”さみしがりや”の心理
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”さみしがりや”とは、一人でいられずに仲間を求め、集団で固まらないと安心できないという心理を持つヒトのことです。
こう言ってみるとこき下ろしているように聞こえますが、私自身、もっと”さみしがりや”にならねばならないと思っています。現在は大なり小なりヒトがさみしがりやである時代だからです。そして、周囲の成功者は結構”さみしがりや”が多いのです。
この反対の概念が”ただ一人立つもの”ですが、”さみしがりや”の世の中とはいかなるものでしょうか。その功罪は以下の通りです。
功 : ヒトは一人では生きられず、まとまって力を出して予想以上の結果を出すことができる。
つまり大勢のヒトを使うことができる。
罪 : プライバシーや個人の概念が希薄になり、押し付けの考えで洗脳されやすくなる。
つまりこっちが友好的でも、知らず知らずのうちに敵を作ってしまう。
といったところでしょうか。
日本人はモトモトさみしがりやで、良くは全体に質の高い民族性、悪くは右へ習えの帰属意識が高まるという特徴があります。ただし現在は格差社会、さらに個性も不可欠のもので、さみしがりやが足かせになる場合もあります。未来に求められる”さみしがりや”とはいかなるものでしょうか。
○集団に対しては”個人”個人に対しては”さみしがりや”
というものだと考えます。
現在は逆、集団についてはさみしがりやで、1人1人の個人には個人というスタンスが多いような気がします。弱いものいじめも、個人の好き嫌いもここが原点のような気がします。しかしこれを逆にしてはいかがでしょう。
集団については個人で毅然と対し、他人たる個人についてはさみしがりやである、そういう態度であればこれは立派な人物でしょう。集団の中にある淀んだような甘い空気や、個人に対する冷酷はここからは生まれないでしょう。
ヒト個人に対しては強靭な精神と寛容さを併せ持つ”さみしがりや”でありたいものですね。ヒトに働きかけて何かを生み出し、しかもその人のアラは許す、そんなカッコイイヒトになりたいものです。
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