• 22 Jun
    • 聖書と数理哲学序説

      私の家には大小さまざまな聖書がある。旧約・新約そろった正典だけでも6冊。日本聖書協会の口語訳、同文語訳、新改訳、共同訳、そしてキング・ジェイムズ・バージョン(欽定訳)。このうち最初の口語訳は2冊ある。私が一番最初に触れた昭和42年に出版されたものと、平成になってから出版されたもの。内容はまったく同じだ。42年のものは既にぼろぼろになっていて、何度か製本しなおしたがページの欠落があったため、新しく買いなおした。 この昭和42年のものは、もちろん私が買ったものではない。最初の父が買ったものだ。他に読む人がいなかったため、いつの間にか私のものとなってしまったが、最後のページに父の名前が書かれている。 私は思春期から青年期をクリスチャンとして過ごした。カソリック系の幼稚園に通っていたため、宗教的な行事やお話が幼い心に残っていたせいもあるが、やはり聖書が家にあったことが大きい。最初の父は私の人生の初めの6年ほどしかかかわっていないが、聖書を残したことで私に大きな影響を与えたと言える。 8歳のときに初めて手にした。その時はまだきれいだったから、父はクリスチャンではなかったのだろう。ただ数箇所、ドキッとするような言葉に赤鉛筆でラインが引かれてあった。人生のはかなさや女性の悪口が書かれている場面だ。その後私がさまざまな色であちこちに線を引きまくったため、どの聖句に線が引かれてあったかはもうわからないが、初めて目にしたときドキッとしたことだけは覚えている。 私はたぶんに理屈っぽいところがあるのだが、理屈っぽさと信仰とは結びつきやすい。ともに現実的でない一面を持っているからだ。誤解なきよう願いたいのだが、「一面を持つ」だから、現実的なところも、もちろんある。 もしかしたら私の少し浮世離れした理屈っぽさ、簡単に言えば理想主義的な面は最初の父の血を引いているのかもしれない。 私には二人の父がいたわけだが、「実父」「養父」という呼び方はできない。最初の父には悪いが、10の歳から大学を出るまで育ててくれた、そしてその後も何かと私を助けてくれた二度目の父を「養父」と呼ぶことはできない。彼こそが私の実父である。戸籍上も私たち兄妹は養子でなく実子にしてくれた。 先日父のことを書いたところ、「すばらしいお父様でしたね」とのお言葉をいただき、感激した。しかしこの父はまことに現実家で押しも強く、ゆえに倒産したとは言え会社をやってこられたわけだが、理屈っぽく理想主義な私とはそりが合わなかった。勘当されたこともある。 先日本を整理していたら古い岩波文庫が出てきた。ラッセルの『数理哲学序説』。昭和45年の版。 ラッセル, 平野 智治 数理哲学序説 多分父が夜間大学の学生だったときに読んだものだろう。 私が覚えている父はあまり本を読まない人だった。読むとしても松下幸之助や盛田昭夫、岡田卓也など実業家の者がほとんどだった。父の意外な一面に触れた気がする。とは言うものの、よく考えてみればこれも父らしい。自分が作った会社に普通の人には耳慣れぬ数学用語を使った人だ。父の中には苦学して修めた学問に対する愛着があったのだろう。 旧字で書かれ、ページもすっかり変色した本だけれど、結構面白い。今朝の公園で読んでいる。 私がもしいなくなって、私の遺した本を人が見たらどう思うだろう。歴史の本、自然科学の本、ミステリ、ファンタジー、児童書、ライトノベル、漫画、宗教書などなどなど。まるで統一感がない。オタクだと思われるだろうな、きっと。

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  • 07 Jun
    • 恥ずかしい本

      本屋さんや本をめぐる体験は、皆様もさまざまなものをお持ちのようで。自分が飛びぬけて異様でないとわかり、安心しました。 久しく前から、書店での紙カバーを遠慮するようになりました。なので電車やバス内でも裸で読む、つまりタイトルなどが他の人にもわかるわけです。それで著しく恥をかいたのが、『ゴキブリ3億年のひみつ』という本を読んでいたとき。 安富 和男 ゴキブリ3億年のひみつ―台所にいる「生きた化石」 以前書いたのですが、夕方は女子高生にクスクスと笑われ、深夜には酔っ払いに絡まれました。 普段は他人が何を読んでいてもそっとしておいてくれるのですが、それほどゴキブリはインパクトがあるのでしょうか。どうも過剰反応を示す方が多いように感じます。これはいずれ別の機会に。 先日『涼宮ハルヒの憂鬱』と『蟹工船』を買ったときは、いまさらプロ文(プロレタリア文学)なんてキザったらしく見えるだろうと、『蟹工船』の上に『ハルヒ』のカバーをかぶせて読みました。しかしよく考えればこの年でアニメ絵の本を読むのも恥ずかしいなあと思い、はずした『蟹工船』のカバーを『ハルヒ』の方にかぶせておきました。よくよく考えれば無意味なことをしている、なんて思ったのは家に帰った後です。 谷川 流, いとう のいぢ 涼宮ハルヒの憂鬱 小林 多喜二 蟹工船 一九二八・三・一五 人目を気にする、というのは弱気になっているということですね。恥ずかしいなら買うなよ、とお叱りを受けそうです。 そういえば『ハリー・ポッター』シリーズも、イギリス版の話ですが、アダルト仕様というのがありまして、中身は同じなんですが、表紙が大人向けになっているんです。 これが通常版。児童書扱い。 J. K. Rowling Harrius Potter Et Philosophi Lapis / Harry Potter and the Philosopher's Stone そしてこれが一般向け。 J. K. Rowling Harry Potter and the Philosopher's Stone (Harry Potter) 表紙が違うだけで中身は同じです。日本なら大人でも人前で漫画や漫画雑誌を広げるのが珍しくないのですが、むこうでは違うようです。

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  • 25 Feb
    • 三浦綾子 『道ありき』 『積木の箱』

      私は、弱い人間です。だから誰よりも強くなれるはず。 三浦 綾子 道ありき―青春編 三浦 綾子 この土の器をも―道ありき 第2部 三浦 綾子 光あるうちに―道ありき第3部 信仰入門編 去年大掃除をしていたら、過去の手紙が大量に出てきました。 その中あたに薄い水色の封筒。三浦綾子さんからいただいたお手紙です。 母の勧めで彼女の作品を読み、なかでも自伝ともいえる『道ありき』三部作に強い感銘を受け、ファンレターを出したら、まさかと思った返事が来たのです。当時高校三年生だった私は、さまざまなプレッシャーと闘っていました。周囲にはそうは見られなかったようですが。誰もが直面し、通過していった、悩み、焦り。自分はどこから来て、そしてどこへ行こうとしているのか。疑問、そして羞恥。そういったものを、手紙にぶつけたのでしょう(無精者の私は、自分が出した手紙の写しをとらなかったのです)。この三部作が私にある力を与えてくれました。その感激と、自分の中のもやもやをぶつけた、おそらく無礼な手紙に丁寧に答えてくださったのです。 当時彼女はもう自分で筆をとることがほとんどできず、ご主人に口述筆記してもらいながら、私に応えてくださった。最後に 「心を込めて署名いたします」 と病身をおして、自らの手でサインしてくださった。そこに私は万感の祈りを感じ取って、勇気付けられ、さらに調子に乗って 「私もキリスト教を勉強しています」 と返事を書いたのです。 当時私は受験生にもかかわらず(いや受験生だったからこそ、かな)、キリスト教系の新興宗教に半ばはまっており、朝に夕に聖書を読んでいたのです。しかし現在の私同様、それは信仰からきたものではなく、知識欲からくるものが大でしたけれども。 三浦さんは二通目の手紙でたいそう心配してくださりました。 当時三大異端とされていたキリスト教系新興宗教の名をあげ、 「注意してください」 と心をこめ、そして最後にまた万感の祈りを込めて、ご自分お手でサインしてくださいました。 だのに若い私は、傲慢でありました。 尊敬する人から、好きなものを否定されたショックでかたくなになり、その後彼女が「注意してください」と教えてくださったすべての新興宗教にかかわり、多くの友人を得、そして失いました。 私が結局教師(塾教師ですが)になったのも、三浦さんの影響かもしれません。 三浦 綾子 積木の箱 (上巻) 三浦 綾子 積木の箱 (下巻) 若き日の私は、キリスト教というブランドに惹かれていただけなのかもしれません。初めて親元を離れ、大阪という大都市に飲み込まれそうになって、うわべだけの人のつながりを求めただけなのかもしれません。 いえ、そうではなく、あのころの私は純真だった。無知なるがゆえのピュア、自己中心であるがためのピュアで、妥協を許さない若者でした。 今あらためて彼女の著作と手紙を読むと、当時の感動がよみがえるとともに、当時の私が持っていた、上記の危険性を見抜いていた三浦さんの洞察力が行間から読み取れます。もちろん、彼女は私をほめても下さっていました。未来ある少年の可能性を、自分のことのように喜んでくださっていました。 私は今、彼女の立場に立っているだろうか。 弱い存在であるが故の強さややさしさを、持っているのだろうか。

