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「動くD52」山北を走る

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先月、桜はまだのころ、神奈川県の西端、足柄上郡山北町を自転車で走ってきました。「動くD52蒸気機関車」を見るためです。ちょうど鉄道模型運転会とか、桜まつりとか、やっているので行ってみました。

 

 

南新宿を11時ちょうど頃発。なぜ新宿から乗らないかは、自転車連れだからです。私とともに各駅停車に乗ったのは10両編成にたった2人。代々木上原で快速急行に乗り換えます。これも昼前のせいか自転車を悠々積めるほどのにぎわい。新松田の手前、渋沢で降ります。秦野盆地から下る渓谷、さらに平野に降りる緊張感を味わいたかったからです。

 

 

駅そばの昼食を摂って自転車を組み立て走り出し、酒匂川の谷口集落、松田に向かって下ります。低い山を縫って、酒匂川の支流および小田急と国道246号が絡んで下っていきます。自転車は上りも多少ありますが、基本は下りで、スピードを出して川を渡ったり、鉄道撮影したりしているとあっという間に足柄平野に出てきます。鉄橋を行く小田急とともに、山から出てきた開放感があります。

 

(渋沢ー新松田)

 

松田から御殿場線に沿って山北へ。むかしの特急「燕」の補機は国府津で付けていましたが、山北に至るまでもやっぱり勾配があります。しかも強烈な山おろしの向かい風。春霞で富士山もうっすら見えるだけです。行く手に見えるサミットは静岡県の御殿場。山北は昭和初期まで御殿場に上るための機関車の付け替え所でした。

 

山北は標高200mくらい。サミットの御殿場は400mほど。勾配はここから、という街です。明治17年、川沿いの谷口集落だったのが、東海道本線の開通により、蒸機の補機を付ける物流の一大拠点になったのです。観光の箱根、城下町の小田原、水と大社の三島、別荘地の御殿場と比べて「鉄道のまち」として特徴のある街です。神奈川県の西の端、ギリギリ東京の通勤圏内です。

 

 

昭和9年、丹那トンネルができてローカルの御殿場線になってからも、線路が良いのでD52マンモス蒸機が走っていたのです。山北機関区は昭和18年に廃止になり、電化も昭和43年でしたが、御殿場線は現在も小田急方向からの優等列車も走る、箱根や避暑地御殿場を控え、富士山の近い、もと幹線のにおいのするちょっと変わったローカル線です。

 

(酒匂川と富士山がちょっとだけ見える)

 

高校への通学の便を図った東山北の駅を経て、山北の市街へ。新しい住宅は学校が近い東山北の方にあって、古い市街の山北と連なり、細長い宿場町のような感じです。かつて東海道線の急行停車駅でしたが、ローカル線になってそれ相応になり、大きな木造駅舎がかつての栄華を物語っています。

 

(山北駅)

 

まず行ってみたのはすぐそこの鉄道資料館。1階が売店や休憩所になっていて、2階が資料館です。今日は運転会で、大きなスペースがあって、小田原の高校生の団体が模型を走らせています。他に企業が作ったレイアウト、さらに資料館が作ったものもあって、NゲージのD51蒸機などが走っています。

 

(D52蒸気機関車)

 

印象に残ったのは、やっぱり蒸機についての画像記録が多いということです。御殿場線は1934年まで東海道本線で、蒸機列車の当時最速の超特急燕や富士、桜が行きかい、山北で補機を付けたり解いたりしていたのです。当時は煙に包まれた鉄道のまちだったでしょうね。

 

その後の丹那トンネルが開通して、東海道線が熱海経由になり、ローカル線化で「御殿場線」になってもD52マンモス蒸機が客車貨物を牽いていました。D52はD51(デゴイチ)よりも強力な貨物用機関車が軍需輸送に欲しいと、昭和18年に“決戦”機関車として造られました。日本機関車史上最大のボイラーで、蒸気機関車の王者、特急機C62はこの機関車の戦後の改造です。

 

電化後も最新の小田急の特急が投入されてきたところですが、やっぱりもとの東海道線の面影を象徴し、御殿場線でも長く活躍したD52に愛着があるのです。

 

 

山北町はじめ御殿場線沿線のまちはいわば今でいう、新幹線が作られて寂れた在来線の街の“はしり”だったわけで、人口は減っていますが、それほど大きく減っているわけでもないし、人心も荒れていない感じです。

 

