アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。


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今日は、とりあえず(すみません)、手話試験勉強をしてみる。

障害者基本法。国際障害者年。障害者の日。
蛇の目寿司事件。民法11条。無言の政見放送。

ぷはー。なんとなく聞いたことはあっても、
モヤモヤした煙みたいなもんで、
脳ミソのどこを探っても、実存しない言葉たちが並ぶ。

この法律が、何年に改正され、こういう理念になって――。
あー、覚えられない……。頭よ、もう少し、働きなさい。

おのずと「逃げ逃げのシンキングタイム」が始まる。
こんなの覚えて、タメになるかなぁ……。
年代まで覚えている人って、聞こえない人のなかでも
少ないんちゃうん……?

でも反面、これだけの社会的な動きがあったからこそ
いまの繋がりがあることを実感して、愕然とする。
30年ほど前までは、運転免許が獲得できなかったなんて。
政見放送に手話通訳が認められていなかったなんて。
銀行のローンが組めなかったなんて。
聞こえる人が当たり前のように持っている権利を
わざわざ勝ち取る必要があったなんて。

そして、心にポッと火が灯る。
まだまだ進むべき道は、これからなんだと。

聞こえない人だけでなく、聞こえる私たちもそう。
権力者に操られるな。コントロールされるな。
たとえおいしい餌を吊り下げられても、騙されたくない。

自分の道は、自分で決める。
それが生きるということなんだ。
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そびえ立つのは、直径10メートル以上もありそうな
地球儀。水の膜でおおわれ、噴水の上に浮かんでいる。

赤、緑、黄とピカピカ光るイルミネーションをくぐれば
ドドーンと土色のエセ火山と遭遇した!

あの人だかりは、ネズミのキャラクターの、ほら!
あっちの人だかりは、その彼女の、ほら!
こっちの人だかりは、あひるの、ほら!

はい、ここは、東京ディズニーシー!
夢と幻想のおとぎに国であります!
ディズニーランドに初めて行った10年前から
わたくし、大ファンでございます。

ミッキーもそうだけど、ミニーはすごかったですよ。
ほんまに、プロです。
子供や女の子、ひとりひとりに
「まー、かわいいー、こっちにきてー」(せりふ、想像)
と両手をパーにして、腕をのばします。
そして、ときにはギュっと抱きしめ、
手を握り、そして、鼻でチュッチュッ。

写真に写るときは、
胸の前で手を組む
「わたし♪ミニー」
下のほうで、手を表同士で組んでぎゅっ!とする
「いやーん♪ミニー」
もうひとつは、表同士で指を交互に組む
「見てみて♪ミニー」
そのパターンにプラスして、必ず左足がつま先立ち!

カメラの調子が悪いときも
「どうしたのかしら、ウフッ」(せりふ、想像)
と首を前にだす。
参った。ミニーすごいぜ。


ちなみに、こっちでは
「ディズニーランド」の手話は
両手の人差し指で、頭の上に耳をつくります。
(中心から外に向かって、半円をまるーく描く)
「ディズニーシー」の手話は
ランドと同じ動作を、「シ」の指文字で表します。

以上、来週の試験をまえに
逃亡をくりかえしている音でした…。
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月曜から、すっかり気持ちがブルーで
ブログにも、友人へのメールにも、飲み会でも、
お悩みモードを炸裂していたら、
プレゼントが、たくさん贈られてきた。
キラキラ星みたいに、やさしい輝きで癒してくれて、
凛とした瞬きで力をくれる、言葉のメッセージだった。

携帯メール「手話、永遠にうまくならない気がする…」
返信「うまくなろうとするから、あかんのちゃう?」

言葉は人と人とのコミュニケーションのなかで生まれる。
うまくなる。技術を身につける。
そうじゃないところに本質がある。

携帯メール続き「うまくなろうとするのが、あかんのかー。なるほど」
返信「何事にも立ち止まる時があるやん。それだよ、きっと」

あっそ。何事にもあるのか。そんな大ごとでもないんだ。
そこら中に転がっている、石コロみたいなもんか(笑)。

ブログにもコメントが添えられている。

「上手か下手かが問題なのではなく、手話が通じなかった
 ときに、その人にどう伝えるのかこそが大切だと、
 私の先輩は教えてくれました」
手話通訳士で活躍されている方のメッセージだ。