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  • 16 Sep
    • 異性の友人

      いくつになっても誕生日は しあわせな気持ちを運んでくれるね! 今日は友人の誕生日。私の場合異性の友人てのは ・飲み友達 ・カラオケ友達 あとはこちらからの一方的な思いですが、 ・ブログを通じての友達 ですか。私のブログにコメントされる方、私がコメントする方には当然女性も含まれています。 女性の観点や母親の観点などがうかがえて、仕事面でも結構役に立っています。 異性の友人がありがたいのはものの見方を広げてくれることでしょうか。 そんな「飲み友達」の一人が今日誕生日。 彼女は私より一回り以上年下なんですが、結構気が合うんです。 現在判明しているだけで ・小野不由美さんが好き、だけど『屍鬼』のラストはいや ・ハリーポッター(特にドラコとハーマイオニー)が好き ・『DEATH NOTE』(特にL)が好き など他にも数多くの共通点があり、話すたびに盛り上がるのです。 (もっとも、納豆の好き、嫌いでは完全に対立。  私の周りの女性はみんな納豆を食べんのです。。。) また、こんな私の対人関係の相談にも乗ってくれる。 そんな彼女の今日は誕生日。 楽しい話をありがとう、と、 女心のレクチャーをありがとう、 感謝のしるしに以下の本に詩を添えてプレゼント。 マイケル・ローゼン, クェンティン・ブレイク, 谷川 俊太郎 悲しい本 青木 和雄, 吉富 多美 ハッピーバースデー ウイリアム・アイリッシュ, 稲葉 明雄 幻の女 趣味が同じだと、プレゼント選びも楽ですね。

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  • 01 Sep
    • マイケル・ローゼン 『悲しい本』

      私の悲しみだから。ほかの誰のものでもないのだから。 マイケル・ローゼン, クェンティン・ブレイク, 谷川 俊太郎 悲しい本 以前取り上げた本 を再び取り上げるのはルール違反かもしれませんが。 そしてこの本の紹介は訳者の谷川俊太郎さんのあとがきに勝るものはないと思いますが。 谷川さんが「あとがき」仰っているように 「悲しみという感情を知らない人はいないだろう」 から、どんな人であれ、どんな状況であれ、この本は私たちを惹きつける強い力を持っています。 短く分かりやすい文章(これは谷川さんの名調子もあずかっているのですが)とどこかユーモラスな絵 以前の私はそこに共感を覚え、今の私はそこに暖かさを感じるのでした。 この本をもう一度読みたいと思って捜したのですが、ありません。 なぜなら悲しい人にあげちゃったからです。 次に自分が悲しくなるとわからずに。 この本は『悲しい本』です。 悲しいときにも悲しくないときにも読むことができる絵本です。

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  • 20 Aug
    • 17歳

      picoさん よりご指名賜りました。17歳のときに自分はどんな人間だったか、とうい企画ですが 「17歳」といえば南沙織さん! 最近は森高千里さんのカバーの方が有名かな。 でも私にとって「17歳」といえば岩崎宏美さんの「センチメンタル」なんです。 岩崎宏美 ベスト・セレクション とまあ、前書きはこのくらいで Q1 17歳のとき何をしてた? 何をしてたんでしょうか? もはや四半世紀昔のことですから。。。 この記事を書くために一所懸命思い出しているのですが。。。 私は4月生まれなんで17歳といえば高校2年生。 私の中では人生の通過点にしか過ぎない。むしろ中学、大学時代の方が印象深いんですが。。。 そういえば 山岸涼子さんの『日出処の天子』にハマって「LaLa」を買い出したのがこの頃。 山岸 凉子 日出処の天子 全7巻 別の高校に行った友人(♂)と月2~3回の割合で文通をしていて、宮崎駿(コナン、クラリスの頃でナウシカの前)、ガンダム、太宰治、三島由紀夫について語ってました。 オタクだったんですね~。オタクという言葉はまだなかったですが。 ラナとクラリスではどっちがいいか、とか、そういったキャラの絵を描いて互いに送りあったりしてました。家はちょっと遠めだったので3月に2回会う程度でしたけど。 あとは。 星を見てましたね。うちは郊外だったんで割りと空がきれいなんです。 『天文ガイド』買って読んでました。で、天文ファンだということがわかって久保田早紀さんのファンになったのがやはりこの頃かな。 Q2 17歳のとき何を考えてた? 行っていた高校ががちがちの管理教育。月一度の頭髪指導に毎朝の鞄の厚さチェックなど。一刻も早く大学生になってこの学校をおさらばしたいと思ってました。 学校はいやでしたけど学生生活は楽しかったですよ。 後は少女漫画家か小説家になりたいと思ってました。 太宰治にはまっていたんで文体も似てきちゃいましたね。 ともかく模倣はわりと得意で、クラスメートの作文の課題を代筆して小遣い稼ぎをしたこともありました。 1回50円だったけど。。。   Q3 17歳のイベントといえば?  ・長良川で縄文土器を焼いた。 夏休みの自由課題にうってつけ、と友人を誘って二人で参加したのだけれど、私たち以外は皆小学生だったのには参りました。 まず縄文土器の作り方をレクチャーされ、その場で作ります。 次に10日ほど保管され、乾いた土器を川辺で焼きました。 都合2回、岐阜まで行ったのですが、私の土器は割れちゃいました。。。 ・一人で岡山へ行き、祖母の家に泊まる 岡山市内から20キロほど離れた所にある農家でした。 初日は祖母にいろいろな観光スポットに連れられました。 タクシーの運転手さんがおばさんだったことと、吉備津神社で 「お前、色男やなあ。うちの娘の婿にならんか」 と酔っ払いに言われたことが思い出です。 翌日以降は単独行動であちこちふらふら。自転車で岡山駅まで行きました。途中で雨が降って夏なのに寒かった。。。 その時買った本↓ マンリー・W・ウェルマン, ウェイド・ウェルマン, 深町 真理子 シャーロック・ホームズの宇宙戦争 Q4 17歳でやり残したことは? ないですね~。21でやり残したことはあるのですけれど。 可もなく、不可もない、おとなしい時期でした。    Q5 17歳に戻れたら何をする? 自分が17歳の頃、というのならそれほど未練はないス。 17歳の肉体に戻れるのなら話は別。 もう一度勉強したいなあ。いや、本当。学校出るとかえって勉強したくなりません? 勉強ってものすごい時間とお金とエネルギーを費やすものなんですよねえ。 もちろん社会人になってからも勉強できるし、そうされている方もたくさんいます。もう尊敬しちゃいます。 ですが17歳の肉体と頭脳、これはもう手に入らない。あの頃はまだ頭も体もしなやかだったと思う。 若い頭脳が欲しい~~! ドクターK、何とかしてくれ~~。 年を重ねて経験が増した頭脳もまた、いいんですけどね。。。     Q6 17歳に戻っていただく人は? ハリーさん! 名古屋に戻っていただいたついでに17歳にもどりませんか?