ただ資料館の案内の方は年配の方なので「箱根を越えるマレー式(明治の機関車)が…」などと話すと、そこまではご存じないといいます。小田急やJRのOBの方も電車運転の方で、さすがに蒸機運転まではという方の現在です。御殿場線電化は私の生まれ年。私も年を取ったのです。

 

(模型の山北駅前)

 

レイアウトは私の個人的な好み「昭和30~50年代」の感じ。心なしか現在の山北駅前と変わらないような気がします。近代的なようで古くさくもない“モダン”な洋館のような感じが好きなのです。そこに“決戦機関車”D52が入ってくれば、昭和ブームの今、機関車のまち、山北のいいパーソナリティになります。

 

資料館を堪能して出てくれば14時過ぎ。今やっている桜まつりではD52を動かすのは15:20から。片道徒歩40分かかる洒水の滝を見てこようと思いました。平坦線なようで自転車で行けば往復1時間かかるまいと行ってみました。山北市街から小さい谷川をさかのぼって自転車でアプローチし、途中から徒歩アタックです。

 

(洒水の滝)

 

すそ野の広い富士山周辺には、雨が広範囲に降って硬い火山岩が多いので、岩が鋭く削れた自然の彫刻でこういう素晴らしい滝や池ができるのです。ただ切り立った地形は落石が多いらしく正面アプローチはムリで、新しい見物道ができていました。大水が出た場合の管理もよいらしく、下流は水がスムースに流れ、水力発電所も景気よさそうです。水の管理は二宮尊徳(江戸時代小田原の農学者)以来の歴史ある富士山周囲のこと、江戸時代から水トンネル(深良用水)も掘られたような土地柄です。

 

 

 

ハイキングのヒトたちを追い抜いて、15:15ごろ山北駅前に戻ってきました。山北駅の機関区だった広場では地元アイドルの踊りに、おみこしワッショイが終わり、いよいよD52の12m走行です。ポーッ!ボッボッ!という汽笛とともにライトを光らせたD52がそろそろ動きます。12m先車止めの前で停まって、汽笛をまた鳴らし今度はバックして囲いの中に戻ります。

 

そんなことを4度繰り返し、その都度拍子を変えて汽笛を鳴らして動いています。現役の蒸機である、ガリン!ボボボッ!ボッ!ボッ!という音はせず、シュッシュと蒸気も吐きませんが、8動輪が確かにレールを踏みしめる質感があります。

 

(ケムリが出ている)

 

煙突からはホンモノの石炭を炊いたものでない、擬煙としてのケムリが多少出ています(ホントに炊いたら大変)蒸気でなく炭水車に積んだ圧搾空気でピストンを動かしています。これでも地元の方々は大変な苦労があったでしょう。ピストンが8つの大動輪を回すだけでも、作って80年経つ鋼鉄の塊で、そう簡単にはいきません。

 

本当によく動かすところまで持って行ったものです。私のような単なる鉄っちゃんでない、鉄道を本当に愛する人が多い「鉄道のまち」としての矜持と情熱が感じられます。蒸気機関士も廃止から半世紀、確保の難しい時代です。150年以上の歴史の重みもあり、蒸気機関車の維持・保存も近代文化遺産ながら、歌舞伎や匠と同じ伝統です。ぜひ後世に残してほしい“技術”です。

 

(令和6年の山北駅前)

 

D52を見てから、今度は小田急新松田駅から輪行しようと、246号でない道を行こうとヒトに尋ねて酒匂川の河畔を行きます。富士山ろくから流れるとは思えないような悠々滔々たる流れですが、二宮尊徳も悩んだ昔からのあばれ川です。上流ではキャンプが流され、大勢の死者を出したような事故もありました。ただ今日は3月末日で春風駘蕩、教えられたとおりに行って快適に走り、新松田駅にたどり着きました。

 

(酒匂川)

 

途中酒屋さんで2個150円の大きなはっさくを購入。そこここの小売店でひとふくろ100円などで売っているのです。目立ちませんが、この辺りは🍊の産地でもあります。この店のオヤジさんも道を教えてくれた老紳士も、懇切丁寧に教えてくれて、まあ親切でヒトが良い!

