が一巡してからであるが、出来上がっているので割り込んでもバレないのだ。



貞淑な妻達はなんとか今日中の帰宅を目標としているが、まま翌日にまたがる事もある。

帰りは当然タクシーで、方向の同じ人が同乗するが、ダンナを呼びつけるつわものもいて頼もしい。

私のみが終電となる。


主婦は、たまにはバカにならないとやっていけないのである。爆発してしまうのである。







髪亭の寝言(時系列3)


三泊四日の新婚旅行から帰り・・・。と言っても妻が20才の時に建てた家にである。 

          


玄関には美容院に勤務している美容師が『先生お帰りなさ~い』と出迎えた。

このあたりから私の立場や権威が、徐々に明確になるのであるのだが、それは現在に至るまでである。

2階の妻の寝室が、そのまま新婚さんの寝室となり、廊下をはさんで、泊り込みの美容師見習いの部屋がある。


第一夜は疲れもあり爆睡。目が覚めたら妻の姿はなく、美容室からお客様対応の声が聞こえる。朝5時には早朝の

部が始まるのである。

寝ぼけ眼で起き上ったら、枕元にハンカチと靴下がキチンと

たたんで置いてある。

結婚するとこんな便利なサービスがあるのかと感動した。

もっとも、このサービスはキッチリ三日間であった。

後年、この現象を確認したら、『お客様から教わったが、いそがしくって出来なくなった』との事である。




美容院の客層と来店時間帯は・・・、勤め人は出勤前の朝5時に。10時頃からは芸者さんが。

午後からは旅館の女将さん、仲居さん、置屋のおかぁさん。

夕方は、農家の主婦。勤め帰りお客さん。

まだ、夜と深夜がある。

夜は勤め帰りのお客さん。そして深夜にかけてはお客さんに頭をさわられて崩れた髪の手直しがある。


労働基準法クソくらえなのだ。従ってダンナの夕飯など思いもよらず、インターホンで催促をしようもんなら、『この忙しいのに』か、『従業員だって我慢しているのに』・・・など、小さい声で叱責される。そして『出前をとれ』などは優しいほうなのである。




さて、私の立場と権威は、新婚二日目の夕刻に認識させられ、意識するようになった。


玄関で『こんばんわ~』と隣の奥さん。『はいはい』と気さくに私、『先生いますか』・『まだ店ですがなにか・・・』・『じゃーこの回覧板渡してください』・・・。

回覧板ごとき俺でいいじゃんか。

別の日に『先生いますか~』⇒『明日公民館で・・・』

又別の日に『先生いますか~』⇒『ゴミステーションの掃除・クリーニング屋、新聞屋の集金。驚いたのは防犯巡回の警察官がさも珍獣発見が目つきで『先生いますか~』とこの私に尋ねた。


奥さんいますかでも、苗字でも、名前で所在を確認するのではない。100%『先生』なのである。

わからぬではない、医者や美容師を『先生』と呼ぶ習慣があり、妻も長い間『先生』と呼ばれてきたのだ。

なのに、突然見も知らぬ男が現れたのだ。とっさに、ご主人とか旦那さんなどの代名詞は出ないであろう。それは判る。理解できる。仕方がないのだ。大人の度量ってやつだ・・・と屈辱感の払拭に努めた。


だが、美容師達の言動は明確に私を敵視していた。



私達の師匠、共に築いたお店と絆・・・。なのに、突如現れた男にその全てを奪われたのだ。少なくともそんな感情になっても不思議ではない。


彼女らは私の目どころか、顔を見ないで用を足そうとする。

しかも、接続詞も助詞もなく主語、単語を発するのだ。

『8時・ドリフ・全員集合』てな調子。




『あのー』とか『すみませーん』の声は私を呼んでいるサインなのである。

のちに妻が『ダンナさんと呼びなさい』とアドバイスしたあたりから、徐々に普通の共同生活者になった様である。


隣の奥さんが回覧板を私に渡すようになったり、美容師の皆さんが私を『ダンナさん』と呼ぶようになるなど、私の存在が少しずつ認められて来たが、なにしろ町内の人か、通行人かの判別が出来ない。


