きょーすけの気学塾...

先日、名前を篤志より享佑(きょうすけ)に改名いたしました。
その為、こちらのブログのタイトルも『あつしの気学塾』から『きょーすけの気学塾...』へと変更いたしました。

心が豊かに生きられる秘訣をつらつらと書き綴っています。

あつしの気学塾へようこそ!!

このブログは、私が発行する九星気学(別名:風水)に関するメルマガのバックナンバーを閲覧できるように公開しているブログです。


九星気学とは約一万年もの間、ごく一部の著名人・実力者の間を脈々と受け継がれてきた学問です。

『占い』とは『裏 成り』が訛ったものと言われています。

裏とは、物事の起こる裏側、言い換えれば因果応報の 因

因の成り立ちを知るということ。

そして、良い『因』となる種を蒔けば、必ず良い『果』を受け取ることが出来る。

自分の運勢を自分の行動でコントロールできる学問ということになります。

知れば知るほど面白い!!

その面白さをお伝えするブログを目指します。

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【エレベーターのドアの閉まる時間】№2416


ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より…


エレベーターというものは、乗り込んで目的の階のボタンを押しますと、いつかは自然に閉まるものです。

ところが、私たちは知らず知らずのうちに、自分の目的の回数を押しましたら、すぐ隣の指で「閉」と書いたボタンを押しています。


私も自分自身がそうしているのに気がつきまして、持ち前の好奇心から、あるとき、秒針のついたデジタルの時計を持ち込んで測ってみました。

乗り込んでから階数のボタンを押して秒針をじっと見ていますと、私どもの建物のエレベーターは閉まるまでに4秒かかりました。

病院のエレベーターなどは、もっとゆっくりかもしれません。


いずれにしても、私はどうしてこの4秒が待てないのだろうと考えさせられました。

どれほど忙しくても、4秒が待てないほどの仕事はめったにありません。

そして、少しウロウロしておりますと、4秒なんてすぐ経ってしまうわけです。


その日から一つの小さな決心をいたしまして、もちろん、ほかの方とご一緒の場合とか、ホテルのエレベーターとか、よその建物の場合は別ですが、私どもの大学の構内の、そのエレベーターに乗るときだけは閉まるまで待とうと思いました。

これが案外難しいのです。

乗り込んだら、すぐ閉めたくなる。

その閉めたいと思う自分に言い聞かせて、決心を守らせる。


私はその4秒というものを、イライラする気持ちを抑えて、自分を見つめる時間にしようと思いました。

4秒も待てない私でいたらば、自分が学長室にいても、話をしにくる人の話をゆっくり聞いてあげることができなくなってしまう、と。


「4秒」が問題ではないのです。

「4秒が待てない自分」が問題だと思いました。

ですから、4秒が待てない自分と闘って、待てる自分に変えていくこと。

それが、結局は、交通渋滞の中でイライラしないですむ自分と無関係ではないし、はかどらない仕事にイライラしたりセカセカしないですむ自分と無関係ではない、ということに気づきました。


エレベーターのドアが閉まる4秒を節約する。

そのためにかえって忙しい自分になっていないだろうか。

いつもセカセカし、いつもイライラし、いつもソワソワしている自分になっているとしたら、節約したはずの、浮かしたはずのその数秒は、自分の生活を豊かにしているどころか、むしろ貧しくしているのではないだろうか、ということに気づくようになりました。