 

晴れが多い気候と豊かな風土で東海地方(松田町も山北町も神奈川県)は穏やかといいますが、その通りの人情でした。産業が衰退するとその地域の人心は荒れますが、そんな境地はすっかり卒業した、という風情のさわやかな方々でした。

 

対称的に鉄道資料館の方々は「一生懸命な蒸機機関士」のような方が多かったですね。サービス業ほどではないけれど、自分の専門分野については一生懸命語ってくれる、蒸機のヒトではないけれども、50歳で定年して52,3歳で過労で亡くなっていた蒸機機関士、時代の語りべの、本で読んだような伝統を現在のウテシ(運転士)は持っているものかと思いました。

 

 

新松田の駅では自転車を折りたたむ同業と話します。私は平たんな秦野市渋沢⇒山北⇒洒水の滝⇒新松田と、30数kmほど走っただけですが、彼は高性能自転車で、箱根をほぼ一周したようです。この辺り、富士箱根の面白いアップダウンコースの拠点でもあるんですね~。都内から小田急一本でこんな風光明媚な走り甲斐のある場所まで来れる、というところが人気のある理由です。

 

新宿行きの快速急行は休日帰りでけっこう混んでましたが、不思議といいところをのんびり走ったせいか、1時間半立ちっぱなしで脚は疲れませんでした。帰ったのは夜7時ごろ。さっそく持ち帰ったはっさくを食べました(^O^)

 

<「動くD52」山北を走る:完>

名南経営助成金セミナー 2回目実践編

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名南経営 令和6年度助成金セミナー

 

名南経営助成金セミナー、前回速報編に続いて今回は実践編です。助成金の法改正を伝えるならもうあちこちにセミナーがあります。速報は1時間で済まして、それに基づいて「社労士として何を実行するか提案するか」ということについて5時間みっちりと述べさせていただきました。

 

まずは令和5年度とどう変わったのか?ということです。これはいささか困ったところです、というのは雇調金コロナ特例が終わった令和5年9月以降、政策的な変化があまりないように見えたからです。三位一体の労働市場改革は昨年出た政策で、今もほとんど上書きされてません。令和6年の助成金前倒しの現象が令和5年補正予算であり、それを繰り返したに過ぎないからです。

 

 

ただ思わぬところから変化が出てきました。当局のみならず社会の趨勢の反映です。オズオズとながら、助成金にも盛り込まれています。以下のようなものです。

 

採用…就職困難者を雇用すれば助成金あげるよ、で終わらず、就職困難者を訓練してよくする傾向。

教育訓練…訓練もいいが、民間企業自ら「賃上げで賢くなる」学校を起こしては如何?実績が要る。

賃上げ…最賃上げや業界構造の変化もイイが、現実はIT、DX、RPA、AIによる。雇用では限界アリ。

 

少子化対策…給付は育児者個人に与えるが、助成金は育児者を囲む人々の育児理解に与えられる。

障碍者雇用…これも障碍者自らに気を遣うよりも、囲む人々のために与えるものになってきている。

・高齢者雇用…経済的なことより、労災に遭わないような「長く働く」健康づくりに主眼が置かれる。

 

(在老廃止も賃上げの一環)

 

とこんな感じです。一般に民間の方が社会や国際的な趨勢には早く対応し、当局は重い腰をその後上げる、といったことが昔から多いのですが、当局も最近は機動的に動くようになったじゃないか!と思わせることもあるのです。そういう社会趨勢⇒会社の問題の惹起⇒助成金活用できるかできないか?という視点で話をさせていただきました。

 

それにしてもパワポ107枚もあると、チェックが行き届かなかったり、話し足りないところも話したそばから出てきます。レジュメもその場で多少改変し、撮り直し、付け加えたところもありました。マイクを持って帰りそうになった件といい(-_-;)編集カメラマンの方、また担当の方にはお世話になりました。

 

<名南経営助成金セミナー:完>

おカネに代わる価値観列伝

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事業というのは資本主義の世界、利益を上げるおカネを積んで使うもろもろ、例えば雇用福利のためにやるものですが、なぜおカネを積むのか?それを何に使うために事業をやるのか?ということについては分からないヒトも多いかと思います。また偉大な経営者でも、発展途中はそんなことを考えるヒマもないかと思います。

 

ただもうこれ以上は稼げないというくらいおカネ儲けしたヒト、人生おカネを積むだけでは物足りない、という経営者や定年後の方はいろんなことを始めていますね。その一部をご紹介しましょう。

 

 

・ヒトを育てる⇒学校を開く

 

社労士はある程度規模が大きくなり、職員も多くなり、本も出したしテレビにも出た地位名誉も極めた、となるとこのパターンが多いです。同業相手だったり、顧客を集めたり。なぜかというと「モノカネヒト」のヒトの分野は腰を据えて学ばないと分量も多く範囲も広いので、地道に一人で学習するには間に合わない場合が多いからです。だから事務所が「完成」すると仲間と一緒に勉強し、事例を共有し助け合うのです。