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  • 17 Jul
    • 好きな本屋さん

      トラックバックステーションからお題を拝借いたしまして。 私がよく利用するのは ・名駅(名古屋駅)の三省堂 JRツインタワーの11階、およびテルミナ地下街にあります。 電車1本でいけるので便利。品数も豊富で、週末はほとんどここへ行きます。 今日はハリーポッター6巻を買いに行きました。 J.K. Rowling Harry Potter and the Half-Blood Prince (Harry Potter 6) (UK) ↑ハリーももう16歳。大きくなりましたねえ。ダンブルドアが某有名キャラに見えるのは気のせい? 最初はタワーのほうへ行ったのですがすでに売り切れ。まだまだ人気作ですね。 幸い地下街店の方にありました。よかった。 前作ではアメリカ版を買ったのですが、重くて持ち歩き不便だったため、今回はイギリス版にしました。 ・丸善・紀伊国屋書店・栄ブックセラーズ 名古屋の都心、栄に行くとこの3店を回ります。 いずれも丸栄デパートの近くですね。3つとも大きな書店です。 紀伊国屋は大阪でもよく行きました(大阪にいるときは旭屋もよく行ったなあ)。 とはいっても東京の本屋さんに比べたら小さいでしょうが。。。 東京の紀伊国屋に行ったときは圧倒されましたねえ。 ・ちくさ正文館書店 地下鉄千種駅前のターミナル店では学校の教科書も売ってるんです。 もちろん、参考書・問題集も豊富。 さすが河合塾のお膝元! です。 仕事柄よく行きます。 ・磨里書房 以前もご紹介しました。お世話になっている本屋さん、その1。 夜遅くまで営業していることもありがたいですが、店員さんの気さくさ、優しさがお気に入りの理由です。 現在この本屋さんではホワイトバンドを取り扱っています。  3秒に1人、子どもが貧困から死んでいます。  食べ物がない、水が汚い、そんなことで。  この状況を変えるには、お金ではなく、あなたの声が必要です。  貧困をなくそう、という声を表すホワイトバンドを身につけてください。   THE WHITEBAND PROJECT (ほっとけない世界のまずしさHPhttp://hottokenai.jp/white/ より) ・メルヘンハウス 以前ご紹介した、お世話になっている本屋さん、その2。 日本で初めての児童書専門店だそうで、児童書ばかりでなく教育書、育児書も豊富。 また、親子で読書が楽しめるイベントや、年齢層ごと、学年ごとに毎月1冊本を宅配するブッククラブも魅力的です。ブッククラブでは全国に宅配ができますので、たくさんの方が参加されています。 大きな書店もいいですが、店員さんと気さくにお話ができ、くつろげる空間のある、 またさまざまなことに取り組んでいる町の本屋さんも魅力的ですね。 立ち読みって、本屋さんにとってはあまり歓迎されないことなのかもしれないけれど、我々が書店に行く楽しみの一つ。 それを一歩進めて「読んでもらう」スペースを店内に設けている書店も最近は多くなっています。 書店を巡る状況は厳しいでしょうが、書店がなくなると一番困るのは我々消費者。 これからも上手に付き合っていきたいですね。

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  • 11 Jun
    • 岡崎いずみ 『あの素晴らしい日ペンの美子ちゃんをもう一度』

      ええっ? もう今はいないんだ、美子ちゃん。 著者: 岡崎 いずみ タイトル: あの素晴らしい日ペンの美子ちゃんをもう一度 少年漫画誌や少女漫画誌の裏表紙または裏表紙見返しにはさまざまな商品広告が載ってます。 その中でも昔からの定番なのが、  歯を白くする器具  睡眠学習法  各種ステッカーや銀のアクセサリー  幸運になるお守り などなど。 妖しげな、そしてどこかわくわくさせるラインナップがたまりませんでした。特に睡眠学習はかなり真剣に購入を考え、何度も親に怒られましたねえ。 少女漫画誌によく掲載されていたのが「日ペンの美子(みこ)ちゃん」。 ご覧になった方も多いのでは。 その名の通り、日ペン、すなわちボールペン習字講座の広告漫画で、一回が必ず3×3の9コマ。導入とオチはストーリー仕立てになって、年賀状を書いたり、ボーイフレンドにラブレターを出したりするときに  日ペンで勉強していてよかったわ と美しい字が書ける自分をさりげなく(?)アピール。そして日ペンの紹介に移るんですが、これは毎回決まっていました。  ○十年の歴史を持つ日ペンで習ったのよ。先生方も超一流よ。  教材もバインダー式で使いやすいの。  1日20分程度の練習でペン字検定にも合格できるわ。  ○級合格者の○割が日ペン出身なの。 というセリフが必ず入っていて、これだけで3~4コマはありました。広告漫画だから当たり前なんですけど、毎度毎度お決まりのワンパターンが実に30年近く続いていたんです。 ワンパターンながらも誰もが「見たことある」漫画で、その存在感はそこらの連載漫画よりはるかに大きいかも。 そんな日ペンの美子ちゃん。いつの間にか見なくなったなあ、と思ったらもう連載されていないんですね。 初出が1972年で、1999年まで続き、その間4名の漫画家が担当していた。つまり初代~4代の美子ちゃんがいて、それぞれが時代に合わせ、それぞれのキャラクタを持っていたんです、なんてことをこの本を読んではじめて知りました。 基本的なデータとして担当していた漫画家さん、担当時期、などはもちろん、それぞれのバージョンの美子ちゃんの性格からファッションからボーイフレンドや同性の友達のことまでじつに詳しく調べられています。 リカちゃん人形とその家族、お友だち人形と同じように詳しく。キャラクタ設定や世界設定を通じて、その当時の日本の様子がわかるんですね。 初代の美子ちゃんは美人でボーイフレンドも多く、美しい字が書ける=できる女性、といったイメージなのに、代を重ねるに従ってドジな面も出てきて、どこのクラスでもいるような女の子になってゆきました。 これ、まさに少女漫画のヒロインやキャラクタのあり方、その移り変わりと似ていますね。 広告漫画だし、ワンパターンだからきちんと保管してある人なんてめったにいないだろうに。しかも72年から99年まで30年近くの長期「連載」。よくここまで調べたものです。 ちなみに、一番「在籍」が長かったのは初代の美子ちゃんで1972年から1984年までの12年間。作者(画)の矢吹れい子さんとは実は中山星香さんのことなんだそうです(!)。言われてみれば、そうなんですね、確かに中山さんの絵です。 私がよく見かけたのもこの初代美子ちゃん。 もう今は連載されなくなってしまった美子ちゃん。 復活を望んでいる人も多いんじゃあないでしょうか。

