• 22 Feb
    • 長塚隆二 『政治のカメレオン ジョゼフ・フーシェ』

      日記と手紙と回顧録からのぞいた素顔は熱中先生 長塚 隆二 政治のカメレオン ジョゼフ・フーシェ―ナポレオンも怖れた男 『熱中時代』。水谷豊さん主演の、1978年に放映された学園ドラマであります。「金八先生」より前ですね。学園といっても、舞台は小学校。 オープニング主題歌は「ぼくの先生はフィーバー」。なんとCD発売されております。どこかのテレビ番組で使っているのかな。 原田潤, 橋本淳, 大坪直樹, 若草恵 ぼくの先生はフィーバー 「フィーバー」という言葉が時代を感じさせますね。 この主題歌をバックに、最初にタイトルロゴと、びっしりと手書きの字で「熱中時代」と書かれた漢字ノートが映し出されます。 昔は小学校で、こうして漢字ノートにびっしり書かされたんですよね。今はどうなのかな。少なくとも私が見ていた子供さんは、そういった宿題はなかったようです。 学園ドラマの先生ですから、タイトル通り、とてもまっすぐな先生でした。子供たちにもよく慕われて。一説によると、この番組の成功が金八先生を生み出したといいます。 ジョゼフ・フーシェ(1759~1820)―後にナポレオンにすら恐れられた警察大臣の、最初の職業は教師でした。それもきわめて教育熱心な。担当科目が数学と物理。当時の必修科目だった進学やラテン語と違い、選択科目だったそうですが、それゆえか、カリキュラムにこだわらぬ型破りな先生だったらしいです。当時は科学の発展期でもありました。モンゴルフィエ兄弟が気球を飛ばしたのもこの時代ですし、質量保存の法則を発見したラボアジェは革命の渦に巻き込まれ、ギロチンで処刑されています。革命前のフーシェ先生は、やや理系おたくだったようですが、友人と気球を飛ばしてみたり、生徒たちに実験を見せたりして、子供たちには人気があったそうです。まさに熱中先生ですね。 彼は後に校長にもなるのですが、やはり熱心な教育者で、教育に関する改革案などを提出しています。 子供たちとのつながりは強く、後に警察大臣として活躍する彼の部下の中にもかつての教え子がいたそうです。 フーシェといえば稀代の変節漢で、どんな時にも冷静沈着、常になんらかの陰謀をたくらんでいた、そんなイメージからは想像もつかないですね。この「フランス最強の頭脳にして、偉大なる変節漢」はバルザックが発掘し、ツワイクが定着させたものです。そしてディクスン・カーもそんな悪の知性に魅了されました。ですがツワイクの作品中でも、フーシェは熱心な教師であったこと、権力の座についても、自分を風刺した劇の上演を黙認したばかりか観劇して楽しんだことなど、けっこう茶目っ気があることも言及しています。 長塚さんは同時代の日記やフーシェ自身も含む同時代人の回顧録、手紙、記録などをたんねんに調べて、彼の実像に迫っています。それらを通じて、やはり彼にも若い時代、若さゆえの過ちや行き過ぎがあったのだなあとわかり、なぜかほっとするのです。 歴史の舞台に出た(国民公会議員となった)後の彼も、本書からは、今まで語られたような冷たい変節漢ではなく、熱中先生のような、熱中ゆえの過ちも犯した政治家としてのイメージが浮かび上がるのです。 ツワイクは、常に計算を働かせ、先を読み、常に多数派にとどまる彼の狡知を描きましたけれども、その最もたるルイ16世の裁判投票―国民公会議員全員が、議会においてルイの死刑の賛否を表明する―においても、当時の記録を調べ、決してそうではなかったことを証明しています。そしてフランス国内で誰よりも強い知性をもっていたこの男が、国王処刑の賛成票を投じたことが、その一生の足枷になったと、彼の行動原理をそう説明されています。 その説明が妥当であるかどうかはともかく、私たちはフーシェという一個人を、フランス史上最強の警察大臣であったという結果から眺めるのではなく、青年から老年へと、彼と歩みを同じくして眺めることができるのです。 私も以前書きました、彼の結婚について。 彼の妻ジャンヌ(1763~1812 本書ではもうちょっと詳しくボンヌ・ジャンヌ)、フーシェについて書く人が必ず「醜い」と評した彼女ですが、一枚も肖像が残っていないことから、やはり自分の容貌に自信がなかったのだろうということです。しかしその結婚は、従来言われているような財産目当てではなかろう、なぜならフーシェ家には革命で減ったとはいえ、相応の財産があったのだからと。 フーシェとジャンヌの結婚は、当時の市民階級で広がりつつあった恋愛結婚だったのですね。これまたフーシェの素顔に触れたような気がしてほっとしました。 フーシェ33歳。ジャンヌ29歳。二人とも晩婚ですね。 二人の間には1793年から1803年にかけて7人の子供が生まれました。そのうち3人は不幸にも成人する前に亡くなっています。これはツワイクはじめ誰でもが認めていることですが、フーシェはこの妻と子供たちを非常に愛し、大切にしました。そこをもう少し掘り下げて欲しかったのですが。。。フーシェの家庭生活にはほとんどページを割かれておりませんが、面白いエピソードを紹介してくおられます。 フーシェの長男が人前でそそう(お漏らし)をしたんですね。それも赤ん坊ではなく、かなり大きくなってからだそうです。ということは6~7歳かな。ところが、その時フーシェもジャンヌも叱るどころか目を細めて 「子供にはのびのびと育って欲しい」 と言ったのだそうです。私はこのくだりを読んだときに、一茂君が泥んこのままで家に上がってきても目を細めていたという長嶋茂雄さんを思い出しましたね。 「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」 というのは某ハムのCMでしたけれども、その是非はともかく、フーシェも長島さんも、子煩悩だったんでしょうね。 先日亡くなった私の父もそうでしたが、子供のころから家族から引き離され、暮らしてきたゆえに余計に家庭のぬくもりが欲しかったのでしょう。 