• 15 Mar
    • マクベス (シェイクスピアの悲劇)

      あのいかさまの 鬼ばばァどもめ、もう信用しないぞ、二枚舌をあやつり、 この耳に入れた約束は守りながら、この胸に 芽生えた希望を打ちくだきおった。 マクベス(第五幕第八場) マクベス(ローレンス・オリヴィエ)とマクベス夫人(ヴィヴィアン・リー) 『リチャード三世』に行く前に、ちょっと寄り道して『マクベス』を。 『マクベス』は四大悲劇(他の三つは『ハムレット』『オセロー』『リア王』)最後の作品であり、シェイクスピアの中でも最もスピーディな作品でもあります。 昔から人気も高く、上演回数では『ハムレット』に次いで2番目を誇っているそうです(諸説あり)。日本でも黒澤明監督が舞台を戦国時代にうつした映画『蜘蛛巣城』を作りました。 上の写真は、1955年ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのストラトフォード公演(ストラトフォードはシェイクスピアの故郷)のものです。当時オリヴィエとヴィヴィアンは夫婦でもありました。1944年『ヘンリィ五世』でシェイクスピアを史上はじめて本格的に映画化したオリヴィエ。彼はこの『マクベス』も映画化したかったのですが、オーソン・ウェルズに先を越されてしまい(1948年)、断念しました。 『マクベス』は11世紀のスコットランドを舞台にした、武将マクベスを主人公とした悲劇です。 彼は荒野で出会った三人の魔女の奇怪な予言と積極的な婦人の教唆により、王位簒奪の野心を抱き、王ダンカンを殺害します。力で奪った王位に不安を感じた彼は、次々と殺人を重ねてゆきますが、亡命していた王子が軍を率いて帰国。貴族たちに背かれ、戦場で死んでしまいます。 最初にこの劇は非常にスピーディであると申しました。劇自体も短いのですが、本来はもっと長かったであろうと思われ、それだけ密度の濃い作品になっているといえます。さらにシェイクスピア特有のおちゃらけたシーン(『リア王』ですら道化が登場し、下品な冗談を言う)がなく、唯一第二幕第二場で門番が冗談をつぶやくのですが、このシーンはマクベスによる王殺害、悪夢の一夜から現実に引き戻される緊迫した、緊張した場面。劇全体が非常に凝集された感じなのです。 シェイクスピアのゴマすり? シェイクスピアはイングランド以外の国を舞台にした作品もたくさん書いています。『ジュリアス・シーザー』をはじめとする古代ローマを舞台にしたもの(「ローマ史劇」と呼ぶ場合もあります)、『ロミオとジュリエット』などのイタリアを舞台としたものが多いですが、デンマークを舞台にした『ハムレット』、ナヴァル王国(現在のスペイン)を舞台としてた『恋の骨折り損』のような作品もあります。 『マクベス』の舞台スコットランドは、現在はイギリスの一部ですが、もともとイングランドとは別の国でした。「ユニオン・ジャック」の一連の記事でご紹介したように、エリザベス1世の死後、1603年(わが国では江戸幕府が成立した年)にスコットランド王ジェイムズ6世があとを継ぎ(イングランド王ジェイムズ1世)、イングランドとスコットランドは同君連合となります。『マクベス』はおそらくその前後に書かれたものだとされています。劇中にもスコットランド王の正当性を賛美したような場面(第四幕第一場の八人の王の幻影)があり、「新しい王様へのごますり?」という声もあるのですが、現代のような表現の自由がどこまであったかわからない当時であれば当然のことかもしれません。 マクベスとリチャード 同じ国とり、王位簒奪の物語ということで、初期の傑作『リチャード三世』と四大悲劇最後の『マクベス』とはよく比較されます。 似たような立場の二人ですが、キャラクタは大きく異なります。 リチャードは早くから自分の野心を独白しています。その強烈な上昇志向により、邪魔者を次々と闇に屠り王座に就きます。彼は彼の人生の神であり、劇をぐいぐい引っ張っていく存在です。自分が殺したかつての皇太子エドワード(ヘンリー6世の息子)夫人アンも、なんやかやといってもリチャードに口説かれ、彼の妻になります。一事が万事この調子で、どんな人間でも彼の才知にはかないません。彼は自分のなすことが悪事であることを自覚しており、楽しんでさえいます。皮肉や冗談を飛ばす彼に、劇中人物ばかりでなく観客も魅了されてしまう、そんな存在です。 対してマクベスは、三人の魔女の予言によって、はじめて己の野心を表明するのですが、実行するまでにも逡巡します。そんな彼を強く後押しするのが夫人。つまり彼の野心は外部によって誘発され、外部によって後押しされたのです。もっとも意識していたかしてないかはわかいませんが、彼自身がもともと野心を秘めていたからこそ、魔女たちの予言にその気になったのですが。 そして王殺害後もライバルとなる武将バンクォー―子孫が王になると予言された―を殺害しますが、彼の亡霊におびえたり、確信を得たいがために予言を求めて魔女たちに会いに行きます。不安にさいなまされ、次々と殺人を重ねるマクベス。しかし彼は後戻りできないことを知っていました。追い込まれることを感じながらも決して立ち止まらないマクベス。 リチャードは簡単に人を騙せましたが、マクベスには多くのものが疑惑を抱き、やがて背いてしまいます。 リチャードに対し、内面が深く描かれたキャラクタだといえます。 魔女、予言という超自然的な力に引きずられるマクベスですが、リチャードにも最後に今まで自分が手にかけてきた亡霊たちが登場します。『マクベス』では最初に、『リチャード三世』では最後に怪奇な存在が出てくる。二つの劇はまことに対照的であります。 わが国で言えば、明智光秀と斉藤道三のようなものでしょうか。 同じ主殺し、簒奪でありながら、道三はリチャードと同じく自分を頼みとし、光秀は謀反を起こすまでに悩み惑います。道三が過去の亡霊ともいえる息子に倒されたのも象徴的といえましょう。 *道三の息子義龍の母は、追放された旧主土岐頼芸(とき・よりなり)の妾であったため、義龍は頼芸の子であるという噂があった。 もっともこれも彼らを描いた作品からきたイメージであります。 魔女の予言、予言の罠 マクベスを、ひいては国中を狂わせることとなった魔女の予言とは次のようなものです。 合戦の帰り道、荒野をゆくマクベスとバンクォーに彼女たちはこう呼びかけたのです。 魔女1 万歳、マクベス、グラームズの領主! 魔女2 万歳、マクベス、コーダーの領主! 魔女3 万歳、マクベス、将来の国王! (第一幕第三場) この時マクベスはグラームズの領主でしたが、コーダーは別の貴族のものであったし、王族に連なるとはいえ、継承者ではありませんでした。当然彼はいぶかしみます。 ところが王のもとへ戻ってみると、コーダーの領主は戦場での裏切りで領地を没収され、マクベスがそれを引き継ぐことになります。魔女の2つ目の言葉があたったわけです。しかし、同時に王は王子マルカムを王位継承者に指定します。魔女の予言によって内に秘めていた野望に火をつけられた彼は、妻にそのことを知らせ、自分の城で王を殺害してしまうのです。 ところでジェイコブズの「猿の手」という短編にもあるように、魔性のもののかなえる願いには常に落とし穴があるもの。 ブラックウッド, 平井 呈一 怪奇小説傑作集 1 [新版] 現にマクベスは主殺し、簒奪という罪を犯してしまいました。せっかく手に入れた王座も、いやせっかく手に入れたからこそ、不安でしかたなく、今度は自ら魔女たちに会いに、予言を求めに荒野へ出向きます。 そこで彼はさらに三つの予言を得ます。 幻影1 マクベス、マクベス、マクベス! 気をつけるのは  マクダフだ、言いたいことは、それだけだ *註:マクダフとは、最後にマクベスを滅ぼす貴族の名。 (中略) 幻影2 女が生んだものなどにマクベスを倒す力はない。 (中略) 幻影3 マクベスは決して滅びはせぬ、かのバーナムの森の樹が  ダンシネーンの丘に立つ彼に向かってくるまでは。 (第四幕第一場) 最初の予言を聞いてマクダフを恐れたマクベスも、第二、第三の予言を聞いて気を大きくするんですね。 女から生まれない人間はいないし、動物でない森が移動するわけはありませんから。それでもマクダフに対する警戒を怠らず、彼を殺害しようとするマクベス。一度走り出したら油断はしません。結局マクダフは逃しますが、その妻子を殺害してしまいます。例によって、シェイクスピアはここでも無邪気な子供のせりふをあえて書いています。残忍なマクベス。 ところが結局マクベスは敗れるのです。バーナムの森が動き、女から生まれてこなかった男―マクダフに倒されるのです。 どうして森が動いたか、は実際にお読みになれば納得がゆくと思いますが、「女が生んだもの」でないとは、どんな意味でしょうか? 今私の手元に、いつもの小田島雄志さん訳の全集以外に福田恒存さん、木下順二さん訳のものがありますので、比較してみましょう。 マクベスを倒す者はいないのだ、女の生み落とした者のなかには。(福田) 女から生まれた男など、歯がたたんのだ、マクベスには。(木下) ちなみに原文はこうです。 The power of man, for none of women born Shall harm Macbeth. 原文に一番近いのは小田島訳ですが、予言の罠をさりげにわかるように書いているのは福田訳かと思われます。「生んだ」の部分の違いに注意すれば、皆さんもからくりがおわかりかと思います。 なんて素人が大それた事を言ってしまいました。 この部分に対応した、予言の罠の謎解きであるマクダフのせりふが第五幕第八場に出てきます。それを見ると、小田島さんもきちんと納得できる訳し方になっています。 だからといって木下さんの訳がだめだ! といってるのではないです。全体にマクベスのキャラクタがよく出ているのは木下さんかなあと、私には思われるのです。まことに翻訳というのは難しいものなんですね。 マクドナルドとマクベス マクベスがマクロスと聞こえた人はオタク(?)。マクロスは「マクロ=大きい」からきたネーミングでしょうね。 マクベスがスコットランド人であることは申しました。またこの劇にはマクダフという貴族も出てきます。この「マク」というのはスコットランド系の名前なんでしょうか。 マクドことマクドナルド(McDnald)にも「マク」がついています。さらにひとつの単語なのに大文字が二つある。このMc、またはMacは「~の息子」という意味。だからマクドナルドはドナルドの息子という意味なんですね。もともと。 *McDnaldはMacDnaldとも書きます。 じゃあマクベス(Macbeth)はベスの息子で、マクダフ(Macduff)はダフの息子なんかい! …・・・というわけではないです。スイマセン。ただ劇のモデルになった実在のマクベス王は、スコットランドではMac Bethad mac Findláichといい、 実際にフィンレックという貴族の息子です。 マクベス夫人 劇の後半では登場回数は減るものの、強烈なイメージを与えるのがマクベス夫人です。 (ヴィヴィアン・リー演じるマクベス婦人 1955年) 夫から手紙で予言と野望を打ち明けられた彼女。煮え切らない夫の尻をたたきまくります。 さ、しっかりなさい、 暗い顔色は恐れている証拠、さっさとお捨てなさい。 あとのことは私が引き受けます。 (第一幕第五場) こうありたいと思うご自分を、勇気のいる行為をする ご自分にすることがこわいのね? この世の華と 思い定めた王冠を手に入れたいとお望みながら、 ご自分で臆病者と思い定めていきていこうというのね? (第一幕第七場) そして実行しながらも罪の意識にさいなまれる夫に渇をいれるのです。 意気地のない! 短剣をおよこしなさい。眠ったものや死んだものは 絵姿にすぎません、絵に描かれた悪魔をこわがるのは 子供の目だけです。王が血を流していたら、その血で お付きのものの顔を化粧してやります、二人の仕業と 見せかけねば支障をきたします。 (第二幕第二場) この開き直り! なんとも気丈な女性ではありませんか。女は怖いですねえ。 でもこれは彼女の母性の表れではないでしょうか。教唆するのが殺人という物騒なものでなかったら、上記のせりふは世の母親たちとそんなに変わりはない。 しかし、そんな彼女も上のせりふの前にはこんなことを言っていました。 あの寝顔が私の父に似てなければ 私がこの手でやったのに。 (第二幕第二場) 決行まで逡巡し、その後も罪の意識を背負うマクベスに対し、妻は気丈で冷酷に見えます。 ところが物語が進むにつれ、二人の立ち位置が逆転してしまうのです。すなわち罪を意識しながらも殺人を重ね、後戻りができないと悟っていても進んでゆき大胆になるマクベスに対し、妻は上のせりふからうかがえるように、最初からどこか弱さを持っており、やがては夢遊病となってしまうのです(上の写真はその場面)。 彼女は血にまみれた自分の手を呪い、何度も手を洗うかのように15分も手をこすりあわせます。 まだ血の臭いがする。アラビアじゅうの香料をふりかけてもこの小さな手のいやな臭いは消えはしまい。ああ、ああ、ああ! (第五幕第一場) この場面は有名になり、このような潔癖症に「マクベス夫人症」という名前が付きました。 これを最後に彼女は姿を消し、終盤に家臣の口から「お妃様が、(中略)お亡くなりに」と報告されるだけ。自殺を匂わせる書き方ですが、はっきりとはわかりません。 夫を叱咤し、夫を庇うかのように気丈に振舞ってきた彼女。しかし夫は彼女のさらに先を(というより下を)どんどん落ちてゆき、彼女は孤独に死んでいったのです。 二人の間に子供がいたら、事情は変わっていたでしょうか。 このヴィヴィアンの表情は、そんな彼女の強さと弱さをよくあらわしているように思います。 ◆冒頭および本文中の台詞は ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 マクベス シェイクスピア全集 〔29〕 白水Uブックス より引用しました◆

      2
      テーマ:
  • 11 Mar
    • ユニオン・ジャックと日章旗

      イギリス人は度量が大きい 森 護 ユニオン・ジャック物語―英国旗ができるまで ユニオン・フラッグの公式定義は、紋章表現文(ブレイゾン)で次のように指示されています。 青色の地にセント・アンドリュー・クロスとセント・パトリック・クロスの両斜め十字が、斜め十字状に二分され、銀(白)色と赤色にカウンターチェンジされ、後者(セント・パトリック・クロス)は二番目の色(銀=白色)で縁取りされる。その上に三番目の色(赤色)のセント・ジョージ・クロスが置かれ、斜め十字同様縁取りされる (『ユニオン・ジャック物語』212ページ) とありますから、前回の手順でほぼ正しいのでしょう。 このブレイゾンの指定にはずれない限り、すべて正しいとみなされます。セント・パトリックをはじめ、三つの十字がどの程度の幅なのか、縁取りの幅はどうなのかが指定されていないので、最初のころは12種類ものユニオン・フラッグが生まれ、まかり通っていたそうです。 しかし20世紀になって、二種に定着しました。 一つはいうまでもなく元祖海軍方式のユニオン・ジャック これが一応イギリスの標準的な国旗となっています。 もう一つは陸軍タイプのもの 「ユニオン・ジャック」が縦横比1:2であるのに対し、こちらは4.2:5.5となっています。 1:2では旗を持って行進するときに旗の端が地面に垂れ下がって実用にならないからです。 セント・パトリック・クロスの幅も広くなっています。こちらは特別な理由はなく、強いて言えば制定にかかわった関係者の好みだそうです。 前々回に述べたように、ユニオン・ジャックが陸上で掲揚されればユニオン・フラッグというのが正しいとされています。これも「正しいとされる」であって、間違いではない、というところがまことに英国的である、と森さんは本書でおっしゃっています。 確かに。英国をさして「大人の国だ」と言うことがあります。ずさんではなく、細かいところに目くじらを立てない、その余裕。 翻って日本は……。ちょっとこだわりすぎて、大人気ないですね。 国旗および国家に関する法律:平成11年8月13日公布、施行 第一条 国旗は、日章旗とする。2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。 (中略) 3 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。 別記第一 日章旗の制式 一 寸法の割合及び日章の位置     縦   横の三分の二    日章     直径 縦の五分の三         中心 旗の中心二     彩色   地   白色    日章  紅色 (後略) この図はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より 日本人らしい几帳面さの表れともいえますが、どんな小さい子供でも描けるシンプルさが日の丸の魅力であると思う私にとって、このように細かく制定され、それ以外はだめ、と言われるのは息苦しいです。 だから逆にそこをつけこまれて、赤丸をわざと大きく描いた旗で侮蔑されたりするんですね。 英国では自国の旗に誇りを持っていますが、細かいところにはこだわっていない。セント・パトリック・クロス、赤い斜線のずれにたいしても、そこに気づいていない外国人はかなりいます。そういう人たちが書いたユニオン・フラッグを「馬鹿にしている」なんて憤慨はしません。 私は日の丸もユニオン・フラッグも大好きです。大好きなデザインです。だから日章旗に対し、もうちょっとゆとりある対応をのぞみます。 *対応を望むのはお役人に対してであって、実際は適当に好みの日の丸を振っている多くの人々がいます。それにたいして目くじらを立てることはありません。もちろん私も日の丸を描くときは適当にしております。上記規定のものをエクセルで描こうとしましたが……断念しました。 私たちは、細かい規定など知らずに日の丸を振っているのだから、隣国の持っていた日の丸の円の大きさがどうの、侮辱だと目くじらを立てるのは大人気ない。たとえ先方にその意図があったとしても、そんな挑発に乗ってしまうのは安っぽいじゃないかな、と思うのです。