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  • 26 May
    • 生き物の飼い方図鑑

      ナメクジからヘビ、コウモリからクマまで。コレ一冊でわかります! 今は昔。まだ私が初々しい青年だったころ。 こんな私にも青春の日々がありました。合コンに合ハイ(合同ハイキング)にと楽しい日々を送っておりました。みんな若く、将来の可能性を信じて疑わず、ちょっぴり向こう見ずで、輝いていました。う~ん、今から見ると本当にうらやましい美しかったです、みんな。 当時大阪の学生寮に住んでいたので、合ハイには豊中の服部緑地公園に行ったり、六甲山牧場に行ったりしました。これから書きますお話もその六甲山牧場でのこと。 牧場には牛やヤギ、ウサギなんかがいて、キレイな空気、のどかな雰囲気に心も体も癒されます。私はといえばお乳を欲しがる子ヤギを相手にしているうち、おっぱいと勘違いしたのか小指をチューチュー吸われ、挙句にかまれちゃって、指をさすりさすりしてました。そこへ牧場にいるんでしょうか、泥んこに汚れた犬が2匹、こちらへやってくるではありませんか。一緒に来ていた女の子たちも男連中もちょっとひいてしまうくらい汚れていました。牛だ、ウサギだ、ヤギだとはしゃいでも所詮は身勝手な現代っ子。動物にも外見のよいものを求めちゃうんですね。 ところがそんな中で一人だけ、自分の服の汚れるのもかまわずワンちゃんたちを引き寄せ、なでなでする女の子が。普段は余り目立たない彼女。トレーナーとはいえ結構いいものを着ていたのに、泥がつくのも平気な様子でした。 それは何と美しい姿でしたろう。 その行為と笑顔に私は完全に参ってしまいました。(でも既に婚約済みだったのでした。。。) かように生き物を愛でるというのは他人に好ましい印象を与えるものです。 やはり平気で動物を殺しちゃう人よりは可愛がる人の方がステキですよね。 かくいう私も生き物なら大抵は愛でることができます。あの評判の悪いゴキちゃんも、好きではありませんがその存在意義とライフスタイルには理解があるつもりです。 観察対象を含めるとさまざまな生き物を飼ってきましたが、やはり手引書は欲しいもの。 書店に行くとさまざまな飼育本が売っています。やはりイヌネコは定番。またハムスターや各種小鳥も人気が高いですね。亀や熱帯魚なども大抵の書店にはあります。また、カブトムシやクワガタムシなんかもこれからの季節、人気を呼びそうです。中には「毒虫の飼い方」なんてのまであります。 私が以前持っていたこの本はすごいです。 全編モノクロ、写真はなくイラストですが、なんとクマやシカの飼い方まで載っているんです。普通の書店で買ったんですよ。クマの頁にはどんなことが書いてあったかというと、 「コンクリで数メートルの空堀を作り、鉄製の手すりをもうけ」 。。。ここまでできる人は普通いませんよねえ。 一方でイヌネコ、ハムスター、マウスやラットなど普通のペットも載ってます。また各種ハチュウ類、魚類、昆虫はもちろん、扱いは小さかったですがナメクジの飼い方までありました。 一体どんな人がこの本を必要とするんでしょうね。 でも結構重宝しました。 近所の子が巣から落ちたハトのひなを持ってきたときも、同じゼミの子が迷子のアヒルを預かっていたときも、この本のお世話になりました。 そう、自分が飼っていなくても、いつ何時どんな動物があなたの元へ持ち込まれるかもしれません。 そんなときのために、何か一冊でもいいからこの手の本を持っておくのもいいかもしれませんね。

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  • 11 May
    • ひし美ゆり子 『セブンセブンセブン―わたしの恋人ウルトラセブン』

      おじさんたちのあこがれのお姉さん。その実像は豪快で面白い!   著者: ひし美 ゆり子 タイトル: セブンセブンセブン―わたしの恋人ウルトラセブン 今やゴジラと並んで国民的キャラクタとなったウルトラマン。シリーズもどこまで続くか。親子二代で楽しんでいらっしゃる方も多いようです。 その中でもウルトラセブンだけはちょっと毛色が変わっていて、セブンもウルトラ警備隊も、そしてモロボシ・ダンもいつまでも同じ設定で続いているんですね。 これがウルトラマンだと新しい作品、新しい設定になっている。というより、シリーズがしばらく続くと「原点に帰れ」てことで初代ウルトラマンを模倣する(その一番最初が『帰ってきたウルトラマン』)んだけど、ウルトラマンそのままでなしに、主人公も舞台も変えていますね。 (といっても私がウルトラシリーズを見なくなってからかなり経つので事実誤認があったらゴメンナサイ) そんなウルトラセブンのヒロイン、アンヌ隊員を演じたひし美ゆり子さんのエッセイ集です。 アンヌ隊員。 ウルトラ警備隊の紅一点。特撮モノ、ヒーローものでは必ず女性隊員が一人出ていたんだけど(二人出てたこともあった出すね)、男声諸氏と同じコスチュームで同じ現場で頑張る女性隊員は幼い私らにとって、かっこよく優しいあこがれのお姉さんたちでした。そんな中でもこのアンヌ隊員は特別に格好良く、キレイでしたね。とはいえ、一番好きなのはやはりヒーローに変身するモロボシ・ダンで、アンヌは好き、というよりほのかな憧れの対象。幼稚園の○○先生が好き、というのと同じで、アンヌが好き、なんてことは友達同士でも言えませんでした。 まあ、我らおじさん族の憧れの女性なわけです。 そのアンヌを演じたひし美さん。これがなかなか豪快な方なんですね。 女優になったいきさつやヒロインに抜擢された思い出。ウルトラセブンの撮影時の思い出とそれ以後の活動について。仕事のことに私生活を交え、背伸びすることなくよい面悪い面ひっくるめて打ち明けておられます。お酒が大好きなこと、ミーハーなおばちゃんなこと。 アンヌ隊員というのは彼女の芸暦のほんの一部なんですが、それがだんだん大きな存在になっていったことなども分かります。 これはひし美さんの半生を描いているだけでなく、ウルトラシリーズを作ったさまざまな才能ある人たちの横顔も伝えている、なかなかの傑作エッセイです。 ↓こちらは文庫版。内容は一緒。でも「あとがき」が違うんだぞ!  写真も追加されました。 著者: ひし美 ゆり子 タイトル: セブンセブンセブン―アンヌ再び… ↓こちらはモロボシ・ダンを演じ、その後多くのドラマで活躍されている森次さんのエッセイ。 著者: 森次 晃嗣 タイトル: ダン―モロボシダンの名をかりて

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  • 23 Apr
    • ロボの写真

      ↑クリックしていただくと大きな画像がご覧になれます。パンフレット11ページには他に、わなにかかったロボの写真や、その時使われたわな、ロボが噛み千切った投げ縄なども載っています。 上段ディズニー映画「狼王ロボ」の各シーン。左写真はロボと愛妻の黒狼、ソンブラ(!)下段シートンがロボ捕獲時に持っていたライフル。銃口近くにロボの歯型がついています。

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  • 22 Apr
    • ロボの毛皮

       ↑クリックすると画像が大きくなります以前、「シートン展」の記事で言及したロボの毛皮の写真です。シートン展のパンフレット11ページに載っているものです。大きさは160センチほどだったそうです。 見上げる位置に展示してあったので、また、私が子供だったということもあり、もっと大きく見えましたが。