ジャンヌの活躍について以前書きましたのでコチラ を参照してください。 以前は後妻について、さんざ悪く書きました。申し訳ありません。本書を読んで認識を新たにしました。 フーシェの二番目の妻エルネスティーヌ(1788~1850)についても、他書より詳しくかかれております。私はこの本で彼女の肖像画をはじめて見ました。 目が大きく童顔で、美しいというよりは可愛い顔でした。フーシェの末娘で、90歳まで生きたジョゼフィーヌ(1803~1893)の証言も載っておりまして、やはり彼女は美人ではなく可愛いタイプだったようです。そしてツワイクが書き残したような、また以前私が書いたような、財産目当ての享楽的な女性ではなく、おとなしい人だったと。若い日の彼女は知らないでしょうけれども、そういう証言が残っているんですね。 ボンヌ・ジャンヌに先立たれ、傷心のフーシェにとって、彼女は安らぎを与える存在だった。そのことが私をほっとさせました。フーシェはライバルタレーランのような貴族ではなく、市民階級出身。それゆえ最初の結婚も、二度目の結婚も、地位や財産目当てではなく、人と人とのつながりを重視したのでしょうね。 いろいろ調べてみたのですが、二人の結婚は1815年とするものと、1818年とする二つの説があります。1818年というと、フーシェはフランスを追放されてますから、おかしいので本書では15年説。でもなぜか外国では18年説の方が多い。 1815年とするとフーシェは56歳、エルネスティーヌは27歳で、当時としてはオールドミスです。 彼女は地味な性格だったようです。結婚後すぐに失脚し、国外追放になった夫とともに各地を転々としましたが、彼女は夫によく仕え、子供たちにも愛情を注ぎました。本書では彼女の家族宛の手紙も紹介されており、それには若い貴族とのゴシップが立ち、世間の目が冷たくなったことに対する不平が書かれているのですが、その不平が初めてのものだったとありますので、そこからも彼女の我慢強さが伺えます。ちなみにそのゴシップが本当であったかどうかは、本書には書かれておりません。 フーシェが死のまぎわに彼女に言った言葉が、私を涙させます。 「もうフランスに帰っていいんだよ」 今までよく付き従ってくれた。子供たちの世話もよくしてくれた。だけどあなたはまだ若い(当時32)のだから、私が死んだ後は自由にしなさい。あなたの人生を歩みなさい。 彼女がその後どうしたのか、本書に書かれておりません。 1850年に死んだとのみ書かれております。

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  • 18 Feb
    • シェイクスピア 『オセロー』 (ネタバレ含)

      おそらく肌の色が黒く、 やさ男の優雅な物腰をもちあわせないために あるいは年がそろそろ峠を越えたために― たいして越えてはいないのだが―あの女は 離れていった。おれはあざむかれた。おれの救いは あの女を憎むことにしかない。             オセロー(『オセロー』第三幕第三場) 私が小学生の時に発売され、瞬く間に世界に広まっていったボードゲームがありました。オセロ(Othello)です。 ルールはとても簡単で、小学生だった私でもすぐにプレイできた半面、運やイカサマが入る要素はなく、純粋に知的にプレイできるという、大変完成度の高いゲーム。深緑色の盤と、厚手で両面を黒白に塗り分けられたプラスティックの石は、子供心にかっこよく見え、それを持っている子は周りからうらやましがられました。 日本人が考案した、ということで話題になり、小学館の学年雑誌などで、開発エピソードが漫画で紹介されていました。それによると、「オセロ」という名前は、黒人の将軍と白人の妻の関係がめまぐるしく変わる、シェイクスピアの劇にちなんだ、ということでした。私はここでシェイクスピア(の名前)に出会ったのです。 主人公である黒人将軍の名前はオセロー(Othello)。ただし劇中は黒人という表記はなく、「ムーア人」となっています。このムーア人が黒人なのか、アラブ人なのか、あるいはその混血なのかは議論が分かれておりまして、役者さんも演じるにあたって黒く塗ったり、褐色に塗ったりしています。もちろん黒人がそのまま演じる場合もあります。ですがその違いはあまり重要ではありません。ともかく彼はヴェネチア共和国(ベニス;イタリアの都市名)の傭兵として、数々の武勲をあげ、キプロス島の総督に任じられるほど、政府の信頼を受けていました。 彼の妻はデズデモーナ。ヴェネチアの貴族の娘です。オセローの武勇談やそれに伴う孤独な半生の話を聞くうち、彼を愛し始め、人種や年齢の壁を越えて、父には秘密で結婚。 これらのことは劇中では事後報告されるのみです。つまりシェイクスピアは、はじめに完璧な愛で結ばれた二人を作り上げているわけ。 〔オセロー(ローレンス・オリビエ)とデズデモーナ(マギー・スミス) 1965年〕 *オリビエは黒塗り。マギー・スミスと言えば最近は『ハリー・ポッター』シリーズのマクゴナガル先生で有名ですね。 そんな完璧な愛で結ばれた二人を破滅させるために、シェイクスピアは悪役イアーゴを登場させ、舞台をヴェネチアからキプロス島へ移します。閉鎖された空間の中へ。 イアーゴは登場人物たちの間をうまく立ち回り、ささやきかけ、劇の進行そのものを支配します。そしてオセローに、デズデモーナが自分の副官キャシオーと不倫の関係にあると騙し、嫉妬に狂ったオセローは妻を絞め殺してしまうのです。 『ハムレット』『リア王』『マクベス』と共に、シェイクスピアの傑作四大悲劇の一つに挙げられている『オセロー』。 小学六年生で『リア王』を知り、新潮文庫でシェイクスピアを読んでいった私が、中学・高校時分に一番よく読んだのがこの『オセロー』でした。 まず『オセロー』が他の悲劇よりもわかりやすいからです。閉鎖された空間で、夫婦と彼らを巡る少数の人々。