      テーマ:
    • ユニオン・ジャックの解

      知恵と工夫ので三つのクロスを組み合わせた旗 森 護 ユニオン・ジャック物語―英国旗ができるまで 前回に引き続きユニオン・ジャックです。なお、以下はすべて森護さんの『ユニオン・ジャック物語』を参考に私なりにまとめ、図を作成しました。ですから私の未熟さゆえの間違いがあるかもしれません。 (私はエクセルやペイントで図を描くという原始的な方法をとっているため、図が多少見にくい場合もあります。ご容赦ください) まずユニオン・ジャック(Union Jack)という呼び名ですが、これはこの旗が軍艦に掲揚されたときのみであって、陸上で掲揚された場合は、同じものでもユニオン・フラッグ(Union Flag)といいます。 さらに、イギリス(正式名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国)には法律で定められた国旗がありません。かつての日本と同じですね。そして旗の縦横比率、各十字の太さや赤、青の色合いなども習慣で決められているので、まちまちです。 結構驚き続きの旗、ユニオン・ジャックですが、上記の理由により、以下ユニオン・フラッグで統一します。 シェイクスピアが活躍した時代、日本で言えば信長秀吉の時代から江戸時代初期、イングランドはスコットランドと合体します。すなわちテューダー朝最後の君主エリザベス1世が「ヴァージン・クイーン」の別名どおり生涯独身のまま嗣子なく1603年に他界。そこで血縁関係のある(エリザベスの父ヘンリー8世の姉の曾孫)スコットランド王ジェイムズ6世がイングランド王ジェイムズ1世となります(ステュアート朝)。ややこしいのですが、イングランド、スコットランド両国は同じ君主をいだく同君連合であって、中身は違う国。それぞれ議会を持っていました。ですからジェイムズもスコットランドでは6世を、イングランドでは1世を名乗りました。 しかしいくら実質は違う国だとはいえ、世界を広く回りゆく軍艦や商船には、同君連合としての旗印が必要です。そこで色々なアイディアが出されましたが、スコットランドのセント・アンドリュー・クロスの上にイングランドのセント・ジョージ・クロスを重ねた図案に落ち着きました(1606年)。これが最初のユニオン・フラッグです。 ここで図で解説。 (イングランド:セント・ジョー旗とスコットランド:セント・アンドリュー旗) 後者の上に前者を重ねるとこうなります。 ところで旗の図案・彩色のルーツである西洋の紋章には次のようなルールがあるのです。 ・赤・青・緑・黒・紫の原色と銀・金の金属色、そして毛皮模様を用いる ・銀は白、金は黄色で代用してもよい ・原色に原色を、金属色に金属色を重ねてはならない ヨーロッパの国旗はこのルールで彩色されているものがたくさんあります。 さて、原色に原色、青地に赤十字をそのまま重ねることはできません。そこで赤十字に銀の縁取りをします。 わかりやすいように赤十字の縁取りだけ灰色にしてみました。 もちろん下の斜め十字も上の縁取りと同じ銀色(白色)ですから、本当は次のようになります。 これで最初のユニオン・フラッグが完成しました。 (各十字がちょっと細いかなあ。クリックで拡大すると、そうは感じないのですけれどもね) 同君連合として同じ君主をいだきながら、独自の議会を持っていた両国でしたが、スコットランドの経済状態をはじめとするイングランドとの格差は覆うべもなく、1707年に両国は完全に一つとなります。スコットランドの議会は閉鎖され、連合王国が成立しました。 そして1800年に連合法が成立。連合王国の構成国として、イングランド、スコットランド、アイルランドの三国があることが法律で決まりました。翌1801年に、ユニオン・フラッグにアイルランドのセント・パトリック・クロスを加えた、現行のユニオン・フラッグが作られます。 (アイルランドのセント・パトリック・クロス) ところでアイルランドはいつの間にイングランドとくっついたのでしょうか。 実はアイルランドは長い間イングランドに征服されていました。その後何度かの弾圧と反乱という悪循環を繰り返した後、1800年に連合したのです。ですから、今でも連合王国とアイルランド(1922年に独立;ただし北部6州は連合王国に留まる)は今でも仲が悪い。 ともかく、連合がなって、アイルランドの旗もユニオン・フラッグに加えることとなりました。しかし、ここに加えられたセント・パトリック・クロスは本来アイルランドのものでもなく、聖パトリックともなんら関係のない図形だったのです。 代々のイングランド王はかなり以前(1603年)からその紋章にアイルランドを象徴するハープを加えていましたが、1801年になるまで旗の方は放りっぱなしでした。ハープは旗に加えるにはおさまりがわるかったからでしょう。ここからもセント・パトイック・クロスがそれまでなかったことがわかります。 ですから現代のアイルランドは自分達独自の旗、三色旗を用いています。 なにはともあれ、ここで最後の旗の合体です。 といいたいところですが、まだ問題点がありました。それはスコットランドとアイルランドのどちらを優先させるか、です。 最初のユニオン・フラッグにあるように、イングランドが第一であることは傍から見ても動かしようがない事実でした。両国もしぶしぶそれは認めます。しかし残りの2位の座は、お互いのプライドにかけて譲れません。 ここでまことに見事な工夫がなされます。それは紋章で古くからある、カウンター・チェンジという手法です。 これがカウンター・チェンジを用いて結び付けられたセント・アンドリューとセント・パトリックの両クロスです。これならどちらが上か、ということもなく、どちらも同じ地位であることがわかるのです。 これが「赤い斜線がずれている」のタネです。 これを知ったときは感動しました。 さて、この上にセント・ジョージ(イングランド)を重ねるとこうなります。 原色に原色は重ねられないのですから、セント・パトリックの赤十字にも銀の縁取りをつけます。 (本来ならカウンター・チェンジのところで図示すべきだったのでしょうが) わかりやすいようにセント・ジョージの縁取りを灰色で、セント・パトリックの縁取りを黄色であらわしました。 この二つの縁取りを本来の色である銀(白)にもどしますと おお! 完成! ただ、実際は全体のバランスから、セント・アンドリュー(白十字)をやや太くしているようです。 これが現代のユニオン・フラッグです。デザインもなかなか洗練されていますね。イギリスだけでなく、世界の多くの人に愛されています(私もその一人)。 イギリスの旗の赤斜線がなぜずれているのか。そこには長い歴史と深い知恵があったのですね。 森さんがこの本で述べているのは、「ユニオン・ジャック」を通してみた、イギリスという国の歴史と人々であります。 私が紹介したのはそのほんの一部。残りは次回ご紹介します。

      テーマ:
  • 10 Mar
    • ユニオン・ジャックの謎

      二十年来の疑問に答えてくれた本~! 森 護 ユニオン・ジャック物語―英国旗ができるまで (図はクリックすると拡大表示されます) 小学校4年生の時に、初めて三色ボールペンを手にしました。なぜかこういう小さなことを覚えているのですが、当時も今とあまり変わらない値段でした。歯医者に行く途中で母が買ってくれたのです。おそらく、しぶしぶ歯医者に行く私の気をそらそうとして買ってくれたのでしょう。さすが親です。私は見事に術中にはまりました。 なにせ三色ですからね! かっこいいじゃないですか。大人の仲間入りをしたような気分になりました。絵が好きだった私は、祖父が作ってくれた帳面―それは裏が白いチラシを集めて作ったものですから、ノートと言うよりは帳面と言ったほうがふさわしいものでした―をいつも持って歩いていましたから、歯医者の待合室で、さっそく三色ボールペンを使ってお絵かきしました。 当時学校で使っていたのは赤鉛筆。たまに母の赤ボールペンも使いましたけれど、どちらも純粋な赤じゃなかった。赤鉛筆は今でも朱色ですし、昔の赤ボールペンは暗い赤色でした。ところが三色ボールペンの赤は見事な赤色なんですよ。もううれしくなって、帳面に絵を描いたり色を塗ったりして、歯医者にいるのを忘れたくらいでっした。 これが初代の三色ボールペン。それから高校を出るまで、代替わりはしましたが、ずうっと三色ボールペンを使い続けました。 小学6年生から中学1年生のころは三色ボールペンで消しゴムに色を塗ってました。それもただの塗り絵ではない、国旗を描いたんです。消しゴムの色は白でしたから、そこに赤丸を描けば日の丸になります。でもこれでは単純すぎて面白くない。三色ペンの青を使っていない。そこでフランスの三色旗、青、白、赤で「自由・平等・博愛」を表す国旗、これを描きました。でもこれもやがて飽きてくる。簡単だから。じゃあ、アメリカの星条旗は、といえば、消しゴムに描くにはややこしすぎました。おそらくナンシー関さんなら、版画で星条旗を作れるでしょうが、私はそこまで器用でもなく、根気もなかった。そこでイギリスの国旗、ユニオン・ジャックの出番になるわけです。 これなら星条旗ほどややこしすぎず、三色旗ほど簡単ではない。消しゴムに描くには十分な複雑さです。意欲がわいてきます。最初に赤い十字を中央に描き、次に青い三角を八方に塗りつぶす。赤十字に白い縁取りができるように、慎重に塗りつぶします。そして米の字になるように、赤い×を描いてゆけば……おや、よく見ると、赤い斜線は微妙にずれていて、×にならないではありませんか! これが消しゴムを通じて発見した、ユニオン・ジャックの謎です。 その後も好んで消しゴムにユニオン・ジャックを描きました。 「この赤い斜線をずらすのがポイントなんだよね~」 と一人悦に入りながら。 その後、中学の地理でイギリスについて学んだときに、ユニオン・ジャックの由来も学びました。 ご存知の方も多いと思いますが、ユニオン・ジャックはイギリス(正式にはグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国、略して連合王国またはUK)を構成する三つの国の旗を合わせたものです。すなわち 白地に赤十字のセント・ジョージ旗(イングランド) 青地に白い斜め十字のセント・アンドリュー旗(スコットランド) そして 白地に赤い斜め十字のセント・パトリック旗(アイルランド) イングランドのセント・ジョージクロスは、最近ではワールドカップなどでおなじみですね。それぞれの国の守護聖人にちなんだ十字架の国旗です。 それを組み合わせたのがユニオン・ジャックであると……。 でもちょっと待ってください。 上の図、そして説明だけでは 「どうして赤い斜線がずれているのか」 の理由がわかりません。そして白い縁取りがある理由も。当然私は先生にそう質問しました。先生は 「俺にもわからん」 つれないお返事。 というわけで、疑問はもちこされたまま。自分なりに調べてみましたが、白い縁取りについてはわかったものの、赤斜線のずれについては、どの本にも載っていませんでした。 それから約20年。 自分なりにいろいろと推理してみましたが、正解が得られないのは、まことに居心地が悪いものです。 そんなとき、西洋紋章学の第一人者、森護さんの『ユニオン・ジャック物語』に出会いました。 謎の答えが、そこにありました。 その時の興奮と言ったら。もう感激で全身に鳥肌が立ち、本当に実が震えましたね。 というところで、以下次回。 私が20年悩んだ謎(といいてもずっとほったらかしでしたが)を、皆さんも考えてみてください。

      テーマ:
  • 05 Mar
    • シェイクスピア 『ヘンリー六世 第三部』 (シェイクスピアの史劇9)

      つまり、羊飼いが心安らかに楽しく味わう 粗末なチーズ、革袋から飲む冷たい薄い酒、 さわやかな木陰での日ごとの昼寝のほうが、 心労、疑惑、裏切りにかしずかれて国王が味わう 山海の珍味、黄金の杯になみなみと注がれる美酒、 贅をこらしたベッドでの眠りよりはるかにましなのだ。 ヘンリー6世 (第二幕第五場) 『ヘンリー六世 第三部』はばら戦争の混乱、ランカスター家の敗北とヨーク家の勝利、エドワード4世の王位就任が描かれています。『第三部』の冒頭は『第二部』の終わりと連続していまして、三部作の中でもこの二作は緊密なつながりを持っています。 第三部で特に目をひくのは、復讐、そしてそれが新たな復讐を呼ぶ、流血の連鎖です。 騎士道精神、それは戦場で捕虜としたものは丁重に扱い、身代金と引き換えに釈放する。このルールは『エドワード三世』で描かれていたように百年戦争前期にはお互い守られていましたが、百年戦争後期を描いた『ヘンリー五世』では非戦闘員や捕虜を虐殺するようになってきました。とはいえ、「騎士道に反すること」という批判の声があることからわかるように、このころはまだ残虐行為とみなされていました。 ところがばら戦争の時代になりますと、イングランドの王族貴族同士が殺し合いを始めます。捕虜となったらまず助からないのです。彼らは親族の死を知って復讐を誓い、仇敵が捕虜となるや侮蔑の言葉を投げかけて殺します。殺される側は呪いの言葉を吐き、絶望を叫びながら死んでゆきます。中にはすでに死んでいる者にすら侮蔑を投げつける場合もあり、殺伐としたイメージを強めています。中でも見る(読む)側の哀れをさそうのは、年端もいかぬ少年ラットランド伯エドマンド(ヨーク公の息子)が殺されるシーンでしょう。 ラットランド   あなたに悪いことをしなかったぼくを、なぜ殺すのです? クリフォード  おまえのおやじがしたのだ。 ラットランド                    ぼくが生まれる前にでしょう?   あなたの一人息子のためにも、ぼくをあわれと思って!   でないと、神様は公平だから、この報いにあなたの息子も   ぼくと同じようにみじめな殺されかたをするでしょう。   ああ、牢獄の中でもいいからぼくを生かしておいて、   なにか悪いことをしたら、そのとき殺してください、   いまあなたにはぼくを殺す理由などないのだから。 クリフォード  おまえのおやじがおれのおやじを殺したのだ、だから死ね! (第一幕第三場) ラットランドの父、ヨーク家のリーダであるヨーク公リチャードも同じ戦闘で捕まり、王妃たちから侮辱を受けて殺されます。そして因果は巡るもの。このクリフォード卿ジョンもまた、後に戦死。死してなおリチャードの息子たちから侮辱の言葉を吐きかけられるのです。 幼き子供、純真な少年の、残酷な運命による無残な死はこの後の劇でもたびたび描かれます。すなわち『リチャード三世』では幼王エドワード五世とその弟が、『ジョン王』ではアーサーが。 子供を登場させたり、その子供がひどい目にあう、というのは今も昔も人をひきつけ、涙を誘うものなのですね。 戦乱の中で先述したようにヨーク公リチャードは殺され、ヨーク家はその息子たち、エドワード、ジョージ、リチャード三兄弟に世代交代をします。一方のランカスター家はトップであるヘンリー6世が冒頭のセリフに見られるように、よく言えば心優しい、悪く言えば優柔不断な王様でした。部下や王妃からも「足手まといだ」と言われる始末。 クリフォード  陛下には戦場から離れていただきたいと思います、  おいでにならぬほうがお妃様の勝利が望めますので。 王妃  そのとおりです、陛下、この勝負は私たちにおまかせなさい。 (第二幕第二場) 赤バラ(ランカスター家)の心優しきリーダーは、わが国の赤旗の総帥平宗盛とよく似ています。平和な時代では善人として、名君とはいかないまでも、そこそこの評価を得ていたに違いありません。ですが乱世に生きるには優しすぎました。 優柔不断な夫に代わってランカスターを引っ張ったのが王妃マーガレット。ヨーク公を殺し、捕らえられていた夫を解放。劇中版でまたもやランカスターが敗北し夫が捕らえられるや、フランスに渡り、フランス王に援軍を頼むなど、大活躍です。まさに「赤バラの女王」と呼ぶにふさわしい存在です。 実は初期4部作、『ヘンリー六世 第一部』~『リチャード三世』まですべてに出演しているのは彼女だけなのです。『第一部』では終盤に登場した可憐な乙女、『第二部』では愛と権勢欲に燃える王妃、そしてこの『第三部』では夫に代わり、わが子、皇太子エドワードのために戦う母親として。さらに全てを失い、呪いを吐くだけの存在、忌まわしい予言者として『リチャード三世』にも出てきますが、これは後ほど。 彼女の勇敢さに比べたら、男たちのだらしないこと。 いったんはヨークの勝利で終わり、エドワード4世が即位しますが、この王様、かなりの女好き。ヨークの実力者ウォリック伯リチャード・ネヴィルが、フランスとの絆を強めようと自分の王妃を探しに大陸へ渡っている最中に、領地を取り戻したいと陳述してきた未亡人を口説き、王妃に迎えます。 これでは面目丸つぶれのウォリック伯。援軍を頼みに来ていたマーガレットと手を組み、ランカスターに鞍替え。エドワードに復讐を誓います。 彼を王座にのぼらせた中心人物はこのおれだった、だから 彼をそこから引きずりおろす中心人物もこのおれだ。 そうするのも、ヘンリーの不幸をあわれむゆえではない、 エドワードの侮辱に復讐するためだ、ほかに理由はない (第三幕第三場) セリフのとおり、国内最大の力を誇るウォリク伯が寝返ったのでは勝ち目はありません。こうしてエドワード4世は逃亡、捕らえられていたヘンリーが復位します。 まったく、目まぐるしく変わる政情です。昨日の敵が今日の味方になり、今日の見方が明日の敵になるのです。王座と利益のためなら恩讐をこえて手を組んだり離れたりするのです。 しかしランカスターの力を弱めたのも他ならぬウォリック。ヨークの巻き返しはすぐに始まり、最大の勢力を誇ったこの貴族もついには倒れます。 ここでマーガレットは人生最大の悲劇を迎えます。息子皇太子とともに捕らえたれた彼女。その彼女の目の前で、エドワード4世、ジョージ、リチャード三兄弟に刺し殺されてしまうのです。そして「私も殺して」との悲痛の願いも聞き入れられず、彼女は退場してゆきます。 数々の武勲を挙げ、今皇太子も殺したリチャードは、ロンドン塔に捕らえられていた前王ヘンリーも殺害。こうしてランカスターの血は絶え、ヨークの天下となり、幕は閉じます。 ひとり天下を夢見るリチャードを残して。 ↑登場人物系譜図 クリックで拡大    同じ名前、爵位が出てきますが、世代が交代しているためややこしい ◆冒頭および本文中の台詞は ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー六世 第三部 シェイクスピア全集 〔3〕 白水Uブックス より引用しました◆

