今年のゴールデンウイーク前半は都内の美術館及び映画鑑賞に終始した。

訪れたのは下記の通り。
・新指定国宝、重要文化財(東京国立博物館)
・若冲展(東京都美術館)
・俺たちの国芳、わたしの国貞(Bunkamuraザミュージアム)
・萩尾望都SF原画展(吉祥寺美術館)
・Woman in Gold(黄金のアデーレ)(映画 ギンレイ会館)


○メインとしていたのは「若冲展」であったが、内容については既にいろいろな所で語られているのでここでは多くは語らないが、よく集めたなというのと、なぜ都美で開催したのか?というのが印象である。

「釈迦三尊像」と「動植綵絵」も素晴らしい(特に単・双眼鏡で拡大してみると)が、「蓮池図」や「象と鯨図屏風」といった墨画の方が私の趣味にあっている。

ただ長ければ、入場券を購入するのに15分、そこから入場するのに120分程度待つことがあるということなのでその点はご注意を。

○それと比較すると今年のゴールデンウイークの東博はすいている。
昨年は「鳥獣戯画展」を開催していたので2時間~3時間待ちであったのだが、今年は「黒田清輝展」及び「黄金のアフガニスタン」展であるのでやや地味な展覧会である。
ただ「黄金のアフガニスタン」展は、すぐ近くの芸大美術館においても「バーミヤン大仏天井壁画」展が開催されているのでこれと併せて鑑賞することをお勧めしたい。旧ソ連の侵攻から現在にいたるまで、アフガニスタン美術の苦難がよくわかる展覧会となると思う(これらはゴールデンウイーク前に鑑賞済み)。

○「俺たちの国芳、わたしの国貞」はボストン美術館所蔵の浮世絵の展示である。前回ボストン美術館を訪問した時には、残念ながらこれまで訪問した時と比較して浮世絵の展示が少なくガッカリしたものであった。昨年は弟子である暁斎の展覧会や国芳でも幽霊画展を中心に訪問したが、今回はボストン美術館所蔵のコンディションの良い浮世絵を「Back to TOKYO(渋谷、凱旋)」と銘打って公開している。国芳が猫ずきであった為、会場のマスコットは「猫」で浮世絵好きな人だけでなく猫好きな人も訪問しておきたい展覧会だ。

○「萩尾望都SF原画展」やや都心から遠い吉祥寺での開催である。原画に加えて、等身大の阿修羅(「百億の昼と千億の夜」)、スターレッド(「スターレッド」)がパネル化されている。
萩尾望都は少女漫画家に分類されるが、上述の作品以外にも「11人いる」「ポーの一族」等、性別を超えた優れたSF文筆家だ。(残念ながら、子供のときは彼女の連載されている少女コミックを買うことはできず、立ち読みしていた)

○最後の映画 Woman in Gold(黄金のアデーレ)であるが、私が数年前ニューヨークを訪問した際、ノイエギャラリー(Neue Galerie)でクリムトのAdele Bloch-Bauer I(アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I)を見たとき、あれこれは昔(1980年代後半)オーストリアで見たことがあるのでは・・・と疑問に思ったその答えを示す映画である。

この映画では、特別な人がナチスを生み出したものでなく一般の人々がナチスを生み出したことが描かれている。これはドイツにのみあてはまるのではなく日本でもそうであったと思われ、軍部や一部政治家が加害者で一般的な日本国民は戦争被害者だという現在の風潮に対して危機感を持たせる内容となっている。

余談だが、私がノイエギャラリーを訪問した時も、「Degenerate Art: The Attack on Modern Art in Nazi Germany, 1937」(退廃芸術)展を開催しており、引き続きナチス時代の芸術にスポットをあてた展示を行っていた。



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資産運用は基本インデックス運用でアロケーションからのずれを年一回修正するだけなのであるが、興味をもって調べている運用対象としていわゆるSin Stockといわれている銘柄群がある。

その銘柄に属するのは、一般に非倫理的で保有することに対して罪悪感がある銘柄で、具体的にはタバコ・酒・武器・ギャンブル関係銘柄である。又仮に上場していれば風俗産業・麻薬・傭兵派遣業などもそれにあたると思われる。


20年以上前に調査したときは、こうした銘柄からなる指数の対インデックスパフォーマンスはボラティリティが低くかつ安定的なパフォーマンスを示していた。
但し、当時は公開された充分な長さのあるトラックレコードのあるファンドはなく、指数ベースの分析に基づく結果でしかなかった記憶がある。