これは家庭劇であり、愛の悲劇なのです。 次にオセローが武人であったこと。 肌が黒いことを、敵対者には影で揶揄されながらも、彼自身の輝かしいキャリアと高潔な人格は、誰しも認めるところでした。 「きらめく剣を鞘におさめろ、夜露で錆びるぞ」(第一幕第二場) などのように、武人らしく、端的でかっこいい台詞を吐いております。 武人としてかっこよければよいほど、後半の情けなさとのギャップが目に付くのですが。。。 しかし、それも新田義貞や呂布と同じく、滅びの悲劇なのです。強ければ強い分、滅んでゆくときははかないもの。 そして無骨だったからこそ、イアーゴに簡単に騙されてしまったのでしょう。長い間戦場にいたからこそ、短絡的に愛情が嫉妬に変わったのでしょう。 対するデズデモーナはお嬢さんゆえの無邪気な女性。それゆえ、年上の男性の孤独を癒したいと考え、ずるがしこい男の企みを見破れなかったのでしょう。 イアーゴはリチャード三世と並ぶ、シェイクスピアの作り上げた悪の英雄です。彼が姦計を巡らせる理由は、デズデモーナへの横恋慕、オセローの地位や名声に対する嫉妬、キャシオーの地位に対する嫉妬などと自分で独白していますが、これもリチャードが己の容姿に対するコンプレックスや兄たちへの嫉妬を述べるのと同じく、後付であって、本当の動機ではありません。むしろ悪を行う自分に陶酔しているかのようです。 そして劇中の誰も彼もが簡単にイアーゴに騙されてしまう。彼は雄弁で、主人公のオセローよりも台詞が多く、ウィットに富み、シェイクスピア劇によく出てくる道化の役割も横取りしてしまうほど。 「主役はオセローでなく、イアーゴだ」 と述べる評論家もいるほどです。 劇を見る(読む)我々も、他人の心の隙間にうまく忍び込む彼の姿に圧倒されて、ほとんど不自然さを感じさせません。 不自然。 実はこの劇には、トリックが仕込まれているのです。 以下ややネタバレです。ネタが割れても十分楽しめる作品ですが、気になさる方はここで終わってください。 1日目の夜、オセローはデズデモーナと結婚後すぐ辞令を受け、キプロスに立ちます。 2日目。オセローの後を追ったデズデモーナ(と護衛のイアーゴ)はオセローより少し前に島に到着。オセローと合流。そして新婚夫婦は初夜を迎えます。到着直後からイアーゴは暗躍を開始。 3日目。イアーゴが大活躍。オセローに嫉妬の毒を注ぎ込み、ついにその夜、夫は妻を殺害。しかし最後に悪事は露見して、イアーゴは逮捕され、自分の非を悟り、妻の貞淑を知ったオセローは自害。 かような具合に、シェイクスピアの他のどの悲劇よりもスピーディにことは進んでゆくのです。 しかし、ちょっと待って! オセローは新婚3日目(実質2日目)で妻の貞淑を疑い、浮気をしていると信じて殺してしまっています。 しかも彼が妻の不貞を信じるのは最後の日のこと。一日のうちに彼は幸せの絶頂から不幸のどん底まで引きずり落とされるのです。 *冒頭「おれはあざむかれた」とあるように、オセローは妻に結婚後の不貞をなじるのです。 **ヴェネチアからキプロスまで何日かかったかは明言されてませんが、その間オセローはキャシオーと、デズデモーナはイアーゴと行動を共にしていたので、デズデモーナとキャシオーが不倫する暇はないのです!「 しかし観客、あるいは読者はそこに気づくことはほとんどありません。私も、各種批評を読んではじめて気づきました。 推理小説やホラー小説がそうであるように、劇中の物理的な時間と心理的な時間がずれてしまうのです。 それを助長するような台詞もあります。デズデモーナは夫との結婚生活を振り返るような台詞。 こうした矛盾を、シェイクスピアはわざとさらけ出しています。 一日のうちにめまぐるしく変わってゆく展開に、オセローも観客も圧倒され、キャシオー本人に何の確認もとらないオセローの行動を自然に受け入れてしまいます。そんな暇がないのですからね。 一方でオセローやデズデモーナの嘆き、イアーゴのささやきにより、物理的な二日間を、心理的に数年間に感じ取り、不貞を働く時間もあるとのイアーゴのシナリオに乗っかってしまうのです。 イアーゴのささやきは、誰かが他の誰かに確認してしまえば、すぐ崩れてしまうものでした。そこをうまく分断するイアーゴも見事ですが、それも2日間という短時間ゆえできたこと。 イアーゴは作者の分身なのではないか。 そう思えてしまうほど、彼は最後まで物語を支配しています。 ですが最後の最後に彼の企みは皆の知るところとなり、イアーゴは敗れます。 オセローは自害しますが、妻の愛を信じることができ、救われたのです。最後に物語り進行の主導権を取り戻したのです。 ◆冒頭および本文中の台詞は ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 オセロー シェイクスピア全集 〔27〕 白水Uブックス より引用しました◆

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  • 16 Feb
    • フランス王妃イザボー・ド・バイウェール

      悪女とは言うが、悪男と言わないのはなぜだろう? (フランス王妃イザボー・ド・バイウェール 1370~1435) 先日に引き続きまして、恋愛と結婚について。 シェイクスピアの史劇を通じて、ずっと中世のイングランドを眺めているんですけれど、近代以前の西洋の女性の恋愛はどうだったのでしょうか。 不勉強ゆえ、当時の社会や文化風俗がまだあまりわかってませんので、ここでは王族や貴族の女性について。 日本は一夫多妻(正妻とそれ以外の女性たち)が社会的に認められていましたから、子供ができなければ別の女性に、ということが可能(逆に婿養子も同じで、無能な婿が離縁されるケースもありました)だったけれど、ヨーロッパでは一夫一婦制のキリスト教社会でしたから、しかも神の祝福を得た夫婦だから、原則離婚は認められず、大変だったようです。 