      テーマ:
  • 28 Feb
    • ランカスターとヨーク (シェイクスピアの史劇)

      イングランドは長いあいだ狂気にとりつかれ、 おのれを傷つけてきた、兄は弟の、弟は兄の血を 見さかいなく流しあい、無法にも父はわが子の、 やむなく子はわが父のいのちを奪いあってきた。 無残にも分裂をかさね、長いあいだ 引き裂かれていたヨーク、ランカスター両家を、 おお、いま、それぞれの王家の真の継承者 リッチモンド、エリザベスの両名の手によって、 一つに結び合わせることこそ神の思し召しだろう!  リッチモンド伯ヘンリー (『リチャード三世』第五幕第五場) ランカスター、ヨークはともにイングランド北西部、北部の地名であります。現在でもランカシャー州にランカスター市が、北ヨークシャー州にヨーク市があります。 それぞれの地域を領地としたので、それが家名になったんですね。日本で言えば徳川御三家の尾張家や紀伊家と似た存在です。両家はもともと兄弟の間柄であったのです。 百年戦争を引き起こしたエドワード3世(1312~77)、在位は50年の長きにわたり、王妃フィリッパ・オブ・エノー(1314~69)との間に、なんと七男五女、計十二名の子供をもうけました。ちなみにこの後も頻繁に出てくる「オブ・~」とは生地あるいは生家をあらわす呼称です。フィリッパはフランスのエノー伯爵家の出身です。十二人中、成人したのは男子五名と女子三名でした。 (エドワード3世とフィリッパ・オブ・エノー;エドワード3世の紋章) 長男はブラック・プリンス(黒太子)として名高いエドワード・オブ・ウッドストック(1330~1376)。ウッドストック城に生まれ、百年戦争前半で活躍し、勇名を内外に轟かせましたが、惜しくも父よりも先に死去しました。なぜブラック・プリンスというロックバンドみたいな名前なのか、どんな武勇をたてたのか、詳しくはコチラ の記事を見てください。 (エドワード黒太子の肖像画と彼の棺に飾られた木像;そして紋章) 次に生まれたのが長女のイザベラ(1332~79)。彼女もウッドストック城で生まれました。3歳の時に、父はカスティーリャの王子ペドロ(後のペドロ1世)に嫁がせようと考えましたが、なぜかこの話は没になり、その後数度結婚話があったのですけれども、いずれも縁がなく、結局33歳まで独身で暮らします。浪費家のオールドミスであったとの記録も残っていますが。。。なんとなく同情しちゃいますね。結局33歳でフランスの貴族アンゲラン・ド・クーシーと結婚します。ポワティエの戦いで捕虜になっていたフランス王ジャン2世が、身代金が払えずに、自由になるために交換に人質となったのがアンゲラン。ですから、彼も当時はイングランドにいたのです。父王は彼女に多量の宝石と莫大な生涯年収を与えたといいます。 その後、フランスに戻ることを許された夫とともに大陸に渡りますが、しばらく後、夫婦そろってイングランドに戻ります。 彼女は夫との間に二人の娘をもうけましたが、父の死後、夫、子供両方に引き離され、イングランドでさびしくその生涯を閉じました。彼女の財産はフランス王とイングランド王にほとんど没収されました。 次女は同じくウッドストック城で生まれたジョーン(1333~48)。彼女は父王お気に入りの娘であったそうです。姉と破談になったペドロと結婚することになりました。カスティーリャと婚姻を結んだのは、対立していたフランスを牽制するためでした。ところがカスティーリャへの旅の途中、フランスでペストにかかり、13歳であえなく世を去りました。彼女の死は父王に衝撃を与えたといいます。ペドロは結局フランス貴族の娘と結婚しますが、この正妻とは仲が悪く、幽閉してしまいました。 次男ウィリアム・オブ・ハットフィールド(1337)は生後5ヶ月で死亡。 三男ライオネル・オブ・アントワープ(1338~68)。その名のとおり、フランドル(今のベルギー)生まれ。彼は主にアイルランドで活躍しました。彼もまた、一人娘を残して父に先立って死にますが、その子供(つまりライオネルの孫)、ロジャー・モーティマーはリチャード2世から相続人に指定されます。しかし彼が王位を継ぐことはなく、男子は途絶え、その血は娘婿のヨーク家に続くのです。 (クラレンス公ライオネルの紋章) 四男がランカスター家の祖、ジョン・オブ・ゴーント(1340~99)。ゲントで生まれたのですが、ゴーント。彼はヘンリー3世のひ孫、ランカスター公爵ヘンリーの娘ブラン首都の結婚により、広大なランカスターの領土を相続しました。 (ランカスター公ジョンと彼の紋章) フランスにも広大な領地を得、父王死後、国内最大の領主となります。また少年王リチャード2世の最年長の叔父として、政治上でも絶大な勢力をほこりました。しかし兄黒太子と父王の死後はフランスとの戦況も思わしくなく、度重なる増税でワット・タイラーの乱を招くなど、人気を失ってゆきます。そして彼の強大な勢力を疎ましく思ったリチャード2世とその側近により遠ざけられます。彼は『リチャード2世』に描かれているような善人ではありませんでしたが、王位をうかがうほどの野心家でもなかったようで、身の潔白を証明するために苦心しました。 1386年には二番目の妻がカスティーリャ王ペドロ2世の娘であることを理由にカスティーリャ王位を主張。大陸に渡ります。もちろん王位実現はなりませんでしたが、その娘がカスティーリャ王に嫁ぎ、ジョンの血統が王位に就いたことは先述しました(下の系図を参照してください)。 (↑クリックすると図が拡大します) (ジョンがカスティーリャ王を主張したときに使用した紋章。第2、第3クォーター《つまり右上と左下》にカスティーリャ王の紋章を使用している) 彼は生涯3度の結婚をし、そのいずれの結婚でも王となる子孫を残しています。 すなわち、最初の妻ブランシュとの間の子ヘンリー4世から始まるランカスター王家。 2番目の妻コンスタンシアの孫がカスティーリャ王家。 そして長年の愛人であり、コンスタンシア死後3番目の妻となったキャサリン・スィフォードとの子供、ボーフォート家は後にテューダー家と婚姻を結び、エリザベス女王で名高いテューダー朝へとつながってゆきます。 彼の留守中に息子ヘンリーは氾濫を企て、一度は許されますが、彼の死の前年には息子は国外追放となります。そして彼の死後、財産を没収するという王の乱暴な処置に、息子ヘンリーは怒り、結局王位を奪い取るのです。これがばら戦争の遠い原因となるのです。 ジョンは、政治家としても軍人としても有能とはいえませんが、その大きすぎる財産が、彼の生前も死後もイングランドを揺るがすことになったのでした。 五男エドマンド・オブ・ラングリー(1341~1402)。彼は兄ジョンとは違って無欲な人で、初代ヨーク公となったのも、乱かsたー公ジョンの勢力が大きくなるのを恐れたリチャード2世の政策でした。面白いことに、彼の最初の妻イザベラはジョンの2番目の妻コンスタンシアの妹、彼の2番目の妻ジョーンはジョンの息子の妻の姉でした。ランカスター、ヨークは最初から婚姻関係で結ばれていたという訳です。 (エドマンドの肖像と紋章) 三女ブランシェ(1342)は生後まもなく死亡。 四女メアリー(1344~62)はウィンチェスターの近くのウォルサムで生まれ、1361年にフランス貴族ブルターニュ公ジャンと結婚しますが、翌年死亡。子供はありませんでした。 五女マーガレット(1346~61)は王夫妻の末娘で、1353年に3歳年下のペンブルック伯爵ジョン・ヘイスティングズと結婚しましたが2年後に死亡。子供はありませんでした。 六男ウィリアム・オブ・ウィンザー(1348)は生後2ヶ月で死亡。 そして末っ子、七男のトマス・オブ・ウッドストック(1355~97)。長男と同じウッドストック城の生まれ。彼の妻エレノアは兄ヘンリー(後の4世王)の妻メアリの姉。つまりヘンリー5世の伯母さんにあたります。上流貴族の婚姻関係はごちゃごちゃしてますね。彼は父王の死後も生き残った男子として、グロスター公爵に任ぜられますが、エドマンドと違い、甥リチャード2世とはそりがあわなかったようです。彼は議院と結び王と対立しますが、後に投獄され、(おそらく王の命を受けた)ニコラス・コルフォクスにより暗殺されました。 このトマスの死がジョンの息子ヘンリーの再びの反逆→追放を引き起こすのです。 彼は妻との間に息子を一人、娘を四人もうけました。しかし彼の公爵位は息子に相続されることなく終わります。彼の長女のアンはイングランドの有力貴族スタフォード家に嫁ぎ、その子孫はばら戦争で活躍します。 (トマスの紋章と、トマスが殺害されるシーン) 余談ですがトマスが任ぜられたグロスター公爵、なぜか悲劇が付きまとい、次に任ぜられたヘンリー5世の弟ハンフリーは失脚後暗殺、その次に任ぜられたリチャードは後に王リチャード3世となりますが、これまた戦場で悲劇の死をとげます。 クラレンス公にしてほしいな、ジョージをグロスター公にして、 グロスター公爵というのはこれまで縁起が悪すぎるよ。   リチャード(『ヘンリー六世 第三部』第二幕第六場) 上記の台詞はその事実を受けてのものなのですね。 ランカスターとヨーク、両家の争いの遠因は、そもそもエドワード3世の長すぎる在位と、子供たちに財産を分け与えた気前のよさ、そして長男の死にあるのかもしれません。幼くして王位に就いたリチャード2世は、強大な叔父を疎ましく思い、他の叔父たちにも公爵位を授けますが、それが新たな勢力を生んでいったわけです。 それにしてもカスティーリャ王ペドロ1世の名前が、これほど頻繁に出てくるとは思いませんでしたよ、もとさん!

      テーマ:
  • 24 Feb
    • シェイクスピア 『ヘンリー六世 第二部』 (シェイクスピアの史劇8)

      ありがとう、両卿。だが私はまだ王ではない、 綿密な熟慮、ひそかな策謀をもってせねばならぬ。 いまはもっとも危険な時機だ、両卿は私にならい、 サフォークの無礼、枢機卿ボーフォートの高慢、 サマセットの野心、バッキンガム一味の策動には 見てみぬふりをしていただきたい。そのうちに やつらは、あの羊の群れを導く羊飼い、徳高い公爵、 善良なハンフリーを罠にかけるだろう、その結果 やつらは、みずから仕掛けた罠にみずからはまり、 死を見るにいたるだろう              ヨーク(『ヘンリー六世 第二部』第二幕第二場) ←クリックすると画像が拡大します 『ヘンリー六世 第二部』では、宮廷内の熾烈な権力争いの末に、ヨーク公リチャードが王位を要求して兵を挙げ、薔薇戦争(1455~1485)の火蓋を切ったセントオールバンズの戦い(1455)で、王と王妃が逃走するまでを描いています。 冒頭にヨーク公リチャード(以下ヨーク)の長い台詞を引用しましたが、この劇のストーリーと人物を見事に集約しているのです。 そう、ランカスター対ヨークという図式は最後にあらわれてきたもので、当初はランカスター家嫡流と傍流の内紛だったのです。 それはもう、読んでいてうんざりするほどの悪口の応酬であり、足の引っ張り合いです。 この劇には多くの登場人物がいますが、いずれもキャラクタが弱く、台詞も冗長なものがあり、人物関係の把握に苦労しました。第一部の魔女ジャンヌ・ダルクや勇者トールボットのような有名な、あるいは際立った存在もありません。 それゆえ引用したヨークの台詞はありがたかったです。 台詞中、上の系譜の中に出てこないサフォークとは初代サフォーク公ウィリアム・ドゥ・ラ・ポールという人物です。前作(第一部)で、マーガレットを捕虜とし、イングランド王妃となるように工作。王妃の厚い信用を受け、劇中では王妃の愛人として描かれております。 タイトルを背負っているヘンリー6世は、あまりぱっとしません。信仰篤き、心優しい王様として描かれていますが、その優柔不断さを王妃マーガレットにあきれられ、重臣たちの対立にも、ただおろおろするばかりです。 繰り返しますが、貴族たちの対立には読んでいても本当にうんざりします。善人である摂政グロスター公ハンフリー、嫉妬深い枢機卿ヘンリーボーフォート、そして野心家のサフォークやヨークといったキャラクタ設定はあるのですが、何度も繰り返される言い争いには参ってしまいます。中期作品の『ヘンリー5世』ではフランス貴族の内輪もめを描いていますが、そこにはユーモアがあり、メリハリがきいていて、だれることはありません。まあ、誰を感じさせるほどの醜さを描きたかったのかもしれませんが。 前作で自分には王位継承権があると知り、密かに野望を抱くヨークは、今作で始めてその胸のうちを自分の見方に打ち明けます。それが冒頭の場面で、「両卿」とはソールズベリー伯リチャード・ネヴィルとその子ウォリック伯リチャード・ネヴィル(親子で同じ名前、ややこしいので、劇と同じようにソールズベリー、ウォリックと呼ぶことにします)。彼らはヨーク方の最大の勢力となります。 ヨークは冒頭の台詞どおり、ランカスターの内紛を傍観します。グロスターはサフォークに暗殺され、それがばれて国外追放、後に殺されます。枢機卿は病死。こうしてランカスター家は弱体化してゆきます。 わが国での、秀吉死後の豊臣家の内紛と、それをうまく利用して天下をとった徳川家康みたいなものですね。 貴族たちの内紛は政治の不安を招き、アイルランドの叛乱やジャック・ケードによる一揆が起こります。ヨークはアイルランド遠征を請け、最大の願望であった兵力を手に入れます。虎が、野に放たれたのです。 貴族たちの退屈な言い争いに対し、ジャック・ケードに代表される庶民たちは生き生きと描かれています。野卑な台詞の欧州も多く、笑える場面もあります。シェイクスピアの真骨頂は、やはりここにあるんでしょうね。ジャック・ケード以前にも2箇所に庶民たちが出てくるシーンがありまして、同じくコミカルかつスピーディであります。実をいうと、ケード以外はストーリー展開上はさほど必要がない場面なのですけど、貴族たちの内紛と対比させて、めりはりを効かせているのでしょうね。 貴族たちの台詞も、王や王妃がいる場面では別ですが、やはり猥雑なものもあります。シェイクスピアらしいです。 さて、ジャック・ケードの乱は平定され、ほっとしたのも束の間、アイルランド遠征に行っていたヨークが「君側の奸」サフォークを除くのだ、と兵を挙げました。内乱の、お決まりのパタンですね。平和的な解決を望んだ王の思いはかなわず、交渉刷毛連れ質、長きにわたる内乱の火蓋がきって落とされました。 初戦セントオールバンスでヨークが勝利を得るものの、王と王妃は脱出。一応の勝利に凱歌をあげるヨークたちを描いて、この劇は終わります。しかし劇中人物も、そして観客(読者)も、誰一人としてこれで終わったという思いは抱きません。中途半端な終幕です。争いも、戦争の悲劇も、移ろいやすい人の心も、すべては第三部へと引き継がれるのです。 初期の傑作『リチャード三世』の主人公で、シェイクスピアキャラクタの中でも人気の高いリチャードが、この劇の終幕近くで初登場します。そして早速容姿をからかわれるのですが、一方でサマセットを討ち取るという手柄を立てます。 引っ込んでろ、悪意の凝り固まった醜いできそこないめ! おまえの心は、かたわのその姿同様、ねじくれている。    クリフォード(第五幕第一場) ほんの少しの出番ですが、なかなかの印象を残します。これも『リチャード三世』の有名さゆえかな? キャラクタが弱い、と申しましたが、ジャック・ケードは別格。挙兵から滅亡にいたるまでの彼の言動は、なかなか笑えます。そう、シェイクスピアはこの一揆を、史実とは異なり、シリアスではなくコミカルに描いているのです。 彼は既存の体制をすべて逆にしようとします。学問のある人はしばり首。財産はすべて共有(実態は略奪の奨励ですが)。 (ジャック・ケード 1450) そのときは金なんか廃止する。だれが飲み食いしようと感情は全部おれがもってやる。そしてみんなにおんなじ服を着せてやるから、みんな兄弟みたいに仲よくなり、おれを王様として尊敬するだろう。 (第四幕第二場) そして今後、いっさいのものは共有にするぞ。 (第四幕第七場) おれたちのご先祖は本なんかもっておらず、棒切れに刻み目つけるだけでコトタリタノニ、きさまは印刷なんてものをはやらせやがった、おまけに、国王の王冠と権威に逆らって紙工場など建てやがった。こうしてきさまは名詞とか動詞とか、なにもキリスト教徒には聞くに耐えんいやらしいことばばっかし使う連中を、きさまのまわりに集めやがった、(中略)読み書きできないって理由で縛り首にしやがった、だいたい読み書きできないってだけでもりっぱに生きる資格があるのに。 (同) 彼と周囲の掛け合いも漫才みたいで面白いです。 後のフォルスタッフやその取り巻きたちの原型が、ここにあるのですね。 ◆冒頭および本文中の台詞は ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー六世 第二部 シェイクスピア全集 〔2〕 白水Uブックス より引用しました◆