通じないことに落ち込むのではなく
通じなかったときこそ、どうやって伝えるか。
いちばん大切なのは、伝えたいという気持ちなのだと。

「通じないときや、誤解されるような手話をしてしまった
 ときのショックは、何年経ってもあまり変わりません」

この言葉、不思議と、わたしを楽にしてくれる。
変わらないと思えば、一緒にやっていく方法を考える。
反対に、いつか消える、と思うと苦しい。
必要の無いものだと思い込んでいると、辛い。しんどい。

かんぱちさん、ありがとうね。
「ショック」ちゃんと友達に、
いやあまり仲良くなりすぎても困るので、
知り合いにくらいなっときますね(笑)
……って、この話、以前もしたような気もする!(笑)

人生繰り返しの毎日です。

「ある程度基礎を学んだ所で、ろうの方とめちゃくちゃ
 話すようになって、自然と身についたものが多いように思います」

医療関係で仕事をされて、掲示板にもブログに顔を出してくれて
書道をして、空の写真を取って、デフパペも、こころおとも、
プロディアも、いろんなところに顔をつないでいらっしゃる
スーパーガール、くみさんからのメッセージ。

それですよね。それ。
私はまだ、めちゃくちゃ話してないだ。
勉強ばっかりで、コミュニケーションが足りてない。
思い知りました。
試験が終わったら、「遊び」に精を出します!

ある方は、こんなステキなホームページを
プレゼントしてくださった。
http://www.kado4life.com/top.html

アーティスト、門さんのホームページ。
すんごく、かっこいい!
わたしも、前から名前だけは知っていた。
森美術館で、手話通訳付のツアーを担当されていた門さん。
両親が聞こえない、コーダの方だ。(だから、手話はペラペラ!)
指文字や手話が、アートになっている!
教えてくださって、本当にありがとう。ぜひ会ってみたいです。

昨日は、以前から予定していた
新宿のデフバー「@」に、友人と行って来た。
手話での会話。
楽しくも、お酒を飲んで手話を見ていると、
目が回りそう(笑)。
おっと! 終電間近! 帰らなきゃ!

飲み会のラストに語られた言葉は、こうだった。
一緒に飲んでいた聞こえない人の言葉。
「コミュニケーションの“方法”にこだわることが、
 いちばん悪い“方法”だね」

カタチにこだわるな。手段にこだわるな。
伝えたいことが、いちばん大切なんだ。


グチグチしていても、落ち込んでも、
理不尽な怒りで満たされていても、
神様は、いつも、平等に、やさしく
わたしを包んでくれている。

その大きくて、あったかい、やさしさに
感謝しながら、
なんとも申し訳ないような気にもなる。
幸せすぎて、なんとも申し訳ないような気になる。

みなさま、本当にありがとう。
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月曜日から、すっかり落ち込んでしまっている。

私は、手話が下手だった……。

そんなことは知っていた。
「私はうまいんだぞ!ほかの人よりできるんだぞ!」
なんて自慢したことはなかったし
「まだまだだわ。おほほ」
と落ち込んだりもしてた。

でも、月曜日の“気づき”は、
もうそれは、宇宙からの強烈な“ダメだし”のように
ドーンと舞い降りてきて、頭にガツンとぶつかった。
その瞬間、火花が散ったくらいに痛くって
涙がすこし出た。

考えてみれば、私の手話歴は9年。
最初の2年は、職場に聞こえない友人がいて
よく話していた。
覚えたての手話は、すごくおもしろくて
どんどん吸収していったと思う。
でもその後、部署が変わって、友人と話す機会は減った。
おのずと手話と接する機会もなくなった。

仕事を辞めてから地域の手話講習会に通った。
でも、次の仕事が決まったので、すぐに通えなくなった。

そうして今、フリーになって、やっと本格的に始めた。
“手話ソング”や“手話劇”のことを、アレコレ語っては
いるものの、初めて見に行ったのは、1年ちょっと前の
「日本ろう者劇団 ~お初~」。
まさにそれが、“お初”だった。

それに私は、フリーライターになってから、2年弱。
ということは、本格的に手話を始めてから、まだ2年弱!
手話歴はじめの2年を加えても、まだ4年弱じゃん!
その間、サークルも通ってなければ
たくさんの聞こえない友人がいたわけでもなく
うまいはずがないじゃんよー!! ガーン……。