かのエリザベス1世の父親で、マーク・トウェイン『王子と乞食』にも出てくるイングランド王ヘンリー8世。彼は世継ぎとなる男の子をもうけるために必死で、6人の妻をとっかえひっかえ、離婚したり、刑死させたりと手段を選びませんでした。 ペロー童話『青髭』のモデルになった人でもあります(モデルに関しては異説あり)。 ←クリックすると拡大します それだけ無理をしてやっとこさ生まれたのがエドワード6世。『王子と乞食』の王子様であります。ですが無理が祟ったのか、刑死に追いやった女性たちが祟ったのか(実は父から先天性梅毒を受け継いでいたらしいですが)、幼いころから病弱で、父の死によりわずか9歳で即位するも、15歳で病死してしまいます。かわいそうなエドワード。 国王や貴族ともなると少なからぬ愛人がいたようですね。そこらへんは日本と変わりませぬか。 女性の場合はどうだったんでしょう? 池田 理代子 ベルサイユのばら(5冊セット) 池田理代子さんの代表作『ベルサイユのばら』では、王妃マリー・アントワネットの恋人としてスウェーデン貴族のフェルゼン伯爵という人物が出てきます。アントワネットはフランス王ブルボン家の最大のライバル、神聖ローマ皇帝ハプスブルク家出身で、もちろん政略結婚でした。フェルゼンとのことは宮廷でも噂になり、夫ルイ16世の耳にも届いていました。とはいえフェルゼンとアントワネットの関係はプラトニックなものであったらしい。 (フェルゼン伯爵 1755~1810) プラトニック・ラヴであろうとロマンティック・ラヴであろうと、当時そのような噂が出たということはそれを受け入れる土壌があったから。ベルサイユ宮殿に象徴される栄華を誇ったフランス宮廷ではかなり自由恋愛―当然結婚とは別―が盛んで、男女問わず複数の愛人を持っていたようです。 『ベルサイユのばら』より400年ほど前のフランス。当時はイングランドと長い間戦争状態にあり(百年戦争)、国土は荒廃しておりました。そこに颯爽と現れたのがジャンヌ・ダルク。彼女は南仏で不遇をかこっていたシャルル7世を正当な王として戴冠させ、劣勢だった戦況を逆転させます。 なぜシャルルがジャンヌの出現まで王として認められなかったかというと、実の母親から非嫡出であるとされたからなんですね。 そのお母さんとはイザボー(イザベル)・ド・バイウェール。ジャンヌ・ダルクが「救国の乙女」として賞賛されているのとは逆に、「淫売の売国奴」と呼ばれた女性です。ひどい呼ばれ方ですね。 ←クリックすると拡大します 彼女は夫シャルル6世との間に11人の子供をもうけています。夫婦仲がよかったように見えますが、夫が精神をわずらい発狂してしまう、という悲劇にみまわれます。その後は義弟のオルレアン公ルイと不倫の仲に、それも公然とそうした関係を作ったのです。そしてそのオルレアン公が政敵に暗殺されるや、その政敵を愛人にする始末。さらにシャルル7世を「夫との間の子ではない。不義の子だ」と自分から言い出しちゃうんですね。そして実の子を廃嫡にし、娘婿であるイングランド王ヘンリー5世を跡継ぎとして認めたのです。 (1420年 トロワの和約にてヘンリー5世とキャサリンが結婚) 「淫売」「売国奴」と呼ばれるのも無理からぬことかな、と思います。 しかしそれはあくまで勝者(シャルル7世やその後のフランス)の視点であり、男からみた言い分ではないでしょうか。 もしイングランドが百年戦争に勝利していたら、英仏統一王国実現を手助けした人物として、彼女の評価もずっとソフトになったでしょうね。 それに彼女の立場に立ってみれば、その生き方は当然、とは言えないまでも、しょうがない部分があったわけです。 政略結婚で異国(彼女は南ドイツ出身)の王に嫁いだものの、夫は頼りなく、やがては発狂してしまった。長きにわたる戦争で国内は分裂し、国土は荒廃しているのに。だから彼女が実力者である義弟や大貴族と結んだのは、恋愛もあったかもしれませんが、むしろ保身にあったのではないでしょうか。 実の息子を切捨て、敵国の王を後継者にしたことが彼女のイメージを徹底的に悪くしたのですが、これも結果論。ヘンリー5世は「中世イングランド最高の名君」と呼ばれたほど優れた人物でしたし、娘婿でもありましたし。江戸時代の商人が優秀な人物を娘婿としたのと同じですね。「売国奴」どころか国のことをよく考えた結果だと、私は思います。しかも自分の孫であるヘンリーの息子には英仏二つの王冠が約束されるのですから。 たとえ政治的判断よりも愛情を優先させていたとしても、淫売呼ばわりはないでしょう。 「自由意思なく、政略結婚の犠牲になった女性はかわいそう」 と考えるなら 「自分の意思で恋愛をしたイザボーは、立派だ」 となりませんか? 愛人を持つとなると、男より女の方が評価が厳しくなるのはなぜでしょう。 不幸なことにヘンリー5世はシャルル6世よりも先に亡くなってしまいました。シャルル6世亡き後はヘンリー5世の息子、ヘンリー6世が英仏両王国を受け継ぐのですが、1歳に満たない幼児のもとで、再び世は乱れます。 中世の女性たちは政略結婚をし、夫婦不仲であれば修道院に幽閉されるなどの憂き目にあいました。そうした中で、イザボーは雄雄しく自分と自分の国の運命に立ち向かったといえましょう。 。。。しかしこれもすべて私の憶測にすぎません。 彼女らがどんな気持ちで生きたのか、私にはよくわかりません。 女性から見たら、彼女たちの生き方はどうなんでしょうね? 念のための余計な付記 ①私はフェミニストではありません。男女は本質的に平等であることは認めますが、形の上で何でも平等にしようとする運動には共感できません。 ただイザボーなどが「悪女」と呼ばれるのは、男性から見た評価にすぎないと思います。 ②私は不倫を肯定しておりません。ただ昔のと今のそれが同列ではない、ということはわかっていただきたいです。 恋愛とか、職業選択とか、外出や旅行、住居移転などが、昔はほとんど自由でなかった。そんな時代の恋愛事情を考察しました。 もっとも庶民はもっとおおらかな性意識を持っていたらしいです。

