工房 照在 〜koubou TeA〜

人物と動物の肖像画をお届けする「工房 照在 〜koubou TeA〜」のアーティスト 藤井タタラの公式ブログ

すべての作品に秘められている魅力的なストーリー、愛猫なつめとの日々や新作情報、作品展のご案内など綴っておりますので、お気軽にご覧ください♪


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村上春樹さんの新刊「騎士団長殺し」読了本

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自分の備忘録として、所感をまとめておこうと思います。


Amazonレビューを拝見したところ、過去の作品を混ぜ合わせたセルフカバーとのご指摘がちらほら。


確かに、「ねじまき鳥クロニクル」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」など、共通する要素は多分にあります。


小説としての牽引力で言えば、「1Q84」や「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の方が強いかも知れません。


個人的には、後者の世界観や、『組織(システム)/ 計算士』と『工場(ファクトリー)/ 記号士』を、両者を意図的に右手と左手とすることの作用に、主人公が気づくあたりが好きですw


いずれにせよ、「騎士団長殺し」という作品もまた、本文で語られる『Blessing in disguise』あるいは『caveat emptor』であると、わたしは考えています。


主人公ほどのキャリアはありませんが、同じく肖像画を制作する者として、多くの示唆とその指すところの感覚を受け取りました。



顕す、ということ

そこには(翻案として)、必然性があるはずだ。


そして(第1 p112

「そのような作業には『換骨奪胎』とまではいかずとも、自分なりに(画面を)解釈し『翻訳』することが必要とされるし、そのためには(原画の中に)ある意図をまず把握しなくてはならない。~ 比喩的に言うなら、彼の履いている靴に自分の足を入れてみる必要がある」


より多くを掬うためには(第1 p459

「この仕事から不自然な要素をできるだけ取り除きたいということです」


たとえば、“ここ”に言葉をもちこまない、ということ。


たとえば、“ここ”に還る、ということ。


しかしそれは、同時に失うことから創り出せるものでもある。


わたしたちは、知らないふりをすることで体験している。ふたたび、出逢うことができる。


結果、顕れたものが、得てして予測を超えたものであることが、顕すことの妙だと思う。

けれど、どんなにかけ離れているように見えたとしても、それはそこにあるもの。


主人公は、そこに「何か新しい行き先」を見出していく。


それは果たして、自由意志と言い切れるのか。


人間は、イデアを自律的なものとして取り扱うことができると言えるのか。



自由意志について

騎士団長は

「必然性のない姿かたちをとることはできないようになっておる」

と応え


主人公は(第1 p339

「知っていても知らなくても、やってくる結果は同じようなものだよ。遅いか早いか、突然か突然じゃないか、ノックの音が大きいか小さいか、それくらいの違いしかない」

ともらし、


主人公の友人である雨田は(第1 p341

「しかし人は永遠にそれを聞かないままでいるわけにはいかない。時が来れば、たとえしっかり両方の耳を塞いでいたところで、音は空気を震わせ人の心に食い込んでくる。それを防ぐことはできない。もしそれが嫌なら真空の世界に行くしかない」

と語った。


さらに騎士団長は、その姿をとったことは、一連のものごとの開始であると同時に帰結であり

「それはあらかじめ決定されていたことなのだ」

と告げる。

騎士団長から見れば、主人公が絵を描くことによって、すでによく知っていることを、主体的に形体化するのと相違ない。


そのようにして、主人公は〈メタファー通路〉を開き、事象と表現の関連性によって成り立つ土地に足を踏み入れた。


現実と非現実の境目がつかめなくなることに必然性があるからだ。

(第1 p449

「正しい知識が人を豊かにするとは限らんぜ。客観が主観を凌駕するとは限らんぜ。事実が妄想を吹き消すとは限らんぜ」


小説が物語である所以とも言えるのではないだろうか。


村上春樹は小説を「現象的ヴィークル」と呼び、長編においては特にそれを重視していると思う。


その世界では主人公は、自分の行動に合わせて、関連性が生まれていくことを信じるしかない。


(第1 p451

「真実とはすなはち表象のことであり、表象とはすなはち真実のことだ。そこにある表象をそのままぐいと呑み込んでしまうのがいちばんなのだ。~略~ 人がそれ以外の方法を用いて理解の道を辿ろうとするのは、あたかも水にザルを浮かべんとするようなものだ」


そう、不思議の国に迷い込んだアリスのように。

Drink me ドキドキ & Eat me キスマーク



自分を信じる、とは】

今回の読書体験で、わたしにとって1番重要だったのは、失踪した少女まりえが、谷の向かい側から自分の自宅を双眼鏡で眺めるシーンだ。

(第2 p463~)

一種、自分が乖離するような感覚、激しい郷愁とも寂寥とも言い得ぬ波を聴いた。


それはもしかしたら「チシテキ」なことかもしれない。


物語の後半で、向かいの屋敷に住む免色氏は(第2 p269

「あなたには望んでも手に入らないものを望むだけの力があります。でも私はこの人生において、望めば手に入るものしか望むことができなかった」

と、主人公に語る。  


(第2 p237

「壁はもともとは人を護るために作られたものです。~略~ しかしそれはときとして、人を封じ込めるためにも使われます。~略~ それを目的として作られる壁もあります」

免色氏はもちろん気づいている。


またまりえも、免色氏について「あの人は何かを信じたがっているのだ」と見抜いている。


主人公は、どこまでも関連性に揺れ動く世界で

示されるあらゆる仄めかしを、あらゆるたまたまを正面から真剣に扱うことで


まりえは、なぜか安息を呼び起こす「イフク」をそっと握ることで


自分が「知っている」に触れ続けようとする。


物語は「きみはそれを信じた方がいい」という囁きで、ひっそりと環を結ぶ。

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P.S.

備忘録という前提に甘んじて、現象的ヴィークルとして機能的な大作をいくつか。

下記すべて、映画とは別物とご留意くださいませ。


本「指輪物語」JRR・トールキン

   言わずと知れたヒーローズジャーニー

   3巻の最後らへんから急に面白くなるので、そこまではイニシエーションと思って耐えていただければ(笑)


本「はてしない物語」ミヒャエル・エンデ

  これは本じゃない、くらい強力ですキラキラキラキラキラキラ

  大人向けがお好みであれば

    「鏡のなかの鏡」が秀逸鏡


本「ゲド戦記」ル・グウィン

     2巻が特にお気に入り


ちなみに「ハリーポッター」はわたしは23冊で投げ出しました。


こうして並べてみると「名前をつける/とりもどす(帰還)」というプロセスは、とてもスタンダードでありつつ、ドラスティックな変容の王道と言わざるを得ませんw


ご興味のある方は、くれぐれも

caveat emptor 』でクローバー

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