私たちは、いつの時代であっても、今日の真実を直視する勇気が求められている。
もしかするとそこには人間の営みの限界に関しての答えの見出せない絶望感だけが待っているであろうことは誰しもが予感していることかもしれない。

9.11という数字で表された日の出来事の直後、あるいは、3.11という数字で表された日の悪夢のような出来事の直後こそが、私たち人間が持ちうる最大限の勇気が求められた日々ではなかったか?
それは、方向転換の必要性に立ち向かう勇気であり、この日に目撃した真実に目を伏せてこのチャンスを逸するならば、私たちは一気に破滅に向う道を加速することになることも私たちは知っていたはずだ。
人の歴史から培われた法律も政治も哲学も道徳も何もかも功を奏することなく、なぜ人は破滅に向かう傾向から逃れられずにいるのか?

今日も私は、植木等さんが「わかっちゃいるけどヤメられない」と投げやりに歌った愛すべき悲しいヒット曲を思い出さずにはいられません。
「わかっちゃいるけどヤメられない」の最大の案件は戦争ですが、そのほか、世の中の平和を取り去り、地球を破滅させようとする「ヤメられない」ことがいくつか思い浮かぶことでしょう。
そうです、私もあなたも、「わかっちゃいるけどヤメられない」人間の一人なのです。
なんと悲しく、意気地なしで愚かな生き物なのでしょうか。
このことは創造の神も良くご存知でおられ、私たちのことを哀れに思われていらっしゃるに違いありません。
今一歩の方向転換の勇気が期待されている瀬戸際にある存在、これが今日を生きる私たち人間です。

互いに赦し合い愛し合わなければいけないことを知ってはいるが実現できない。
では、私たちはどこに方向転換すべきなのでしょうか。
それは、人間が互いに助け合う親切心というような一時的で気まぐれな人間愛の概念に満足せずに、人知を遥かに超えた「絶対的な愛」の世界に踏み込むことを意味します。
人間の都合で変化する親切心などの愛ではなく、愚かな人間に対する創造主の眼差しとその愛の示し方を知り、そして、そこで知らされた「絶対的な愛」を実践すること、それは、私たちが知り得た「愛」に関するメッセージを全ての人々にふれ告げて共有してゆくということです。

過去の偉大なアーティストや音楽家や詩人たちは、常に神を慕い求めて、アートという国境と人種を超えた世界共通言語を聞き、そしてそれを語りますから、彼らはすでに「言葉の発する絶対的な愛」の光を垣間見ていたことでしょう。
彼らには、「言葉の発する絶対的な愛」の光に後押しされた「真実を求める勇気」があったからこそ普遍的に美しく輝き響いていたのだと思います。

つい最近亡くなられた Whitney Houstonさんは、1996年の"Preacher's Wife”(牧師の妻)という映画に主演し、 “I believe in you and me” という曲を歌って居りました。
自分の心の迷いが本来あるべき生命の与え主である神様の元へ回帰することの例えで、「川が海に流れ着くことが当然であるかのように、私の魂も、愛の神様の元に辿り着き、もう永遠に彷徨い歩くことはない」と歌って居りました。
「富士の高嶺に降る雪」の絶対的な自然の法則を考えるなら、当該核施設の地下を流れる川はどこにたどり着くのかと言う答えは疑問の余地もないのである。

あるいはあなたは、Elvis Presleyなどが歌った "Unchained Melody” のサビの部分の歌詞を思い出しすかもしれません。
それは、、、"Lonely rivers flow to the sea, to the sea, to the open arms of the sea”

つい数日前のこと、本当に地味で真相のわかりずらい一つのニュースがありましたが、どうやらどなたも語る人がいないようです。
それは、TEPCOによる福島第一原子力発電所2号機の原子炉直下のペデスタルという空間の画像の公開でした。

東芝の危機が囁かれる中、なぜこのタイミングで?と、あれこれ推論される方も多いことかと思います。
「東芝〜〜ウェスティングハウス」 「日立〜〜ジェネラルエレクトリック」
これらの関係は、「日本〜〜アメリカ」の関係そのものです。
しかし、これらの政治的、経済的、あるいは思想的な人間の策略と反応に関しては、特別な思想を持たない私に取ってはどうでも良い事です。

かつてスリーマイルズの事故処理に携わった経験のある核施設の技術者であったアーニー・ガンダーセんさんが、科学的推論から福島の核施設におけるチャイナシンドロームの事実を当然のこととして予見し、それを公言していたのは、2011年11月14日のことでありました。
また、彼は、核施設の大爆発の直後に誰よりも早くCNNにおいてメルトダウンを確信したメッセージを発信した人でもあります。
彼は、科学者としてその事実を明確に述べるその責任を、当該施設の大爆発事故の直後に勇気を持って果たしていました。
事実私は震災の日を海外で迎えましたので、アーニーさんや奥様のマギーさんから「日本に帰国しても大丈夫なのかどうか」など、また、帰国してからでも何度も直接電話にて専門的な見解を教えていただいてきました。

