戯れ☆ぷかぷか見聞録

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初めて見る宮本浩次のソロコンサート「宮本浩次縦横無尽」は2021年6月12日、宮本浩次の55歳の誕生日に行われた。

場所は東京ガーデンシアター。2020年に有明に誕生したコンサートホールだ。

 

僕は配信で見た。

 

 

「僕はどっか、宮本が鮮やかに新しいプロジェクトでブレイクする様を見てみたいと思っていた」

 

前にブログでも書いた。それは1995年の話だ。

 

エレカシはエピックをクビになり解散するのかという時に思ったことだ。

 

「トミや成ちゃんじゃないバックで唄う宮本、想像できる?」

 

と言われて、確かに想像もつかないと思った。

 

そうしてそれから26年後のこの日「宮本浩次縦横無尽」は始まった。

 

始まってすぐ、30年以上見てきたエレファントカシマシのメンバーがいないことに違和感と喪失感を覚えた。

テレビで宮本のソロバンドを見てきたから問題ないとは思っていたけれど、まさかこれほどとは。

 

ショックを受けてしまった。

 

「宮本はギターを持たない方がいい、ワイヤレスマイクにした方がいい」

 

ともブログに書いた。

その通り。宮本はギターを持たずワイヤレスマイクで唄った。

ギターを持ったのは「今宵の月のように」だけでほぼ全編それで通した。

 

とにかく全てがいつものエレカシとは違う。その違うことが全部気になった。

 

エレカシメンバーがいない。

ステージにシールドの類が一切ない。

プログラミングでストリングスやホーンが入る。

観客は声を上げられない。

 

宮本は5曲目あたりから苦しそうになってきた。汗がいつもより早い。

 

そこからコンサートは女性歌手カバーアルバム「ROMANCE」をピックアップする時間となる。

この数曲に僕は引き込まれた。

「二人でお酒を」「化粧」「ジョニイへの伝言」。思わず拍手する。

宮本の唄がとにかく最高だった。演奏も重厚だった。

 

この辺になるとエレカシメンバー不在もワイヤレスマイクでギターレスも気にならなくなってきた。

しかし代わりに「宮本大丈夫か問題」が頭をもたげてきた。

 

全曲初披露、初バンドとの曲をやって明らかにオーバーペースでアップアップ状態になってる曲も目立ち始めた。

 

そう言えば昔はそうだった。エレカシのコンサートは60~70分で終わっていた。

頭から新曲をリミッターぶっちぎりの演奏でやるから、身体や声が持たなかったのは観客にもわかった。

70分で終わろうが、足りないと思ったことは全くなかった。

 

そんなペースでやったのだろう。

メンバーの演奏に食らいつく形で何曲かやったあと「悲しみの果て」が演奏された。

ギターを持たずに他人のカウントでこの曲を唄う宮本を初めて見た。

 

休憩を挟んで第2部はみんなのうたで最近流れている「passion」の小気味良いロックから。

「ガストロンジャー」「今宵の月のように」「あなたのやさしさをオレは何に例えよう」とエレカシ曲が続く。

長年宮本が唄ってきた曲だからここは宮本のフィールドだ。

エレカシの曲をソロでやることには賛否あるだろうが、僕は良いと思う。

 

コンサートも最終コーナーを曲がってのストレート、ファーストソロ「宮本、独歩。」からの真骨頂ロックナンバー「昇る太陽」「ハレルヤ」だ。

 

そして最後、もうやる曲はこれしかない。まだ発売前のシングル「sha・la・la・la」。

 

僕はこの曲が大好きだ。先行配信で聞いた時からこれはオーラスで唄う曲だと思った。

「夢はシャラララ〜、シャラララ〜、シャラララ〜」

で観客の手が左右に揺れる。まるで昔からの代表曲のように。

 

僕はそのステージに未来を見た気がした。

 

きっとこの次宮本が大きな舞台で大勢の人たちの前で唄うのはきっとこの曲だろう。

 

これは寄り添う曲だ。みんなで唄う曲だ。新しいアンセムだ。シャラララ〜だ。

 

よくぞこの曲を初のソロコンサート直前に世に出してくれた。

 

 

 

初めに抱いてた違和感はアーカイブで何度か見ているうちに和らいでいった。

 

宮本がソロプロジェクトで鮮やかに、ギターを持たずワイヤレスマイクで唄う。

これは紛れもなく僕が見てみたかった景色だ。

文句があろうはずはない。

 

今回は「土手でのケンカ」を見てるような気にもなった。宮本浩次とバンドの。

最後の、コンサートが終わっての宮本の満面の笑みは、バンドの手応えと食らいついたオレへの満足感があったように思えた。

 

