谷川流 涼宮ハルヒシリーズ

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角川に望むこと

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シリーズとして現在出ている9巻までを読みました。

受賞作である1作目『涼宮ハルヒの憂鬱』に比しうるのは、4作目の『涼宮ハルヒの消失』くらいでしょうか。ただこれもSFでは定番のネタ、人気の仕掛けを用いているのですから、個性あふれる1作目には及びません。

正直に申しましてシリーズ化は無理があったと思います。量産できる作家さんではないと思います。


これは私の想像ですが、谷川さんには初め続編の構想はなかったのではないでしょうか。1作目の終わり方からも、主要人物の一人である古泉一樹(こいずみ・いつき)の設定からもそれがうかがえます。かわいそうに彼は2作目以降はいてもいなくても同じ扱いとなりました。

かつて(現在も?)少年漫画の格闘もので、敵の強さのインフレという風潮がありました。主人公の成長にしたがって、敵がどんどん強大化してゆくのです。そしてかつての敵は仲間となり、強くなった主人公の前座に落ちぶれるというパタンもよく見られました。

古泉に与えられたポジションがまさにそれで、2作目以降は単なる解説役に落ちぶれてしまいます。9作目まで見ても彼の活躍の場はほとんどありません。無理なシリーズ化の最大の犠牲者が古泉でしょう。

また漫画との比較になってしまいますが、人気作がその人気ゆえに連載を終了できず、ずるずると長引く例が過去現在たくさんあります。このハルヒシリーズもそんな印象を受けます。受賞作である1作目、これは秀作でなかなか面白いのですけれど、それを大々的に売り出し、かつ長期的な売り上げを確保するためにシリーズ化をする。そのためにどんどん内容が薄くなってゆく。


私は、谷川さんは短編向きの作家さんだと思います。ファンの間で評価の高い4作目『涼宮ハルヒの消失』にしても、分量的には1作目よりも短く、この作者の欠点である冗長な表現を削れば中篇となるボリュームです。

短編は秀作と駄作が入り混じっています。これも無理な量産のためでしょう。ネタがなくただキャラクタのどたばたを描いているものも少なくありません。シリーズの後半になればなるほどだれた表現が目立ち、読むのがつらくなってきます。


1作目のキャラクタ設定が破天荒なゆえにキャラクタに人気が出、それゆえに同じキャラクタを使わざるを得なくなった。これは不幸なことではないでしょうか。

角川に望むことは、無理な量産を強いて才能をすり減らすのではなく、じっくりと育てること。

安易なキャラクタ人気に頼ることなくストーリーで勝負してほしいことです。


今回かなりえらそうなことを書きました。不快に感じる方がおありかと思いますが、私なりの愛着の表れということご了承を。

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