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  • 14 Feb
    • 藤澤茂弘 『春姫さま』

      名古屋にも大仏があったんですって! バレンタイン・ディということで、愛について考察したいと思います。思いますが、私あまり得手ではないので、お見苦しい文になるやもしれません。 一部の国や地方をのぞいて結婚は人間同士、男と女でなされるもの(馬と結婚しようとし、それを認めなかった役所を訴えたアメリカ人がいたそうですが)。そして現代日本では、相手は自分で見つけ、自分の判断で結婚するのが大部分なのでは。。。私、未経験の故、断言はできませんが、友人知人の多くはそうでした。そして結婚の前提として、相手に好意を抱いていることが重要なのでは。。。これもなんともいえませんが。端的に言えば、未婚の間の恋愛は結婚の前段階なのでは。 今では自由恋愛、自由結婚(そして自由離婚)が広く認められていますが、数十年前はそうではなかったようで。 ましてや近代以前の結婚、それも社会の上の方の階級となると、本人の意思より周囲の意思が大きなウェイトをもっていたのでは。。。現代もそうかもしれませんね。 周知のことをもってまわった言い方で書きましたが、ここでふと考えてしまうのは、近代以前の女性の描かれ方です。 政略結婚で見ず知らずの相手に嫁いだり、権力者のオメカケさんになったり、お寺さんに入れられて生涯独身ですごしたりした女性を、悲劇の人物として扱う描き方。 私は現代人のそれも男性で、同じ時代の女性のこともわからぬので、非常に悩んでいるのです。 これは自由恋愛、自由結婚(および自由離婚)が常識となった現代人の感覚ではないか。恋愛至上主義なロマンティックな感覚ではなかろうか。そして女性をか弱きヒロインとして扱う描き方ではなかろうか。彼女たちは、自分の運命を「不幸」として、残りの生涯を泣いて過ごす、弱い存在なのだろうか。 でも、それもむりからぬことかもしれません。個人の記録などめったに残っていず、北条政子や日野富子など自らの意思で行動した女性以外はわからないのが普通。私たちが女性の心情に触れることができるのは『蜻蛉日記』をはじめとする平安~鎌倉の日記類くらいでしょう。その筆頭である『蜻蛉日記』で、夫藤原兼家が他の女性の下へ通うことを悩む作者(道綱の母)の心情が書き連ねてあるので、そのイメージが大きいのでは。ところがこの当時の貴族社会も結構自由恋愛だったようで、中世後期~近世とは微妙に異なるんじゃあないかと思います。 実際当時の女性の感覚ってどうだったんでしょうね。 『春姫さま』は尾張徳川家初代、徳川義直の正室春姫の生涯を描いた作品です。出版元はBOOkマイタウン。東海地方の郷土史本専門店であります。 (定価はお手ごろ500円) 春姫は紀州藩(後に広島に転封)浅野家の娘でわずか13歳(数え年)で義直に嫁ぎました。もちろん政略結婚です。 夫婦仲は非常によかったのですが、春姫はついに子供をうむことはありませんでした。夫婦仲がよかった、といわれるのは義直が側室を置くことを断固拒否していたからです。実際義直という人は真面目な人でして、学問(儒学)に熱心でしたから、側室を置くのを潔しとしなかったのでしょう。彼の生真面目さは死に際にもあらわれていて、病気が重くなっても決して苦しいとは言わず、顔をしかめることもなかったそうです。現代に生きていたら、ちょっと付き合いづらいタイプかもしれません。 そんな義直でしたが、跡継ぎをもうけることは大名としての大事な役目であることは理解しておりました。それでも重臣や幕府首脳の説得にも折れなかったのですが、生母の説得には逆らえず、お佐井の方という女性を側室にむかえます。 『春姫さま』では幼き姫君の婚礼に始まり、この側室をむかえるあたりが一つの山場となっております。侍女の目を通して、義直そして春姫の苦悩を描いております。 非常に読みやすい文体で、当時の名古屋の歴史を知る良書であります。 それゆえ、あえて現代的なスタンスで書いており、例えば「御三家筆頭の尾張家」のような、当時ではありえない書き方もされています(義直時代はまだ三家は確立していなかった)。これもわかりやすさを優先したゆえです。 あまり個性的でないお姫様を描くのは大変なことなのです。 さて側室をむかえはしましたが、女の子(京姫)が一人生まれただけ。子供を授かるというのは大変なこと、今も昔も変わりません。 ところがここで予想外のことが起こります。生真面目一本やりの義直が、湯殿で奉仕している女性の太ももに気を奪われ、彼女に男の子を産ませてしまったのです。ここらへんのいきさつは、本の中でも触れておりますが、徳川吉宗誕生のくだりとほとんど同じです。湯殿で作られた子供は元気な子になるんでしょうか。 冗談はさておき、こうして産まれたのが二代藩主となった光友であります。 ここがこの本の一番の山場でしょう。春姫は前回と比べ物にならぬくらいショックを受け、悩みますし、生真面目な義直は、自分の過ちを最初は頑として認めませんでした。相手が身分の低い女性だったこと、一時の感情に身を任せたこと、それが二人とも受け入れがたかったのでしょう。 このように藤澤さんは、遠き昔の殿様夫婦の心情を、身近にわかりやすく紹介されています。実際どうだったかはわかりませぬが、時代を超えた共感を呼ぶ場面であります。 すったもんだの末の嫡男出産でしたが、春姫は先に産まれた女の子とともに、自分の子としていつくしみ育てたとのこと。 春姫は33歳の若さで、夫よりも先に亡くなってしまいますが、この本にはその後のことも少し書かれております。 2代光友は生母の菩提を弔うために、陳元贇という帰化人に陶器で大仏を造らせました。その大仏は第二次大戦までは名古屋城内にあったが、いつしか首から下が破損し、現在は湯河原(静岡県)の福泉寺に移されたそうです。 (目を見開いた大仏様。ちょとエキゾチックなお顔) 当地では首大仏として有名なんだそうですが、私、まったく知りませんでした。びっくりしました。 いつか訪ねてみたいものです。 他人の幸不幸というのは外面からはうかがい知ることはできませんが、春姫が、しいては政略結婚した多くの女性たちが自分の生涯を、最後には幸福だと感じて生きていったのならと願ってやみません。

