私のミッシングリンクがまた一つ埋められた

美川 圭
院政―もうひとつの天皇制

私はヘンリー5を中心に英仏百年戦争からばら戦争テューダー朝あたりまでのイングランドの歴史を追い、機会があれば紹介しているのですが、現在ばら戦争で足踏み状態です。われわれ日本人になじみがないものをどうやって紹介すればよいかを悩んでいます。百年戦争ならジャンヌ・ダルク、テューダー朝なら青ひげ」やトランプのキングのモデルであるヘンリー8世『王子と乞食』エドワード6世、カクテル「ブラッディマリー」にその名を残すメアリ1世やかのエリザベス1世と有名人があまたいるのですが、その谷間であるばら戦争は。リチャード3世がもっとも有名になるのでしょうか。彼は日本で言えば吉良上野介のように、芝居のイメージが実在を上回り、ずい分損をしている人です。
一つ考え付いたのがキングメーカー(国王製造人)という言葉をとっかかりにできないかな、ということ。キングメーカーは歴史用語であるとともに、現在でも政界や財界の実力者に使われる普通名詞でもあります。ゲームの好きな人なら『プリンセスメーカー』という作品をご存知でしょうか。このタイトルも、製作者が意図しているかどうかはともかく、キングメーカーを想起しますね。

院政。この言葉もキングメーカー同様、歴史用語であるとともに、現代でも長老政治の代名詞として使われています。
歴史上では白河天皇が譲位し、上皇となって政治を始めた1086年に始まり、以後鳥羽後白河後鳥羽4代の専制期(正確に言えば平清盛の傀儡であった高倉院政があって、後白河院政を中断している)、鎌倉後期の制度化された院政が続き、後醍醐天皇の親政の後は形骸化し、断続的に江戸時代まで続きました。最後の院政は尊号事件松平定信とやりあった光格天皇の1817年~1840年です。彼は明治天皇のひいおじいさんにあたります。そう思えば、ずい分最近まであったわけです。


中学では白河が上皇となってから、高校ではその前の三条天皇の親政から、それまでの摂関政治から院政へ移行したと学びます。しかし、考えてみれば白河以前にも上皇となった人はたくさんいたわけです。上皇となれば院庁と呼ばれる、上皇をお世話する役所が作られ、何名かのお役人がそこで働きます。この院庁と「院政」の院庁とどう違うのか。また摂関家が衰退した原因が、天皇に就ける外孫を設けることができなくなったからだ、というのが一般的な説明ですが、その後も摂関は続き、大きな権力を振るっているわけです。歴史というのは人の営みの積み重ねですから、よほどのことがない限りそれは継続であり、断続ではない。教科書のような線引きは、問題をある程度明瞭に捉えることはできますが、深く考えようとすると疑問がどんどんわいてくる。


本書は、そんな疑問にほぼ完全に答えた傑作でしょう。特に白河院政を詳しく分析し、その成立過程をわかりやすく説明しています。50年近くも院政をしき、「天下の三不如意」賀茂川の水・双六の賽(さい)・山法師はどうしようもならぬ、つまりそれ以外は意のままであると豪語したと伝えられる白河上皇。望月の歌をよんだ藤原道長や「朕は国家なり」のルイ14世を彷彿させますが、果たして彼らのような権勢を誇ったのか、どうか。

結論を言えば、院政とは王家(中世日本の院政を行う上皇を家長とした天皇家を、それまでの、そして近世以後の皇室と区別して王家と呼ぶ)と摂関家の妥協の産物であり、妥協したがゆえに摂関家は勢力を減退させ、王家へと権勢が移っていったのです。


院政期の話題で避けて通れないのは荘園と武家ですが、これらも史料を丹念に追い、一般に流布したイメージとは異なる像を映し出してくれます。

摂関家への荘園の集中、普通これは摂関の全盛期、道長・頼通父子の時代がもっとも盛んであったと語られますが、実はそうではなく、院政期に王家に対抗するために荘園の集中が始まり、王家、摂関家による荘園争奪戦みたいなものが行われていたそうです。


鳥羽以降の記述は、残念ながら事件を追うばかりといった観がいなめませんが、それでも保元・平治から平家の政権には、一般に流布した軍記物のイメージを覆す解釈が施され、非常に興味深いものです。

土地制度、王家、公家から見た武家政権の成り立ちが語られ、自分が今までいかに軍記物やそれを題材にした解説書、小説、ドラマなどに影響されていたかがわかり、正直恥ずかしかったです。


特に私の印象に残ったのは清盛の福原遷都です。

通常平家政権の失敗は平家の公家化、摂関家の猿真似で語られることが多く、頼朝は在地武士の利益を代表する存在に徹したから「新しく」、清盛はそれらを考慮しなかったから「古い」とされています。

実はこの見解には長年疑問を抱いていました。いつか詳しく語りたいのですが、簡単に言えば、結果からのやや強引な見解ではないかなと思っていたのです。

本書はそのような私の長年の疑問に答えてくれた本であり、また、私にとって長年不明であった摂関から院政へのミッシングリンクを埋めてくれた本であります。

そして物事は常にいろいろな角度から見なければいけないという大切なことを痛感させてくれた本でもあります。

AD