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  • 14 Apr
    • シートン展

      ロボの毛皮は、それはそれは大きかったですよ私と異なり、母は物持ちがよく、昔の美術展などのパンフレットもきちんとしまってあります。久々にシートンを読んで、「そういや昔『シートン展』に行ったなあ」ふと思い出して、実家の本棚を探すと、ありました。表紙にシートンの描いたロボの油絵、裏表紙はディズニー映画「オオカミ王ロボ」のワンシーン、カランボウの溶岩台地で遠吠えするオオカミの写真がある、しっかりした厚手の紙のパンフレットが。奥付を見ると1976年。アメリカ建国200年記念に、朝日新聞主催で、広島・千葉・名古屋・鳥取・長崎の各会場で催されたとあります。なぜか東京、京都、大阪といった大都市がはずされています。。。名古屋では8月中旬、松坂屋で開催されました。小学生だった夏休み、近所のこと一緒に母に連れられて見にいったんでしたっけ。ロボの写真と、毛皮。歯形のついたライフル、そして噛み千切られた投げ輪。実物を間近にして、その大きさに圧倒されたことを今でも覚えています。コミック版にも載っていた大作、「眠るオオカミ」や「オオカミの勝利」も展示されていました。これらの絵もまた今でもその迫力とともに思い起こすことができます。そのほか、長い間忘れていましたが、インディアン(ネイティブアメリカン)のスケッチや「ぎざ耳ぼうや」、「峰の大将クラッグ」の挿絵、コミカルなスケッチやボーイスカウト活動の原型、「ウッドクラフト・インディアン活動」のパンフレットなど、さまざまなものが展示されていました。ムツゴロウこと畑正憲さんや福音館版の訳者、今泉吉晴さんなどの寄稿文も今ではお宝物。30年前の少年の夏の日へタイムスリップできた幸せな一時でした。

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  • 10 Apr
    • 一杯のかけそば

      誰かが週刊誌に書いた書評で言っていたのですが、「ベストセラーとは普段本が読まない人がこぞって読む本」だそうです。だから、ベストセラー=面白い、とは限らないのだと。確かに一理ありまして、かく言う私もベストセラーだからと手に取り「……」そのまま書棚に返したものも少なくありません。とはいうものの面白いゆえベストセラーになることもあり、これもまた事実。ハリー・ポッターシリーズなどはそうですね。まあ面白い、とかよい、というのはそれぞれの主観であって、評価は分かれると思いますが。昔『一杯のかけそば』という本が大ブームになりまして、国会でも引き合いに出され、朗読されたことがありました。映画にもなったそうです。これ、私はなかなか読む気になれなかった。でもあまりに有名なので立ち読みをしました。「・・・・・・」いわれるほど感動の話ではなかった。いや、どっかで聞いたことがあるような話だなと思いましたね。まあ先ほど申しましたように感じ方は人それぞれなので堪忍してください。

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  • 11 Mar
    • 山岸涼子 『日出処の天子』と田中英道『聖徳太子虚構説を排す』

      古代史の深き森でさ迷い歩く楽しみ 前回の続き。 著者: 大山 誠一 タイトル: 「聖徳太子」の誕生 さまざまな方がそれぞれの論を展開していますが、 これらの説の共通項は 聖徳太子は日本書紀が作り上げた虚像である ということです。 そしてその根拠は 太子が作ったとされている十七条憲法や三経義疏は後世の作である、です。当時では使われていなかった語句があったり、現物が残っていなかったりすることがその理由です。 今では中学校の教科書でも  厩戸皇子(聖徳太子) とかっこつきの表記にされたり、  …十七条憲法を定めたといわれています。 と伝聞になっていたりします。 一方でやはり聖徳太子は実在した、と主張する人もいます。 著者: 田中 英道 タイトル: 聖徳太子虚構説を排す この本の後半で田中さんは谷沢さん、大山さんの不在説に反論をし、さらに梅原さんの法隆寺論にも反論を書いておられます。 中には言葉の表面だけ捉え、少しむきになっている感じもしますが。 私たちは今、歴史が書き換えられるか否かの場面に直面しているといえましょう。 しかし、結論が出るのはまだまだ先のようです。 ひとり聖徳太子のみに絞っても、いや絞っているからこそ百家争鳴の状態です。 仮に聖徳太子がいなかったとします。 すると「日本書紀」には、その述べる歴史には、その部分だけぽっかり穴があくことになります。そしてそれを埋めることのできる説はいまだ出ていません。 これは不在説に限らず、「蘇我王朝説」「物部王朝説」など他の聖徳太子論にもあてはまります。 すなわち全体を俯瞰することができていないのが現状なのです。 だからといって、不在説が即誤り、とも言えないでしょう。 古代史の森に迷い込み、さまよう多くの人々の中で、いち早く抜け出て他を導いてくれる説ははたしていつ出るのでしょうか。 楽しみです。

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  • 08 Mar
    • 山岸涼子 『日出処の天子』と谷沢永一『聖徳太子はいなかった』

      古代のスーパースターは実在したのでしょうか? 異能者、神人、聖者という要素を除いても聖徳太子は「天才」でした。そしてすぐれた政治家でした。 中学の社会では以下のように紹介されています。 ・推古天皇の摂政となる。蘇我氏(馬子)と協力。 ・冠位十二階を制定。才能・功績に応じて位を与え、人材登用を行った。 ・十七条の憲法を作成。役人の心構えを示した。 ・遣隋使。小野妹子を派遣し、対等外交を図った。(「日出るところの天子」とはこのとき送った書状の冒頭であります) ・仏教を保護し、法隆寺を建立。 高校ではさらに以下のことを学びます。 ・わが国最初の歴史書「天皇記」・「国記」(共に現存せず)の編纂をした ・日本最初の著作物「三経義疏」(さんぎょうのぎしょ:法華義疏、勝鬘経義疏、維摩経義疏の総称。 それぞれ法華経(ほけきょう)、勝鬘経(しょうまんきょう)、維摩経(ゆいまきょう)の三経の注釈書)を著す 中学までの学習事項が多いことにお気づきでしょうか。中学社会科で一人の人物の事跡でこれだけ学ぶのは聖徳太子、足利義満、信長、秀吉、家康と徳川吉宗くらいです。 まさに古代史のヒーローといえましょう。 『日出処の天子』の厩戸王子(聖徳太子)も同じく類まれな政治的才能にあふれた若者として描かれています。大叔父の蘇我馬子を完全に凌駕しています。 作中の厩戸王子の目的は何だったのでしょうか。 蘇我毛人、間人媛をはじめとする人間関係、恋愛模様を除いて考えてみます。 父、橘豊日大王(たちばなのとよひのおおきみ:用明天皇)がわずか2年足らずの在位で死去する際、王子は独白しています。 「これから先、私の手は血で塗られるのです」 王子の言葉から父大王の死により本来の計画からずれてしまったことがわかります。 その後先ほどの独白どおり叔父穴穂部王子(あなほべのおうじ)を殺害。排仏派の物部氏を滅ぼした後、凡庸な叔父、泊瀬部王子(はっせべのおうじ)を大王に擁立します。 この間王子は血縁である蘇我氏とその歩みを一にしています。 そして泊瀬部大王は凡庸さの故、自分より人気のある王子をこころよしとせず対立。 ついには殺害されてしまいます。 こうして王子は二人の叔父を殺害した後に伯母の額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)を大王に立て(推古天皇)、自らは大兄(おおえ:次期大王の資格のある王子)として政権を担います。 彼の目的は彼自身の言葉 「この国はもともと大王のもの」 そして馬子の以下の言葉 「まるで大王が二人いるかのようだ」 「あのお方の目的は執政者になることがったのだ」 からわかります。(実は早い段階で毛人に「私の目的は大王になることではない」という心のうちをテレパシーで読まれているのですが〉 また、対外的にはそれまでの朝鮮三国(新羅、百済、高句麗)との関係重視から、大国隋に直接交渉へ、と切り替えてゆきます。 それは朝鮮の国々とつながりの深い豪族たち、特に蘇我氏の頭越しの外交でもありました。 以上のような太子像は前回同様、これまた実に伝統的、保守的解釈と言えます。 戦前より聖徳太子は豪族蘇我氏と対立しながら皇室中心の政策を進めたとされてきました。 その後、皇室へのタブーが無くなり、古代史の研究が進むにつれ、太子と馬子は協力関係にあった、とされ、 さらに両者の力関係は最初対等と考えられていたものが、馬子主体へと変わってゆきました。 山岸さんのマンガはその過渡期の作品です。ですから蘇我の描き方も(毛人が重要人物であるという設定も〉当時(80年代)としては新しいものでした。 伝統的な太子像と新しい蘇我像が並存していたのです。 さて時代は下り、90年代になると古代史も様々な解釈がなされるようになりました。 聖徳太子に関しても ・聖徳太子はいなかった ・聖徳太子は二人いた ・聖徳太子は蘇我馬子である ・聖徳太子は天皇であった など実ににぎやかになってきました。 これら各種の論に共通しているのは「『日本書紀』を疑え」という姿勢であります。 著者: 谷沢 永一 タイトル: 聖徳太子はいなかった 谷沢さんは豊かな漢籍、古写本の知識を駆使して聖徳伝説のベールを一つずつ剥いでゆきます。 その内容は聖徳太子、日本にとどまらず中国史、近世近代史に及び、あふれんばかりの知識の広がりが実に面白い一冊であります。 ところがこの「話の広がり」が評価の分かれるところで、そのような冗長な話に付き合っておれん、という人もいます。 それはさておき、谷沢さんの主張をまとめると ・『隋書倭国伝』の「日出処天子」書状は「聖徳太子」が出したものかどうか不明(日本書紀はじめ日本の文献に出ていない) ・十七条憲法、「三経義疏」は後世の作である ・そもそも日本書紀に「聖徳太子」という名は出てこない 以上のことから「聖徳太子」、万能の皇太子伝説は ・わが子草壁皇子(皇太子)、孫の軽皇子の立場強化を図る持統天皇と 娘婿の首皇子(おびとのみこ:後の聖武天皇)の立場強化を図る藤原不比等(ふじわらのふひと:中臣鎌足の子)による演出 ・法隆寺の立場を強化するための策謀 だとしています。 すなわちこの本では「聖徳太子」はいなかった、としていますが、「厩戸皇子」の実在までは否定しているわけではありません。 そしてなぜ聖徳太子がいない、とするかといえば、この記事冒頭のようなスーパーマンは「ありえない」からです。 それは日本武尊(やまとたけるのみこと)と同じく、後世の人間が作り上げた理想像である、ということです。                           <この項続く>