一日のうちに本当に数秒でよいから、自分を取り戻す時間、見つめる時間、自分と闘う時間が必要なのではないだろうか、ということを考えています。


『現代の忘れもの』日本看護協会出版会




我々は普段、何秒という時間が待てなくてイライラすることは多い。

パソコンやスマホの立ち上がりが遅かった時、スーパーの早いと思って並んだレジが遅かった時、ゆっくり走っている車の後ろについてしまった時、等々。


教育においても、仕事においても、現代は、すぐに結果を求める傾向がある。

本当は、種をまいて、水や肥料をやって、芽が出て、花が咲く、というプロセスが必要なのに、花を咲かすという結果だけを早急に求めてしまう。


特に、自分は一切しゃべらずに、人の話をじっくり聞く、という傾聴の姿勢には忍耐がいる。

ちょっとした時間が待てなくて、すぐイライラしてしまう人は、この他人の話を聴くことが苦手だ。


デジタル社会の現代は、一分一秒を争うスピードの時代でもある。

だからこそ、待てない人がどんどん増えてしまう。


エレベーターのドアの閉まる時間を、イライラしないで待てる人でありたい。






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あの「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」からご紹介させていただきます。


_______


【哲人】「わたし」や「あなた」よりも上位のものとして、「わたしたち」を揚げる。


人生のすべての選択について、その順序を貫く。


「わたし」の幸せを優先させず、「あなた」の幸せだけに満足しない。


「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。


「ふたりで成し遂げる課題」とは、そういうことです。


【青年】利己的でありながら、利他的でもある・・・と?


【哲人】いいえ。利己的では「ない」のだし、利他的でも「ない」のです。


愛は、利己と利他の両方を兼ね備えるのではなく、どちらも退けるのです。


【青年】なぜです?


【哲人】・・・「人生の主語」が変わるからです。


【青年】人生の主語!?


【哲人】われわれは生まれてからずっと、「わたし」の目で世界を眺め、「わたし」の耳で音を聞き、「わたし」の幸せを求めて人生を歩みます。


これはすべての人がそうです。


しかし、ほんとうの愛を知ったとき、「わたし」だった人生の主語は、「わたしたち」に変わります。


利己心でもなければ利他心でもない、まったくあたらしい指針の下に生きることになるのです。


【青年】でもそれは、「わたし」が消えてなくなるということにもなりかねませんよ?