      テーマ:
  • 12 Feb
    • カスティーリャ王ペドロ1世とエンリケ2世

      13年ぶりに怒涛の生涯が完結! 青池 保子 アルカサル-王城- (12) カスティーリャはスペイン中央部にあり、ポルトガル語でカステーラ、お菓子カステラの語源になった地方です。 かつてスペインはいくつかの王国に別れておりまして、 それらが戦いや婚姻を繰り返した後、1479年にカスティーリャ女王イサベルとアラゴン王フェルナンドの結婚によりスペイン王国(エスパーニャ王国)が成立したのです。 スペインの話がなぜシェイクスピアにからんでくるか、と申しますと、以前にドン・ペドロとブラック・プリンス にて申しましたように、イングランド王家(プランタジネット朝)と因縁浅からぬ間柄にあるからなのです。 ←クリックすると拡大します 系図を見てみますと、カスティーリャ王ペドロ1世の二人の王女がそれぞれランカスター公ジョン、ヨーク公エドマンドに嫁いでいます。 そして彼の血をうけた3代目ヨーク公リチャード、その子エドワード4世、リチャード3世といった面々がそれぞれ『ヘンリー6世』第一部~三部、『リチャード3世』で活躍します。 このペドロ1世を主人公に青池保子さんが描く中世歴史ロマン大作、『アルカサル-王城-』がいよいよ完結します。 。。。青池さんのファンならとっくに承知の情報でしょうが、うかつにも私は先日まで知りませんでした。 掲載誌の廃刊という憂き目に会い、長らく連載が休止されていましたが、ついに「完結編前・後編」としてプリンセス・ゴールド 3+4月号から2回にわたって掲載されるとのこと。 私が中世ヨーロッパ及びイスラムに興味を持ったきっかけがシェイクスピアと青池さんの作品だけに、再開が今から楽しみです。 とはいえ、「完結編」に描かれるのはペドロ1世(劇中ではドン・ペドロ)の滅びにいたる過程。異母兄エンリケとの激しい王位争いです。そしてこの兄弟ゲンカに当時百年戦争で争っていたフランスとイングランドが介入します。 1367年のナヘラの戦い。左側がイングランド及びペドロ ペドロの正妻ブランシュはフランスのブルボン公の娘ですが、当時の習いとしてこの結婚も完全な政略結婚。漫画でも描かれているように、彼はこの正妻を幽閉し、死に至らしめています。このために不仲になったのか、フランスはアラゴン王国(現スペイン東部でカスティーリャの隣国)とともにエンリケを支援。一方のペドロはイングランドのエドワード黒太子(ブラック・プリンス)を頼ります。 以降の推移は先の記事(ドン・ペドロとブラック・プリンス )にも書いたので、そちらをお読みください。 簡単に言えばペドロは滅び、エンリケが即位。トラスタマラ王朝が始まります。 処刑されるペドロ1世とそれを見守るエンリケ2世 勝てば官軍。歴史書はおおむねエンリケびいきです。ペドロは「残虐王」というありがたくないあだ名をいただいております。 漫画でも描かれているように彼は貴族たちと争い、母を追放し、正妻を幽閉するなどたしかに情け容赦のない人でした。しかし、これまた漫画に描かれていますようにユダヤ人をはじめとする商人を保護。その治世中は裁判も公正で治安もよく、「正義王」「公正王」とも呼ばれています。 その激しさゆえに多くの女性とも関係を持ちましたが、生涯愛し続けたのはマリア・デ・パルマただ一人でした。 彼の生涯を見るとわが国の織田信長を連想しますね。その激しさとその先見ゆえに。ペドロが保護したユダヤ人をはじめとする商人たちはトラスタマラ朝では疎んじられてゆきます。 対するエンリケは外国勢力と貴族に推戴されて王位に就きました。そのため貴族・聖職者たちにたくさんの領土を与え、「恩寵王」と呼ばれました。 この時代に記録を残したのは主に聖職者であり、上級の聖職者たちは貴族階級の出身でしたから、ペドロには辛く、エンリケには甘かったのでしょう。 ペドロがアラゴン、フランスと不仲だったのに対し、エンリケは逆に親睦を深め、アラゴンとカスティーリャは後に婚姻により合体いたします。 ペドロとエンリケの争い-王位をとったりとられたり-はイングランドのばら戦争によく似ております。ただ、ばら戦争によって貴族が力を失い、王権が強化されたのに対し、カスティーリャでは逆に貴族が力を伸ばしてゆきました。先述したようにエンリケが貴族を無視できなかったからです。そういった意味ではわが国の南北朝の争いに似ているかもしれません。足利尊氏も守護大名たちにたくさんの領地を与え、彼らの強大化を招きました。 貴族と王家の争いは続き、イザベルの孫、ハプスブルク家のカルロス1世(神聖ローマ皇帝としてカール5世)になってようやく落ち着きます。16世紀初頭のことです。 ペドロは早すぎた英雄と言えるかもしれません。 最後に。ペドロの血統はイングランドだけでなく、カスティーリャ王国にも残ります。すなわち孫娘カタリナがエンリケの孫、エンリケ3世と結婚し、ファナ2世をもうけたからです。ペドロの血統は、再び彼が愛したカスティーリャに戻ったのです。

      6
      テーマ:
  • 01 Mar
    • 勝利王

      「皆さん、こんばんは。今宵もイタコ婆(自称)の協力で歴史上の人物にいろいろ聞いてみたいと思います」 「まったく、人使いの荒い」 「いや、実に意外なんですが、一部で好評だったんですよ。イタコシステム」 「オラ人気者? いや~ん、婆、困っちゃう☆」 「。。。ええと、あなたが、じゃなくて、ジャンヌ・ダルクが人気者なんですけどね。 それに齢八十を越えた老女がキャピキャピしないでください!」 「たわけ! いくつになっても女は乙女心を失わぬものじゃ!」 「そ、そうなんですか?」 「男もまた然り。年齢を重ねても心を枯らしてはならぬぞえ」 「で、今日は誰を呼び出してほしいのじゃ?」 「はい。ジャンヌの死後、百年戦争がどうなったか知りたいので、『勝利王』とあだ名されたシャルル7世をお願いします」 「なんや、自分? ボクに何か用か?」 「え、えらく早いですね。降霊」 「うまい、早い、安いが霊界のモットーや」 「えらく下世話な王様ですね~」 「おう。なんでエセ関西弁になってるかはこっちの記事 (←クリック)を見たらええ」 (「ええと。全然早くないんですけどね。訂正したくなりますね」  「およそ1年たってますからね~」  「『ヒーローは最後にあらわれる』ってのはどうでしょう?」  「ともかく出待ちが長かったですね、勝利王」) 「で、自分もアレやろ。ジャンヌ・ダルクのことでボクを呼び出しんやろ」 「ええ。まあ」 「あ~! ボクは不幸や! 仮にも一国の王が、田舎の小娘の引き立て役! 挙句には『えげつない』、『ヘタレ』、『鼻が長い』とののしられ」 「い、いえ。そんなことはございませんよ」 「フン! そんなん口ではなんぼでも上手言えるわい。大体、お前、ボクのことどれだけ知っとるんや」 「ええと。フランスの王様で、ジャンヌ・ダルクを見殺しにして、百年戦争に勝利した」 「悪いけど帰らしてもらうわ」 「へっへっへ、冗談ですよう。ただ我々日本人にとってあなたはそれほど有名ではない。。ですから、あなた自身から色々聞きたいんですよ」 「ボクは最初から王太子だったんやないで」 「お兄さんが何人かいたんですよね」 ←クリックで拡大されます 「この図やとかなり省略されてるけど、幼くして死んだ子を入れると、ボクには5人の姉と5人の兄、そして弟が一人おった」 「ひええ~、たくさんですね~」 「うん。お母ちゃん(イザベラ)はバンバン子供産みよったで~~」 「そ、そんな、犬か何かみたいに。。。」 「王太子が何人も立ち、ポンポコ死んでゆきよったで、みんなは余計不安になった。そうしてボクのことを『お前のお父ちゃんは王様やない。別の人や』と廃嫡宣言をした」 「ショックでしたでしょうね。お察しします。私も小さい頃悪さをすると、母に『お前はウチの子じゃない。橋の下から。。。』」 「庶民と王家をいっしょにするんやない~~!」 「そんなんやから、ボクが最初やる気なかったの、わかるやろ? お兄ちゃん達はばんばん死ぬし、受け継ぐべき王国は荒廃してるし。取り巻きもボクにひっついて甘い汁を吸おうという、そうれこそヘタレな連中ばかりやった」 「そこに現れたのが」 「うん。あの子はいい意味でボクらに刺激を与えてくれた。だめもとでいいやん、思ってたらホンマに勝ちよったからな」 「これはジャンヌにも訊いたんですが、ジャンヌはあなたが王家の血筋である証を話したとか見せたとか。一体それはなんだったんです?」 「あのな、自分、よく考えてみ? ボクのホンマのお父ちゃんが誰かなんて、お母ちゃんにしかわからんことや。ひょっとしたらお母ちゃんにもわからんかもしれんけどな」 「???」 「大事なのは神がかっただれかが『ホンマの王太子や!』いうてくれたことや。自分から言ってもあかんからな。ホンマはだめもとやったんや。結果オーライなんや。カリスマなんてあとからついて来るもんや」 「そうなんですかあ?」 「なんか、えらくさめた方ですね」 「血統にパワーがあるとかいうのんはマヤカシやで。あの娘も当時の大部分もそう思ってたけどな。その点、君らの国の始皇帝はんとは気が合うで~」 *始皇帝の父、秦の荘襄王(そうじょうおう)は大商人呂不韋(りょふい)のバックアップを受け秦の王になることができました。彼は王になる前に呂不韋の愛人をもらい受け、后としました。ところがなんと、譲り受けたときには彼女はすでに身ごもっていたらしい、つまり始皇帝の父親は呂不韋であるという噂がありました。 「ええと、始皇帝は中国人、私は日本人なんですが」 「ああ、そらすまんな~。ボクから見たらみな中国人に見えるわ」 「西洋人から見たらそうでしょうね。逆に私どもから見たらジャンヌも陛下もほとんど変わりませんよ」 「いくらなんでもそらないやろ!」 「そのジャンヌを陛下は大切にしなかったですね」 「あのな~~、事情をよく知らんよその人にそんなん言われたくないわ! ボクは彼女にはよくしてやったんやで~」 「本当ですかあ?」 「農夫の娘とその兄弟を貴族に列したんやで。君らはジャンヌだけクローズアップして論じているが、全体で考えてくれや。武勲には十二分に報いてるんやで。復権裁判もしてるし」 「そうですか(そりゃ異端の女性のバックアップで王位についたとあっちゃあまずいから、でしょ)」 「ジャンヌはわずか2年間の活躍やが、ボクはその後二十数年、フランスに平和をもたらすために働いたんやで。1449年にはブルゴーニュ派と和解、1453年にカレーを除く全土を回復したんや 」 「陛下の事跡を箇条書きにして述べますと ・商人ジャック・クールを財務官に起用して、財政の再建 ・教会への監督権強化して国王権力を確立 ・おじいさんの5世王にならって、傭兵を国外へ追い出し、常備軍を創設 ということになりますね」 「よくわかってるやんか。ボクこそ近代フランスの父なんやで」 「ブルゴーニュ派との和解。ここがポイントですね」 「そうやね。君らは『英仏百年戦争』とひとくくりにしてるけど、いつが始まりでいつが終わりかなんてはっきりしたもんやないし、ボクのころはブルゴーニュ派とアルマニャック派に分かれたフランスに、イングランドがうまくつけ込んだんやね」 「見事に三つ巴。まるで三国志みたいですね」 「ウン。曹操さんとはお互い気が合うんや」 「またですか」 「あのひともえげつないからね」 「そうそう」 「……」 「……」 「でも私思うんですけど」 「なんや?」 「陛下はジャンヌだけでなく、たくさんの人を使い捨てにしましたよね。箇条書きにあげたジャック・クールなどもそうです。 商人である彼を取り立てて財政を再建。ところがジャックが貴族たちのねたみを買い、訴えられると、ジャンヌのときと同じく、逮捕されても知らん振りでしたからね」 「ど素人にしたり顔で言われたないわ。あちらにもよく、こちらにもよく、八方美人で世の中治められるならボクかてそうしてるで。 ボクは分裂してジリ貧のフランスをまとめあげ、子孫に残したんや。かのアウレリアヌス(ローマ皇帝)のようにな」 「申し訳ありません。口が過ぎました。子供さんは陛下に感謝したでしょうね」 「いや、それがな」 「はい?」 「うちの子(ルイ11世)はボクよりもっと優秀な国王やった。つまりは冷酷無情。ボクを毒殺してまで王位を受け継ごうとしたんやで~」 「げげ。ということは陛下は毒殺されたんですか」 「いや、毒殺されるのが怖くて、飯ものどを通らなくなって」 「餓死したんですね」 「過度なダイエットは健康に悪いで。ダイエット中にお茶をとったらあかん」 「DIETからティーを取ったらDIE。。。ええと、それはすでにリチャード2世で使ったネタです」 「リチャード君に教えてやったんはボクや」 「どうしてフランス国王のあなたが英語で駄洒落るんですか!」 「お笑いに国境は無い。ほなサイナラ~~!」  

      テーマ:
  • 23 Feb
    • 天に召されるとき (ジャンヌ・ダルク その4)