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  • 04 Mar
    • 山岸涼子 『日出処の天子』と豊田有恒『聖徳太子の悲劇―なぜ、天皇になれなかったのか?』

      孤独な青年像に多くの若者が共感しました 前回紹介した批判にあったように、山岸さんが描いた聖徳太子(厩戸王子)は超能力者です。 ・手を触れずに物を動かせる ・人の心を読める ・人の心を操作できる ・瞬間移動できる などなど。そしてこの秘密を知っているのは蘇我毛人、そして母親の穴穂部間人媛(あなほべのはしひとひめ)。母の方はおぼろげに知っていただけのようですが。 そしてそれゆえに家族から遠ざけられ、上宮(かみつのみや)に独り寝起きしていました。 この太子像、実は「家族から遠ざけられていた」以外は古くからの伝統的な太子像です。 聖徳太子は超能力者だったのです。後世の人々の中では。 例えば太子は空飛ぶ馬に乗って、斑鳩と飛鳥を短時間で往復できましたし、 従者の調子麻呂(ちょうしまろ)も同じく空を飛べたと言われています。 8人、あるいは10人の訴えを同時に聞けた、というのはあまりにも有名ですね。 また聖徳太子の死因を調べた現代の医者が「腸チフスと似ている」と発言しています。腸チフスが日本に来るのはずっと後の時代のこと。ここから、太子は時間旅行ができたのではないか、と考えられています(「ムー」に載っていそうなネタだなあ)。 そして数多くの予言書、『未来記』を書いたと言われています。有名な予言として鎌倉幕府の滅亡に言及したものが『太平記』に載っています。 (実際には聖徳太子の予言、として自分たちに都合のいいことを言っているに過ぎないのですが、太子のネームバリューゆえにその情報操作は見事に効果を発揮しました〉 。。。以上はあくまで後世の人が信仰した、異能者の太子であります。 付け加えるなら、太子の家系は母方も父方も蘇我氏につながります。 母の間人媛は蘇我稲目の娘、小姉君(おあねぎみ)と欽明天皇の間に生まれ、父の用明天皇は同じく蘇我稲目の娘、堅塩姫(きたしひめ)と欽明天皇の間に生まれました。そう、父母は異母兄弟同士なのです。 古代は、とくに皇室ではこのような近親間の婚姻がしばしば行われました。 母方で養育されるため、異母兄弟は半ば他人と認識されていたこと、そして、財産の分散を防ぐために行われていたそうです。 それでも太子の家系は蘇我の血が濃く流れておりますね。 近親婚を重ねると天才や美形、その逆も生まれることがあるとか(科学的根拠はないそうです)。かのクレオパトラもそうだったらしいですね。 山岸太子のポイントはその異能ゆえに恐れられたことです。 古来、父より深く愛されていたがゆえに上宮に移された、とあるところを逆に疎んじられたがゆえ、としたところにそのすごさがあります。 2巻、上宮で独りたたずむ厩戸王子のさびしげな後姿に心震わされた読者も多かったでしょう。 そう、多くが思春期まっただ中であった読者にとって、王子の孤独は他人事ではなかったのです。他者との違いに悩み、孤独にさいなまされる、若者なら一度は通る道ではないでしょうか。 この「悩める太子象」、これが聖徳太子が天皇になれなかった原因である、としているのが昨日も紹介したSF作家の豊田有恒さんです。 著者: 豊田 有恒 タイトル: 聖徳太子の悲劇―なぜ、天皇になれなかったのか? 聖徳太子は完全な蘇我系でありながらなぜ天皇になれなかったのでしょうか。 決して凡庸な人物でなかった、それどころか実に有能であったことは皆が認めるところです。 実はそれどころではなかった、その頃の太子は重度のノイローゼになっていたのではないか、と豊田さんは考えます。 推古天皇が即位し、聖徳太子が摂政となったのは西暦593年。 しかしその後数年、太子は何もしておりません。 この間、596年に伊予(愛媛県)道後温泉に仏教の師慧慈法師(えじほうし:高句麗の僧)とともに訪れたことが「伊予国風土記」に記載されています。 これは療養のためではないか。 では太子をノイローゼに追いやったものは何か、それは家庭環境である、と。 593年は激動の年でありました。 太子の母方の叔父、崇峻天皇が臣下のしかも妻の父である蘇我馬子に殺され、史上初めての女性天皇、推古が即位しました。このとき太子20歳、ただしこれは数え年でありますから、満年齢で言えば18~19歳。 この多感な時期に太子の身の回りには次々とショッキングな出来事が起こります。 最大のものは母の再婚だったでしょう。その相手がなんと、太子の異父兄に当たる田目皇子。 先ほど申しましたように古代では異父、異母の兄弟の婚姻はタブー視されていませんでした。しかし、血がつながっていないとはいえ、母と子の婚姻は流石に例を見ません。 豊田説では他に太子の妻で馬子の娘、刀自古郎女(とじこのいらつめ)の問題、崇峻天皇殺害の実行犯、東漢直駒(やまとのあやのあたいのこま)の問題も絡んで太子を追い詰めていったとされていますが、そこはいまだ謎であります。 山岸さんも豊田さんも聖徳太子を「聖人」ではなく、偉大な政治家でもなく、一人の悩める青年として、我々と同じ人間として描きました。 それがお二人の作品が支持される理由なのでしょう。 著者: 豊田 有恒 タイトル: 聖徳太子の叛乱 ↑こちらは『モンゴルの残光』とおなじくIF小説。「もし物部氏が勝利し、穴穂部皇子(あなほべのみこ:太子の母、穴穂部間人媛の同母弟)が即位していたら」という小説です。ここに描かれる太子も悩める青年です。