課題なんていくらでもある。昔からそうだ。課題を見つけるためにまず全力でやることから始まる。

このバンドが本当のグルーヴを手にしたら、、、。

 

その緞帳(どんちょう)が上がった。

そんなコンサートだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

エレファントカシマシ(通称エレカシ)がデビュー30周年の全国都道府県ツアーを終えて、宮本浩次はソロ活動に入った。

 

ソロってなんなの?バンドはどうするの?という声をたくさん聞いた。が、僕にとっては「やっっっっとか!」という思いが強かった。

もちろんエレカシというバンドが解散するなら大問題だけど、そういうことじゃない。宮本浩次のソロ。これが聴きたかった。

 

思えば20数年前。エレカシが全く売れずにレコード会社をクビになった時からその思いはあった。

 

その当時僕はエレカシが解散なんて冗談じゃないと思いつつも、頭の中の25パーセントくらいで「ソロの宮本も見てみたい」と思っていた。

 

フリッパーズギターを解散した小沢健二が、ユニコーンを解散した奥田民生が、ブルーハーツを解散したハイロウズが、こぞって自由で魅力のある曲を出していた。宮本だって今だったらソロでそんな活動ができるんじゃないかと思った。

 

結局その時はバンド解散(させられる)を頑なに拒んだ宮本浩次が「悲しみの果て」「今宵の月のように」のホームランを放ってエレカシ は世間に認められた。1996年の事だ。

 

 

あれから24年経った2020年3月4日、宮本浩次のファーストソロアルバムが発売された。タイトルは「宮本、独歩。」。

 

ほとんど全ての曲がタイアップの、すでに世に出てる曲を集めたソロアルバムだった。

このアルバムが出る前の1~2ヶ月間はどしどしタイアップやシングルで新曲が発表され、お祭りのようなものだった。

 

その一環でNHKの歌番組で唄う事があった。曲はRCサクセションの「雨あがりの夜空に」。

イントロが鳴って曲が始まる。宮本は苦い顔をして下を向いてる。不安を隠せない。この曲のイントロで下を向く人を初めて見た。リアルだった。宮本浩次がバンドもギターもなく人前に出るとはこういう事なんだと、改めて思った。中学生の頃からほぼ宮本はエレカシでしか唄ってこなかったんだ。

 

そしてもう一曲ファーストソロシングル「冬の花」を唄う姿に僕は戰慄を感じた。とてつもないオーラというかなんというか気が全身から放出されていた。エレカシにはない世界だった。宮本がソロをやる意味が理解できた。

 

今回は「宮本とギターとマイク」というところにスポットを当てて見ようと思った。

なぜなら僕がずっとそこに注目してエレカシを見てきたからだ。

 

まずエレカシがデビューした時、宮本はギターを弾けなかった。ハンドマイクでふらふらしながら、もしゃもしゃしながら、せせら笑ったり、時には目を見開き激しく、特に絶叫する時は空を向き、唄っていた。

 

3rdアルバム「浮世の夢」からアコースティックギターの弾き語り調の曲が現れ始め、4thアルバム「生活」では轟音のエレクトリックギターをかき鳴らすようになった。

 

そのギターはサビだらけの刀のようにゴリゴリで上手さとは程遠かったが、時にズバッと心臓を突くような、「鋭さ」があった。「ギター始めたばかりなのになんでそんなことできるんだ?」と脱帽するところもあった。

 

余談だが、初めて僕がギターを買いに行った時店員さんに「どんなギターサウンドが好きですか?」と訊かれて答えたのが「ロバートクレイ。あと、エレファントカシマシ」。

店員さんは「それは、、極端ですね」と言っていたが、僕もそう思う。しかしとにかく宮本のギターはかっこよかった。

 

5枚目のアルバムからはフレーズも豊かになり、8枚目のアルバムでは「悲しみの果て」に象徴されるようにエレカシサウンドとは宮本のギターという構図が浸透した。

 

ライブでは、初めはパイプ椅子に座って目をつぶってしかギターを弾けなかった宮本も、ブレイク直前になると立って弾けるようになった。宮本のギターはエレカシになくてはならない指揮棒となっていた。

 

そうしてライブでも9割ほどはギターを弾いて唄う宮本だったが、僕はちょっとモヤモヤし始めた。

ライブで僕がグッとギアが上がる曲は決まって宮本がギターを持たずにハンドマイクで唄う曲だからだ。

ギターを持たない宮本は両手を使い、身体を使い、顔を使い、全身を自由にして唄っていた。

ギターを持つとその表現力をほとんど使ってないのがもどかしかった。

 