      「皆様、一週間ぶりのご無沙汰です! 今日もジャンヌ・ダルクさんに色々聞いてみようと思います」 「シェー!!」 「な、なんなんですか? いきなり」 「今こんなフランス語があるなんて知らなかった~」 「いや、それは、自称イタコの婆ちゃんのギャグなんですよう。私の敬愛する赤塚不二男さんのキャラ、イヤミのセリフ(ポーズ付き)で、かの怪獣王ゴジラもやったという。。。」 「説明しなきゃいけないギャグを振らないでよ!」 「そっちから振ったくせに~」 「ええと、本日はいよいよ大詰め。ジャンヌが捕らえられ、処刑されるまでなんですけど」 「ヴ~!」 「そ、それも、何かのギャグですか?」 「違うの! あたしの最も華やかな時期、オルレアン解放からランスの戴冠式の話をしたかったのに~」 「ゴメンナサイ~。イタコの婆ちゃんの体力がもたなかったものだから」 「まあ、いいけどね。いつまでも根に持つのは乙女(ラ・ピュセル)にふさわしくないわ」 「そうそう。さすがは大物ですな。で、ランスでの戴冠式の後なんですが」 「話すのは辛いわ」 「お察しします。でもあなたは良い子、強い子、農夫の子! 日本全国3000万人のファンがついてます! さあ、元気出して」 「ええと。ランスで戴冠してから、王様(シャルル7世)は、なんとなくよそよそしくなっていったの」 「ほう。なんで分かるんです?」 「だって、あたしの言う事をあまり聞かなくなってきたんだから。インチキな女預言者を宮廷に招きいれたり」 「ほうほう。あなた以外にも『声』を聞いた、という女性が王の側に呼ばれたのですね」 「ええ。そしてあたしとは反対のことを言うの。それにあたしと共に戦場で戦った人たちもばらばらにされて」 「チーム解散、といったところですか」 「そう」 「う~ん。身につまされるお話です。特にサラリーマンにとっては」 「そうなの?」 「組織に属しているとそんなことがあるんですよ。古今東西変わりません。ですが、なぜシャルル7世はあなたを疎んじたのでしょうね」 「あたしはあくまでイングランドをフランスから追い出すことが大切だと思っていたんだけど、王様はそれを渋ったのよね」 「ランスで戴冠して、自分の立場が強くなった。だから後は駆け引きでことを運ぼうと思ったのですな」 「王様としてはブルゴーニュと手を結ぼうとしたみたい」 「当時フランスはアルマニャック派とブルゴーニュ派に分かれて揉めていた。そこをイングランドにつけ込まれたでしたね。で、あなたが死んだ後ですが、シャルルはブルゴーニュ派と和解。そうしてイングランドを追い払ったのです」 「あたしはイングランドを追い払えば、自然とみんながついてくると思ったんだけど」 「そう、そこですよ」 「どこ?」 「。。。。。お約束、ですか?」 「まあね。で、何が問題なの?」 「あなたが当初聞いた『声』の指示は『ランスで王を戴冠させよ』まででしたよね」 「そうね。だからその後のパリ奪還は失敗したのよ。『声』の指示ではなく、あたしの考えだったから」 「つまりあなたはランス以後の明確なビジョンがなかったわけだ」 「そうなのよ」 「私はね、そこが怪しいと睨んでるんですよ」 「なんで?」 「本当はパリ奪還も『声』の指示があったんじゃないですか」 「あのね~。あたしが『ない』って言ってるんだから、疑う余地はないのよ」 「人間の記憶ってのは結構いい加減なものでしてね、都合のいいように上書きされることもあるんです。っと! あなたがウソを言っている、というのではないですよ。そう思い込んじゃってるんじゃないですかね。失敗に終わった、だから最初から『声』などしなかった」 「ヴ~」 「なぜあなたはランスでひっそりと消えてゆかなかったんです? それは宮廷の主戦派に担ぎ上げられたからかもしれないけれど、あなた自身が進んで行動したんじゃないんですか?」 「あなたはあたしを裁判にかけ、罠に嵌めた男たちにそっくりね!」 「いやあ、気分を害したならあやまります。ただ、そういう解釈も成り立つんじゃないかな、ってことで」 「そんな意地悪ばかり言ってるのなら帰ろっかな~」 「あああ、待ってください。本当に謝りますよう」 「で、あなたを罠に嵌めたという裁判の話なんですが」 「あたしはコンピエーヌでブルゴーニュの軍に捕まっちゃったの」 「イングランドではないんですね?」 「そう。あなた、さっき言ってたでしょ。王様の敵はイングランドだけじゃなかったのよ」 「国内が二派に分かれて争えば、外国がつけ込むのはまあ、当然ですね」 「で、ブルゴーニュの連中からイングランドに引き渡されたわけ。あたしも一応貴族の扱いですからね。身代金を払って買い取ったのがイングランドの島国野郎ども! ってわけよ。王様に見捨てられちゃったのよね」 「シャルルは一応、警告はしたらしいですけどね。イングランドに売り渡したら報復をするかもしれない、と」 「相変わらず煮え切らない王様だわ~」 「まあ、シャルルとしてはあなたは用済みだったわけですよ。『狡兎死して良狗烹らる(こうとししてりょうくにらる)』というやつです」 「何? ソレ? 日本のギャグ?」 「由緒正しき故事成語ですよう」 こうと 【狡兎】すばしこいうさぎ。――死して=走狗(そうく)(=良狗(りようく))烹(に)らる〔史記(越王勾践世家)〕すばしこいうさぎが死ねば、猟犬は不要になって煮て食われる。敵国が滅びると、軍事に尽くした功臣はかえってじゃま者扱いされて殺されることのたとえ。 [ 大辞林(三省堂) ] 「ムカッ! 犬ですって? あたしはどっちかっていうと可憐なウサギちゃんのイメージなんですけど」 「そうなんですか?」 「そうよ~。言うこと聞かないイングランド兵に『月に代わって――!」 「もうやめましょうね、マンガネタは」 「捕らわれてからあたしは三度死のうと思った」 「ホントですか? キリスト教では自ら命を絶つことは禁じられているのでは」 「正確に言えば『死んでもいい』と思った」 「死を覚悟したんですね」 「ええ。イエス様がそうだったように。肉体が滅んでも魂は不滅でしょ。あたしの地上での役割が終わった、と思ったから」 「裁判にかけられるのが怖かったんですか」 「正直に言えば、そうよ」 「イングランドとしてはあなたが神の意思で働いた、となるのはまずいわけですよね。あなたが正義なら、自分たちは何なんだと。だからどうしても裁判であなたを異端としたかった。始まる前から結果の定まっている裁判でした」 「あなたは主にどんなことを責められたのですか」 「教会を通さずに直接『声』を聞いたことと、男の格好をしたこと」 「確かにこの時代では教会が神の代弁者ですものね」 「だから、あなたも疑ったように、『声』が神から来たものかどうかを執拗に聞かれたのよ」 「男装は罪だったんですか」 「聖書にそう書いてあるんですって」 女性は男性の服をつけるべからず (旧約聖書申命記22章) 「なんで男の格好をしたんですか」 「これから戦いに行くのよ? 女性の服では無理でしょう」 「なるほど」 「それに男の格好があたしを貞操の危機から守ったの」 「そうなんですか」 「ええ。死を覚悟したあたしだったけど、拷問する、という脅しに屈して、罪を認めてしまったの。それで男の格好をやめてたら、イングランドの野郎どもが乱暴しやがった!」 「なんと」 「あろうことかお坊さんまで」 「どっちが神のみ使いなんだか」 「これではっきりしたでしょう? あたしもはっきりとわかったよ。やはりあたしは死ななければならないと。女の格好に戻って、辛い目にあったのは、そういう意味なのだと」 「実のところ、そういう狙いがあったらしいですね。異端として処刑しなければ意味がないから。あなたは罠に嵌ったんです」 1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクはカトリックの教義に反してあくまで神の声を聞いた、として有罪判決を下されました。そしてその日のうちにイングランド軍によって、ルーアンの広場で火刑に処され、19歳の短い生涯を終えます。それは服が焼け落ちた時点で火を止めて(そのときにはもう窒息死していたが)、彼女がただの女に過ぎないことを示したという、残酷な刑でした。骨はほとんど残らず、遺灰はセーヌ川に捨てられたそうです。 「最後は辛いお話をさせてしまって申し訳ありません。ところで、申し訳ないついでにお願いがあるのですけれど」 「何?」 「色々意地悪を言いましたけれど、実は私も中学時代からあなたにあこがれていました。最後に是非、あなたのお顔を見せてほしいのです」 彼女は何も言わずにっこり微笑むと、すうっとイタコ(自称)の婆ちゃんの体から抜け、天井辺りまでのぼってゆき、そこから私を見下ろしました。 それは神々しいとか美しい、というのではなく、人懐っこい、可愛らしい笑顔でした。 私が長い間夢見ていた彼女の真の姿は、やはりフランスの大地の生んだ素朴な少女、ジャネットだったのでした。

      13
      テーマ:
  • 14 Feb
    • 彼女はとっても人気者 (ジャンヌ・ダルク その3)

      「皆様こんばんは。ジャンヌ・ダルクについて、自称イタコの近所のばあちゃんの協力を得て、本人に聞いていたんですが、当の本人が『サイナラ~』してしまって、ちょっと困っています」 「はあ、はあ。年寄りを酷使しすぎじゃ」 「うわっと。おばあさん、意識が戻ったんですか?」 「うむ。外国人の降霊は、ちと疲れるわえ」 「そ、それで彼女、帰っちゃったんですかね?」 「ようわからん」 「しかし、私はまだ彼女に聞きたいことがあったんですよ」 「何かえ」 「また呼び出してくれるんですか?」 「まあ、そうせくでない。わかる範囲ならこの婆が答える」 「ええ?」 「古今東西、人間のやることなぞそれほど変わりはせぬ。伊達に年を喰うてはいないぞ」 「ええと、『声』を聞き、その命ずるままにシノンへ行き、王太子(後のシャルル7世)と会ったとこまで、でしたね。次はオルレアン解放のことなんですけど」 「オレふあん? 人生に迷いしときはこの婆に聞け!」 「大丈夫かな。本当に不安になってきたよ」 「私は以前にもジャンヌ・ダルクについて考えたことがあったんです(「ジャンヌ・ダルクと源義経」 )。 1429年5月、彼女はオルレアンを解放。久しぶりの勝利を王太子にもたらしました。これは奇跡的なことでした。オルレアンを取り巻くイングランド軍は大軍。それをずぶの素人が。。。いや、ずぶの素人ゆえに成功したのかもしれません。 その後も進撃を続け、本当に王太子をランスで戴冠させます。 確かに彼女は凄いかもしれない。ですが未だにわからないのが、なぜ彼女はそこまで有名なんだろうか、ということなんです」 「なぜじゃ? 『声』を聞いた乙女じゃぞ」 「神様、天使、超自然的な存在の声を聞いたという人は、それこそ古今東西たくさんいます」 「フォッフォッフォ。よくわかっておるの。この婆も自称イタコじゃ」 「ええ。私の友人の親戚のご町内の人(つまり他人)にも、金星人からのメッセージが聞こえると主張している人もいます。ましてや当時は中世。まだまだまだ宗教の力が強く、人々を物心両面で縛っていたのですから」 「じゃから?」 「ですから、『声』を聞いた、というだけで彼女を特別視するのは危険だと思うのです。そこに論議が集中するのは危険だと。あなたが呼び出した彼女の霊が言ったように、大切なのは彼女が何を成し遂げたか、です。 そう考えると、彼女が活躍したのはごく短期間であるし、戦果も今のようにそこまで誉めそやされるものではないのじゃないかと。その後シャルル7世が長年かけて百年戦争を勝利に導いた、それと比較したら。シャルルとジャンヌ、現在の評価、取り上げ方はあまりにもバランスを欠いてはいませんか?」 「なるほどのう。実はわが国に日蓮という偉いお坊さんがおった」 「ああ、それなら私も彼女に話しました」 「ええい、黙って聞きなさい。うちの嫁が法華の信者でな、毎日お題目を唱えとったよ。 日蓮は鎌倉時代に活躍したお坊さんじゃから、ジャンヌより200年ほど前だのう。当時中国大陸を支配していたのは蒙古(もうこ;後に国号を元とした)」 「チンギス・ハーンがつくった国でしたね」 「うむ。当時の皇帝はチンギスの孫、フビライ・ハーン。そういうわしはおば・はーん」 「はいはい」 「やがてこのフビライがわが国を支配せんものと、二度にわたって攻めて来よった」 「元寇(1274年と1281年)ですね」 「その元寇を予言したのが日蓮じゃ」 「ほう」 「それだけではないぞ。それに先立つ北条家(鎌倉幕府執権)の内紛も予言しておったのじゃ」 「そいつはすごいですね」 「じゃが、法華の信者以外にはあまり知られておらんのう。この話。なぜだかわかるかえ」 「なぜでしょう?」 「ちっとは自分でも考えなさい」 「う~ん。日蓮の予言って、本当にズバッと当たったんですか」 「おお、それじゃ。日蓮に限らず、大方の予言と言うものは(神話や伝承を除いて)、具体的にいついつこうなる、と言っている訳ではない」 「ノストラダムスは1999年に。。。」 「それは後の人が勝手に解釈しておっただけじゃ。ノストラダムスの『予言』は殆どがどうにでも解釈できるものじゃ。 日蓮の予言はノストラダムスほどあいまいではなかった。『立正安国論』の中で述べた、『法華経を信じなければ厄災が起こる』というもので、今わしが言ってるのは、いくつか述べたうちの『内乱が起こる』(自界叛逆難=じかいほんぎゃくなん)、『他国が日本に攻めてくる』 (他国侵逼難=たこくしんぴつなん )というものじゃ」 「それだけでもスゴイじゃないですか」 「ジャンヌほどはっきりはしておらん。しかも日蓮の意見が通らず、法華経を第一にしなかったが、日本は滅ばなかった」 「そりゃそうですよ。ジャンヌの場合は『声』の内容を成就させるために、自分で行動したのですから」 「そう、そこじゃよ!」 「どこです?」 「……お主もしょうもないのう! 人のことは言えんぞ」 「神の声を聞いた者ならたくさんおった。それを信じ、実行したからこそ、しかも成功させたからこそ、彼女は特別なのじゃ」 「ふむう。そうなんですね」 「加えて、彼女はど素人だから、単純に物事を考えることができた。乱れた世の中を安定させるには、神が認めた正当な王が支配すればよい、とな」 「それで1429年7月、ランスの大聖堂でシャルルの戴冠を実現させたんですね」 「そうじゃ。これでやっとシャルルは王として内外に認められる根拠を得たのじゃ」 「それにしてもずいぶんとお詳しいですね。ただの自称イタコの婆ちゃんにしては」 「フォッフォッフォ。何を隠そうこのわしには、若き頃にフランス帰りの恋人がおったのじゃ」 「ホントですか?!」 「彼が最初に教えてくれたフランス語をそなたにも伝えよう」 「はい」 「シェー!」 「……次回はジャンヌの処刑についてです」

      10
      テーマ:
  • 08 Feb
    • それは秘密秘密秘密~ (ジャンヌ・ダルク その2)

      「ええと。昨日より引き続き、自称イタコのばあちゃんのご協力を得まして、ジャンヌ・ダルクご本人さんに、いろいろ聞いてみたいと思ってます」 「ハイ、すみま・せん」 「それ、そろそろやめましょうよ。わかんない人には全然おもしろくないんですけど」 「ところでジャンヌ」 「あたし、ふるさと以外の人々には『乙女(ラ・ピュセル)』と呼ばれてたんだけど、ま、いいか。何?」 「あなたは『声』を聞いてから、どうしたんでしたっけ?」 「最初は『教会に通って、お坊さんの言うことやお父さんお母さんの言うことを聞いて、いい子でいましょうね』という内容だったの」 「だからよい子、強い子、農夫の子になったのですね」 「そう。それがいつしか『フランスへ行って、王太子(後のシャルル7世)を戴冠させなさい』ということになって」 「ふむふむ」 「そんなこと、よい子強い子農夫の子のジャネットにできると思う? そしたら『できるよ』って」 「ほうほう」 「で『声』の命ずるままに、まずヴォークルール(北フランス、シャンパーニュ地方)の守備隊長さんに会いに行ったの」 「13歳で初めて『声』を聞いて、17歳で行動を起こしたんですね。で、それから?」 「隊長さんは最初、てんで相手にしてくれなくて。でも9ヶ月後にはついに認めてくれたのよん」 「そう! そこですよ」 「どこ?」 「。。。これも、もうやめにしませんか」 「どんなつまらないことでも繰り返せばギャグになると」 「宮廷の道化師か誰かが言ってましたか?」 「『声』がおっしゃったのです」 「んな、アホな!」 ↑ドムレミィ、ヴォークルールからシノンへ(クリックすると拡大します) 「あなたは『神の声を聞いた』と言って、ヴォークルール守備隊長をはじめ、王太子までも魅了してしまう。だけど最初からうまくいってたわけじゃあなかった。実におもしろい」 「あはははは~っ! 最高~っ」 「ええと、まだ全部言ってないんですけど」 「なんだ。まだ続くの」 「うう。気を取り直して。ともかくあなたは守備隊長のゴーサインを貰って、護衛を伴ってシノン(南フランス)の王太子のもとへ出発した」 「男装してね」 「そうそう。男装。これが後々大問題になるんですけどね。ところで不思議なことに」 「なんでしょう」 「護衛の男たちも、あなたがその後であった傭兵たちも、だれもあなたに対して変な気を起こさなかったんですね」 「そりゃそうよ。あたしは『乙女』。『声』を聞いた神聖な存在なのよん」 「う~ん。よい子、強い子、農夫の子じゃなかったっけ」 「神聖なよい子強い子農夫の子なの!」 「私が考えるにあなたは実はそんなに魅力のない、ブ。。。」 「ハイ、すみま・せん!」 *実際には「実に魅力的な女性であったけれども、不思議と邪な気持ちは起きなかった」 との証言があります。 「ここであなたの生涯で最大のミステリに入ります」 「どうぞ~」 「これは未だに誰も解き明かしていないナゾなんです」 「あら、そお?」 「あなたは王太子に出合って、しばらく二人きりで話した後に、信頼を得ることに成功する。一体何を話したんですか?」 「なんでソレがミステリなの? ちょこっと話しただけですよん」 「王太子シャルルは実の母(シャルル6世妃イザボー)から非嫡子とされた。そこで彼は自分の出生に非常に疑問を持つわけです。自分は本当に先王の子なのかと。確かにイザボーは恋多き女性でしたからね。愛人も多数いた。だからシャルルが疑問を持つのも当然なわけです」 「それで?」 「それが、あなたとしばらく話しただけで状況が変わってしまった。実に不思議です。単なるよい子強い子農夫の子にはできない芸当だ」 「だから?」 「一説にはあなたはイザボーの隠し子だというものもあります。シャルルの異母妹。だから何か証拠を伝えられていた」 「ちょっと! それはあたしの両親に対して失礼じゃなくて!?」 「い、いや、まあ、そういった説もある、というだけです。ならばあなたは何を話したのですか? あるいは何を見せたんですか」 「別に」 「別にって、ここまできて」 「あたしはただ『王太子様は由緒正しき血筋ですよ』と言っただけ。『声』が命じるままに」 「え~~~っ!! それだけですかあ?!」 「あたしが『声』を聞いている姿を見せただけです」 「う~ん、本当かな」 「話を整理しますね。 ・ヴォークルールでは信頼を得るのに数ヶ月かかった ・シノンへの途中、誰もあなたに邪な気持ちを抱かなかった ・王太子はわりとすぐにあなたを信じた う~ん、このヒントから出てくる答えは。。。」 「答えは?」 「あなたはストレートだった。それしかなかった」 「直球派ですか」 「そう。直球一本やり」 「大リーグボールを覚える前の星●●●みたいなもんですね」 「なんで天国にいるフランス人がアニメの話題を振るかなあ」 「めっぽう早いが、軽い」 「はいはい」 「あなたはヴォークルールで門前払いをくらっても、何度もチャレンジした」 「そりゃそうよ。神様のお手伝いですからね。もちろん、その間にもお祈りしてたよ」 「それが重なるうちにあなたの中に確固たる自信が、使命感が培われてくる。そんなあなたを見て心動かす人が出てくる。周囲のパワーを得て、ますます自信を深めてゆく」 「みんなの元気をオラにくれ!」 「やめましょうね、いい加減に」 「わが国に日蓮(にちれん)という偉いお坊さんがいるんですが、彼も迫害に会うたびに自信を深め、カリスマを備えてくるんです。あなたもそれと同じ。そして周囲のそういった目が、ますますあなたのカリスマとしての自信を深めてゆく。で、邪な気持ちを持つ男もいなかったし、シャルルもあなたに圧倒されたんじゃあないかなあ」 「さーてね。あたしはただのよい子強い子農夫の子。でも神様とともに会ったことだけは事実ですよん」 「そう、その思い込み、信念が、多くの人を動かしたんですね」 「ストレートはどうなったの?」 「現代でもたまにあるんですが、コネも何もない学生が財界の大物にアポを取れることがある。彼らはストレートに、体当たりしていったんですってね。必ず話を聞いてもらえる。もし受け入れられなくても、失うものは何もない、と」 「へええ」 「わが国の織田信長の最大の敵であった一向一揆もそう。彼らは死んでも死んでも立ち向かっていった。その姿に武士たちも恐怖したといいますよ」 「でしょでしょ。信じるものは強いのよん」 「本当ですね~」 「進みだしたらとまらないの」 「そうですか?」 「出発~、信仰~!!  なんてね」 「あなた、本当に聖女ですか?」 「ほなサイナラ~」 「あああ、ちょっと待ってください! まだ続きますよう!」 *次回はオルレアン解放です