ある日妻が、このあたりの人はほとんどがお客さんだから、道で出会ったら、お辞儀をするようにとの指導があった。


が、どれが隣人か通行人かの区別がはなはだ難しいのだ。

面倒くさいから、あった人全てにお辞儀をしていたら、それを見た妻が、『あほみたいに通行人にまでお辞儀をするな』とのご指導。


知らない土地で住むって難しいもんだと思いつつ、車で出かける時は、わき見をせず、まっすぐのみを凝視して運転したら、大分煩わしさから解放された。

だが、それはそれで『パーマ屋のダンナは姿勢が良く、真面目な人』と評されてしまった。

放ってほしいもんだが、妻はパーマ屋であり人気商売でもあるのだ。我慢我慢。


そんなこんなで、不慣れなダンナさん。昼は会社、夜は髪亭

の二足のわらじ生活であるが、自転車で15分の所に妻の実家があるのだが、毎日母親がリヤカーを引いて野菜売りに、父親は飲み会の帰りに必ず寄るのだが、その父親が『婿と、婿養子の違いがわかるか』と言いだしたのだ・・・。


駅に降りて徒歩5分の居酒屋に全員が集合したところで、木曜・Cクラスのコーチが、乾杯の音頭をとった。
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浦島太郎(日記2) 


28年間空けていた自宅を増改築し、陽春6月に戻ってきて今日は大寒。例年より雪が深いらしいが、正面・裏通用口・そして通路には、消雪プロテクターを張り巡らせた。又道路には消雪パイプが敷設してあり、除雪に難儀はしなかった。



今後更に年を重ねた場合に備えた雪対策ではあるが、改良の余地がある。水と自動化と常設かな・・・。


長期間自宅を開けていた理由は、妻の病気治療と、仕事の利便性から会社に近い借家で暮らしていたが、高齢になり、終の棲家として自宅に戻って来たのだ。 近隣の人達には大歓迎されたが、浦島太郎状態であった。

久し振りに眺める自室からの庭と、彼方の丘状の木々の冬景色に大いなる期待をしていたが、窓からは日本画家が描いたと思わんばかりの作品を、毎日眼前に出来る幸せを感じている。


居住性とは、家と住設のみならず、庭を含めた三位一体であらねばとの思いで、引越し3ケ月前から庭造りを始め、いろんな樹木や季節の花々をあちこちに植えた。

勿論越してきてからも一日中庭造りに没頭。日焼けして全身これ真っ黒。手足はまるでゴボウ状態。




ご自慢は池であろう。2畳ほどであるが、鯉・金魚・よしのぼり・どじょう・二枚貝などを飼っているが、デザインと暖房法は再考を要するので、春早々に手直しを計画。

魚たちの健康と、超高齢になっても飼育が容易で、鑑賞がし易い池としたい。


今時のしゃべる住設や、日用品の置き場所に戸惑いを感じたが、今はすっかり慣れて落着いている。

会社とテニススクールへは40分ほどを要すが苦ではなく、テニスの帰りに会社へ寄ったりしている。


スーパーやホームセンターは以前は5分ほどで行けたが、今は10分ほどかかるが、それほどの不便を感じない。


そんなこんなで、ようやく自宅に帰れて、2016年は老い活元年となり、ブログへの記録からスタートした。







初デート後のデート(時系列2)