【哲人】まさに。


幸福なる生を手に入れるために、「わたし」は消えてなくなるべきなのです。


_______


「幸せになる勇気」

岸見一郎 著

古賀史健 著

ダイヤモンド社より


_______



自立とは、自己中心性からの脱却だといいます。


つまり、主語が「わたし」から「わたしたち」に変わること。


「わたし」を中心に世界が回っているのは子どもの内まで。


次第に自分以外の気になる「あなた」を見つけ、意識する日が訪れます。


そしてその先に「わたしたち」という共同体感覚を覚えます。


たったふたりからはじまる「わたしたち」は、やがて範囲を広げていくものです。


マザーテレサは、「世界平和のために、われわれはなにをすべきですか?」と問われ、こう答えたそうです。


「家に帰って、家族を大切にしてあげてください」


世界から争いをなくしたければ、まずは自分自身が争いから解放されなければならないと。


身近なところから、「わたしたち」の範囲を広げていくのが自然ですね♪


主語を「わたしたち」に変えてみることからですね(^_^)b

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【私腹をこやす人】№2463


下村澄氏の心に響く言葉より…


安岡正篤先生という人は自分の金銭については無頓着だったが、金銭について無原則だったかというと、決してそうではない。

きちっとした金銭哲学をもっていて、折に触れて金に対し、とるべき態度を説かれていた。

たとえば、こんなふうである。

「明治維新の人物たちはその不羈(ふき)奔放(ほんぼう)さから贅沢(ぜいたく)はしたが、金を蓄えることはしなかった。

没してみればいずれも清貧だったといわれる。

しかし本人自身貧乏だと思っていたわけではない。

金というものは蓄えるものではなく、使うものだと思っていたにすぎない」


明治維新の人物たち…坂本竜馬にしろ高杉晋作にしろ、金があると確かに贅沢をしている。

ことに高杉晋作がそうだった。

ただし、彼は私腹をこやすためには一文も使っていないことを、誰もが知っていた。

事実、彼は高杉家の家計を豊かにするためにはさっぱり貢献していない。

そして誰もが、彼は国を救うという高い志のために東奔西走していることをよく知っていたからである。


高い志…明治維新の人物たちを何よりも豊かにしていたのは、これである。

だから、自分が金銭的に貧しいとは思わなかった。

というより、金銭的に豊かか貧しいかなどは意識になかったのである。


明治政府の大物となった人物たちも、さしたる蓄財はしていない。

まあ、政府の高官となったのだからそれなりの収入はあり、私生活も豊かになっている。

その一端をうかがわせるのは目白の椿山荘である。

広大な敷地につくられた庭園は山形有朋の屋敷跡なのである。

だが、内情はそれほど豊かだったわけではない。

その証拠に椿山荘は山形有朋の死後しばらくして人手に渡っている。


一般庶民から見ればそれなりの財を残したとはいえ、いま開発途上国の権力者に見られるような蓄財ぶりからはほど遠い。

清貧は明治維新の人物たちの特徴といえる。

そして、それがまた彼らの人間的魅力の重要な部分になっている。


安岡先生の贅沢はタカが知れている。

さしずめ酒を飲むことだけが贅沢で、ほかは眼中になかったといっていい。

悠然と杯を口に運び、それだけで満ち足りる。

そういう安岡先生は誰より豊かに見えた。

高い学識と深い思想が安岡先生を何よりも豊かにしていたのである。


安岡正篤先生の金に対する考え方の基本は、金は使うためにある、というところにあった。

まさにそのとおりである。

金はいくら蓄えたからといって、それだけではなんの価値も持たない。

使われてこそ、初めて価値を発揮するのである。


金を使うなら、その価値を充分に発揮できるような使い方をしなければいけない。

金の価値を充分に発揮させる使い方とは、金を使うことによってその人の魅力が増すような使い方である。



安岡正篤先生はこう喝破されていた。

「金と人というものを運命学的に見れば、金を蓄えるべき人間と、蓄えてはいけない人間とがある。

政治家や事業家は後者に属する。

政治家や事業家が金を蓄えるようになったら、それは彼ら自身の堕落であり、飛躍的業績などは望み得べくもない」


そういえば、バブル経済がはじけて以後、金にからんで社会的な立場を失う政治家や実業家が続出している。

その中には実に人間的魅力に溢れ、失脚させるのは惜しい人物もいる。

だが、金がからんでいるだけに取り返しがつかない。

どんなに実績があり、また人間的魅力に溢れていようとも、金にからんでの齟齬はそれらを一挙に台無しにしてしまう。

金とはそういう力があるものなのだ。

これらの金がらみの齟齬の実態を解きほぐしてみると、そもそもは金を蓄えようとしたことにきっかけがある、とわかる。


『人間の品格』PHP




金を蓄えてはいけない、ということではない。

私腹を肥やしてはいけない、ということだ。


サラリーマンや経営者が、自分の給料の中から天引きでお金を貯める、ということが悪いわけがない。

老後や病気や不慮の災害にあったときのための正当な蓄えは誰にとっても必要だ。


私腹を肥やすとは、公の地位や立場を利用して、自分の欲のために財産をふやす、ということ。

公私混同という、公のことに自分の我欲や私情を持ち込むことこそ品性に欠けることはない。


公平で、私的な感情や利益を交えないことを「公平無私」の態度という。

公平無私の気持ちで日々過ごしたい。






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今日は、お客さんの数が普段の2倍!