2011年、僕は4回ほどエレカシのライブに行って確信した。

 

「宮本はギターを持つべきじゃない」。

 

いつの間にやら宮本のギターからはギラギラとした危うさは失われていた。

バンドの楽器として危うさが無くなるのは、それはいいことなんだろう。実際エレカシは盤石のグルーヴまで手に入れていた。僕もそのグルーヴに身を委ねた。

しかし「宮本はギターを持つべきじゃない」と思ったのも紛れもない本心だった。

 

それが現実となって目の前に現れたのが2014年の25周年ライブだった。

さいたまスーパーアリーナには花道があった。エレカシ史上初。そこで、僕が見てきたエレカシでは初めてワイヤレスマイクが使われた。

 

「ワイヤレスマイク」とひとことで言ったけど、僕はそれは音楽史上の革命だと思っている。

1981年のローリングストーンズがワイヤレスマイクを使いスタジアムの端から端まで走り回った。

このツアーがロックライブをロックショウにして、現代までつながるスタジアムライブの雛形となったと思う。

 

エレカシのそのライブでの後半「桜の花、舞い上がる道を」でギターを持って花道の先から演奏はスタートした。

宮本はAメロの時点でギターを肩から外した。名残惜しそうにしばらくは片手でギターを持っていたがそれを床に置いた。

そして、バンド史上最多の14000人の観客の熱意に応えるようにステージを走り全身で唄った。

僕が長年見たかったエレカシの姿とはこれだった。

ギターもないマイクシールドもないその姿は、文字通り解き放たれた獣だった。

宮本はこの瞬間に覚醒した。

ギターを床に置いた瞬間に。

 

「あなたのやさしさをオレは何に例えよう」という曲での出来事は印象的だ。

宮本はギターを持ち、ストリングスとホーンを従えて10分以上の長丁場の曲。「音楽って素晴らしい!」と間奏で叫んだ。

そして曲も最後の最後に宮本はギターを置いた。我慢できずに置いた。

そしてこう言った。

 

「俺に好かれたってしょうがないけどよ、、、。とりあえず今、みんなのこと好きです!」

 

驚きの告白だった。

宮本はこの言葉を言いたいがためだけにギターを置いた。

それはまるで恋人に背を向けて、あふれる思いを叫ぶ人のようだった。

 

まるででもなんでもなく、宮本にとってギターは恋人なんだろう。

それは武器でもあり、そして盾でもあった。

僕が長年もどかしかったのはそこだった。

恋人と戯れてないでこっち来いよ!ということだ。

 

ちょっと乱暴な言い方になってしまったが、しかし本当にこの人は律儀だなあと感心してしまった。

言いたいことを言うためにギターを置く。

指揮者としては現場放棄だろうが、表現者としての魂の解放にはギターを置かなければならなかったのだろう。そうして魂の言葉が現れた。

 

ギターでしか表現できないことがある一方で、ギターを置かなければ表現できないこともある。

ジレンマだ。

 

「宮本、独歩。」の曲を歌番組でハンドマイクで唄う宮本は時に滑稽であり、時に世界の王のようだ。

この滑稽というのは何もおかしいものではない。僕が初めてエレカシを見たときのようなリアルな危うさだ。ロックというものにとって、とても重要な要素だ。

ボーカリストというのは会場の指揮者でもある。宮本がステージで自由に踊るほど、走るほどに、我々の熱は上がっていく。

 

だってそうだろう?紅白歌合戦での「今宵の月のように」で宮本がギター演奏を放棄してハンドマイクになった時、そうだったじゃないか?

 

「宮本、独歩。」は、ギターやバンドという恋人を失った不安と勇気と自由を同時に感じる。

僕がこのアルバムを聴いてなぜかエレカシデビュー期のエピック時代を感じるのはそういうところだ。

 

このアルバムは、エレカシの人が片手間にソロを始めたなんてものではない。

35年一緒にやってきたバンドを離れ、アレンジやギターを他人に任せ、身体ひとつでマイクに向かう男のドキュメントだ。

 

「ばからしくも愛しきこの日々を、ああ涙ぢゃなく勇気とともにあれ、笑いとあれ、幸あれ」

 

宮本浩次の丸腰の唄たちだ。

 

ハレルヤ!

 

 

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いよいよ本番。チェリーレッドフェスティバルは今年で3回目。

今度の日曜日、8/27に開催。

場所は国分寺のライブハウス、その名も「モルガーナ」

我々イタル・ジェッター&ザ・メクルメクスは19:45辺りからスタート。

みなぎっております。はりきっていきます。めくるめくってくれプリーズ(ベイビーカモン ドントストップ ザミュージック)!