私は、そんな冷静な分析もできぬまま、
“まぁまぁ話せるよね”、“まぁまぁうまいほうだよね”
と思っていた。
そんな自分の思い上がり、うぬぼれ、に愕然とした。
講習会の仲間がどんどん上達しているのに
それを黙ってみているだけの自分に気づいてなかった。

もうひとつ。
私は手話にたいして、謙虚じゃなかった。
聞こえない人の言葉を、分かりもしないのに、
無理やり使いこなそうとしてた。
学んだイディオム(慣用句)があれば
すぐに使おうとしてた。

言語なのに。大切な言葉なのに。
勉強をすれば話せると思ってた。
よく「手話は、聞こえない人との会話のなかで学べ」
といわれるのだけど、それに心のなかでは反抗してた。
“そんなんラチがあかないよ。もっと教えてくれ”と。

違う。絶対に違う。
会話のなかでこそ、言葉が生きるのに。
手話は、聞こえない人の生きた言葉なのに。
私はなにも、手話を学んでテストに受かりたいわけじゃない。
いい成績を取りたいわけじゃない。
聞こえない人と話したいんだ。手話という言葉で。

「手話って、地域、年代によって違うから、
 テキストに載っている手話だけじゃないよね」
「そうそう。この前さー、自分が習った手話と
違ったみたいで、聞こえる人が、聞こえない人に
“それは手話が違います”
 って言っちゃったんだよねー」
「まじで、そんなこと、ありえない!」

なんて笑い話をしていた。
私も、ありえなーい!と思ってた。

でも、もしかしたら、もしかしたら
私も、思ったときがあったかもしれない。
「私が習った手話と違うな」って。

なんて傲慢だったんだろう。
なんておこがましいんだろう。
そういう自分に、ほとほと嫌気がさした。

「気づいたから、ヨシとしよう。
 これから頑張ればいい」
そんな前向きな発言は、止めだ。
そんな逃げでは、本質はなにも変わらない。

それに、私はすごく不安だ。
気づいたのは、気づいたけど
本当に気づいているのか。
本当に忘れずに、心に持ち続けられるのか。
実感できて、実行できるのか。
また、思い上がって、落ち込んで、
その繰り返しじゃないのか。
私は一生、傲慢な人間じゃないか。
不安でたまらない。

なんてことを書いている自分も、
自分を弁護しているみたいで
反省が足りない気がしている。

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ブログを見て、メールを下さった方がいた。
「昼からワイン。その背徳的な感じが好きです」

背徳的な感じがいいね。
私の彼もそういった。

ダラダラと過ごす。昼間からワインを飲む。
そんな時間もいい。そんなダラけた自分も好き。

またダラダラしてしまった。やることは山のようにあるのに。
やばいなぁ。そんな自分にいつも後悔。


失敗をする。

でも、よかった。怒られたお陰で、気づいた。
大失敗を起こす前に、未然に防げた。
謝ることができて、ラッキーだった。
ともすれば淡々と過ぎていく日々に
渇を入れることができた。

すこし気づけば、分かったのに。
すこし配慮をすれば、避けられたのに。
私って、どうしていつもこうなんだろう。
また失敗したら、どうしよう。
昨日まで幸せだったのに、今日は最悪。


ガニマタの私。

それもまた個性ってことで、いいでしょ。
かっこ悪い歩き方は、品位を下げる。


変なところで思いっきりのいい私。

人生一度きり。思いっきりやるべしよ。
おいおい、失敗したら取り返しつかないよ。


ある事を、ヨシとするか、ダメとするか。
そんな自分を、好きとするか、嫌いとするか。

なんだかどっちも似てない?
心動かされた事は、同じでしょ。
気になるところは、同じでしょ。
大切なのは、心を動かされたという事実じゃない?