唐揚げ屋のもり◯がオープンしてからというもの、日に日にお客さんの数が増え続けてる。

ありがたいなぁ。

今日は開店から夜8時半までノンストップで洗い物に手を付けるヒマすらないぐらいに引っ切り無しにご来店。

で、ウチのお客さんからはあちらのお店の事にはなんだか良い話を耳にしない。

確かに、ウチのお店の数軒先に同業のお店を出店させる肚は理解に苦しむけど、

でも出店するのは向こうの自由。

街の人は、口を揃えて

『なんでわざわざ目と鼻の先にお店を出すの!??』って不愉快な表情を浮かべながら言葉を投げ掛けてくれる。

変わらず頑張ってね!とか、応援してるからね!
なんてありがたいお言葉もいただく。

だけど、もしも、まかり間違ってウチが後発で同じ様な出店の仕方をするとなったら

どうなるのだろうか

『普通の』唐揚げ屋がその街に、元々愛されてて、

そのすぐ近くにウチのお店が肩を並べてオープンさせる。

確かに喧嘩を売りつける様なものだから地域の人に受け入れてもらうには時間と労力と根気が要るのは目に見えている。

だけれども、栄養価や人の身体が喜ぶか否かのベクトルだけでジャッジすれば間違いなくウチのお店の方に軍配が上がる。

ということは、キチンと中身まで理解してもらう事ができるならば、ウチが後発であったとしても出店する事を必要とされる要素がある。



だから、今回のケースはたまたまウチが先発だっただけの事。

その事についてどうこういう事はナンセンスでは無いだろうか。

日本人はジャンケンの後出しを『セコい』とか『ズルい』と捉えがちだけど、

ジャンケンの時に後出しで勝ち残っていくぐらいのバイタリティが無ければこのご時世に生き残ろうなんて儚く散ってしまうだろう。

後出しをされようが何をされようが、『ほぅ~、そう来たか!でも生き残るのはウチや!』っていうぐらいのガッツと根性とアグレッシブさが無いとダメなんだろうな。

そういう肚が、この街に欠けているように思えてくる
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最近、お店は絶好調♪

今月、ライバル店の出現のおかげで、一気に売上が上がってる。

今月は八白土星の月。

ざっくりした感覚でしかないけど、来客数、売上高ともに10~20%ぐらいアップしてる。

八白の吉方がめちゃめちゃ効いてる。

何にもしてないのに、ありがたい。

何にもしてない  は語弊があるから言い換えれば、

当たり前の事を当たり前にやってる  だけ。

プラスアルファの、広告宣伝や過度の演出等は何もやってないという事。

ただ、施策の告知を線路に合わせて、

コツコツ吉方を取ってるくらいだろうか。

前任の店長についてた常連のお客さんの来店頻度は下がってる。

これは間違いないと思う。

だけど、それを埋めるかの様に新しいお客さんが来てくださるおかげで、今年に入ってから先月までの月々の売上は微増。

ありがたい限りです。

今日は久しぶりのお友達が唐揚げを買いに来てくれた。

ありがたいなぁ。

ここに来て、唐揚げの『難しさ』を思い知らされる。

全くレシピは同じなのに、

味が全く変わる。

仕込む人によっても変わるし、仕込む人の気持ちや体調に一番左右される。

味見をして、これは何点、こっちは何点と点数がつけられるくらいに差が出てくる。

不思議なんやなぁ、、、

料理はレシピの比率だけじゃないよ。

もっともっと大事な要素がある。

これだけは、機械には出せない味力。
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先日、会議の前にお腹が空いたので

久々にコンビニのパンを二つほど買って食べた。

そしたら、その日、その翌日とどうしようもなくダルくてダルくて、、、

なぜだか気持ちまで重くなる。

不思議やねんな~。

まっいいや  で手に取ったけど、

やっぱり変なものは食べない方が良いな、、、
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【運は遠いところからやってくる】№2418


萩本欽一氏の心に響く言葉より…


運の神様に好かれるコツって、ちっとも難しいことじゃありません。

たとえば人間関係で言えば、「威張らない」「気をつかう」「親切にする」、たったこれぐらい。

とっても、「な~んだ、簡単だ」と思って今目の前にいる人にやさしくしても、すぐに運がやってくるわけじゃない。

運は直接やってくるものではないし、手の届くところに落ちているものでもないんです。


困っている人を助けるために募金箱に1000円を入れたら、その帰りに1万円拾っちゃったって話、あんまり聞かないでしょう?