現在ではこうした銘柄に特化しかつ投資可能なミューチュアルファンドも存在しており、トラックレコードの10年以上存在している(ただし米国ミューチュアルファンド)。

こうした銘柄群を調査しているのは、こうした銘柄がリバタリアンの考え方と調和性が高いと考えているからだ。

それはリバタリアニズムの考えの中に、たとえ愚行だとみなされることでもそうした行為は制限されるべきではないという愚行権があり、こうした愚行権を象徴しているのがSin Stockではないかという考えによるものだ。


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2015年の年間支出及び2016年の予算についても記載しておこう。

ただ支出レベルは人それぞれであるからその水準が高い低いというのを問題にするつもりはない。

チェックすべきなのはアーリーリタイヤ想定時あるいは年間予想収支策定と比較して、全体及び各項目毎に支出超過となっていないかどうかだ。

また人によっては耐久財購入や住宅関係費用(例えばリフォームなど)の一時的支出などにより大きくぶれがあるかもしれないが、私の場合はこうした費用は毎月定額を費用化し支出としているので、実際の支出にあたっては積立費用の取り崩しとなるだけであるので、毎月あるいは年間で大きくぶれるということはない。

また支出を振り返るのは、単に過去がそうであったというのを自己満足的にまとめるというより、そこから将来に向けてどのような行動をとるべきかということを策定する為であると考えている。

そうした観点から昨年の支出を見てみると、次のことがわかった。

(1)公共料金及び基礎的収支(食費、被服費等)は概ね当初予算と同程度であった
→ここから日常生活費は概ね想定ラインであったことが分かる。また来年度の同水準の予算で達成に問題はない。

(2)医療費は想定より10%程度多くかかった。
→これは昨年入院したことによるもので、老化の度合にあわせて今後やや予算を多めにしておく必要があるかもしれない。

(3)娯楽費は大幅に超過した。
→これは昨年は海外に2回いったことによるもの(予算策定時点では1回の予定であった)だ。

(4)全体支出としては娯楽費が大幅に超過した分全体としても超過した。

したがってこれを踏まえた今年の予算は、
(1)公共料金及び基礎的収支は昨年と同程度
(2)医療費は昨年比+10%
(3)娯楽費は昨年予算と同程度(2回海外に行く予定なし)
とした。

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今年の資産運用について記載する。

まず現在のポートフォリオであるが、目標アロケーション対比で株式アンダーウエイト・非株式オーバーウエイトという状況である。

これは意図してバイアスを設けたのでなく、昨年の価格変動の結果こうなったにすぎない。

今年の資産運用として行うことは、目標アロケーションから乖離したアセットアロケーションを目標値に戻すことだけである。

具体的なオペレーションは、

①株式のアロケーションがマイナスにずれているので、株式を購入する。
②資金は非株式を売却して作る。
③銘柄はインデックスを購入するので銘柄選択も不要である。

これだけである。



資産運用としておこなうことは年一回、時間は30分もかからない。
実際オペレーションは今週実施した。

この理由は過去も記載していたが以下の通りである。

(1)アセットアロケーション
過去に何回か記載したとおり、アセットアロケーションのベースになる期待収益率・標準偏差・相関係数はベルカーブ型を想定していないので、そもそもアセットアロケーションが単年度で変化することはありえない。

昨年度の株価状況や今年の世界経済見通しによって運用計画特にアロケーションを変えることは、たとえ各資産クラスにインデックス運用を採用していたとしても、最も収益に影響を与える部分でアクティブ運用を行っていることにすぎないのである。

したがってアセットアロケーションで行うことは、昨年度の市場変動によって発生したオーバーウエイト・アンダーウエイトを基準アロケーションに戻してやることにだけである。

(2)銘柄選択
私は以下の理由で個別銘柄選択で株式比率を上下させることは考えていない

様々な企業の調査分析を行うことはあるが、それは銘柄選択の為ではない。
なぜなら優れた企業と投資に値する企業は別物であると考えているからである。
また例え調査分析の結果、優れた企業であると判断できてもそれはあくまでも現時点のこと(現時点で考えた将来をも含む)でしかなく、不確定である将来などわかるわけはない。

加えて優れた企業というのとバリュエーションは全く別物である。

バリュー投資なら現時点の分析でかまわないのではないかという話があるかもしれないが、日本の企業の会計・法制・慣習では、企業の資産負債にマーク・ツー・マーケットが正確になされておらず、また解散価値の実現を許容する風土ではないため、企業の実質価値から投資することもあてにならないと考えている。


唯一実施しているのは、寄付感覚で行っているエンジェルとしてスタートアップ企業に対する出資である。寄付感覚で行っているのでリターンは求めず、成功に対しての資金援助及びビジネスアドバイスを行うのみである。