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  • 01 Mar
    • 山岸涼子 『日出処の天子』と司馬遼太郎『竜馬がゆく』

      歴史上の人物の実像なんて誰にもわかりません 真実への漸近線をひけるだけです 『日出処の天子』は爆発的な人気を得て、男女問わず多くの若者に読まれました。1983年には講談社漫画賞を受賞。今でも山岸さんの代表作として、新たな読者を獲得しています。 人気が出れば社会に与える影響も大きく、影響が大きければそれを憂いて批判がでるもの。この漫画にもたくさんの批判がなされました。 それら批判を取り上げることは、この漫画の内容を知る近道となりますので、以下に並べます。 ・聖徳太子を超能力者として描いている。これは歴史像を大きく歪めている。 ・聖徳太子を女性嫌いで同性愛者として描いているのはけしからん。 ・衣食住、人物の台詞など時代考証がおろそかである。 ・蘇我毛人とその妹でのちに聖徳太子の妃となる刀自古郎女(とじこのいらつめ)が通じ、その子が山背大兄王子(やましろのおおえのおうじ)としているが全く根拠がない。 などなど。おっしゃることはいちいちごもっともです。特に聖徳太子を聖者と崇めている人には我慢がならなかったのでしょうね。 しかし、それならば読まなければよいのです。このような批判をされる方はいつの時代にもいらっしゃいます。多分マンガを読む人への悪影響を心配されているのでしょう。しかし、それは杞憂というもの。 この漫画はフィクションです。読者はそれを承知で読んでいる場合が殆ど。まさか一から十まで史実と受け止める人はいないでしょう(いたらゴメンナサイ)。 当時この漫画が掲載されていた「LaLa」には他に ・昭和初期の中国を舞台にした歴史物 ・旧制高校の寮を舞台にした恋愛物 ・平安時代を舞台にした伝奇物 などもあり、小さい子供さんには難しい内容も多かったです。読者層はおそらく高校生~大学生が中心だったのではないでしょうか。 山岸さんがこの漫画を描くきっかけは「聖徳太子の恐ろしさを感じた」ことだそうです。しかしそれはあくまできっかけに過ぎず、また飛鳥時代も単なる素材に過ぎず、それらを通して描きたかったことは別にあったのではないでしょうか。 (この漫画が何を描きたかったかの考察はあとに譲ります……こればっか) 主な登場人物を美形にしたのは「読者サービスだった」と山岸さんはおっしゃっています。これも「少女マンガ」という性質上致し方ないでしょう。それにこのようなことは文学でもなされたことです。『義経記』の源義経が美形になったように。 時代考証についてはやはり限界というものがあります。文字ではなく絵で表現する漫画には特に。確かにこの漫画の服装は時代的におかしい。奈良時代のものと古墳時代のもののミックスで、奇妙な感じをもたれるかもしれません。(作者自身もそうおっしゃってました〉。 横山光輝さんの『三国志』も、その当時は今ほど多くのことが分かっていなかったため、武器一つ、衣装一つにかなり苦労されたそうです。そして分からないところは空想で描くしかなかったと。 時代考証は本当に難しいです。考証もしっかりしていて、ストーリーもしっかりしていなければならない、大変です。そして後から後から新事実が分かりますから、古い作品は考証がおかしな部分はどうしてもある。 昔の映画を技術が未熟だから駄作、と決め付けることがナンセンスなことと同じです。広い心で漫画は読みたいものです。 山背大兄皇子の件。これは山岸さんなりの解答だそうです。 「山背はなぜ天皇になれなかったのだろう」という疑問への。 前回お伝えしたように山背擁立に反対したのはほかならぬ毛人でした。 私も高校時代、疑問に思ったものです。山背は完全な蘇我系の皇子です。対立候補の田村皇子(たふるのみこ。後の舒明天皇)は毛人の妹を娶ってますが、自身は非蘇我系。 この山背排除についても古来さまざまな議論がなされました。ここではとても紹介し切れませんので、後述します(またまたこれで、スミマセン)。 よくよく考えてみればこれらの批判は「漫画はけしからん」という結論が既にあってのことだと分かります。なぜならそのような考えであれば吉川英治さん、司馬遼太郎さん、海音寺潮五郎さん、、、などなど、全ての歴史小説家も槍玉に挙げなければならないのに、そうはなってません。 上記の批判は歴史小説全てにあてはまります。 いや、批判者の論法で言えば歴史小説のほうがはるかに「悪い」。歴史像を「歪め」、それが史実として受けとめられていることが多いのは漫画よりも小説だからです。 (ここではその一例として司馬さんの『竜馬がゆく』を取り上げます。しかしくれぐれも誤解なさらないでください。私は司馬さんを批判しているのではありません。批判者の論法が司馬さんのような偉大な小説家にも当てはまることを述べているに過ぎません。) 坂本竜馬の人気を高め、イメージを決定したのはなんと言っても司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』でしょう。この小説で歴史が好きになった、生き方を教えられた、という声を私も何度か聞きました。 でも『竜馬がゆく』はフィクションです。ここに書かれているのはあくまで「司馬竜馬」であって、歴史上の竜馬とは異なります。小説が書かれたのは昭和30年代。その後に分かった事実もたくさんあります。 例を挙げれば ・竜馬の背中にたてがみのような毛がはえていたという事実はない ・竜馬が寝小便タレだったという事実はない ・竜馬が千葉道場の免許皆伝だったという事実はない(かもしれない、論争中) ・竜馬は佐久間象山門下で砲術を習い、かなり蘭学に通じていた(かもしれない) ・したがって竜馬が勝海舟を斬りにいったというのは史実ではない(これは海舟一流のリップサービス) ・竜馬が「世界の海援隊をやりますか」と言った事実はない などです。 もちろん、以上をもって「だから『竜馬がゆく』は駄作である。けしからん」と言う人はいないでしょう。 『竜馬がゆく』は小説であり、フィクションです。歴史の教科書でも論文でもありません。多くの人がこの作品をきっかけに歴史を知り、または生き方を考えさせられた、これは素晴らしいことだと思います。それだけでも『竜馬がゆく』は素晴らしい作品なのです。 同様に『日出処の天子』も素晴らしい作品です。 次回は「謎の聖徳太子」をお送りします。

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  • 28 Feb
    • 山岸涼子 『日出処の天子』とNHKドラマ「大化の改新」