      8
      テーマ:
  • 07 Feb
    • よい子、強い子、農夫の子 (ジャンヌ・ダルク その1)

      「皆様こんばんは。『本人に聞いてしまえ!』のコーナーです。 本日より数回にわたりまして(何回で終わるのかは聞かないでね。3~4回くらい)、フランスの救国のヒロイン、ジャンヌ・ダルクさんにいろいろとお聞きしたいと思います」 「こんばんはっ!」 「げ、元気いっぱいですねええ」 「だって、あたしは大地の子、フランスの農夫の娘ですもん。よい子、強い子、農夫の子。元気がとりえ。頑丈よおお」 「なるほど」 「というわけでこんばんは! 遠い東の国の島国野郎っ! さん」 「い、いきなり罵詈雑言ですか?」 「ゴメンナサイ。島国の連中が我が物顔で歩いてるのを見てると、我慢できないの」 「な、なんとも愛国心あふれる方ですね。でもここはわれわれの国ですよう」 「あら、そ。よく見ればあなたと同じ連中ばかりね~。ここはどこかしら」 「本来ならフランス人のあなたをおもてなししようと、某高級フランス料理店に予約を入れたのですが、金なし地位なしの私ゆえ、かなわず。急遽ファミリーレストランにいたしました。ここならコーヒー一杯で朝まで粘れます」 「別に気にしなくていいよっ。私が生きていたころには『フランス料理』なんてなかったの。お城のお食事だって、こんなにきれいなとこで食べなかったし」 「本当ですか?」 「そうよん。確かに当時では珍しい砂糖とか香辛料とか使ってたけど、手づかみでかぶりつき」 「へええ」 「ところで、ジャンヌ」 「私はふるさとではジャネットって呼ばれてたんだけど、ま、いいか。何?」 「あなたは世界でもっとも有名なフランス人の一人です」 「そうなの」 「ええ、おそらく。あなたと皇帝ナポレオン。あと加えるとすればルイ14世にマリー・アントワネットでしょうけれど、ちょっと知名度は落ちます(アントワネットは『オーストリア女』ですしね)。やはりお二人がもっとも有名でしょう」 「ピエール・カルダンやココ・シャネルもフランス人でしょ」 「えらく現代的な、それもブランドものの名前を知ってますなあ」 「天国ではやることがなくて。今更救国の兵を率いるわけにはいかないもの。おしゃれぐらい、楽しませてくれなきゃあ」 「ええと、話をもどしていいですか」 「ハイ、すみま・せん」 「えらく大声ですね~」 「だって私は」 「はいはい。よい子、強い子、農夫の子、元気がとりえなんでしたね。 ナポレオンと並んで世界的に有名なあなたですが、ナポレオンと比べるとまことに謎が多い。皇帝が伝記作家に恵まれ、自身も回想録を残しているのに対し、あなたときたら裁判記録が残っているくらいで、あとはほとんどあなたが死んでからの証言や、噂。いまだにあなたの生涯と事跡は謎に満ちているんですよ」 「そう? そんなに難しく考えなくても、私は私のことだから、よくわかってるし」 「そう。そこですよ」 「どこ?」 「いや、場所の話じゃないです。わからないことは本人に聞いてしまえ! てんで、自称イタコのおばあさんを呼んで、あなたを降霊してもらったのですよ」 「おばあさんだったの、この体」 「ええ。さっきからしわくちゃのババが元気溌剌とキャピキャピしてるんで、気持ち悪いス」 「で、私に聞きたいことって何」 「(さっきの『気持ち悪い』で機嫌損ねたかな?)ええと、ですね」 「お父さんはジャック・ダルク。お母さんはイザベル・ロメ」 「ああ、そんなことはわかってるんです。ジャンヌ・ダルク(Jehanne Darc)というのはお父さんの名乗りを使ったんですよね。だからダルク(d'Arc; 英語でof Arc)という貴族の名乗りは間違い」 「そ。貴族じゃあないの。フランスの大地が生んだ、よい子、強い子、農夫の子」 「生地はドムレミィ村」 「ええ。『ドはドーナツのド~♪』」 「(踊ってるよ)それはドレミの歌! 『サウンド・オブ・ミュージック』、トラップ一家です!」 「ハイ、すみま・せん」 「それ、天国ではやってるんですか?」  ジャンヌ・ダルク出現時のフランス。ピンクがイングランド領。緑はブルゴーニュ公国。 そして水色がフランス(王太子シャルル)の勢力圏。 「こうしてみるとドムレミィ村はイングランド勢力圏内にありますね」 「う~ん、この地図はかなりアバウトね。ホントいうと、イングランド勢力圏内にあった、王太子派勢力圏なんです」 「そうなんですか」 「そう。だからしょっちゅう被害にあってたってわけ。島国野郎どもとブルゴーニュの連中にね」 「私も島国の者なんですが」 「ハイ、すみま・せん」 「そればっかり」 「ハイ、すみま・せん」 「何度も聞くと、腹が立ってきます」 「で、私は13歳のときに初めて『声』を聞いたの」 「そう! そこですよ」 「どこ?」 「。。。私が聞きたいのは、あなたが聞いた『声』のことです。記録(あなたの証言)によればその後もたびたび声を聞き、ついにはオルレアン解放のために立ち上がる。その声は大天使ミカエル、聖女カトリーヌ、聖女マルグリッドだったという。それは本当のことなんですか?」 「本人が言ってるんだから本当でしょ」 「私は高校時代から真剣に悩んだんですよ。もし神がいるとすれば、戦争、つまり人を殺すようなことまでして立ち上がれなんて言うかね~、とか」 「でも神様はご自分の意思を成就させるために、それまでにも不信仰なものたちの命を奪ったでしょ?」 「それも知ってます。でもあまりにフランス(シャルル王太子派)に都合よくありませんか?」 「あなたは昨日の夜、何を食べたの?」 「??? ラーメンとギョーザですが?」 「それは本当?」 「そりゃ、もう」 「自分で体験し、記憶していることだからね」 「。。。そうです」 「私も、そう」 「ええと」 「自分で体験し、記憶している。そして立ち上がった。もしそれがまやかしであれば、よい子強い子農夫の子である私ジャネットが、どうして男装までしてオルレアンを解放し、王様をランスにまで連れてゆくことができたのかしら?」 「ええと」 「あなたたち『現代人』にとって、大切なのはプロセスと結果ではなくて? たとえ私の聞いた『声』が神様と反対の側から来ていたとしても(そんなこと、ありえないけどね)、それが『フランスを救え』というものであり、その結果救えたとしたら、さかのぼってそれは神様、ということになるの。あなた好みの現代的解釈をとれば」 「う~ん」 「悪魔の声、ヒステリーによる幻聴、実は自作自演、なんとでもおっしゃいな。私には『声』は神様からのものだった。それで充分なの。これは私の個人体験でありますから、批判したいならご自由にどーぞ。でも経過と結果を見てよね。多くの人を動かしたし、王太子様を王座につけた。でしょ?」 「そう、ですね」 「まあ、私の時代にはそこが一番大事だったんだけどね。根っこのところが。だからねちっこく聞いてきたのよ~。男連中は!」 「ハイ、すみま・せん」 「。。。あなたの言うとおり、腹が立つわね。聞いてると」 『声』を聞いたジャンヌはフランスを救うべく、紆余曲折を経て王太子のいるシノンへ向かいます。 次回は「王太子に話したこと、教えて~!」です。

      10
      テーマ:
  • 03 Feb
    • シェイクスピア 『ヘンリー六世 第一部』 (シェイクスピアの史劇7)

      名門の家に生まれたまことの紳士にして その家門の名誉をなにより重んじられるかたは、 私の主張するところに真実があるとお考えなら、 私とともにこの枝から白バラを手折っていただきたい。   リチャード・プランタジネット(『ヘンリー六世第一部』第二幕第四場) 『ヘンリー六世 第一部』は若くおとなしい王ヘンリー6世を巡る周囲の貴族たちの不和、争いと百年戦争の終わりを描いた作品です。 ↑クリックすると画像が拡大します 時代が主役 この劇はシェイクスピアの最初期に属する作品です。執筆者が複数だったという説もあり、中期や後期の作品と比べると、印象がだいぶ異なります。 登場人物の多さ、というか雑然さというか。 タイトルをしょっている6世王が出てくるのは劇の後半。即位したときは赤ん坊だったのですから無理もありません。名前がタイトルになっているのは主役だからではなく、彼が王であった時代の物語だから。 幼弱の王を補佐するのは叔父、大叔父たち。その中で一人、特にこれといった責任と権利を与えられなかったヘンリー・ボーフォートは、権勢欲から公明正大なイングランド摂政ハンフリーをなんとかして引き摺り下ろそうと、何かと対立します。 そしてランカスター家の王位簒奪の事実を知ったヨーク家のリチャード・プランタジネットはひそかに王位を狙い、同志を募ります。ハンフリーとヘンリー・ボーフォート、ランカスター同士の争いは前者に正義があると知りつつも傍観。もちろんランカスターの力が弱まるのを望んでいるからです。 フランスの戦場ではトールボットなど現場の指揮官、戦士たちが奮戦するも、フランス摂政のジョンの死、そして国内の貴族たちの不和、足の引っ張り合いにより戦略が混乱し、敗退してゆきます。 そしてここに出てくるのが乙女ジャンヌ。ジャンヌ・ダルク。この劇では彼女は魔女として描かれており、史実以上の働きでフランスを優位に導きます。 悲劇の勇者トールボットや乙女ジャンヌなど印象的な人物は出てきますが、フォルスタッフやヘンリー5世のような多面的な描かれ方はされておりません。 これを初期の作品ゆえの未熟さ、ととることもできますが、この当時のシェイクスピアは個々人のキャラクタを描くよりも、事件の推移、時代の流れ、イングランドという国が悩み苦しみ、やがて起こる内乱によって傷つくさまを描いたのだ、といえます。 日本で言えば『平家物語』や『太平記』みたいなものでしょうか。 平家にしても太平記にしても中心人物、主役といえる登場人物がいないわけではありませんが、むしろ滅び行く平家、混沌たる南北朝という事件や時代が主要テーマであります。 その混沌ぶりから『太平記』の方がこの劇にはより近いかもしれません。 『ヘンリー六世』は第一部から第三部まで三作あり、次の『リチャード三世』も連続した時代とテーマを扱っていますから、この四作でイングランドという国を主役として描きたかったのでしょう。 『リチャード三世』が史劇の中で特に著名なのはリチャード3世の圧倒的な存在感によるものなのですが、古代中国の桀王(けつおう;伝説の夏王朝最後の王)紂王(ちゅうおう;殷王朝最後の王)、わが国の武烈天皇(ぶれつてんのう)ようにあえて悪役に仕立てられた、次の王朝の正当性をうたうために悪いことはぜーんぶひっかぶせられたのでしょう。ただその悪役振りがまことに見事なために多くの人を惹きつけるのです。 リチャード3世についてはいずれまた。 トールボットと乙女ジャンヌ トールボットの名は『ヘンリー五世』の中で、あのアジンコートの戦い前にあった「聖クリスピアンの演説」の中にも出てきております(制作年代は『ヘンリー五世』の方が後ですので、当然といえばそうなのですが)。 勇猛果敢で有能な武人ですが、司令官である貴族たちの足の引っ張り合いにより援軍が得られず、まだ若き息子とともに無念の討ち死にを遂げます。 一方のジャンヌ・ダルク。今では聖女である彼女も当時のイングランドから見れば憎き悪魔の手先。恐ろしき魔女として描かれています。 とはいえ、現代広く知られているジャンヌの物語要素は大体使われています。 シャルル7世の宮殿で、彼女を試すためにわざと廷臣にまぎれていた王を見分けたこと、 神の名を叫んで王や兵士を導いたこと、 オルレアンの解放、など。 後半からは大きく異なって、史実以上に活躍しますが、悪霊たちに見捨てられ、魔力を失い、捕らえられます。処刑を逃れるために妊娠している、と言い張る始末。その相手は二転三転して最後にはシャルル7世まで引っ張り出しています。 私は戦場でこれだけ活躍したジャンヌを描いた作品を他に見たことはありません。 ですが今申しましたようにその扱われ方から、ジャンヌ・ダルクが好きな人はこの作品を読まないほうがよいでしょうね。 トールボットという正義の士がジャンヌという悪に打ち倒される。同様にイングランドでは公正な摂政ハンフリーが邪悪なヘンリー・ボーフォートによって破滅させられる。 まことにひどい状況です。イングランドがやがて悲惨な内戦に突入してゆくのが無理からぬこと、と思わせます。 ちなみに百年戦争の終結も描かれていますが、この作品では劣勢になったもののイングランドがシャルル7世を呼びつけ、「フランスの副王とする」、だから兵をひいてやる、というまことに勝手のよいものになっています。もちろんそんな事実はなかったのですが。 なのでイギリス人の中には「百年戦争はイングランドの勝利」と思っている人もいるそうです。 赤バラと白バラ ばら戦争。この優雅な名がつけられた、その実態は復讐が復讐を呼び、血で血を洗う悲惨な内戦はランカスター家とヨーク家の王位を巡る争いです。 『第一部』ではまだ内乱の兆しもありませんが、その名前の発端となった場面が描かれます。 『ヘンリー五世』で王の暗殺を企み、処刑されたケンブリッジ伯リチャード。その息子リチャード・プランタジネットは父と自分を揶揄するサマセット公と対立。おのおの庭園にある白バラ、赤バラを摘み取り、同志となるものに同じ色のバラをとるように呼びかけるのです。 こうして波乱含みのまま物語は『第二部』へと引き継がれてゆくのです。 次回はジャンヌ・ダルクを。 ◆冒頭の台詞は ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー六世 第一部 シェイクスピア全集 〔1〕 白水Uブックス より引用しました◆

      6
      テーマ:
  • 31 Jan
    • キャサリンの恋 (シェイクスピアの史劇)