 

助成金も然りですが、特にメンヘル関連やマネジメントなど、数字で置き換えられない労務は、どうしてもナマな人生経験を積まないと説得力を持たないのです。だから教育訓練の意義があるのです。学校というのは明治の最初は官学校から始まり、福沢諭吉でも金策に走り回ったように、あまり儲からないのです。ヒトを集め軌道に乗せるまでは、人脈と教育理念が必要です。

 

・ヒトのためになる⇒慈善、ボランティアする

 

採算に合わないけれど、社会に必要な事業はこの世に五万とあります。自分が儲かったら今度は、採算を忘れてヒトを無償で助ける側に回ろうという意識です。アメリカの成功したIT起業家はみんな慈善活動をやっていますね。定年退職して老後に何の心配もない大企業のサラリーマンも、おカネは稼げないが必要な地域の仕事、例えば町内会などをやることが多いようです。


・ヒトのココロを救う⇒精神世界に入って宗教家になる

 

おカネ儲けだけ考えるなら宗教経営家も含めて、信条宗教は必要ないのです。秋山真之は日本海海戦の大勝利の後、新興宗教も含めいろいろな宗教を体験したそうです。戦争を通して現実の仕事の無常観を悟ったからです。瀬戸内寂聴は文人としての地位を確立した後、恋愛に悩んで出家しましたが、真之の場合は宗教はやっぱり・・・ということで軍にとどまりました。ビジネスでもそうですが宗教でも向き不向きがあるようです。定年後坊さんになるのはイイが、経済的「就職」のヒトもいますしね。

 

・自分の自由を満喫する⇒旅に出て自由人になる

 

ヒトは多かれ少なかれトップであっても「組織人=不自由人」です。おカネを追いかけるヒトもまたおカネにとらわれた不自由といえるでしょう。俳人種田山頭火はサラリーマンから公務員、自営業、坊さんまでやってダメで放浪の旅に出ました。しかしその山頭火でも、晩年は庵を結んでそこで亡くなりました。

 

旅はエネルギーが必要なので、老年に至ってはムツカシイのです。けっこう多くの放浪者も「客死」していますね。天寿を全うしたのは西行ぐらいでしょうか。あちこち旅行するのは楽しいのですが、身体的負担はけっこうあるからです。京セラの稲盛会長は放浪はしませんでしたが、出家はしてます。

 

・仕事をおカネ以外でやる⇒事業以外のマネジメント分野を極める

 

要は何かを受け取って、それを仕事にして対価のおカネを得る、というものから、自分で何かを創り出して、対価は関係なくそれを生きがいにして精神的充足を得る、またはそのためのシステムを創るというものです。資本主義から創造主義に。定年後趣味膏肓に至る、というヒトも多いでしょう。

 

教育や何かの発明をするということも含まれ、目的はおカネであっても稼ごうという「システム」を作ろうということも含まれます。組織運営というのも、生きがいになりえるからです。NPOが崩壊するのはおカネ儲けに走って分け前の争いごとが最も多いのです。多年磨かれて「こじらせてない」「ひねくれてない」人格はマネジメント不可欠なものです。

 

・事業をおカネ以外でやる⇒国家的、地球的、人間的“プロジェクト”にまい進する

 

SDGs、「新しい資本主義」、環境問題、いじめ撲滅など、必要ですが大雑把すぎて範囲が広く、そう簡単には完成しないプロジェクトというのは、おカネ稼ぎには向いていません。しかしそれぞれについて「専門家」が出ているように、よかれと信じて行う解決すれば確実に世の中良くなることについては、国家その他の後ろ盾があるだけに自信をもってハマることができます。ひょっとすると環境問題のように過激な方向に行っちゃったりしますけれどね。

 

・他人の幸せを援助する⇒人と人とを結びつける

 

これも功成り名遂げた方がやりそうなことです。これまで培ったブランドで同好会をやったり、パーティを開いたり、人材紹介をしたりして、自分以外の樹木を育てようというものです。今よりもっと貧乏だった明治日本でさえ、野口英世を育てたヒトのようにパトロンがいましたし、貧乏人ヒトラーを経済界・社交界に紹介したのは音楽家ワグナー家でした。これも私心があってはやりにくいことです。結婚仲介などもそうですね。

 

お金持ちになったあと、どうするか?