      ●「毛人」と「蝦夷」について説明不足だったので補います 私は見ていなかったのですが、NHKドラマ「大化の改新」では原田芳雄さんが蘇我「毛人」(えみし)を演じられたそうですね。 教科書では蘇我「蝦夷」、ですがNHKでは「毛人」。これはどういったわけでしょう? 蘇我蝦夷は『日本書紀』に出てくる名前で、蘇我毛人は『上宮聖徳法王帝説』に出てくる名前です。(『日出処の天子』も「蘇我毛人」です) 聖徳太子の生涯をたどる上で『日本書紀』は無視できません。というより、『書紀』だけ、と言ってもよい状態です。後代の史料は『書紀』を引用したものが殆どですから。あとは隋書のような外国史料や法隆寺の落書き、仏像の光背銘など断片的なものがあるくらい。 この『日本書紀』は国家の正史ですから、かなり信用が置けるのですが(近年『書紀』贋作説があるのですが、それは後に譲ります〉、いかんせん史書とは「勝者が綴った歴史」でありますからそこを考慮して読まなければいけない。 この場合の勝者とは乙巳の変(いっしのへん;645年に蘇我本宗家が滅亡した事件。いわゆる「大化の改新」の始まりの事件)で蘇我本宗家を滅ぼした中臣鎌足の子である、藤原不比等(ふひと)を含んでいます。 そのため、「蝦夷」という表記に差別を感じた門脇さんは調査の上、「蝦夷ではなく毛人」としたのです。 このような汚い名前に変えることは古来なされていたようで、有名な例に和気清麻呂→別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)があります。 エミシ もともとは「武勇に優れた人」の意味で、「毛人」(毛深い人?)という字を当てていました。 その後大和政権に服属しない東国(関東、東北)の住人をエミシというようになり、最初はやはり「毛人」の字を当てていましたが、次第に「蝦夷」の字に変わります。 最初のうちは自分たちに服属しない強さを認めていたのが、だんだん蔑視に変わっていったのでしょうか。 蝦=ヒキガエル、ガマの意 夷=大と弓に分解され、強力な弓を引く人、辺境民族、「東夷」 おおよそ、関東が服属するまでは「毛人」、服属して以降は「蝦夷」となります。 で、同じエミシでも「毛人」には差別意識はありませんが、「蝦夷」では明らか。 蘇我本宗家の、大臣までつとめた男にふさわしいのはやはり「毛人」でしょう。 「蘇我毛人」以外に「小野毛人」(小野妹子の一族〉、「佐伯毛人」がいたことが分かっています。 著者: 狩谷 望之, 平子 尚, 花山 信勝, 家永 三郎 タイトル: 上宮聖徳法王帝説 ここには蘇我蝦夷に当たる人名として「蘇我豊浦毛人大臣」がでてきます。国家検閲を経た日本書紀では「蝦夷」ですが、もとは「毛人」。または邸宅の所在地をとって「豊浦大臣」と呼ばれていたようです。 この『法王帝説』、成立は平安時代初頭(8世紀末)なのですが、一部は『日本書紀』より古い7世紀末~8世紀初頭に成立したとされています。短いものですが貴重な史料です。岩波文庫で手に入りやすいのもグッド。 今回は肝心のトコロテンに言及することができませんでした。 次回はトコロテンバッシングについてご紹介します。

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  • 26 Feb
    • 山岸涼子 『日出処の天子』と門脇禎二『蘇我蝦夷・入鹿』<一部改訂>

      散りばめられた知識を追ってゆく快感 コナン・ドイル最大の功績はホームズを創作したことではなく、ワトスンを創作したことである、と聞いたことがあります。 ワトスンはわれわれ読者の目となり耳となって、ホームズと渡り合い、サポートしているのです。 天才を描くのにぴったりな偉大なる凡人、ワトスン。 それ以後無数のワトスンが創出されました。 現実世界においても、 石川啄木と金田一京助、中原中也と小林秀雄の関係は一部それに近いものがあります(と私は思います)。でも決して金田一さんや小林さんが凡夫であると言っているのではありません。 私のような凡人には金田一さんや小林さんのほうが理解しやすい。計測が可能なのです。そして両者の目から詩人を眺めたとき判ったような気になる、ということです。 この『日出処の天子』では厩戸皇子(聖徳太子)を描くに、蘇我毛人(えみし=蝦夷)を用いている。 厩戸は同時代からも現代のわれわれからも超越した存在でした。毛人は常識人であり、われわれの分身です。1巻の最初、連載第一話でまず出てくるのが毛人。厩戸は第一話のラストでやっと出てきます。が、その後もしばらくは毛人中心に物語りは進みます。 毛人と厩戸は吸い寄せられるようにだんだんと歩みを一にしてゆきます。それでも物語を通じて読者の視点は毛人であることが多い。 ワトスン役が毛人というのがシブイですね。これが小説だったら父親の馬子をもってくるんでしょうが、何せ少女漫画。中年オヤジはいりません。妖艶な美少年厩戸には健康的な美少年(美男)毛人。ちなみに馬子は下膨れでトラひげに描かれております。 歴史上でも毛人(蝦夷)は父の馬子、子の入鹿にはさまれてほとんど目立ちません。 それゆえ固定したイメージが無く、読者の分身にするにはうってつけだったのでしょう。逆に目立たないから生真面目なイメージが描きやすい。 では実際の毛人(蝦夷)はどんな人物だったのか。 前回も書きましたが、私は「毛人」という表現からこの人物に非常に興味を抱きました。 しっかりした取材をして描かれているため、「毛人」にかぎらず、そこここに知的好奇心を刺激する人名や事項が出てきます。 作者がばらまいた知識の星くずを拾い集める楽しみ。 時代は下りますが、『薔薇の名前』、はたまた『エヴァンゲリオン』などは意識的にそういった仕掛けが施されていて、ファンはそれら知識の断片を拾い集め、調べることに夢中になったのでした。 今の世にこの漫画が連載されていたらきっと関連本がたくさん書かれたでしょう。 話を戻しまして、毛人はどんな人物だったのか。 実はあまり分かっていません。 作中、厩戸の4歳年上と書かれていますが、実際の年齢は分かりません。 実は古代の人物は意外と分かっていないことが多く、年齢も天皇や皇族を除いては不明な場合がほとんど。馬子、入鹿の年齢も不明です。何年に死んだか、が分かっているだけ。蘇我の出自も詳しくは分かっておりません。 馬子の父、稲目の代に突如として「大臣(おおおみ)」(「大連(おおむらじ)」と並ぶ豪族のトップクラス)となり、3人の娘を欽明天皇に嫁がせています。馬子が勢力を振るえたのも彼自身の力量もありますが、父の政策に負うところも大きかったでしょう。 毛人に話を戻します。 著者: 門脇 禎二 タイトル: 蘇我蝦夷・入鹿 この本によれば 歴史の表舞台に現れるのは推古朝から。610年、新羅・任那の使節が調停に来たときに出迎えた4人の大夫(まえつぎみ)の一人として名前が出てきたのが最初だそうです。 さすが、大臣の息子。晴れの舞台がデビューですね。 ですが、大臣の息子だからと言って大臣になれないのが古代日本。当時は親子間の相続より兄弟相続のほうが有力だったのです。 その後長らく毛人は表舞台には出てきません。 次の登場は推古天皇崩御のとき。天皇の跡継ぎを決めるために群臣が集まったときには「豊浦の大臣」としてまとめ役となっていました。 ところが 会議は分裂します。 あろうことか叔父の境部臣摩理勢(さかいべのおみまりせ)が反対。毛人の推す田村皇子(後の舒明天皇)に対抗し、山背大兄皇子(聖徳太子の長子)を推薦。 毛人は意見を一つにまとめるため叔父を討ち滅ぼしました。 あきらかにリーダーシップ不足。これは蘇我の勢力減退の遠因となりました。 どうも父に比べ、政治手腕は見劣りがします。 642年には子の入鹿(門脇さんの説では「鞍作」)に大臣の位を渡し、一線から退きます。 多分、自分のときのようなごたごたが起きないようにしたかったんでしょうね。 また、明らかに有能な我が子に早く権勢を譲りたかったのでしょう。 どうも歴史上の毛人はぱっとしませんね。 優柔不断の見本のような人物だったのでしょうか。 まあ、それも漫画のキャラクタとマッチしていていいのですが。 (追記)とこのときはそう思っていたのですが、考え直してみるとバランス感覚に優れていたともいえます。親父の代とは違い、蘇我の各分家や親蘇我の豪族たちの力も強くなってきましたから、協調路線をとったのでしょう。 父親のかっこいい部分だけを真似して自滅した2代目は多くいます。それに比べたらかなりできのいい部類に入るのではないでしょうか。 645年、乙巳の変(いっしのへん)により入鹿が暗殺されますと、毛人も屋敷に火を放ち自ら命を絶ちました。 著者: 黒岩 重吾 タイトル: 落日の王子―蘇我入鹿 毛人(蝦夷)が出てくる小説は殆どありません。というかあったら教えてください。 この本でも主役は入鹿。 古代史に詳しい黒岩さんの描く入鹿はじつに魅力的です。 機会があればご紹介したいと思います。

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