先週末、千葉市の千葉市美術館にて開催されている「唐画もん」を鑑賞してきた。

サブタイトルとして「知られざる大坂の異才」、「大坂からめっちすごいん来たで」となっている通り、江戸中期の大坂で腕を振るった個性的な作風の絵師の展覧会で、特に墨江武禅と林閬苑(ろうえん)にスポットをあてている。

「唐画もん」となっているのは、彼らが当時流行の中国絵画を学んだ「唐絵師」として人気を博していたことによる。

武禅は大坂の浮世絵師月岡雪鼎の弟子にあたり又閬苑は池大雅の孫弟子(福原五岳の弟子)にあたる人物である。



武禅の作品は美人画あるいは中国南画風の山水が多い、一方閬苑は同じく美人画や山水もあるが、それ以上に水墨画にすばらしい作品が多い。

今回の出品作品中、私の一番のお気に入りは閬苑の「鹿図」だ。



また同時期に関西で活躍した伊藤若冲や松本奉時の作品も展示されている。

千葉市美術館での展示は10月18日までで、その後大阪歴史博物館に巡回される(10月31日から12月13日まで)。
戦略目標をマンション一般管理費を建て直すとし、その目標達成の為、戦術的には人間は非合理的判断を下すということを前提に対策をたてる。

その対策は本来なら新規と既存費用は、その時点で同一の基準で判断すべきであるが、あえて既存費用に対してはその支出に対して判断を甘くした。

この新規と既存の費用に関する判断の非合理性はマンションの予算策定だけにあらわれるのではない。
例えば投資の際に、自分のコストにこだわってしまうというのも同じだ。
常にマークトウマーケットを行った時価のみが必要な情報であり、自分のコストや含み損益などは忘れてしまうべき事象で、ポートフォリオに入れておくか否かの判断は、それが新規投資か既に購入したかという事象とは無関係に決定されるべきものである。<

そこからその判断に到達するための前提として、時価が不透明あるいはすぐにわからない案件に投資すべきではない。具体的にはいろいろな仕組みが組み入れられた仕組み銘柄や流動性が乏しくオファーとビッドがまともに出てこない銘柄への投資などである。
またそもそもコストにこだわるという時点でそれは投資ではなく投機を行っていると考えたほうがよかろう

ただ今回は戦略目的があり戦術はその下位に位置づけされるものであるが、戦術は戦略目的を達成する為に必要であり、その逆ではないことも事実であり、そのため上述の判断を行った。

具体的にはどのような判断がそのようなものであったかというと以下である。
・そもそも自主管理か管理会社をつけるかどうか
・また管理会社をつける場合でも施工・販売会社の系列の管理会社とするかそれとも全くの第三者とするか。
・エレベーター等の保守管理について大手系列とするか第三者とするか

結論から述べると、上述の点につきそれぞれ
・管理会社を採用する
・管理会社は施工・販売会社の系列の管理会社とする
・エレベータの保守・管理会社はエレベーターの大手系列会社とする
とした。

ただこの場合でも、例えば系列会社採用ありきという判断から結論づけるものとはしなかった。

理事長顛末記(8)

テーマ:
これまで記載した通り、マンションの一般管理費の財政を立て直す為には、置かれている状況を正しく伝え、費用を見直し、収入の増加を図ることが必要である

まず「置かれている状況を正しく伝える」ため、管理費の今後の想定を行った。
その結果、現状のまま継続すると、翌年度末には債務超過ギリギリの水準に陥り、翌翌年度末には債務超過額は一層拡大するということが判明した。

次に「費用を見直す」ことを行った。
新規の案件については緊急性を要するもの以外はすべて実施せずとした。

引き続いて既存の費用の見直しをおこなった。
これについても既存の費用からカット可能かどうかという観点ではなく、ゼロクリアして必要な費用をゼロから積み上げていくこととし、その必要性で計上の可否を判断していった。

ここまでが前回の記載である。

このようにしたのは、「カット可能かどうか」という視点で考えるとどうしてもいろいろ理由をつけてカットはできないという判断となりがちだからである。既存にしても新規にしても同じ基準で判断すべきというのが基本である。

ある費用を計上するのに、新規と既存で基準を違えてはいけない。基準を違えることは既得権あるいは既得予算を温存させてしまうこととなる。

これが原則である

が一方マンションの意思決定、特に予算については理事会ほとんど権限をもっていない。
権限をもっているのはマンションの組合員総会であって、理事会はそこで承認された予算案を執行する権限しかもっていないのである。例外は可否を含めて理事会に一任された案件あるいは緊急案件である。

