2010-12-06 15:14:29

手話弁士付きの映画『ヨコハマメリー』

テーマ:手話
横浜、伊勢佐木町に“メリー”とよばれる女性がいた。戦後の混乱期に娼婦としてお金を稼ぎ、家を持つことなく横浜に住み、じぶんの信念で人生を生きた人。中村監督が10年をかけて、彼女を知る人にインタビューをくり返し、彼女の生きざまを描き出した映画「ヨコハマメリー」。とってもいい映画だった。

映画のなかで、メリーさんの一番の理解者であったシャンソン歌手、永登元二郎さんの歌うシーンが出てくるのだけど、これがもう、泣けて泣けて。癌とたたかい、ゲイとして生き、やわらかな歌声でステージに立ち続けた元二郎さん。彼の歌うマイウェイの言葉は、歌詞というよりも、彼の心の叫びだったから。

メリーさんも元二郎さんもすでに亡くなっている。
彼らの人生は、なんて過酷だったんだろう。でもなんて美しいのだろう。
じぶんの思いを貫くということは、裸足ですり傷をつくりながら、大雨のなかを前を向いて歩くことだ、と思った。

さて、この映画を見た理由は、聾者による手話弁士が付いていたため。手話弁士とは、映画のセリフを手話で通訳をする達人で、上映された1時間45分の間ずっと休みなく手話で通訳をし続けた。

すごかった!五十嵐さん、菊川さん、彼女たちは天才です!!!

たとえるなら、バイリンガルの日本人女性が、英語の映画をみながら、同時に日本語の台詞をしゃべっているようなもので、戸田奈津子さんが即興で訳している感じだ。わたしは熊本弁のバイリンガルだけど、標準語の映画を瞬間に熊本弁に直すのさえ無理だもんねぇ

それに、字幕という文字ではなく、手話という言葉にすることで、映画のなかの人物が話しているような感情や抑揚が言葉のなかによく現れていると思った。話している人が怒った顔をすると、手話の言葉も怒っているものになった。

声には、お年寄りのダミ声だったり、キンキンと高い声だったり、落ちついたゆっくりとした話しだったり、文字だけでなく、いろんな情報が含まれている。それを表すことができるのは、字幕ではなく手話。手話は、そのすべての情報を目に見えるものにした完璧な言語だ。

いつか、聾者だけでなく聴の手話弁士も登場するといいな、と思う。言葉の内容だけでなく、聞こえている声の感情も訳せるような手話ができれば、もっと情報が伝わるかもしれない。

でも、聞こえない人は、わたしたち聴者がもっていない情報をたくさん目から得ていることを忘れないように。それはわたしたちの知らない世界で、もっと感じる世界で、もっとつながる世界。15年手話に関わっていて、そのことを実感している。
2010-11-09 12:09:04

目をつぶると、時が経つ

テーマ:手話
手話をはじめて10年経つけれど、今もなお、手話という言語の奥深さと素晴らしさに感動しまくっている。たとえば、昨日習った手話のことば。

「秋が終わって、もう冬になっちゃった!」
この日本語を手話では、
「秋、冬、あっという間」
と表現する。

この文のなかで、いちばん大切な表現は、秋でも、冬でも、あっという間でもなくて、秋と冬の間の「、」なのだ。

「、」は、言葉の間と小さな頷きと、そして一瞬目をつぶって表現する。すると、秋から冬に時が流れた、という意味になるのだ。文字で書いていると、なんのこっちゃ?と思うだろうけど、聾者が表現しているのを見ると、本当にびっくりするくらい、その意味が伝わってくるのだ。

手話の何がすごいかって、それがめっちゃ自然なこと。
日本人であれば、手話を知らない人でも必ず通じる。

表情、手の動き、目線。
手話を習うたびに「こういう表情や間の置き方ををすれば、そういう意味に相手に伝わるのか…」ということを再確認している。

そっか。耳の聞こえない人たちから、日本語の伝わり方を紐解いて教えてもらってるんだな。

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