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  • 27 Sep
    • アンデルセンの恋

      童話の王様ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875)。祖国デンマークでは童話作家としてよりも国民的な詩人として有名です。また小説や紀行文もたくさん書いております。 彼は生涯独身でしたが、幾度も激しい恋をし、常に破れ、それを文学作品に昇華させてきました。 彼の恋愛で特に重要な3人の女性は 初恋の女性リーボア・ヴォイクト 後援者ヨナス・コリンの娘ルイーゼ・コリン そしてソプラノ歌手のイェニー・リンド(ジェニー・リンド) リーボアはの同級生のお姉さん。彼は殆ど無一文でコペンハーゲン(デンマークの首都)に出、さまざまな苦労をした後に後援者に恵まれ、大学まで進みました。ですから同級生の姉とはいえ、彼より一つ年下です。アンデルセン24歳、リーボア23歳でした。 彼は熱心に詩やラブレターを送っています。しかしリーボアは翌年他の男性と結婚。世の多くの場合どおり、アンデルセンの初恋も失恋に終わりました。 実はリーボアも若い詩人からの手紙や詩をまんざらでもなく受け取っていたようなのです。純粋に女性として、男性からの手紙が嬉しかったのでしょう。ですが当時のアンデルセンはいまだ無名。加えて彼は積極的にアタックするタイプではなく、ロマンチストではありましたが、現実的ではなく、ただ「恋に恋する」だけでした。 後年アンデルセンとリーボアは再会します。 すっかり「おばさん」になったリーボアに幻滅したのか、その後、彼にしては珍しく意地の悪い皮肉な結末の童話「こまとまり」(または「幼なじみ」)を書いています。 *ちなみに私はこれが最も恐ろしいアンデルセン童話だと思っています。 以前書いた記事 も参考にしてください。 しかしアンデルセンは自分の初恋を決して忘れてはいませんでした。 彼が死んだとき胸につけていたのは、初恋の相手への手紙と花束でした。 その後後援者ヨナス・コリンの娘ルイーゼに恋心を抱いた彼。このコリンという人、王立劇場の支配人であり、政治家でして、役者(=歌手)になろうとして上京し何度も挫折した少年アンデルセンの才能を認め、ラテン語学校にそして大学にまで送り、彼を支えました。アンデルセンは「第二の父」と呼ぶほど彼を深く敬愛しました。 コリン家とアンデルセンは終生親交を結んでいます。 ところがそのアンデルセンがコリン家の娘に恋をしたものですから、大変。 先の「フーシェの恋」に見るように、出自の違うもの同士の結婚はとてもむずかしい。父ヨナスとしてもそこは譲れなかったでしょう。ルイーゼは婚約。傷心の彼にヨナスは旅に出ることを薦めます。 失恋と、同じ頃起きた母の死。アンデルセンは旅に出、そして傑作『即興詩人』を書くのです。 また、彼の秘めたる悲しい恋心は「人魚姫」に昇華されました。これ以前にも何篇か創作童話を発表してはいましたが、この「人魚姫」こそがアンデルセンの童話作家としての地位をゆるぎないものにしたのでした。 *失恋と同様に彼を悲しみに落としたのは母の死。彼がいかに母を愛していたか。無学な、酔っ払いでも彼に限りない愛情を注いでいた母を彼は終生忘れませんでした。 「マッチ売りの少女」 「ある母親の物語」 「あの女はろくでなし」 など母をモデルにした童話が何篇かあります。 イェニー・リンドは「スウェーデンのナイチンゲール」と呼ばれ、ヨーロッパ中にその名を知られたソプラノ歌手でした。  ↑イェニー・リンド(1820~1887) 右はイェニーの肖像があるスウェーデンの紙幣 今残っている肖像画を見ても非常にかわいらしく、利発な女性だったことがわかります。 彼女もアンデルセンと同じように恵まれた生まれではなく(私生児だった)、自分の才能で今なお「スウェーデン最大の歌姫」と呼ばれる地位を得ました。 人一倍感受性の強かったアンデルセンのこと。彼女の才能と人柄に強く惹かれ、詩やプレゼントを贈り、愛を訴え続けました。アンデルセンが38歳、イェニーは15歳年下。 アンデルセンの有名な童話の一つ、「ナイチンゲール」。題名でお分かりのようにイェニーのために書かれたのだそうです。それもたったの二日で! この頃はアンデルセンも社会的に認められた存在。彼としても勝負に出たのでしょう(わかるなあ)。しかしイエニーは彼を尊敬はしても愛してはくれませんでした。その年に彼女がアンデルセンに送ったクリスマスカード。そこに書かれていたのはこんな言葉でした。 「親愛なるお兄様」 これが彼女の答えでした。とても慈愛に満ちた手紙(カード)でしたが、アンデルセンの望むものではありませんでした。 彼はついに生涯独りで生きてゆくことを決意します。 この頃書かれた「もみの木」という童話に、彼の青春への決別を見るのは深読みしすぎでしょうか。。。 *彼の求愛は拒否しましたが、それでも彼を尊敬し続けたイェニーも生涯独身でした。これはアンデルセンと同じように報われぬ恋に殉じたからです。メンデルスゾーンと彼女は互いに好意を寄せ合っていましたが、ついに結ばれることはありませんでした。 コンプレックスの塊で、女性的で、気難し屋のアンデルセン。 感受性が強く、喜怒哀楽が激しく、ロマンチストだったアンデルセン。 女性の愛を勝ち得ることはできなかったアンデルセンでしたが、その悲しみが彼を詩人として成長させ、その生涯が苦難に満ちている分だけ彼の文学に限りない優しさが加えられ、今なお世界中の子どもたちから愛されています。 ジェニー・リンド物語―美しきオペラ歌手の生涯 森重 ツル子

