井上靖 『わが母の記』

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年をとるのはステキなことです


わが母の記 (講談社文庫)/井上 靖
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5年ぶりくらいのご無沙汰です。
まあ色々と、それこそ色々とありまして、職も住まいも変わりました。
ぐうたらに無責任に生きておりましたが、親父が亡くなりまして、さすがにこたえました。
私も今年四回目の年男になります。老けるにはまだ早すぎますが、先がちらほらと見えてまいります。
ちなみに結婚には失敗しました。

年をとる、というと、私にはすぐと思い浮かぶ歌が三つございます。
ひとつは大黒摩季さんの「夏が来る」。冒頭に挙げました「年をとるのは素敵なコトです」という言葉はこの歌からです。もっともこの歌の場合は20~30代位の女性を指してるんでしょうが、なんとも素敵な言葉だと思います。
なぜか現代では「年をとる」マイナス面ばかり言わることが多ございますが、そんなこたあない。この『わが母の記』にしたって、私には今の年齢になって読んでよかった、と思いますよ。年とってよかったとね。
年をとることによって失うものもあるけど(それは不可抗力だから、若い人は揶揄しちゃあいけませんヨ)、得るものもいっぱいある。プラスマイナスどちらに傾くかはその人次第でしょうし、おんなじ人でも日によって変わってくるんでしょうね。
もっとも大黒さんのこの歌では「素敵なコトです」が強がりにも聞こえるかも。どう捉えるかはまた人によるのでしょうけれどね。

二つ目は斎藤茂吉

ミュンヘンにわれをりし時小夜更けてほとの白毛を切りて棄てにき

という短歌。「ほと」というのは、まことにスミマセン、陰毛のことでございます。
私はこの歌を、中学生の時に、茂吉の次男である北杜夫さん――北さんも去年お亡くなりになりましたね。年月を感じます――のエッセイだかで知り、ずっと覚えていたのです。小さい頃に頭に入れたデータというのは断片にしろ、意外と残るものですよね。
それはともかく北さんが言ったのかは覚えてませんが、頭に白髪ができる以上に「ほと」に白髪ができるのは老いを感じちゃうんだそうで、私の場合は、これまた汚い話かもしれませんが鼻に白い毛を見つけた時におんなじ思いをしました。頭髪なら若白髪ってもんがあるでしょう? だからまだ「年とってない」と理屈つけれるんですが、頭髪以外だとやはりこたえますね。
俺も年とったなあ、なんて。
(「ほとの白髪」には別の解釈もあるそうで、興味ある人は調べてみてください)

三つ目は江戸時代の禅僧、仙厓和尚(1750年~1835年)の「戒老偈」というやつでして――これは歌ではありませんかね――、

皺がよる ほくろができる 腰まがる
頭ははげる 髪白くなる

手は震う 足はよろつく 歯は抜ける
耳は聞こえず 目はうとうなる

身に添うは 頭巾、襟巻き、杖、眼鏡
たんぽ、温石、しびん、孫の手

くどくなる 気短になる 愚痴になる
心は歪む 欲深くなる

聞きたがる 死にともながる 淋しがる
出しゃばりたがる 世話やきたがる

またしても同じ話に 子を褒める
達者自慢に 人は嫌がる

 という、身も蓋もないものですが、こういうのがあるのです。
先ほど「俺も年をとったなあ」なんて偉そうに書きましたけど、こういうのを読むと、私もまだまだ若造ですね。生意気言っちゃあいけませんね。


長々と書きましたけれど、実はこの三つ、これが私がこの本『わが母の記』を読んだ感想および読み取った内容を表しているからなんです。
この本は井上先生のお母様、ご家族の実際をを描いたエッセイとも小説ともいえる作品です。

井上靖の本を読むのは、恥ずかしながら、実に三十数年ぶりです。最後に読んだは『後白河院』『蒼き狼』か、いずれにせよ中学生高校生くらい。
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私が「俺は文学青年だ」なんて威張ってた時です。
三十数年ぶりに井上先生の文章に接しましたが、実に読み易く、またしっかりした文章をおかきになる人だったんだなあと。ちょっと上から目線な感想をもっちゃいましたけど、昨今そうでない文章に多く接したからなんでしょう。母が点訳をやっていて、しょっちゅう文章の意味とか文法とか聞いてくるもんですから、自然と「点訳しやすいか、しにくいか」という観点で呼んじゃってるのかもしれません。
ぐいぐいと、というよりすっと引き込まれてしまう。力強く引き付けるよりやさしく誘ってくれる、少なくともこの本ではそうでした。
そして冒頭の大黒摩季さんの歌詞の一節になるんです。私はこの歳でこの本に出会えて本当によかったと。少年時代出会っていたら、それはそれでまた貴重な体験でしたろう、けれど私には今、この歳で読めたのが、大げさに言えば運命的なものを感じました。
偉そうなことを言えばこの本は私ら以上の世代の人にこそより深く味わえるものなんじゃないかと。いや、もっと乱暴に言えば、私らの世代、40後半~60前半くらいの人にこそ一番ぴったりくるんじゃないかと。
本当に乱暴なことを言ってますが、これもあくまで個人的な感想ですよ。

最初の部分ではお父様のこと、その死のことが書かれておりまして、これは先年親父を亡くした身には、それを引きずっている自分には、実にこたえました。
「私は父によって死から守られていた」
という一節がありますが、確かにそうですね。(年齢にもよりますが)親が死ぬということは「死」がはっきりと一歩自分に近づいてきたことを感じさせます。祖父母の時とは違う。そして母親がまだ生きているこの時点では「まだ半分死から守られている」。

メインはタイトル通りお母様のお話です。エッセイとも私小説とも言える三つの短編からなってます。
近く映画も上映されますが、映画ほどドラマチックな展開はありません。とはいえ、私も予告編を見ただけなんですが。
自分の母親が呆けていく様を描いている、その描き方が扇情的でもなく、突き放してもなく、描いている。
先に挙げた「戒老偈」ではないけれど同じ話を何度もする、ってとこから始まります。「戒老偈」ほどひどくはないですけれどね。

個人的にはお母様が嫁のいる息子たちの家ではなく、夫がいるいないはあるけど娘たちの家で面倒を見てもらいたがった、てとこが興味深かったですね。ウチの父方の祖母もそうでしたから。少しわかる気がします。

しかし、やはり寂しくもありますね。自分を産み育ててくれた母親が老いてゆくのは。ウチの母はまだかくしゃくとしておりますが、それでも70代。孫がいるんで、やっぱり私ら子供たちも「おばあちゃん」とよんでます。そう考えると自分も年をとったなあという寂しさが、コレ最初の「ステキなこと」と矛盾するかもしれませんが、寂しさがあります。単純なステキでなく複雑なステキさですよね。母の姿は鼻毛の白髪やほとの白髪以上に自分の年を感じさせてしまうものですね。



オマケ
私が買った本には巻末に年表と写真が数葉載っています。
井上先生はお母様そっくりですよ!



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