 

 

これら価値観のポイントは自由人になること以外は、人生の目的が自分のカネのために、がアカの他人自身のために、となる点です。おカネも儲けられるようになると悲しい人間の性、個人は堕落したり、組織であればおカネの問題が出ると途端に仲間割れしたり空中分解したりします。そんな境地を脱したい人は大勢いるでしょう。

 

その呪縛を脱することは、おカネを取る争奪戦というよりは、おカネを含めて、ヒトにしかも全く縁のないような他人にあげる与えることができるかどうかでできるのです。実に高踏的、宗教的な境地です。

 

しかし長年カネだ生産性だと言っていて、そう簡単に切り替えが聞くかどうかもポイントですね。何かの組織で大企業出身の定年紳士が上から目線風、教師風、先輩風を吹かせたりする弊害は、切り替えが効かないことによります。もっともおカネおカネといつも言っていて、実は社会貢献していることがバレる、なんていうヒトもいます。

 

「人生で残るものは得たものより与えたものである」とはよく言ったもので、歴史的な事実でも何かを得たということより、何かを与えたとか創り出したということの方がトピックなのです。おカネを離れれば、それを自分のためじゃない方向に創り出す方に回りたいものです。

「藤原〇〇」の理解方法

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藤原氏

 

「光る君へ」で藤原の何々、というヒトが多すぎて理解できない、というハナシがあります。こんなことを書いている私も誰がどう違うのか、どういう行業績があったのか理解できず、誰が誰やらわからない。そこでこんなことを思いつきました。

 

・藤原氏のルーツから枝分かれした分家の一群で、時代ごとに理解する。枝分かれした何々流か判断する。

・公家の「構造」を理解する。5家しか公卿の上位にはなれない身分制が平安時代以降に確立。何の家か判断する。

 

藤原鎌足から始まって、幕末に至る五摂家、さらに明治以降の華族まで、枝分かれのどの流派に属するか?ということが理解の始まりになると思うのです。藤原家は中臣氏から分かれて、大雑把に不比等⇒4家に分かれる⇒北家から御堂関白家に収れん⇒五摂家その他にまとまる、ということを1200年も続けてきました。その歴史を追ってみました。ネットの時代、藤原〇〇という方が何の何流か追いやすくなりました。

 

 

雛人形 飛鳥~平安時代

 

中臣鎌足は大化の改新の功績で藤原鎌足になったのですが、それ以前からも中臣氏は大和朝廷では祭祀をつかさどる豪族でした。鎌足以外の中臣さんは「大中臣氏」として江戸時代まで祭祀の専門家「半家」として続くことになります。天智天皇から「藤原」姓を賜り、藤原氏は鎌足の子、不比等とその子孫になり、武智麻呂(南家)房前(北家)宇合(式家)麻呂(京家)と分かれます。

 

まず頭角を現したのは南家(仲麻呂=恵美押勝)です。孝謙天皇に愛された押勝は乱を起こして敗れ、続いて式家(百川・緒嗣・吉野)が奈良末期⇒平安初期を彩りました。百川は光仁天皇即位に功があり実権を握りました。その後薬子の乱がありましたが式家は持ちこたえ、吉野が承和の変で北家の良房に失脚させられると、北家の時代が始まります。京家は終始振るいませんでした。

 

ここまでは北家もそれなりの人材を輩出してきましたが、南北式京4家がさらに枝分かれし、北家良房の権力世襲化以降、ややこしくなってきます。北家は南家→式家政権の中でも、ナンバーツー、スリーの位置を保ってきました。橘氏、源氏など他氏排斥の権力闘争も終わり、紫式部のころには藤原北家内の親子兄弟甥どうしの戦いが始まり、最終的に道長が勝利を収めました。

 

月見 平安時代

 

ここから藤原氏栄華の時代です。北家や式家のみならず、権力闘争に敗れた一族までも栄華のおすそ分けにあずかって、多くの藤原貴族ができました。ほとんどは北家で、江戸時代に至るまでこのどこかの家が世襲で官爵を得る身分の固定がなされてゆきました。将軍でないですが、良房、基経、忠平、実頼、頼忠、兼家、道隆、道長と摂関家を軸に藤原氏の栄華が続きます。

 

ガーベラ北家⇒御堂流⇒九条流

栄華を極めた藤原道長の系統。頼通、教通、師実ときて、忠通以降また分裂。その六男、九条兼実から九条流が始まりました。道長以前も師輔⇒兼家という系統で花山天皇の女御なども出しています。兼家のライバル斉信や義懐、三蹟の藤原行成も、道長の祖父や叔父から分かれた系統。

 

