アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。


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ごぶさたしています。早いもので、マレーシア生活、4年が過ぎようとしています。そろそろまた新しい生活になりそうなので、心ざわざわの日々を過ごしています。

今日の朝ごはんは、ちまきでした。それも彼の同僚の奥様のてづくり。贅沢だねーー。中には豚の角煮、栗、干しエビ、塩漬け卵の黄身が入っており、具だくさん!外で買ったら、1個6リンギ(きっと日本だったら300円)はしますねー。塩気のあるぽそぽその黄身がと、ほろり崩れる豚肉が、もちもちのもち米に絶妙に絡まりあっていて、小さな宇宙を感じました。


マレーシアで言葉にできないことを見つけた。-ちまき マレーシアで言葉にできないことを見つけた。



マレーシアで言葉にできないことを見つけた。-ニョニャ
これはニョニャちまき。鮮やかなインディゴブルーは、花びらから採取した染料です。なかはあっさり味付けのそぼろ肉のみで、これもまたうまい。同僚は砂糖をつけて、「おいしいよ!」と食べておりました。

さて最近思っているのは、「ストーリー」について。食べ物も、ものも、人も、みーんなストーリーがあって、そのさまざまなストーリーに惹かれます。おいしい、って思うことも、実はものすごーく主観的なもので、ある程度おいしいものであれば、そのときの状況や一緒に食べる人や、視覚やスタッフや香りや空気なんかで、「これは、激うまや!」っていうのが決まる気がする。

たとえばマクドさんばかりずーっと食べて続けていると、からだによくない、っていう所以は、そこにストーリーが無いからのような気がする。効率的に、手早くお届けするためにつくられたシステムによって、作る人のストーリーはまったく消える。だから人の“思い”が無い、食べ物になってしまっている。材料とか、化学調味料とか、そういうものの前に、食べ物にストーリーのないものは、あまり心によくない。

そしてもうひとつ、食べることについて考える。やっぱ食べ物っていいなーって思うのは、「食欲」という人間の基本的な欲求を、誰かと、いろんな人と、シェアできるからだ!って気付いた。睡眠欲はじぶん1人で満たすものだし、性欲はそんじゅそこらで人と満たせるものではないし。だから食欲なのですね、惹かれるのは。

日本に帰ったら、そういうことをやっていきたいです。
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