それを○にするか、×にするかは、
なんだか、あんまり重要じゃない気がする。
いやたぶん、もちろん少しは重要なんだけど、
事実のあと来ることのような気がする。

そして、どっちも似ていない?
好きと嫌いって。
なんだか、同じもののような気もする。

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とろりクリームチーズをはさんだ、丸いレーズンパン。
胡桃を練りこんで焼いた、フライパン型のライ麦パン。
ハムが飛び出した、パリっとした皮に中はモチモチのパン。

こんな美味しそうなパンを目の前にし
我は、ワインを飲まずにいられようか。
いや、いられない。

フランスから日本に上陸した大型スーパーマーケットで
購入していた、ボトル3本で2000円のワイン。
スペイン産の赤ワイン。

勉強もしないといけないしー、
原稿も書かないといけないしー、
ホムペも造らないといけないしー。
1杯だけ。2杯だけ。3杯だけ。

明るい陽ざしの差し込む我が家で
ワインの空ボトルがごろりん。
そして、その横に、人間もごろりん。

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ドキドキしている。
渋谷のイベント会場に、ひとりぽつんとやってきた。
夕方5時。闇が足音を響かせながら、やってきている。

倉庫のような場所だ。
受付で1000円を払って、会場を見渡す。
同時発売されたAKIRAさんの本が2冊、
「神の肉 テオナナカトル」「COTTON100%」。
その横には、旅をしたときのAKIRAさんの直筆メモと
写真がおいてある。
メモ帳を手にとって、ゆっくりめくる。
ゴツゴツとした文字には、AKIRAさんの思いがあふれている。
ときには感謝し、ときには徒然に、ときには悪態をつく。
ここ、この瞬間に、ひとり必死で世界のどこかで生きていた
AKIRAさんを感じて、胸がぐっとなる。

壁には、AKIRAさん作のネアリカが、何枚も飾ってある。
ビビッドな色使いで、絵の具ではなく
毛糸や、ボタン、布などで、描かれている。
インターネットで見ていたときのイメージとは
まるで違う。
http://www.akiramania.com/art/neamini.html
もっと、あったかくて、生身で、やさしかった。

でも、不思議なことに
ネアリカを携帯フォトで撮影していたら
画面で見たときのほうが、絵か分かりやすいのだ。
インターネットも同じ。
なにを描いているか、インターネットではすぐに分かる。
でも、現実にネアリカを目の前にしてみると
なにを描いているのか、すぐには分からない。見えない。
毛糸の毛羽立ちや、布の質感、ターコイズの色など
ひとつひとつの細部に目が奪われ、全体が見えなくなる。

現実にぶつかると全体が見えなくなる。
でもあたたかさや質感は伝わってくる。

なにかの媒体を通してみると、全体が見えやすい。
でも質感や、生身の感覚は伝わってこない。

どっちがいいとか、言えないけれど
そうなんだなぁって感じた。

そしてとうとうAKIRAさんに
話しかけるべきときが、舞い降りた。
本にサインをしてもらうのだ。
メールを書いて返信をもらい、
すごく励ましてもらったことを伝えよう!

「はじめまして。メールを書いたものです」
「おー! Hpの素晴らしい文章を書いた人だね」
そういって、AKIRAさんは立ち上がり
親しい人と久しぶりに会ったときみたいに
ぎゅっとハグしてくれて、背中をパンパンと叩いてくれた。
赤い皮のジャケットがちょっと冷たくて
聞こえるかどうか分からなかったので
「すごく励まされました。
 本当にありがとうございます!」
と背中ごしに大声を張り上げた。

それから座って、本にサインをしてくれた。
私はもう必死で
「アヤワスカを読んで、私の価値観がひっくり返された」
とか
「すごく感動しました」
とか早口で舞い上がってしゃべった。
AKIRAさんは
「そっかー。ありがとう」
とうなずいてくれていた。

そんな興奮の時間も
自然の摂理に従って、きちんと過ぎ去り、
イベントへと移っていった。

イベントまでの時間、
超おいしそうなパンを買い、ワインも買って
ひとりで飲んだ。イベント会場の片隅で、地べたに座り
ネアリカに包まれながら、ひとり飲んだ。
さっそく本を開いて、ひとりで読書をしたりもした。
そんな時間も、なんだか不思議なくらい
安らかだった。

イベントのしょっぱなに
私の大好きな歌の生ライブだった。
「旅立ちの歌」
http://www.akiramania.com/music/at02.html
AKIRAさん作詞作曲、TAKEさん編曲、演奏の歌だ。