したがって上述した現状を正しく伝えたところで、費用の見直しについて総会で否定されれば何もできないのである。

また人間は非合理的な判断をするというのが行動経済学で議論されているが、現状の予算を伝えれば新規の費用支出案件については我慢するということは合意を得やすいが、同じ基準で既存の費用も取り扱えばこれについては総会で否決される可能性が高くなる。

また最後の「収入の増加を図る」という点においてもこれは影響する。
なぜなら、費用のカットだけでは債務超過は免れえないと考えていたので、コストカットと同時に総会において管理費の値上げにより収入の増加を図ることに同意してもらう必要があった。したがってここでもマンションの組合員総会の賛成決議が必要となってくるのである。

よって戦略目標としてマンション一般管理費を立て直すとすれば、戦術的には「新規と既存で基準を違えてはいけない」という原則を頭に置きつつもそれは緩和し、既存の費用は新規の案件に比べてはやや甘めにするといったサジ加減が必要となってくる(これは前述した通り、新規の案件と比較して、既存の費用を使用したマンション管理の現状については既得感があり、費用をカットし、サービスを現状から引き下げることについては抵抗感が高いと考えたからである)

理事長顛末記(7)

テーマ:
前回記載の通り、管理費の今後の想定を作成してみると、現状のまま継続すると、翌年度末には債務超過ギリギリの水準に陥り、翌翌年度末には債務超過額は一層拡大するというとう結果になった。

これは私にとっては好ましい結論であった。

なぜなら新規支出要求を退け、コストカットを行う大義名分が立つからである。

端的にいうと、新たな支出をしてもいいですよ、また既存の支出をつづけてもいいですよ、ただし大幅は管理費値上げをしてもかまわないなら。という主張ができるからである。
むろん総会において大幅な管理費値上げしてもいいという結論になると思っておらず、それなら新たな支出を抑え既存の支出も見直さないと・・・という判断になると考えているからである。

この結果をひっさげて、実施について理事会に一任されていた新規案件について、緊急性を要するもの以外はすべて実施せずとした。
また緊急性を要するものについても厳しく査定を行ない、漏水等の維持・修繕以外は緊急性を要するものとは判断しなかった。
そうして案件につき、分析→問題抽出→判断及びその理由を、一件毎明文化し事跡として残していった。

次に既存の費用である。

既存の費用について、その使途と支出理由から一件毎カット可能かという判断を行うのでなく、その支出に必要性があるかという判断で予算を作成していった。つまり既存の予算から引いていくのではなく、ゼロから積み上げて予算を作っていったのである。

ただゼロから積み上げていくとしても、既存の費用については、アメとなるように、新規の案件に比べてはやや甘めにするといったサジ加減が必要となってくる。

その理由については次回に記載する。


海外にいっていました

テーマ:
3週間ほど海外にいっておりました。

場所は米国北東部、具体的にはニューヨークからボストンを中心とするニューイングランド地方を廻ってきました。

目的は美術館を巡ることと、米国の初期移民から英国からの独立に至る過程をたどることでした。

米国及び米国人のメンタリティー及びロジックを理解するには、この独立に至る過程を確認しておくことが必要だと思うからです。

この旅行に関してはまた機会があれば記載しようと思います。


(ボストンコモンの夕焼け)
管理費の収支状況が悪化している原因として以下の3点が考えられた。

①長期の収支計画が立てていないこと
②予算が前年度のものを踏襲していること
③一般管理費水準やその傾向をチェックしないまま新たな要求に対し対応していること

ではどのように対応していけばよいか。

基本的な考え方は、破綻レベルにある企業を再生するのと同じである

それは、置かれている状況を正しく伝え、費用を見直し、収入の増加を図ることである。

この中で重要なことは、置かれている状況を正しく伝えることである。

当時、マンション保有者の中で置かれている状況が正しく伝わっているとは到底思われなかった。
もっといえば誰も状況を把握していないというのが正しいのかもしれない。
したがって新たな要望などが口から出てくるのであろうと考えた。

そこで過去の総会議事録から過去10年間の管理費残高-未収金残高を修正管理費残高として作成し、そこから今後20年間の想定修正管理費残高水準がどのような推移となるか作成してみた。

まず現状と同等の支出を今後も続けた場合どうなるのかということを可視化してみたのだ。

すると翌年度末には債務超過ギリギリの水準に陥り、翌々年度末には債務超過額は一層拡大するという結論に達した(その後債務超過は解消されることはない)。

これは不思議かと思われるかもしれないが、私から見れば好ましいことであった。