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  • 23 Sep
    • フーシェの恋

      冷徹なジョゼフ・フーシェの名前を拝借しているにかかわらず、私、最近かっかっとしている記事が多いようです。反省。 もっとも「冷徹な」といわれたジョゼフ・フーシェ、世に出る前に財産目当てで結婚した醜い妻と二人の間にできた子どもを一生愛し続けた、といいます。フランスで最も恐れられ、皇帝ナポレオンからも一目もニ目も置かれていたこの男も、家庭では良き夫であり良き父だったのですね。 しかしながら「財産目当て」とか「醜い」というのはツワイクの表現。結婚と恋愛が別物だった当時の王侯貴族と違って、一介の庶民であったジョゼフは恋愛結婚だったのではないでしょうか。財産目当てという側面もあったかもしれませぬが、野望と恋愛がうまく一致したのかもしれませぬ。「醜い」と評されたフーシェ夫人も、「ぱっとしない」だけだったのかもしれませぬ。なにせきらびやかな宮廷文化の栄えたフランスのことですからね。アントワネットやジョゼフィーヌ、シャルロット・コルデーにロラン夫人など綺羅星のごとく輝くお歴々と比べるのは酷というものでしょう。というより、そもそも美醜とその人の価値とはなんら関係はありませんものね。 ジャンヌという名前のこのフーシェ夫人、夫の陰に隠れて殆ど目立たない。ジョゼフという人が自分のプライベートを表に出さない人ですから。皇帝を含むフランス中のあらゆる人の秘密を握っていた彼。どんな強い人間でも私生活がその弱点となることを誰よりも知っていましたから。 ジャンヌは夫をよく支えました。激動の革命期にあって、何度も命を狙われ、失脚し、時にはブタ飼いにまで身を落とすほど波乱万丈の生涯を送った夫を。 貧しさのあまり最愛の子どもを病気で亡くしたこともあります。当時のジョゼフはロベスピエールから狙われる身として、死にゆく子どもにも、悲しみの妻にも近寄ることができませんでした。 おそらくジャンヌは夫にとってかけがえのない存在、唯一の心の拠り所、今風の言葉で言えば「癒し」の存在だったでしょう。あらゆる人を信用せず、あらゆる人から信用されなかったジョゼフ。切れ者として恐れられ、かつての友(ロベスピエール)と死闘を演じたこの男に、帰る家庭があった、というのはなぜかほっとします。 裏方に徹してきたジャンヌ。ところがこのジャンヌが一度だけ表舞台に出たことがあります。 時は1810年。前年に秘密裏に薦めていた英国との和平工作が露見、ジョゼフは警察大臣を罷免されます。しかし、さすがの皇帝もこの男を完全に敵に回すのは恐ろしいらしく、ローマの知事という職を与えます。 ジョゼフは皇帝に反抗します。 彼が今まで集めていた重要書類、機密書類の大部分を破棄。一部は隠蔽。その中には皇帝ナポレオンの私生活に関するトップシークレットも含まれていました。書類引渡しを迫る皇帝に対して、「破却しました」「紛失しました」とごまかすジョゼフ。これが皇帝を完全に怒らせることになりました。さすがのジョゼフも身の危険を感じヨーロッパ中を逃げ回りますが、当時はまだナポレオンの全盛期。ヨーロッパの中でジョゼフが安心できる場所などあるわけがありません。 このときジャンヌが動きました。彼女は前皇后ジョゼフィーヌ(後継者に恵まれない、という理由で前年に離婚させられた)にとりなしを頼み、書類を引き渡し、夫の危機を救ったのでした。その時ジョゼフはフィレンツェからアメリカへ亡命する寸前。まさに危機一髪でした。 ジャンヌが死んだのはその数年後のこと。 最愛の妻の死に、ジョゼフは、この政治と陰謀好きでどんなときでもちょっかいを出してきた男は、本当の引退を決意したといいます。 しかし皮肉にも今度は世間の方が彼を放ってはおきませんでした。 ナポレオンの失脚と王政復古、百日天下、再び王政復古とフランスは激動の時代を迎えます。 ジョゼフは百日天下の、そしてその後の王政復古政府での警察大臣となります。 このブルボン王朝の宮廷においてジョゼフの老いらくの恋が始まるのです。 相手は自分の娘たちより年下のエルネスティーヌ。貴族の娘です。当時ジョゼフは既に60代半ば。 彼女がジョゼフと結婚したのはそれこそ正真正銘、財産目当てでした。ところがジョゼフは再婚後まもなく「国王殺し」(ルイ16世の死刑に賛成の投票をした)で国外追放となります。そしてドレスデン、プラハなど各地をさすらった後にトリエステで波乱万丈の生涯を閉じます。 エステルティーヌとしてはおもしろくなかったでしょう。貴族の娘として育った身には田舎の暮しは退屈だし、大金持ちである夫は市民階級出身で謹厳な家庭。お金持ちだからって派手な生活が送れるわけではないですからね。すっかり思惑の外れた彼女、地方の社交界で遊びまくり、若い愛人を作って夫を慌てさせます。 冷徹な天才、ジョゼフ・フーシェも女性に振り回されたことがあるのですね。彼の人間くさい面、それもきわめておぼこい面が見えて微笑ましいです。最初の妻にも後妻にも純粋な愛情をささげていたのでしょう。ところが後妻は身分違い。結婚と恋愛は別、という貴族出身。そこに悲劇がありました。 ジョゼフは同じ市民階級のジャンヌとは理想の家庭を築けましたが、若く美しくても享楽的な後妻には振り回され、人々の失笑を買いました。 彼の主人であったナポレオンも浮気者のジョゼフィーヌを妻としている間は全盛を誇りましたが、正真正銘の皇族(オーストリア皇帝の娘)、マリー・ルイーズと結婚してからは落ち目となりました。 ジョゼフと対を成していて、おもしろいですね。 肖像すら残っていない「醜い妻」ジャンヌですが、その心は当時の女性の中で最も美しいものの一つだったと思います。

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  • 21 Sep
    • 恋愛論?