ワインのほろ酔い気分も手伝って
最初から泣けた。ライブは盛り上がっているのに
私はひとりで、辛気くさく泣いた。

田口ランディさんもゲストできていた。
ミニランディさんのモモちゃんも舞台裏から顔をだし
じゃんけん大会で、とっても盛り上がっていた。

ここ1週間くらいで、私は生ランディさんを
3回も見た。はじめて見たのに、立て続けに3回も見た。
ランディさんは、すっごく小さくて、かわいいの。
そして、「私はね」とハッキリ言う人だ。
それがまた、なだかカワイク思えてならない。

そうしてイベントは終わった。
AKIRAさんに話しかけることが出来たので
この勢いでランディさんにも!とも思ったけど
これは、やっぱり無理だった。
でも、今思えば、話しかければよかったかな。
でも、きっと、願っていれば、機会は訪れるよね。

2004年のなかで、最大のイベントだったかもしれない。
インターネットや本のなかでしか知らなかった人と
生身で会うこと。
同じ空気を吸い、同じものを見、同じにおいをかいで、
同じところで笑うこと。
私の5感全部、いやそれ以上の霊体部分もふくめて、
なにかを受け取った時間だった。

それはきっと明日を変える、
大きなものに違いないと感じている。
AKIRAさん、ありがとう。

AKIRAさんのHpはこちら
http://www.akiramania.com/

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今年の夏、台湾に出かけた。
そこで、あることを発見した。

「英語で話しかけることが、前よりも怖くない」

わたしは、けっこう気が小さいほうで
海外旅行では、いつもドギマギだ。
おまけに、連れは、仕事で英語を使っている
ペラペラリン。
間違ったら恥ずかしいやん。と余計に話せない。

はじめて海外に行ったとき
銀行での両替で、騙された。
たしか500円くらいの微々たる金額だったし
思い返せば、実際、騙されたのか、
間違えられたのか分からないのだけど、
もう、ひたすら、すごいショックだった。

だ、だ、だまされた……。
まさしく茫然自失とは、このことで
しばらくボーっとしていた。

わたしは、突然のハプニングや
予想できないことに、めっぽう弱い。
だから言葉が通じないと
それだけで弱気になってしまう。
その先どうしたらいいか、わかんない。

でも、先日の台湾では違った。
言葉が通じないことよりも
聞きたい、という気持ちのほうが勝った。
手段よりも、伝えたい内容のほうが、
重要だった。

この気持ちの変化をもたらした原因は
すぐに分かった。
手話だ。

手話で通じないことは
今でも、やまほどある。
地方や年代によっても、手話は違うし
なにより、わたしはまだまだ下手っぴだ。

だから慣れたんだ。
「えっ、何?」と聞かれることに。
「えっ、もう一度言って」と聞くことに。
言葉が通じない、ということに。

言葉が通じなくても平気になったら、
海外旅行も楽になった。
通じることが当たり前じゃなくて
通じないことが当たり前になったら
なんでも聞けるようになった。

手話をやっててよかった。

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冷たい雨が降っている。
そんな今日、ある人のコンサートに行ってきた。
(あ、もう昨日でした)

アルタイ共和国。
中央アジア、カザフスタン国境近くにある山のなか。
そこに、ボロットさんは住んでいる。
日本からアルタイ共和国まで、移動だけで丸3日もかかるらしい。

ボロットさんは、「喉(のど)歌」といって、喉を使った独特な歌い方をする。
倍音という、同時に2つの音程で歌ったり、
口笛に似た音で歌ったり、
ありえないほどの低音の音で歌ったり。
そしてボロットさんが歌うのは、2000年も昔からシャーマンによって
歌い継がれてきた英雄叙事詩、「カイ」。

そんな知識は、前もって知っていた。
でも、ちーっとも分からなかった。喉声って、なんぞや??