じゃあ、運の神様はなにを見ているか…。

楽しいときもつらいときも人に対してやさしく接している人は、だんだん「顔」がやさしくなってくる。

運の神様は、そこを見ているんです。


もちろん逆の例も同じ。

たとえば自分だけが得をしようと思ってずるいことをしたり、人をいじめたりしても、すぐに不運がやってくるわけじゃない。

ずるやいじめをくり返していると、顔にそれが出ちゃいます。

顔のつくりがいくら整っていても、意地悪そうな目つきや表情が隠せなくなる。

それで人がだんだん近づいてこなくなったり、友だちがいなくなったりするんです。


運はいつも遠いところからやってきます。

「運」という漢字にはシンニュウがついているでしょ?

シンニュウは道という意味だから、運は遠くから運ばれてくる。

だから、ふだんの生活でも、「遠い」という言葉をキーワードにしていると、運の神様は「おっ、わかってるな」と思ってくれます。


たとえば、たまにお詣りをしたときにお寺や神社でお賽銭(さいせん)をあげて、自分の夢を神様にお願いするのって近すぎ。

神様と直接取り引きしようとしてない?

そもそもお金を先にあげてなにかお願いするのって、どんな神様に対しても失礼だよね。


その神様を信じるなら、ふだんからお詣りをしたり、境内のごみを拾っていればいいの。

たとえ毎回はお賽銭があげられなくても、神様は「なかなか心がけがいいな」って好意を持ってくれます。


できればお願いすることも、自分以外の人のことがいいんです。

自分の両親や子ども、あるいは被災地の人や、戦地の人を幸せにしてほしいとか。

ほかの人の幸せを願っていると神様は喜ぶんです。


仕事のやり方そのものにも「遠い」「近い」はあります。

「焦り」や「驕(おご)り」があると、なにごとも「近い」になっちゃう。

僕もそれでさんざん失敗しました。


20代の頃、浅草の舞台からテレビに呼ばれて「すぐにでもスターになれる」と思ったのが間違いのもと。

CMの生放送で19回失敗して、浅草へ戻ることになっちゃった。

出鼻をガツンと挫(くじ)かれたんです。


このあと僕はコメディアンの先輩から熱海の仕事を紹介されて、2ヶ月間東京を離れました。

熱海のホテルに住み込んで、毎日一人でショーをやってたんです。

東京生まれの僕が熱海で住み込みって、距離的に遠いでしょ。

つらいことがあったときは、こんなふうに一度遠くへ行ってみるっていういのも運にはいいんです。


僕の場合、この熱海の環境がよかった。

ショーは一日一回だから、あとは温泉に浸かったり、部屋から海を眺めていました。

海って実にいいですよ。

波が押し寄せてきて、また静かに引いていく。

ああ~、僕も今、この波のように引いている時期なんだなぁ、と思って見ていると、また力強く波が押し寄せる。


そうか、この波みたいにもう一回出発すればいいんだ。

次も失敗したら、またす~っと引けばいいだけだな。

なんて、気持ちが前に向いてくると、コントのアイデアがいろいろ浮かんできたんです。

それですっごく気分よく、「浅草に戻ってまたやり直そう」って思えたんです。


『続ダメなときほど運はたまる』廣済堂新書




「損と得とあらば損の道をゆくこと」

と言ったのは、ダスキンの創業者、鈴木清一氏。


損得や効率を考えて動くのではなく、相手の喜びや幸せを考えて動くこと。

あえて、面倒で煩(わずら)わしくて、効率の悪い道を選ぶこと。


目先の利益に目がくらみ、その場だけよければいいと、効率を重視し、手抜きをするのが「近い道」。

一攫(いっかく)千金を狙う道でもある。


すぐに利益には結びつかないが、本質的によくなることを考え、あえて面倒な道を選ぶのが「遠い道」。


「近い道」は覇道。

「遠い道」は王道。


覇道とは、努力少なくして、「利」多い道。

王道とは、努力多くして、「利」少ない道。


「運は遠いところからやってくる」

努力多くして、「利」の少ない王道を歩みたい。





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【よい面に気づける人】№2461 


リチャード・カールソン氏の心に響く言葉より…


アメリカ中を旅して周った間に、現地の人たちとの話題の中心は何であったかという記録を取った。

すると、興味深い結果が出た。


ほとんどすべての人が、職場の人たちやパートナーや恋人の困った面についてばかり話した。

逆に、よい面についてはなかなか聞かせてくれないのである。

実際、ほとんどの人は、よい面には触れようともしなかった。


たとえば、ニューヨークに住むある人は、7時までに出社しなければならないと不平を言った。

しかし、よく聞いてみると、4時には退社できることがわかった。

また、オハイオ州のある人は、「うちの社長は、用もないのに日に一度は退屈なだけの会議を開かないと気がすまないんだ」と腹だたしげに話し
た。

しかし、他の人から聞いた話では、この会社はその業界では珍しいことに、社員が休暇をとりやすいのだそうだ。


仕事のストレスがきついと不平を言う人もいたが、社内にジムがあったり、ノー残業デーを実施していたり、あるいは同じ業種の中では少し給料が
高めであるなど、よい面もたくさんあったりする。