ガーベラ北家⇒水無瀬流

長生きできなかった道長の兄、道隆の系統。中関白家でしたが、彼の子伊周、隆家以降は水無瀬家、坊門家として続き、名家となりました。

 

ガーベラ北家⇒勧修寺流

良房の父、冬嗣から2代目の高藤から由来する家。高藤の兄弟が紫式部とその夫の4、5代前の先祖でした。子孫は鎌倉期以降名家。

 

ガーベラ北家⇒小野宮流

「おとなしい」摂政関白、実頼の孫、実資から始まった家系。有職故実に詳しい摂関政治の実務家になりました。ただし実資は子に恵まれず、院政期に公家として子孫が後を絶ち、「小右記」が残されました。三船の才(歌も詩も楽器も優秀)公任や能書家の佐理もこの流派。

 

ガーベラ北家⇒魚名流

藤原魚名は8世紀のヒト、北家房前の五男。桓武天皇に左遷され、以後中級貴族でしたが、道長の時代の後、院政期に再び公卿になりました。長男鷹取からは四条家を始めとした多くの羽林家を輩出し、次男鷲取の子孫からは鎌倉御家人の安達氏や戦国大名の伊達氏等、有力武家を輩出しました。 平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷は魚名から5代目の子孫です。

 

他にも、南家式家から出た流派などいろいろあります。分家は不比等から4兄弟になってから次々枝分かれし、その中に有能なヒトが出ると結構出世し、摂関になったり、文物を遺して名を遺すという繰り返しです。紫式部の父親のように地方に下って受領になり、武士の起源になった人もいます。

 

藤原だらけでわからん、というのは当時のヒトも同じ。平安時代から鎌倉時代にかけて、それら枝分かれした中で序列ができて、藤原の名前が九条とか鷹司など変化し、家の格が固定化していきました。

 

 

カブト 鎌倉時代~

 

公家の家格ができて、その家が朝廷の役職を代々世襲することになりました。上から摂家、清華家、大臣家、羽林家=名家、半家という順で、それぞれここまでイケるという最高の官職が決まっていました。明治以降学歴が家柄にとって代わりましたが、年功序列・終身雇用の原点です。藤原氏の他にも源氏もいましたが、藤・源以外の他の家は下級貴族でした。

 

ハイビスカス摂家・・・藤原氏嫡流で公家の家格の頂点。五摂家と言われ近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家。原則として公卿の高位、大納言・右大臣・左大臣を経て摂政関白、太政大臣に昇任できました。

 

ハイビスカス清華家・・・三条家、徳大寺家など7家あり、その下に新家の広幡家、醍醐家があり、絶家した家もあります。石高は300~1600石。江戸時代の旗本ぐらい。

 

ハイビスカス大臣家・・・閑院流(正親町三条家、三条西家)。他に村上源氏の3家。家業は有職故実など。清華家だけで間に合わない官職の人事を埋めました。最大で太政大臣ですが、この家格では、なかなかなれるものではなかったようです。

 

ハイビスカス羽林家・・・閑院流(23家)、藤原北家花山院流(5家)などとあって、その中に三条流、西園寺流・・・と枝分かれがありました。源氏と合わせて60家以上あります。その中から最大で内大臣になったヒトもいます。

 

ハイビスカス名家・・・30家弱。日野流藤原氏および勧修寺流藤原氏および桓武平氏の諸家。中でも、日野家、広橋家、柳原家、甘露寺家、勧修寺家、坊城家などは、十三名家と呼ばれました。

 

ハイビスカス半家・・・公家では一番格下ですが特別な技能を持っていました。藤原氏に限らず、源氏に平氏、菅原氏、清原氏、大中臣氏、卜部氏、安倍氏、丹波氏、大江氏など30家近く。一部の家は大納言まで行きますが、いわゆる行政職でなく専門職なので非参議(狭義の公卿ではない)に停まります。

 

殿上人(狭義のお公家さん)というのはだいたい羽林家以上、安土桃山以前か以後成立かなど、いろいろな生まれついての家格がありました。これらの家は明治維新後、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の5段階、華族制度に組み込まれ、終戦とともに終わります。たとえ摂家や清華家などでなくても、幕末維新の功績があれば侯爵など、高い爵位がもらえました。

 

むかしむかしはヒトの名前は「朝臣道長」「吉之助隆盛」などと2つ以上ありましたが、姓も藤原氏の中の九条家、などと氏と姓と複数あったのです。九条兼実でもいいし、藤原兼実でもいい。それもどこの藤原さんかわかりにくい理由です。それを氏名で統一したのは明治維新後でした。