      私、フランスの敵を愛すること、可能ですか?                キャサリン(『ヘンリー五世』第五幕第二場) フランス王女 キャサリン(フランス語読みでカトリーヌ)は1401年10月27日パリ生まれ。幼少期には修道院で教育を受けました。ハリー(ヘンリー5世)より14歳下で、1420年、英仏両王国の絆としてトロワの和約で彼と結婚したときはまだ19歳でした。 まったく関係がないのですが、この年齢差は豊臣秀吉とねね(お寧)の年齢差と同じです(13歳差、という説もあり)。 これは当時としては遅い結婚でした。ハリーの父母はそれぞれ14歳と12歳で結婚していますし、キャサリンの姉イザベルがリチャード2世に嫁いだのは7歳のときでした。イザベルの場合は当時でも早婚でしょうけれども。イザベルは1400年にはフランスに戻りやがてオルレアン公シャルルと結婚しますが、1410年、女子を出産するもわずか21歳でこの世を去りました。 イザベルはハリーの2歳下。年齢的につりあってますし、ハリーがリチャード2世の宮廷で生活してたこともあってハリーの初恋の人はイザベルだという説もあります。 事実ハリーの父ヘンリー4世はイザベルをハリーの后にしようともくろみました。しかし彼女は毅然としてこれを拒否。夫(リチャード2世)を死に追いやったのがヘンリー4世。ハリーはその跡継ぎなのですから。 そして彼女は夫の死を嘆きつつフランスへと戻りました。当時彼女は11歳。4世王も黙って見送るしかありませんでした。王にはリチャード2世を死に追いやった罪の意識があったからかもしれません。 ちなみに2番目の夫、オルレアン公シャルルはアジンコート(仏名アジャンクール)の戦いで捕虜となっています。 ↑クリックすると拡大画像がご覧になれます ハリーは26歳で王位についてから、キャサリンと結婚する33歳までずっと独身を通しています。彼の大きな課題は対フランス問題でしたから、自身の結婚にしても最も効果的な相手と時期を選んだのです。 実は彼がキャサリンと結婚するチャンスはもっと以前にありました。王位についてまもなく、フランスに対して工作を行っていた時期です。しかしその当時はキャサリンについてくる持参金はわずかなもの―ちっぽけな公爵領やらがいくつか、でしたから突っぱねたのです。 彼は自身の結婚ですら政治的な道具とみなしていたのですが、では彼がキャサリンに対して愛情を抱いていなかったかというとそうではありません。キャサリンの母、フランス王妃イザボー(英語読みでイザベルですが先出の姉イザベルと区別をつけるためイザボーで通します)より送られたキャサリンの肖像画を見てそのあまりの美しさにほれ込んでしまったといいます。そんな自分の感情を抑えて政略戦略を練ってゆくところがハリーのハリーたるところですね。先祖のリチャード1世やエドワード3世ならば自分の欲情を優先したでしょうが。 結婚後もハリーはこの若く美しい妻をいつくしみました。 では当のキャサリンはどうだったのでしょうか。 シェイクスピアの『ヘンリー五世』では彼女は二つの異なった側面を見せております。 最初に登場するのは第三幕。将来イングランド王妃になるのだから、と侍女アリスに英語を教えてもらっています(これがかなり笑えるのですが)。強いイングランドにあこがれる、無邪気な王女様といったところ。 ところが劇の締めくくり、第五幕になりますと、この記事の冒頭にも掲げましたように、「フランスの敵」イングランド王に少し距離を置いています。三幕では14歳、五幕では19歳になっていますから、少女から大人への心情の変化があらわれていて、なかなか面白いですね。 もちろんこれは創作なのですが、古い民謡にも 「私はイングランド王妃になるよりは フランスの兵士になりたい」 というものがあり、これはキャサリンがイングランドに嫁いでいったときのことを歌ったものだそうです。 こちらも彼女自身の心情というよりは敵国に嫁いでいった王女様を悲しんで見送った人々の声をあらわしているのでしょう。 本当の心情は本人にしかわかりませんが、多少の不安があったにせよ彼女は周囲が思っていたほど自分の境遇を嘆いてはいなかったと思います。夫であるハリーは明るい人柄で、周囲をぐいぐい引っ張ってゆくタイプですし、彼女はイングランドに嫁いだ、というよりはイングランド・フランス両王国の王者の妻になったのですから。 かやの外 1421年2月にキャサリンはウェストミンスター寺院でイングランド王妃として戴冠します。そしてその年の12月には、将来英仏二つの王冠を約束された男の子が生まれます(ヘンリー6世)。 しかし彼女の王妃としての滞在は短く、翌22年5月にはフランスの夫のもとへ。 そして8月にハリーはあっけない死をとげます。35歳。 ここでハリーの遅すぎた結婚が裏目に出てしまいます。 父4世王も決して長生きではありませんでしたが(享年46歳)、早くに結婚していたので、ハリーは父在世中から軍事政治両面で経験をつんでおりました。しかしハリーの息子はいまだ赤ん坊。 このような場合、中国の孫策→孫権、わが国の北条経時→時頼といったように兄から弟への引継ぎが一番よいのでしょうが、ヘンリー6世はトロワの和約により、生まれる前から英仏両国王として定められておりました。 そこで叔父、大叔父たちによる摂政グループが形成されます。本来ならキャサリンも国王の母として摂政に加わるか、あるいは姉イザベルのようにフランスに戻り再婚するところでしょう。 ところが摂政たちはキャサリンの介入を断固として退け、加えてフランスに戻ることすら許しませんでした。 ここにもハリーの早すぎる死の影響があります。 キャサリンが夫とともにイングランドに滞在したのは1年数ヶ月。ですからいまだイングランドになじんでいない、フランスの意向を汲む者とみなされたのです。フランス側も同じ。イングランド王妃となったキャサリンをイングランドの手先として冷ややかに見つめました。 こうして彼女は夫の死後、自分の子に会うこともままならず、自分の生国に戻ることもできず、どこにも身の置き所のない境遇となりました。 さすがに一国の王妃ですから、オックスフォードにほど近いウォリングフォードの城を与えられますが、城主とは名ばかり、厳しい監視の下に置かれました。異国で一人ぼっちになった彼女の心境はいかばかりか。 イングランド王妃にはしばしば監禁、軟禁の憂き目に会った人物がおります。プランタジネット家祖ヘンリー2世の妻エレナー(仏名エレノアール)も、恋愛結婚であったにもかかわらず、夫の晩年には15年にわたり監禁されています。逆にエドワード2世のように妻(これも名前がイザベル)に監禁、殺害された例もありますが。 納戸係オーウェン そんなキャサリンを救ってくれたのが、ハリーの家臣であり、その死後キャサリンの納戸役になったウェールズ人のオーウェン。 かれは1399年もしくは1400年の生まれですから、キャサリンとほぼ同い年でした。 後のばら戦争(ランカスター家とヨーク家の争い)における彼の行動から察するに、おそらく彼は目立たないけれど優しく誠実な人だったのではないでしょうか。傷心の未亡人を包み込み、癒してあげたのでしょう。二人の間には幼くして死んだ娘を含め6人の子供が生まれていますから、愛情深い夫婦だったでしょう。 しかしあろうことか摂政たちは1428年にキャサリンがいかなる人物とも再婚してはならないと一方的に決定します。この時彼らがオーウェンのことを知っていたかどうかはわかりませんが、1428年か29年には二人は秘密裏に結婚したといいます。 政治の道具とされ、異国の地で一人ぼっちだった彼女にも幸せが訪れたのでした。 ところが幸せというのは長く続かないものなのですね。二人の関係は人に知られることなり、1436年にオーウェンは投獄され、キャサリンは修道院に監禁されます。そして翌年、愛する人と引き離されたまま36歳の生涯を閉じました。 キャサリンがもう少し強い性格であったなら、その後半生は違ったものになっていたでしょう。 かつて姉イザベルは11歳で王の申し出を突っぱね、フランスへ帰ったのに。 母イザボーは頼りない夫に代わって、フランスを支配していたのに。 それでもおとなしい性格であったからこそオーウェンと出会い、その絆が深まったのかもしれません。 キャサリンとハリーの息子、ヘンリー6世は母の行動をどう思ったか。彼女が歴代の王族が眠るウェストミンスター寺院に葬られるのはずっと後のことです。 それでも父母を知らず、まわりは大人ばかりだった6世王にとって、異母弟たちは頼もしい存在だったのでしょう。爵位を授け、そして一般のウェールズ人として姓を持っていなかったこの一族にテューダーという名を与えます。 彼らテューダー一族はランカスター庶流としてばら戦争で活躍するのです。 そしてばら戦争をおさめイングランドに絶対王政を築いたのは、オーウェンとキャサリンの孫ヘンリー・テューダー(ヘンリー7世)。かのエリザベス1世はテューダー朝の最後女王であります。 キャサリンの血は二つの王家に流れているのです。 王妃と結ばれたオーウェン・テューダーもばら戦争で奮戦しますが、1461年にヨーク側につかまり、処刑されました。 彼の最後の言葉は 「かつては王妃の膝にあったわが頭が、やがてはかごの中に落ちるのか」 であったと伝えられています。 ◆冒頭のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー五世 シェイクスピア全集 〔19〕 白水Uブックス より引用しました◆ 次回は『ヘンリー六世 第一部』です。いよいよジャンヌ・ダルクが登場!

      9
      テーマ:
  • 29 Jan
    • ヘンリー5世の魅力 (シェイクスピアの史劇)

      2006年最初のシェイクスピア記事です。 ちょっとご無沙汰だったので、自分自身で過去の記事を読んでました。 う~ん。。。 シェイクスピアというより、明らかにヘンリー5世の記事になっちゃってますね。ヘンリー5世を扱っていない記事でも、『ヘンリー五世』からのセリフの引用が多いし。 以前書いた「歴史バトン 」でもヘンリー5世の話ばかりしておりました。そこで 「そんな彼の短く、激しい生涯をいつか書いてみたいです」 とか 「日本では彼の個人的な評伝や小説はないですが」 なんて偉そうに書いちゃってましたけれど、ゴメンナサイ。もうすでに書いていらっしゃる方が。実はこんな魅力的なサイトを見つけちゃいました。 Foolscap 山川慧さん描く小説のサイト。すごいですよお。 ヘンリー5世の皇太子時代を扱ったフィクション、『ハル&デイヴィッド』をはじめ、ホームズもの、三銃士ものなど読み応え十分。 『ハル&デイヴィッド』のすごいところ、それは史実と虚構の絶妙なる配分にあると私は思っております。 実は英米ではヘンリー5世を扱ったネット小説は結構あるのです。日本で言えば織田信長に匹敵する人気がありますからね。もちろん私はその全てを読んでないのですが、私が読んだ大部分はシェイクスピアのイメージを脱却できないでいる。さすがに出版されているものはそうではないですが。 「ハルデヴィ」(略称。多くのファンの方からそう呼ばれて親しまれてます)ではタイトルにも出てくるデイヴィッド・ギブスンはじめ慧さんのオリジナルキャラクタが歴史上の人物に絶妙に絡んでいる。 歴史ものではよく架空のキャラクタが出てきますけれども、その描き方は難しい。大河ドラマでもよく出てきますよね。昨今の大河ドラマは妙に現代的な国際視野を持った人物や、妙に庶民的過ぎる人物が出てきて私は好きになれんのです。うそ臭い。浮いちゃってる。浮きまくっちゃってる。で、物語世界を壊しちゃってるんですね。 (大河ドラマファンの方、ゴメンナサイ) ところが慧さんの小説では、彼らオリジナルキャラに無理がない。で、シェイクスピアとはまた異なった、魅力あふれるハル王子が生き生きと活躍しているんですね。 フォルスタッフなどおなじみの面々も登場してますから、フォルスタッフファンの人も読んでみてください。 慧さんもハル王子が好きなのだなあ、と勝手に親近感抱いちゃってます。 私にとってヘンリー5世は大人になってから知った英雄。 子供の頃はウルトラセブンをはじめとしたヒーローに純粋に憧れていたのです。歴史に親しんだそもそものきっかけも源義経の伝記を読んだことでしたから。 ですが長じるにしたがってだんだんすれてくる。一つには自分がそういったヒーローにはなれない、という挫折があるのでしょう。私が名前を借りたジョゼフ・フーシェ。彼はヒーローではありません。天才ですけれども。以前ご紹介した徳川宗春。彼は政治家としてはライバルの吉宗に遠く及ばない存在でした。 そういえば思春期には源頼家や小早川秀秋など若くして失敗、破滅した人物に肩入れしていました。 そんな中で出会ったヘンリー5世。久しぶりにわくわくしましたねえ。世界にはまだまだ凄い人間がおるもんやなあと。まあ、自分が知らなかっただけなんですけれども。久々に少年の心を取り戻せたような気がします。 とはいえヘンリー5世を手放しで賞賛しているわけではありません(ややそのきらいはありますが)。 彼はフランスにとっては侵略者でしたし、彼のとった戦法によってフランスの国土が荒れたのも事実です。 彼の描いた英仏二重王国は歴史の大きな流れから見れば微妙な存在です。とはいえ一概に否定できるものでもありませぬが。 さてさて。 その5世王は死に、百年戦争はシャルル7世とジャンヌダルクの時代へと変わってゆきます。 ですがその前に、若くして残された王妃キャサリン(カトリーヌ)のその後を見てゆきたいと思います。 次回は「キャサリンの恋」です。

      2
      テーマ:
  • 20 Dec
    • シェイクスピア 『ウィンザーの陽気な女房たち』 (シェイクスピアの「現代劇」)

      フォルスタッフこそはシェイクスピアの創造した最高傑作である オーソン・ウェルズ *ところでこのクリスマススキンのサンタさん、フォルスタッフみたいな体型ですね! どうもペースがゆっくりになっちゃいました。 皆様、長い間お休みしまして誠に申し訳ありませんでした。 妻もなく子もなく、財産もなく、親に何も報いることのできない私ですが、こうやって書き続けることが私の存在証明であるのだと、感じます。 趣味で書いてものゆえ、それほどたいそうなことは言えませぬが。 私と同じように人並みの家庭を持つことなく、不良老人として生涯を終えたフォルスタッフ。いい年こいても食欲色欲の塊で、口ばかり達者なこの男。ハル王子(ヘンリー5世)の悪友、いやさ、名君になるための引き立て役だったはずのこの男は、当時から絶大なる人気を誇っておりました。当時のロンドン市民ばかりでなく、女王エリザベスや近現代の知識人もまた彼に惹きこまれたのです。 名優オーソン・ウェルズもその一人で、彼自身が監督、脚本、主演をこなした『真夜中の鐘』ではフォルスタッフを嬉々として演じています。ウェルズはオリヴィエを意識していたのでしょうか。オリヴィエと同じくシェイクスピア3作を監督、主演しております。『マクベス』、『オセロー』、そしてこの『真夜中の鐘』。前2作がそれぞれ1作ごとの映画化であるのに対し、『真夜中の鐘』はフォルスタッフの出てくるシェイクスピア3作品をたくみに融合させたものです。 その3つとは『ヘンリー四世』第一部、第二部、そして『ウィンザーの陽気な女房たち』。 『ウィンザーの陽気な女房たち』はこれまたフォルスタッフの魅力にとりつかれた女王エリザベスの 「今度はフォルスタッフの恋物語が見たい」 との言葉に、シェイクスピアがわずか10日ほどで書き上げたという作品。もっともこのお話、どこまで本当のことかはっきりしていないそうです。 ともあれ、女王までがフォルスタッフのファンであったことは事実のようで、シェイクスピアが心底人々を喜ばせるためにこの作品を書いたであろうことは作品を読んでみれば分かります。 フォルスタッフとその子分をはじめおなじみの面々が15世紀のロンドンではなく、16世紀末、すなわちシェイクスピア時代のウィンザーを舞台に活躍いたします。 「恋物語を。彼の恋する姿が見たい」 との女王の注文でしたけれども、この老騎士が恋にうつつを抜かしている姿はやはり様にならないのか、シェイクスピア描いたのは、色事氏を気取って人妻(それも適齢期の娘がいる中年のご婦人)二人、「ウィンザーの陽気な女房たち」を手玉に取ろうとするフォルスタッフ。もちろん彼のたくらみは相手にバレバレ。逆に彼女たちにこっぴどくからかわれてしまいます。 そうこなくっちゃね。フォルスタッフだもの。 思えばハルとの付き合いの中でもしょっちゅう王子にからかわれてましたっけ。 フォルスタッフを逆にやり込める女房たちも、その旦那たちも、出てくる人物は田舎判事や郷士、宿屋の主人にフランス人の医者、ウェールズ人の神父といった具合にみんな「庶民」。 他の劇のように王侯貴族や将軍といった輝かしい人々は出てきません。そこが逆にこの劇の魅力なのでしょう。 私はこの劇を読んで何度も笑ってしまいました。まるで吉本やドリフのようなドタバタ、駄洒落が出てくるのですから。 フランス人やウェールズ人のなまりを徹底的に笑い飛ばしてます。小田島さんの訳ではズーズー弁などを駆使して笑わせてくれます。まるでドリフのカトちゃんみたいですね。 何度も申していますが、シェイクスピアは実に下品で卑猥でしょーもないこと言いのオッサンです。 もちろん『ハムレット』や『リア王』などには高尚なテーマがあるんですけれども、それら作品でも駄洒落や下ネタを忘れてはいません。 シェイクスピアなんて難しいな、なんて思ってる方がいらっしゃったら是非この作品を読んでみてください。 ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ウィンザーの陽気な女房たち シェイクスピア全集 〔18〕 白水Uブックス ウィリアム シェイクスピア, William Shakespeare, 松岡 和子 ウィンザーの陽気な女房たち―シェイクスピア全集〈9〉