喫茶『雪国』で初デート後のデートの場は、週一で彼女の自宅であり、2階の茶の間であった。

当時彼女は美容院経営者で、定休日は毎週火曜日であり、サラリーマンの私の休みは日曜日であった。

従って火曜日に勤務を終えて夜7時ころに、彼女の自宅を訪ねたのだった。

この自宅、妻が20才の時に建て、私はその家を増改築した

ものであり、築数十年ではあるが、頑丈に出来ていた。

話が弾み毎回深夜2時ころまで、2階の茶の間で過ごした。

そこにはレコードプレーヤーが置いてあり、ロシア民謡のレコードが一枚だけあった。

当時私は、サムテーラーやアルゼンチンタンゴなどをステレオプレーヤーで楽しんでいた為、そのロシア民謡を聴かなかったと思う。


後日談で・・・、プレーヤーとレコードは、格好をつけて揃えたとの事であった。


妻は美容院の休みの日は、講習会や業界の集まり、所用で多忙を極めていたが、私が訪ねる頃には夕食の支度が

出来ていて、台所の座テーブルに向い合ってご飯を食べたが、外食はほとんどしなかった。

又、ドライブに行くとか、映画に行くとかの発想がなかった。



食後殺風景な2階の茶の間に移動し、将来の夢を語る様になり、徐々に結婚の機運が高まって来た。

それにしても、暇さえあれば居眠りの癖がある彼女が、全く

その姿を見せなかったのが不思議である。

現に今、私の書斎に居眠りして既に1時間。まだ午前10時

なのである。


そして婿養子ではなく、単に養子の身分で結婚し、周囲が『髪結いの亭主』と揶揄する中、『髪亭の寝言』がスタート。


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老い自覚(日記1)


テレビで白髪まじりで、足と腰がやや歪曲し、生気に乏しい表情の老人をみると『俺はあんなんじゃない』と思ってもみるが、間もなくして『あんなんかも・・・』と手鏡を覗く。


少々白髪まじりでも、ピーンと背筋は伸びているが、うつろな目の輝きと顔のたるみは、テレビのお年寄りに近いのではと悩んでいる。

勿論、最大限自分に都合の良い解釈ではある。

会社でもテニススクールなどでも、大半は50代未満の人達と仕事をしたり、テニスをしたり、カラオケしたりしている。

用語、アクセント、トーンもそれほど違和感はない。

仕草もそんなに違わない。と、思ったり思おうとしている。


もっともテニスなどは、年齢に関係なく同じレベルの生徒でクラス分けがしてあり、同化してしまって違和感を感じない。特に技術はクラスの№1は無理にしても、少なくとも3位以内に位置している事に間違いはない。これ言い切れる。


そんな背景があるものだから、テレビのお年寄りとは差別したがるのは、勘弁してほしい。

あくまでもカレンダーの都合で76才と言われ、本人の意識や体力とは同期しない・・・。と、思ったり思おうとしている。



オリンピックを記念に結婚(時系列1)


さてストーリーは上段と下段で二つの物語が、同時に掲載され、上段は『今、その時々』を、下段は『過去から現在にいたる物語』を掲載するが、上段と下段はいつかは交わるはずだが生きている内に交差させ、余生のみを残したいものである。


それは東京オリンピックを記念し、昭和40年4月22日午前10時30分、新潟総鎮守 白山神社にて挙式、披露宴が挙行された。

ちなみに祝儀は仲人300円・上司200円・同僚が100円が相場であった。又、砂糖箱・反物などの品々は未だ戦後。

挙式の前年、喫茶『雪国』で初デートの折、東京オリンピックを記念して結婚を前提に交際しよう・・・という事になったのである。

ちなみに同店のマッチは不思議と捨てず、記念に我が家の展示ブースに飾ってある。


宴は続き上司の『十日町音頭』の披露がやたら長々と続く。新婚旅行の電車時間が気になるほどに・・・。

当時、新潟から上野までは本数も少なく、4時間を要した。従って式当日の出発は、新潟駅発16:45分発急行『雪国』しかなかった。

従って一泊目は水上温泉となり、夕刻に記念すべき初夜の『ホテル松乃井』に到着。

二食付2人で7,000円、別途ピール1本190円であり、領収書には10円の収入印紙が貼ってあリ、時代の変遷を実感。

おかしかったのは、修学旅行の学生がベランダから我ら新婚夫婦の部屋を覗きに来たが、カーテンを突然開いて驚かしやったが、それを知った部屋係の『弘子さん』が、学生の部屋を変更したのだった。




伊豆植物園や、強羅の大自然、世界一急勾配の箱根登山鉄道は未だ脳裏に残っているが、再度たどってみたいものだ。


尚、新婚旅行のスケジュールや予約は、全て同僚の女社員が手配してくれて感謝、感謝である。

以上の切符、領収書、スケジュール表などを、額縁に入れて我が家の展示ブースに飾ってある。


そして新婚生活がスタートするのである。








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