 

 

まとめますと・・・

 

・平安時代まで、摂関政治の進展で公家の数が増え、活躍するヒトもいた。〇〇流とまとまる。紫式部は藤原北家⇒勧修寺流の傍流。娘の大弐三位の息子は高階氏。平治の乱の信西や後白河法皇の愛妾、丹後局、南北朝時代の高師直などは子孫。

・鎌倉時代以降になると身分が固定し、付ける官職も世襲が多い。明治以降も終戦までだいたい同じような身分。明治維新の元勲、岩倉具視は藤原氏でない村上源氏久我家(清華家)の傍流。しかし維新の功で子孫は最高位の公爵。

 

ですから藤原〇〇、という方がいたら、その先祖子孫に摂関をやったりした有名人がいるかどうかをまずチェックし、どこの流派に属するか調べ、次に鎌倉以降ゆくゆく摂家か羽林家か、どういう家格に落ち着いたか調べてみます。それで歴史的なその人物の立ち位置が分かります。そして有職故実に強いとか、和歌集などの編纂に力を発揮したとか、源氏物語を書いたとか、特徴があると歴史に残るのですね。

助成金実務パターン列伝

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雇用関係助成金も受給に至るいくつかの「パターン」を覚えれば、怖いものではなくなります。ムツカシイ実務、おびただしい書類もそのパターンに乗っけて処理していけばいいからです。基本パターンは単純なものです。

 

計画→実行→申請

 

 

労務関連でやること(休業、訓練、育休など)を1か月前などを期限に計画を出し、その後それらを実行して6か月ぐらいたったら申請、というものです。計画の前にやるのは要件チェックと流れの把握で、最近はどんな助成金でもわかりやすく図解して乗っけてあります。

 

ただ何十種類もある助成金のこと、この単純なパターンもいくつかに分類できます。どれも各助成金のマニュアルにわかりやすく図解されているのですが、そこはあえて65歳超を除いて「文字で」5大助成金について記します。ポイントは「計画」段階があるかないか?計画、申請その他の期間はどうか?ということです。

 

キメてる 「人材開発支援助成金」(人開金)パターン

 

要件 : 訓練をだいたい1年度に10時間以上やるか?「難しい」カリキュラムがあるか?

計画 : 原則実行の1月前までに計画を出す。「計画の計画」もある。カリキュラムの添付が多い。

     場合によっては講師や学校の資格証明もある。

実行 : 訓練を計画通りに始める。日付その他の変更があったら、その日以前に変更届。

申請 : 終わってから2か月以内に申請を出す。カリキュラムの実行を示す「訓練日誌」の添付が多い。

 

キメてる 「キャリアアップ助成金」パターン

 

要件 : 非正規社員の他、正社員がいて、待遇に差があるか?正規非正規両方いないとしようがない。

計画 : とにかく「キャリアアップ計画」を出しておく。就業規則の変更等はその後でもいい。

     提出さえすれば、その翌日から実行可能。助成金の名前に〇があることが重要。どのコースでも

     同じフォーム。

実行 : 正社員化や賞与を与える、賃金アップなど要件になることを始める。それをやってから原則6か月

     その状態を続ける。

申請 : 6か月たってから2か月以内に申請を出す。待遇のキャリアアップは主として賃金で測られるの

     で、就業規則の条文や雇用契約書と賃金台帳等の整合性が重要。

 

キメてる「働き方改革推進支援助成金」パターン

 

要件 : 時短や休日増加などのために「何か解決策」があるか?その解決策のために助成金を出す。

計画 : まずは「交付申請」を実行の1か月前までに出す。賃金アップや残業削減のために何を買うか、

     何の措置を行うか、それまでに検討して書類に見積もり(2か所以上)その他をまとめる。

実行 : 施策を実行して、それを計画に書いた期間3~6か月ほど続ける。モノを買ったり、

     施策の実行をする。

申請 : その期間がたってから1か月以内に申請を出す。物を買った施策をした領収書や仕様書なども

     必要になることがある。

 

 キメてる「両立支援等助成金」パターン

 

要件 : 助成金対象者に対象者が居るか?育休は育てる子、介護休業は介護される人あっての申請。

計画 : 原則育休や介休に入る以前に、就業規則の改定や「プラン」を作る対象者との

     コミュニケーションをする。その就業規則の周知を行っておく。計画届の受理ということは

     ない。男性育休はプランなし。就業規則のみ。

実行 : 対象者が実際に育休や介休に入る。その間も「プラン」穴埋め(対象者の希望を聞くなど)や

     コミュニケーションの必要がある。

申請 : 育休や介休、職場復帰数か月が終わってから2か月以内に出す。休んでいたことを示す「出勤簿」

     プランの日付けの順序が重要。施策の後に意見を聞く、なんてことにならないようにする。

 