だが、そいう話はまず表には出てこない。

どんな仕事にも、ストレスを感じることや厄介なことはあるし、妥協しなければならないことや、文句を言いたくなることもある。

それを否定しようというのではない。

しかし、そんな悪い面ばかりではなく、必ず何かよい面もあるはずだ。

それなのに、どうしていつも厄介なことや欠点ばかりあげつらい、自分の仕事や人生のよい面は当たり前と受けとめるのだろう。

とてももったいないことだと思う。


ある男性が友人に「うちの妻には収入がない」と不満をもらすのを聞いた。

しかし、数分後には、彼の奥さんは4人の子供を深い愛情をもって育てていることがわかった。

時々、首をかしげたくなる時がある。


どうも多くの人は、ほしいものはすべて手に入り、自分にはその資格があると思い込んでいるふしがある。

仕事は楽しく、人間関係にも不満はなく、子供はスポーツ万能で成績優秀、そんな人生を本気で望んでいるようだ。

しかし、引っぱりだこになってみたいと言いながら、電話が鳴っただけで腹を立てる。

やりがいのある仕事がしたいと言いながら、出張が多いのは困ると言う。


悪い面ばかりに注目していると、楽しいはずの人生もつまらないものになってしまう。


『小さなことにくよくよしない88の方法』王様文庫





自分の長所と欠点をあげなさいという質問をされたとき、短所ならいくつもいくつも書けるのに、長所はほとんど出てこない、という人がほとんど
だと言われる。

他人の評価も同じで、長所より、先に短所に目がいってしまう。


これは、新聞の記事と同じで、犯罪や火事や事件は少数で、目立つからだ。

世の中の大多数の人には、犯罪も火事も事件も起きていない。


欠点には目を向けず、よい面に多く気づける人でありたい。





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【人生の傍役(わきやく)】№2460


遠藤周作氏の心に響く言葉より…


どんな人だってその人の人生という舞台では主役である。

そして自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で自分の人生の傍役(わきやく)のつもりでいる。

だが胸に手をあてて一寸(ちょっと)、考えてみると自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。


たとえばあなたの細君の人生で、あなたは彼女の重要な傍役である。

あなたの友人の人生にとって、あなたは決して主人公(ヒーロー)ではない。

傍をつとめる存在なのだ。


「あたり前じゃないか。またくだらんことを言うのか」

とまたお叱りを受けるかもしれない。

だが人間、悲しいもので、このあたり前のことをつい忘れ勝ちなものだ。

たとえば我々は自分の女房の人生のなかでは、傍役である身分を忘れて、まるで主役づらをして振舞っていはしないか。


5、6年前、あまりに遅きに失したのであるが、女房をみているうちに不意にこの事に気がつき、

「俺…お前の人生にとって傍役だったんだなア」

と思わず素頓狂(すっとんきょう)な声をあげた。

「何が、ですか」

女房は何もわからず、怪訝(けげん)な顔をした。

「いや、何でもない」

気づいたことを言っては損すると思ったからそれ以上は黙った。


しかし私はまるでこれが世紀の大発見のような気がして日記にそっと書きつけたほどである。

以後、女房にムッとしたり腹がたつ時があっても、