コンサートがはじまって、すぐ感じた。
「ここの音響施設は素晴らしいんだろうけど
 この音楽は、こういう場所で聞くものじゃない。
 草原のなかや、星空のもとに響いてくる歌だな」って。

ラピスラズリのような深い青色の衣装で登場したボロットさんは、
ゆっくりと歌いだす。
喉をふるわせ、音程というよりも、喉を鳴らしているだけ
のように聞こえることもある。
3種類の声が、次々に入れ替わる。
低い音は、とても重厚な声で、ほかの声とはまったく違って聞こえる。
口笛に似た音の声は、まるでお経のよう。
お経のような響きに、やさしい音楽が添えられ、なんだか馴染み深い。

でも、歌というか、声というか、その素晴らしさよりも
私がいちばん心を惹かれたのは、ボロットさん自身だった。
その話し方、その立ち振る舞い。
その姿は、とても謙虚だった。

アルタイ共和国では、今もたくさんシャーマンがいるという。
病気なると人々は、シャーマンに治してもらったりする。
また、アルタイの人は、自然のすべてに命があると考え、
それらすべてに、等しく敬意を払っているのだそう。

そう、その思いが、ボロットさんにあふれていた。
自然によって生かされているという、謙虚さ。
安らかな笑顔のなかに、謙虚さを感じた。
その姿が、とっても素敵だった。

私は最近、謙虚さが欠けていたように思う。
自然とともに生きていると感じながらも
私が、私が、と考えていた。なんと愚かなことなんだろう。
ひとりぼっちじゃ、自然がなければ、大地がなければ、
何も出来ないのにね。

目をつぶって歌声を聴いていたら、
どこまで続く高原と、荘厳な山々が浮かんできた。
一度行ってみたいな。世界のそういう場所に。
神秘なパワーがあるといわれるスピリチュアルスポットに。
生きている間に体感してみたい。

コンサートが終わって、駅まで歩いていたら
ふと、不思議なことに気づいた。
なんだか満たされているのだ。
水がいっぱいに溜まったバスタブみたいに、
心がちゃぷちゃぷといってる。
潤いというか、透明な水が、心に注ぎ込まれたみたい。

そして周りにある色がはっきり見えるような気もする。
夜は、濃い黒で満ちていて、
雨の雫は、いつもより透明な色で、天から降ってくる。

たぶん人は、心を失うと
周りの色が少しずつ褪せていくのだと思う。
薄く、白っぽくなって、気づかないうちに、
すべてが同じ色になってしまう。

そういうとき、音楽や芸術は、
世界をくっきりと戻してくれるパワーがある。
アートに触れると
世界が色濃くなり、はっきりと感じられる気がする。

ボロットさん、心を満たしてくれてありがとう。
歌は、作られたものじゃなく
心から自然と湧き出してくるものだ、と久しぶりに感じたよ。
いつかボロットさんのような歌声を
星空や青空のもとで聞きたいね。
そんな幸運が舞い降りてきたらいいな。
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何ごとも、くらべて判断する。
私たちの脳は、そうやって仕組まれている。

新しいことを始めるとき
不安でたまらないのは
くらべることが無いからだ。
いや、過去の“慣れた”事柄と
くらべるからだ。

“慣れたこと”vs“慣れてないこと”
試合開始!カン!
カンカン!試合終了!
慣れてないこと、一発KO負け。
だって怖いもん。


6年間勤めた会社を辞め
新しい会社に転職したとき、
はじめ、柔肌をグギーっと剥かれ
そこに塩をゴリゴリと塗られているような
気分だった。
なにか防具を身につけなければ
ガラガラと壊れてしまいそうだった。
とにかく、いっぱいいっぱいだった。

およそ半年間、仕事中の友人からのメールや連絡は
一切遮断した。
仕事中だから当たり前といえば、そうなんだけど
カンタンな業務連絡でも、一切見なかった。
見てしまうと、もうダメだった。
ピンと張っている糸を
友人の言葉は、ビンビンと揺らしてくるので
今ここにいる意味、シンドイこと、
そんなすべてのことがわたしを襲ってくる気がした。

そういう状態のときって
プライベートでもうまく話せない。

自分の言葉で、自分の思いを
友人に伝えられない。
言葉にできないんだ。
そしてだんだんと諦めてしまい、
自分から言葉を発さなくなる。

……という状況が半年くらいは続いたけど
人間、よくしたもので、慣れてきた。
ひとつの経験が、ひとつの予想をうみ、
それがひとつの安心につながってきた。

どんなに必死でも、毎日を過ごしていれば
経験をすることができる。
それは必ず
ひとつがふたつ、ふたつがみっつと増えてくる。

そして、そうやって慣れたという大きな経験が
また新しい世界に踏み出すときの予想となる。

「なんとかなるさー」
そう思える経験値となっている。

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