私たちは、少なくともこれらの事実だけを冷静な目を持って知る権利と義務があると思うのです。
そして、他の人々の思想や意見などにも左右されることなく、また、取り戻すことのできない過去の事実に呟くのでもなく、ただただ、私たちの目の前に展開する動かぬ事実の上に立った自分なりの判断による対処法を見つけてゆかなければならないと思うのです。
ですからこそ昨日に増してより一層、創造主のマスタープランに気負いなく沿いつつ、騒ぐことなく自分と周囲の人々の心の静けさと平安を追い求める姿勢に押し出されてゆくのです。

今日は、今回のTEPCOの公開画像に関して、アーニー・ガンダーセンさんからの情報を元に私が知っている限りの事実を皆さまと勇気を持って共有させていただきたいと考えました。

今回公開された写真は、原子炉の鉄の釜の直下のペデスタルと言われている人が立てるくらいの高さの空間の画像です。
核反応の制御棒の抜き差しをするシステムのメンテナンスをするための空間です。
本来、炉心の原子炉圧力容器にあるべき核燃料が、鉄の釜の底を破ってペデスタルに溶け落ち、グレーチングの床を壊し更に格納容器の基礎床にまで落下した大きな穴が確認できるのですから、メルトダウンを通り越してメルトスルーしたという事実が実証されたことになったわけです。

また、このエリア付近においては、530 Sv/hrと、通常運転中の炉心と同じくらいの空間線量が計測されていたのですから、ペデスタルよりも下方向のどこかで再臨界が繰り返されていると想像できるでしょう。

今日も核燃料を冷却する目的で圧力容器の上部からは大量の水が注入され続けて居りますが、ペデスタルというこの空間にも水が溜まっていないのですから、サブレッションプールを含む格納容器全体が激しく崩壊していて水が至る所から漏れ出していることも事実として認めなければならないことです。

では、肝心の96トンもの核燃料はどこに消えたのでしょう。
溶融した2000度前後の96トンもの大量の核燃料は、ペデスタルの下にある格納容器のコンクリートの床をもメトアウトして地下水域にまで到達していると考えるのが自然なことでしょう。
アーニー・ガンダーセンさんが2011年12月14日に公に断言していたチャイナシンドロームとはこのことを言います。
チャイナシンドロームとは映画の中での比喩的な説話ですから少し大げさなのですが、地下に潜り込んだ大量の核物質が臨界を重ね、ついには地球の裏側にまで達すると言う話です。

これは、核燃料96トンの2号機に限らず、1号機(69t)と3号機(96t)でも同様な事が起こっていると考えるのが普通でしょう。
もはや合計261トンもの核燃料は発電機のタービンを回す循環水を沸かしているのではなく、地下水脈を沸かしていると言うなら分かりやすいかもしれません。
また、地下水脈がタービンに通ずる配水管であれば、太平洋はタービンであると言うとより分かりやすいでしょう。

日本政府、TEPCOでは、廃炉まで30年と言っていたのを思い出しますが、アーニー・ガンダーセンさんは100年以上と言っております。
遮水壁など言われている一方向的な氷の壁で縦横無尽に流れる高濃度に汚染された地下水脈を塞き止める事などできると思いますか。
地下に潜り込んだ計261トンもの核物質を人間の手で取り出す事が可能だと思いますか。
地下水脈の流れに応じて撒き散らされる放射性物質は比較的質量の重い半減期が29年ほどのストロンチウムや2万4000年にもなるプルトニウムなどであると言われております。
これら地下水脈によって拡散された放射性物質を地中や海中からどのように捕捉するのでしょうか。

今後1,000年10,000年先までの間、ここで汚染された地下水はどこに流れてゆくのでしょうか。
"Lonely rivers flow to the sea, to the sea, to the open arms of the sea”(Unchained Melody)

今回のリアクター2の炉心直下の公開画像は、平穏で安全であってほしいと誰しもが願っていた淡い期待感をことごとく裏切るものであったことには違いないのです。

原子力爆弾は一瞬で人を殺傷しますが、核施設のゴミは千年、万年単位で地球環境全体と生物のDNAをじわじわと破壊し続けます。
私たちは、この事実を知らなければならないのです。

そして何よりも、私もあなたも、「わかっちゃいるけどヤメられない」人間の一人であるという真実も自覚しなければならないのです。
私たちは、なんと悲しく、意気地なしで愚かな生き物なのでしょうか。
だから、私たちが方向転換の第一歩に押し出される勇気を持つことに大きな関心を持っていらっしゃる創造の神の言葉に耳を傾けようではありませんか。

「川が海に流れ着くことが当然であるかのように、私の魂も、愛の神様の元に辿り着き、もう永遠に彷徨い歩くことはない」(I believe in you and me)
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