      私はまだアンデルセンの領域だな。。。 左 ワイルド, 西村 孝次 幸福な王子―ワイルド童話全集 右 ハンス・クリスチャン・アンデルセン, 長島 要一, ジョン・シェリー 人魚姫 相楽さん の「幸福の王子 」を読み、感銘を受けました。 幸せとは何か。改めて考えさせられますね。 さて、私のほうはワイルドの恋愛観について述べてゆきたいと思います。 「幸福の王子」。おそらく多くの人が子供のころ読んだであろう、耽美主義の大御所オスカー・ワイルドの代表的な童話作品です。貧しい人々のために文字通り身を削って施す王子(黄金の像)。そして王子の目となり手足となり、けなげに尽くすツバメ。 相楽さんの記事を読み、また結城浩さんによる翻訳を読んで改めて気づいたんですが、 ツバメは男(オス)だったんですね~。 また、王子がずうっとツバメを引きとめたとばかり思っていたんですが、 引きとめたのは最初の3日だけで、後はツバメの意志で残っていたんですね。 思い違いをしておりました。 オスのツバメと王子の結びつきがワイルドならではだと思うのです。 肉体の結びつきでなく、魂の結びつきを謳いあげたこの作品にふさわしいと。 若い男性の恋人を「私のつばめさん」といったのは平塚らいてうだったでしょうか。ツバメはスマートでスピーディな、それでいて小さなかわいい鳥ですからね。男の恋人をたとえるに適しているかも。ま、らいてうは置いといて。 彼ら二人の関係が友情であるか、恋愛であるかは読む人によって意見が分かれるでしょうが、私は恋愛として述べてゆきます。 王子とツバメ。二人の間柄は奇妙なものです。 王子はツバメ無しには何もできない。「こうしたい」という思いを抱いたまま何年もたち続けているだけの存在。だのに両者の関係では王子がリードしています。 王子は無言のうちに自分の無力を訴え、自分のもとを去ろうとするツバメを引き止めます。ツバメが王子のもとにとどまったのは一宿一飯の恩義にこたえる気持ちと、王子の優しい心根に賛同する思いと共に、王子のことを放って置けない思いがあったのでしょう。何せ王子は動くことができないのですからね。 そして数日後には王子が行ってもよいと言ったにもかかわらず、あくまで王子の元にとどまり、王子を手助けし、やがて死んでしまいます。 当初私が抱いていた勘違い、「王子がツバメをずっと引きとめていた」というのも、両者において王子の押し付けが私には強く感じられたからでしょう。子供心に少し不快に思ったのでしょう。 ここでアンデルセンの「人魚姫」に見られる愛を思うとき、両者の描く愛の形に深く考えさせられるのです。 アンデルセンの童話では、作者自身がそうであったように「押し」が弱い。人魚姫もただ見守るばかりで終わります。恋する人が幸福であればそれでよい、というある種崇高な想いがそこに込められています。 アンデルセン自身はさまざまな恋をし、しかし、彼自身の出自や容姿に対するコンプレックスからその表明は力弱きものが多く、全てが悲恋に終わりました。 私は決してアンデルセン的恋愛の方がワイルドのより上だと申しているのではありません。 第一「幸福の王子」は恋愛を前面に打ち出したものではありませんからね。 ただ王子も、そしてワイルドの代表作の一つであるサロメも、他人(想い人)を支配したい、支配する、という言動をとっています。 「想いよ、届け!」 と念じても、実際に行動しなければ始まらない。 どんなに相手にアプローチををしても、 「好きだ」 との意思表明をしなければ相手は戸惑い、不安になるばかり。 だからアンデルセン的恋愛は、ずるい。自己満足で終わっているから。 王子も、ずるい。 彼がツバメの身体を心配し、エジプトへ行けと言ったときには、もうツバメは彼の元を離れることができないほど彼の魂と結びついていたのに。 それは無意識で無邪気な思いであって、王子は本気でツバメのことを心配しているのですが。 だが、それなら最初からとどまるように言わなければよかった。優しい言葉をかけなければよかった。自分の弱さも、美しさも、優しさも、見せなければよかった。エゴ丸出しの醜さを突きつければよかったのに。愛想をつかされるようにしむけばよかったのに。でもことここに至っては、どんなに醜さを見せ付けられても、結局は貴方のもとを離れることができなくなっているのです。ボロボロになってもなおも他人を思いやる貴方を放っては置けないじゃあないですか。貴方をずっと支えてゆきたい、それが私の本望なのです。。。 しかし相楽さんの仰るとおり、ツバメにとっては王子のエゴに取り込まれ、王子のもとにとどまり命を失ったことが幸せになるのだから、人と人(ツバメと像だけど)のつながりというのは興味深いですね。 「幸福の王子」の全文はここ でも読むことができます。 Copyright (C) 2000 Hiroshi Yuki (結城 浩)

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