「この人のワキヤク、ワキヤク」

と呪文(じゅもん)のように呟くことにしている。

すると何となくその時の身の処しかたがきまるような気がする。


夜、ねむれぬ時死んだ友人たちの顔を思いだし、俺はあの男の人生で傍役だったんだな、と考え、いい傍役だったかどうかを考えたりする。

もちろん、女房の人生の傍役としても良かったか、どうかをぼんやり思案もしてみる。

こんなことに気がついたり、考えたりするのは私が人生の秋にさしかかったためであろう。

最後に…この傍役の話は結婚式の披露宴のスピーチに役立ちますよ。

お使いください。

《生き上手死に上手》


『生きる勇気が湧いてくる本』祥伝社黄金文庫






「成功の秘訣があるとすれば、それは常に相手の立場を理解しようと努め、相手の立場から物を考えるようにすることです」

自動車王のヘンリー・フォードの言葉だ。


我々はつい、自分を中心にして物事を考えてしまう。

しかし、相手の立場になってみると、自分の考えとは違うことは多い。


人生という舞台では主役は自分。

しかし、他人の人生では、自分は傍役。

だからこそ、他人を主役として立て、自分は名傍役に徹することが人間関係のコツ。


どんなときも、相手の立場に立って考えることのできる人間でありたい。






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私自身も、ある意味では歴史上の人物たちの真似事を行ってきただけなのです。


人生とは、つまるところ人真似なのです。


それでいいのです。


私はよく人に言うことがあります。


それは、誰か歴史上の人物の言行に触れて自分がその「何ものか」に感応すれば、その歴史上の人物と「同じもの」を、その感応した人も必ず持っているということです。


「同じもの」がなければ、人間は決して感応しません。


たとえば、西郷隆盛に感応した人がいれば、その人の中には「小なりといえども」、必ず西郷隆盛と同じような精神があるのです。


それが分かれば、歴史が途轍(とてつ)もなく面白いものになってくるでしょう。


そしてそのようなことが分かれば、生きている人間の影響力はもっと強いことが当たり前のように分かってきます。


_______


「耆(ろう)に学ぶ」

清水克衛 執行草舟 吉田晋彩 西田文郎 寺田一清 (著)

HSより

http://dokusume.com/modules/store/


_______


「同じもの」がなければ感応しない。


尊敬する人物や、偉人の伝記を読んだり、著書を読んだり、ドラマや映画に登場する人物でも、スポーツ選手のインタビュー記事でも、


「心を突き動かす」ほどのものを感じるということは、その人物と同じような精神が自分にも入っているのです。


ある人が、どんな感動する話しを聞いても映画やドラマを見ても「泣けない」と言っていました。


しかし、飼っていた猫が死んだとき、2日間泣き続けたそうです。


共に過ごし、世話をし想いをかけたからこそ、涙が出たのです。


それ以降、動物ものの物語には必ず涙を流すそうです。


「同じもの」を感じるのでしょう。


人の痛みや苦しみが分かり、一緒に泣いてくれる人というのはつまり、同じような精神が入っている人なのです。


感応できる人でありたいですね♪


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