ただ「65歳超雇用推進支援助成金」では、コースごとに違いますね。

 

キメてる「65歳超雇用推進支援助成金」

 

 〇65歳超継続雇用促進コース…これは本来の「継続雇用定着促進助成金」(昔の名前)パターン

要件 : 就業規則が現在合法で、合法を下回ってないかどうか?上回っていても問題。
計画 : まず定年延長か雇用継続かか決めて、現在の就業規則を当局に持って行って、

     相談するのが最初。

     制度改正を社労士に依頼し、費用を払い、雇用管理措置を実施します。ここまで計画の準備。

実行 : やる措置に従って就業規則を改定。実施日以降、実際に延長した人がなくても

     制度の実施になる。

申請 : 定年延長、雇用継続措置の実施日から2か月以内に支給申請。

 

 

 〇高年齢者評価制度等雇用管理改善コース…これは人確金パターン。

要件 : 「高齢者ならでは」の制度を入れる気があるかどうか?若者など一律ではちょっと困る。

計画 : 雇用管理制度の実施の3か月前までに計画認定が必要です。どの制度を実施するか決める。

実行 : 管理制度を作り、計画で書いた1年間までの間制度を実行。実施期間の後6か月の

     確認期間を経ます。

申請 : その期間が過ぎて2か月以内に支給申請。

 

 

 〇高年齢者無期雇用転換コース…これはキャリアアップ助成金パターン。

要件 : 50歳以上の非正規のヒトで正社員に上がるようなヒトがいるかどうか?

計画 : キャリアアップ計画のような3年間有効の計画認定が必要です。実施の3か月前までに

     認定を受ける。

実行 : やるべき措置に従って就業規則を改定し、無期雇用転換の制度を実行します。1年で10人まで。

申請 : 6か月賃金を払ってから2か月以内に申請。

 

 

ただトッカイキン(特開金)などは統一されています。その他障害者や生活保護者、就職氷河期の方など対象が違うだけです。

 

キメてる 特開金(特定就職困難者雇用開発助成金)パターン

 

要件 : いろいろな就職困難者(障害者、60歳以上高齢者、母子父子家庭等)を雇用するかどうか?

計画 : ハローワークや民間の職業紹介会社を通して就職困難者を雇用すること。そうすると第1期支給申請書が

     自動的に送られてきます。求人の申し込み以外は計画はありません。

実行 : それらの方々を雇用し続ける。

申請 : 6か月雇用してから2か月以内に支給申請を出す。賃金台帳や出勤簿を中心に添付書類もある。

 

キメてる「トライアル雇用助成金」パターン:特開金パターンと似ています。

 

要件 : 就職困難者ほどでないにしても、キャリアの空いた未経験者を雇用するかどうか?

計画 : ハローワークや民間の職業紹介会社を通して労働者を面接すること。そうすると「面接がどうだったか書面」が

     自動的に送られてきます。で、合否を送って、最終的に雇用します。その後訓練など含めた計画書を出します。

実行 : それらの方々を雇用し続ける。

申請 : 3か月雇用してから2か月以内に支給申請を出す。賃金台帳や出勤簿を中心に添付書類もある。

 

キメてる「人材確保等支援助成金」(人確金)パターン

 

要件 : いろいろな設備投資、制度設定などした結果、離職率や賃金アップなど労働者に対する「目標」を達成するかどうか?

計画 : まずどういう制度、設備投資などするかどうか決めて、その概要の計画を実施1か月前までに出す。

実行 : 制度を届け実施する。モノを買って設置する。それを適用し使ってみる。計画で出した「整備期間」内に。

申請 : 整備期間が終わって2か月以内に支給申請を出す。賃金台帳や出勤簿を中心に添付書類もある。

 

同じ〇〇助成金でも、コースごとに構造が違うのはもともと全然違う助成金だからという場合が多いのです。キャリアアップや両立支援など、もともと違う助成金だったものを強引に同じパターンにまとめ上げたものもあれば、65歳超のように名前だけまとめて、実務はそのまままとめないで個々にやるというモノもあります。重要なのは書類を出す時期と添付書類。助成金実務は同パターンのものを最低2社はやって、感覚をつかむことが大事です。

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