      6
      テーマ:
  • 12 Nov
    • 夢の終わり (ヘンリー5世 その10)

      ああ、ヘンリー五世王、 彼の名声があまりに高かったため、いのちは短かった。 イングランドがこれほど偉大な王を失ったことはない。 ベッドフォード(『ヘンリー六世 第一部』第一幕第一場) トロワの和約により、ハリー(ヘンリー5世)の目的はほぼ達成されました。彼の祖先が数十年かけても達成できなかったことを。 彼はいまや西欧キリスト教君主の中心的な存在となっていました。ドイツ皇帝ジギスムントとともに教会大分裂統合に尽力したことはすでにお話しました。彼の次なる夢は東方遠く、聖地エルサレムの奪還でした。 すでに東方に使節を派遣したりしています。 しかしそんな彼の思いとは裏腹にイングランドのフランス支配はうまくいきませんでした。 和平条約を結んだといってもそれはあくまでフランスの一部の勢力と結んだだけのこと。南フランスはハリーの王位継承を認めない王太子シャルル(後のシャルル7世)が支配しています。そして土地に根を張り生きている多くの人々にとっては会いかわらず戦乱の日々が続きました。 また戦争の規模が拡大、王権が強まるにつれ、戦争や国の性質も変わってきました。すでに先祖たちが演じてきたような単なる王侯貴族の所領争いではなくなってきたのです。 ハリーが庶民派として、英語の使用を通じて纏め上げたイングランドの国民性。同じくフランスでも相次ぐ戦いに徐々にではありますが「フランス人」という意識が芽生えてきました。それは19世紀以降のナショナリズムから比べればまことに素朴なものでしたけれども、フランス語を話す人間にとって、どうせなら同じフランス人による支配のほうがましだったのでしょう、何々家の所領、領民、ではなく、「フランス人」という意識が生まれたのです。後年ジャンヌ・ダルクを突き動かした感情がまだほんのか細い流れではありますが、形成されつつあったのです。 そんな中、1421年にはハリーのすぐ下の弟、クラレンス公トマスがフランスで戦死してしまいます。ハリーはつかの間のイングランド滞在を早々に切り上げ、身重の妻を残してみたびフランス遠征に乗り出します。 そしてこれが彼の最後の遠征となったのでした。 当時の遠征は、黒太子エドワードもそうでしたが、非常に不衛生で病気にかかりやすい環境でありました。ハリー自身、最初のフランス遠征でハーフラー攻略が長引いたため、陣中に病気が蔓延したという経験を持ちます。 1421年の冬、ハリーはパリのすぐ近く、モーを包囲攻略中に健康を害し、翌22年8月31日、ヴァンセヌスで赤痢により死亡しました。35歳。 それは彼にフランスの王冠を約束した「父」である仏王シャルル6世よりも2ヶ月早い死でした。こうしてイングランド・フランス、二つの王冠は彼の幼き息子ヘンリー6世に残されたのです。 死にあたって、叔父ヘンリーとトマスのボーフォート兄弟を王の顧問に、三弟ベッドフォード公ジョンをフランス摂政に、そして末弟グロスター公ハンフリーをイングランド摂政に任じ、後を託しました。 彼の最後の言葉は 主よ! 私の願いはエルサレム解放であったのに! であったと伝えられています。 彼は貴族・豪族階級や騎士道にこだわらず、商人階級と結び英語の使用を奨励するなど、それまでの中世君主とは異なった面も持っていましたが、神と教会に忠実で十字軍を熱望するなど、いまだ中世人の意識から抜けきれない面も持っていました。 いわば彼は過渡期の人間だったのです。 彼の築き上げた英仏連合王国は彼の死後数十年で崩壊してゆきます。「乙女」ジャンヌがオルレアンを解放するのが1429年。ハリーの死後7年目のこと。 そして1453年10月19日のボルドー陥落により、イングランドはカレーを残してすべてのフランス領土を失うのです。こうして長きにわたった「百年戦争」は終わりました(カレーは1558年までイングランド領であり、イングランド王はその後も「フランス王」を名乗っていましたが)。 『ヘンリー六世 第一部』の冒頭ではハリーの葬儀のさなかに次々とフランス領土喪失の使者が来ます。本当はそれは数十年にわたるできごとなのですが、現代から見ればこの劇のようにあれよあれよという間のことに思えます。まさにハリーが築き上げ、ハリーの死とともに崩れていったのでした。それはフランスの巻き返しもあったでしょうが、イングランド内部の混乱も大きくかかわっています。 なにより誰もが予想しなかった、自分でもまさかという、ハリーの死でした。彼の軍事的才能、貴族や商人などさまざまな階層と交われるバランス能力、そして現実的なものの見方。それらすべてを受け継ぐものは誰もおらず、またそれらを分担して受け継がせることもできぬ間の死でした。 それでは一体、ハリーがやったことは何だったのでしょうか。 彼が築き上げたものがすべて失われてしまったのなら、彼の成し遂げたことは時代錯誤の茶番だったのでしょうか。 彼の夢見た十字軍、エルサレム解放もその後実現されることなく、1453年にはコンスタンティノープルが陥落し、エルサレムはおろか、バルカン半島もムスリムの領土となります。 時代はもはや王侯貴族が自分の領土を遠く離れて汎ヨーロッパ的に活動して回る中世を過ぎ、足元をしっかり固め、国家を形成する近世へとかわりつつあったのです。 しかしそれでもハリーの成し遂げたことは決して無意味ではない。今日のイギリス、フランスの国家形成に役立ったと思います。 彼が上からまとめようとしたイングランドの国民性。彼の遠征により、下から形成されたフランスの国民性。 ハリーがいなければジャンヌ・ダルクも「声」を聞くことなく、羊の番をしながら生涯を終えたのではないでしょうか。 「たら・れば」を重ねすぎるともはや歴史ではなく願望になってしまうでしょうが、私にはそう思えます。 ◆冒頭のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー六世 第一部 シェイクスピア全集 〔1〕 白水Uブックス より引用しました◆

      7
      テーマ:
  • 11 Nov
    • キャサリン (ヘンリー5世 その9)

      私、フランスの敵を愛すること、可能ですか?                キャサリン(『ヘンリー五世』第五幕第二場) 1417年から始まった二度目のフランス遠征の結果、イングランドはフランスの北部大半を所有することになりました。 1417年にはノルマンディーを、そして1419年までにはルーアンを攻略。パリ城壁まで迫ります。 1420年のフランス ↑ピンクがイングランド領、緑がブルゴーニュ公国(クリックで拡大します) ことここにいたってもフランス宮廷は二派に分かれて互いに争っていました。 ハリー(ヘンリー5世)にとっては好都合。彼はブルゴーニュ派と連絡を取り、同盟を結びます。 当時ブルゴーニュはフランドル地方(現在のオランダ、ベルギー)も手に入れ、フランスから半ば独立していました。フランドルは工業地帯。そのフランドルの毛織物はイングランドより羊毛を輸入して作られていましたから、昔からイングランドとのつながりが強かったのです。 1420年、パリを支配したブルゴーニュ派とイングランドはフランス王シャルル6世と和平条約を結びます。 これが『ヘンリー五世』のラストを飾る、トロワの和約です。 シャルル6世の王位を認め、生存中はフランス国王とする ハリーはシャルルの娘キャサリン(カトリーヌ)と結婚する ハリーはシャルルの息子となり、ハリーとその子孫にフランス王位継承権を認める シャルル生存中はハリーが摂政となる またイングランド獲得地も正式に認められることとなりました。 この時点でシャルル6世にはシャルル王太子(後のシャルル7世)がおりましたが、廃嫡となりました。 もっともシャルル6世は精神不安定でまともに政治ができない有様。ですからトロワの和約も実際にはハリー、ブルゴーニュ公フィリップ、そして王妃イザベル(イザボー)の合意によるもの。 この条約を見る限り、イングランドの全面勝利であり、百年戦争も終結したかのように見えます。 シェイクスピアも『ヘンリー五世』をここで終えていますので、イギリス人の中には百年戦争はイングランドの勝利と思い込んでいる人もいるそうです。 ですが廃嫡されたシャルルが黙っていません。依然として南仏に勢力を保ち、イングランドと敵対します。 イザベルはなぜ実の息子を見捨てたのでしょうか。 彼女は誠に恋多き女性で、何人もの愛人がいました。それで王太子シャルル(廃嫡された以上「王太子」ではないのですが、父と同じ名前でややこしいので「王太子」で通します)も自分の出生に疑問を持ったと言います。 彼女には昔から不誠実な女性というイメージがありますが、彼女にしてみれば自然の情に従ったまでなのでしょう。当時結婚と恋愛は完全に別物でしたから(たまに一致した例もありますが)。しかも夫は精神に異常をきたしていたのです。もっともシャルル6世発狂の原因は王妃の浮気現場を見たからだ、という説もあります。 それに王太子シャルルもキャサリンも同じ自分の子。息子が後を継げばかぶる王冠は一つだけですが、娘とハリーが継げば、生まれてくる孫は二つの王冠をかぶることになるのです。 こういった事情を考えれば、彼女の行動も一概に非難されるものではないでしょう。 キャサリンは1401年生まれですから当時19歳。ハリーより14歳年下です。 姉にリチャード2世の王妃となったイザベルがいます。この姉は7歳でリチャードに嫁ぎ、10歳でリチャード廃位によりフランスに戻り、後にオルレアン公シャルルと再婚しました。ちなみにオルレアン公はアジンコートで捕虜となっています。 当初は姉イザベルがハリーのお嫁さん候補だったという説もあります。1409年に20歳で亡くなった彼女、ハリーとほぼ同年でリチャードの宮廷でも仲良くしていたので、そこからこの説が出たのでしょう。 ともあれ、ハリーはフランス遠征前からキャサリンとフランス王冠を要求。ここに見事成就させたのです。 『ヘンリー五世』第五幕第二場にはハリーがキャサリンに求婚する場面があります。切々と恋を訴えるハリーと英語がほとんど分からないキャサリンのやりとりが微笑ましいです。 冒頭のセリフ、「フランスの敵(=ハリー)を愛せるか」にハリーは次のように答えています。 いや、ケート、きみがフランスの敵を愛することは不可能だ。だがわたしを愛することはフランスの友人を愛することだ、わたしはフランスを愛するあまり、その村一つでも手放す気はなく、すべてをわたしのものにしたいと思っているのだから。          (第五幕第二場) わたしはここを読んでいつも「うまいなあ」と感心してしまうのです。 相手の問いに対して否定することをせず、一旦すべてを丸呑みにして、「いや、実はね」と持っていく。すぐれた会話術だと思います。 ですがこのセリフ、あくまで征服者、王者のセリフですね。しかもハリーはこんなことを言わなくてもキャサリンを手に入れることが出来る立場にあります。もちろんこのセリフはフィクションなのですけれど、史実でもハリーはキャサリンに夢中になっていたらしいのです。 プランタジネット家は、というよりイギリス王家は、代々好色家が多かった家系であります。 ハリーの祖父ジョンも、曽祖父エドワード3世も愛人を作っています。 ところがハリーにはそういった存在がいないのです。これはこれで奇妙なこと。なぜなら彼が王位に就いた時にすでに26歳。キャサリンにと結婚したときは33歳。それまでずっと独り身だったのです。 とはいえこれは記録に残るような女性がいなかった、ということで、おそらくは記録に残らないような女性、つまり農夫か商人かの娘を愛していたのだろうというのがもっぱらの見方です。あるいは彼の生まれた地、ウェールズの娘だったかもしれません。いずれにせよ王妃となれる身分ではなく、記録に残っていません。 そして王位についた後はそういった女性はいなかったようです。 (この部分は私自身がまだ資料を読み取れなくて、はっきりわかりません) ハリーは戦争好きというイメージがありますが、一方で音楽を愛し、芸術家を保護するなど優しい一面も見受けられます。彼は結婚後、妻を心から愛し可愛がったのでした。 1421年には息子ヘンリーが生まれています。 しかしハリーが自分の息子を見ることは一度もありませんでした。 ◆本文中のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー五世 シェイクスピア全集 〔19〕 白水Uブックス より引用しました◆

      テーマ:
  • 10 Nov
    • 叔父ボーフォートと皇帝ジギスムント (ヘンリー5世 その8)

      全世界の国王、帝王たちは心を一つにして、 陛下がその血を受け継がれておられるご先祖たち同様、 獅子吼して立ち上がられることを期待しておりますぞ。 エクセター公(『ヘンリー五世』 第一幕第二場) アジンコートの勝利でハリー(ヘンリー5世)の名声は高まりました。 しかし一度の野戦で片がつくほどフランスはやわではありませんし、英仏両国の因縁もそれほど単純ではありません。 ハリーは生涯で3度フランス遠征を行っております。そしてフランス内でイングランドの優位が確定するのは2度目の遠征と外交努力によるものでした。1417年から19年にかけて行われたこの2回目の遠征では、アジンコートのような派手な会戦は無いものの、じっくりと腰をすえフランス領内のノルマンディーやルーアンを攻略してゆきます。 つまりハリーはその治世中ほとんどイングランドを留守にしていたわけです。彼がイングランドにいた期間は獅子心王リチャード(1世)と同じくらい短かったと言います。ですがリチャードとは違って彼が不在でもイングランド国内は平穏でした。 一つにはサザンプトンの陰謀に対する処置やロラード派に対する処置のように、たとえかつての僚友であっても反対者には手早く厳罰をもって臨んだこと。そして二つ目には議会(貴族や僧侶で構成された国王の諮問機関)が彼によく協力してくれたことにあります。 この議会を牛耳っていたのがウィンチェスター司教のヘンリー・ボーフォート。彼はジョン・オブ・ゴーントの庶子でハリーの叔父に当たります(冒頭のセリフの主、エクセター公トマスもボーフォート。ヘンリーの末弟に当たります。ヘンリーが政治面でハリーを助けたように、トマスは軍事面でのよきアドヴァイザーでした)。この叔父は少年時代のハリーの学問の師であり、皇太子時代からは政治上の盟友でありました。彼はヘンリー4世、ハリー、そしてハリーの子ヘンリー6世の三代にわたってイングランド内政に活躍しました。 前回書きましたようにハリーはフランス内での略奪を禁じています。 それが可能だったのはハリー自身のカリスマによるところも大きいですが、彼が兵士たちに気前よく給料を払い、食事を与えたことも見逃せません。 かつてヘンリー・パーシー(ホットスパー)がヘンリー4世から離れていったきっかけが兵への給与支払い、物資の配給に対する不満からでした。 ハリーは叔父がよく国内を治め議会をコントロールしていたので充分な遠征資金を得ることができ、兵を管理することができたのです。無論議会がコントロールできたのにもアジンコートの戦勝が大きくものを言ったのですが。 一方でハリーは外交努力も重ねています。 神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントを介してフランスと和平を結ぼうとしましたが、これは失敗。しかしドイツの諸勢力の介入を防ぐことはできました。 この「神聖ローマ帝国」というのは、簡単に言えば中世のドイツ国家のことです。「神聖」というのはキリスト教国家であることを、「ローマ帝国」という名はカール大帝の理念を受け継ぐ、汎ヨーロッパ的な権力であることを示しています。ですが実際に支配していたのは本国のドイツとイタリアの一部。ローマが首都であったわけでもありません。 ですから古代ローマ帝国のような広大で強力な帝国であったわけではないのです。 この国名は、かなり強引な例えですが、かつての「ソビエト連邦」に近いネーミングと考えることができます。「ソビエト」とは地名ではなく「評議会」という意味のロシア語で、ソ連が兵士と農民の評議会からスタートした社会主義国家であることを示しています。同じように「神聖ローマ」帝国も具体的な地名を示しているのではなく、帝国の理念を示しているわけです。 ジギスムントは1414年にコンスタンツ公会議を提唱。この会議は1417年に当時分裂していた教皇庁を一つにまとめました。 ハリーも早くから教会の分裂には悩み、ロラード派など改革派の「異端」に悩んでおりましたから、ジギスムントと協力。ローマ教皇庁統一に一役買っております。 このようにイングランドやフランス、ドイツといった枠を超え、キリスト教会全体をひとつの世界と見なすのは中世人の意識で、そういった点ではハリーも確かに時代の子でありました。彼の遠大なる夢は聖地エルサレム奪回でありましたから。 その一方で英語の使用を奨励したり商人を保護するなど、イングランドという国家のアイデンティティ確立に腐心した点で、後に続く絶対君主、国民国家リーダーのはしりでもありました。 ◆本文中のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー五世 シェイクスピア全集 〔19〕 白水Uブックス より引用しました◆

      4
      テーマ:
AD

ランキング

このブログはランキングに参加していません。

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。